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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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14.氷獄領域

 
 この世に生きとし生けるものの究極の目的とは、種の繁栄だ。
 単細胞生物の分裂に端を発するそれは、三大欲求をも支配している生物的に重要なファクターだ。食事も睡眠も、その先が生物種としての子孫繁栄に繋がるからこそ、生物は今まで自らの遺伝子を受け継いだ個体を数多く後世に残してきた。

 だが、世界のすべてがこの理の元に動いている訳ではない。

 例えば、神は違う。
 神は律する側であり、理を創造する側であり、存在そのものが理だ。
 個にして完成形。究極にして無比。故に、生きる死ぬではなく『存在している』もの。故に自らの情報を基に子孫を残すという概念はあっても、必要性がない。何故ならその存在は天界にいる限り損なわれることがないからだ。

 そしてもう一つ、魔物もまた違う。
 生物が他の生物を襲う原理の奥には生存競争がある。ナワバリとは餌と安全をより多く確保するために存在するし、命に牙を剥く理由は打倒した相手の血肉を我が物にせんと欲するから。つまり生物が対象を襲うのは食べていくためという側面が大きい。
 だが、魔物はそれに当てはまるようで当てはまらない。食物はいつでもダンジョンそのものが与えてくれるし、子孫繁栄とて個体同士で(つがい)を作らずとも勝手に生み出される。ダンジョン外では自らの魔石を分割することで細々と個体数を増やしたようだが、増やすたびに魔石の力が減少して個体ごとの戦闘能力が落ちている。生物の繁栄方法としては大きな欠陥だ。

 理から外れながらも生物的な面影を残す魔物は、通常の動物が絶対にしない行為を行う。

 ――殺戮。

 食べるわけでもなく、ナワバリを確保するわけでもなく、ただただ敵意と殺意を持って近づいた生物を殺傷する。つまり、それは何ら生産性のない単なる破壊衝動にのっとった行為だ。

 ダンジョンは神を憎んでいる。
 故に、ダンジョンの申し子たる魔物たちも神の先兵(ファミリア)を憎む。
 そんなことを語ったのは、果たしていつの時代の誰だったろう。
 本当にそうとは言い切れない。魔物の中にも調教(テイム)できる存在はいるし、中には限りなく人間に近い知能と理性を持った存在も――これは本当に稀だが――存在する。しかしそれでも、魔物たちが意味のない戦いに興じる存在であるのは確かだ。

 いや、それとも魔物は人間たち敵視する明確な理由があるのかもしれない。

 魔物を除けばこの世界で唯一、彼らと同じく『殺戮』という文化を持った存在――人間と、人間にその文化を与えてせせら笑う、天上の神々を敵視する、理由が。


 悲鳴と怒号が飛び交うダンジョン22階層において、『エピメテウス・ファミリア』の魔物の軍勢の戦いは膠着状態に陥っていた。それも、魔物側の優勢という形で。

 植物魔物の特徴は、その特殊な形状から繰り出される変則的な攻撃だ。本来ならばそれに加えて待ち伏せ型の擬態性を加えなければいけないが、この乱戦の中では待ち伏せも何もあったものではない。歩行可能な植物型魔物の波状攻撃に、ファミリアたちは段々と動きに精細さを欠き始める。

 樹木型魔物のミドル・フルオンの馬鹿力と耐久力。
 蜂型魔物のデッドリー・ホーネットによる一撃離脱の速度。
 茸型魔物のファンガス変異種による胞子分裂。

 開戦当初こそ植物以外のリザードやゴブリンなどが見られたが、第一波を全滅させたタイミングで別の白装束がフルオンを引き連れ乱入。更にはファンガス変異種が後方に陣取って空間を埋め尽くしてくる精神的圧迫を加え、さらには乱戦のせいでデッドリー・ホーネットへの迎撃が間に合わずに毒針を防ぐので精いっぱいだった。

 攻城隊の強固な盾と鎧にミドル・フルオンの拳が叩き込まれ、凄まじい衝撃に揺さぶられた隊士が悲鳴を上げる。

「ぐおおおおおおおッ!?と、投射隊!!援護はまだかぁッ!!」
「無茶言わないで!こんな物量を押し付けられたら魔力が持たないってば!!」
「慌てるなッ!!投射隊は速やかに前方2時の方角にいるフルオンに集中攻撃せよッ!!私は引き続き退路確保に動く!焦らずに行けッ!!」

 投射隊の攻撃はこのような乱戦の中では非常に強力だが、同時にどこに打っても当たるために消耗の加速が顕著になる。相手にするターゲットがあまりにも多すぎて攻撃が追い付かないのだ。更に攻城隊の上を潜り抜けて奇襲を仕掛けるデッドリー・ホーネットの迎撃に遊撃隊が駆り出されるために射線の確保がシビアになっている。

 結果、本来なら遊撃隊がするはずだった「隊後方の守り」と「退路確保」の仕事をリージュが一手に請け負うことになってしまった。最大戦力である彼女が正面に攻め込みたいところだが、そうはいかない事情があった。

 隊の後方を、魔物を引き連れた白装束に陣取られた。
 今、リージュは思うように身動きが取れない。その理由は言うまでもない、唯でさえ前方を塞がれて疲弊したファミリアたちが後方から攻撃を受けたら戦線を立て直せないからだ。

「『エピメテウス・ファミリア』の『酷氷姫(キオネー)』――お前を殺せばオラリオに少なからぬ影響が出る」
「貴様がファミリアの新人達を引き連れて実地訓練をしていることは調査済みだ。そして連れている新人たちがレベル1~2程度の『足手まとい』であることもな」
「故に、入念な準備をすれば貴様を逃げられない状況に追い込むことなど容易い。――そう、ファミリアを人質にしてな」
「………よく回る舌だな。そんなにも削ぎ落して欲しいのなら削いでやろうかッ!!」

 深く構えた刀を刹那の間に抜き放ち、白装束の喉元を容赦なく狙って引き裂く。
 宣言通り舌が――上顎ごと一撃で両断されて宙を舞う。

 その瞬間、左右を数十にも及ぶウルフ系の魔物が凄まじい速度で駆け抜ける。普通に冒険するだけでも十分な脅威たりうる暴食の獣達をこのまま放置すれば、連中は後方で援護する投射隊に牙を剥くだろう。
 ――が、その行動自体は読めている。

凍てつけ(ヘイル)………『氷造(アイスメイク)』――アッパーニードルッ!!」

 魔力で生成された氷槍が無数に地面から突き上げ、魔物の無防備などてっ腹を正確無比に刺し貫く。

「ギャウッ!?グギャァァ……―――」

 飛び散る鮮血すら瞬時に凍り付く冷気に、獣の断末魔さえも凍てついた。
 ダンジョンに胴体を貫かれた獣の氷像がずらりと立ち並ぶ。
 地獄――ふとそんな言葉が頭をよぎるような、残虐な光景だった。

 その、隙間を。

 通り抜けようと疾走した白装束の男の喉を――虚空を切り裂いた氷柱が貫いた。
 一撃で喉を潰され、瞬時に血液は凍結し、衝撃で首がぼきりと折れた。
 確かめるまでもなく、即死だ。

 人間を殺した――とは考えない。何故なら、これらは『既に人間ではない』から。

 ドナからのヒントを覚えていれば簡単なことだった。最初の一人を即死させずに服を割くように斬り裂いてみれば、その胸には魔物を象徴する魔石が埋め込まれていたのだ。すなわち、この白装束達こそが『魔物人間』と呼ばれる存在なのだとすぐに気付くことができた。

 まだ魔物人間とは何かが分からない。だが、少なくとも相手がすでに人間と呼べない存在であるのならば、手加減も容赦も必要ない。どちらにしろファミリアに害を為すのならば殺害もやむなしとは思っているが――それでも、多少は罪悪感を和らげてくれる。

 白装束は、魔物と仲間が氷像になり果てる光景にさしたる感傷も抱いていないかのように平然としていた。それもそうだろう――既に彼女の周囲には、一撃で殺された魔物と白装束で屍山『氷』河が築かれているのだから。

「……ふむ、その反応速度は流石だと言っておこう。だが、果たしてお前の魔力はあとどれほど持つのかな?これ以上の魔物の発生を防ぐために『周囲一帯のダンジョンの壁を凍結させる』とはさすがに予想外だったが、結果として計算よりを力を消耗させる過程を短縮できた」
「これで計画を大幅に短縮し、奴をおびき寄せる。『彼女』の憂いは我らが絶つ」
「その為に――最初の生贄を捧げる必要があった」

 淡々とした喋り方が余計に癪に障るが、向こうの思うとおりに事が運んでいるのは事実だった。
 このオラリオでリージュだけが実現可能な方法――発生源であるダンジョンそのものを凍結させて魔物の発生を一時的に封じること。現在、『エピメテウス・ファミリア』の周囲に存在する魔物の発生源たりうる部分は、その全てがリージュただ一人の放った凍気で封じられている。

 ただ、それを行う代償として彼女は相当な量の魔力を糧にする。合間を縫ってマジックポーションを呷ってはいるが、その消耗は既に看過できない段階へと迫りつつあった。恐らくは持ってあと十数分――いや、それだけならばまだいい。魔力は別として体力ならばまだ余裕はある。

 だが、あちらはリージュと戦うことを前提に戦略を組んでいるためか、戦力を小出しにしてかなりギリギリの間合いで距離を取りつつ突破を図ってくる。魔力が切れれば一斉に迫り、リージュが切り伏せられる許容量を突破して魔物相手に悪戦苦闘するファミリア達を一斉に食い潰すだろう。

 事ここに至って、仲間は足手まといだった。

 何よりあの白装束――恐らく推定レベルは3~4程度であることに加え、体に仕込んだ爆薬による特攻を仕掛けてくる。確実に詠唱を行う喉を潰さなければリージュとてただでは済まないのだ。命を捨てた人間爆弾に殺到されれば、全てを切り伏せるのは難しい。

(死兵――自分の死を織り込み済みで組み立てられた戦術。わたしだけが逃げに回れば命は助かるが、このまま事が運べばファミリアに確実な犠牲者が出る……!!)
 
 ここまでの戦略。魔物化した肉体。
 更に魔物を従え、変異種まで連れてくるという数と種類の優位。
 このダンジョン内に魔物がほとんど発生していなかったのは、大量に集めた魔物を襲撃のためにどこかに伏せていたからだ。しかも、この『エピメテウス・ファミリア』の『酷氷姫(キオネー)』を確実に始末するために。

(まだなの――ドナ。それとも途中で連中に見つかって……駄目だ、今は弱気になるな。彼女を信じた私の判断を、今は信じるしかない)

 もう状況は限りなく詰みに近い。
 だが、乱戦が本格化する前にリージュは賭けをした。
 旗色が悪くなった時点で、リージュはあることを思いついたのだ。それが、ドナに援軍を呼びに行かせることだった。彼女の存在を悟られないため、ダンジョンの壁を凍らせる際にわざと派手に氷雪をばらまき、その視界の悪さを利用して彼女に行かせた。

 最初は共に戦うと言っていた彼女だったが、彼女一人の協力でこの場を乗り切れる可能性は限りなく低い。だから、時間がかかっても援軍を呼ぶように言い聞かせて何とか納得してもらった。

 代償は高くついたが――この状況を乗り切れるなら安いもの。

 この乱戦でも問題なく戦える戦闘能力を持ち、22階層まで短期間で来られるフットワークがあり、なおかつドナの言葉に最も耳を貸してくれそうな存在――『ゴースト・ファミリア』。
 本当ならば彼らのような実態も得体も知れない存在に助けを求めるのは、秩序側に属するものとしては失格だ。それでも――自分の顔に泥を塗って部下が助かるのならばそれでいい、とリージュは思う。

 それは責任感とか立場とか善意とかそういうものではなく、彼女自身がそうすると決めた不文律だ。
 かくあるべきという方向だけを見据えて愚直に進む。たとえ無理があっても、進む。
 それは、あの日の夜に届かなかった親友の背中を追いかけているだけなのかもしれない。

 それでも――裏切った友達に首を垂れる恥知らずな真似をする結果になっても。

(アキくん………ううん、オーネスト。あなたは私を赦してはくれないかもしれないけど――わたしにはこのファミリア全員を生かして帰す義務があるの。だから――!!)

 後方から悲鳴が上がる。もうポーションも毒消しも数が持たないのだろう。
 精神的にも体力的にも、極限の状態。崩れかけたレンガの家。
 あと一押しで崩壊する――その刹那になって、リージュは祈るように刀を強く握りしめる。


 だが――現実はいつも冷たくわたしたちを突き放す。


「――隙ありだ。お前も『祝福』を受けろ、『酷氷姫(キオネー)』」

 虚空から、その声は唐突に響いた。

 瞬間、衝撃。

「かっ、はッ!?」

 鼓膜を突き破る大音量と衝撃が、リージュの体を軽々と吹き飛ばした。
 自分でも気づかぬうちに疲労を我慢していたのか、受け身を取る暇もなく体が地面に叩きつけられて跳ねる。落下の反動に全身をシェイクされ、壁に背中が当たって体が止まった。

 必死に呼吸しようとするが、横隔膜がうまく動かない。
 視界が歪み、全身の痛みが熱いのか寒いのか、感覚が曖昧になる。
 ただ、隙を見せてはいけないという本能的な防衛本能が、刀だけは離さず握らせていた。

「がはっ、ゴホッ!!ぁ……ゴホッ、ゴホッ………!?」

 何が起きたのか――動かなくなった体を無理に動かそうともがいたリージュの鼻先に、からん、と音を立てて小さな兜が転がった。地の底に沈めたような漆黒の上に血潮と脳梁のこびり付いたそれが、リージュに真実を告げる。

(ハデス・ヘッド――確か、体を透明化させるマジックアイテム………そういう、ことか)

 最初から使わなかったのは恐らく数がなかったから。こちらを消耗させて、単なる物量作戦と思い込ませた上での奇襲。魔物をけしかける度に少しずつ注意を反らしながら近づき、極限まで気配を消してあそこまで近づいていたのだ。
 近づきさえすれば自爆の爆風を浴びせるのは容易。
 命一つを犠牲にして、連中はまんまと大金星を挙げた。

 一体どこでこんな代物を――と考える余裕さえなかった。
 いや、もう思考能力がほとんど残っていなかった。
 耳が馬鹿になったせいで音で気配を察知できない。
 目も爆発の衝撃で使い物にならなくなった。
 呼吸は乱れ、自分の呼吸で喉を詰まらせそうなほど、ひゅうひゅうと喉から空気が漏れる

 このままでは敵を、通してしまう。
 蹂躙される――皆が、理不尽に。
 それを防ぐために自分がいるのに。

(戦線………維持しなきゃ。わたしがしなきゃ……)

 肉体を無理やり動かすのは、熱に魘されるような衝動。
 前へ――前へ――あの日から、決して鳴り止む事のない叫び声が背中を押す。

(立たなきゃ。立って戦わなきゃ、負ける)

 ずたぼろの肉体で必死にもがいて、立ち上がることに失敗してまた地面に転がる。何本骨が折れていて、どこから血が出ているのか正しく認識できず、平衡感覚さえ曖昧なままにもう一度立ち上がろうとして――また落ちる。
 遠のいていく意識の中で、それでも前へ、と呟いた。

 視界が赤く濁り、片耳からごぼごぼと異音がする。
 でも立たなきゃ。
 皆に情けない姿を見せては、弱さを隠しきれない。

 頭が痛い。足は感覚がない。腕が震える。
 でも立たなきゃ。
 戦いとはそういうものだ。立っていないと勝つことも出来ない。

 もう、諦めるべきかもしれない。援軍は間に合わないか、そもそも来ない。
 でも立たなきゃ。

 何のために立つんだっけ。

 えっと、そうだ。

 アキくんを――アキくんを追いかけるために、前へ進むって決めたんだ。

 遠ざかる背中、遠のく思い出、離れていく距離。
 それ以上離れれば、永遠に途絶えてしまうと思ったから。


 刀を地面に突き立てて、何とかまっすぐになろうとして、バランスが取れずに前のめりになって。


 誰かに、ぶつかった。
 ぶつかった誰かからは、とても懐かしくて安心する匂いがした。
 誰かは、優しくわたしの体を受け止め、硝子細工を扱うようにそっと地面に寝かせた。

「――馬鹿が。足が折れてんのに立てる訳ないだろ。お前は昔から出来ないことまでやろうとする………悪い癖だ」
「あ……き、くん……。わたし、進まなきゃ――」
「寝てろ、邪魔だ。――特別に、あとは俺が片付けてやる」

 それを期に、途切れかけていたリージュの意識の糸はぷつりと途切れた。



 = =



 その時『エピメテウス・ファミリア』はそれを確かに目撃した。
 自分たちがずっと苦杯を舐めさせられていた魔物の大軍が――嵐のような剣に次々粉砕されていく様を。まるで意志を持たぬ天災のように暴威をふるって進路のすべてを薙ぎ倒す『それ』は、瞬く間に群れを成していた魔物の実に7割近くを惨殺し、反応する暇もなく彼らの横を通りすぎた。

 『それ』は余りにも速すぎたが、ファミリアたちの一部は辛うじてその正体を垣間見た。
 地獄から解き放たれた獣のように荒々しく剣を握った、その男を。

「今の……『狂闘士(ベルゼルガ)』………!?」
「は……?おい、冗談だろ?こんな――稲穂を薙ぎ倒すような速度で魔物を殺せる人間なんている訳が……!!」
「で、でもよう!あれは『狂闘士(ベルゼルガ)』だったぜ!?」
「――いや、それが出来るから『狂闘士(ベルゼルガ)』ってことか………俺たちとじゃ、格が違うんだな」

 どうして、その力が自分たちにないのか。
 圧倒的な力の差を前に、全員が内心でひそかに同じことを悔いた。

 だが、彼を目で追いかける暇はない。先ほどの嵐でフルオンの壁が崩れた。ホーネットもパニックを起こして動きが鈍っている。回復が望めない今、増殖するファンガスを叩くために今は攻めるしかない。同時に、全員が内心では一つのことを願っていた。

 もしも、後方で団長(リージュ)手古摺(てこず)っているのならば――どうか彼にはそちらに手を貸してほしい、と。

 先ほど、後方で巨大な爆発音があった。ファミリア達はその音が何なのかを確かめなかった。
 理由は二つある。一つは魔物の隊列を前に後方確認をする余裕はなかったから。
 そしてもう一つの理由は――リージュが「後ろはわたしがやる」と言い、その後指示がないからだ。

 つまり、今、ファミリア達は決して隊列を崩してはいけないのだ。
 やれと断言し、追う指示がないということは、つまりそれが最善の行動なのだ。
 『戦争遊戯(ウォーゲーム)』に於いてただの一度の敗北も無い彼女の雄姿は、団員の誰もが目に焼き付けている。雪のように純白で、女王のように威厳に溢れ、ほかの誰よりも勇ましい団長の姿を信じている。そんな彼女が何も言わないのならば、最善なのだ。

 ――事実、彼らの考えは結果的に正しかった。

 もしも爆発のタイミングで彼らが後ろを振り返れば、全身から血を垂れ流す団長の姿が目に映っただろう。そうなってしまえば辛うじて保たれていた指揮は崩壊し、オーネストが訪れる前に死人を出していた。最初から彼らは振り返ってはいけなかったのだ。

 だが、それでも――彼らは心配だった。
 最強だと信じているからこそ、最強でない自分たちのせいで彼女の華奢で美しい体に傷をつけてしまうのではないかと不安を覚えていた。
 だから、彼らは例えその判断が間違っていたとしても――オーネストに後方を託して前に進んだ。

「攻城隊、構え!!次の突撃で突き崩せよおぉぉぉッ!!!」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 限界を迎えつつある彼らの死力――火事場の馬鹿力を乗せた突撃鎗が一斉に突貫した。



 ――その、後方。未だ増殖を続ける変異ファンガスの後ろで。

『……リージュ、ダイジョウブよね?死んだりしてないよ、ね?』
「オーネストが助けるっつったんだから助かるだろ。あいつ無理とか道理じゃなくて『こうすると俺が決定したんだから世界はそれに従え』って奴だし」

 さっきから八の字眉で固定されてしまったドナのおでこを、ヴェルトールは優しくなでた。
 その感触を受け入れるように目を細めた彼女は、冷静さを取り戻したように一つ頷く。

『……そうだよね。マスターの認めたイジッパリだもん。きっとオーネストに任せればダイジョウブ!!』
『では主様(ぬしさま)、拙者達も続きましょうぞ』
「おうよ、そうさな――オーネストだけに格好いいところ見せるのも癪だし、暴れますかッ!!」

 ヴェルトールは両手にジャマダハル・ダガーを。
 ドナは両手にカミソリのような形状の剣を。
 そしてウォノは琥珀色の宝玉が埋め込まれたロッドを。

「『アルル・ファミリア』副団長!!『人形師(マリオネティスタ)』ヴェルトールッ!!わが勇猛なる作品達、ドナとウォノを引き連れて……いざ参るッ!!」
『サツリクのウタゲだぁぁーーーっ!!』
『主様の御前であるッ!!控えおろうーーーッ!!』

 増殖を続けた変異種ファンガスの群れに突進した3人は――瞬く間に化け物どもを食い尽くした。
  
 

 
後書き
リージュの固有魔法『絶対零度(アブゾリュートゼロ)』は没倉庫時代の設定がアレだったのでアイズの魔法に近い感じに修正しました。ただし、氷の造型による汎用性と引き換えに凄く消耗が激しいです。というか前の設定にきっと無理があったんですよね。

ちなみにリージュの二つ名は『雪妖精(メイヴ)』とどっちにするかちょっと迷いました。

フルオンとファンガス変異種はこの小説オリジナル。
ふと気が付くと『穢れた精霊』の一派がメチャクチャ荒ぶってました。荒ぶってる理由はアズを怖がった『穢れた精霊』がビビる余りに手下が焦って暴走してるんですが。つまりすべてはアズのせいです。

次回、オーネストが「お、おう」ってなるの巻。 
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