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真・恋姫無双 矛盾の真実 最強の矛と無敵の盾

作者:遊佐
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群雄割拠の章
  第1話 「貴女はどなたです?」

 
前書き
長らくお待たせしました。
多分、今までで最長の章になる予定です。
 

 




  ―― other side ――




 季節は実りの秋―― 

 洛陽を占拠した董卓に対する連合軍の激戦から、早一年あまりが過ぎようとしていた。
 霊帝の崩御から始まり、董卓の台頭、連合の結成、虎牢関の悲劇を経て、大陸は平穏を取り戻したかに見えた。

 しかし、その裏で漢王朝の衰退を目にした諸侯は、新たな野心と野望を燃え上がらせる結果となる。
 秘密とした連合での密約は、当の諸侯によりもはや公然の秘密として流布されていたのだ。
 これにより、漢王朝の権威は失墜、連合に参加していなかった諸侯も、自らの野望を燃え上がらせるようになる。

 憂慮したのは、その漢王朝・献帝の後見人である曹操だった。
 彼女は蠢動する諸侯に睨みを効かせ、ある諸侯には歓待による『アメ』を与えて懐柔し。
 ある諸侯には、武力をちらつかせた恫喝による『ムチ』で暴走を押さえるように奔走した。

 その功績もあり、献帝は曹操に節鉞を仮し与え、録尚書事とし、司隷校尉も担当させた。
 『節鉞』とは漢の軍を独自に動かせ、軍令違反者には処罰もできる、いわゆる独裁権である。
 これにより、漢の軍事面を一時的とはいえ支配することになった曹操は、周辺諸国へ睨みをきかせる。

 それと同時に録尚書事(いわゆる宰相)と司隷校尉(大臣を監視する職)兼任することにより、漢の政務にも絶大な発言権が与えられることになる。

 このことに激怒したのは袁紹だった。
 自身を『四代にわたって三公を輩出した、名門汝南袁氏』と声高に触れ回っている彼女である。
 当然のごとく、曹操の急激な成り上がりに何も感じぬ訳はない。

 だが、反董卓連合での失策が一年以上経った後でも響いている。
 袁家の財力は、本人の『運』に任せた博打のような才覚で復興、その資金力は連合前よりも膨れ上がったものの、その評判は未だ回復してはいなかった。
 その為、慣れぬ面従腹背の姿勢で、曹操とは表面上、『互いに関わらず』を貫いていた。

 互いが、そのうち決着を着けなければならぬと思いながら……

 そんな中、大陸中に一つの噂が流れ始める。

『梁州の天の御遣いが姿を消した』

 その噂が北の地にいる曹操に届いた時、曹操は一笑に付した。

「あの御遣いが、劉備の元から去った? ありえないわね……どうせまた何か画策しているのでしょ」

 連合前にも一年ほど姿を消していた盾二である。
 また同じように姿を消して、劉備のために暗躍しているのだと、どの諸侯もその噂を信じなかった。

 諸侯が信じなかった理由の一つに、黄巾残党の討伐に、黒い服に身を包み、戦場を駆ける魔人のような男の姿が確認されたからでもある。
 それが御遣いの兄弟であるなど、誰も知らない故であった。
 同じように妖術のような技を使い、同じように剣も槍も効かない服を着て、同じように戦場で陣頭に立つのである。

 盾二を詳しく知らない諸侯はもちろん、遠い地にいる曹操には欠片も信じなかった。

 そう……『盾二を詳しく知る者』を除いては。




  ―― 劉表 side 漢中 ――




「……では、(まこと)なのだな?」
「…………………………はい」

 漢中の王座の間。
 その席で、儂は対面にいる小さな宰相に尋ねた。
 その小さな宰相――孔明は、目を伏せながら儂の問いかけを肯定した。

「………………っ」

 思わず歯噛みしてしまう。
 儂は、儂は……

「……この盾二からの書簡、最初に見た時は思わず目を疑ったわい。まさか、そんなことになっておったとは……」
「……………………」

 つい先日、漢中からの商隊が届けてくれた盾二からの書簡。
 それを読んだ儂は、すぐに漢中へ馬を走らせた。
 護衛の兵もつけずに駆け出してしまったことは、漢中についてから気がついた。
 こんな不用心なことなど、漢中に来るのでもなければできまいて。

 漢中の街道は、大陸一安全な街道であるのだから。

「……この書簡には、儂の養子になることの正式な断りと、自身が野に下ること、そして大陸を去ることが書いてある。で、だ……孔明殿。もう一度確認させてくれい……これは、これは真に盾二からの、正式な書簡なの……じゃな?」
「…………………………はい」

 繰り返す儂の言葉に、目の前にいる小さな宰相は、目を伏せ、顔を俯きながら、再び儂の問いかけを肯定した。

 ……そう、か。

「……これには、理由が書いておらん。その理由を、聞くことはできぬのかの……?」
「…………………………」
「……大陸に、変な噂が立っておる。盾二がすでに漢中を、玄徳の嬢ちゃんの元から去ったと……それは、真なの、だな?」
「…………………………はい」
「何故じゃ!?」

 儂はたまらず目の前の台を叩く。
 その音に、孔明の嬢ちゃんはびくっ、と身を震わせた。

「何故、あの盾二が! あれほど才気溢れ! あれほど儂が誘っても、玄徳の嬢ちゃんの元を動こうとしなかった盾二が! 何故、その嬢ちゃんの元を離れて、野に下る! 盾二が何かしたというのか!? あれほどの男を手放す理由が、この梁州にあるというのか!?」
「…………………………」
「玄徳の嬢ちゃんは、盾二を放逐したというのか!? あれほどの男を、一体どんな理由で! 何故盾二が――」
「…………………………っ」

 儂の激昂に、ただ唇を噛み、肩を震わせる孔明の嬢ちゃん。
 その唇から血が滴るのを見て、儂は言葉を止めた。

「……その理由は、玄徳の嬢ちゃんが儂に会わないことに、関係あるのかの?」
「………………………………」
「……儂は、そんなに信用されておらぬというのかの……」
「…………………………違います」
「……では、何故じゃ? 何故言えぬ? 何故会えぬ? あやつがこの梁州を去った理由は何じゃ? 儂の養子を断るのはいい。それは儂と盾二の問題じゃ。だが、何故じゃ? 盾二を放逐すれば……儂がこの後どうするかなど、お主らにもわかろうに」

 元々、三州同盟は盾二が居ったればこそじゃった。
 儂が盾二に惚れ込んでいるから、その主である嬢ちゃんとの縁を結んだが発端じゃ。
 その盾二を切れば、この同盟が無くなることもわかっておろうに……

「………………盾二様は、私達にも(いとま)を出しました」
「な、何!?」
「私達は、今は無主(むしゅ)です。ですが、突然私達がいなくなれば、梁州は崩壊します。無主ではありますが……私達はここで仕事を続けています」
「……玄徳の嬢ちゃんは、なんと?」
「……………………なにも…………いえ、それどころか、何も話しては下さいません」
「………………………………?」
「一月前、盾二様が梁州を去った後……桃香様は、漢中郊外の共同墓地で警邏隊に発見されました。その後……七日間眠り続け、目が醒めても反応がありません」
「!?」
「まるで屍のように……なってしまわれました」

 なっ……どういうことじゃ!?
 儂が目を向けると、孔明殿は目を伏せる。
 それ以上は聞くな……そう言っているようじゃ。
 梁州の主が廃人のようになり、その腹心がいない状況……こんなことが公になったらまずいのじゃな。

「……私達が知っているのは、桃香様を呼び出す前に、私と雛里ちゃんが暇を出されたこと。盾二様が、馬正さんの仇である唐周を追ったこと。そして……」
「……そして?」
「………………自分の後を、ご兄弟に託されたこと、だけです」
「……兄弟、じゃと?」

 盾二に兄弟がいた……?
 その者に自分のすべてを譲り渡したというのか!?

「……何故じゃ。兄弟がいたとして、それで何故盾二がここを去る必要がある?」
「わかりません……私達にも、なにもわからないんです。ただ、盾二様は……一刀様を、自分の代わりにしろとしか……」
「………………」

 どういう、ことじゃ……?
 あの盾二が、全てを投げ出した?
 いや、あの才覚を持つ盾二が、なんの落ち度もなく梁州を、その職責を投げ出すなどありえん。

 何か大きな失策をした……?
 いや、これほど急速に、にも拘らず安定した成長を続ける梁州じゃ。
 そんな失策をしたとは到底思えん。

 その兄弟……真名かもしれんが、一刀とかいう男が盾二以上の才覚を持っているから、何らかの理由でその者に譲った?
 いや、ならば共に梁州を発展させるはずじゃ。
 盾二だけ姿を消すなどありえん。

 儂の養子がそれほど嫌だった……?
 ぬ、む……い、いや、書簡で何の理由もなく断るだけなど、あの盾二ならそんなまずい手は打つまい。
 儂は最初、この書簡が偽物と思ったぐらいじゃ。
 だが、これが本物だとすれば……それほどに盾二は切羽詰まっていたということなのか……?

「……その兄弟というのは、どういう人物なのじゃ?」
「……北郷一刀様。真名は盾二様と同様にないそうです。盾二様同様、天の力をお持ちです。盾二様が桃香様と同行するきっかけが、一刀様のご病気を治すためだったと聞いています。その尽力の御礼に、盾二様は桃香様にご助力することになったと」
「……なんと。盾二らしいの……義に厚い。ふむ……それで?」
「一刀様は、華佗という医師にしばらく託されていたそうです。そして連合で呂布と戦った後……馬正さんが亡くなった時に……盾二様の元にお戻りになられました」
「……ふむ。一年前のあの時か。知らなんだ……あの時は儂も、自軍の取りまとめやらで余裕はなかったからのう……」

 危うく反逆扱いになる所からの大逆転じゃった。
 それも全ては盾二のおかげ……

「梁州に帰られてから、盾二様は政務の傍らで、馬正さんの仇である唐周の行方を探すように指示していました。ですが……連合での梁州軍の被害も大きいこと、周辺諸国の情報収集などで人員がそれほど割けず……追跡には一年を要しました」
「……それは、返す返すもすまぬ……」

 連合での混乱時、儂が見逃した人物が唐周であったらしいと、儂の元にも情報が来ていた。
 あの報告があった時ほど、儂は自身の無能さを悔いたことはなかったわい……

「いえ……その一年間、盾二様は一刀様に軍での指揮を学ぶように急いでいました。思えば、その時すでにこの梁州を去るつもりだったのでしょう……」
「……つまり、盾二は今回突然思い立ったわけではなく、ずっと以前から計画していたというのか……?」
「……はい。おそらく、ですが……唐周の行方がわかったと同時に、私達にこう言いました。『一刀様を自分と思え』と……」
「………………」
「ですが、私達は盾二様の臣です。例え、盾二様から暇を出された今でも……」
「う、む……」
「…………すいません。一刀様のことでしたね……人となりでしたら、盾二様同様にお優しいです。少し言動が軽いですが……」
「………………」

 盾二が全てを託した兄弟か……それほどまでの才覚があるということなのであろうか?

「……お会いになりますか?」
「む? あ、会えるのか?」
「……はい。今日は城でお仕事をされていますので……」
「……………………」

 ……ここは、会うべきであろうな。
 盾二が託すほどの人物であるならば……

「わかった。会わせて頂こう」




  ―― 一刀 side ――




「……お主が、北郷一刀殿、か」
「あ、ああ……」

 孔明ちゃんに呼び出されたら、目の前に爺さんがいました。
 何、この爺さん……えらく偉そうで怖い目で俺を見るんだけど。

「……一刀様。こちらは荊州牧であらせられ、成武侯でもあらせられる劉景升様です」
「劉景升……劉表? あれ、確か荊州刺史じゃなかったっけ……?」
「それは一年以上前の話です。それにお名前でお呼びするのは失礼ですよ」
「ああ、そうだった……北郷一刀、です。初めまして」

 俺は、軽く頭を下げて会釈する。
 それを見た劉表は、目を細めた。

「か、一刀様!」

 孔明ちゃんが慌てたように叫ぶ?
 あれ? なんかまずかった?

「よい……孔明殿。北郷……一刀殿、でしたな。盾二のご兄弟とのことじゃが……」
「……はい。不肖の、ですが」

 盾二の奴、劉表と仲いいのか?
 呼び捨てだし……そういや、三州同盟組んでいるとか言っていたな。
 趙雲さんの話では、劉表は盾二に懸想しているとか……まあ、冗談だろうけど。

「ふむ……盾二がこの梁州を去ったことは知っておるの?」
「え?」

 去った!?
 俺は孔明ちゃんを見る。
 話では、盾二は馬正さんの仇を討ちにいったんじゃないのか!?

「……孔明ちゃん、どういうことだ?」
「……………………」
「……なんじゃ、お主。聞いておらぬのか?」

 聞いてねぇよ!
 盾二がいなくなって一ヶ月、俺は盾二が馬正さんの仇を討ちに旅に出たとしか……

「……孔明殿?」
「……一刀様には、まだお話していません。本来は……桃香様から言われるのが筋だと思いまして」
「ふむ……まあ、そうかもしれんな。すまんの」
「いえ……そろそろ限界でしたし、いい機会でもあるかと思いましたので」

 孔明ちゃんと劉表が神妙に頷いている……なんか、すげえ疎外感があるな。

「……一刀様。桃香様がお倒れになったのはご存知ですね?」
「え、あ、ああ……劉備さんの体調が悪いのは聞いている。面会に行っても、関羽さんに今は会えないって言われているけど……」
「そう、ですか……桃香様と盾二様の間に何があったかは、私にもわかりません。ですが、盾二様から私は言付かっています。『一刀様を、自分と思え』と……」
「…………え?」

 お、俺が、盾二の代わり!?

「む、無理無理無理! 俺、盾二みたいな指揮官適性ないし! 第三軍の副将ですら、まだ賈詡さんに怒鳴られっぱなしなんだぜ!? 梁州の総まとめやっていた盾二の代わりなんてできねえよ!?」
「……………………」
「……………………」

 い、いや無理だって!
 いきなりこの場で梁州の全責任背負わされるなんて、どんな罰ゲーム!?

「……この一年、賈詡さんから政務の情報も聞かされてきたはずです。軍内部のこと、漢中のこと、その全てを把握していろとは言いませんが、それでも副将としての立場で意見が言えるはずです」
「そ、そんなこと急に言われても……」
「……盾二様なら、絶対できるはずです」

 そ、そりゃ、指揮に慣れている盾二なら出来るだろうけどさ……いや、俺にそれやれって!?
 いきなりそんなこと、無理だってば!

「いや、でも、えと……俺にはそんなの……」
「……孔明殿。もうよい」
「………………はい」

 劉表は、そう呟くと背中を向けた。
 孔明ちゃんは、眉をきつく寄せながら俯いている。

 ……なんなんだよ、一体。

「……すみません、一刀様。ご退出下さい」
「え? あ、ああ……けど、盾二のこと……」
「……お話は後で」
「………………わかった」

 孔明ちゃんのキツイ眼差しを受けて、この場は去るべきだと思う。
 けど、一体何だったんだ……?

 そもそも盾二が梁州を去ったって、どういうことだ?
 あいつは一体、何を考えて……

 俺には、何がなんだかわからなかった。




  ―― 孔明 side ――




「……あれはダメだ」
「……………………」

 一刀様が王座の間から退出して、しばらく後。
 唐突に、劉表様がそう言いました。
 けど、その内容には驚きませんでした。

 私も、同じ思いだったからです。

「盾二のような覇気もない。才覚もない。信念も気概も見受けられん。盾二が何故、あの者に全てを託したのか……儂にはわからん」
「……………………」
「他国の牧である儂を前にして、自身が梁州の責務を少しでも担っているという自負があれば、対面だけでも取り繕うことはするじゃろう。じゃが、あやつにはその自負もなければ、梁州に対する思い入れすらない」
「……………………」
「全てが他人事……あやつは軽薄すぎる。あの者が治める梁州であるなら、儂は同盟を破棄する」
「……………………」
「……が、この地を治めるのは玄徳の嬢ちゃんじゃ。それならばまだ、かろうじて望みは持てよう……嬢ちゃんが復帰すれば、の話じゃがの」
「………………はい」

 ……一刀様には役者不足でしたか。
 無理を承知で試したのですが……こうも無残だとは。

「……もう一月待つ。それまでに嬢ちゃんを元に戻せ。でなければ、儂は同盟を切る」
「……はい」
「もっとも、最近は劉焉とも疎遠じゃ……三州同盟が今後も続いたとて、安定かどうかは……儂にもわからんがの」
「景升、様……」
「……盾二がいなくなったと知った時、儂は体から力が抜けることを感じたわい。儂はまた……後継者を選びそこねたのう」
「………………」
「……すまぬな。明日にも儂は荊州へ……襄陽に戻る。いろいろと……疲れた」

 そう言って、劉表様は寂しげな背中で王座の間から出て行きました。
 私は……その姿を見送って、深い溜息とともに椅子に体を預けました。

「……なんで」

 思わず呟いて出る言葉。
 何故、こうなったのか。
 私にも、わかりません。

 今の一刀様を劉表様と会わせれば……こうなることなどわかっていたはずなのに。
 一刀様には何も伝えていない……一刀様自身も、周りの状況の変化に気づいていない。
 けど、それを理由に一刀様を責めることは……酷だと思う。

 あの人は……盾二様ではないのだから。

「私は……なんて愚かな……」

 三州同盟は、盾二様がこの梁州に残されたモノなのに。
 それを私は、自ら壊そうとしている。
 何故……何故、そんな馬鹿な真似を……

「……私は馬鹿です……愚か者です……盾二様……叱って下さい……どこに、どこにいるんですか……じゅんじ、さま……」

 気がつけば、私は一人残された王座の間で涙をこぼしていました……




  ―― 関羽 side ――




 赤々とした夕日が、窓から見える。
 時刻はすでに夕刻。
 私は扉を開き、部屋へと入った。

「……桃香様。お食事ですよ」
「………………」

 返事は……ない。

「……今日はビワをすりつぶしたものです。甘くて美味しいですよ」
「………………」

 無言のまま、寝台に横たわっている桃香様の傍に寄る。
 その背中にゆっくりと手を差し入れ、辛くないようにゆっくりと上半身を起こした。

「さ……ゆっくり口に含んでください。(むせ)ないように……」

 うつろに、虚空を見続ける瞳。
 その頬は、以前の面影もなく痩け始めている。

「今日のビワは鈴々が取ってきました。季節としてはもう終わりですが、その分味が熟されて甘みが増していますね」

 なにより、その桃色の美しい髪は、誰もが驚くほどに白く透けるようになっている。
 この方の髪が、一月前まで鮮やかな桃色だったなど、誰が信じるだろうか。

「かなり深い森の奥まで探しに行ったようです。ですが、その甲斐はありました。桃の群生地を見つけたようですよ。一緒に桃も持ち帰ったので、明日にはお出ししますね」

 この一月、まともな食事は取れていない。
 自ら咀嚼しないため、口の中に入れ、こちらが手で顎を動かせる。
 流動物……すりおろした果物や粥などしか口にできないのだ。
 一度咽てしまえば、口すら開けなくなる。

「桃……桃香様、覚えていますか……? 桃の味を……あの、桃の、花を……」

 ぽたっ……と音がする。
 桃香様の口から、こぼれたのだろうか。
 口元を布で拭く。

 またぽたっ……と音がする。
 あれ……おかしいな……口元は今拭いているのに。

「桃の……桃園、の……覚えて、います……か……」

 ああ……なんだ。
 桃香様の口元は綺麗じゃないか。

 こぼれているのは……私の……

「あの……誓い……を……」

 流れる涙が止められず……私はただ、桃香様を抱きしめる。
 それでも桃香様は……何も言わず、瞳に光は戻らない。

 いつの間にか……陽は落ちていた。




  ―― 公孫賛 side 平原 ――




 ……もう、寝ていいかな?
 いいよね……もう疲れたよ……

 ああ……目を閉じれば、そこは桃源郷。
 目の前には白馬が踊り、私を誘っている。
 このままどこまでも馬に乗って駆けていこう。

 さあ……

「伯珪様。新しい竹簡になります……伯珪様? 伯珪様!」
「……うがー! 私を寝させろおおおおおおおおお!」

 思わず叫ぶ。
 叫んだ拍子に、椅子が後ろに倒れた。
 私も一緒に倒れる……痛い。

「ああああああああああああああああああああああ……」
「だ、大丈夫ですか……?」

 大丈夫じゃない!
 もう寝たい!
 いっそ気絶できればよかった!

「ううううううう……なんでこんな目に」
「そりゃ、伯珪様が大声出してひっくり返ったから……」
「そうじゃない! なんでこんなに忙しいんだ!」

 目の前に山になっている竹簡の束。
 処理しても処理しても、追いつかない数で次々持ち込まれるのだ。
 いい加減、私の我慢も限界だ!

「そりゃあ、平原が荒れ果てているからです。ここから復興するのは、かなり大変ですよ」
「ううう……せめて、せめてもう一人私がいれば……」
「あれ? 伯珪様にはご姉弟はいらっしゃらないので?」
「……従姉妹はいる。いるけど……私の母は身分が低くてね。あんまり仲が良くないんだ……」
「そ、そうですか……」

 思わず明後日の方向を向く文官。
 身分の低い母の子が、異例の大出世……そりゃ、本家筋の人間は面白くないさ。
 だから従姉妹たちに手を貸してくれなんて言えない。
 言えば、領地を乗っ取られるか……寝首をかかれる可能性も高い。

「はあ……どうせ私は普通さ。ただの凡人なんだ……今の身分だって分不相応なんだ……」
「そ、そんなことありませんて、伯珪様! 献帝陛下から奮武将軍の上、薊侯に封ぜられているんですよ? そんな方が凡人などと……」
「……私は何もしてないんだ。本当になにも……なのになんでこんな……おまけに来年には州牧になるかもしれないなんて……」
「しっかりしてください! 愚痴っても竹簡はなくなりませんよ!」
「ああああああああああああああああ…………わ、忘れていたかったのにぃ……」

 ううう……こんな時に盾二がいてくれたらなぁ。
 客将の頃の盾二の政務能力には、本当に助けられた。

 今では梁州の切り盛りすらやっているんだ。
 もし盾二がここにいたら……梁州並みに急激な復興を成し得ていただろうに。

「数ヶ月経っても、ちっとも楽にならない……こんなんじゃ、いつになったら復興なんて出来るのか……」
「……我々も頑張りますから。さあ、伯珪様……竹簡が遅れれば、その分復興も遅れますよ」
「しくしくしく……わかっているよぉ……」

 うう……逃げられないのならやるしかない。
 くそお……今日は、せめて一刻(二時間)なりとも寝るために……

「は、伯珪様!」
「ああああああああ! また竹簡増えるのかああああああああああっ!」
「ち、違います! 黄巾が、黄巾の残党が現れました!」
「!?」

 その報告に思わず立ち上がる。
 と同時に、目の前の竹簡の束が机からこぼれ落ちた。

「数は!」
「およそ五百程ですが……農邑を次々に襲っています!」
「なっ……どこだ!」
「平原より北、徳州の近くです!」
「なっ……麗羽の領地の直ぐ傍じゃないか! 北から侵入されたのか!?」
「そのようです!」

 麗羽……自領に黄巾の残党がいて討伐しなかったのか!?
 それとも麗羽に追われて……?

「麗羽から連絡は?」
「なにもありません!」
「……ともかく、至急鄴の麗羽に黄巾残党討伐のため、国境周辺での軍事行動を知らせよ。私は騎馬三千で黄巾を討つ!」
「御意!」

 私は急いで身支度をして、自身の愛馬へと跨った。

「私に続け! 未だ漢の地を荒らす黄巾など、蹴散らしてくれようぞ!」
「「「 オオオオオッ! 」」」

 私の号令に呼応して声を上げる、騎馬隊三千。

「よし! 出発!」

 私は、兵を連れ、平原を出る。
 途中で休息を入れ、一日かけて徳州付近の農邑に辿り着いた。

 だが――

「……え?」

 目の前には(おびただ)しい、死体の山。
 ただし……すべて黄巾のものだった。

「こ、これはどういう……」

 死体の数はおよそ数百。
 確かに報告があった黄巾に間違いはなさそうだ。

 だが、一体誰が……まさか、麗羽が国境を越えて討伐したのか?

「おお、もしや公孫伯珪様ですかな!?」

 と、農邑の家の一つから老人が現れる。
 どうやらこの農邑の長老らしき人物だった。

「いかにも公孫伯珪だが……これはどういうことか?」
「は? どうもなにも……伯珪様がお遣わしになったのでしょう?」
「は?」
「え?」

 ……会話が噛み合わない。
 どういうことなのだろうか?

「ご老体。私は昨日、平原にて黄巾の残党がこの周辺で暴れていると報を受けたのだ。すぐに出発したが、到着は今日になってしまった。そして到着したらこの有り様だ。どういうことなのか?」
「は? あ……で、では、あの『御遣い様』は、また客将になられたのではないので?」
「……なんだって?」

 御遣い……様だと?

「まさか……そんな……ど、どこにいる!」
「は? あ、はい……今は邑の集会場所でお食事をされておりますが……」
「案内してくれ!」

 まさか……まさか!
 盾二なのか!?

 老人を急かしつつ、邑の集会場所に向かう。
 そこには――

「あ……じゅ、盾二!」
「?」

 口いっぱいに飯を頬張る、黒衣の天の御遣い…………北郷盾二が、そこにいた。

「じゅ、じゅんじぃー! 久しぶりじゃないかぁ!」
「もぐもぐ……」
「ははは……なんだよなんだよ! 急にこんなところに来て……あ、もしかして私に会いにきてくれたのか? いやー……それならそうと、連絡くれたっていいだろうに」
「ぐびぐび……」
「あ、そうか……もしかして北平の方に送ったんだな? 最近は平原の復興でこっちに居ずっぱりなんだよ。いやー……そっかあ。いやいや助かったよ!」
「ぷはー……はい、ごっそさん。で、だ」
「うん?」

 盾二は朗らかに私に言った。

「貴女はどなたです?」
「……………………………………ゑ?」

 
 

 
後書き
先月の中頃、事故りまして。
去年は左、今年は右腕です。しかも自損……トホホですね。
前回と違い、今回は利き腕なためにまともにタイプもできず、えらい難儀しました。
骨には異常ないのですが、筋肉組織がだいぶ傷んでいる様子。
あと、肋骨のダメージも大きく、未だに痛いです。
そして両足親指の爪が剥がれかけています。
ほんと……未だに通院していますが、ひどいものでした。

皆さんも事故には気をつけましょう……マジで。 
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