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孤独な牛

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第四章


第四章

「ですがこれからはです」
「一人ではないか」
「真の孤独とは人を知らないこと」
 彼はこうも言うのだった。
「ですが貴方はこれから人を知ることになりますので」
「それはだ」
 彼が何を言いたいのかは察することのできたミノタウロスだった。
「私に教えてくれるのだな」
「宜しければ」
 ミノタウロスに対して頭を垂れて述べる。
「そうさせて下さい」
「わかった。私からも頼む」
 ミノタウロスもまた自分から頭を垂れてダイダロスに頼み込んだ。こうして二人の師弟関係がはじまった。
 ダイダロスは一応は門番であるので表立ってはミノタウロスに対して教えたりすることはなかった。だが夜等誰も見ていない時に二人になり教えていた。ミノタウロスは聡明であり教えられたことは全て身に着けた。気付いた時には師であるダイダロスですら一目置く程になっていた。
「お見事です」
 ある夜のことだった。窓から差し込む月明かりを頼りに白い机で座って向かい合って学んでいる時にダイダロスはふと彼に対して言ったのだった。
「まさかこれ程まで知られるとは」
「驚いているのか」
「貴方程聡明な方は今までおられませんでした」
 こうまで言ってダミノタウロスを褒め称えた。
「全く以って」
「そうなのか」
「貴方が御存知ないだけで」
 自分のことは知ることは難しいということだった。
「ですが実際は」
「しかしだ」
 ミノタウロスはダイダロスの言葉を聞いてもやはり暗い顔で述べるのだった。
「私はここから出ることはできない」
「この宮殿からですか」
「外の世界も知らない」
 ふと窓の方を見る。窓からは黄金色の穏やかな光を放つ満月がある。その優しい輝きを悲しい、いや寂しい目で見つつ言うのだった。
「月はヘレネの司るもの」
「その通りです」
 このことも知っているミノタウロスだった。
「それは知っている」
「はい。その通りです」
「だが。それが照らす世界は知らない」
 こう言った後で溜息をつくのだった。
「私は。他の世界を知らないのだ」
「世界をですか」
「そうだ。世界を知らない」
 また言うミノタウロスだった。今は外の世界を見ずにダイダロスに顔を戻していた。
「このラビリンスの外の世界をな」
「外の世界を」
「人もそなたしか知らない」
 今度はダイダロスに対しての言葉だった。
「他の誰も知ることはない」
「そうです。それは」
 ダイダロスもこのことを認めるしかなかった。認めたくはないとしても認めるしかなかった。事実だったからである。
「貴方は。他の世界は」
「私はこの宮殿から出られない」
 ミノタウロスの今度の言葉は嘆きだった。
「ラビリンスから。決してな」
「ミノタウロス様」
 しかしここでダイダロスは言うのだった。
「外に出られたいのですね」
「そうだな」
 即答はしなかった。しかしであった。
「外の世界か」
「これは私個人の考えですが」
 ダイダロスは一応こう前置きはした。
「ミノタウロス様は外に出られるべきだと思います」
「外にか」
「そうです。その識見と御苦労を生かすべきなのです」
 これがダイダロスのミノタウロスへの考えであった。
「是非共」
「そうか。外にか」
「如何でしょうか」
「まず思うことだが」
 ミノタウロスもまた前置きしてきた。
「私は。もうここにはいたくない」
「ではやはり」
「そうだ。出たい」
 ここで遂に己の考えをはっきりと述べた。
「外の世界にな。是非共だ」
「それではやはり」
「しかし」
 答えはしたがそれでもだった。その顔が曇るのだった。
「ここから出られるのか」
「ここからですか」
「そうだ」
 その曇った顔でダイダロスに対して問う。
「私は生まれてからここにいた」
「このラビリンスに」
「その私がだ」
 顔はさらに曇っていく。憂いがさらに増していっていた。
「ここから。出られるのか」
「それは」
「できるのか?」
 怪訝な顔でダイダロスに対して問うのだった。
「その私が。本当に」
「結論から申し上げましょうか」
 月明かりに照らし出されているその憂いに満ちた顔を見つつ述べていた。その顔は若いながら威厳と深い叡智があり父であるミノスによく似ていた。ゼウスの息子であり端整なことでも知られている彼に。
 
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