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呉志英雄伝

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第十三話~乱世の幕開け~

 
前書き
お久しぶりです。
最早続きを待っていた方も皆無とは思いますが、更新いたします。 

 
「はぁ…」


居城にて、孫呉の当代君主たる孫策は、彼女の気性には到底似つかわしくないため息をついた。
彼女の座る玉座の間、その中に控える配下の者たちも、君主の手前ため息はつかねど、その面持ちからは様々な感情が見て取れた。
憤怒か侮蔑か諦観か。
いずれにしろ、その感情は負の代物であることに間違いはなかった。


「お疲れ様、雪蓮ちゃん」


疲弊している若き君主に優しく語りかけるのは呉の重臣である朱治。
その表情には他の誰とも違い、温かな笑みが浮かんでいる。


「まったくよ。何が悲しくてあんなちんちくりんの言いなりにならなくちゃいけないわけ?」

「策殿、声が少しばかり大きいですぞ」


愚痴をこぼす雪蓮は、祭によって窘められる。しかし彼女が愚痴をこぼす理由はそれなりに仕方のないものであった。
現在の孫呉は『荊州動乱』と呼ばれる先の争いにより、その勢力を著しく縮小することとなった。それに加えて、専売制を取られている塩の密造が公のものとなり、引責という形で君主・孫堅は隠退。
また、荊州南部に広がっていた勢力圏のことごとくを取り上げられ、今は袁術の客将という身分にまで落ちぶれている。
今は廬江に居城を構えているが、それも元は袁術からの借り物。将も各地に分散させられ、今雪蓮の下にいるのは祭、焔、冥琳、穏のみとなっている。ちなみに蓮華は思春、夕と共に袁術の敵対勢力である劉表の支配都市・江夏のすぐ側に駐屯している。
そして荊州動乱当時、まだ幼かった末妹・孫尚香―真名は小蓮―は山越の動向を監視するべく、明命、蒼、更に孫堅以来の宿将たる程普―烈―を伴って秣陵に滞在している。
全ては反逆の爪牙を抜く袁術側の思惑によるものだった。そしてその目論見通り、孫呉の力は着実に削がれていた。
そんな中での今回の依頼―という名の命令―だ。内容は『領内に跋扈する黄巾の残党を駆逐せよ』というもの。五年前ならいざ知らず、戦力の限られた今の彼女らにとってはそれすらも困難な任務だった。


「こんな時に江がいてくれたら楽なのにね…」


つい雪蓮は、かつて共に轡を並べた将の名を漏らす。
ただでさえ沈黙していた玉座の間は、また一段と居心地の悪い空間となる。


「雪蓮ちゃん」


玉座の間に底冷えするような低い声が響く。


「その名前はもう口にしないことよ」


声の主は焔であった。


「彼は…」


ここで言い淀むのは情か怒りか。
それでも彼女は最後まで言葉を紡ぐ。


「私たちを裏切ったのだから」


そう言いきった彼女はただ能面のような顔をしていた。
江が姿を消してからこの5年間、焔は決して江の名前を口に出そうとしなかった。そして場に出た時にはこのように表情を殺して、その話を打ち切りにかかる。


「………はぁ」


剣呑な雰囲気に雪蓮は再びため息をつく。
思えばここ5年、見知った顔を一度に見るという機会がなくなった。袁術の下につき、それに伴って戦力を分散することになったのが一番の要因だ。
かつて一枚岩であった孫呉は今や散り散りになっている。


「あの娘たちは元気してるかしら」


虚空を眺め、ぼそりと呟く。
彼女はまだ信じていた。
今でも孫呉は一つだと。
また『全員』で笑いあえる日が来ることを。
監視下に置かれ、軍事権すらままならない力無き君主の身には、信じることしか出来なかった。











「ほぅ、中央で不逞の輩が専横の限りを尽くしていると」

「うむ、どうやら名を董卓というらしい」


いつもの光景が広がる玉座の間。
その中で袁遺はいつものように頬を緩ませ、玉座に座る『形だけの主君』から話を聞いていた。中央における政変と、それを鎮めるための連合を組むということだった。
正直に言えば彼にとって今は大事な時期であるがために、話を聞いた瞬間では心のうちで舌打ちをしていた。
しかしよくよく考えてみれば、何も自分が行く必要はないのだ。君主さえ出向いていればこちらの誠意は伝わる。
その間に揚州内に手を回し、掌握することも可能である。
ふと彼は目の前の少女に目を向ける。
何の苦労も知らず、生まれがよいから君主の席に座る能無し。
そのような者に使われるのは真っ平御免だ。だからこそ今までこちらが主導権を握れるように立ち回っていた。
無論君主という肩書がある以上、公の場では袁術を立てるように振る舞った。
そのことも尋常ならざる自尊心を持ち合わせる袁遺を刺激していた。しかしそれも中央の瓦解と共に終わりを告げる。あともう少しなのだ。
ならば


「袁術様はもちろん参加なされるでしょう。私は主が不在の間、揚州の地を護らせていただきます」

「主こそ真の忠臣じゃ!誉めてつかわそう!」


精々悪役を演じてもらおうか。
このような小娘にはちょうどよい末路だ。
袁遺と同様、配下の前では『君主』という役柄を演じさせられている袁術に半ば呆れながら、彼は礼をとり、踵を返す。
内心では今回の連合に参加するまでの過程をどう脚色して世間に流すか、ということを考えていた。







ー――――――――――――――――――――――――――――――――






場所は中原。
古のときより、中華の歴史はこの地域を中心に刻まれていた。洛陽は謂わずと知れた王都。長安も全土掌握を果たした秦の都であった。
そんな中原の中心よりやや東にずれた地を陳留という。漢の今上帝・劉協も即位する以前は陳留王に封じられていた。

この時の中原および陳留を語る上で欠かすことのできない要素。それは大規模な政変であった。それこそが董卓という勢力の台頭の一因となったからだ。
劉協は義母である何氏との仲がすこぶる悪かった。正確に言えば何氏にとって劉協は、己が実子・劉弁と皇帝の座を争う邪魔者でしかなかったため、何かと目の敵としたのだ。
そんな折、何氏の兄であり、漢の大将軍である何進が十常侍により謀殺される。権力の後ろ盾を失った何氏及び少帝・劉弁は十常侍の傀儡とならざるを得なかったのだ。今から五年前のこととなる。
しかしそんな中央の腐敗、宦官の不逞を周囲が見逃すはずもなく、天下の名家・袁家の長の袁紹、そして西涼の雄である董卓が十常侍の一部を誅殺するに至る。
とは言え、そのときには既に何氏は亡きものとなり、少帝も衰弱し切った状態を晒していた。
その後、少帝は間もなく息を引き取り、漢室の正統後継者は劉協のみとなり、彼女が現在の皇帝となったのだ。これが今から一年前の話。

その陳留は曹操によって治められている。曹操の類まれなる才覚と彼女の元に集う英傑・賢人の尽力により、現在の陳留はこの大陸の中でも有数の大都市へと成長していた。
そんな陳留にも連合の使いは遣って来た。



「以上が我が主・袁紹からの言伝でございます」

「…そう、ご苦労様。秋蘭、この使者の方を丁重に御持て成しして」

「御意に。では使者殿、部屋へご案内いたします」



秋蘭と呼ばれた薄い青色の髪を持つ女性―夏侯淵―は主の言葉に従い、使者を伴ってその場を辞す。
使者が去り、曹操と重臣のみが残った玉座の間には重苦しい雰囲気が流れていた。


「華琳様…お分かりかと思いますが、袁紹は」

「皆まで言わないで桂花。アレの、麗羽の性質は十分に理解しているのだから」

「………は」


その沈黙を破り、主に語りかけたのは荀彧。その特徴的な―猫の耳を模した様な―頭巾も心なしか草臥れている様に見える。
しかしそんな彼女の言を曹操は遮った。曹操にとって連合に参加するのは、時勢を見るに決定事項であったので、然して問題ではなかった。
だが召集のための檄文、そこに書かれた大義名分はあまりに稚拙なものであったため、今こうして彼女は鈍い痛みが響くこめかみを押さえているのだ。


「つまり袁紹は『自分が気に入らないから董卓を倒しましょう』と言っているのか」

「………ようやく理解したか、莫迦者が」


主の苦悩など何処吹く風、ヒソヒソと話を重ねているのは猛将・夏侯惇と劉雲。
姓から判断できるとおり、惇と淵は姉妹である。そして劉雲は曹操が旗を揚げ幾ばくかしてから力を貸している、曹操軍の客将である。
劉雲はイマイチ頭の回転の鈍い夏侯惇に、使者の言っていたことの裏側を噛み砕いて、更に水でふやかしてまでしてようやく理解させたのだった。
白髪の劉雲は、その髪の色も相まってどこまで疲れているように見えた。


「劉雲、あなたはどう思う?この檄文、そして此度の政変を」

「………とんだ茶番だな」

「…それだけなの?」

「………中身がない、ということはお主がよくわかっているだろう、文若」


曹操の問いを劉雲はばっさりと切って捨てる。
そのあまりに当たり前のように語る口ぶりに荀彧はため息混じりに毒づく。尤もそれも一刀の下、ばっさりと切り捨てられるのだが。


「…ともあれ、余は部屋に戻るぞ。ただでさえ貴重な時間を浪費された」


そう言って、劉雲は身を翻して部屋を後にした。
姿が見えなくなったことを確認すると、荀彧は刺々しい言動に不満を顕わにする。


「何よ、あの態度!客将のくせに横柄過ぎるのよ!それに不機嫌だからといって当たらないでほしいわ!」


顔を真っ赤にし、怒り狂う荀彧は毛と尾を逆立てる猫の姿を幻視することが出来る。
そんな彼女の言葉に夏侯惇は首を傾げる。


「…そうか?今のあやつはかなり上機嫌だぞ?」

「………は?」

「さしずめ獲物を狙い定めた狼ね。まぁあなたはまだ付き合いが浅いから、分からなくとも無理はないわ、桂花」


その眼で何を捉えたのかしら。
その鼻で何を嗅ぎつけたのかしら。
それとも最初から全て(・・)を読めているのかしら。

まだ怒りの抑えきれない荀彧と、その怒りが理解できていない夏侯惇のやり取りを眺めながら、曹操は誰にも届かない呟きを漏らしていた。




 
 

 
後書き
短いですが、とりあえずこれで一区切り。
すぐ次話をあげます。 
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