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少女1人>リリカルマジカル

作者:アスカ
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第五十一話 思春期⑤



「えっ、悩んでいる? あのレティ先輩が?」
『うん、そうらしいわ。アルヴィンに言われて、私も先輩に魔法合戦について相談をしたの。そうしたら、先輩のご友人……えっと、レティ先輩の方ね。その方が悩んでいるみたいだって教えてくれたわ』

 アリシアとティオールの2人と別れ、転移を使い、俺は家に帰宅した。その後すぐに、端末でメリニスと連絡をとり、図書室の先輩さんに色々聞いておいてもらったのだ。返事を待っている間、俺は制服をハンガーにかけ、母さんに頼まれていた洗濯物を取り込んでおく。ちょうど準備万端になったところで、メリニスから連絡が来た。

 しかし、悩み? あの我が道を突き進みまくっているレティ先輩が? 俺がレティ先輩に用事があると聞いた図書室の先輩さんが、メリニスに伝言を頼んだらしい。

『先輩が言うには、よかったら話を聞いてあげてほしいんだって。仲のいい後輩なら、話してくれるかもしれないから』
「あー、まぁ仲はいいかもしれんが。確かに近すぎる友人より、適度な距離の知人の方が、いい場合はあるか」
『そんな感じだって。……あと、先輩が目に涙を浮かべながら「レティをお願い」って』
「えっ、ちょっ、そんなに深刻な感じなの。しかも、俺に丸投げな感じですか」

 そんな会話が続いたが、渋っていても仕方がないので了承の返事をしておいた。本当にレティ先輩が悩んでいるのなら、後輩として力を貸してあげたい。少なくとも、話を聞いてあげるだけならできるだろう。溜まっているものを吐き出すだけでも、だいぶ違うと思う。

 図書室の先輩さんの方から、仕事が終わったレティ先輩にちきゅうやへ行くように声をかけてくれるそうだ。それなら俺は、ちきゅうやに行って時間を潰しておいたらいいかな。俺はメリニスにお礼を告げ、お互いに頑張ろうと声を掛け合った。あっちも先輩と一緒に魔法の特訓をするらしい。

 メリニスとは無限書庫で探索をよくしていたから、お互いの魔法については詳しい方だ。彼女は典型的なプロフェッサータイプである。援護や索敵が主だが、扱える魔法の範囲が広いことが特徴だ。無限書庫では、彼女の力で助かったこともしばしば。俺も豊富な魔力量を生かし、メリニスに魔力を供給することで、より探索範囲を広められたものだ。


「さてと、それじゃあ行きますか」

 通信を終え、俺は端末をポケットの中にしまう。それから忘れ物がないかを確かめ、玄関へと歩を進め、いそいそと靴を履いた。転移を使う時に忘れがちなのが、この靴を履くことである。俺の家は、日本と同じで靴を脱いでから入るタイプだ。ミッドチルダでは、靴を脱がずに入る家もあれば、脱がないといけない家だってある。文化がごっちゃまぜだが、それについてはもう慣れた。

 昔はよく、裸足で転移をしてしまうことがあったものだ。そして大抵、事情を把握した相手に呆れられた。楽しようとするからだ、アホと。ちきゅうやへ遊びに行くときに、よくやらかしていたので忘れるわけにはいかない。今日だってきっと、店番をしているだろうしな。

「というわけで、俺だって学習するときはするんだぞー」
「初っ端から何言ってんだ、お前」

 目の前に人が突然現れても、眉ひとつ動かさなくなった友人に挨拶をする。少し長くなった赤茶色の髪を後ろで一つ括りにして、流れている汗をタオルで拭う少女。どうやら荷物運びの途中だったらしい。朱色の魔力を纏っているところから、自身にブーストの魔法をかけているのだろう。

 友人―――エイカは一息吐くと、纏っていた魔力を霧散させた。凝った肩と首を回し、どうやら休憩に入るようだ。お疲れなのはわかるが、もう少し女の子らしくしようよ。完全に仕事疲れのおっさんのような動きだぞ。

「いいところに来た。てめぇも手を貸せ」
「うわぁ、いきなり。エイカも容赦がないよな…」
「なんでお前に遠慮しないといけない」
「疑問の欠片もなく言われると、さすがに俺だって傷つくんだが」

 まぁ俺も、ここの従業員だから手伝うけどさ。俺は頭を掻きながら、同時に肩を竦める。時間はあることだし、一緒に搬入の手伝いをすることに支障はない。新しく入った商品のリストと運び場所を教えてもらい、俺も先ほどのエイカと同じように藍色の魔力を纏った。

 このブースト魔法は、2人で一緒にメガーヌから教わった魔法である。エイカは昔から魔法に強い関心を持っており、魔力があると判明してからは、より一層修練を積んでいた。だけど学校に通っていないエイカが、魔法を覚えるのは難しい。なので俺たちから教わったり、ちきゅうやに来るお客さんに頼んだりすることが多かった。

 メガーヌはよくエイカをからかっているが、あれで結構面倒見はいいやつである。一番エイカに魔法関係を教えているのは、たぶん彼女だろう。ちきゅうやで講義をしているメガーヌを時々見たし、それに俺も便乗したことがある。俺の使う補助魔法の大半は、メガーヌのおかげだな。

「うーん、こっち系の魔法はコントロールがやっぱり難しいな。つい魔力を垂れ流してしまう」
「お前、完全に放出系だからな。内に魔力を留めるのが下手だよな」
「泣くぞ、こら。エイカは収束系が上手いよなー、羨ましい」
「……ふん。俺は近接型のベルカ式の方が、適性が高い。遠距離型でミッド式のお前には、放出型の方が役割があるだろうよ」

 ブーストアップをお互いに使い、入口から店内へ荷物を持って往復していく。単純作業なため、何気ない会話の応酬を繰り返した。俺の言葉に、エイカはふてぶてしく返答する。こんな風に魔法の話をすることは、今では当たり前のようになっていた。

「しかしお前って、節操がないよな。攻撃に防御に、補助に探索とか。苦手なはずの系統にも、手を出しているし」
「……あー、否定はできない。必要に駆られてっていうのもあるけど、基本魔法ならなんでも使ってみたいって気持ちがあったからな」
「マジで節操がなかった。それでなんとかなるのかよ?」
「ははは、なってねぇかも。クイントやメガーヌと戦うのに、通じるかどうかもわからないし」
「は?」

 流れ作業の手が止まった。エイカが目を見開き、俺の方に顔を向ける。どうかしたのか、と思ったがそういえば運動会のことは話していなかったか。俺は小さく笑みを作り、今日あったことをエイカに話しておく。どうせすぐにわかることだ。

 そして俺からの説明を聞いていく内に、エイカの頬が引きつっていくのがわかった。

「うわぁ…、ご愁傷様」
「エイカさん。そんなあからさまに、自分は関係がなくてよかった、って顔をしないでよ」

 エイカの魔法の訓練はベルカ式ということもあり、クイントやメガーヌから教わることが多い。エイカにとって、2人は師匠のようなものだろう。故に、あの2人のことを一番客観的に知っているのは、彼女かもしれない。

 そんな人物からの憐れみの言葉である。へこむぞ、さすがに。


「ふーん、それであのメガネをかけている客……お前の先輩ってやつに相談をしに来たと」
「まぁね。何故か俺が、逆に相談相手になっているみたいだけど」
「お前が戦闘ね…。できるのか?」
「愚問だな、エイカ。伊達にリニスと金魚と戦ってきていねぇぞ」
「お前が自信満々な理由が、激しく理解できないんだが」

 時々ウィンにも揉まれています、と告げると手で額を抑えだした。あの子見た目と違って、俺が全力で出した防御壁を6枚ぐらい吹っ飛ばしてくるんだぞ。ある意味ウィンと戦え、と言われた方が本当に怖い。

「妹と戦え、と言われるよりはましだと思うさ」
「妹と、ね。……あいつは?」
「……アリシアの魔力資質はほとんどない。今回の競技に出場はできないんだ。だからこそ、俺たちが頑張らなきゃいけない」
「お前。まさかと思うが、あの時のことまだ引きずっているのか?」

 目を据えながら俺を見るエイカに、一瞬言葉が詰まった。彼女の言葉は糾弾するようなものではないが、静かにこちらへ問いかけてきた声には重みがあった。あの時のこと。確かに全く関係がないかと言われれば、首をたてには振れない。

 ……エイカはあの時、俺が巻き込んでしまったから事情を知っている。記憶に引っかかるのは、2年前にしてしまった兄妹喧嘩。俺が一番の原因だと今でも思うけど、実際は誰も悪くない、そんな喧嘩。最後はちゃんと話し合って和解した、過去の出来事。

 記憶を辿り、あの時のことを思い出す。アリシアが俺に言ったこと。俺がアリシアに言ったこと。ちゃんと向き合って話した時のこと。それらが鮮明に、俺の中で蘇った。


「アリシアと、約束したからな。俺は俺として、俺が持っているものを大切にするって。今回の魔法合戦は正直かなりビビっているけど、チャンスでもあるんだ。俺が築いてきたものを、アリシアに見てほしい。そんな気持ちが……たぶん一番強い」

 引きずったりなんかしない。それはアリシアに失礼だし、あの時の自分の言葉を後ろ向きなものにしたくない。だから俺は、前向きに進むと決めたんだ。

 俺の心はただ1つ。俺のかっこいいところを妹に見せたい。見栄っ張りかもしれないが、今更である。

「俺はいつも通りだよ。アリシアに「お兄ちゃんすごい!」と言われるために、魔法合戦に勝つ! それが俺の今回の目標だからな!」
「……すげぇ。ここまで不純な動機で戦うやつがいるのか」
「だから心配させてしまって悪かったな、エイカ。ありがとう」
「いや、いい。少しでも心配したかもしれない自分を、今は恥じているから」

 俺を死んだ魚のような目で見ながら、語るエイカ。俺の心からの宣誓に、失礼なやつである。そして、この話はどうでもよくなったのか、彼女はあっさり荷物運びを再開してしまった。おい、こら。

 エイカの無頓着さは、本当に相変わらずである。めんどくさがりで、あんまり人と深くかかわろうとしない。だけど、どこか甘いのだ。いや、優しいのだろう。励まし方が色々下手なのは確かだろうけど。

 少なくとも、俺はエイカに救われた。もしあの時、エイカの不器用な励ましがなかったら、本当に引きずっていたかもしれない。8歳の子どもに気合いを入れられたのは、今でも情けないと思うが。その時のことを思い出して、つい笑ってしまう。

 この世界の女の子って強いよなー、と思いながら、俺も搬入の作業に黙々と入った。



******



 テスタロッサ兄妹の大喧嘩は、ある意味起こるべくして起こったものだった。そう言われても、仕方がないこと。アルヴィン・テスタロッサというイレギュラーが入ったことで、変わったテスタロッサ家。彼の今までの行動が、彼が変えてしまったものが、巡り巡って引き起こしてしまったことだった。

 昔、アルヴィンがまだ魔法を使ったことがないほど、ずっと昔。彼は一度、この問題について危惧したことがあった。問題を先送りにすることしかできなかったこと。真実を告げることができなかったこと。その波は、彼らが初等部3年生になって、ついに姿を現した。

 あそこまで事態が悪化したのは、アルヴィンとアリシアのお互いに原因があっただろう。本来なら渦中の中心にいるはずだった彼らの母親が、2人の様子に逆に冷静になってしまったぐらいである。プレシアとしては、責められるべきは自分だと思っていたので、最初はかなりおろおろしてしまった。


 アリシア・テスタロッサは、誰よりも我慢強かった。原作でも、彼女は5歳という幼さでありながら、寂しいという思いに蓋をして、母親に笑顔を見せていた。ただこの世界では、兄という存在のおかげで、彼女の思いをくみ取ってくれる相手がいた。

 アリシアにとってアルヴィンは、とても大きな存在だった。本人たちはそんな風に意識していなかったが、アリシアは誰よりも兄を頼っていた。父親がいなかったアリシアにとって、無条件でかわいがってくれる、守ってくれる兄は、彼女にとって父のようなものだったのだ。

 子は親の背中を見ながら成長する、という言葉がある。なかなか会うことができない両親より、最も身近な親であり、兄である彼の背中をアリシアは無意識に辿っていた。彼が興味を持つものに自分も興味を持ち、彼が持っているものを自分も持ちたいと思った。

 母親からの信頼を受ける兄のように、自分もなりたい。妹という守るべき相手がいる兄のように、自分も姉として守ってあげたい。純粋な思いから生まれた道は、多少の歪みを持ちながらも真っ直ぐにアリシアの中で芽生えていた。

 もし、彼女がそのまま成長していれば、いずれ兄と自分は同じ道を歩けるわけじゃないと気づけただろう。クラナガンに引っ越し、友人ができ、自然と彼らの世界は広がる―――はずだった。

 その妨げとなり、アリシアの兄への無意識な依存を強めてしまった原因は、『ヒュードラの暴走事故』。あの事故は、彼女の中の最も奥に、重く深い傷を残してしまっていた。



「……できない」

 グッ、と自身が持つデバイスを握り締める。「できない」という事実の悔しさが、無力感が、彼女の胸中に溢れる。真紅の瞳は学校で貸し出してもらったストレージデバイスを見つめ、唇は紡いでしまった言葉を飲み込むように固く噛み締めた。

 初等部2年生の冬頃から、彼女は友人と兄に悟られないように動き、時間があれば魔法訓練所で杖を振り続けていた。そしてそれは、3年生に上がった今でも続けている。初めて魔法を教わった2年生の半ばぐらいから、彼女は周りと自分の力量を薄々感じとっていた。その事実に、背筋が震えたのだ。

 同じスタートを切ったはずの友人たちが、どんどん上達していく様子。彼女はそれを、笑顔で祝福してきた。友人たちが努力をして、その力を手に入れたのを知っているから。嬉しそうに笑う彼らが、大好きだったから。

 だけど同時に、どうして同じだけ努力をしているはずの自分は上手くできないのか。そんな思いが、生まれることがあった。そして、そんなことを思ってしまう自身に蓋をした。その答えを、彼女はなんとなくだが気づいていた。だけど、それを認めたら……、自分ではなくなってしまうかもしれない。それが、ずっと彼女に杖を振り続けさせていた。


「―――ッツ!」

 突然震えだした端末に、彼女は驚きに身体を固める。そして慌ててデバイスを待機状態に戻し、ポケットから通信を知らせる端末を手に取る。少し乱れていた金糸を整え、汗を拭っておく。呼吸を落ち着けると、彼女は急いで受信のキーを押した。

「やっほー、どうしたの?」
『あっ、アリシア。もう、どこにいっちゃったのかと思ったよ』
「ごめんね、メェーちゃん」

 えへへ、と恥ずかしそうな笑い声を聞き、それにメリニスは仕方がないなー、と肩を竦めた。端末にはテレビ電話のような機能がついているので、連絡を取り合う時には、これを使うのが当たり前であった。映像はリアルで送ることもできれば、その人物の画像のみをアップすることもできる。

 端末で友人と楽しそうに話をする少女、アリシア・テスタロッサ。明るく笑顔いっぱいの彼女が、そこにはいた。悩みも影も全て覆い隠すような、微笑み。立派な姉として、弱い自分を見せたくない。心配をかけさせたくない。だから、彼女は笑ってみせた。

 彼女のすぐ近くには、そのお手本がいた。いつも笑っている、笑ってみせるそんな人物を。アリシアは、ずっと彼の背中を見ながら成長してきた。それは彼女にとって、もはや当たり前となってしまっていた。

『今日の午後の講義だけど、第3実習室に変更になったんだって。今教室にお知らせが来たから、伝えようと思って』
「えっ、本当? ありがとう。遅れないように行くね」
『うん。学校を探検するのもいいけど、ほどほどにね』
「むぅー。今の季節は色んなお花が植えられているから、とっても綺麗なんだよ。クラ校ってすごく広いしね」

 ふらふらすると、新しい発見ができる。当たり前だと見落としてしまうものを、また見つけられるんだ。放浪好きの兄がよく言っていた言葉。アリシアはそれを思い出し、クスリと思わず笑ってしまう。だけど、すぐに視線を地面へ静かに落とした。

 兄を使って、嘘をついている現状。休み時間や放課後にふらりとみんなから離れるようになって、3ヶ月が経った。メリニスも友人たちも、兄も心配そうにアリシアに声をかけることが増えただろう。それに、申し訳なさと、嬉しさと、……放っておいてほしい気持ちがあった。

『ねぇ、アリシア』
「ん?」
『……待っているね』

 メリニスはそれだけ言うと、通信を切る。相手が映し出されなくなった画面に、アリシアは端末の電源を落とした。彼女の友人は、いつもこうだ。見透かされているようで、なのにそっと支えてくれる。優しくて、頼りになる、大好きな人たち。

「だから、……早く追いつかなくちゃ」

 端末を再びポケットの中に入れ、手の中で鈍く光るデバイスに視線を戻した。



******



『魔法は使えます。ただアリシア様の魔力量はEクラス。それにますたーやマイスターのような「電気」への変換資質はなく、なによりも魔力変換効率が高くありません。言い方は酷いかもしれませんが、僕は魔導師として生きることをおすすめできません』

 まだ小さな世界で、アリシアとアルヴィンが共に学んでいた時。コーラルがアルヴィンへ告げた、アリシアの魔力資質。魔力量が少なくても、魔力変換資質がなくても、魔導師にはなれる。だが、彼女には決定的な要素が足りなかった。

 リンカーコアから魔力を抽出し、コードを組むことで魔法は発動する。アリシアはその魔力を魔法へと変化させる素養が、一般的な魔導師と比べて低かったのだ。3回に1回は魔法が不発になってしまい、魔力が形になる前に霧散してしまう。それを何度も試すには、彼女の魔力量が足りなかった。

 どれだけ努力をしても、どれだけ勉強をしても、アリシアの魔力資質は変わらない。彼女がこの世界に生を受けた瞬間から、決して変わることのない現実。


 Sランクの大魔導師として有名な、プレシア・テスタロッサの娘。母の魔力資質を受け継ぎ、レアスキルも持っているアルヴィンの妹。プレシアの使い魔として、高い魔力と技術を持つウィンクルムの姉。

 アリシアは、自分の魔力資質に気づき始めた頃から、ずっと考えていた。自分にはいったい、何があるのだろうか。何ができるのだろうか、と。ずっと追いかけていた兄の背中が、どんどん遠ざかっていくことが怖かった。

 この時アリシアが、自分の感情を周囲に打ち明けていればよかったのだろう。それこそ自身の兄に、文句を言ったっていい。母親に泣きついたっていい。友人に相談をしてもよかった。だけど、アリシアにはそれができなかった。幼少期から築き上げてきた自分が、それを認められなかったのだ。アリシアは誰よりも、家族に悟られないように動いた。

 大切な人たちに、心配だけはかけさせたくなかったから。



「―――アリシアッ!!」
「……ッあ」

 だから、ずっと隠し続けていたことがばれてしまった時、アリシアの心は決壊した。


 あの時、メリニスと端末で会話をしてから数日後。休日に1人、魔法訓練所に訪れたアリシアは、何度も魔法を発動させた。『フォトンバレット』と呼ばれる、初級の射撃魔法。単発の小さな魔力弾を放つ直射型の魔法は、初等部の生徒にとって最も馴染み深いものだった。

 魔導師が初めて習う攻撃魔法が、この魔法なのだ。魔力を外に向け圧縮し、放つだけの魔法であるため、魔力を持っている者ならば、ほぼ使うことができるものだった。アリシアも発動はできるが、やはり何回かは魔力が形にならず、不発になる。それが何よりも悔しかった。

 アリシアは今度こそ、と残る魔力を遠慮なしに込めていく。普段の彼女なら、このような行動はとらなかった。アリシアに初めて魔法を見せてくれた先生から、「使い方を間違えちゃだめだよ」と教えられていたからだ。しかし、彼女は魔法が発動したことに喜び、さらに魔力を注ぎ込んでしまった。

 初級の簡易魔法とはいえ、攻撃魔法。不安定な魔力操作によって作られた魔力弾は、徐々にアリシアの制御から外れていった。それに気づいたのは、自身の魔力が切れてしまった瞬間。夢中で魔力を注ぎ込み過ぎたせいで、訪れた結果だった。アリシアが慌てて発動中の魔法をキャンセルしようとしたが、制御できず、そして……魔力弾は暴発という形でアリシアに襲いかかった。


「大丈夫ですよ、アリシアちゃんの怪我は軽傷です。非殺傷設定がちゃんと働いていましたし、地面に魔法が跳ね返った時に、石で腕と頬を切っちゃっただけのようです。ただ魔力ダメージを受けてしまっているので、安静にしてあげてください」
「すいません、ありがとうございます」

 アリシアが練習をしていた魔法訓練所から、最も近い民間の病院。病室から出て、頭を下げるプレシアに、アルヴィンから『ちきゅうやのお姉さん』と呼ばれる女性―――イーリスは診断を的確に話していた。魔法訓練所の管理員から連絡を受け、知り合いの子どもだったアリシアを引き受けたのだ。

 幸い軽い怪我で、気絶しているだけだったアリシアに、誰もがほっと息を吐いた。そして、次に原因の解明のために話を聞き、プレシアはアリシアが黙って魔法の訓練をしていたことを知った。お互いにしっかり話し合う必要がある。時間の問題だと考えていたことが、起こってしまったのだから。

「叱るべき、なのよね。でも、アリシアを苦しめてしまった私にそんな権利……」

 プレシアはギュッと目を閉じ、アルヴィンとアリシアに魔法を教えることを決めた日の決意を思い出す。最初から、アリシアには魔導師となる力がないことを知っていた。それでも、幼かった彼女に真実を告げなかったのは、アリシアの笑顔を奪ってしまうかもしれなかったからだ。

 覚悟はしていたのだ。ただ、もう少しアリシアが大きくなったら伝えようと思っていた。それが早まってしまっただけのこと。本来なら隠し事をしていた自分が、アリシアに怒られるべきなのかもしれない。プレシアがそこまで考えて。

「叱ってあげて下さい」
「……あの、イーリスさん?」
「どんな過程があろうと、アリシアちゃんは危ないことをしました。それを叱ってあげるのが、プレシアさんの役目です。他の誰でもない、あなたがしないといけないことなんです。その後に、……いっぱい受け止めてあげたらいいんですよ」

 左手の薬指にはまった指輪を愛おしげに撫でながら、イーリスはプレシアと目を合わせる。栗色の切れ長の瞳は、優しげに、でも強く輝く。ビシッと言ってのける彼女の姿をアルヴィンが見ていたら、「さすがは本家お孫さん。……副官さんじゃ勝てねぇな、これ」とボソッと言っていただろう。

「私もいつも危ないことをして、叱っている方がいるもの。だから、ちゃんと言ってあげないと、拗ねられちゃいますよ」
「……ふふ、そうね。私はあの子の母親ですもの。拗ねさせちゃ駄目よね」
「えぇ、私も彼をちゃんと見てあげないといけないわ」

 もしアルヴィンがここにいたら、彼女らの会話を録音しながら、地上部隊の方面を見つめて、同情していたことだろう。

 イーリスとの会話を終えると、プレシアは小さくうなずく。もうそろそろアリシアも目覚める頃だろう。プレシアを見たアリシアが、何を言うのかはわからない。それでも、家族として向き合おう。少し前にアルヴィンにも連絡をしたので、転移を使えばそろそろ駆けつけてくるはずだ。

 ドアノブを握る手に、力が籠る。意を決し、プレシアは病室のドアを開け放った。


「お兄ちゃんのバカァァッーーー!!」
「ちょッ、アリシアさん! 事故ったって言うから、慌てて転移しちゃったんだよッ! まさか布団の下が、上半身マッパだとは思っていなかったんだァ!!」
「うっちゃァァーーいッ!!」
「ヘブゥッ!?」

「…………」
「…………」

 とりあえずプレシアは、枕に撃沈する息子に女性の病室に入る時の配慮について、しっかり叱ろうと思った。



******



 お風呂に一緒に入らなくなって2年で、マッパにここまで怒られることになるとは…、ともう1発アリシアから枕投げを食らった方がいいかもしれないことを考えながら、アルヴィンは事の顛末を聞いていた。

 聞いてまず思ったのは、罪悪感だった。プレシアと同じように、アルヴィンもまたアリシアに黙っていた内の1人だ。しかもアルヴィンは、アリシアに最も近い場所にいた。学校での様子が少しおかしいと分かった時点で、介入するべきだったのだ。

「あのね、アリシア。魔法の勉強をずっと頑張っていたあなたに、これを伝えることがどれだけ酷なのかはわかっているわ。でも、よく聞いてちょうだい」

 出だしを挫かれたプレシアだが、そこは即復活。アルヴィンがやらかした空気を、一気に自分のものにしてみせた。大魔導師としての貫録を、プレシアは全力で発揮。彼女の苦労が、少し垣間見えた。

 腕の怪我の治療のために、服を着崩していたアリシア。家族だけになった病室。ベッドに座り、上着を着込んだ彼女は、包帯が巻かれた自身を見ながら、母の言葉に唇を噛み締めた。

「お母さん…」
「……あなたが、魔導師として生きることは難しいわ。リンカーコアから魔力を抽出し、魔法へと変える機能……魔力変換効率が、普通の人と比べて高くないの。あなたが何度も魔法を失敗してしまう理由は、それよ」

 プレシアはアリシアと目線を合わせ、ゆっくりと言葉を紡いでいく。娘の手を握り、真実を知ってもらうために。真っ直ぐに向けられる母の目に、アリシアは耐えきれず、思わず俯いてしまった。

「……なんとか、できないの?」
「……リンカーコアについては、まだ究明されていないことがたくさんあるわ。治療法や、改善法も研究されているけど、確立された技術はそこまで多くないの。あなたが求めているものは、確かな技術がまだ作られていないわ」
「でも、でもっ! ちゃんとしていなくても、あるんだよね。なんとかできる方法は、あるんだよね!」

 握られていた母の手を、今度はアリシアが強く握り返した。潤んだ真紅に、プレシアとアルヴィンは、アリシアの必死さに一瞬言葉を失った。彼女がこれほどまでに、魔法にこだわっていたとは思っていなかったのだ。危険かもしれない技術に、縋ってしまうほどに。

 アリシアの思いに、希望に、2人は口を閉ざす。それでもプレシアは、向き合うことをやめなかった。それが娘にとってどれだけ辛くても、たとえ娘に嫌われてしまったのだとしても、逃げることだけはできない。

 ―――それが、母親としての役目だから。


「リンカーコアの改善方法は、確かにあるかもしれないわ」
「それじゃあッ…!」
「それでたとえ成功したとしても、あなたの魔力量はEクラス。一般的な魔導師の平均が、Cクラスよ。初級魔法なら問題はないでしょうけど、中級魔法を使いこなすことはできない」
「……ッ」
「いえ、もしリンカーコアの手術に失敗すれば、一生魔法を使うことができなくなるかもしれない。それこそ運が悪ければ、障がいを持ってしまったり、死ぬ可能性だってある。アリシア、あなたには……その覚悟はある?」

 初等部3年生の―――8歳の子どもに問いかけるには、あまりにも酷な内容だった。だからプレシアは、アリシアが真実に耐えられる年齢まで待とうと思ったのだ。彼女を壊さないために。

 だが、彼女は自分で見つけてしまった。理解できてしまった。プレシアが語る覚悟が、どれほど重いものなのかがわかってしまうぐらいには、アリシアは無知な少女ではなかった。思いが溢れ、零れ落ちた滴が、プレシアの手の甲に落ちた。



「―――なんで」

 小さくかすれた声。普段なら聞き逃してしまうだろう声は、今の病室にはよく響いた。

「なんで、なんで…。私、お母さんの娘だよ? すごくかっこよくて、自慢のお母さんの……子どもなんだよ? なのに、どうして私は違うの。なんで私だけ、持っていないの?」
「アリシア…」
「私、そんなんじゃ…なんにもできない、よ。ウィンの、自慢のお姉ちゃんにも、なれないよッ……!」
「アリシア、そんなこと―――」

 ぽろぽろと涙を流すアリシアに、口を噤んでいたアルヴィンが慌てて声をかける。少女に向け、駆け寄ろうとした身体は、その少女が発した言葉によって止まった。

「どうして、……どうしてお母さんやお兄ちゃんと、おんなじようにしてくれなかったのッ! なんで私には、みんなと一緒のものをくれなかったの!? お母さん、は、なんで私だけッ、こんな風に産んだのッ!!」
「―――アリシアッ!!」

 錯乱しているのはわかっている。だけど、これ以上言わせてはいけない。感情が制御できていない彼女をこのまま放っておいたら、後で彼女は必ず傷つく。アリシアという少女の優しさを知っているから、アルヴィンは怒鳴った。初めて、妹に向けて、声を荒げた。


「アルヴィン、待って。アリシアは私が―――」

 プレシアは初めて見るアルヴィンの姿に驚きながらも、諌めるように話す。アリシアの怒りは当然だと思っており、それを受け止めるつもりでここにいたからだ。傷つくことも、傷つけてしまうことも、その後のことも、全部含めて。アリシアが大切だからこそ、選んだのだから。

 そしてアルヴィンもまた、プレシアにとって大切な存在だった。2人をお互いに、傷つけさせる訳にはいかない。まだ息子の方が、落ち着く可能性が高いと考え、プレシアは宥めようとしたが。

「……どうして、お兄ちゃんばっかり」

 アリシアの目は、真っ直ぐにアルヴィンに向けられていた。


「―――ずるい」
「えっ…」
「お兄ちゃんばっかり、ずるい! どうしてお兄ちゃんばっかり持っているのッ! どうして私には、お兄ちゃんとおんなじものがないのッ!?」
「……ッ」

 アリシアの言葉にアルヴィンは、言い返すことができなかった。いや、言い返す言葉がなかった。アリシアの言葉が、紛れもない事実だったから。彼女が自分を責めることは、間違いではないと思ってしまったからだ。

 この世界を知って、この世界で生きて、自分がどれだけ恵まれているのかを知っているから。そしてこの世界は、自分の力で手に入れたわけじゃないから。

 アルヴィンがいなければ、アリシアはここまで傷つくことはなかった。自分という存在が、魔法に触れさせる原因を作ってしまったことが、妹を追い詰めてしまった。そこまで考えが至り、アルヴィンは唇を震わせる。血の気が引いたように、表情が凍った。


「―――っあ」

 いつも笑顔でいてくれた兄の怒鳴り声に、頭に血が上ってしまったアリシアは、蒼白になったアルヴィンをみとめ、ようやく意識を繋げた。母親に叱られても、友人に呆れられても、どんなことがあっても、崩れることのなかった笑みが……消えた。

 それにアリシアは、声をかけようとしたが、言葉になることはなかった。意識が戻っても、先ほどまでの感情が無くなったわけではないからだ。それでも、自分の言葉が大好きな人を間違いなく傷つけた。


「ママ! ねぇねは大丈夫!?」
「にゃぁ!」

 病室の扉を勢いよく開け、慌てて部屋に入ってきたのは、ウィンクルムとリニス、その後ろにはコーラルとヴェルターブーフがいた。それぞれ別の場所にいたが、連絡を受けた後、待ち合わせをして合流したのだ。全速力でリニスたちを抱えて走って来たため、ウィンクルムは汗だくになりながらもたどり着いた。

 ウィンクルムを捉えたアリシアは、ギュッと布団を握り締めた。立派なお姉ちゃんとして大切にすると決めたのに、心配をかけさせてしまった。今までしてしまったことが、姉として情けなくて、消えてしまいたかった。

「ウィンちゃん、病院の中で走っちゃ駄目よ。大声も出したら―――」
「ッゥ……!」
「わッ、ねぇねっ!?」
「アリシアッ!?」

 開いた扉から、ウィンクルムを追いかけてきたイーリスにプレシアたちが気を逸らした瞬間、アリシアは裸足のまま、病室から駆け出した。ウィンクルムの横を通り過ぎ、病院の出口へと走っていってしまった。

「ッ、ウィンが追いかける!」
「待ッ、ウィン!?」
『僕がついて行きます! ですから、ますたーをお願いします』

 ウィンクルムもコーラルも、事情はまったくわからない。それでも、動かなければまずいことは理解した。コーラルは俯くアルヴィンの方へ、静かに一度光を放つと、ウィンクルムにくっ付きアリシアを追った。走って行ったアリシアに追いつけるのは、この場ではウィンクルムしかいなかった。

 娘が出て行った扉を見つめ、プレシアはウィンクルムとコーラルを信じ、足を止めた。アリシアも、プレシアも、アルヴィンも、3人とも一度落ち着く時間が必要だと感じたからだ。いつの間にか、完全に蚊帳の外にほっぽり出されてしまっていて、内心かなりあわあわしていたプレシアだが、すぐに思考を切り替えた。


 こうして、テスタロッサ家―――改め、テスタロッサ兄妹の大喧嘩は起こったのであった。

 
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