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母の怪我

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第五章


第五章

「私のおかげね」
「いきなり何よ」 
 見舞いのケーキを手にしたまま思わず彼女に言い返した。
「お母さんのおかげって。お母さん私に何かしたの?」
「したわ」
 にこりと笑って娘に言ってきた。
「ちゃんとね。したわよ」
「何をよ」
「あんた奇麗になってるじゃない」
「お母さんも言うのね」
「そんなの見ればわかるわよ」
 まず彼女もこのことを美佳に言ってきた。その間に美佳はとりあえず見舞いのケーキを母のベッドの側にあるテーブルの上に置いた。
「顔を見ればすぐにね」
「それでそれがどうかしたの?」
「それが私のおかげなのよ」
 またこう言うのだった。
「それがね」
「意味わからないけれど」
 口を少し尖らせて母に言った。
「どういうことなのよ、一体」
「だから。あんた今何してるのよ」
「お母さんの代わりに家事してるわ」
 今自分がしていることをそのまま述べ返した。
「お母さんが交通事故に遭ったおかげでね」
「それよ」
 美並はここぞとばかりに娘に対して言ってきた。
「それなのよ。わかる?」
「交通事故のおかげだっていうの?」
「そうよ。私が怪我しなかったらあんた家事なんてしないわよね」
「まあそれはね」
 しないという絶対の自信があった。
「その通りよ。絶対しないわ」
「それよ。けれど私が怪我したから」
「私がこうして家事をやってるってことよね」
「それがいいのよ」
 また言うのだった。
「それがね。あんた確かに今かなり大変でしょ」
「もうてんてこまいよ」
 困った顔で言った。真顔である。
「何が何だか。朝から晩までね」
「大変なのがいいのよ」
 また言う母だった。
「頑張らないとって思うわよね」
「それはね」
 母の今の言葉に応えて頷く。
「思うわ。気合入れてやってるわよ」
「だから輝くのよ。人間何でも気合入れてやるとね」
「輝くっていうのね」
「それが女を磨くのよ」
 今度はいささか古風な言葉を述べてきた。
「女をね。わかるかしら」
「そういうものなの」
 話を聞いた美佳は目を二度三度しばたかせたうえで呟くようにして述べた。
「必死にやればなのね」
「ただ働いて家に帰ってぐうたらするだけ」
 母の今度の言葉は美佳のこれまでの生活をかなり悪く表現してきた。意識してそうしているのであるが。
「それで朝はギリギリまで寝て慌てて会社に行ってたわよね」
「ええ」
「部屋じゃ雑誌とか漫画読んだり音楽聴いたりゲームするだけ」
「そんな暇全くなくなったけれどね」
「それでどうして磨けるのよ」
 娘の顔を見ての言葉だった。
「そうでしょ?気合入れて家事もしていかないと」
「駄目だっていうのね」
「そういうことよ。だから今のあんたは奇麗に見えるのよ」
 そのものずばりといった口調になっている母だった。
「わかったわね。わかったらよ」
「これからも家事をしろってこと?」
「その通りよ。奇麗になりたかったらね」
「そういえば最近痩せてきたし」
 美佳はこのことにも気付いた。
「それもやつれたんじゃなくて体脂肪率が減ってきたっていういい感じの」
「スタイルも少しよくなってるじゃない」
「そうかしら」
「家事は身体動かすからよ」
 次に母が言ったのはこのことだった。
「だからよ。痩せたのよ」
「そうだったの」
 これまたあらたにわかった事実だった。
「それでだったの」
「それもわかったわね。わかったらよ」
「ええ」
「頑張りなさい。いいわね」
「そうね。家事もね」
 母の言葉に言われるまま頷いた。
「やっていくわ。これからはね」
「いいことよ。女はね、何でもいいから気合を入れてやるのよ」
「いいことをね」
「悪いことをしたら悪い女になるわよ」
 これは言うまでもなかった。世の中の常識である。
「ぐうたらなことをしたらぐうたらな女になって」
「それでいいことをしたらね」
「そうよ。いい女になるわ」
 にこりと笑って娘に告げた。
「わかったわね。じゃあこれからは」
「ええ。いい女になるわ」
 にこりと笑って母に答えた。
「頑張ってね」
 これが彼女の決意だった。それから彼女は母が退院してからも家事も頑張るようになった。それは結婚してからも続き回りからいつも美人だ美人だと言われていた。しかしその美容の秘訣はというとこれであった。しかし彼女自身がこのことを話してもまさかと思う人が殆どだった。実際にやってみないとわからないものなのだろうか。しかし彼女がこれで奇麗になったのは紛れもない事実である。


母の怪我   完


                   2009・4・3
 
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