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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第十一話 ベーネミュンデ侯爵夫人(その5)

■ 帝国暦486年 8月 2日  オーディン ブラウンシュバイク公爵邸  エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク



応接室に入ると数人の男達がこちらに視線を向けてきた。決して好意的な視線ではない。一人、二人、三人、全員で六人。おかしいな、確かリッテンハイム侯の屋敷に押し掛けたのは七人のはずだ。一人足りない。

ヒルデスハイム伯、ヘルダー子爵、シェッツラー子爵、ラートブルフ男爵、ホージンガー男爵、カルナップ男爵……、なるほどハイルマン子爵が消えている。俺には会い辛いという事か。リメス男爵家の一件が有るからな。リッテンハイム侯を通して俺を説得しようとしたのはそれも有るか……。

俺が席に座ると斜め後ろにフェルナーとアンスバッハ准将が立った。シュトライトは入り口付近に立っている。
「待たせたようですね、申し訳ない。今日はリッテンハイム侯爵夫人、侯爵家のフロイラインが遊びに来ていて、その御相手をしていたのです」

六人が微妙な表情をした。ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家の親密さを再確認したのだろう。考えてみればこの連中にとってはブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家が親しいのは面白くない事態なのだ。敵対し反発しているからこそ自分達の価値が上がる。味方しますよ、と恩を押付ける事が出来る……。

何の用だとは聞かない。向こうから何か言い出すまで沈黙を守ることにした。居心地悪そうに六人が座っている、中には明らかに苛立っている奴もいる。成り上がりの新公爵は自分達の機嫌を取るべきだとでも思っているのか? 残念だな、俺はお前らと口なんか利きたくないのだ、阿呆。

咳払いをしてヒルデスハイム伯が口を開いた。
「ブラウンシュバイク公、コルプト子爵の事ですが……」
「あの謀反人が何か?」
敢えて突き放したように言うとヒルデスハイム伯が口籠った。そして六人が互いに顔を見合わせている。

こいつら一体此処へ何しに来た? さっきから顔を見合わせてばかりだが。
「あ、その大公閣下は……」
「大公はリッテンハイム侯爵夫人とお茶を楽しんでいます。ヒルデスハイム伯、それが何か?」

また顔を見合わせている。なるほど、俺じゃなく大公と話したいという事か。連中にとって俺は話し辛い存在なのだ。貴族として同じ価値観を持っていない。つまり馴れ合うことが出来ない、極めて異端な存在に思えるのだろう。交渉相手としては最悪な存在だ。

「コルプト子爵の件に関しては私が全てを委ねられています。ここに来る時も義父からは自分に遠慮はいらないと言われました。ヒルデスハイム伯、私では不満ですか」
「……」

沈黙かよ、ヒルデスハイム。他の五人に順に視線を向けるが皆視線を逸らした。お前ら失礼だろう、こんな奴らのために俺は楽しいお茶の時間を切り上げたのか? 段々腹が立ってきた、落ち着け、腕を叩いて落ち着くんだ……。



■ 帝国暦486年 8月 2日  オーディン ブラウンシュバイク公爵邸  アントン・フェルナー



拙い、エーリッヒが腕トントンをやっている。本人はあれで怒りを抑えるなんて言ってるがあれがでたら三回に一回は爆発するんだ、全然抑えになってない。あれは噴火五分前の合図と見た方が良い。……いかんな段々腕を叩く速度がゆっくりになっていく、危険な兆候だ。

応接室は静まり返りエーリッヒの腕を叩く音だけが聞こえる。テーブルの上には甘いものを置いたんだがエーリッヒは見向きもしない。効果なしか……、新しい手を考えておかないといかん。それにしてもこいつら何しに来た? このまま黙りこくっている気か?

普段エーリッヒを成り上がりとか平民とか、ヴァレンシュタインとか陰で言っている癖に本人を目の前にするとこれか……。まあ色々有るからな、リッテンハイム侯爵邸の一件とか黒真珠の間の一件とか……。相手が誰だろうとエーリッヒは容赦しない。そういうのを見てれば確かに怖いのは分かる、分かるがあまりにも頼りにはならんな。エリザベート様の婿にエーリッヒを選んだのは正解だ。

異様な雰囲気に耐えかねたのか、ヒルデスハイム伯が恐る恐ると言った口調で話し始めた。
「コルプト子爵の事ですが出入りを禁じ一切の関係を断つとはいささか極端ではありますまいか。コルプト子爵家はブラウンシュバイク公爵家にとっても近しい一族のはずです。公の御一存で……」

最後まで伯は話すことが出来なかった。
「ヒルデスハイム伯」
「はっ」
エーリッヒが腕を叩くのを止めた。

「コルプト子爵は反逆と言って良い行いをしたのですよ。その事を伯はお分かりではない様だ」
冷たい声だ、そして厳しい視線だ。ヒルデスハイム伯はそれに耐えられないかのようにうなだれている。

コルプト子爵ではなくコルプト子爵家か……、そしてブラウンシュバイク公爵家。個人ではなく家の問題にすることで養子であるエーリッヒが勝手に決めて良いのかと言いたかったのだろうが……。姑息だな、話にならん。

「コ、コルプト子爵は本心ではなかったと言っています。つい興奮して愚かな事を言ってしまったと」
今度はホージンガー男爵だ。愚かな奴、もう少し考えてから口にしろ。

「私はグレーザー医師から全て聞いているのです。コルプト子爵の行動は弁解できるものではありません」
「しかし、卑しい医師の言う言葉など」
「口を慎みなさい! ホージンガー男爵。グレーザー医師は宮廷医ですよ、それを卑しい? 何を考えているのです」
厳しい叱責に今度はホージンガー男爵がうなだれた。駄目だな、話にならん、何も言わずにもう帰れ。

「どうもここにいる人達は状況が分かっていない様だ」
「……」
エーリッヒの言葉に皆が顔を見合わせた。彼らの顔には明らかに不安が浮かんでいる。

「コルプト子爵は反逆者と呼ばれても仕方のない行為をした。その所為でブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家から関係を断たれた。その事は皆が知っています。政府もです」
「……」

「ブラウンシュバイク公爵家がコルプト子爵を告発すればコルプト子爵は反逆者として処断される事は間違いありません。証人はグレーザー医師と私、充分すぎるほどの証人でしょう。それをしないのはコルプト子爵へのせめてもの情けです」

エーリッヒの言葉に皆が訝しそうな表情をしている。エーリッヒが何を言いたいのか、分からないのだろう。少しは頭を使えよな。
「当家が政府に訴え出る前にコルプト子爵は自首すべきだったのです。そして全てを話し慈悲を願うべきだった。そうであれば情状酌量の余地も有ったのに……」
「……」

エーリッヒが一つ溜息を吐いた。そして憐れむような表情で六人を見る。
「コルプト子爵は愚かにも徒党を組み反逆を推し進めようとした。先ず自分への嫌疑を逸らす為ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家に関係を元に戻すようにと迫った」

ギョッとしたような表情で六人がエーリッヒを見ている。
「ブラウンシュバイク公、それは曲解です。我らはコルプト子爵の反逆に与してなどいません。ただ彼を哀れだと思い……」
慌てたようにヒルデスハイム伯が弁解した。他の五人も口々にヒルデスハイム伯にならって弁解する。

「残念ですね」
「……」
「貴方達が何を考えたかではありません。周りからどう見えたかです。私が思うに貴方達はコルプト子爵の一味ですよ。反逆者ですね」
「そんな」
情けない声を上げるなよ、ヘルダー子爵。

「先程言いましたが政府も既にコルプト子爵の事は知っている。そして関心を持って見ています。彼の、そして貴方達の行動が政府にどう見えたか」
「……」
「アンスバッハ准将」
「はっ」
「卿から見てこの六人はどう見えました? 正直に答えて下さい」
アンスバッハ准将が一瞬だけ六人を見た。皆縋りつく様な表情をしている。

「反逆者ではないのかもしれません。しかし……」
「しかし?」
「反逆者と取られても仕方ないと思います」
彼方此方で呻き声が起きた。上手いよな、アンスバッハ准将。一度希望を与えておいて次に絶望を与えるか……。流石は根性悪。この部下にしてこの主君ありか。

「貴方達が助かる方法は一つしかありません。直ぐにコルプト子爵を説得し自首させることです。それはコルプト子爵を救う事にもなるでしょう。急ぐのですね」
「……」
馬鹿が六人呆然として顔を見合わせている。残念だな、所詮お前らはエーリッヒの敵じゃない、素直に言う事を聞いてあの馬鹿を自首させろ。それがお前らのためだ。溜息が出た……。



■ 帝国暦486年 8月12日  オーディン 新無憂宮  エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク



「御苦労じゃな、ブラウンシュバイク公」
国務尚書の執務室を訪ねるとリヒテンラーデ侯が笑みを浮かべて迎えてくれた。ソファーに座る事を進め、自ら飲み物を用意してくれる。紅茶だ。ココアでないのは残念だがコーヒーに比べれば遥かにましだ。しかしこの爺さんが笑みを浮かべると不気味だな。

「まさかあの連中だけではなく私まで調書を取られるとは思いませんでしたよ」
「そう言うな、リッテンハイム侯も調べに応じたのだ。もっとも侯は調書を取られるのは二度目か」
そう言うとリヒテンラーデ侯が声を上げて笑った。俺も笑わざるを得ない、その調書には俺も関わっている。

八月二日に行われた俺とヒルデスハイム伯達の会合の後、事態は急激に動いた。ヒルデスハイム伯達は自分の身が危ういと理解したのだろう、その後の行動は早かった。嫌がるコルプト子爵を説得し自首させた。

噂によるとヒルデスハイム伯達はブラスターをコルプト子爵の頭に突きつけて自首を迫ったらしい。コルプト子爵は泣きながら自首すると言ったと言われている。なかなか過激だな。

コルプト子爵の自首を受けた政府は慎重に調べ始めた。グレーザー医師、あの馬鹿貴族ども、リッテンハイム侯、そして俺……。但しベーネミュンデ侯爵夫人は取り調べを受けていない。

政府はこの事件の元凶が彼女だと認識している。彼女の不満がこの事件を引き起こした。しかし侯爵夫人は皇帝の寵を受けた女性であり、彼女の不満の源が皇帝の寵が失われた事であるとも認識している。不用意に彼女を調べれば皇帝の威信に傷が付きかねない。そこで周囲の取り調べを優先し証拠を十分に用意しようと考えている。彼女にはその証拠を突きつけ有無を言わせない。

今現在彼女の行動は制限されている。屋敷の周辺を警備と言う名目で警察が固め人の出入りは厳しく制限されているし、侯爵夫人その人は外出を許されていない。要するに謹慎、いや監禁に等しいだろう。

「捜査は終了ですか」
俺の言葉にリヒテンラーデ侯が頷いた。
「そろそろ終わりだ。皆取り調べに非常に協力的でな、誰かが酷く脅したらしい」
変な目で俺を見るな。侯の視線を無視して紅茶を一口飲んだ。

「問題はこの後ですが、処分をどのようにお考えです?」
俺が問いかけるとリヒテンラーデ侯は左手で顎を撫でまわした。
「うむ、それよ。陛下のお気持ちを考えると死罪と言うのは出来れば避けたい」
まあそうだな。今はともかくかつては子を儲けるほど愛した女性なのだ、死罪では寝覚めが悪いだろう。まして原因は皇帝が彼女を捨てたことに有るのだ。

「では爵位、領地の剥奪?」
リヒテンラーデ侯が顔を顰めた。
「それも無理だ。たちまち野垂れ死にだろう。それくらいなら賜死という形で名誉ある死を与えた方が良かろう」
「そうですね」

宮中でしか生きられないか……。貴族は力を持っているかもしれない。しかしひ弱で脆弱だ。貴族でなくなった瞬間から弱者に転落する。彼らが貴族であることを尊びそれに執着するのはその所為かもしれないな……。

「まあ証拠を突きつけ次は容赦せぬと釘を刺すしかないな。それと領地の一部召し上げ。今後、侯爵夫人は二十四時間監視下に置かれるだろう。陛下にもご理解いただく」
まあそんなところだろうな、消化不良になりそうな処分だな。
「ではコルプト子爵も死罪は有りませんか」
俺の言葉にリヒテンラーデ侯が頷いた。

「夫人を死罪に出来ぬ以上、子爵も死罪には出来ぬ。本来なら死罪だが本人が反省し自首してきたという事、捜査に協力したという事で罪を減じる。まあ謹慎の他、領地の一部召し上げ、その辺が落としどころだろう」

「ブラウンシュバイク公爵家はコルプト子爵家との付き合いを元に戻しませんよ」
俺の言葉にリヒテンラーデ侯が頷いた。
「なるほど、その方が良かろう。どんな処罰よりも厳しく感じるはずだ。卿、良い事を考えるな」
残念だな、御老人。あの馬鹿の顔を二度と見たくない、それが真の理由だ。

「陛下にお話しする前に我らの間で今の事を確認しておきたい。今宵、卿の屋敷で会合を持ちたいと思う。リッテンハイム侯に伝えておいてくれ」
「それは構いませんが……」
俺が言葉を濁すとリヒテンラーデ侯は訝しげな表情を見せた。

「ミューゼル大将はどうします」
「結果だけ伝えれば良かろう」
リヒテンラーデ侯が顔を顰めている。やはりこの老人、ラインハルトを好んでいない。

「出来れば彼を味方に取り込みたいのですが」
「ふむ」
「幸い名目は有ります。伯爵夫人に対する嫉妬が原因ですからね」
「なるほど……。良かろう、そうしよう」
そう言うとリヒテンラーデ侯は妙な目で俺を見た。

「卿、大公に似ておるな」
「はあ」
「敵になる人間を味方に取り込む。ブラウンシュバイク公爵家はなかなか強かだ。敵に回すと手強い」
侯が笑い出す。なるほど、そういう意味か。一瞬何の事だかさっぱり分からなかった。

「大公が感心しておったぞ。あの小煩い連中を見事に黙らせたと……。なかなかの息子振りじゃな、ヴァレンシュタイン」
余計な御世話だ、好きで養子になったわけじゃないぞ。俺を養子にしたのはお前らだろうが、この陰険ジジイ。




 
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