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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第十二話 ベーネミュンデ侯爵夫人(その6)

帝国暦486年 8月12日  オーディン ブラウンシュバイク公爵邸  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「ラインハルト・フォン・ミューゼル大将です。公爵閣下に私が来た事をお伝えいただきたい」
「暫くお待ちください。主人を呼んでまいります」
来訪を告げると応対したのはまだ若いシャープな印象を与える大佐だった。確かフェルナーという名前だったはずだ。大佐はそのまま奥へと戻っていく。

どうも妙な気分だ。フェルナー大佐の言葉からすると公爵自ら俺を出迎えるという事らしい。確かに俺は帝国軍大将だが帝国きっての実力者になりつつあるブラウンシュバイク公にそこまで気遣って貰える立場でない事は自分自身が良く分かっている。公爵になったからといって友誼は変わったわけではないということだろうか。

隣に居るキルヒアイスと顔を見合わせた。キルヒアイスも妙な表情をしている。俺と同じ事を考えているのだろう。
「ラインハルト様、今の方はフェルナー大佐と言いますが大佐と公爵閣下は士官学校で同期生でした。親友だったとか」
「そうか……」
いわば腹心というわけか……。大佐が俺に丁重に応対するのは公の意思が強く働いているのは間違いないだろう。

直ぐにブラウンシュバイク公が現れた。後ろにはフェルナー大佐が付いている。ブラウンシュバイク公は常に変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。
「お待ちしていました、ミューゼル提督。さあ、こちらへ」
公は手を取らんばかりにして俺を案内しようとする。ちょっと困惑した。

「大将閣下、では私は地上車の方で待たせていただきます」
「その必要は有りませんよ、キルヒアイス中佐。中でお茶でも飲んで待っていてください」
「……」
キルヒアイスが言葉に詰まっている。どう判断して良いのか分からないのだろう。俺も同感だ、キルヒアイスの立場では外で待っていろと言われる事は有っても中でお茶でもというのは有りえない。

「遠慮はいりません。夜とはいえ外は暑いでしょう。アントン、奥でキルヒアイス中佐の相手をしてもらえないかな」
「承知しました」
「お茶に飽きたらシミュレーションでもして中佐をもてなして欲しい。中佐はかなりの腕前だ。私より上かな」
そう言うとブラウンシュバイク公は軽やかに笑い声を上げた。もしかすると俺達を困らせて喜んでいるのか? そんな思いがした。

フェルナー大佐が興味深そうにキルヒアイスを見ている。キルヒアイスがその視線を避ける様に俺を見た。
「ブラウンシュバイク公、キルヒアイス中佐は……」
止めようとした俺をブラウンシュバイク公が笑いながら遮った。
「ミューゼル提督、キルヒアイス中佐の実力はミューゼル提督が一番御存じでしょう。しかし周囲はそれを知りません。あまり良い事ではありませんね。中佐が昇進するにつれて風当たりが強くなる」

言葉が無かった。確かにブラウンシュバイク公の言う通りではある。今までは俺達を受け入れようとする人間はほとんどいなかった。しかし今は違う、ブラウンシュバイク公は俺達を積極的に受け入れようとしている。キルヒアイスもその能力を周囲に知らせておくべきかもしれない。幸いブラウンシュバイク公はこちらに好意的だ、ここでなら悪いようにはならないだろう……。
「キルヒアイス、せっかくの御好意だ。有難くお受けしよう」
「承知しました」

応接室に通されると既に先客がいた。ブラウンシュバイク大公、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯、どうやら若輩者の俺が最後らしい。一言言わねばならんだろう。
「遅くなりました、申し訳ありません」
俺の言葉に皆が無表情に頷く。それを見てから空いている席に着いた。席について改めて思った。皆、必ずしも俺に好意的ではない。その俺が何故ここに呼ばれたのかと……。やはりブラウンシュバイク公の好意だろう、どう見ても場違いだ。

ドアが開いて若い女性が入ってきた。おそらく使用人だろう、コーヒーを持ってきた様だ。俺の所に来ると一礼してコーヒーを置いた。至れり尽くせりだ、自然とこちらも頭を下げていた。どうも調子が出ない。これまで不当に扱われる事は有ってもここまで丁重に扱われた事は無い。悪い気持はしないのだが困惑してばかりだ。

「どうやら皆揃ったようだ。そろそろ始めてはどうかな、リヒテンラーデ侯」
女性が出て行くのを見届けてからブラウンシュバイク大公が口を開いた。リヒテンラーデ侯が“うむ”と頷く。俺達を見渡しながら口を開いた。
「ベーネミュンデ侯爵夫人、コルプト子爵の一件じゃが捜査はほぼ終了した。この一件のおおよその経緯と今後の事を関係者である卿らに話しておきたい」
低くしわがれた声だ。皆が頷いた。

「事の始まりは侯爵夫人が陛下の寵を失った事だ。侯爵夫人は当然だが新しい寵姫であるグリューネワルト伯爵夫人を憎んだ。そして失脚させたいと望んだ」
俺に刺客を送ったのも侯爵夫人だ。姉上だけではなく俺までも狙った。その所為で死にかけたこともある。おそらくは俺を殺す事で姉上を苦しめる事が目的だろう。

「コルプト子爵は弟をミッターマイヤー少将に殺された。その件はブラウンシュバイク大公により軍規を正したと判断され不問にされたが子爵はそれが我慢ならなかった。復讐したいと思ったのだがミッターマイヤー少将はミューゼル大将に庇護されていた。彼にとってはミューゼル大将が邪魔だった」
「それでコルプト子爵はベーネミュンデ侯爵夫人を利用する事を考えたか……」
リッテンハイム侯が呟くように言葉を出す。

「その通り。グリューネワルト伯爵夫人に陛下以外の男を近づけ姦通罪にて処断させようとベーネミュンデ侯爵夫人の耳元で囁いたのだ。伯爵夫人が失脚すれば侯爵夫人が寵姫として返り咲くとな。ベーネミュンデ侯爵夫人はそれを信じた。いや信じたかったのかもしれん、愚かな事よ……」
「……」
誰も何も言わない。黙ってリヒテンラーデ侯の言葉を聞いている。内心では皆侯と同じように愚かなと思っているのだろうか……。

「コルプト子爵にとってはベーネミュンデ侯爵夫人が復権するかどうかはどうでも良かった。彼にとって侯爵夫人はグリューネワルト伯爵夫人を失脚させる道具でしかなかった。伯爵夫人が姦通罪で処断されれば当然だがミューゼル大将もただでは済まぬ。コルプト子爵の狙いはそれだった」

皆が俺を見た。改めて自分が危うい立場に居た事が分かった。今回はブラウンシュバイク公がこちらの味方になってくれたから助かったがもし敵だったらどうなったか……。こちらの地位が高くなるにつれ敵も強力に、狡猾になっていく……。味方を作れと公に言われた事を思い出した。
「ミューゼル大将の庇護を失ったミッターマイヤー少将など殺すのは容易いとコルプト子爵は考えたのだ」

応接室にリヒテンラーデ侯の声だけが流れる。おおよその事は知っていた。噂が流れたし、こちらも出来る限り捜査状況を知ろうとした。ケスラーが憲兵隊に強いコネを持っていたのが役に立った。しかし、今こうして話を聞くと改めてそのおぞましさ、愚かしさに吐き気がする。そう思っているのは俺だけではあるまい、皆表情に嫌悪感が有る。

「コルプト子爵はベーネミュンデ侯爵夫人を愚かな女だと言っていたが子爵自身、愚かさでは侯爵夫人と変わらぬ。ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家から断交されても子爵は復讐を諦めなかった。ヒルデスハイム伯達を利用して復讐をと考えたのだ。最後は彼らにも見捨てられ命の危険を感じて自首したが……」
リヒテンラーデ侯が顔を顰めている。なるほど、ヒルデスハイム伯達がブラスターをコルプト子爵の頭に突きつけたという噂は事実だったらしい。皆誰でも我が身が可愛い、道連れは御免というわけか……。

「今回の一件ではブラウンシュバイク公に感謝せねばならん。コルプト子爵だけでなくヒルデスハイム伯達からも調書を取ることが出来た。連中の首根っこを押さえたのだ。暫くは大人しくなるだろう」
皆が笑みを漏らす中、褒められたブラウンシュバイク公が口を開いた。

「リヒテンラーデ侯らしく有りませんね。連中がそんな殊勝な性格をしていると思うのですか? 首根っこを押さえられたどころかコルプト子爵を自首させたのは自分達だと言い張るでしょう」
「一本取られたな、リヒテンラーデ侯」
顔を顰めたリヒテンラーデ侯をブラウンシュバイク大公がからかった。リヒテンラーデ侯の顔がますます渋くなる。そんな侯を見て皆が笑った。ようやく笑う事が出来た。そう思ったのは俺だけではないはずだ。

一瞬だが部屋の空気が和んだ。誰も口を開かなかったのはその空気を楽しみたかったからかもしれない。それほどリヒテンラーデ侯が話した事件の概要は重かったしウンザリした。少しの沈黙の後、リヒテンラーデ侯が話を続けた。

「ベーネミュンデ侯爵夫人の処分だが陛下のお気持ちを考えると死罪と言うのは避けたい」
リヒテンラーデ侯が一人ずつ顔を見て行く。確認を取ろうというのだろう。ブラウンシュバイク大公、ブラウンシュバイク公、そしてリッテンハイム侯も首を横に振らなかった。俺の番になった、俺も首を横に振らなかった。言いたい事は有る、しかし俺以外の四人が既に死罪には反対という事で同意している。一番弱い立場の俺が一人反対しても意味は無いだろう。下手に反対して反感を買うのも考え物だ。

「それでどうする、何もせぬと言う訳には行くまい」
リッテンハイム侯が問いかけた。その通り、処罰が無いという事は有りえない、それを聞いてからでも反対は遅くない。
「侯爵夫人に証拠を突きつけ次は容赦せぬと釘を刺す、それと領地を一部召し上げることになるだろう。侯爵夫人の屋敷には政府の手の者を入れ、その言動は二十四時間監視下に置かれる。また外出は厳しく制限され屋敷への外部からの出入りも同様に制限されることになる」

リヒテンラーデ侯の提案に皆が顔を見合わせた。ブラウンシュバイク大公がリヒテンラーデ侯に念を押す。
「つまり事実上の監禁、そう見て良いのかな」
「そう見て良い」
ブラウンシュバイク大公が周囲を見た。リッテンハイム侯、ブラウンシュバイク公、そして俺……。視線で賛否を確認している。大公が一つ頷いた。

「良かろう、特に異議は無い」
「ではそうするとしよう」
今度はリヒテンラーデ侯が周囲を見渡す。本当に異議は無いのだなという念押しだろう。俺に向けた視線が少し厳しいように感じた、反対するとでも思ったか……。

あの女が無力化されるならそれで良い。事実上の監禁、あの女にとっては屈辱だろう、生きていること自体地獄のはずだ。それで十分だ……。それにあの女が今後問題を起こしてもここに居る男達が姉上の味方になってくれるだろう。その意味は大きい。今更ながらだが姉上が政治的な動きをしなかった事が大きかった。

「ところで、この件、陛下に御報告しなければならん。そしてベーネミュンデ侯爵夫人に処分を申し渡さなければならんのだが……」
リヒテンラーデ侯の言葉が途切れた。そして幾分躊躇いがちにブラウンシュバイク公に視線をむけた。
「ブラウンシュバイク公、公に私の介添えをお願いしたいのだが」
その言葉に公が顔を顰めた。

「私が、ですか?」
「うむ、政府、貴族の総意と言う形を取りたいのだ。大公とリッテンハイム侯は例の一件が有るからの、侯爵夫人が素直にならんかもしれん」
例の一件か……。ベーネミュンデ侯爵夫人の産んだ子が死産だったことだな。確かにブラウンシュバイク大公とリッテンハイム侯では侯爵夫人は興奮するだろう。修羅場になりかねない。

「まあ不本意では有ろうが乗りかかった船と言う奴だ。今少し手伝ってくれ」
「……止むを得ませんね」
溜息交じりの返答だったがリヒテンラーデ侯は嬉しそうに頷いた。もしかするとこの老人、ベーネミュンデ侯爵夫人が苦手なのかもしれない。そう思うと少し可笑しかった。それにしてもブラウンシュバイク公は若いだけに何かと厄介事を押し付けられるようだ。それも可笑しかった。

その後は少し雑談をした後散会することになった。リッテンハイム侯とリヒテンラーデ侯を置いて先に失礼する。応接室を出るとキルヒアイスがフェルナー大佐と共に奥から出てきた。二人とも笑みを浮かべているところを見ると楽しい時間を過ごせたらしい、結構な事だ。俺も出来ればそちらでシミュレーションでもしていたかった。

ブラウンシュバイク公が俺達を見送ってくれたのだが驚いたことに外にまで出て見送ってくれた。公が話しかけてきたのは地上車に乗り込む時だった。どうやらそれが目的だったらしい。
「とりあえずグリューネワルト伯爵夫人、ミッターマイヤー少将の身は安全なようです」
「感謝しております」

社交辞令ではなかった。今回の一件、俺は動かずに済んだ。貴族達も俺を危険視することは無いだろう。そして公が俺に好意的だという事も改めて貴族達は知ったはずだ。収穫は大きい。
「とりあえずです。今回は凌ぎましたが次は分からない。連中は私も、そしてミューゼル提督にも好意を持っていない。十分に気を付けてください」
その通りだ、ブラウンシュバイク公に礼を言って地上車に乗った。公は俺達の姿が見えなくなるまで外で見送ってくれた。



帝国暦486年 8月12日  オーディン ブラウンシュバイク公爵邸  エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク



ラインハルトの乗る地上車が小さくなっていく。それを見ながらフェルナーに問いかけた。
「どうかな、アントン。キルヒアイス中佐は」
「出来るね、ただの幼馴染ではないという事か」
他に人が居ないせいだろう。口調が友達の口調だ。だがそれが嬉しかった。生臭い話も軽やかに話せる。

「あの二人、どっちが上かな」
「もちろん、ミューゼル提督さ」
俺の言葉にフェルナーが肩を竦めた。
「やれやれだな、キルヒアイス中佐の上にミューゼル提督か……。敵に回せば容易ではない。卿の気持ちが良く分かったよ」
「それが分からない連中も居る。侮っている奴らはいずれ酷い目に遭うだろう」

ラインハルトの地上車が視界から消えた。それを見届けてから踵を返す。
「侯爵夫人の一件はかたが付いた、そう思って良いのかな」
気楽な奴だ、そう思うと少し神経がささくれだった。
「まだだ、陛下への御報告と夫人への処分の言い渡しが残っている。私とリヒテンラーデ侯が行う事になった」
「それは……、御愁傷様としか言いようがないな」
馬鹿野郎、誰の所為でこうなったと思っている。養子になどならなければこんなことにはならなかったんだ。

戦場に出たい、ふとそう思った。そして馬鹿げていると自分を叱責した。しかしオーディンに居る限り自分はブラウンシュバイク公として権力の腐臭にまとわりつかれる事になるだろう。この腐臭を払い落すには宇宙に出るしかないと思った。原作のラインハルトも同じように思ったのかもしれない。潔癖なラインハルトではその思いは俺よりも強かっただろう。

改革を進めるべきだ。貴族達の特権を制限し、その権力を弱める。そうする事で腐臭も多少は弱まるだろう。帝国全体にというのは時期尚早だろうな。ブラウンシュバイク公領で行うのも反対が出るだろう。どこか、実験場が要る……。リメス男爵家を復活させるのも一つの手ではある……。それに、例の件も有るか……。

「エーリッヒ、どうした、立ち止まって」
「いや、なんでもない」
何時の間にか足を止めて考え込んでいたらしい。それとも屋敷に入りたくないと無意識に思ったか……。小糠三合持ったら養子に行くなか、上手い事を言ったものだ。

空を見上げた。オーディンの夏の夜空は満天の星に彩られていた。美しく穢れの無い世界。あそこでなら俺は自由になれるかもしれない。ブラウンシュバイク公の名前から開放されるかもしれない。腐臭とも無縁だろう……。あそこに行こう、もう一度思った。





 
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