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八条学園怪異譚

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最終話 最後の宴会その六

「言っておくけれど男は顔じゃないから」
「性格、ですね」
「中身ですね」
「人相は見ないといけないけれどね」 
 性格、即ち生き方が人相に出るからだ。人相が悪い人間はそれだけで注意しなくてはならない。人相と顔立ちはまた違うものであるだけにだ。
「けれど中身よ」
「性格ですよね、大事なのは」
「それに尽きますよね」
「言っておくけれど顔じゃないっていうのはね」
「顔がよくてもですよね」
「悪人がいるっていうんですね」
「いやいや、そうともばかり限らないから」
 人は顔ではない、これは美形である場合に限らないというのだ。茉莉也はこの場合の二種類の偏見について話すのだった。表裏一体の。
「顔が悪くて性格も悪いって奴もいるから」
「つまりどちらも悪い人がですか」
「いるってことですね」
「顔が悪くても性格がいい人もいればね」
 顔がよくても性格が悪い人間がいる、そしてだった。
「顔がよくて性格がいい人もいてね」
「顔が悪くて性格が悪い人もいる」
「本当に中身は違うんですね」
「そうよ、顔が悪い人が絶対に心が綺麗かっていうとそうでもないから」
 人は顔ではない、それは本当にその通りだというのだ。
「ちゃんと中身を見てね」
「外見は抜きにしてですね」
「それで、ですね」
「そういうことよ。まあ外見だけで人を判断したら本当に碌なことにならないけれどね」
 もっと言えば外見だけで人を判断する人間は大した人間ではない、そうした人間もいるにはいるのが世の中だが。
「まあ目と人相を見ることよ」
「その二つですね」
「まずは」
「そう、目が濁っていたらね」
 そこにある光が悪いものならというのだ。
「要注意よ。人相もね」
「いますよね、目の光が歪で人相が悪い人」
「ヤクザ屋さんとか」
「ヤクザ屋さんみたいな生き方をしてるとね」
 これはそのヤクザだけに限らない、所謂カタギと言っていい世界にもヤクザと変わらない人間もいる。ネット右翼だのプロ市民だの言われている連中にそうした輩は多い。人権派弁護士や労働組合の上層部、NPO団体関係者、学校の教師、マスコミ関係者にもそうした輩は多いというのが戦後日本の問題であろう。
「悪い人相になるからね、そういう人には気をつけるの」
「絶対にですね」
「油断しないことですね」
「そうよ、間違っても付き合わないことよ」
 そこは気をつけろというのだ。
「絶対に結婚なんかしない」
「それが大事ですね」
「悪い男には引っかからないってことですね」
「その通りよ、いいわね」
 そのことはというのだ。
「さもないと本当に洒落にならないことになるから」
「悪い男とはですか」
「付き合ったら駄目なんですね」
「泣くのは自分でしょ」
「はい、確かに」
「痛い目に遭うのは」
「友達でも彼氏でもよ」
 無論結婚相手にしてもだというのだ。
「そうした相手はバツよ」
「絶対にですね」
「そこは」
「まあ家族や肉親にそうした人がいる場合もあるけれど」
 最も縁が切りにくい場合だ、しかしそうしたどうにもならない人間に対しても対処の仕方があるのが世の中である。
 その対処の仕方についてもだ、茉莉也は飲みながら話すのだった。 
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