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所謂従軍慰安婦なるもの

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第二章

 その唯物史観に基づき日本の歴史を考えていきますと封建主義批判、資本家と労働者の対立、そして戦前の日本軍国主義批判へとなります。
 ここで重要であることは戦前の日本軍国主義への批判です。何故唯物史観で日本軍国主義なるものが出て来てそして批判されるかといいますとスターリンの政治的思惑があったのです、もっと言えば連合諸国の政治的思惑です。
 スターリンは日露戦争からの日本を悪、資本家や地主、軍部の独裁国家にしてそのうえでその日本を倒し日本を共産主義化しようと考えていましたし日露戦争の復讐も考えていました。そして日露戦争で日本が得た領土を奪還しようと考えていたのです。その為日本軍国主義を言い出し戦線の日本を悪としたのです。また他の連合諸国も枢軸国である日本を悪と断定すれば自分達が正義になりその正義で世界秩序を形成し守っているという大義名分が得られます。この考えに基づき事後立法であるニュルんベルグ裁判や極東軍事裁判が行われました。尚事後立法は法律的にあってはならない、これを許しては権力者が恣意的に法を使い誰も法律の加護を得られなくなってしまうものだということも書かせて頂きます。
 話を戻しますとスターリン、連合国の考え特にスターリンが主導していたコミンテルンの考えに基づき日本の歴史学、とりわけ近現代史はマルクス主義がかなり強くなりました。その為普通に授業でファシズムという言葉も出る様になりました。
 戦前の日本がファシズム国家だったのかどうかは今現在ではかなり議論のあるところです。少なくとも当時の日本はナチス=ドイツやファシスト党政権下のイタリアとは全く違う状況であったことは間違いないでしょう。政権交代もありましたし憲法も生きていました。そして東條英機が強い権限を持っていたとしても彼も完全に憲法のコントロールの下にあり東條自身法律から逸脱しようとすることは絶対にしませんでした。
 むしろファシズム国家は何処だったかといいますとソ連です。スターリンが絶対者として君臨していたソ連は紛れもなくファシズム国家でありました。全体主義国家と共産主義国家は実は全く違うものではなくスターリンが推し進めたものについて言えば同じものなのです。 
 世界はどういった形になっているかといいますと線ではなく円であると考えると右から回って極端になる場合も左から回っていき極端になっても一緒です。もっと言えばナチスの正式名称は『ドイツ国家社会主義労働者党』です。つまり紛れもなくナチス=ドイツは社会主義政権だったのです。その証拠にナチスが国家の総てをコントロールしていました。自由経済ではなく統制経済でした。資本家の自由な行動は一切無く全ては党の方針により動かされていました。そして一つの政党による独裁、秘密警察、国軍への目付け役としての政治将校とそのあり方は紛れもなくソ連と同一のものでした。懲罰大隊があったところも同じです。
 つまりナチスもソ連も左から回った極左政権であり社会主義、言うならば一国社会主義だったのです。しかも国家社会主義とは国家が強力に主導して社会主義を実現していくというものですがこれがスターリンの一国社会主義と全く同じものであるということに気付かれる方も多いでしょう。つまりナチスとソ連は互いに戦い合った為にわかりにくかった、というよりは戦後長い間第二次世界大戦は民主主義陣営と全体主義陣営の戦争だったという連合国側、勝利者側の宣伝を鵜呑みにしていた為このことに気付きにくかったのです。このことがナチスとソ連の同質さを覆っていました。
 ナチスとソ連はまさに鏡合わせの様にそっくりです、イタリアよりも遥かに極端に走った全体主義でありそこにあるものこそファシズムの極地でした。それに対して日本は大政翼賛会はあっても野党もありましたし政権交代もありました、しかも憲法まであったことは既にお話した通りです。
 このことを把握しかつ第二次世界大戦が民主主義と全体主義という二元的な戦いではなく世界の覇権や各国の国益を賭けた戦いであったことを理解しておかないと戦後日本に対する見解も大きく違ってきます。それがここで述べさせて頂く従軍慰安婦の件にも関わっています。
 戦前の日本とはどういった国家だったのか、そして戦後考えられてきたファシズム国家である戦前日本、明治維新の頃から軍国主義であり侵略を考えていた国家、特に日清日露の戦争が侵略戦争だったという認識がソ連が主導するコミンテルン、とりわけスターリンからの指示によりそう規定されていたことを頭に入れておかないと共産陣営が衰退している最中の我が国の左翼勢力の動きも理解出来ないのです。
 彼等はこうした定義を基に戦前の日本を集中的に攻撃することにより生き残りを計ったのです。これは以前からA新聞のK・H記者が何の検証もなしに取材し発表したとしか考えられない特集や靖国神社への攻撃にも見られます。左翼勢力の歴史への攻撃は実はコミンテルンからはじまったことなのです。
 それが従軍慰安婦にも影響しています。ここで話が戻ります。
 この大分県に住むとある主婦が中心となって起こした運動には実は実質的なリーダーと言うべき人物がいました。この人物は在日朝鮮人の人でSという人です。主婦はこのS氏に私淑し一連の行動をお越しえいたのです。このS氏の主張は日本を加害者、朝鮮を被害者という構成を構築してそこから行動を展開するといったものだったとのことです。ここにも我が国の左翼勢力の思考の特徴、国家つまり日本を加害者、悪と断定し市民や朝鮮人を被害者、善と断定して行動を展開するといったものが見受けられるのではないでしょうか。この考えから朝日ジャーナルへの広告掲載に至ったというのが僕が今参考の一冊にしている西岡氏の書かれた本にあります。 
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