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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百一話 不可知




宇宙歴 795年 10月18日    ハイネセン     ピーター・ザックス



第一特設艦隊旗艦ハトホルには三人で行く事になった。バグダッシュ、俺、メアリー・ホワイト中尉の三人、ホワイト中尉は調査課の任官三年目の士官だ、今回は俺の補佐役として付いて行く。地上車の中でバグダッシュが話しかけてきた。
「ザックス、昨日はゴーストハウスに行ったようだな」
「……」
バグダッシュがニヤニヤと笑っていた。

「あの文書にアクセスした人間が居ると俺に報せが届くようになっているんだ。誰がアクセスしたのかと思ったがお前さんだと知って納得したよ。少しは役に立ったかな」
「……疑問が増えただけだ。益々分からなくなった」
バグダッシュが声を上げて笑った。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタインとは一体何者か? この宇宙の謎の一つだな」
「……」
「一つだけ忠告しておく。質問するなとは言わんが間違っても中将を怒らせるなよ。そうなったら俺は取りなしたりはしない、お前さんを置いて逃げるからな」
冗談かと思ったがバグダッシュは笑っていなかった。ホワイト中尉と顔を見合わせたが中尉は顔を強張らせている。

“彼と接触する者は彼への敵対行為は極めて危険である事を理解しなければならない”
怒らせる事は危険か、確かにロボスやフォークの事を考えれば危険なのだろう。しかしだからと言って質問しないわけにもいかない。

ハトホルに着くと直ぐに会議室に通された。部屋には既にヴァレンシュタイン提督が居た。飲み物が出された、コーヒーが三つとココアが一つ、部屋の中にココアの甘い香りが漂った。
「彼は調査課のピーター・ザックス中佐です、そちらはホワイト中尉。ザックスは私とは士官学校で同期生でした」
バグダッシュが我々を紹介するとヴァレンシュタイン中将が頷いた。

「腹の探り合いの様な会話は止めましょう、最近その手の会話には飽き飽きしています。調査課は何を知りたいのです?」
直球ど真ん中だ。但し、口調は決して友好的では無かった。
「ああ、それと馬鹿な質問はしないでくださいよ、不愉快になる」
今度は釘を刺された。しかし馬鹿な質問とは何だろう? 答えられない事は訊くなと言う事だろうか、或いは分かり切った事? それともヴァレンシュタイン中将個人の事か……。ホワイト中尉と顔を見合わせた、俺が頷くと中尉が質問を始めた。

「帝国は改革の実施を宣言しましたが本気で行うつもりでしょうか?」
「カール・ブラッケ、オイゲン・リヒターはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の傍に居たのでしょう?」
「それは居ましたが……、しかし貴族達がそれに賛成するとも思えません。改革が実行されれば貴族の特権は制限されます」
ホワイト中尉が疑問を呈したが中将は詰まらなさそうな表情をしている。中将がチラッと一瞬だがバグダッシュに視線を向けた。バグダッシュは何の反応も見せない。

「そんな事はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も知っている事です。あの二人は貴族の中の貴族ですよ、誰よりも良く理解している。それでも改革を実施すると宣言した、そうしなければ帝国は持たない、そう判断したからです」
「しかし貴族達の反対は如何するつもりでしょう、一つ間違えば内乱という事にもなりかねないと調査課では見ているのですが……」

「さあ、何か手が有るのでしょうね」
「何か?」
ホワイト中尉が問い掛けるとヴァレンシュタイン中将がフッと嗤った。
「或いは内乱も覚悟したか……。あの二人を甘く見ない事です。思いの外に手強いし肚も座っている。少し予想外でしたね、もうちょっと馬鹿かと思っていたのですが……」

何処か楽しそうな表情だ、予想が外れたのが嬉しいのだろうか? どうもよく分からない。
「権力欲に取りつかれた馬鹿なら殺し合いをしている、臆病なら逃げ出す。あの二人が馬鹿か臆病なら帝国は二分、三分される可能性も有ったのですが踏み止まって協力して帝国を変えようとしている。あの二人は馬鹿ではない、それなりに覚悟も有れば成算も有るのでしょう」

「成算と言いますと?」
「……」
問い掛けたが無言でココアを飲んでいる。視線を俺に向ける事も無い。
「お答えいただけませんか、提督?」
俺を見た。
「知りたければ私にではなく直接ブラウンシュバイク公に問うのですね、もっとも教えてくれるかどうか……」
中将がクスクスと笑い出した。知っているのだろうか? 或いは想定しているのか? 何処かであしらわれている、そう思った。

ヴァレンシュタイン中将は改革が実施される、成功する可能性が高い、そう見ているようだ。何らかの情報を持っている可能性も有る、レムシャイド伯から聞いているのかもしれない。となると同盟と帝国の関係はどうなるのか、改革を進めれば帝国の国力は増大するだろう。改革を潰す方向で動くのか、それとも支援して友好関係を築くのか……。

それと気を付けなければならないのはブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯だ、中将はかなり高く評価している。それなりに能力が有ると見るべきだろう。彼らが一体何を考えるか、その動向を掴む事が必要になる……。ホワイト中尉が俺を見た、次の質問に移って良いか、そんなところだろう。頷く事で許可した。

「帝国と同盟は現在協力体制を執っています。ヴァレンシュタイン提督はこの状況が何時まで続くとお考えでしょうか、帝国との間に和平という事も有り得ると思われますか?」
ホワイト中尉が質問するとヴァレンシュタイン中将が苦笑を浮かべた。
「無理ですね」
にべもない口調だ。我々を見て嗤っている。

「百五十年も戦っているんですよ、そうそう簡単に和平など結べません。和平を結ぶには相当な政治的力量が必要になります」
「……」
「残念ですがサンフォード最高評議会議長にはそんな力量は有りません、そうでは有りませんか?」
隣で失笑する音が聞こえた、バグダッシュが顔を歪めている。

「それに最近の同盟は勝利続きで政権は極めて安定している。サンフォード議長は無理をする事は無い、今のままで十分と思っているでしょう。地球教対策では帝国と協力するでしょうがそれが終わったらダラダラと戦争を続けるでしょうね」
サンフォード政権では和平は無理、ヴァレンシュタイン中将はそう見ている。

では国防委員長との繋がりは軍事に関するもの、そういう事だろうか……。どうもしっくりこない、共通の敵を作って協力体制を執らせたのは休戦、或いは和平のためではないのか……。しかし現状ではサンフォード政権が安定しているのも事実、トリューニヒト国防委員長は実力者だが最高評議会議長になるにはまだまだ時間がかかるだろう。

「では提督は和平については如何御考えでしょう」
俺が踏み込むと中将は俺をじっと見た。
「賛成しますよ、私は戦争が嫌いですから」
戦争が嫌い? 冗談かと思ったが相手はニコリともしない。困惑していると哀れむような視線を向けられた。

「中佐は戦場に出た事は有りますか?」
「いえ、小官は情報部一筋ですので」
いささか忸怩たる思いを抱いて答えると中将が頷いた。
「自分の考えた作戦で大勢の敵を殺す。用兵家としては立派なのでしょうが人間としてはクズですね。私は勝利を嬉しいと思った事は有りません。前線に出ない事を恥じる人もいますがその方が良いと思います。戦争なんて無い方が良いんですから……」

亡命者だからだろうか、殺しているのが帝国人だから素直に喜べない? それとも本心から戦争が嫌いなのか……。正直困惑した、ホワイト中尉も困惑を浮かべている。帝国で後方に居たのはそれが理由なのだろうか、だとするとヴァレンシュタイン中将にとって前線で戦うのは本意ではないのかもしれない……。

「どうも情報部は肝心な事が分かっていないようです。枝葉の部分にばかり気を取られている、困った事だ」
中将が俺とホワイト中尉を見ながら言った。嘲りではない、本心から俺達が肝心な部分を理解していないと思っているらしい。俺は何を分かっていないのだろう。何を見落としているのだろうか……。

「貴官達は帝国が行う改革の意味が分かっていない」
「一体何が分かっていないのでしょう?」
「フランツ・オットー大公、皇帝オトフリート二世、アウグスト一世、マクシミリアン・ヨーゼフ二世、帝国の歴史の中で何人か改革と言って良い政治を行った人物が居ます。しかし彼らとブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が行おうとしている改革は別な物です。それを理解していない」
別な物? 一体何処が違うのか……。

「彼らは綱紀粛正、財政再建をしましたがあくまでそれは体制内の改革です。体制そのものを強化しようとしたのであって変えようとしたわけではない。ですがブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は貴族階級を抑え平民階級の権利を拡大しようとしている。政治体制そのものを変えようとしているんです。その意味が分かりますか?」
「……」

「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの作った政治体制を終わらせようとしているという事です」
ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの作った政治体制を終わらせる? 思わずホワイト中尉、バグダッシュと顔を見合わせた。二人とも驚愕を顔に浮かべている。

「それは、大袈裟なのでは……」
ホワイト中尉が声を上げると中将がフッと嗤った。
「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの政治体制は支配階級を貴族として固定し確保する事でした、目的は衆愚政治を防ぐためです。帝国では貴族でなければ政治、軍の上層部には入れません。被支配者階級である平民には何の政治的権利も無い、彼らはただ税を納めるだけの存在です。ルドルフはその方が政治的な混乱は少ない、そう思ったのでしょう」

「しかし改革案を作ったであろうカール・ブラッケ、オイゲン・リヒターは貴族で有ったにもかかわらずフォンの称号を捨て平民になった。そして社会改革の必要性を訴え平民の権利の拡大を訴えてきた人達です。極端な事を言えば彼らは反体制派と言って良い」
「……」

「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は彼らの改革案を受け入れ平民の権利を拡大しようとしている。理由は支配者階級としての貴族が役に立たなくなったからです、つまりルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの作った政治体制を否定しているのですよ、あの二人は。在野の人間ではない、政権中枢の人間がそう考えて行動している。終焉を迎えようとしているとはそういうことです」
“なるほど”という声が聞こえた。バグダッシュが頷いている。

「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯はそれを理解しているのでしょうか? 自分達がルドルフの作った政治体制を終わらせようとしていると、それを理解した上で改革を行おうとしているのでしょうか?」
ホワイト中尉が質問すると中将が頷いた。

「貴族達は誰も自分達が役立たずだとは思わない。しかし統治者の立場になってみれば分かる、貴族達が支配者として不適格だと……。帝国の統治体制はもう限界にきているんです。だからリヒテンラーデ侯はあんな事を考えた。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯も同じ認識を持ったから改革を実行しようとしている。分かっていないのは貴族だけですよ、現状では軍も改革無しでは使い物にならないほど士気が低下している……」
「……」

「そこを理解しないと帝国の動きは読めません。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が何を考え、どう動くかもです」
「なるほど」
なるほど、と思った。中将が我々の問いに不満そうな様子を見せるわけだ。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の真意も理解せずに状況を分析し未来を推測しようとしている。事前に馬鹿な質問をするなと言われたが確かに俺達は馬鹿な質問をしていたのだろう、胸に苦いものが満ちた……。

「今度はこちらの問いに答えて下さい。帝国では何か変わった動きは有りませんか?」
「クロプシュトック侯の反乱鎮圧に向かっていた貴族達が戻ってきました。地球討伐に向かっていたミューゼル提督も同時期に戻ってきています」
ホワイト中尉が答えるとヴァレンシュタイン中将が頷いて“他には?”と問い掛けた。ホワイト中尉が首を横に振る、フェザーンで騒動が起きてからフェザーン経由で情報を得ることが難しくなっているのだ。不満そうな表情を見せるかと思ったが中将は表情を変えることなくフェザーンの情報を要求した。

「御存知かと思いますがニコラス・ボルテックが自治領主になっています」
「他には?」
「帝国の高等弁務官が今月末にはフェザーンに到着します。マリーンドルフ伯爵です」
ホワイト中尉の言葉に中将の表情が厳しくなった。ホワイト中尉、バグダッシュがそれを見て緊張している。

「レムシャイド伯からはお聞きになっていないのですか?」
俺が問い掛けると中将が頷いた。
「聞いていません。マリーンドルフ伯は温厚な常識人です、機略の人ではない。フェザーンの高等弁務官といっても形だけ、おそらく報せる必要は無いと思ったのでしょう……」
機略の人ではない、しかし中将の表情は厳しいままだ。

「マリーンドルフ伯に何か有るのですか?」
「彼には娘がいます」
「娘?」
問い返すと中将が頷いた。
「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ、彼女が同行しているなら話は違う。政略家としては帝国でも屈指の才能の持ち主です」
中将の言葉に皆が息を呑んだ。彼の人物評価が誤ったことは無い。

「では真の高等弁務官は彼女ですか?」
声が掠れた、俺の問いに中将が首を横に振った。
「いや、帝国では女性の地位は低い。彼女の才能を見抜いての事ではないでしょう。フェザーンに送れる信頼できる人間がマリーンドルフ伯以外に居なかった、そういう事なのでしょうが……」
では偶然か……。
「マリーンドルフ伯の周辺を探ってください。同行者が誰か、知っておきたい」

「分かりました、早急に調査します。ところで、その伯爵令嬢は今何歳なのです?」
中将が小首を傾げた。
「私よりは三歳下のはずだから十八歳かな」
十八歳? 中将の言葉に皆が顔を見合わせた。どういう事だ? 中将が亡命した時は十七歳、四年前だ。その時彼女は十四歳、その時点で彼女の才能を見抜けるのか?

「面識は御有りですか?」
俺が問い掛けると中将が苦笑した。
「帝国では伯爵家の一人娘と平民の息子が親しく知りあう機会など有り得ません。それに、好みのタイプじゃないんです、私はもう少し普通の女性が良い」
そう言うと中将が声を上げて笑った。

「何故彼女の事を……」
中将が俺を見た、そして微かに笑みを浮かべた。
「世の中には不思議な事がたくさんあるのですよ。知らないはずの事を知っている人間がいる」
「それは……」

あの時の言葉だ、イゼルローン要塞で中将が帝国軍に言った言葉……。中将が俺を見ている、冷たい目だ、もう笑ってはいない。背筋が凍るような恐怖を感じた。
「馬鹿な質問は止めてくださいよ、ザックス中佐。マリーンドルフ伯の同行者の件、早めに調べてください。これからフェザーンは騒がしくなる」
そう言うと中将はココアを一口飲んだ。


 
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