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樹界の王

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5話 アレチウリ

「植物を毎日優しく撫でれば、人間と同じように喜んで太く育ち、早く花を咲かせます」
 そう言ったのは、小学校の担任の教諭だった。中年の女性教師で、普段からヒステリックなところがあった。
 時期は五年生の理科の授業だっただろうか。あるいは、課外学習として花壇に花を植えて育てる授業だっただろうか。
 事情について詳しくは覚えていないが、その時のやりとりはよく覚えている。
「先生、それは違います。その植物は撫でられて喜んでいるのではなく、その接触を外的な脅威だと判断し、生存能力を高める為に養分を太くする事に注いだだけです。早く花を咲かせたのも外的脅威によって生存が危ういと判断し、開花を早めただけに過ぎません」
 咄嗟に、ボクはそう反論した。先生の主張は、あまりにも身勝手なものだった。植物の植物性を無視した傲慢な人間主体の考え方。それが、許せなかった。
 先生はボクの反論に驚いたような顔をしながらも、おかしそうに笑う。
「そういう説もありますね。どっちが正しいかは、植物にしかわかりません。けれど、植物も人間と同じように生きています。愛情を持って接すればすくすくと育ちます。けれど、痛い思いをさせれば悲しんで、枯れてしまうかもしれません」
「先生。植物は痛みを感じません。触覚と痛覚は別ものです。葉をちぎればそれを察知して脅威に対抗しようとしますが、痛みを感じる脳はどこにもありません。そして、葉をちぎった時と、優しく撫でた時の違いは植物にとって大差なく、どちらも外的な脅威に変わりありません。植物は苦しみに悶える事もなく、対抗措置を淡々と展開するだけです。例え全ての葉をこの場でむしりとっても、この植物は一切の痛みを感じません」
 恐らく、この先生は植物を通して倫理的な教育がしたかったのだろう。けれど、その例え話がボクにとっては許せなかった。人間を主体としたその考えが、おぞましいもののように思えた。
 ボクのこの反論によって、父が学校に呼ばれる事になった。他の生命に対して残忍性があるとして、家庭での教育方針について問いただされ、父は申し訳無さそうに頭を下げていた。
 何故父が謝るのか、当時は理解できなかった。ボクにこの事を教えてくれたのは植物学者である父だった。父は植物を擬人化する事は一度もなく、人間とは全く別の存在として説明してくれていた。ボクは幅広い知識を持つ父を尊敬していたし、父のようになりたいとも願っていた。
 その父が、目の前で頭を下げ続けていた。
 そんな姿は、見たくなかった。
「カナメ、だめだよ、それじゃ」
 後日、意気消沈していたボクに幼馴染の由香は冷たい光を瞳に浮かべて言った。
「人は狡い生き物なんだよ。人間性の教育の為に、他の存在の在り方を否定しようとする。そうして獲得した人間性は、一体どれほどの正しさがあって、どれほどの必要性があるんだろう。ねえ、カナメ。そんなものは、初めから必要ないんだよ」
 由香はそう言って、右手に持った鶏の死骸を見つめる。
「どれだけ取り繕ったって、世界は弱肉強食なんだ。カナメ、君は正しいよ。でも、それは隠すべきなんだ。大多数は、幻に囚われた弱者であるべきだ。その方が都合が良い。そうだろう、カナメ」
 そして、由香は鶏の死骸を投げ捨てて、十一歳とは思えない冷酷な笑みを浮かべる。そこにあるのは、捕食者としての瞳だった。

 跳ね起きると同時に、夢を見ていた事に気づく。
 辺りはまだ暗い。枝葉の間からは満天の星が見えた。
 息をついて、再び寝転がる。
 由香。ボクの幼馴染。
 彼女は、どうなったのだろう。
 キャンプ場から抜けだして、一緒に川沿いを散策していたボクと彼女。気がつけば、ボクだけがこの奇妙な森に迷い込んでいた。
 由香はまだ、あの川沿いにいるのだろうか。突然いなくなったボクを心配して、警察に捜索願いを出しているかもしれない。
 あるいは、ボクと同じようにこの森の中に迷い込んでいるのかもしれない、と思った。
 もし彼女がこの森に迷い込んでいるのならば、ボクよりもずっと上手くやっているだろう。彼女の自然界に対する知識は深く、ボクよりも決断力や判断力に長けているし、何より何事にも動じない冷静さを持っている。
 そこまで考えて、無駄な事を考えている、と自覚する。彼女と合流することは、きっと叶わない。下らない空想に耽るほど余裕のある状況ではない。今すべき事は、この森を理解する事だ。
 ふと、上を見る。頭上を覆う枝葉によって、途切れた星空しか見えない。月らしいものは、ボクの位置からは見えなかった。めぼしい星座を探してみるが、枝葉が邪魔になって特定することは困難だった。夜空に頼る事は諦めるしかない。
 寝返りを打つと、暗い森が見えた。動くものは何もない。神聖さを感じるほどの静謐な森林が、そこにあった。
 ボクは目の前の雑草を見つめると、深い考えもなくそれをむしり取った。途端に警戒の感情が発露する。しかし、苦痛に喘ぐ事は決してない。やはり、植物は痛みを感じない。
 痛みとは、単なる信号を超えた主観的なものだ。主観は、中枢神経系が作り出す幻に過ぎない。その幻を持ち得ない植物は痛みを覚えない。しかし、その触覚は、人のそれよりも遥かに感度が高い。
 人は一般的に二グラム未満の繊維を持っても、それに気がつかない。これに対し、アレチウリのツルは0.25グラムの微細な繊維にも反応を示す。痛みを覚える事は決してないが、植物の知覚能力は人のそれを遥かに凌駕する。にも関わらず、植物は過度な刺激を苦痛とは感じない。何故か。痛みと触覚は生物学的に別の現象だからだ。
 例えば視覚を構成する光受容体があるように、触覚にもそれに相当するものがある。機械的受容器と呼ばれるものだ。これに対し、痛みを司るものは侵害受容器であり、これらはルーツからして根本的に別の現象として経験される。だからボクたちが利用する一般的な鎮痛剤は機械的受容器の信号には関与せず、侵害受容器の信号のみに影響を及ぼす為、痛みと同時に触覚が麻痺することはない。そして、植物は痛みを覚える受容器そのものを持たない。植物は痛みを感じるルーツ、そして痛みを経験する主観の両方を持たない為に、痛みという現象そのものを理解できない。そして、これは植物が進化の過程で得た戦略の結果の一つであって、その植物性は擬人化によって軽んじるべきものではない。人に優しく撫でられる事、理不尽に葉っぱを千切られる事、その二つは植物にとって大差のない脅威でしかない。
 夢に出てきた幼き頃のボクの見解は間違っていないと今でも思う。誤っていたのは、その表現の方法。植物は痛みを覚えない。それは事実だったが、ボクの言い方はまるで植物が生命ではないかのような誤解を与える結果になった。あの頃のボクは植物の心を読み取れる故に植物に対して誰よりも深い理解を示していたが、反対に心の動きが全く読めない人間という同族を理解できずにいた。ボクにとっては、心を直接読み取れる植物の方が、同族である人よりも身近に感じられていたのだ。
 由香以外と人並みの交友関係を築き始めたのは、中学に入ってからだった。園芸部に入り、植物を介して人とも繋がるようになった。このようにボクの生活の中心には、いつも植物がいた。
 そして、今。目の前には植物のみが広がり、人の姿はどこにもない。けれど、奇妙な安堵感があった。生まれた街に帰ってきたかのような、不思議な感覚。この不思議な感覚はなんなのだろう。
 ぼんやりとしているうちに、寝転がっていた雑草たちが濡れ始める。溢水だ。夜間に植物が貯めこんだ水分が早朝に溢れ出す現象。朝に草花が濡れているのは露の影響もあるが、この溢水によるものも多い。
 この時間帯は水源がなくても植物から多量の水を確保できる。朝日が出る前にボクは行動を開始した。そして、ゆっくりと空が白ばんでいく。 
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