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樹界の王

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4話 オオオニバス

 よくよく周囲を見渡せば、この森を形成する樹木の枝葉は大きく、平らで薄い事が分かった。
 葉の形を決定付ける因子はとても多く、局所的な環境の変化の影響を大きく受け、同じ樹木でも多用な形を見せる為、一概に葉の形からその意味を解釈する事は専門家でも難しい。しかし、ある程度の一般論において、葉の形から推察できる事がある。
 まず葉が大きいと言うことは、太陽光をまともに受ける分、水損失が多いということだ。更に大きな葉には、葉上に停滞した空気の層ができあがる。これを境界層といい、この空気の層が熱を閉じ込めて周囲の気温を最大で10℃も上昇させる事すらある。光合成の効率をあげるとはいえ、葉が大きければ境界層の影響によって水の損失は増大し、葉灼けを起こす事になる。故に、こうした大きく平らな葉というものは湿潤な日陰地に大きく見られ、通常は熱を直接受ける暑い地域では葉が小さくなる傾向がある。世界一巨大な葉を持つオオオニバスは三メートルを超える大きな葉を持つが、これは水面に浮かんでいる為に葉温の上昇を常に一定以下に抑えられるからそこまで大きくなれるのだ。葉、というものは光合成の為に大きければ有利、というわけではない。
 しかし、周囲の巨大な樹木は巨大な枝葉によって葉灼けを起こす事もなく、二つの太陽が発するエネルギーを堂々と受け止めている。熱に対する何らかの防御手段を保持しているのだろう。そして、その光を元に多量のエネルギーを作り出す事に成功している。それが恐らくは、ボクが知る植物よりも知的活動を行っているように見える原因なのだろう。
 ボクが知る植物と、これらの植物は似て非なるものだ、と確信する。
 そもそも大多数の植物は日中の太陽光の三分の一しか有効活用できないのだ。光合成を行う為の二酸化炭素は大気中に0.03%しか存在しない。十分な量の二酸化炭素が存在して初めて太陽光の全てを有効活用できるのであって、必要以上の太陽光は活性酸素となって、植物の生存を危険に晒す。だからこそ植物たちは太陽の熱から身を守る為に敢えて葉を小さくしたり、切れ込みを入れたりする。太陽は植物にとって必要不可欠なものであると同時に、最も驚異的な外敵でもある。
 そして、ボクにとっても頭上の太陽は脅威だった。頭上を覆う巨大な葉の天井が太陽光を遮断していたが、木漏れ日によって地表は十分すぎるほど熱せられている。直接太陽光を浴びている樹木たちは境界層によって更に高い熱を受けているはずだ。恐らくは、光合成に用いられる酵素が破壊されるほどの高熱。蒸散に加えて別の対抗手段が存在するのか、あるいは熱自体を遮断する防御手段を保持するのかは定かではないが、これらの樹木が持つ生存能力は信じがたいものだ。
 スーパーの袋に入れていた葉を見る。蒸散によって多量の水が溜まっていた。熱に対抗する為か、一般的に確認される水の量よりも遥かに多い量が蒸散している。蒸散能力が優れているということは、それだけの水を貯蓄する能力があり、加えて一帯が豊かな土地である事を示している。必ずどこかに水源があるはずだった。
 スーパーの袋に貯まった水を舐める。味に問題は見られない。少しだけ飲んだ後、ペットボトルを開けて、続けてこちらからも水を摂取する。蒸散した水の安全性が確認できない以上、出来るだけ希釈するべきだった。どれだけ効果があるかはわからないが、慎重になるに越した事はない。
 水源を求めて歩きまわる内に、二つの太陽が傾いていく。それぞれが別々の方向に沈んでいくようだった。まるで、絵本の世界のようだ。
 ふと、神隠し、という単語が頭に浮かんだ。
 突然人が姿を消した人たちは、どこへ消えるのだろう。神隠しの伝承を初めて聞いた時はそんな事を考えたものだが、目の前に広がるこの世界がその答えなのかもしれない、と思った。
 この奇妙な森は、恐らくは日本と地理的に繋がっていない。どうしてボクがこの森に迷い込んだのかが分からない以上、帰る方法も明確ではない。楽観的に物事を考える事は危険だ。長期的な遭難になると考えて、動かなければならない。
 日没までに水源を見つける事ができないと判断すると、探索の目的を寝床の選定に変更する。この辺りに植生する黒い実の高木は、その自重によって幹が捻れているものが多い。身体が収まるスペースを探すと、すぐにそれは見つかった。周囲には虫の跡もない。腰を下ろすと、疲れがどっと出た。
 豚男から奪った斧を立てかけて、バックパックからナイフを取り出す。念のための護身用だ。夜になれば、何が起こるか分からない。
 それから、スーパーの袋に溜まっていた水を全て飲み干す。一日に必要な量には達しないが、想像以上の水を蒸散作用から得る事ができた。これに加えて朝露と溢水を利用すれば、最低限の水が確保できる見込みになる。安堵感が胸に広がる。
 当面の水の問題はクリアした。後は食料だ。
 体力の消耗を抑える為にねじ曲がった幹に隠れるようにして寝転び、目を瞑る。柔らかい草地。それらからは穏やかな感情が感じられ、自然とボクの心も平穏を取り戻した。
 重くなる瞼に身を任せ、まどろみの中に落ちていく。
 目を覚ませばキャンプ場が広がっていて、すぐそばに幼馴染の由香がいることを願いながら。 
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