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センゴク恋姫記

作者:遊佐
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第3幕 夏侯元譲

 
前書き
どうも締め切りを決めないと、いつまでも書けない体質のようです。
とはいえ、矛盾の方の文字数が増加しまくっているのも原因なのですが。
5000か7000程度に抑えれば、もうちょっと書けそうな気もしますが…… 

 

(何処じゃ、ここは)

 目の前には木格子。

(てゆーか、ワシ……なんで牢の中なんじゃ?)

 以前にも似たようなことがあった。
 あれは確か、野々村のとっつぁんと初めて会った頃だったような……

(あ~そうそう。確かあん時は、伊勢長島の篠橋に間者として潜入して……)

 呟きながら、昔を思い出すゴンベエ。

 以前より、ゴンベエは間者としての才がある。
 伊勢長島だけでなく、大国毛利の領内への潜入も行い、一年かけて詳細な地理を把握、その上鳥取城包囲網の本陣である、帝釈山近辺の詳細な情報を得るという功績を成している。

「あ、んなの思い出しとる場合じゃなかった! ここはどこじゃっ! って、いたぁっ!?」

 思わず叫んだ拍子に、胸の健が引っ張られるような痛みを覚える。
 その時になってようやく、ゴンベエは自身が上半身裸で白い布――包帯まみれであることに気づいた。
 袴は履いているが、上着は影も形もなかった。

「な、なんじゃこれは!? わしゃ、一体どうなったというんじゃ!?」

 痛みを押さえつつ、木格子越しに外を見る。
 見ればそこは、どこかの城の牢獄であることが見て取れた。

 薄暗く、湿気のこもったカビ臭い空気。
 蜘蛛の巣とネズミが徘徊する、不衛生な環境。

 そこに居たのは、ただ一人の見張りの姿であった。

「こらあ! ワシを出さんかい! というか、なんでワシは牢におるんじゃ! 答えんかい!」
「うるさい! 静かにしていろ!」

 見張りは苛立たしい声で、手に持つ槍で木格子を叩く。
 その衝撃で、思わず木格子から手を離したゴンベエは、一歩下がりながらもなお叫んだ。

「わしゃ、怪我人じゃぞ!? というか、どうしてここにいるのか説明せんかい!」
「やかましいといったぞ! ここに幽閉したのは陳留刺史、曹孟徳様の命令だ! 貴様は罪人なのだぞ!」
「はあ!?」

 曹孟徳……その名を聞いて思い出す。
 記憶にある、おそうという女童(めわら)

 彼女が名乗った名前が確か、曹操孟徳といった。

(曹孟徳……姓が曹、名が操、字が孟徳と言っとった。字? (いみな)でなく?)

 ゴンベエの時代、戦国期の日本の武士は、姓、通称、諱で構成されている。
 名とは、その3つが重なった総称であり、中国のそれとは違うのであった。

 多少、中国の知識があれば、それもわかったかもしれない。
 だが、ゴンベエはお世辞にも知識があるとはいえなかった。

(どういうこっちゃ……名乗りすら、常識が通じん。ワシは一体どこに来たんじゃ)

 見知らぬ土地、見知らぬ常識、そして見知らぬ状況。
 全てが不明の今の状態に、歴戦の武士といえども戸惑いを隠せない。

 ――否。
 元々、ゴンベエはこうしたアクシデントの状況には、とかく弱い。
 命がかかった緊急時ならばともかく、自分の知識が及ばない状況には二の足を踏む。

 馬鹿のセンゴクは、この世界でも健在であった。

(ワシ……どうなるんじゃろ? ほんまにここはどこなんですか、ハンベー様……)

 夢で見た半兵衛の言葉。
 信長様を助けてくれ、その言葉を思い出す。

 否。
 正確には、信長の『ような』人物である。
 すっかり脳内変換で、信長のことだと誤認識していた。

(起きたら信長様がおるんじゃなかったのですか? いや、目の前に居たのはあの女童……まさか、あれが信長様? ないない……まあ、凶暴さではどっこいかもしれんが)

 信長本人が聞いていても斬られそうな事を考え、その事に身震いする。

(あの気持ち悪い男がなんぞ言うとったような……しっかり守れ? やっぱあのおなごなのか? 本当にどうなっておるんじゃ……)

 一人悶々と悩むしかない牢の中。
 その状態に変化が訪れる。

 重い扉が開く音。
 その後に響く足音に、目の前にいた見張りが身を正した。

「ご苦労……あのバカは起きているか?」
「は! 先程目を覚ましました」

 その声と共に、ゴンベエの視界に入る人物。

「あ、おそう!」

 ゴンベエの言葉に、顔を顰める少女――曹孟徳だった。

「誰が『おそう』よ! もう……せめて曹操と呼びなさいな。まったく、蜚蠊(ゴキブリ)みたいな生命力ね。まさかあの傷で、そこまで元気だなんて」

 曹操が呆れる様に嘆息する。
 ゴンベエにしてみれば、こんな矢傷など日常茶飯事である。

 とはいえ、鎧のお陰で致命傷は避けられたといったほうが良い。
 戦国期の当世具足は、鉄砲に対する防御として胴丸に鉄板を仕込ませている。
 その防御力のお陰で生き残れたのだ。

 というよりも、その当世具足すら貫通する矢を放った人物の力を褒めるべきであろう。

「曹操、か……まあええわ。で、ワシはなんでこんな場所に閉じ込められとるんじゃ?」
「あなた……自分が何をしたか、覚えてないの?」
「? 確か……変なおなごの名を呼んだら、いきなり怒って殺されかけたのう」
「それよ、それ! まさか春蘭の真名を呼ぶなんて……」
「まな? なんじゃ、それは?」
「貴方っ…………あ」

 驚いた顔で曹操が叫ぶ。
 曹操にしてみれば、真名という存在を知らないとは思わなかったのである。
 だが、ゴンベエが大陸の者ではないと思っていたのも曹操である。

 であれば、真名と言うものの存在も知らない可能性も高い。
 それなのに、自分は夏侯惇の真名を口にして、あまつさえ名を聞いてみろと言ってしまった。

 明らかに自身の失態である。

「んっ……コホン。そ、そうね。私が気をつけるべきだったわ。貴方は何も知らなかったのよね……」
「……一人で何を納得してるんじゃ? で、その真名ってのはなんじゃい」
「真名はね……その人の全てと言ってもいい、真なる名前。その名前を預けるということは、自身の全てを預けるという意味なのよ。だから、本人の許可無く“真名”を口にすることは、問答無用で斬られても文句は言えないことなの」
「……まるで諱じゃな」
「いみ、な?」
「やはり知らんのか……ワシにもそういう名はある。本来なら口にも出さんが……まあしょうがない。ワシの諱は秀久。仙石権兵衛秀久というのがワシの本来の名じゃ」
「!? 貴方……真名を預けるというの?」
「は? じゃからワシには真名なんてない。諱とはの。本来は呼んではならんが、別に殺すほどのものでもないわい」

 諱は、本来呼ばれるべきではないが、他者が罵声で呼んだり、本人への呼びかけでないところで呼んだりすることもある。
 ゴンベエが信長を名で呼ぶのもこれで、本人に対しては上様や官名で呼ぶことが普通であった。
 だが、直接の上司であり、親しい秀吉に対しては、本人の呼びかけでなくとも『籐吉郎』と呼んでいる。
 これは、秀吉本人が諱がない、農民上がりであるが故だった。

「諱、ね……それでも貴方にとっては真名に等しいのでしょう。その名を私に言うということは、預けると受け取っていいのかしら?」
「別に構わん。じゃが、ワシを呼ぶときはゴンベエでいいわい。そういう意味じゃ、ゴンベエがその『真名』みたいなもんじゃ」
「……っ! そう……なら私も真名を預けるわ。華琳、これが私の名前よ。これからはそう呼びなさい。貴方の真名は秀久だけど、ゴンベエでいいのね?」
「うむ。まあ、そちらの方がワシとしても助かるわい。で、曹……じゃない、かりん、じゃったな。で、あのしゅ……と、居なくても呼んではならんのじゃな?」
「ええ。彼女は夏侯惇元譲。呼ぶなら夏侯惇にしておきなさい」
「はあ……めんどくさいのう。で、あのおでこの真名とやらを呼んだから怒ったというわけか?」
「プッ……」

 『おでこ』の渾名に、曹操が思わず噴出す。

「ん? なんじゃ?」
「い、いえ、コホン。そうよ。だから貴方に斬りかかった。本気で殺すつもりでね」
「……おっとろしいおなごじゃのう。もうやりおうたくわないわい」
「あら? その春蘭をあと一歩で殺すところだったのに?」

 曹操は試すように問いかける。
 だが、ゴンベエは間髪入れずに首を振った。

「無理じゃ。まともな立合いなら、百度やって百度殺されるわい。とても勝てる気がせん……が、戰場(いくさば)なら別じゃ。逃げて逃げて、いつかは勝つようにするがの」
「へえ……」

 曹操は素直に感心した。
 あの夏侯惇にまともでは勝てないと言いながらも、戦場では諦めずに勝つ方法を探るという。
 泥にまみれてでも、汚泥をすすってでも生き延び、最後には勝つ。
 目の前にいる若く粗野な男は、曹の大剣をそう語ったのである。

(自分の力量と、相手との力量差を正確に把握した上で勝てないと断じる。それだけならまだしも、戦場でならいつかは勝つとまで大言を吐く。なかなか度胸はあるようね)

 曹操にとって、好ましいのは生気溢れるものだった。
 足掻いてもがいて、それでも前進する者が好きだった。

 それこそが、『覇気』であるのだから。

「それで、ワシは確かあの『おでこ』を組み伏せてから記憶が無いんじゃが……この傷は何じゃ?」
「ああ、それね。秋蘭……夏侯淵の矢にやられたのよ」
「かこう、えん……?」
「春蘭の妹よ。姉が殺されかけて、とっさに矢を射ったわけ。胸に突き刺さったのに生きているから、びっくりしたわよ」
「胸…………てか、ワシの胴丸を矢で貫いたじゃと!? 鉄砲でも至近距離でなければ致命傷にならんというのに……」
「てっぽう?」

 曹操が首を傾げる。
 当然だ、この時代に鉄砲などは存在しない。

「……ふむ、やはり面白いわね。貴方は私の知らない様々なことを知っているわ。どう? その知識、その能力、この曹孟徳の下で生かしてみない?」
「む? どういう意味じゃ? ワシはすでにかみさんおるから、婚姻はできんぞ?」
「こ、こんいん!? な、何言ってるのよ! ばかじゃないの!? だれがあんたみたいなデコっ鼻を娶りたいというのよ!?」
「……? 違うのか? ワシはてっきり婿になって家を継げとでも言っておるのかと」
「貴方ね………………はあ。もういいわ。まずはお互いの状況を整理してからにしましょう」

 曹操は溜息を吐きつつ、見張りに合図する。
 見張りは、ゴンベエの牢の鍵を解き、木格子の扉を開けた。

「ともかく、こんなところでは落ち着いて話せないわ。城に来なさい。二人にも説明しなきゃならないしね……」




  *****




「春蘭! お座り!」
「わん!」
「…………姉者」

 曹操が城に戻ると、謁見室兼会議室でもある王座の間では、二人の部下が控えていた。
 曹の大剣、夏侯惇元譲。
 曹の名弓、夏侯淵妙才。

 二人共、曹操の一族であり、曹操を主と慕う忠臣であった。

「で、華琳様……いきなり姉者を犬のように座らせた理由(わけ)は?」
「その前に……秋蘭、春蘭を縛りなさい」
「え!?」
「な!?」
「いいから縛りなさい! 聞こえないの!?」
「か、華琳様……わ、私、なにかやらかしましたか!?」
「……華琳様、一体どういう……」

 二人は、突然のことにわけがわからないと泣きそうな目で曹操を見る。
 だが、曹操は笑顔で言った。

「そうね。まあ、折檻も確かにあるんだけど……理由があるのよ。いいから縛りなさい、秋蘭。しっかり、堅くね」
「…………わかりました」
「秋蘭!?」

 意を決した夏侯淵に対し、縛られようとする夏侯惇は、もはやガチ泣きである。
 自分はなにかとんでもないことをしたのだ、という疑心暗鬼で顔面も蒼白である。

「姉者……華琳様の言いつけだ。許せよ……」
「ぐすん……優しくしてね、しゅうらん」
「うっ………………」

 ヨヨヨと崩れ落ちる姉の姿に、シスコンの夏侯淵は思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる。
 しかし――

「ダメよ、秋蘭。絶対に解けないぐらいに縛りなさい。理由は後で教えてあげるから」
「…………姉者。諦めろ」
「うぅ…………」

 固い荒縄をこれでもか、と体に巻き付けていく。
 何重にも巻きつけ、夏侯惇をほとんどミノムシ状態にした夏侯淵が、やり遂げた表情で汗を拭いた。

「ふう。何故でしょう、すごくやりがいがありました」
「しくしくしく…………」
「……まあ、いいでしょう。春蘭はともかく、秋蘭なら落ち着いて話が聞けるでしょうしね。誰かある!」
「はっ! なにかごよ……………………」

 外で警備をしていた兵が王座の間に入ると、そこに寝転ばされた芋虫状態の夏侯惇を見て、絶句する。

「外で待っている彼の者を連れて来なさい…………あんまり見ていると、あとでどうなっても知らないわよ?」
「は、はっ! す、すぐに!」

 慌てて飛び出していく警備兵。
 それから程なくして、一人の男が王座の間に入ってくる。

「!?」
「なぁ!? き、きさまぁ!」

 その男――ゴンベエの姿に、夏侯淵は身構え、夏侯惇はミノムシの状態で跳ねまわった。

「…………どうなっとるんじゃ、これは?」

 ゴンベエは呆れたように頭を掻く。
 牢から出されたゴンベエは、自身の羽織を受け取り、着込んでいた。

「ふふ……まあ、こうでもしないと春蘭は、また貴方を殺そうとするでしょ? 貴方も変な気は起こさないことね」
「……まあ、ワシは別に恨みもないしの。あの時は殺気がすごかった故、殺らなければ殺られると思ったのでな。すまんの、おでこ」
「お、おでこぉ!? 貴様! 真名を呼ぶだけでなく、おでこ呼ばわりだと!? 殺す! やっぱり殺す!」
「むう……華琳よ、やっぱこのおでこは物騒すぎんか?」
「「 !? 」」

 ゴンベエの発言に、二人が急激に殺気立つ。
 ゴンベエも、その殺気に身構え――

「3人共、やめなさい! 王座の間であるぞ!」
「「 !? し、しかし! 」」

 曹操の一喝。
 だが、二人の忠臣はその主に抗議する。
 特に夏侯惇は、今にも縄を食い千切ろうとしていた。

 自身の真名だけでなく、敬愛する主の真名すら呼び捨てた男。
 百度殺しても殺し足りない程の怒り。

 だが、それも曹操の一言で霧散する。

「真名なら私が許したわ。ゴンベエが私の真名を呼ぶのは当然よ」
「「 なっ!? 」」

 二人は我が目を疑うように驚愕する。
 だが、それも当然だった。

 曹操が真名を許すということは、この男を認めたということに等しいのだから。

「それとね、春蘭。この男は大陸の外から来たの。真名というモノを知らなかったのよ」
「知らなかった…………ですが!」
「ええ、そうね。知らなかったでは済まされないわね。でも、この男――ゴンベエに貴方の名を尋ねろといったのは私。ゴンベエが真名を知らないであろうこともわかっていたはずなのに、ね。だから……」

 そう言って、曹操はミノムシ状態の夏侯惇に跪き、頭を下げる。
 その姿に、夏侯惇は目を見開き、夏侯淵は絶句した。

「ごめんなさい、春蘭……私が貴方の尊厳を傷つけたも同じよ。本当に……ごめんなさい」
「か、かり、かりん、さ……」

 夏侯惇は上擦り、夏侯淵は声も出ない。
 それもそのはずだろう。

 中国において、『謝る』ということは殆ど無い。
 謝罪をすることは、自らの否定を意味する。
 日本では謝ることが美徳という文化であるが、大陸は違う。
 謝る、という行為は、自らのみでなく、家族や社会的立場、コミュニティ全てに影響するとんでもない行為なのだ。
 だからめったに謝ることはない。

 ましてや、曹操が謝る相手は自身の部下なのである。
 自ら部下に対して膝を折るということは、自らの首を差し出す行為と同義である。
 つまり、ここで夏侯惇に殺されても文句は言わない。
 そう、曹操は夏侯惇に示しているのである。

 二人が絶句し、曹操が頭を下げて100は数えた頃。
 ようやく口を開く者が居た。

 だれであろう……騒動の張本人だった。

「華琳、よ。上に立つ者がそんなに気安く頭を下げるもんでもなかろう。ワシが悪いのじゃから、ワシが謝るわい」

 そう言ってミノムシ状態の夏侯淵の傍まで進み、その場で土下座するゴンベエ。
 その姿には、曹操も含めて三人共が驚いた。

 この土下座、これも中国では【稽首】と言い、皇帝や神仏にのみ使われる最高級の敬礼であり、尊敬や絶対服従を示すためのものであって、基本的に謝罪を意味するものではないのである。
 だが、別の意味ではそれを示した相手に絶対服従するという意味ともいえる。

「すまんかった。真名っちゅうんが、それほど大切なもんとは知らんかった。ワシには謝ることしか出来んが、華琳には非はない。許してやってくれんか」
「……貴様」
「……ふう。春蘭、私とゴンベエの謝罪、受けてくれるのかしら?」

 曹操の言葉に、はっとする夏侯惇。
 曹操とゴンベエを交互に見て――

「も、もちろんです! 華琳様に謝罪いただくなど恐れ多い………………え、ええい! 貴様! 名前は何だ!」
「む? ワシか? ワシは仙石権兵衛じゃ…………華琳よ、この場合は諱も言うべきかの?」
「…………ふむ、そうね。どうせなら預けちゃいなさい。春蘭、ゴンベエは貴方に自分の真名にも当たる名前を預けるそうよ?」
「な、なんですと!?」
「……まあ、真名ほどの意味は無いんじゃがの。ワシは、仙石権兵衛秀久じゃ。華琳にも言ったが、諱は本来、友人や家族でも呼ばん名じゃ。じゃから諱を知ってもゴンベエで頼む」
「………………」

 ゴンベエが正座をしつつ顔を上げる。
 その真摯な目に、夏侯惇は思わず顔を赤くして目を逸らせた。

「……どうしたの、春蘭。受け取らないの?」
「か、華琳さまぁ……」

 困って泣きそうな顔。
 正直、どう受けるべきか迷っているようだった。

「ふむ……まあ、そういうことであれば姉者も強くはいえんな。ゴンベエと言ったな。その諱とやら、真名ということで預けるということだな?」
「うむ。ここに来るまでにヌシの事も聞いた。自分の姉の危機であれば、矢を受けるのもやむなしじゃろう。逆に、ヌシの姉を手に掛けようとしていたことを詫びる、この通りじゃ」

 そう言って、今度は夏侯淵に土下座するゴンベエ。
 これにはさすがに夏侯淵も真っ赤になる。

「よ、よしてくれ! どうやらそれがお前の謝罪のようだが、大陸ではそれは神仏や皇帝に対してのみ行う絶対服従の仕草なのだ。私はそんな立場にいるものではない」
「む、そうなのか……? どうやら本当にここは日ノ本ではないんじゃのう。謝る仕方も違うとは」
「そもそも謝罪というものがな…………なるほど。ここまで常識が違えば、真名を知らずに呼んでしまうことも頷けるな」

 夏侯淵は苦笑して何かをしまう。
 それは隙あらば、ゴンベエを殺そうとしていた暗器だった。

「仕方あるまい、私は許そう。その上で……その諱とやら、私も預かって良いのかな?」
「む? ああ、普段呼ぶのでなければ別に構わん。ワシのことはゴンベエと呼んでくれ。えっと……?」
「ああ、すまない。自己紹介もまだだったな。私は、姓は夏侯、名は淵、字は妙才…………真名は秋蘭だ」
「しゅ、しゅうらん!?」

 妹が自ら真名を口にしたことに驚く夏侯惇。
 実はその横で曹操も驚いていた。

「姉者よ。この男は本気で詫びている。大陸の常識すら知らないのに、真名というものが大切なモノだと理解して、だ。ならば、相手の真名を受ける以上は、真名を預けるのが礼儀であろうよ」
「む、むぅ…………」
「……えっと、華琳よ。これはどうすればいいのじゃ?」
「ふふ……真名を預けられた者は、受け取って自身の真名も預けるのが礼儀よ。これからは秋蘭と呼んであげることが、貴方の礼儀よ」
「ふむ……では秋蘭よ。ワシの秀久も受け取ってくれい。ただし、普段はゴンベエで頼む。ワシにとっては、そちらが真名というようなもんじゃ」
「わかった、ゴンベエ。さて…………華琳様も私も彼の真名を受けた。姉者はどうするのだ?」
「うううううううううううううううううっ………………」

 頭を抱えたいが、ミノムシ状態では手も出せない。
 夏侯惇が、くねくねと動く様は、まさしく茶色い芋虫と呼ぶべきものだった。

「ええい! わかった! 貴様の謝罪は受け取ってやる! だが、真名は預けんぞ! 貴様の真名は預かっても、だ!」
「ふむ。まあ、別に構わん。許してもらえるのであればの」

 そう言って破顔するゴンベエ。
 その笑顔に、真っ赤になって顔を背けた夏侯惇。

 二人の様子に、曹操と夏侯淵は互いに顔を見合わせて笑うのだった。
 
 

 
後書き
次の更新は、年末休みがあれば多少書けるかも……
 
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