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銀河英雄伝説~悪夢編

作者:azuraiiru
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第二十三話 ガキの相手は御免だな



帝国暦 487年 7月 12日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



閣下が新無憂宮から帰って来た。歩くのが辛そう、急いで傍によって身体を支えた。
「大丈夫ですか?」
「新無憂宮は広いですね、流石に疲れました。それに右手に力が入らない、疲れてくると杖を上手く使えないんです」
「お一人で行かれるからです、小官が一緒なら……」
「総参謀長が杖ならともかく、女性に支えられていては皆が不安に思うでしょう」

閣下が苦笑を浮かべている。本当は嘘だ、また襲撃されて私を巻き込むのを怖れているのだと思う。特に私の事はリューネブルク中将から預かったと閣下は思っている。それだけに過敏になっている。
「応接室に行きます、話したい事が有るのでクレメンツ提督を呼んで貰えますか。中佐も話しには加わってください」
「はい、分かりました」

閣下を応接室に押し込むと急いでクレメンツ提督を呼んだ。三分ほどでクレメンツ提督が現れたので一緒に応接室に入った。閣下はソファーに座り足を投げ出して右足の太腿の部分を摩っていた。痛々しい光景だ。私達が入室すると摩るのを止めた。クレメンツ提督がソファーに腰掛けながら尋ねた。
「お疲れのようですが大丈夫ですか?」
「ええ、新無憂宮は苦手です。やたらと広いんですから」
クレメンツ提督が頷いた。

「それでお話とは?」
「結婚する事になりました」
「ほう、それは目出度い。で、お相手は?」
「グリューネワルト伯爵夫人です」
クレメンツ提督が目を剥いた。私も吃驚、グリューネワルト伯爵夫人って皇帝の寵姫のはず、どういうこと? 冗談?

「真実(まこと)ですか?」
クレメンツ提督の問いかけに閣下が頷いた。本当なんだ、信じられないけどこんなことって有るんだ。
「例の一件で伯爵夫人は大分責められているようですね」
「そのような話は聞いております」
「国務尚書はその非難の矛先がこのままでは陛下に向くのではないかと恐れているようです」
クレメンツ提督が頷いた。

「つまり国務尚書はグリューネワルト伯爵夫人が邪魔になったと、そういうわけですか」
「そういうわけです」
溜息が出た。ちょっとそれ酷くない? さんざん弄んどいて邪魔になったから他の奴にくれてやるとか。女をなんだと思っているのよ。大体何で受けて来るの? 断れば良いじゃない。

「閣下、御断りする事は出来ないのですか?」
「一度は辞退したのですけどね、まあこのままでは伯爵夫人が宮中から排斥される、酷い目に遭うだろうと言うのですよ。これ以上は宮中には置いておく事は出来ないと」
そこまで酷いの? ベーネミュンデ侯爵夫人、グリューネワルト伯爵夫人、皇帝の寵姫も楽じゃないわね。また溜息が出た。

「中佐、中佐には分からんだろうが皇帝が寵姫を下賜するというのは臣下に対する信頼の証なのだ。断る事は出来ん」
クレメンツ提督に諭された。私が不満を持っていると思ったらしい。まあ理屈は分かるんだけど感情では納得出来ないのよ。ベーネミュンデ侯爵夫人もグリューネワルト伯爵夫人もちゃんと面倒見られないなら寵姫になんかするなって言うの。

「負傷した閣下に償え、そういう意味も有るのでしょう」
「それも有りますが平民に下賜されるのですからね、グリューネワルト伯爵夫人を快く思っていない人達にとっては溜飲の下がる思いでしょう」
「なるほど、不満を散らそうというのですな」
「そうだと思います。そして寵姫を下賜するのだからしっかり帝国を守れという事でしょう」
クレメンツ提督が何度か頷いた。

「伯爵夫人を妻とされますか……」
「もう伯爵夫人では有りませんよ」
「というと?」
「迎え入れる条件として爵位、領地など陛下から頂いたものを返上する事を約束させましたから」
え? ビックリ。クレメンツ提督も目を見開いている。閣下が悪戯っぽい表情で笑い声を上げた。

「今では無一文に近いかもしれませんね」
「それは……」
クレメンツ提督が絶句してから苦笑を浮かべた。そんな幾らなんでも無一文は酷い、そう言おうとした時だった。

「私は平民である事に満足しているんです。あんな馬鹿共と一緒にして欲しく無いですね。爵位とか領地などで懐柔される等と思われたくない。私の息子がグリューネワルト伯爵になる? だから喜べ? 愚劣にも程が有る!」
もう閣下は笑っていなかった。見えたのは抑え切れない怒気。応接室の空気が一気に重くなった。

どれほどの時間が経ったのか、閣下がすっと怒気を収めた。
「私は疲れましたので今日は帰らせて貰います」
「分かりました」
「明日はリハビリに行きますから次に元帥府に来るのは明後日になります。何か有りますか?」

「面会希望者が一人います。パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐、出来るだけ早くお会いしたいと」
「パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐? 中佐、それは……」
「はい、例の敵前逃亡者です」

クレメンツ提督が驚いた様な声を出した。気持は分かる、私も彼が訪ねてきた時は驚いた。パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐、イゼルローン駐留艦隊から逃げ出した男……。顔色の悪い暗い表情の男性だった……。閣下が少しの間考えた。会うのだろうか? 印象から言えばあまり会う事を薦めたく無い人物だ。

「急ぐのであれば今日は自宅に居ると伝えてください。急がないのであれば明後日、元帥府に居ると」
「分かりました、大佐に連絡を取ります……」
閣下は会う事に決めた。何を考えたのか……。


閣下が帰宅した後、クレメンツ提督と少し話しをする機会が有った。
「爵位、領地を返上させたか……、国務尚書も当てが外れたかな」
どういう意味だろう、私が疑問に思っているとクレメンツ提督が笑みを浮かべた。
「平民達の多くは閣下に憧れの様なものを抱いている。国務尚書にとっては閣下は少々厄介な存在になりつつあるんだ」
「はい……」
私もそうだと思う、貴族に一歩も譲らない姿は平民達にとっては英雄の様に見えるかもしれない。

「伯爵夫人を下賜する事で貴族の仲間入りをさせる、いや仲間入りをしたと平民達に思わせる、そういう狙いが有ったと思う」
「つまり平民達に失望させる狙いが有ったという事ですか?」
「そうだ」
溜息が出た。この世界は魑魅魍魎の世界だ。

「ですが閣下は返上させました」
「そうだな、平民達は喝采を送るだろうな。だが国務尚書がどう思うか……。段々難しくなるな、難しくなる……」
提督は“難しくなる”と二度繰り返した……。



帝国暦 487年 7月 13日  オーディン  新無憂宮   マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ



新無憂宮の南苑に向かって歩いていると彼方此方で宮廷雀達の囀る声が聞こえた。柱の陰で三人の男が熱心に話している。
“御聞きになりましたかな、グリューネワルト伯爵夫人の事”
“ええ、聞きましたぞ。ヴァレンシュタイン総参謀長に下げ渡されるとか”
“驚きですな、伯爵夫人が総参謀長とはいえ平民にですか”
“罪を償え、そんなところですかな”
“なるほど”
笑い声が上がった。

無視して先を歩くと今度は着飾った女達が四人ほどいた。
“御聞きになりまして、グリューネワルト伯爵夫人の事”
“ええ、聞きましたわ。ヴァレンシュタイン総参謀長にお下げ渡しになるとか”
“総参謀長は爵位も財産も全て返上するならお受けすると言ったそうですわ。自分より金持ちの女など御免だと言ったとか”
笑い声が上がった。

“総参謀長も迷惑に思っていらっしゃるのでは有りませんの? 総参謀長が怪我をしたのも元はと言えばあの方の所為、それにあの方、総参謀長よりも御年上でしょう?”
“そうですわね、それでそんな事を言ったのかも。伯爵夫人から断って欲しいという事かもしれませんわ”
“陛下に縋りついてちょっと涙を見せれば簡単ですものね“
口調からは露骨なまでの侮蔑が感じられた。思わず言い返しそうになったが堪えた。先ずはアンネローゼに会わなくては、それに私がここで彼らを叱責しても彼女のためにはならない、むしろ陰にこもってネチネチと攻撃するだろう。

南苑の奥にアンネローゼの住居は有った。決して華美では無い、穏やかで繊細な感じのする部屋。部屋は住人の性格を表すというのが良く分かる。アンネローゼは一人ポツンとベランダに居た。いつもそうだ、この部屋には客は少ない。
「アンネローゼ」
「男爵夫人」
声をかけると微かに笑みを浮かべた。ゆっくりと彼女に近付く。並んで立ちながら庭を見た。外は眩いほどの夏の光に満ちている。

「聞いたわ、あれは本当なの?」
「ええ」
「陛下がそのように?」
「いいえ、国務尚書と宮内尚書が……」
アンネローゼが首を振った。なるほど、この件の仕掛け人は国務尚書リヒテンラーデ侯か、陛下は説得された、拒否出来なかった、そういう事ね。

「どうするの」
「……総参謀長の所に行こうと思います」
「いいの、それで? あの事件は貴女の所為じゃないわ、イゼルローン要塞が落ちたのも」
私の問い掛けにアンネローゼは視線を伏せた。

「確かにそうかもしれません、でも無関係ではないと思います。そして総参謀長が怪我をされたのも事実です」
「……」
「それに、これ以上宮中に居るのは危険だと言われました。いずれ反乱軍が攻め寄せて来る、そうなれば私を責める声、いえ処罰を求める声が出るだろうと。そうなった時、陛下は私を庇いきれないだろうと……。元々は私と侯爵夫人、そして陛下の問題なのですから……」
溜息が出そうになった。

「爵位と所領は如何するの?」
「全部お返しします」
「爵位はともかく所領は……、貴女、無一文になってしまうわ」
「多少の現金はあります。それに元々無一文でした。それに比べれば……」
クスッとアンネローゼが笑った。

「それにその方が安全だと……」
「安全?」
「ええ、無一文になって宮中を出ればもう責められることは無いだろうと。総参謀長が仰られたそうです」
「そうかもしれないけど……」

「明日、総参謀長と一緒に陛下に御挨拶をします、そして宮中を出ます。これからは総参謀長の官舎で暮らす事になります」
「官舎?」
「ええ」
皇帝の寵姫から軍人の妻、新無憂宮から官舎、我慢できるのだろうか?

「良いのね、それで。後悔しないのね?」
私が問い掛けるとアンネローゼが頷いた。愚問だったかもしれない、ここに居る事自体望んだ事ではなかっただろう。だとすればここを出る事になんの未練が有るだろう……。

「ラインハルトには報せたの?」
「いいえ、任務中ですから」
「報せた方が良いわ、私の方でやっておきましょう」
「でも……」
「きちんと報せない方が危険よ、変に敵意を持つ人間に教えられたらどうなるか……」


アンネローゼと別れ自邸に戻ると宇宙艦隊司令部にラインハルトと連絡を取る事の許可を申請した。本来なら任務中の艦隊に部外者が連絡を取ろうとすることなど許されない。だがラインハルトの任務は辺境警備、それほど重要というわけではない。許可を得る事は難しくなかった。

スクリーンにラインハルトが映った。
『男爵夫人、どうしたのです』
「アンネローゼの事で報せなければならない事が有って」
私の言葉にラインハルトの表情が歪んだ。

『知っています、ヴァレンシュタイン総参謀長に下げ渡されたという事でしょう。総参謀長から直接連絡が有りました』
「……そう……」
『理不尽だと思いました、許せないと。……気付いた時には総参謀長に色々と言っていました。非難したかもしれませんし、或いはもっと危険な事を言ったかもしれません』

「それで、総参謀長は?」
『黙って聞いていました』
「……」
『私が喋り終ると気が済んだかと言いました。そして気が済んだら二度と口に出すなと……』
「……」

『今のお前は皇帝の寵姫の弟ではない、これまでは許された事も今後は許されなくなる。憤懣に任せて口を開くなどと言う贅沢はこれが最後だ、肝に銘じろと……』
「……そうね、確かに最後だわ」
総参謀長は私以上にラインハルトの事を知っている。たかが辺境警備の一少将を? 怖いと思った。

『アンネローゼにお前を守る力はない、自分もお前を守るつもりは無い。己の身は己で守れと』
「己の身は己で守れ……」
スクリーンに映るラインハルトが頷いた。そうね、だから私も連絡したのだけど必要なかったようだわ。冷酷なまでに現実を教えてくれた人が居る。

『失敗すれば何かを失う。自分はリューネブルク中将と足首から先を失った。お前が何を失うかはお前の愚かさとオーディンが決めるだろうと……』
「……」
『まるで相手にされませんでした』
ラインハルトが悄然としていた……。


 
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