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銀河英雄伝説~悪夢編

作者:azuraiiru
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第十九話 トリップするのは止めてくれ



帝国暦 487年 4月 15日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「そなたがヴァレンシュタインか。平民ながら宇宙艦隊の総参謀長とか。なかなかの出世ぶりじゃな」
艶やかな笑みを浮かべてはいるが明らかにこちらを蔑んでいる。侯爵夫人とは名乗っているが元は貧乏貴族の娘だろう。大体皇帝の寵を失った寵姫なんて羽を失った鳥と一緒だろうが。何様のつもりだ。

「如何したのじゃ、口が無いのか?」
「申し訳ありません、どちら様でしょう。初対面だと思うのですが」
「妾の事を知らぬと申すか!」
あらあら怒ったよ。プライドズタズタかな。でも初対面なのは事実だ。出来れば会いたくなかったがな。

「何分平民ですので宮中の事は疎いのです。知らない人が多くて困っています」
「なるほど、宮中の事は知らぬか。平民では無理も無い」
侯爵夫人が可笑しそうに笑った。機嫌が直ったようだ。まあ知らない人が多いのは事実だ。もっとも知らなくて良い人間が多いのも事実だが。あんたはその筆頭だな。

それにしてもあの樽女、リヒテンラーデ侯に繋がっているのかと思ったがこの女に繋がっていたのか。あの時俺とラインハルトの関係をしきりに探ってきたがこの女の差し金か。なるほどな、リヒテンラーデ侯がいくら皇帝の寵姫の弟とはいえ辺境警備の一少将の事等気にするわけが無いか。この世界のラインハルトは未だ微小なのだ、俺は過大評価していたようだ。

「妾はベーネミュンデ侯爵夫人じゃ」
「それはそれは、始めて御目にかかります。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン上級大将です」
ちょっと驚いた様な表情を浮かべてみた。じゃないと嫌がらせをしていたとバレるからな。侯爵夫人は満足そうに頷いている。単純だな、オバサン。

「そなたに頼みが有るのじゃ」
「はあ、頼みですか。小官に侯爵夫人のお力になれる様な事は余りないと思いますが……」
厄介事の臭いがぷんぷんする。出来るだけ無力な平民を演じよう。

「ラインハルト・フォン・ミューゼル少将をそなたの元帥府に入れて欲しいのじゃ」
「はあ?」
思わず間抜け声が出た。ウチの元帥府に入りたがっている奴は結構多い。何と言っても昇進が早いのだ。おまけに若い奴が多いから風通しも良い。人気急上昇なのだがこの女がラインハルトの口利きをする? 有り得んな、何が目的だ?

「どうじゃ」
「どう、と言われましても……、小官が勝手に御約束できる事では有りませんし」
俺が答えると侯爵夫人は苛立たしそうに首を振った。
「何を惚けた事を……。グリンメルスハウゼン元帥府を仕切っているのはそなたではないか。グリンメルスハウゼン子爵、あのボンクラに何が出来よう、居眠りぐらいしか能が有るまい」
そんな事は、と反論したいんだが周知の事実だからな。

「失礼ですが伯爵です、今回の武勲によりグリンメルスハウゼン伯爵になりました」
出来るだけ生真面目に答えたが侯爵夫人は気にした様子を見せなかった。自己中な女は苦手だよ。

「辺境などに居られては不便ではないか。オーディンに呼び戻すのじゃ」
「……」
「あの小僧を捻り潰し、あの女に苦しみを与えてやる」
なるほどな、それなら納得できる。それにしても目がいっちゃってるぞ。宙を見つめながら恍惚としてるんだ。何かを想像してトリップしているようだが何を想像しているのかは知りたくない。薬無しで飛べるとは、とんでもない女だな、いや健康的なのか。

「あの女が猫を被って……、陛下の御心を盗んで、そして私に優越感を誇示しようとしている! ああ、あの女に私が味わった苦しみを十倍にして与えてやりたい……」
ウンザリだった。少しは桜の潔さを見習え。そうすれば惜しんでくれる人間も居る。今のお前はただ厄介で鬱陶しい存在でしかない。

侯爵夫人が俺の方を見て寒気のするような笑みを浮かべた。ギョッとした、まさか俺の考えが分かったとか無いよな。
「どうじゃ、次の出兵であの小僧を連れてゆき戦闘のどさくさに紛れて殺してはくれぬか?」
「!」
何言ってるんだ、この馬鹿。

「そなたの様に武勲を上げてその地位を得た者にとってはあの女の弟というだけで出世している小僧など許し難い存在であろう」
「……」
「どうじゃ、叶えてくれるのなら謝礼はするが」
部屋に瘴気が漂った様な気がした。人が毒を吐くってのはこれか……。

「侯爵夫人、小官は軍人なのです。軍人の仕事は帝国の安寧を守りそれを脅かすものを打ち払う事。ミューゼル少将は味方です。少なくとも今のところは帝国の敵ではない」
俺の言葉に侯爵夫人の顔が変わった。眼が吊り上がり憎悪で燃え上がっている。常軌を逸しているな。

「妾のいう事は聞けぬと言うか! そなたは分からぬのか? 何時かあの女は陛下を惑わしあの小僧を今以上の地位に就けるであろう。そうなっては遅いという事がそなたには分からぬのか! それともあの女の味方をするというのか!」
胸を喘がせ息を切らしながら言い募った。

「味方? 誤解なさらぬように。宮中の諍いを軍に持ち込むなと言っております。先日の軍法会議をお忘れか? 軍に宮中の諍いを持ち込んだが故に多くの将兵が無意味に死にました」
「所詮は卑しい平民ではないか!」
俺も卑しい平民だよ。だがな、本当に卑しいのはお前らの心だろう。その顔を見て見ろ、心の卑しさが滲み出ている。

「貴族も処罰を受けましたよ、侯爵夫人。爵位を削られ領地を没収されました。それが貴族にとってどういう意味を持つか、お分かりでしょう」
「……」
なるほど、そうか。フレーゲルは失脚した。この女は宮中に協力者を失ったのだ。その代わりに選んだのがこの俺か、ラインハルトを元帥府に呼ばない事で仲が悪いと思ったのだ。馬鹿馬鹿しいにも程が有るな。

「宜しいか? 軍に宮中の諍いを持ち込むのはお止めいただきたい。警告はしました、では失礼させていただきます」
侯爵夫人が何か騒いでいたが気にせずに部屋を出た。一生その部屋に居ろ、ドアに御札を貼って封印してやる……。



「それで、どうなさったのです?」
「帝国軍三長官に報告しました。それとミューゼル少将にも連絡を。暫くは辺境に居ろ、念のため身辺に注意しろと伝えました」
「グリンメルスハウゼン元帥には」
「一応は」
「なるほど」
クレメンツが頷いている。そして俺を見た。

「では何を御考えなのです。問題はないと思いますが」
「余計な事をしたかなと。あの夫人の話に乗る者などいないでしょう。勝手に夢を見させておけば良い。それより下手に騒ぐと暴発するかもしれない、その方が危険だったかと思ったのです」
“うーん”とクレメンツが唸った。

「しかし大人しく夢を見ているでしょうか、夢と現実の区別がつかなくなるのも危険です。お話を伺うと侯爵夫人は夢を見ているというより現実が見えなくなっているようにも思えますが」
「……」
なるほどなあ。原作の暴発は周囲があの女をつつき回したから起きた、つつく奴が居なければ起きないと思ったんだが……。

「閣下の身辺警護を厳しくしましょう」
「今の警護で十分ですよ……」
「念のためです。リューネブルク中将にも協力してもらいます。それでなくても閣下は貴族達から恨みを買っているのです。軽視すべきではありません」
やれやれだな、溜息が出た。



宇宙暦796年 4月 15日    ハイネセン  統合作戦本部  ヤン・ウェンリー



「ヤン准将、ビュコック司令長官から話しは聞いた。イゼルローン要塞を攻略するか」
「はい、このままでは司令長官は弱いままです。宇宙艦隊を統率出来ないでしょう。それがどれだけ危険な事か」
「確かにそうだな」
私の言葉にシトレ本部長は苦い表情で頷いた。本部長室には私と本部長以外は誰も居ない。本部長は執務机に、そして私はその前で立っている。

前回の戦いは第十一艦隊司令官、ウィレム・ホーランド中将の命令違反により同盟軍は敗れた。それが無ければ勝てただろうという意見が軍内部では出ている。実際帝国軍でも命令違反としか思えない行動をしている艦隊が有ったのだ。ホーランド中将の馬鹿げた行動が無ければ勝てたと言うのは根拠のない意見では無い。

ビュコック司令長官の統率力が弱過ぎる、いやそれ以上に各艦隊司令官がビュコック司令長官の権威を認めようとしない、今後もそれが軍事行動に影響を与えるのではないかと宇宙艦隊司令部では危惧されている。そしてその危惧は宇宙艦隊司令部だけのものではない……。

「帝国では軍法会議が有ったそうだ。命令違反をした司令官二名は死刑になったらしい、それに関与した貴族も何名かが処罰を受けている」
「帝国では違反者が生きていました。だから処罰を下す事で権威を保てます。しかし同盟は……」
私が口籠ると本部長が後を続けた。

「ホーランド中将は戦死したからな、同盟軍はそれが出来んというわけだ」
「はい」
シトレ本部長の表情が益々苦いものになった。
「だからイゼルローン要塞を攻略する事でビュコック司令長官の権威を上げるか……」
「そうです、すでに準備は殆ど終わっています」
後は本部長の決断次第だ、それを言外に滲ませた。本部長が私を見て溜息を吐いた。

「ビュコック司令長官からは君の作戦案で攻略させて欲しいと要望が出ている。失敗すれば辞任する覚悟のようだ。司令長官である事の意味が無いと言っている」
「……」
「……失敗は許されん、良いね?」
「はい」



帝国暦 487年 5月 13日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「妙な事になりましたな」
「そうですね」
「随分と急な事ですが」
「全くです。余程に怒ったらしい」
元帥府の事務局長室でリューネブルクと二人、顔を見合わせた。

ベーネミュンデ侯爵夫人がオーディンから追い出される事になった。当初俺が帝国軍三長官に報告した時にはそんな事になる気配はまるで無かった。三人とも気でも狂ったかと言いたそうな顔だったからな。事実統帥本部総長シュタインホフ元帥はそれを口に出した、“馬鹿に付ける薬は無いな、放っておけ”。俺も全くの同感だ。

実際あの女が辺境に居るラインハルトを殺せる可能性は無かった。三長官が放置したのも間違いとは言えない。それにラインハルトを辺境に置いておく理由にもなる。馬鹿女が夢を見てトリップしているだけなら何の問題も無かった。鬱陶しくは有るが害は無いと判断したのだ。

ところが帝国軍三長官が国務尚書リヒテンラーデ侯に報告した辺りから雲行きが怪しくなったらしい。リヒテンラーデ侯は俺や帝国軍三長官と違いこの一件をかなり重視したのだ。その理由は例の馬鹿八人衆だ。あいつらの所為で軍は七十万人以上の死者を出した。そのほとんどが平民達だ。

クライスト、ヴァルテンベルクが死刑になったとは言え元はと言えば貴族達の余計な口出しが原因だ。平民達の間に貴族に対する不満が高まったと国務尚書が判断してもおかしくは無い。そんな彼にとってはこれ以上の貴族の不祥事は有ってはならない事だった。

ましてそれが皇帝の寵姫の争いとなればどうだろう、非難は直接皇帝に向けられかねない。国務尚書が最も恐れる事態の発生だ。国務尚書が侯爵夫人に注意を与えたのも無理は無かった。だがこれはあくまで注意だった、排斥では無かった。言ってみれば少し大人しくしろ、そんなところだっただろう。

ところが馬鹿女の方が過剰反応した。アンネローゼが国務尚書を動かした、自分を排斥しようとしていると思い込んだ、典型的な被害妄想だな。だが怒り狂った馬鹿女がアンネローゼを殺してやると騒ぐのを聞いて出入りの宮廷医、グレーザーが怯えた。正確に言えば耐えきれなくなった。何時か自分も捲き込まれるのではないか……、そうなれば一体自分はどうなるのか?

グレーザーは例の侯爵夫人が伯爵夫人を殺そうとしているという手紙を何人かの人物に送った。彼から見て侯爵夫人を止めてくれるだろうと思えた人物にだ。国務尚書、軍務尚書、統帥本部長、宇宙艦隊司令長官、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、そして俺。グレーザーはグリンメルスハウゼンには出さなかった。宮廷医にもグリンメルスハウゼンは頼りにならないと見えたらしい。やれやれだ。

事態は急激に動いた、俺が動く暇など全く無かった。警告を無視された国務尚書が誰よりも先に動いたのだ。皇帝の寵を失った寵姫など無用の長物、ひっそりと大人しく過ごすならともかく分をわきまえずに騒ぎ立てるとは何事か! 国務尚書にしてみればベーネミュンデ侯爵夫人は帝国の安泰を揺るがす反逆者に等しかった。その憎悪がもろに侯爵夫人に叩きつけられた。何時まで過去の幻影に縋りつくのか、現実を見ろ、そんな気持ちだっただろう。

直ちに領地に戻りその発展に努めるべし。それが彼女に与えられた皇帝の命令だった。それに先立ちオーディン、或いは周辺星域に有った彼女の荘園が全て取り上げられ代わりに辺境星域に新たに荘園が与えられた。事実上の流刑に等しい。頭を冷やせ、殺されぬだけましだと思え、そんなところだろう。

問題はあの馬鹿女が大人しく辺境に行くかだな。暴発してアンネローゼを襲わなければ良いんだが。ラインハルトが居ないからな、アンネローゼは無防備と言って良い。一応リヒテンラーデ侯には注意しておいた。キスリングにも言っておいたから問題はないと思うが……。全く何で俺がこんな事を心配しなくてはならんのか、馬鹿馬鹿しい。

そろそろ帰るか、資料を作っていたら今夜も九時を過ぎた。原作だとヤンのイゼルローン要塞攻防戦が始まる頃だ。だがこの世界ではアスターテ会戦が起きていない。つまりシトレの立場はそれほど悪くない、となると起きない可能性も有る。先日の戦いも損害だけで言えば帝国と同盟に大きな差が有るわけじゃない。起きるかな、どうも起きないんじゃないかと思うんだが……。

念のため注意喚起だけはしておこう。今じゃなくてもいずれは起きる可能性は有る。資料は出来ている、明日グリンメルスハウゼンに提出しその上で三長官に報告する……。紙に書いておかないとあの爺さんすぐ忘れるからな、おまけに呑み込みが悪い、困ったもんだ。


 
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