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短編集

作者:高村
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ありがとう、って。

 
前書き
毎日同じことを繰り返す大人の、ふとした瞬間に見つけた逃げ道。
偶にはテンプレートを抜けだして、そうしてずっと逃げていたい。

 

 
 ありがとうって言葉、最後に聞いたのいつだったっけ。


 電車の座席に腰を下ろして、意味もなく空中で視線を泳がせる。車窓からの景色は、もうとっくの昔に夜の帳が下りて何も見えず、かといって携帯を弄る気にもならないから、視線は電車内の広告に止まった。
 原下田神社祭
 地元の神社の祭りだ。規模はそんなに大きくはない。ローカル線らしい広告だった。そうしてこれは、日付を見るに、もう終わっていた。余計にローカル線らしい。
 左手につけた腕時計で時刻を確認する。十時半。我が家につくのは十一時程になるだろう。一時には寝て、翌日の六時に起きないといけない。
 視線を窓の外に向けた。田舎を通るこの路線は、都会のように街頭がひっきりなしに過ぎ去っていくということはなく、時々見える民家や信号の灯りが、ふと現れて後ろに過ぎ去るだけだった。
 明日も会社、明後日も会社、これまでそうして続いてきた私の生活は、これからもそうして続くだろう。考えなおすと、酷く憂鬱な気持ちになった。
 朝起きて、用意をして出社して、仕事をして、適度に残業をこなしながら帰宅して、寝る。これの繰り返し。既に私の中には所謂ルーチンワークしている動作だ。そうして、今の私の立場(ステイタス)でもある。これをこなさぬ私は、周りから見る私ではないし、そうしてその私は必要とされていない。
 機械のような毎日。楽であるように、効率的であるように徐々に徐々に進化して行った結果、無駄という生物らしさすら削れていったテンプレート。肉体の負荷は軽減されて、心のゆとりも漸減された毎日。成功の喜びですらかなぐり捨てて、只々行動するだけの日々。

 だから、いつからか利己的に考えて、他人を思うという余裕すらなくして、気づいていたら、それが当たり前になってしまっていて。だからふと、こんなことを考えてしまうのだ。
『ありがとうって言葉、最後に聞いたのいつだったっけ。』
 どうせ、電車にはあと十数分乗っているのだから暇つぶしにちょっと考えてみた。
 ここ最近はない。ただ会社と家を往復し、指示に従い結果を出すだけの毎日。
 では今年に入ってからは? もう十月を過ぎるが、中々思い出せない。
 嗚呼、そうだ。店で確か言われた気がする。唯それはテンプレート。店員の、そうである形だ。
 そうして、どんどん記憶を遡っていって、ほんの小さい時に言われただけなんじゃないかと思って悪寒が走った時、先ほどの広告がまた目に入った。
 原下田神社。そうだ、聞き覚えがある。小さい頃住んでいた家から、幾許(いくばく)か離れたところにある神社。そこで、確か言われた。あれはそう、高校生の時に。
 では、誰に?
 それが思い出せない。誰かに言われたんだ。ほんの小さなことをしてあげただけなのに、誰かは見ている方も釣られてしまうくらい気持ちがいい笑顔をして、ありがとう、と。
「……ふ」
 小さく息を吐く。過去と今との差が激しい。もう、こんな毎日を続けるのは嫌になってしまっていた。これを続けることが苦痛だ。続けられていけても、変わってしまった自分が恐ろしい。いっそのこと、明日から私がいなくなれば、こんなこと思わなくてもいいのに。
 そこまで思って、小さく笑う。会社を休んでどうするのだ。暮らしてはいけない。
 じゃ、生きなければ?
 それこそ失笑してしまう。生きるために苦行を犯し、逃げるために死を選ぶなんて……
「あれ?」
 なんて当たり前なことを?
 そうだ、生きるということには苦痛が付きまとう。では逆は?
 今まで何でも努力してきた自信はある。逆も、やってみようか。
 明日の会社は、無断欠勤だ。場所は、あの神社でいいだろう。


 翌朝、ベッドから起きると、もう日はかなり上っていた。七時八時ではもう既に無いだろう。床には、六時を指して止まってしまった目覚まし時計が、その白い筐体にヒビを入れて転がっていた。そういえば、今日は時間に縛られまいと思って、かけたままだった目覚まし時計を壁に投げつけたのだった。よもや壊れてしまうとは。
 起きてからは、はじめに朝食をとることにしていたが、今日は気分を変えてみようと思い、身支度をした。ゆっくりと一時間以上をそれにかけ、意気揚々と荷物を入れたバッグを肩に掛けて玄関に向かった。壁掛け時計は、既に十一時を指していた。
 駅に向かう途中、以前から気になっていたパン屋によって、美味しそうなパンを五つばかり買っていった。以前からと言ってももう一年以上も前からで、気にはなっていたけどテンプレートに従っていた毎日では買いに来ることもなかったのだ。
 駅について電車を待つ途中、一つを食べた。半月状のカレーパンで、辛味が少なく食べやすかった。
 今気づけば、朝起きてから携帯を確認していなかった。何気なく開いて、後悔。上司からの電話が何通か入っている。伝言なんて、何を言われるか決まっている。開かないに限った。

 家の最寄り駅から四つ程離れた駅に降り立つ。この駅の直ぐ傍に、原下田神社があるのだ。
 駅舎から出て、直ぐ前の道路を右に曲がり、次の交差点で左。時間にして、都合十分程で目的の神社についた。早速鳥居をくぐる。昔ここに来た際に、誰かに言われた真ん中を通ってはいけないという言葉を思いだして。
 長い石段を登る途中、気づけば前から女性が降りてきてた。歳は私とあまり変わらぬ年齢だろう。あまり長く見るのも悪いので、視線を外す。彼女は私の横を通り過ぎる時に、何故かちょっと吃驚して私を見た。だが彼女は何も言わず、そのまま過ぎ去る、かに思えた。
「すいません」
 後ろから声をかけられた。振り返ると、当たり前だが先ほどの女性。
「ここから駅までの道ってわかります?」
「ここの境内を抜けた先の道路を右に曲がって、更に次の交差点を右に曲がって暫くしたら見えますよ」
「そうですか」
 彼女は本当に小さく、多分をつけていいくらいの小ささで、笑ったと思う。
「ありがとうございます」
 そう言って、彼女は階段を降りていった。
「ありがとう、か」
 彼女がさった後独りごちる。いつかの記憶が重なる。嗚呼、これが最期に人と交わす言葉になるだろう。この偶然に無性に感謝したくなた。
 石段を登り切ると、神社の本殿がある。そこから少し右手に入ったところに黄色と黒のロープが張ってあった。ここは昔立入禁止区域だった。今もそうであって安心する。
 周りに人がいないことを確認してロープをくぐり、奥に移動していく。といっても、先は短い。百メートル程歩けば、この神社がある丘の頂上だ。ここは嘗て神社が会った場所で、本殿はもうこの下に移されている。崖の近くに歩み寄れば、駅も見えた。
 人が来てもなるべく見えにくい位置にある木を探して、手早く持ってきた布切れをかける。ロープなんてものを態々(わざわざ)買いに行く気も起きなかったからだ。
 なんとか苦労して布を木に括りつけると、不図持ってきていたバッグの事を思い出した。まだパンが四つ残っていた。最後の晩餐と洒落込もうと思って、本殿のところに戻ってパンを食べた。なんとか三個は食べれたが、残りの一個は食べきれなかった。
 本殿を見て、あることに気づく。そうだ、財布も持ってきていたのだ。バッグから財布を抜き出して、賽銭箱の近くまで歩む。二礼二拍手の動作を、幾分か適当に済まして、財布の中身を逆さにした。小銭が落ちる音がする。更に挟まっていた現金を落として、鈴を鳴らす。お願いごとも神様への挨拶もする気が起きなかったけど、先ほど私にありがとうと言葉をかけてくれた人に対する感謝は、したくなった。
 ひと通り済ませて、また丘の上に登る。手頃な石をなんとか拾って台にして、布切れと首の位置を合わせた。
 最期にこの丘からの景色を眺めて、踵を返し布切れの前に対峙する。
 さぁ動作はシンプルだ。さらば現し世、其処に住む人よ。私は先に逝ってくる。
 最期に足元の石の台を蹴り飛ばす瞬間は、ある意味晴れやかだったと言ってもいい。
 
 

 
後書き
思いつきでやってしまったシリーズ第二弾。
名前も細かい設定も全部飛ばして飛んでった話。性別すら決めてなかった。
前回とは打って変わって冬の初めの山。着想から一時間十分、書き始めてからは一時間で終わるという私にとっては速い執筆。その分かなりの部分で適当。というか十分でこんな感じでいいかなーと思って書いている内に考えついたこと書いただけ。
前回のは中々好きだったけど、今回は話の内容は微妙。ちょっと後悔。 
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