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蒼き夢の果てに

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第5章 契約
  第68話 再び夢の世界へ

 
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 第68話を更新します。

 次の更新は、
 8月10日 『ヴァレンタインから一週間』第26話
 タイトルは、『わたしも一緒に』です。

 その次の更新は、
 8月14日 『私は何処から来て、何処に向かうのでしょうか?』第10話
 タイトルは、『目覚めたのは、天上天下唯我独尊的美少女だそうですよ?』です。
 

 
 音に成らない音が、闇の中に響いた。
 今日と昨日の狭間の時間。昼の間にも人口密度の低いこの屋敷内には、夜の静寂(しじま)に沈んだこの時間帯に余計な音が響く訳はない。

 そして――
 そしてまた、音が鳴り響く。この音は結界が無効化された証拠。

 俺の左腕に巻かれた古い腕時計のすべての針が同じ方向を指した瞬間、それが始まった。
 床から、壁から、天井から。じわじわと染みのように浮かび上がって来る黒き影。
 いや、違う。それは影ではない。何故ならば……。

 不気味にうねるように床へと広がって行き、ゆっくり、ゆっくりと深き水底から立ち上がって来るかのような黒き影。
 その影がまるで地下から続く見えない階段を昇るが如く一歩、また一歩と進む毎に大きく、そして徐々に高く成って行き……。

 刹那。蒼い闇に覆われていた室内に、強力な光源が発生した。

 そう。それは、俺の右手に発生した光輝。俺の霊気を受けて活性化した七星の宝刀が、それに相応しい光輝を放ち始めたのだ。

 恨むなら、俺を恨め!

 そう、何者かに願い(祈り)ながら、最初に顕われた黒い疫鬼に対して、下段より振り抜かれた蒼銀が一閃!
 右から左に抜ける光輝(ひかり)の断線が立ち上がった直後の疫鬼を上下に両断し、次の瞬間には、ビシャンと言うまるで床にバケツの水をぶちまけたような音と共に、元の黒い影へと還って行く。

 その瞬間、激しい衝撃が俺の心を埋め尽くす。
 俺の心をひりひりとさせるような……。すべてを焼き尽くすようなこれは……。

 怨念。

 まるで、触れた物すべてを陰火として燃え尽くすような疫鬼の怨みと執着が、俺の心に襲い掛かったように感じられたのだ。

 しかし!
 しかし、そんな怨みすらも無情に振り払い、俺は次の術式の構築を行う。

 果たして疫病をばら撒く奴らが悪鬼なのか、今の俺の心がそれなのか判らぬ様で。
 その瞬間、俺の左の頬に走る紅い一筋と、左脚に感じた身体の内側が弾けるような感触。

 次の瞬間、轟音と共に撃ち降ろされる雷光。俺の召喚した雷公の腕が、実体化した直後の疫鬼数体を貫き、まるで水風船が弾けるようなあっけなさで、黒い影から黒い染みへと還し、直ぐに元の何も存在しない通常の夜の寝室に戻って行かせる。

 しかし、そんな物は焼石に水。

 そう。何時の間にか俺の存在するタバサの寝室内は、真っ黒な影で覆い尽くされて居たのだ。
 そして、そいつらの目的は俺ではない。
 その醜悪な姿で、床を這いずるように、黒き影を引きずるように、天蓋付きの豪奢な寝台にて眠る蒼き吸血姫へと迫る。
 その瞬間、今度は、額と右のわき腹が弾けた。

(チッ)!」

 口訣の高速詠唱、導引省略の形で四方に呪符を放ちながら、霊力で強化した右足で、脇をすり抜けようとした疫鬼の痘痕(あばた)に覆われた頭を粉砕。
 右足に嫌な感触と、奴らの構成物質の黒い染みを残して、一体の疫鬼が元の黒い影へと還る。

 その一瞬の後、俺の手から放たれた四枚の呪符が、それぞれ直径三十センチメートルほどの火球へと姿を変えた。

 呪符に籠められた霊気に因り活性化された炎の小さき精霊たちが宙空に舞い、
 燃え盛る四つの火球が光源となり、蒼き静寂の世界に沈むタバサの寝室を紅く照らし出し、明と暗を因り顕著に浮かび上がらせた。
 そう。俺の属する世界の()と、疫鬼が属する世界の()を。

 それぞれの火球が、俺の後ろに眠るタバサに(すが)り付こうとした疫鬼を吹き飛ばし、大気を揺らす衝撃波と、壁に黒い焦げを作り上げる。

 四方から掴み掛かって来る疫鬼の腕を、頬と、額に発生していた裂傷から発する紅い液体にて宙に、上から下への直線を描きながら身体を沈める事により頭上に躱し、その時の自らの目線の高さで蒼き光輝を一閃。
 自らの左と正面に存在する疫鬼を腰の辺りで両断した直後、上空から振り下ろされる二本の腕を左後方に後転を行う要領で辛うじて空を斬らせる。

 そう。今回の戦いも、例え指先一本で有ろうとも、奴らに触れられると非常に危険な結果を招きかねないリスクの高い戦い。
 無傷か、それとも死か。俺に取っては非常に不利な戦いを強いられている状態。

 何故ならば奴ら……。疫鬼に触れられた瞬間に、俺は末期の疫病患者と成る可能性が有ります。確かに、現在の俺は呪詛用の形代で護られているので、一度だけは無効化出来るとは思いますが、その一度は貴重な一度。簡単に消費して仕舞って良い物では有りませんから。

 後方への回転を行う瞬間、放たれる呪符。
 その瞬間、顕われる俺の姿をした分身。その数は三。

 新たに現れた彼らは剪紙鬼兵(せんしきへい)。但し、普段ならば十人以上実体化させる事も可能な剪紙鬼兵も、今回は戦場がタバサの寝室で有る事と、その他の部屋。タバサの身代わりを配置した部屋に湖の乙女や、俺の式神たちと共に配置されて居る為に、この部屋に割ける人数はどうしても少人数と成って仕舞うのは仕方がない。
 最初の剪紙鬼兵が疫鬼一体と相殺された瞬間、俺の右腕に裂傷が走った。
 しかし、その貴重な時間が自らの体勢を立て直す暇を与え、立ち上がった瞬間に雷公の腕を召喚する。

 光が虚空に弾け、轟音と共に床を揺らした。

 一瞬の光が疫鬼の顔を闇に浮かび上がらせ、その目の眩みが消え去る前に、不気味な水音にも似た響きを残して更に数体の疫鬼が姿を消した。
 このオルレアン屋敷。そして、このタバサの寝室自体にも、かなりの魔術的強化が施されている。
 但し、それも流石に限度が有る。
 もし、このまま疫鬼の数が増え続けて行けば、何時かはその強化に綻びが発生し、戦場自体を破壊する時が来る事も……。

 しかし! そんな弱気が心の中に発生したのも、正に一瞬。
 右脚で床を蹴り、大きく腕を振り上げた疫鬼の懐に入り込み逆袈裟斬りの形で斬り伏せて仕舞う。

 そう。清き光りがひとつ閃く度に、床に黒き染みを作り上げられて行くのだ。俺を捕らえようと伸ばした腕が斬り跳ばされ、隅に追い詰めようと踏み出した亡者の足が前に出される前に身体が二分される。
 そして、次の瞬間には、元の黒き染みとなって、何処か遠くの世界に還って行く。
 その瞬間、二体目の剪紙鬼兵が一体の疫鬼と相殺された。

 後、残り一体の剪紙鬼兵。そして、最初は部屋を埋め尽くすほど存在していた疫鬼たちも、残り――――
 今、一体を屠り、残り三体。

 左肩から脇腹に抜けた蒼銀の閃きに続いて、黒い何かを噴き上げる疫鬼。その黒い体液にも似た何かが俺を穢して行くが、しかし、それも直ぐに消える。
 その勢いのまま左脚を軸にして半回転。俺の右脇をすり抜けようとした疫鬼の背中を、下段から斬り上げた一閃。

 残りは一体!

 その瞬間、背中に触れた感触が全身に怖気を走らせた。
 そう。それはまるで、瞬間的に身体から大切な何かを奪われたかのような、悪寒と吐き気をもたらせる異常な感覚。
 しかし、それまで。自らを護る為に施した形代が黒く変色して行くのを感じながら、右手に握った七星の宝刀を逆手に持ち直し、左脇の下を通して……。



 そうして……。
 そうして、次の瞬間。
 未だ寝台の上で眠り続ける眠り姫の寝室は、元通り、秋の長い夜に相応しい静寂を取り戻していたのだった。


☆★☆★☆


 明けて翌朝。十月(ケンの月)、 第二週(ヘイムダルの週)、オセルの曜日。
 いや、今日に関しては別の呼び名が有りましたか。このハルケギニア世界に召喚されてからコッチ、この日にはかなりの確率で厄介な事件が起きるふたつの月が重なる夜。
 スヴェルの夜、と呼ばれている呼び名が。

「結局、タバサは今朝も目覚めずか」

 昨夜の戦いがまるで嘘のような清々しい朝を迎えたオルレアン屋敷。しかし、その屋敷の正式な主人は眠り姫状態。未だ目覚める兆候はなし。
 そして、この屋敷に雇われている使用人の類は、昨日の段階ですべて一時的な暇を出して故郷の方に帰らせています。


 結局、昨日、この屋敷に辿り着いてからタバサの様子を見た後、タバサの母親の状態を調べた結果は……。
 そして、その結果から、昨夜、疫鬼による襲撃を予想した上で、この屋敷の彼方此方にタバサを象った形代と、その護りの存在を配置して有ったのですが、結局はより因果の糸の強い場所に多くの疫鬼が顕われる結果と成ったようです。
 つまり、タバサに送り込まれて来た疫鬼は、形代などで騙せる程度の疫鬼などではなく、もっと強い絆で結ばれた存在だと言う事。

 そう。まるで、直接の肉親のような強い絆で結ばれた因果の糸を通じてやって来る疫鬼……。


 名工の手に因り作られた、と表現しても違和感を覚える事のない端整な容貌。必要最小限の言葉。いや、基本的には俺の言葉にしか反応しない様は、正に神霊に属する存在。
 俺の対面に座る少女。湖の乙女と名乗った少女が、意外に器用な手つきでお箸を使用しながら首肯いた。
 少し甘い目の味付けを行った出汁巻き卵を頬張った状態で。

 尚、本日の朝食は純和風。サケの切り身。きのこの御味噌汁。ほうれん草のお浸し。出汁巻き卵。それに炊き立ての白い御飯。最後は緑茶。
 準備を二人で並んで行い、差し向かいと成って食事を共にするように成ってから大して時間が経っていない少女(湖の乙女)
 しかし、彼女が傍らに立つ事に一切の違和感を覚える事もなく、むしろ、彼女が傍に居る方が安心出来るぐらいの相手。

 おそらく彼女は、俺の前世と関係が有った相手だと言う内容に、偽りや誤りはないと言う事なのでしょう。

 そう考えながら、彼女の差し出して来るお茶碗に御飯をよそう。
 俺からお茶碗を受け取りながら、少しの違和感に似た雰囲気を纏う湖の乙女。
 これは間違いなく疑問。確かに、彼女の事を真っ直ぐに見つめたままですから、不審、……とまでは行きませんが、それでも多少の疑問ぐらい感じても不思議では有りませんでしたか。

「こうやって一緒に食事を取る相手が居ると言うのは良い物やな。そう、思っただけやから気にせんでも良いで」

 タバサは未だ目覚めませんが、これは、彼女(湖の乙女)の助力が有れば目覚めさせる事は難しくはないでしょう。
 そう、気楽に考えて居た故に出るこの台詞。

 短い空白。そしてその台詞に対して、微かに首肯いて見せる湖の乙女。
 その時、彼女の瞳に浮かぶ色は……。

「あなたと共に過ごした短い期間が、わたしの生涯で一番幸せな時間だった」

 ……懐かしい思い出。かつて手にしていた大切な物を取り戻した時、人はこんな瞳の色を浮かべるのかも知れない。
 そう思わせるに相応しい雰囲気を彼女は発した。

 しかし……。

「そうか。いい奴やったんやな、昔の俺は」

 ……としか答えられない俺。
 彼女が言うのだから、それはかつての俺が為した事なのでしょう。それで無ければ、生をまたいでまで縁を結び、今の俺に対して力を貸してくれる訳は有りませんから。

 確かに、精霊に取って、自らの能力を使って貰う事は喜び。
 しかし、この世界の魔法使いたち。いや、ブリミル教の教えに従う者と精霊の関係は最悪。
 更に、ラグドリアン湖の精霊と人間の関係は、水の秘薬と言う万能の薬がラグドリアン湖の精霊の身体の構造物で有り、医療技術の発達していないハルケギニア世界では、それを使用する以外に重病や重症の患者を救う手立てが少ない以上、他の精霊たちと人間の関係と比べても余計に悪い。

 そんな、自らの敵対者に等しい人間の暮らす世界の問題解決に対して、彼女が力を貸さなければならない謂れは有りませんから。

「わたしの事を人間の友人として扱ってくれたのはあなたが初めてだった」

 俺の独り言の如き台詞に対して律儀に答えを返して来る湖の乙女。そして、その答えは、俺に取っては、拍子抜けするぐらい当たり前の答え。
 そう。この程度の理由で人生をまたいでまで縁を結び、俺に対して力を貸してくれなくても良い、と思わずには居られない程、あっけない答え。

 しかし……。
 俺は、俺の正面に座る紫色の髪を持つ少女の姿を、自らの変わって仕舞ったふたつの瞳で真っ直ぐに見つめた。
 普段よりも因り強く彼女を感じる為に……。
 今までよりも、更に近く彼女を感じられるように……。

 そう。彼女の言葉が事実なら、それは間違いなく俺。
 それに、このハルケギニア世界の人間が、ラグドリアン湖の精霊を人間扱いする訳は有りませんから、彼女が俺を大切に思ってくれる事も理解出来ますか。

 単に、この世界の常識から、前世の俺が外れすぎていただけの事ですから。
 まして、精霊の生命とは人間や、それに近い種類。龍種や吸血鬼などと比べても、遙かに長い生命を持つ存在。俺に取って前世の出来事だったとしても、この目の前の少女に取っては、ついこの間の事で有る可能性すら存在する。
 その彼女に初めて顕われた友達が前世の俺ならば、彼女が俺に対して親愛の情を抱いてくれたとしても不思議では有りませんか。

 それならば、

「これから先もその幸せだった時間を作って行けば良い。それだけの事やな」

 食事中の軽い口調でそう答えて置く俺。それに、前世の俺が人間としての生命を全うするまでに何年生きたのか判りませんが、今回の生命は、それに何倍するか判らない寿命を持つ龍種にして仙人。
 簡単に彼女だけを残して、先に逝く事もないはずですから。

 俺の瞳を見つめた湖の乙女が、微かに首を上下させた。
 そう。それは、本当に微かな首肯き。
 しかし、そのメガネ越しの瞳に何か強い意志の輝きを乗せて首肯いたように、俺には感じられた。


☆★☆★☆


 寝台の上に眠る乙女は普段と何も変わりない雰囲気で、規則正しく胸まで掛けられた薄い布団を微かに上下させ続けていた。
 そうだ。彼女の発して居る雰囲気は、普段と何も変わりない物。悪夢に囚われた状態でも無ければ、醒めない夢の世界で舞い続けて居る訳でも無い。

 彼女(タバサ)が完全な眠りに落ちてから一日以上が経過しているが、未だ目覚める気配はなし。

「タバサは何らかの術の影響下に有ると考えて間違いないのか?」

 普段は触れる事の少ない眠り姫の蒼き髪に触れながら、自らの右側に並ぶ少女に問い掛ける俺。
 柔らかい髪の触れる感触が妙に心地良く、何故だか手を離し難かっただけなのですが。

 俺の右横で微かに首肯いたような雰囲気。しかし……。

「その可能性が高いと推測される」

 流石に、それでは伝わらないと思ったのか、実際の言葉にしてそう答える湖の乙女。
 ただ、彼女やタバサをずっと相手にして来た経験から、彼女らの反応には敏感に成って居るので無理に言葉にして貰う必要はないのですが。

 それでも、彼女が気を使ってくれたのは間違いないので、今回はこれで良いでしょう。
 それならば、

「オマエさんの能力でタバサを目覚めさせる事は可能か?」

 引き続き行う質問。
 もっとも、これは確認作業に等しい問い掛け。
 何故ならば、彼女、湖の乙女とは元々水に関係する精霊。水の精霊とは、感情や心に関係する精霊でも有ります。

 そして、眠りをもたらせる魔法とは、当然、心に作用する魔法。
 つまり、心に作用する魔法で、彼女が解除出来ない魔法と言う物は早々存在しないと思いますから。

 矢張り、微かに首肯いたような気配を発した後、

「可能」

 ……と、短く答える湖の乙女。
 但し、その後ろに続く不自然な空白。そして、同時に発生する陰の雰囲気。

 しかし……。

「わたしがサポートを行い、あなた自身が彼女の夢に潜入。そこで、彼女を夢の世界に捕らえている原因を排除する」

 直ぐに、その方法を教えてくれた。普段通りの小さな声。更に抑揚の少ない彼女や、タバサと同じ言葉使いで……。
 おそらく……。
 おそらく、あの短い空白は逡巡。そして、陰の気を発したと言う事は、その夢へと侵入すると言う行為が危険だと言う事の現れ。

 但し、危険だからと言って止めたとしても言う事を聞く相手ではない事も、同時に判っていると言う事なのでしょう。
 湖の乙女が知って居る武神忍と言う人物の前世は……。

「夢の世界。いや、状況から察すると、タバサが捕らえられているのは意識と無意識の狭間の世界。彼女の夢の世界の最下層と言う事か」

 其処ならば、因果の糸が強く結ばれた相手を通じて疫鬼を送り込むような真似も出来る。
 まして、以前。あの紅い光に染まった世界を、暗黒の虚無へと塗り潰す為にショゴスを送り込んで来るような真似も出来たのです。
 今回も同じように、境界線から彼女の夢に入り込んで来て居ると考える方が無難でしょう。

「わたしは同行する事は出来ない。彼女の意識の深層にわたしが過度の干渉を行うと、何が起きるのか不明」

 湖の乙女が、俺の傍らに眠る蒼き吸血姫をそのメガネ越しの瞳に映しながらそう言った。

 そう。いくら、俺が鈍いと言ってもこの言葉の意味も理解出来ます。彼女を……湖の乙女をタバサの夢の世界。それも、心の深奥に連れて行く事が出来る訳は有りません。

 これから出向く場所。其処は彼女(タバサ)の心の一番奥。そんな部分に囚われた自分を助けに来るのが俺だけならば問題はないでしょう。しかし、其処に、自分から俺を奪い去る可能性が有る少女を連れて行く事は……。
 どんな結果を招くか。返って事態を悪化させる可能性も有ると思います。

 タバサも人間で、当然のように独占欲やその他を持って居るのは間違いないのですから。

「大丈夫。タバサを連れ戻すのは俺の望み。そんな事に、オマエさんの手をこれ以上煩わせる訳には行かない。
 俺を、タバサの夢の世界に送り込んで貰えるだけで充分や」

 彼女を心配させない為の台詞を口にする俺。それに、俺は以前、ショゴスに捕らえられ掛けた時にタバサに救われた経緯が有ります。
 今度は俺が夢の世界に侵入して、タバサを救い出す番ですから。

 そして、この部屋に入って来てから初めて、自らの傍らに立つ少女へと向き直った。

 初めからずっとそうだったのか。それとも、今、俺が彼女へと向き直った瞬間に、同じように俺へと視線を移したのか。
 俺と、彼女の視線が交わったその瞬間に彼女は小さく首肯いた。
 但し、ふたりの視線が絡み合った瞬間、彼女の涼やかなる瞳が一瞬揺れたような気がした。

 そして……。
 そして、彼女(湖の乙女)を中心とした世界が、淡い光の中に沈んで行った。


☆★☆★☆


 遙か遠くに沈み行く紅き太陽。
 やや弱々しい夕陽に、少し冷たい……。そして、物悲しい紅に染まった風景……。

 何度訪れたとしても変わらないイメージ。
 そう。記憶の彼方に存在するような、何処かで見た事が有る道。
 懐かしい思い出を喚起するかのような、何処かで見た事が有る街並み。

 紅く染め上げられた酷く虚ろな空間(世界)の中心に、ぽつんと一人残された俺。

 前後左右。どちらを見ても、見た事が有るような曖昧な街並みが続く、紅と言う単一の色彩が造り上げた寂寥感に満ちた世界。
 妙に別れを想像させるこの街の雰囲気と景色が、俺を不安にさせる。

 いや、この紅い色が、十字架に掲げられた救世主の流した血液を想像させるのかも知れない。

 しかし、この世界に関しては二度目。ならば迷う事もない。更に、この世界と俺は、既に繋がっている。
 そう考え、自らの探知能力を発動する。

 呪文を使用せずに目を瞑り、この世界……。タバサの夢の世界全体に意識を繋ぐ。
 これは、あの蒼き静寂の世界。俺の親分と自称する少女と出会い、奇形の王アトゥと戦った世界で行った深度を下げて行く作業などではなく、自らの意識を広げて行く作業。

 俺とタバサの間に繋がれた因果の糸()が存在するのなら、これは難しい作業では有りませんから。

 そもそも、ここはタバサの夢の世界。俺が、俺自身の身体だと思って居るモノも、それはあくまでも自分の意識が、完全にタバサの意識と混じり合って仕舞う事を防ぐ意味から纏って居る防具に過ぎないモノ。
 これは、俺がここ(夢の世界)に存在する為に、俺自身が意識を投影している影に過ぎない存在です。

 そんな曖昧な夢が支配する世界で有るのならば、通常の理が支配する現実世界では雑多な気が邪魔をして、非常に困難な作業となる遠く離れた相手の気を探る事も可能となる。
 いや、可能と成ると思い込む事で成功しますから。

 目的は現在のタバサの居場所。そして、出来る事ならば今の彼女の状態が知りたい。

 イメージするのは、普段の彼女の姿。
 平均的な十五歳の少女からすると、やや小さめな身体。蒼い髪の毛、蒼い瞳。
 自らの身長よりも大きな魔術師の杖を持ち、魔術師の証の黒のマントを五芒星のタイピンで止める。
 整った顔立ち。但し、未だ成長過程で有る事の証明。容貌には完成される前の曖昧な部分が残されて居り、
 その立ち姿からは、凛とした雰囲気が漂う。

 世界と同化し、この夢の世界すべてに満ち溢れている彼女の気配の中で、もっとも大きい物を掴み取る作業。

 ………………。
 …………。

 僅かな空白。その後、瞳を開け、有る方向を見つめる俺。
 ここが夢の世界で有る以上、現実界の理に支配されない空間の可能性も高いのですが、それでも、蒼茫と暮れて行こうとしている夕陽に正対した時の左側やや後方。
 周囲に満ちる冷たい大気から推測すると季節は冬。そこから考えると、この方向はほぼ南で決まり。

 そして……。
 そして、自らの影を左前方に捉えながら、ゆっくりと彼女を感じた方向に歩を進め始めたのでした。


☆★☆★☆


 夕陽に紅く染め上げられた、本来は白い壁を持つ御屋敷を見上げる俺。
 周囲には、広い庭。季節に相応しくない色鮮やかな花が咲き乱れる花壇。そして、噴水。
 その真ん中を真っ直ぐに貫き、御屋敷の中心に存在する入り口へと到達する道。

 但し、その俺が目の前にしている屋敷は、何度か俺が見た事が有るオルレアン屋敷などではなく、俺が見つめる先に存在するその屋敷の持ち主を表現する紋章も、オルレアン家を表現する蒼き盾に白いレイブルと三本のアヤメを象った物などではなく、同じ青に属する色の盾に龍を象ったシンプルな紋章。
 少なくとも、このハルケギニア世界にやって来てから今までには、見た事がない紋章で有る事は間違有りません。

 いや、不自然と言えるのはそれだけではなかった。
 ここに至るまですべての門は開け放たれ、門衛の詰所や、番人の小屋らしき物は存在していたのですが、其処もすべてもぬけの空。
 来客を案内すべき人間や、当然、門衛などの人間に出会う事など一切、有りませんでした。

 この状況は、俺自身がタバサの夢に拒絶されてはいない、と判断すべきなのでしょうか。



 落ち着いた雰囲気の重い扉を開くと、其処は玄関ホール。其処から始まる廊下には幾つもの扉が存在している。
 しかし、彼女。俺がタバサの存在()を感じて居るのは……。

 玄関ホールから正面に見える一番大きな青い扉に手を掛ける俺。
 その扉の先には……。



 其処は魔法の明かりに包まれたかなり広い部屋。但し、冬の夕刻の時間帯なのですが、対面の壁に見える暖炉には火が入れられている訳では無い。
 そして、床に敷かれた毛足の長い絨毯。

 しかし、玄関ホールや、其処から続く廊下と比べると明らかに暖かな空気が、扉を開いた直後の俺を包み込んだ。

 そう。この部屋の雰囲気から察すると、ここは貴族の御屋敷。そして、その居間に当たる部屋。
 その部屋の中心。くつろぐ為に備え付けられたソファーの周囲に集まる家族。

 三人の子供と、二人の大人。
 子供は、蒼い髪の毛と蒼い瞳の少年少女。どちらも、十歳前後と言う雰囲気。もう一人の少女は……俺が連れて居る炎の精霊サラマンダーとそっくりの少女。そのサラマンダーそっくりの少女の年齢に関しては十代半ば以降と言う雰囲気。
 そして二人の大人。男性の方は黒髪黒い瞳の青年……と言っても差し支えない若い貴族。
 もう一人の女性の方は、蒼い髪の毛、蒼い瞳。髪型もタバサと同じショートボブ。

 炎の精霊以外の二人の蒼髪の子供と、この夫婦らしい男女の間には明らかな血縁関係を思わせる雰囲気が存在して居た。

 十歳前後の少年少女。いや、少年には確かに見覚えが有る。
 それは、以前。誘い(いざない)の香炉に因って眠らされた時に、最初に湖の乙女と共に歩んで居た少年の幼い頃の姿と言う雰囲気。
 そして、少女の方は……。髪の毛は長いが幼い頃のタバサだ、と言われると、そうかも知れない、と言う姿形を持つ少女。

 そう言う年少の二人組がチェスに興じ、
 その二人の母親と思しきショートボブの女性と、まるで炎の精霊のような紅い髪の毛の少女が、その二人の対極を覗き込み、
 黒髪黒い瞳の男性が、一人掛けのソファーに座って、分厚い革の表紙の書物に視線を送る。

 確かに、女性と子供たちの髪の毛の色や、炎の精霊の存在。そして、突如、室内に侵入した俺を無視するかのような。いや、まったく視界に入っていないかのような態度などに奇妙な違和感の如き物を覚えますが、それでも、この一場面は間違いなく冬の夜の家族団欒の様子。
 問題は、あの母親らしい女性と、長い髪の毛の十歳前後の少女の、どちらがタバサか判らない事。

 何故ならば……。

 多分、勝負が着いたのであろう。長い蒼の髪の毛を持つ少女が、嬉しそうに少年に何かを話し掛けた。
 その表情に、彼女に相応しい満面の笑みを浮かべて。

 そして、その様子を見つめる女性の表情も微笑みを浮かべていた。これは、幸せに満ちた、と表現すべき表情。

 そう。この世界にやって来てから、一度も彼女(タバサ)本人が浮かべる微笑みと言う物を見た事がない俺に取っては、非常に眩しい物と思える笑顔をこの夢の世界では常に浮かべて居る。

 この夢が、タバサの未来への憧れを示す物なのか、
 それとも、まったく違う何かを示す物なのか、今の俺には判らなかったのですから……。

 そして……。
 そして、彼女らの笑顔を共に、この夢の空間は泡沫夢幻の例えの如く、儚くも消え去って行った。



 俺の前には、先ほど開いたはずの扉が閉じた状態で立ち塞がる。
 但し、今回の扉は白。

 その白き扉を押し開く俺。
 その重い扉の先には……。



 先ほどとは違う、暗い室内。そして冷たい空気。
 部屋は……。窓から覗く蒼の女神。豪華な天蓋付きの寝台に、部屋の一方の壁を占拠する本棚と、その中に並べられる本、本、本。

 そして、その寝台の上に、うずくまるように膝を抱えた、蒼い長い髪の毛の少女の姿。
 彼女の浮かべる表情は無。先ほど、蒼髪の少年や、その他の家族たちと共に過ごしていた時の表情とはまったく別人の表情。
 しかし、容貌自体は俺の良く知って居る少女に良く似た面差し。

 そう。この寝室は、オルレアン屋敷のタバサの寝室。窓の外に見える景色も、そして、部屋に存在している調度や家具、そのすべてが同じ物。
 おそらく、本棚に並べられた本一冊に及ぶまで同じ物が並んでいるのでしょう。

 但し、雰囲気が違う。

 その少女から感じるのは、かなり強い陰の気。
 先ほど、チェスに興じて居た少女が発して居た、幸せそのものの雰囲気とは違うのはもちろんの事、俺がこの四月から共に暮らして来た少女が発する物とも違う。

 更に、タバサの部屋及び、オルレアン屋敷自体が発して居る雰囲気が違う。
 全体的に陰。今、寝台の上で膝を抱えた状態で虚ろな瞳で何処かを見つめて居るタバサが発して居る気に相応しい陰にして滅な雰囲気に沈んでいた。

 その刹那。
 ただ、膝を抱え、何処か遠くを見つめていた蒼い髪の毛の少女の瞳が僅かに揺れ、
 そして、
 そして、俺がこちらの世界に来てから一度も見た事がなく、そうして、見たいとも思わない物が、瞳から零れ落ちた。



 三度俺の前に立ち塞がる閉じた扉。
 今度の扉は赤。

 重い赤い扉を押し開く俺。
 その扉の向こうに広がる世界(ユメ)は……。



 再び現れる暖炉の有る居間。
 しかし、矢張り、暖炉に火が入れられる事はなく、炎の精霊が存在する事に因って室温が一定に保たれている。

 その部屋の中心に存在するソファーには……。

 先ほどと違うカップルソファーに腰掛けて、同じように書物に視線を送る父親。
 その傍らに腰掛け、キルト。パッチワークキルトを作っている母親。

 そして、先ほどチェスに興じて居た子供たちは、二人で一冊の本の両端を持ち、仲良くひとつのソファーに並んで座る。
 この二人は仲の良い兄妹。いや、無声映画のような状態で説明されるここまでの様子から、二人の関係を推測すると姉と弟。
 ただ、同じ髪の毛と瞳の色はしていますが、双子と言う程似ている訳では無い。
 面差しに似ているトコロの有る姉弟と言う雰囲気。

 姉の方は母親に良く似た容姿を持ち、
 弟の方は、父親に似た雰囲気を持つ。

 少女は良く笑い、その様子を優しげな……。両親が見つめるに相応しい瞳で二人を見つめる大人の男女。

 この部屋に存在する蒼い髪の毛、蒼い瞳を持つ三人と、黒髪黒い瞳の青年貴族は間違いなく家族。
 血縁関係を思わせる似た容姿以外からも、ふとした瞬間に感じる瞳に籠められた感情や、聞こえないながらも、それぞれがそれぞれに掛けられた言葉に対する反応から、そう言う雰囲気を感じさせるのだ。

 そして、新たなページを捲った際に発せられた蒼い少女の微笑み。
 その微笑みを瞳が捉えた刹那、正に泡沫の夢の如き儚さを持って、この世界は消えて行った。



 ついに四つ目の扉が目の前に顕われる。
 今度の扉の色は黒。

 尚、この扉が指し示す色にも、ある程度の察しが付きつつ有るのですが……。

 ただ、おそらくは、この扉を開き、すべての夢。無声映画に等しい映像のみが繰り広げられる夢を見終わらなければ、彼女らの居る場所に辿り着けない、と言うルールなのでしょう。
 但し、今まで見せられた映像は、タバサの夢なのか、それとも他の誰かが見ている悪夢なのかが判らないのですが。

 そして、重い気分で黒き扉を開いた先には……。



 魔法の明かりが照らし出す、このハルケギニア世界では当たり前の部屋で有った。
 但し、部屋の質が違う。

 豪奢な天蓋付きの寝台がふたつ並べられ、
 部屋の家具や調度ひとつに至っても、かなりの高級品で有る事が窺える部屋。

 その部屋の中心で、何やら罵り合う二人の男女。

 一人は金髪碧眼の女性。
 もう一人は、蒼い髪の毛、蒼い瞳の男性。

 男性に関して見覚えは有りません。しかし、女性に関しては、俺の知って居る顔でした。

 俺が知って居るのは、現在、無声映画の中で、声を荒げて何かを叫んでいる女性よりは幾分年齢を重ねた女性。故オルレアン大公夫人。つまり、タバサの母親その人。
 そして、その女性と同じ寝室に居て、更に、蒼髪、蒼い瞳の男性と言う事は、この男性は……。

「オルレアン大公。つまり、タバサの父親……」

 自然と、ため息を発するような雰囲気で言葉を漏らす俺。
 もっとも、これが夢の世界で有る以上、この目の前で繰り広げられている映像が実際に起きた出来事で有る可能性も有る、……と言う程度の内容なのですが。

 そして、今一人の登場人物。この部屋……。夫婦の寝室の扉の向こう側で膝を抱えたままうずくまる蒼い髪の毛の少女の姿が、俺の瞳には、何故かはっきりと映っていた。

 いや、この哀しい夢はタバサの見ている悪夢ではない。おそらく、もう一人の少女の見て居る夢。
 もうひとつの楽しい夢は……。

 再び、少女の頬を伝う一滴の煌めきを確認出来た瞬間、この悪夢に等しい世界は消えて行ったのでした。


☆★☆★☆


 何時の間にか暗い、殺風景な部屋の中心にポツンとひとつだけ設えられた一人掛け用の椅子に腰を下ろしている俺。
 酷く疲れたようで有り、そして、何か非常に空しい気分に囚われて居た。

 そう。先ほど見せられた映像。あれは夢。どちらも、誰かが。もしくは、俺自身が見た夢だと切って捨てる事は出来る程度の物。

 しかし……。
 しかし、世界。……平行世界とは無限の可能性が有る。

 もしかすると、先ほど見せられた夢は、その可能性のひとつ。この俺が現在、暮らしているハルケギニア世界の過去に起きた、或いは未来に起きる出来事ではなくとも、何処か別の世界では起こり得た事実なのかも知れない。

 但し、ならば何故、そんな物を俺に見せた?

 そして、五つ目の扉が、椅子に腰かけた俺の正面に顕われた。
 何の前触れもなく。そして、何の音も発する事もなく。

 その扉の色は黄色。

 水の属性を持つタバサを捕らえて離さないのは、おそらくこの扉。水をせき止めて、流れ出す事を防ぐ、土の属性を指し示す扉。
 更に、この扉の向こう側には……。

 ゆっくりと、疲れた身体に鞭を打つかのように立ち上がり、扉の前まで歩を進める俺。
 そして、その扉のノブを握り……。

 
 

 
後書き
 この物語の世界は、飽くまでも平行世界で有り、ゼロ魔原作の世界とはかなり違う世界での出来事や事件を扱って居ります。
 故に、今までも同じような題材の事件で有りながら、始まりから、経過。そして、結果に至るまですべて違う形で処理し続けて来たのです。

 もっとも、私自身が、原作沿いと原作コピーの違いがまったく理解出来ず、その辺りのさじ加減が判らなかった為に、事件の名前だけを同じにして、違う内容の物に置き換えて来た、と言うのが真相なのですが。

 それでは次回タイトルは『シャルロット』です。
 何か、微妙なタイトルですが……。
 
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