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予言なんてクソクラエ

作者:ミジンコ
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第十章 神と霊

    (一)
「いったい磯田の野郎、何処をうろついているんだろう。7年前、ここにたどり着く前は中国にいたらしい。いい年こいて、何を考えているのやら。」
龍二がお茶おすすりながら言った。石井は3件のレポートを仕上げるため徹夜した。朝方、龍二の自宅でシャワーを借り、朝食をご馳走になった。事務所では、いつものように龍二がお茶を入れ、そういえば、と磯田のことを思い出したのだ。
磯田は石井から大災害の予言を聞いて姿を消した。富良野に逃れたのは確かだ。苦笑いしながら石井が答えた。
「本当に変わった人ですよね。」
「ああ、全く。大学時代、鎖に繋がれた犬と鼻をつき合わせて唸りあいしている磯田に遭遇した。何やっているんだと聞いたら、胆力をつけているんですと言う。犬と鼻を突き合わせて唸りあって胆力がつくと思うか?」
「さあ、分かりません。彼には彼の考えがあったんでしょう。」
「そんなものあるもんか。あいつはいつでも思い違いをしながら生きている。確かに探偵としては一流だ。だが、人間としてはどこか欠陥がある。」
ドアががばっと開いて、佐々木が大声を張り上げた。
「おはようございます。あら、真治さん、今日は随分お早いご出勤ですね。ご苦労さまです。」
「よく言うよ。3件とも昨日じゅうに仕上げてくれっていったじゃないですか。だからしかたなく徹夜したんですよ。」
「あらそうでしたかしら。」
などとすっとぼけて視線をテレビに向けて言う。
「あらまた強姦殺人ですって、全くこの頃こんな事件ばっかり。」
石井は何気なくテレビを見た。ニュースキャスターが語る。
「被害者は坂口さくらさん21歳。昨夜12時頃、短い悲鳴を聞きつけ、外に出た隣の住人が階段を駆け下りてゆく二十歳前後の男性の後姿を目撃しており、警察はこの男性の行方を追っています。」
石井の視線はテレビに映し出された坂口さくらの写真に釘付けになった。まさしくあの黒いジーンズのジャケットを羽織っているさくらの写真なのだ。驚愕で息が詰まりそうになる。
「僕はこの少女を知っている。つい最近会ったばかりだ。」
佐々木が着替え室のカーテンから首だけ出して言った。
「このあいだもそんなこと言って騒いだけど、結局何にもなかったじゃない。」
「冗談じゃない。僕が富良野に行ったのも、磯田さんが放浪の旅に出たのもみんなあの事件と関係しているんだ。」
「おい、真治それはどういう意味だ。」
石井は迷った。大災害の情報は二人にも知らせておくべきかもしれない。などともっともらしく考えたが、その実、心の不安を一人で抱え切れなかったのである。
「それじゃあ、僕が体験した不思議な話をお二人にします。佐々木さん、着替えるまで待ってますから。」
カーテンの奥から「はーい」という間延びした声が聞こえた。
 二人が揃って前に座ると、石井は話しはじめた。三枝のことも予言のことも全て正直に話した。二人はじっと耳を傾けている。話しおえると、石井はおもむろに茶碗を取り上げ冷えたお茶を啜って、二人の反応を窺った。最初に応えたのは龍二だ。
「それで磯田は東京を離れ富良野に向かったのか。奴らしい。しかし、そんな兆候はどこにもない。」
「そんな兆候とは。」
石井が聞くと
「つまりそんな大災害が起こるのなら、動物がまず察知する。彼らはそうした本能が、我々みたいに退化していないから、敏感に反応する。反応すれば何処か安全な場所に避難しようとするだろう。鎖に繋がれた犬は半狂乱になって吠えまくるはずだ。」
と答え、それに佐々木が応じた。
「そうよ、それに女は男と違って本能をすっかり退化させてはいないわ。こういう私も実は感が鋭いの。もしこの二月の間にそんなことが起こるとすれば、何かしら胸にざわついたものがせり上がってくるはずよ。そんな兆候全くないもの。」
石井はおやっと思った。予言の話のインパクトが弱かったのか、ふと語った内容を振り返った。二度目だし、磯田に語った時より真に迫っていた。しかし二人の反応は磯田に比べて鈍すぎる。不思議に思っていると、龍二がおもむろに口を開いた。
「なあ、真治。まさか真治もそんな大災害が起こると信じているんじゃないだろうな。あのノストラダムスの大予言を信じて人生を狂わせた人も相当いるっていう話だ。真治がその手の話に乗るとは思わなかったな。」
佐々木がまるで合いの手を入れるように話を引き取った。
「まったく、その悟道会にうん千万円の金をつぎ込んで、世間を置き去りにした人達は、どの面下げて世間に戻ってくるのか見ものだわ。」
石井はあっけにとられた。こうゆう冷静沈着な人達もいるのだという驚きだった。龍二がにやにやしている。佐々木も同じだ。二人は見合わせ微笑んだ。
「実はな、真治。俺と女房とこの佐々木さんの三人は体験者なんだ。予言という世迷言に振り回された体験者ってことだ。俺がまともな職業につかなかったのもノストラダムスの予言を半分信じていたからだし、女房と一緒になったのも、長野で開かれた日本のある預言者の会で一緒になったからなんだ。行きも帰りも同じ電車だった。」
「げっ、それって本当ですか。」
佐々木が答える。
「本当よ。私もその会に出席したわ。もっとも三人ともその会の集会に参加したのは、大災害が予言された日の二週間前、その時が最初で最後。でもあの時は驚いたわね。その預言者、一人一人の悩みを、顔を見ただけで言い当てて、こうしなさい、ああしなさいってなんて助言するんだもの。」
「そうそう、あの付近の何とか岳とかいう岩山が崩れて、女性ロッククライマーが転落死するという予言が二日後に実際に起こって、新聞記事に載った。本当に驚いたよ。」
石井が息せき切って聞いた。
「でも、その大災害の予言は当たらなかったわけですね。」
「ああ、当たらなかった。でもその不安たるやなまじっかなものじゃなかった。だからといって逃げる訳にもいかず、そのXデイも会社でひやひやしながらその時を待った。しかし、何ごともなく通り過ぎたんだ。その預言者だって何度も未来を予言して的中させていたんだ。だけどその予言だけは外れた。本当に不思議だった。」
「本当ね。結局、未来は神の領域だから人間や霊が関わってはいけないのよ。」
石井は佐々木の言葉に、一瞬息を呑み、目を丸くして訊ねた。
「佐々木さんの今の言葉、予言は神の領域だっていうのはどういう意味ですか。」
「どういうってこともないけど、その預言者はある霊から未来を見せられていたの。でも、本当の未来は神のみぞ知るってことよ。あの日、その人が私達に言った言葉はこうよ。皆さんは私も含めて神に試されてるってね。つまり神は霊の上にいるってことよ。」
龍二が合いの手をいれた。
「そうだ、あの人はこうも言っていた。その時、つまり大災害の時、何をするか、人のために何をしてやれるかでその人間の価値が決まるってね。神はそれを見ているって。あの人は神が宇宙そのものだと言っていたが、本当にその通りだと思う。」
「神が宇宙……?」
「うん、そう、神イコール宇宙。」
「宇宙を創造した神が、宇宙そのもの?うーん、分かったような分からないような。でも、それを聞いて僕もすこし気が楽になりました。僕らは神に抱かれているって訳ですよね。よし、死ぬ時はご一緒しましょうか。」
佐々木がちゃちゃを入れた。
「真治さんの側で死ねるなら本望よ。」
「あれ、俺より真治のほうがいいってわけか。」
ガハハハハという佐々木の笑い声で、真治の心に重く立ち込めていた暗雲がすっかりと消えてしまった。龍二が真顔に戻った。
「おい、予言の話はこれくらいにして、その坂口さくらと一緒にいたかもしれないという少年の情報を警察に知らせなくては。」
「そうですね、榊原警部補に電話してみます。」
石井は携帯をとりだし、その場でかけた。何度目かの呼び出し音の後、
「はーい、榊原です。どうした石井、何かあったか。」
と間延びした声が響いた。
「今、よろしいですか。」
「ああ、かまわん。一人で一杯の個室にいる。」
トイレだとすぐに分かったが、それまでの三人の和んだ雰囲気が口を軽くしていた。
「えっ、個室ビデオですか、榊原さんも歳の割りに好きですね。」
「馬鹿野郎、俺がそんな辛気臭い所になぞ行くか。」
その前を通る度にちらりと看板を盗み見ている榊原が怒鳴った。

    (二)
 書類を仕上げようとするのだが、五十嵐昌美は先ほどから何度も同じミスを繰り返していた。そわそわと心が落ち着かす、胸の動悸が耳にまで響いてきそうだった。「あの人に会える。」その思いは自分でも信じられないほどの動揺をもたらした。
 先ほどの電話が脳裏に繰り返し甦ってくる。警視庁の捜査一課で同じ釜の飯を食った榊原警部補からの電話だった。
「おお、マドンナか、どうだ元気にやってるか。おいおい、なんて悠長なこと言ってる場合じゃないんだ。大変な情報提供者がそっちの捜査本部に向かっている。そいつから話を聞いてくれ。そいつの名前は石井真治。元池袋署の刑事だ。今は、探偵をやっている。」
「……」
「高円寺のアパートで殺された坂口さくらも連続暴行魔にやられたって聞いた。そうだろう?」
「……、は、はい。」
「坂口さくらのアパートから出てきたのが二十歳前後の男ということだったが、石井が言うには17歳の少年で悟道会に関係しているらしい。その少年は悟道会に監禁されていたとも言っている。まあ、とにかく石井がそっちに行くから、頼んだぞ。」
「は、はい、分かりました。」
受話器を置いてからもしばらくぼんやりとしていた。そしてようやく自分の役割に思い当たった。指揮をとる田村警部のもとへ報告に走った。
 五十嵐の動揺は石井に会えるということだけではなかった。悟道会という言葉が頭の中でこだましていた。小林刑事とコンビを組んで追い詰めた、悟道会教祖、杉田啓次郎の長男、杉田満、当時15歳。
 殺害された二人の少女の交友関係から浮かび上がってきた容疑者だったが、上からの圧力に屈した田村警部の横槍でなかなか核心に迫れなかった。恐らく杉田教祖が子飼いの安東代議士を通じて金をばらまいたのだ。
 手をこまねいているうちに、教祖一家のクルーザーが八丈島に行く途中転覆し、満一人行方不明となってしまった。何か作為があるのではないかと小林刑事と葬式に出かけたが、母親の悲しみようは芝居とも思えず、二人、重い足取りで帰路についたのだった。
 しかし、つい最近にになって、捜査本部の空気はがらりと変わったのだ。何故なら先週の日曜日、渋谷で杉田満を見かけたという人間が現れたからだ。かつて五十嵐が情報を得ようと接触した満の遊び仲間の証言である。彼は渋谷の雑踏で満を見かけ呼び止めた。すると満は逃げるようにその場を去ったというのだ。
 死んだはずの人間が生きていた。その人間はかつて捜査線上に浮かび上がったことがある。とすれば、父親である杉田啓次郎が息子の事故死を装ったという疑いが生じる。刑事達が杉田宅と悟道会ビルを訪ねたが、夫婦共々姿を消していたのだ。
 そして、満と思しき人物が坂口さくらのアパートにいたという証言者が、あの石井真治なのだ。この偶然はいったい何なのだろう。自分の熱意が石井に乗移ったとでもいうのだろうか。
 五十嵐は、肩肘を張っていたあの頃の自分を思い出し、思わず赤面した。本庁の刑事に抜擢されたのが自分の実力だと思い込んでいた。しかし、今にして思えば当時の捜査四課長、失脚した駒田課長の単なる思い付き人事でしかなかったのだ。
 出世を気にする駒田課長は田村警部ほど露骨な態度はとらなかったが、彼の視線には卑猥な色が見え隠れしていた。結局、自分は思い上がっていた。それに石井がまさかあんなにもあっさりと自分の元を去るとは思ってもいなかったのだ。
「どうして、どうして、別れなければならないの。」
五十嵐の必死の抗議に、石井は酒に酔って呂律が回らず、訳の分からないことを呟くばかりだ。受話器を通してあの厭な臭いを嗅いだような気がした。それは父親の臭いだ。酒に酔って自分を誤魔化す。やはり刑事だった父を一瞬思い出した。
「いいわ、それなら、別れてあげる。貴方がそれを望むのなら、きっぱりと貴方を忘れる。さようなら。」
ガチャンと受話器を置いて泣き伏した。
 
 捜査本部の緊迫した空気が不意の闖入者を認めて淀んだ。はっとして振り向き、部屋の入り口に目をやった。石井がそこにいる。石井を知らぬ綾瀬署の刑事が立ち上がり声を掛けた。
「すいません、ここは一般の方は立ち入り禁止なんですが。」
石井はにやりとして答えた。
「そうですか、それは失礼しました。でも私のことは警視庁捜査一課の榊原さんから伝わっていると思いますが。」
「あっ、あの情報提供者というのはあなたでしたか。どうもすいません。てっきり受付を通して来られると思っていたものですから。」
奥の部屋からずんぐりとした背の低い男が顔をだし、慌てて近付いてくる。石井も良く知った男だ。ろくな男ではない。榊原から聞いていたが、すすんで証言するのが厭になるほどこの男には足を引っ張られ辟易したものだ。
 田村警部はそんな過去など置き忘れたかのように親しげに微笑んでいる。
「そいつは元刑事だ。受付など通るわけがない。おい、石井元気でやっているか。」
握手せんばかりの勢いだ。刑事達も立ち上がり、石井に近づいてくる。ふと若い刑事の後ろに見え隠れする女性らしき髪が気になった。ちらりとその顔を覗かせた。困ったような顔をして微笑んでいる。
石井の心は一瞬にして歓喜でいっぱいになって、思わず微笑んだ。二人の視線は刑事達のいる空間とは別の空間であるかのようにからみあった。石井は田村を無視して五十嵐に近付いた。二人の視線に気付いた若い刑事が道を開けてくれた。石井が声をかけた。
「久しぶりだね。まさか君に会えるとは思いもしなかった。そうだ、君に証言しよう。君に供述調書をとってもらおう。」
田村警部が慌てて石井の肩に手を置いて
「いやさっきから部屋で君を待っていたんだ。さあ、こっちで頼む。」
石井は田村を無視して歩を進め五十嵐を促した。五十嵐は戸惑いながらも石井の誘いを受け入れ、傍らの刑事に声をかけた。
「小林さん、いや部長、取調室へお願いします。私はノートパソコンを取ってきますので。」
「お、俺も・」
と言う田村に、
「お偉いさんは、奥にでんと構えていて下さい。こんな仕事は下っ端の仕事です。」
と言って、石井は手で制した。小林と呼ばれた初老の刑事が頷いて、石井に目顔で合図し先にたって歩き出した。五十嵐が部長と呼んだのは、職階が巡査部長ということだ。取調室に入ると石井が言った。
「小林さん、呼ぶまでしばらく二人にしてもらえませんか。」
一瞬、憮然とした顔をしたが、にやりとして答えた。
「いいでしょう。」
 小林が部屋を出てしばらくして五十嵐が入って来た。小林から事情を聞いたようだ。二人は机に向かい合い、見詰め合う。石井は微笑むが、五十嵐の表情は固い。彼女にとって別離の瞬間と今とは連続しているのだ。石井は、話のきっかけを作った。
「あの小林刑事は残り少ない本物のデカだな。」
五十嵐が漸く口を開いた。
「ええそうよ。あの人のおかげで犯人と思われる杉田満に行き着いたの。」
「なに、捜査本部は杉田満に行き着いていたのか?」
「いいえ、捜査本部ではないの。私達、いえ、本当は小林刑事よ。でも政治的な力が加わって、少年法やらなんだかんだで横槍がはいってしまった。あの教祖は、息子を死んだと思わせて捜査の目から逃れさせようとしたの。きっとそうよ。」
石井は笑いながら言った。
「おい、待ってくれ。せっかく小林刑事にお願いして二人きりにしてもらったのに、仕事の話が先じゃ、俺の立つ瀬がない。」
五十嵐が苦笑いを浮かべる。石井が優しく話しかける。
「元気だった?ずっと会いたかった。」
 石井は五十嵐の手を握った。五十嵐はその手をじっと見詰める。石井の優しい眼差しが、意固地に傾く心を溶かしてゆく。自分に正直になれ。五十嵐は自分を諭す。視線を上げ、そして答えた。
「私もよ。」

 小林刑事が部屋に呼ばれたのは10分もたってからだ。石井は迷ったが、保科香子のことは触れないことにした。何故なら12月20日までまだ間があるからだ。そう決意するとすぐさま供述に入った。
 ようやく語り終え供述調書に署名した石井は、ほんの少し前の濃厚なキスの味を思い出しながら、既にこの場では、自分が部外者であることに気付いた。五十嵐もそのことを思っているようだ。五十嵐には、これからやるべき仕事が山とある。石井は立ち上がり、二人に声をかけた。
「これで全てです。後は警察にお任せます。二人とも頑張って下さい。」
部屋を出ようとすると、五十嵐が近付いてきて、そっとメモを手渡した。
小林から話を聞いた田村警部は、部下達をがなりたて、怒鳴りまくりながら、指揮をとる自分の姿を、警視庁の落ちこぼれの石井に見せ付けている。鼻の穴を膨らませ、ちらりちらりと視線を石井に投げかける。田村警部は石井と同期だ。
 石井は皆に一礼して捜査本部を後にした。署の門を出るとすぐさま五十嵐に渡されたメモを広げた。そこにはこうあった。
「ご免なさい。さっきは言い忘れました。仕事中に電話をもらっても出られません。それにこちらから電話する暇もないと思います。夜11時過ぎに電話下さい。」
 
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