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予言なんてクソクラエ

作者:ミジンコ
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第二章 予言

    (一)
「お茶でもご馳走したいんだが、これから会議がある。申し訳ない。」
榊原は警視庁正面入り口まで送りながらしきりに恐縮して頭を掻いた。石井は先だってご馳走になったお礼のために榊原を訪ねたのだが、ただそれだけというわけでもなかった。心の迷いを榊原に断ち切ってもらいたかったのだ。

 石井は重要参考人の目撃者であることが心の重荷になっていた。もしかしたら目撃した女性が、初恋の人、保科香子かもしれないという不安を拭い去ることが出来ず、だからといって元刑事である自分が目をつむる訳にもいかなかった。
 とはいえ積極的に千葉県警に出かける気にもなれず、目撃情報を、関係ないと思うが、と但し書き付きで榊原との雑談のなかに紛れこませた。榊原はその場で千葉県警に電話を入れ、石井の目撃情報を提供した。刑事としては当然の行為だった。
 電話のやり取りから、石井の証言が、重要参考人の輪郭をさらにくっきりと浮かび上がらせたことは間違いない。榊原は正面玄関の手前で立ち止まると、そのことに触れた。
「そのホテルの受付の婆さんは、小さな窓から彼女を覗いて見たらしい。だからちらっとしか見ていない。石井君の証言は婆さんのうろ覚えを補強することになった。」
「ええ、あの特徴のある顔、スタイルは忘れられませんから。」
「それじゃあ石井君は、女性がたとえ別の格好で街を歩いていたとしてもそれと分かる?と言うことだな。」
「ええ、分かります。身長が165~6(センチ)、バストはDカップ、外人のような鼻梁と尖った顎が特徴の女が、殺された男の周辺にうじゃうじゃいるとは思えませんからね。」
「まったくだ。千葉県警も飛び上がって喜んでいた。捜査本部が置かれた直後に情報が飛び込んできたんだからな。いずれ呼び出しがあると思うが協力してやってくれ。」
「ええ、そのつもりです。」
と答えたものの、自分が肝心なことを喋っていないことに気付いた。その際立った特徴である顎の黒子のことを話していない。あの女性が保科香子かもしれないという恐れがそうさせたのだ。義務を果たした安堵感とともに、その恐れが徐々に心に広がっていった。
「よし、ここで別れよう。今日は本当にご苦労さん。また一杯やろう、いつでも電話をくれ。でも今度は軽くやろうや。」
「ええ、僕も賛成です。この間はちょっと重過ぎました。」

 榊原と別れると、石井はひさびさに日比谷公園を散策した。9月半ばだというのにまだ残暑が厳しく、公園は人もまばらで、若いカップルが熱い日差しにもめげず二人だけの恋愛物語に思い出の1ページを加えようと木の回りでじゃれあっている。石井は苦い思いとともに二人の姿を見詰めていた。
 この公園を二人で歩いた3年前の情景が目に浮かぶ。石井の前を艶やかな髪の女性が手を後に組んで歩いている。その目は煌いて自信に満ちていた。石井は陸上で鍛えたというカモシカのようなその脚を眩しげに見ていた。突然、振り向いて言う。
「最近の君の行動は理解を超えるわ。前の君とは全然別人だもの。」
石井は押し黙ったままだ。二人が男女の関係になってまだ一月にもなっていなかった。その一月の間に石井の周辺に激震が走ったのだ。勤務する池袋署の副所長の自殺、尊敬する先輩の変節、石井は酒に走るしかなかったのだ。
 彼女は石井を見詰めていた。石井の視界には彼女の赤いウオーキングシューズがぼんやりと映っている。目を合わせるのが面倒だった。ため息をつき、顔を上げた。案の定、彼女の冷たい視線が石井の目を貫いた。
「あの情報を流したのは、石井君じゃないの?週間話題に意味深な記事が出ていたわ。この頃の貴方を見ていると、そうだとしても不思議じゃない。ねえ、どうなの。もしそうなら、私、貴方を見損なっていたかもしれない。」

 石井が組織を裏切る行為に及んだのは組織そのものに矛盾を孕んでいるとつくづく感じたからで、真実をマスコミに流すしかないという切羽詰った思いからだった。彼女がどこまで自分の側にいてくれるか測りかねていた。しかしこの時、石井は彼女が組織の側に立っているのを、ただ酒に濁った空ろな目で眺めていただけだ。
 彼女は今もあの警視庁のビルの中にいるかもしれない。今日、もしかしたら会えるかもしれないという淡い期待を抱いて来たのだ。榊原に彼女のことを聞きたかったが、とうとう口にだせずに別れてしまった。石井は深い溜息をつくと公園の出口へと向かった。

    (二)
 三枝節子と待ち合わせたのは新宿プラザホテルのレストランで、ここで会うのは二人にとって二度目のことである。三枝は、二ヶ月ほど前ふらりと事務所を訪れ仕事を依頼した。仕事の内容はストーカー行為の証拠を揃え、相手と交渉することだった。
 そのストーカーの社会的地位を考えれば当然交渉に乗ってくると思えた。石井は相手に証拠を突きつけ、社会的制裁を匂わせつつストーカー行為を止めることに同意させたのだが、その後しばらくして、三枝は差出人不明の手紙を受け取った。
 三枝は、電話でその手紙が例のストーカーからではないかと不安を滲ませ、石井に話を聞いてほしいと言ってきたのだ。それが一月前のことだ。食事をしながら手紙を読ませてもらったが、そこには8月中旬にミラノで列車事故が起こり、死者は100名を越えるとたった一行書かれているだけだった。
 本人は深刻な顔で悩んでいる風を装っていたが、手紙の内容が自分に関わりがなく、その日はたわいないお喋りに終始し、最後に石井はプライベートの携帯の番号を教えるはめになったのだが、今日、事務所に戻ろうとした矢先、その携帯が鳴ったのだ。
 二通目の手紙が舞い込んだと言う。石井はため息をつき新宿に向かった。三枝は独身の勤務医で、歳は石井より一つ年上だ。美人で魅力的な女性だが、石井にとって、彼女のあまりにあっけらかんとした性格とその積極性にペースが乱されということもあり、苦手のタイプだった。

 レストランに入って三枝の名前を言うと窓側の席に案内された。少し遅れると伝言があった。石井は生ビールを飲みながら新宿の街を見下ろしていた。9月下旬というのに秋の気配はまったくない。今日も観測史上最多の夏日を更新したという。
 三枝は小一時間遅れて席についた。
「ごめんなさい。腎臓に食い込んでいる癌を摘出するのに手間取っちゃって。全部取っちゃえば簡単だったんだけれど……あら、興味ないわよね、こんな話。ほんと、ごめんなさい、遅れちゃって。本当は迷惑だったんじゃありません、お金にならないお相手で。」
「いえいえ、迷惑なんて思っていません。大切な客さんですから。」
「相変わらずガードが固いわね。このあいだはお友達になってくれると言ったじゃない。もう忘れたの。」
「いえ、覚えています。僕はどうも照れ症で、一度食事した程度ではなかなか打ち解けられない性質で。」
「じゃあ、今日はベッドインする。」
石井はどぎまぎし、顔がかっと火照るのが分かった。三枝は石井のそんな様子を、にやにやしながら眺めていたが、すぐに言葉を続けた。
「冗談よ、冗談。安心して。私もそこまで軽薄じゃないわ。でも、がっかりしたな。てっきり貴方のほうからお誘いがくると思っていたのに一月待っても来ないんですもの。そしたら今日二通目の手紙が舞い込んでチャンス到来って思ったの。」
三枝はしきりにワインを薦めたが、石井は生ビールを追加した。前菜がテーブルに運ばれると、三枝は例の手紙をバックから取り出しテーブルに置いた。
「絶対あの男だと思う。だって出だしの言葉、愛しの君にってあるもの。なんとも陳腐じゃない、愛しの君だなんて。」
その手紙は前回と同じ紙に印刷されていて、箇条書きにされた三つの文章よりなっている。一つ目はイタリア、ミラノでの列車事故が実際に起こったことを誇るような文章だ。その予言が的中して石井も驚いたのだが、ただし時期がすこしずれた。
 二つ目は国際航空事故の予言だが、その犠牲者の中に日本人旅行客57人が含まれると具体的な人数と日付をあげている。三つめは、近い将来、世界的な未曾有の大災害が発生するという文章だ。そして最後に「君を救いたい」とあった。
「これどう思う。地面が脈打って1メートルも持ち上げられて、落とされて、それが何度も何度も繰り返す、ですって。」
「まったく不気味な予言だ。それ程の地震に耐えうる建築物などないと思う。」
「だから怪しいのよ。そんな地震なんか起こる訳ないもの。」
「全くだ。ところで、その手紙を書いたのは、恐らく、あの男だと思う。しかし、証拠はない。消印は渋谷、彼の会社も渋谷だ。一致するのはこれだけ。指紋で調べられなくはないけど、我々素人には手に負えない。」
「でも何が目的なの。」
「勿論、君を救うことさ。」
「馬鹿馬鹿しい。救いが必要なのはあの男よ。」
「その通りだ。しかし、最初の予言は当たった。場所もミラノ。僕の記憶では実際に死者の数も100名を超えた。正に当たっている。」
「たまたまよ。それにこの巨大地震が眉唾よ。どうかしているわ。あれで何の会社だか分からないけど、二部上場の社長だなんて笑っちゃうわ。」
「それなりの会社だ。コンピューターのソフト開発をやっている。社員は220名、資本金は一億。もしかしたら、社長は新興宗教かなにかに凝っているんじゃないか。彼にそんな話を聞かなかった?」
「そんな素振りも見せなかったわ。でもビップクラスのお見合いパーティなんてロクな奴がいないわ。もうたくさん。」

 既に手紙に興味を失っている様子だ。さかんに料理にお喋りに興じようと話を向ける。石井はお喋りに相槌をうちながらも、予言のことが気になった。時期が若干ずれたとはいえイタリア、ミラノでの列車事故は起こり、犠牲者の数も一致している。たまたまの一言で片付けられない思いが石井にはある。
 と言うのは、石井の母親は石井が中学の時に癌で亡くなったが、特殊な能力の持ち主だったからだ。その能力の一つは未来を予言する能力だ。未来を夢で見る。
「昨日、こんな夢を見たの。」
と話し、その後、実際にそれが起こる。世界で起こる大地震やその他の大災害に関して何度も言い当てたのである。
 ただその災害が起こる時期についてはかなり幅があり、はっきりとは分からないようだった。母の予言の中で特に印象に残っているものが二つある。一つは、大きな空港で二つのジェット旅客機が噴煙を上げて燃えているという夢だった。
 夢を語った翌日、その夢と寸分違わぬ写真が新聞の第一面を飾った。降下する旅客機と離陸する旅客機が接触した。その二機が炎上している写真だ。航空官制史上ありうべからざる事故として記録されたのだが、まるでその新聞を事前に見ていたような予言であった。
 二つ目は、未だ成就されていないが、近々の中国北朝鮮情勢からして、もしかしたら起こり得ると思うようになった。その日の朝、母は青ざめた顔で語った。「北海道に原爆が落ちた夢を見たの。キノコ雲が大きく傘を広げて、・・・本当に恐ろしかったわ。」
 この二つ目の夢予言は、その禍々しい情景が瞼に焼きつき、鮮明な映像ととして少年の脳に記憶された。原爆の話は未だに成就していないが、いつかそのような事態が出現するのではないかという恐れが心のどこかにある。この予言は母が死ぬ一年前のことだった。

   (三)
 結局、強引な三枝の誘いに乗って、なるようになった翌日、ふかふかしたベッドで目覚めると、すでに隣はもぬけの殻だった。昨夜、彼女は一人でワインのボトルを空けたはずだ。タフな女だと感嘆する間もなく、大変な遅刻だと気付いた。水曜の定例ミーティング、9時始まりで既に9時。

 あたふたと事務所に駆け込むと、磯田の冷たい視線にぶちあたった。ミーティングといっても抱える仕事の進捗を雑談まじりに語るだけだ。経理の佐々木など他人の私生活を覗き見る好奇心を神妙な顔の下に隠している。佐々木がメモをとる手を休め振り返る。
「真治さん、大事なミーティングですよ。寝坊なんて言うんじゃないでしょうね。」
「すまん、その寝坊だ。このとおり、鬚も剃ってない。」
「まあ。」
佐々木の取澄ました呆れ顔を、ちらりと見て苦笑いしながら龍二が言った。
「例の野暮用だな。結局、最後までつきあったのか。」
叔父の龍二は、昨夜、石井が三枝と会うことも、また三枝が石井に夢中であることも知っていた。石井は一瞬躊躇したが、隠してもしかたがないと諦めて答えた。
「まあ、そういうことです。」
 磯田は二人の顔を覗いながら、何が起こったか推し量ろうとしている。以前龍二から聞いた「三枝さんは真治に夢中みたいだ。」という言葉をふと思いだした。まさか相手は三枝ではないかと、緊張気味に石井の様子を覗う。と、思わず、探りを入れるどころか、そのまんまの言葉が吐いて出た。
「まさか、三枝さんと会っていたんじゃないでしょうね。」
佐々木が好奇心丸出しで石井の顔を覗き込む。石井は言葉に詰まったが、龍二が助け船を出した。
「三枝さんならいいが、例の渋谷のご令嬢だ。あの婆さんは朝まで飲んでいてもけろってしている。」
磯田の顔が安堵に緩み、佐々木の好奇心が一挙に萎んだ。渋谷のご令嬢は、やはり石井のファンなのだが、常にストーカー被害を訴えてくる多少ボケの入った老女だ。石井も龍二も何度か朝まで付き合わされたことがある。
 
 それから二週間後のことだ。尾行を終え、満足の行く結果にほくそえみながら帰路についた。その時携帯が鳴った。夜の9時を過ぎている。珍しく磯田からの電話だ。
「ちょっと、東陽町に来てもらえませんか。」
石井は、磯田の妙にご機嫌な声を、いぶかしく思いながら「えっ、東陽町ですか、うーん・・」と生返事を返した。すると磯田が続けた。
「石井さんに見てもらいたい人がいます。もしかしたら、石井さんの初恋の人に似ていたという、例の行徳のホテルから出てきた女かもしれませんよ。」
いっひっひ、と言う磯田のひそやかな笑いに、かっとしたが、石井は溜息をついて怒りを静めると聞いた。
「東陽町の何処ですか?」
 
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