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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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五十四 窮地

 
前書き
そして旧知。 

 
「ならば見せてもらいましょう。その術とやらを…」

しん、と静まりかえった闇で轟くのは、かつての弟子の声。
嘲りが孕んだその声音を尻目に、ヒルゼンは背後を振り仰いだ。

死神。

この世の者とは思えぬソレは、先ほどから何かを唱えている。
それが御経なのか呪文なのか、はたまた歌なのか。ヒルゼンには判別出来なかった。
だが、これだけは断言出来る。

自分は今、死を背にしているのだと。


じゃらり、と再び数珠が打ち鳴らされる。
静寂の中で響いた微かな音に、ヒルゼンの肩が大きく跳ねた。
(まだか…)
焦りの込められた眼差しで死神をちらりと見遣る。途端、死神と目が合った気がして、彼は慌てて前を向いた。

乱れた白髪の合間から覗く双眸。まるで穿たれた穴のような瞳は何処とも知れぬ遙か彼方を見ている。
にも拘らず、目が合った気がするのはやはり怖れているのだろうか。

死を。


不意に、影分身の一人が吹き飛んだ。咄嗟に身を屈める。カカカッ、と足下で手裏剣の突き刺さる音が耳朶を打った。
顔を引き締める。見えぬ攻撃にヒルゼンは構えを取り直した。

もう後戻りは出来ない。







(……闇が消えた?なんだ、この術は)

突如破られた【幻術・黒暗行の術】。何の前触れもなく消えた闇に、大蛇丸は目を瞬かせた。
瞳に映るのは、己の手駒を取り押さえている師の影分身。

初代と二代目火影の身が塵と化す。不可解な展開に大蛇丸が眉を顰める一方、ヒルゼンは殺戮人形の正体に顔を顰めた。

【穢土転生】の生贄にされた死体。それは中忍予選試合で敗退した、赤胴ヨロイと剣ミスミだった。


「木ノ葉の人間を…。人の命を弄びおって…」
零された苦々しい声を大蛇丸は鼻で笑う。
「あら。コイツらは元々私の部下だったのよ?隠密として木ノ葉に潜らせていたんだけど役立たずだったからね…。でも【穢土転生】の苗床になったんだから、最後の最後で役に立ったのかしら?」
残忍な言葉を口走りつつ、頬に手を当て、首を傾げる。その顔は非情とは程遠い、無邪気な表情だった。

影分身ニ体が煙となった傍ら、ヒルゼンは大蛇丸を鋭く見据えた。「自分の部下を…」と非難する反面、里内に密偵の侵入を許していたという事実に、彼は歯噛みした。

「来い、閻魔!!」
ひゅん、と風を切る。金剛如意棒を掴んだヒルゼンは、一気に大蛇丸の懐に飛び込んだ。
まだ戦闘体勢に入っていなかった大蛇丸が慌てて身を翻す。仰け反るように空中で回転。如意棒をかわし、地上に降り立つ。
だが着地地点を見越していたのか、足首を狙われた。急ぎ、跳躍する。寸前まで立っていた場所が如意棒で抉られた。

なんとか体勢を整える大蛇丸。しかし無理な跳躍と着地で足を捻ったのか、片足に痛みが奔った。「チッ」と舌打ちする。
それを好機と見て取って、如意棒から閻魔の腕が伸びた。
〈もらったあッ!〉

怒涛の攻撃。足の捻挫で避けるのは不可能。瞬時に判断した大蛇丸が印を結んだ。指を鋭く切る。
「まだよ!!」


刹那、ヒルゼンは無数の刃物に突き刺された。


















その場に満ちた威圧感は、今までの比ではなかった。
威厳に満ち、権威を背負った彼女は冷やかに目を細めた。

《ふん…》
小さく鼻を鳴らす。それだけの所作でガマブン太の巨躯がビクリと身じろいだ。
「…ふ、封印が解けたんか!?」
以前九尾と対峙した事のあるガマブン太は、昔と変わらぬ威圧感に畏縮した。


そこにいるだけで見る者全てを竦ませる圧倒的存在感。彼女の一言一言が緊張感に溢れた空気を震わせる。


《久しぶりだな、クソ蛙》
「な、なんじゃてえ!?」

いきなり辛辣な言葉を浴びせられ、ガマブン太は食ってかかった。
それはかなりどすの利いた声だったが、頭上の存在はやはり凛と佇んだまま動かない。平然と目線だけを眼下の森に向ける。
《子の命を救った恩人を見殺しにする奴なんざ、クソ蛙で十分だ》

視線を追い掛けたガマブン太が目を見開く。安全な場所にいるガマ竜の姿が視界に入った。
我が子を認めた途端、激情に駆られていた頭が冷静を取り戻す。

「なんでお前がこんな所におるんじゃ、ガマ竜!?」
「あ、父ちゃん~」

状況に反してのんびりした声。この緊迫めいた状態が理解していないのか、「遊びに来てたんだよ~。その子がよくお菓子をくれる子なんだよ~」と呑気に話す息子に、ガマブン太は頭を抱えた。

最近ガマ竜がよく口寄せされている事は知っていた。菓子を手に戻ってくる弟に、兄のガマ吉が羨んでいたのは記憶に新しい。

普段息子が世話になってる子どもが波風ナルだと察したガマブン太は、頭上の存在の口振りから、今も一尾の脅威から救ってくれたのだと理解した。我が子の情けなさに嘆息する。

「お前に言われなくとも、仁義きっちり見せたるわい!」
得物に手をかける。
ドスを構え、ガマブン太は言い放った。鈍い光を放つ刀身に、ナルの紅い瞳が映り込む。


思い通りに動き始めた足下の蛙に、波風ナル…否、九尾『九喇嘛』はほくそ笑んだ。

中忍本試験前、自身の前に現れたうずまきナルト。彼の頼みに渋々応じたものの、波風ナルは一向に己の力を頼りにしなかった。崖に突き落とされた際、老いた蛙を助ける為に近づいてきたが、それだけ。
あの時以降、彼女は自分の力のみで闘ってきた。

あの日向ネジとの試合時も。我愛羅との戦闘も。そして、一尾『守鶴』と対峙した今も。

何時まで経っても己を呼ばぬ宿主に、九喇嘛はいい加減痺れを切らした。即ち、身体の主導権を無理矢理奪ったのである。


【風遁・練空弾】。物凄い勢いで飛んできた空気の砲弾をナルは片手で弾き飛ばした。その腕からは禍々しいチャクラが立ち上っている。
朱きチャクラをその身に纏い、彼女はガマブン太の頭上で冷然と目を細めた。くくっと喉を鳴らす。

《クソ蛙、油だ!》
「誰がクソ蛙じゃ!!」

ナルの口から放たれた九喇嘛の声に、ガマブン太が反論する。それでも即座に大きく息を吸った蛙の上で、ナルも唇を人差し指と中指で軽く押さえた。
ガマブン太の腹が膨らむ。ナルの口からひゅっと軽い指笛が響いた。


「「【火遁・蝦蟇油炎弾】!!」」
ガマブン太の並外れた肺活量による蝦蟇油。九喇嘛の圧倒的なチャクラによる炎。


火遁の術など使わなくとも充分強い九喇嘛。故に火遁の術と言っても印を適当に結んだため、通常の火遁よりも威力は遥かに劣る。
しかしながら練り込んだチャクラが半端なく、更にガマブン太との連携によってその場は火の海となった。
あの守鶴の巨躯が一瞬で炎に包まれたのである。

「あち!あちちちちちィっ!!」

あまりの熱さに守鶴が叫ぶ。真っ赤に燃え盛る炎が地を焦がし、森林を焼き尽くす。
加えて、激痛に耐え兼ねた守鶴が転げ回るため、その場は酷い有様となった。


その惨状を平然と見ていたナルの瞳が瞬いた。赤から青へ、目の色が変わる。
凄まじい光景を目にした瞬間、ナルが無意識に九喇嘛から身体の主導権を奪い返したのだ。


「が、ガマ親分!!み、水だってばよっ!!」
「火の次は水かいっ!忙しないやっちゃ!」

ガマブン太に助けを求める。眼下の森にいるサスケ達の身を案じて、ナルは慌てて叫んだ。寸前との変わり様に動揺しつつも、ガマブン太は周囲に【水遁・鉄砲玉】を撃った。

その場一帯に注がれる豪雨。


ガマブン太の水遁で鎮火した自らの身体を守鶴が見下ろす。熱さから逃れた彼はこのような仕打ちに合わせた敵を睨みつけた。

「てっめえぇえええ!!よくもやりやがったなあァア!!」
咆哮する。ガマブン太へ迫った彼はある一点だけを集中的に狙った。

未だ状況が呑み込めないナル、目掛けて。


腕を振るう。途端、【砂手裏剣】がガマブン太を襲う。【風遁・練空弾】といった大技とは一転した術に、ガマブン太は一瞬気を緩めてしまった。余裕でかわす。

しかし術自体は我愛羅と同じだが、それ以上に強力で膨大な数の【砂手裏剣】。その上、手裏剣の的はガマブン太ではない。ナルだ。
「え、うわ…っ!」


知らぬ内に目の前が炎の海と化していた。それでも自分の身より仲間の身を優先したナルは、サスケ達がいるであろう森の火を消そうとしてガマブン太に頼んだのだ。
結果的に守鶴の炎までも消えてしまったが、九喇嘛に意識を乗っ取られていた身としては、状況についてこれなくとも仕方ないだろう。

だが、そのような事態、戦場では関係ない。



【砂手裏剣】の猛攻から身を守る。だが常に動くガマブン太の頭は不安定な足場だ。攻撃を避けようと目まぐるしく動いていた彼女は、何時の間にか端に追い遣られていた。
足を踏み外す。

「うわあああああああっ!!??」
「ナルッ!!」
初めてナルの名を呼んだガマブン太。だが呼び掛けもむなしく彼女の身は落下してゆく。


ぐんぐんと墜落するナル。真っ逆さまへ墜ちてゆく彼女は印を結ぼうと手を動かした。しかし手はなぜか真っ赤に焼け爛れ、ズキズキと痛みを訴えている。九尾のチャクラによって手の皮膚が焼けてしまったのだ。
手の激痛でチャクラを練れない状況下、ナルの視界は再び闇に覆われた。

意識が刈り取られる。




《チッ、このガキ…。ワシの意識を押し退け、自力で主導権を奪い返すとは…》

凄まじい勢いで墜ちていたにも拘らず、彼女は軽やかに地面へ着地した。寸前の切羽詰まった顔とは真逆の表情で、舌打ちする。焼け爛れた手が瞬間的に治癒された。

またもや意識を入れ替えた九喇嘛。しかし流石の彼も身体の主導権を奪った瞬間の攻撃には対処出来なかった。

「死ィねぇえええええッ!!」
ナルが落下した地点のみに放たれた【風遁・練空弾】。空を見上げるや否や襲ってきた空気砲弾に、九喇嘛は思わず身体を強張らせた。


直後、轟音が響き渡る。








ぽっかりと焦土と化した森の一角。地面までもが抉られたその場で、彼女は薄目を開けた。
目の前に巨大な蛙がいた。


《…クソ蛙…。なぜ、》
「…ぐ……ッ。…お前じゃない。わしゃ、ナルを助けたんじゃい…」

ナルを守鶴の攻撃から庇ったガマブン太が息も絶え絶えに言い返す。「クソ蛙」という暴言から、ナルの身体を九尾が乗っ取っているのは知っていたが、それでもガマブン太は身を挺して彼女を守った。しかしながら無理に割り込んだ為、流石に限界がくる。


解けた口寄せの術。ガマブン太の姿が消え、白煙が立ち上る。その煙を暫し仰いでいた九喇嘛は改めて守鶴を睨んだ。目を鋭く光らせる。

《格の違いを見せてやろうか…。この三下がァ!!》

静かに。だが怒りを瞳に宿して、九喇嘛は凄まじいチャクラをその身に纏った。禍々しきチャクラが天を衝く勢いで朱く立ち上る。
ぽこぽこと彼女の身体を覆う鎧の如きチャクラから、まるで尻尾のようなモノが……。



《な……ッ!?》
刹那、九喇嘛は身動き出来なくなった。




自らを縛るソレに、九喇嘛は信じられないとばかりに目を見開いた。
それは以前も体験した事のある束縛。抗えぬ力。

「確かに力を貸してやってほしいとは頼んだけど…」

不意に、九喇嘛の耳に澄んだ声が届いた。

「身体を乗っ取れ、とは言っていないよ」

忘れようにも忘れられぬ。静かで、それでいて有無を言わせぬ強き声。

《なぜ、貴様が……ッ!》
地中からピンッと張る。全身を縛るソレに抗いながら、九喇嘛は叫んだ。
突如、目の前に現れた―――うずまきナルトに向かって。

《なぜ貴様が、クシナの鎖を使える…ッ!?》




















燃えるような痛み。全身を襲う痛覚にヒルゼンは呻いた。
「ぐは…ッ」
激痛に顔を歪める。自らの身体を見下ろした彼は目を見開いた。

其処には、口から小刀を伸ばす蛇の姿があった。
(一体何処から………そうか!)

初代・二代目火影との戦闘中に大蛇丸が仕掛けた【万蛇羅ノ陣】。
金剛如意棒で大部分は蹴散らしたものの、無数というのは伊達では無い。

「あの時の生き残り、というわけか…」
突然現れた蛇を目にして、ヒルゼンが口惜しげに零す。

【万蛇羅ノ陣】にてヒルゼンを襲った数多の蛇。その蛇の生き残りが主人の窮地を救ったのだ。
口に隠し持っていた小刀を用いて。


「形勢逆転ですねぇ…。先生?」
くつり、と微笑する。大蛇丸の目前で立ち往生する相棒の危機に、閻魔が躍り出た。

〈猿飛ッ!!〉
「おっと」
閻魔の鋭い爪を優雅にかわす。そのまま大蛇丸は、ピンッと伸ばした指先を閻魔に向けた。

【潜影蛇手】を繰り出す。袖口に忍ばせた蛇が大蛇丸に従い、閻魔の身体に絡みついた。

〈くそ…ッ〉
「邪魔よ。其処でおとなしくしてなさい」
蛇に身体を絞めつけられ、地に伏せる閻魔。それを見下ろした大蛇丸が高慢に嗤った。
ゆっくりとヒルゼンに近づく。

身動き出来ぬ憐れな師を、目に焼きつけながら。
「これで終わりよ…」

ほんの一瞬、大蛇丸は何かを思い返すように瞳を閉じた。暫し感慨に浸った彼は、やがて口を開く。
弟子から師匠へ。

「さようなら。我が師であり、偉大な三代目火影…――――猿飛ヒルゼン」




最後の挨拶を交わした、かつての師弟。
止めを刺そうと近寄ったその瞬間、俯いていたヒルゼンが顔を上げた。逃さんとばかりに大蛇丸の肩を強く掴む。

「…そうだのう。これで最後にしよう…――――大蛇丸」
師から弟子へ。
敗北を認めぬ強き瞳を見た大蛇丸は、無防備に近づいた己を悔やんだ。


(か、身体が…言う事をきかない…!?)

突如としてぴくりとも動かぬ自身の身体を大蛇丸は愕然と見下ろした。ヒルゼンに視線を戻す。
殺意を瞳に宿し、大蛇丸は声を荒げた。
「術も発動しない……。なんだ、何をしたァ!?」

狼狽する。動揺し、殺気を発する大蛇丸に、ヒルゼンは口許に笑みを浮かべた。
宣言した通り、弟子へ最後の訓えを与える。

「【屍鬼封尽】。この封印術は術の効力と引き換えに、死神に己の魂を引き渡す…命を代償とする術じゃ。対象の魂を封印したと同時に、わしの魂も喰われる…そういう契約じゃ」
「こんな術をどこで…ッ、」
「言ったじゃろう? 二つ名が伊達ではない事、その身を以って知るがよい、とな」

木ノ葉に存在する全ての術を使いこなす『プロフェッサー』または『忍の神』と謳われた、歴代でも最強とされる火影。その二つ名に恥じぬ知識と力を兼ね備えたヒルゼンは、かつての弟子の魂をしっかと捉えていた。
全身を刃物で突き刺されているにも構わず、老齢にも拘らず、彼の力は揺るぎない。

「これからお前の身体から魂を引き摺り出し、封印する」

得体の知れぬ手に腹の内を弄られているかのような感覚を覚える。嫌悪と恐怖を同時に感じ、大蛇丸は身を捩った。
しかしやはり身体はまるで石と化したかのように、微塵も動かない。

大蛇丸はヒルゼンの背後に目をやった。ぞくりと寒気を覚える。
其処には恐ろしい形相をしたナニカがいた。


底無しの昏い瞳をぎょろりと動かす。それでいて白い髪を乱れさせ、鬼の形相でにたりと笑う。
その異形の存在に、大蛇丸は思わず息を呑んだ。
「これが……死神!?」



大蛇丸から何かを引き摺り出そうとしている異形の腕。ヒルゼンの腹を突き破っているソレは大蛇丸の中から白い塊――魂というべきものを引き摺り出そうとしていた。

術の効力と引き換えに己の魂を死神に引き渡す、命を代償とする封印術。その術を契約した者のみが視えるという死神の姿は、魂を半分ほど引き抜かれた大蛇丸の目にも見て取れた。

死神に魂を抜かれるという未知の体験に、大蛇丸は内心慄然としていた。だがその恐怖を押し殺し、彼は憎悪を湛えた瞳で元師であった火影を見遣る。
全身を刀で突き刺されたヒルゼンもまた、大蛇丸を射抜くような眼光で見据えている。
だが大蛇丸と違い彼の瞳には、確かに不肖の弟子に対する慈愛があった。やわらかく微笑む。


「共に逝こう、大蛇丸……」
穏やかな死の宣告がその場に響き渡った。

 
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