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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第一章 土くれのフーケ
  第七話 未知数の実力

「おっ、美味しいですっ! シロウさんってお料理上手なんですね」
 
 明かりが漏れる食堂の厨房からシエスタの感嘆の声が聞こえてくる。

「ん? ああ。ありがとうシエスタ。まあ、数少ない趣味の一つと言うのもあるが……昔はよく作らされてたりしたからな」
「そう、なんですか? でも、厨房の鍵を開けただけでこんなに美味しい料理を食べさせてくれるなんて、何だが申し訳ないです」
「いや、そう畏まられても困るんだが……。本当にシエスタには感謝しているんだ。何せ朝から何も口に出来なかったからな……シエスタが厨房の鍵を開けてくれなかったら、確実に明日の朝まで何も食べられなかったよ」





 突然だが、何故深夜の厨房で士郎がシエスタに料理をご馳走しているのかと言うと。勿論士郎が美味しい料理をご馳走すると言いくるめ、いかがわしいことをしようと誰もいない深夜の厨房にうら若き乙女(シエスタ)を連れ込んだという理由(わけ)ではなく。ちゃんとした理由があった。
 それは学院長室から出た直後のことであった。突然の空腹に襲われた士郎は、そこで自分が今朝から何も食べていなかったことを思い出すと、悲しげに鳴く腹を抱えて足早に食堂に行ってみたのであったが。着いた時には、食堂も厨房も既に明かりが落ちていてしまった後であった。すっかり明かりも人気も無くなった食堂の前で抗議の声を上げる腹の音に屈っし、士郎が愕然と床に膝を着いた―――そんな時のことだ。
 ―――シエスタ(救いの女神)が声を掛けてきたのは。
 もういっそちょっと外に狩りにでもいって(学院には色々(・・)といるし)、久々にジビエ料理でも楽しむかと考え物騒な笑みを浮かべていた士郎の背中に、恐る恐ると言った様子で声を掛けてきたのがシエスタであった。
 学院のメイドならばもしや何か食べ物に心当たりがあるのではと考えた士郎が、これ幸いにとシエスタに事の次第を説明してみたところ、『料理長には後で事情を説明しておきます』と、何と厨房の鍵を開けてもらえたのであった。喜んだ士郎は自分の分の料理を作るからわら、小腹が空いているというシエスタにも料理を作ってあげたのだった。
 




「しかし本当に助かった。シエスタには今度なにかお礼をしなくてはな」
「そっ、そんないいですよ。こんな美味しい料理を作ってもらっただけて十分ですよ」

 士郎の言葉をシエスタは顔を横に振って断ったが。

「いや、流石にこれはお礼にはならないからな。そうだな、何かないか? して欲しいことや欲しい物とか?」

 笑いかけてくる士郎にシエスタは顎に指を当て。

「え、えっと。それでは、その。明日のお昼なんですが、料理を運ぶのを少し手伝ってもらってもいいですか? 実は給仕の子が一人お休みしてしまって。朝は平気なんですが、お昼に少し人手が足りなくなるかもしれないんです」
「ああ、そのぐらい問題ないな。明日の昼だけでいいのか?」
「はい。十分です」

 シエスタのお願いに士郎は快く頷いた。





 明けて次の日のお昼。授業が終わり、食堂へと向かうため教室を出ようとするルイズに、昨夜のシエスタとの一件について説明し、ちょっと手伝いに言ってくると伝えたところ。何故かルイズは不機嫌になるも、『別に好きにしたら』との許可が貰えたことから、士郎はシエスタの手伝いのため食堂へと向かった。
 そんな理由(わけ)で今。士郎は“アルヴィーズの食堂”にいた。ちょっとした体育館並の広さがあるだろう“アルヴィーズの食堂”の中を、デザートのケーキがずらりと並んだ大きな銀のトレイを片手に、本職のウエイトレス並みの動きで、何十人もの食事を取る貴族の間を泳ぐように移動しながらケーキを一つずつ貴族たちに配っていく士郎。その余りの早業は、メイドたちが思わずその熟練の技に見惚れていた僅かな時間で、割り当てられたケーキを全て配り終えてしまう程であった。
 全てのデザートを配り終え、手持ち無沙汰になった士郎は、他の手伝いにでも行くかと辺りを見回していると。とあるテーブルに、金色の巻き毛にフリルのついたシャツを着た、見るからにキザなメイジの姿が目に入った。 
 薔薇をシャツのポケットに挿したそのキザな貴族を、何やら周りの友人が口々に冷やかしている。

「なあギーシュ。お前、今は誰とつき合ってるんだ?」
「つき合う? はは、残念ながらぼくには特定の女性は出来ないんだ。ほら、薔薇は多くの人を楽しませるために咲くものだろ。ぼくが誰かのものになってしまったら、多くの女性が悲しみの余りに命を絶ってしまうからね」

 前髪を払いながら聞いてるこちらが恥ずかしくなる言葉を外聞なく大声で口にしている、どことなく昔の悪友に似ている気がすると感じる少年―――ギーシュを見ていた士郎は、そこで偶然ギーシュのポケットからガラス瓶が落ちる瞬間を目にする。
 床は絨毯が敷かれていたため、衝撃と共に音も吸収したことから、会話を楽しんでいたギーシュは、自分のポケットからガラス瓶が落ちたことに気付いていないようであった。

「失礼ですがミスタ。こちらを落とされましたが」

 自然と足が動いた士郎が声を掛けながら落ちた瓶を差し出すが、ギーシュは差し出された瓶をチラリと見るも、何の反応もせずそのまま周囲の友人との会話を続ける。
 妙だなとは思いながらも、親切心でもう一度尋ねる士郎。

「これはあなたのものでは?」

 周りの視線が集まり始めると、流石に無視することが出来なくなったのか、ギーシュが渋々といった様子で士郎に顔を向けた。

「さ、さっきから君は一体なんなんだい? ぼ、ぼくはそんなものし、知らないぞ」
「いえ、確かにあなたが落とされるのを見たんですが……」

 見間違いはしてない。しかし、本人が否定しているのだし、どうしたものかと考えていると、士郎が結論を出すよりも早く、ギーシュの友人が瓶を取り上げ声を上げた。

「おい。これモンモランシーの香水じゃないのか? うん、この瓶の色は間違いないね。んんっ? という事は君。もしかして今モンモランシーとつき合ってるのかっ!」
「ちっ、ちちち違う。っっ、い、いいかい。彼女の名誉のために言っておくが―――」

 ギーシュが何か言い訳しようとしたところ、突如後ろのテーブルに座っていた茶色のマントを羽織った少女が立ち上がった。ギーシュの席に向かって、コツコツと早足で歩いてくる栗色の髪の可愛らしい少女。
 その少女から発せられる剣呑とした空気を感じ取った士郎は、本能的に非常に危険な事態が起こっている事を直感した。
 士郎はその無数の修羅場の経験から、文字通り身に染みる程理解していた。ああなった女性は酷く恐ろしく、そしてこちらの言い分を全く聞かないと言うことを。

「ギーシュ様……やっぱり、あなたはミス・モンモランシーと……」
「ッけ、ケいティッっ?! ちちちち違うんだだだよ。かっ、か彼等が勝手に誤解しているだけで、ぼ、ぼくくはは―――」

 ガクガクと明らかに挙動不審な行動を取るギーシュであったが、パンッ、という甲高い音に停止される事になった。
 ケティの平手がギーシュの頬を打ったのだ。

「―――ッ、その香水があなたのポケットから出てきたのが何よりの証拠ですっ! さよならっ!!」

 涙を流しながら、ケティという少女は食堂から飛び出してしまう。去っていく少女の背中を、はたかれた頬を撫でながら呆然と見送るギーシュ。
 ―――だが、彼の女難はまだ終わっていなかった。
 その光景を一部始終見て立ち上がるもう一人の女生徒。見事な巻き髪の女の子である。いかめしい顔つきで、かつかつと甲高い靴音を響かせながらギーシュの席までやってくる―――と。

「ごっ、誤解だモンモランシー! 彼女とはただ、ラ・ロシェールの森へ遠乗りをしただけでっ、何もやましい事は一つも、その無いと……うん、なかったよ」

 うんうんと激しく頭を上下に振りながらも何とか目の前の少女を説得しようとするギーシュ。本人は冷静なつもりなのだろうが、口調は明らかにどもっており、顔面には冷や汗が伝っていた。

「―――やっぱり、あの一年生に手を出していたのね」
「は、はは……。おっ、お願いだ。ぼくの麗しの“香水”のモンモランシー。咲き誇るその薔薇の様な顔を、そ、そそっ、そのような怒りで歪ませないでおくれ。ぼくまで悲しくなるじゃな―――」

 モンモランシーと呼ばれた少女は、その訴えに対し近くにあったワインのビンをギーシュの頭の上で逆さにするという形で答えた。顔どころか全身をワインで濡らしたギーシュに対し、モンモランシーは背中を向け怒りに震えた声で応えた。

「ッこの嘘つきっ!!」

 食堂を震わせる怒声を浴び、シュンっ、と身を縮こまたギーシュを置いて、食堂を後にするモンモランシー。一人残されたギーシュは、ハンカチで顔と髪に付いたワインを拭き終えると、芝居がかった仕草でぐるりと周りを見渡した。

「は、ハハ……こ、これは参ったね。あのレディ達は薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 まるで去っていった彼女たちが、重要な真実を知らないといわんばかりの態度をとるギーシュの姿に、食堂の生徒達は呆れ返った。
 すろと、他の者と同様に呆れた顔を浮かべていた士郎を、突然ギーシュが睨みつけてきた。

「っ、分かっているのか! 君の取った軽率な行動のおかげで、二人のレディの名誉が傷ついたんだぞ。一体どうしてくれるんだ」

 その言葉に士郎の顔に苦笑いが浮かぶ。

「は? いや、どうと言われても」
「いいかい給仕君。ぼくは君が見せてきた瓶の事を無視しただろ。事情を察して話を合わせるぐらいの機転があってもいいだろう」
「あ~……。まぁ、二人の女性と付き合うこと自体には、俺にとやかく言う資格はないが……悲しませるのはどうかと思うぞ」
「ふ、ふん、偉そうに。君にそんなこと言われてもね。ああ、そうか君は……」

 ギーシュは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「確か、あのゼロのルイズが呼び出した平民だったな。平民に貴族の機転を期待した僕が間違っていたよ。ゼロのルイズの使い魔は、しょせんその程度のものだよね」

 先程まで困った顔をしながらも、何処か微笑ましげに見ていた士郎の目が、一瞬にして変わった。目つきが鋭くなり、ザワリと周囲の気配が蠢く。周りにいた者たちは、漂い始めた剣呑な気配を感じ取ったのか、じりじりと士郎たちから離れていく。
 だがしかし、明後日の方向に顔を向けて、こんこんと芝居がかった言葉を続けるギーシュは気付いてはいなかった。

「―――魔法の使えないゼロの使い魔も、やっぱり使い魔としての実力がゼロとは、はぁ、本当に困ったものだね」
「―――なら、確かめてみるか?」
「え、なんだって?」

 ギーシュは振り返ると戸惑うように目を瞬かせた。

「俺の使い魔としての実力がゼロかどうか。自分の身を持って確かめてみるかと聞いている」
「ふんっ、そんなこと確かめなくても十分に分かってるさ」

 胸に挿している薔薇を手に取り左右に振りながらギーシュは答えた。

「―――怖いのか」
「なに?」
「俺と戦うのが怖いのか」

 ギーシュの目が光った。

「ふ~ん。どうやら君は、貴族に対する礼儀と言うものを知らないようだね」
「あいにくとこちらは一般市民の出なんで。そう言った礼儀には疎くてな。気に障ったようなら謝ったほうが良いか?」

 士郎が肩を竦め馬鹿にしたような態度をとると、ギーシュのこめかみがビクビクと動いた。

「ふ、ふんっ。なら君に礼儀を教えてやろう。ちょうどいい腹ごなしだ」

 ギーシュは士郎に指差すと、苛立たしげに椅子から立ち上がる。

「是非ともその礼儀というものを教えてもらいたいな」

 士郎は馬鹿にするように鼻で笑う。

「それで、礼儀とやらは一体どこで教えてもらえるんだ?」

 ギーシュは、くるりと体を翻して食堂の出口に向かって歩き出す。

「仕事が終わったらヴェストリの広場に来たまえ。ああ、一応注意しておくけど、最後の仕事になるかもしれないからって、あまり時間を掛けないでくれよ」

 笑いながらそんな事をのたまってギーシュが去っていく姿を見た友人たちは、わくわくした顔で立ち上がると、足早にギーシュのあとを追っていく。
 しかし、その中の一人が、何故かテーブルに残っていた。士郎を逃がさないために、見張るつもりなのだろう。
 一部始終を見ていたシエスタが、不安気に身体をブルブルと震わせながら士郎を見つめている。

「し、シロウさん、殺されちゃう……。貴族を本気で怒らせたら……」

 シエスタは震える体で士郎に詰め寄ってくる。

「シロウさんっ。早く謝りましょう。謝ったらきっと許してくれますよ」

 詰めよってきたシエスタの頭に手を置き軽く撫でた士郎は、シエスタの手にあるケーキが乗ったトレイを取り上げると、軽く肩を竦めてみせた。

「ま、何はともあれ、さっさと残りのデザートを配るか。この程度の事でシエスタへの礼にケチを付けられても困るからな」





「―――本当に大丈夫なの?」
「ん? まあ、気にするな」

 士郎が給仕の仕事を終え、ギーシュの待つヴェストリの広場へ向かおうとすると、それを待ってたかのようなタイミングでルイズが士郎に声を掛けてきた。

「大丈夫さ。まあ、安心して見ていてくれルイズ。折角の機会だ。ルイズが一体どれほどの使い魔を召喚したのか見せてやるよ」
「……そう。ええ、分かったわよ。楽しみにしてあげるから、無様な姿だけは見せないでね」

 士郎の自信に溢れた言葉にルイズは微かに笑みを浮かべた。

「おい、それでヴェストリの広場と言う場所は何処だ?」

 士郎を見張っていたギーシュの友人達に行き先を聞くと、その内の一人が顎をしゃくって歩き出した。

「こっちだ。平民」

 それについていく士郎の後ろ姿を、好奇心に瞳を輝かせながらルイズが見つめ。

「シロウ……あなたの実力見せてもらうわよ」

 小さく呟いた。



 ヴェストリの広場は、魔法学院の敷地内にある“風”と“火”の塔の間に位置する中庭である。西側にある広場なので、そこは日中でも日があまり差さず、人は滅多にこない。つまりは決闘にはうってつけの場所である。そんな人気もなく陰気な場所であるヴェストリの広場に今、噂を聞きつけた生徒たちで溢れかえっていた。

「紳士淑女の諸君っ! 決闘だ!」

 ギーシュが薔薇の造花を掲げると、ウオーッ! と周りから歓声が湧き上がった。

「ギーシュが決闘するぞ! 相手はあのゼロのルイズのところの平民の使い魔だ!」

 歓声が聞こえる中、士郎はどうやって勝つか腕を組んで考えている中、ギーシュは腕を振って、歓声に応えている。
 ある程度満足がいったのか、歓声が少し静かになっていくと、余裕綽々な顔付きで士郎に顔を向けた。
 士郎とギーシュは、広場の真ん中に立ち。ギーシュは士郎を睨みつけ、士郎は挑発的な目つきでギーシュを見ていた。

「―――とりあえず逃げずに来たことは……褒めてやろうじゃないか」

 ギーシュは薔薇の花を弄りながら、どこぞの劇の役者のような身振りをする。

「逃げる必要が見つからないからな」
「ふんっ、それじゃ始めるとしようか」

 薔薇の花を士郎に突きつけるギーシュ。

「開始の合図はどうする?」
「そうだね、君の好きなタイミングで構わないよ」

 そう口にしたギーシュは士郎を余裕の笑みで見つめると、薔薇の形をした杖を振った。宙に舞う7枚の花弁が地面に落ちると、甲冑を着た女戦士の形をした人形になる。
 身長は人間と同じぐらいだが、硬い金属製で出来ているようだ。

 ゴーレムが7体、材質は青銅。厚さはそこまでないな。さて……どう料理するか。

 現れたゴーレムを冷静に分析しながら士郎は攻略の方法を考える。

「へぇ、驚かないんだね。そうそう、僕はメイジだ。だから魔法で戦うよ。よもや文句はあるいまいね」
「好きにすればいい。どうせ結果は変わらないからな」
「そうかい。それでは、“青銅”のギーシュがゴーレム“ワレキューレ”が相手をするっ!」

 ギーシュがそう言うや否や。女戦士の形をしたゴーレムたちが、士郎に向かって一斉に突進する。青銅製のワレキューレの拳や足が、凶器となって士郎に襲いかかる。常人では躱すどころか防御することすら難しい攻撃を。

「―――遅い」

 しかし士郎は余裕を持って避けていく。

「なっ、なんでっ?!」

 士郎は前後左右から襲ってくるワレキューレの拳を必要最小限の動きで避ける。当たりそうで当たらない。紙一重で士郎はワレキューレの攻撃を避け続ける。危なげもなく涼しい顔でワレキューレの攻撃を避け続ける士郎の様子を見て焦ったギーシュは、士郎の周囲をワレキューレで取り囲むと、一斉に攻撃を仕掛けさせる。猫の子一匹逃がさない包囲網からの同時攻撃。避けることなど不可能。
 そんなギーシュの考えは。

「だから、遅いと言っているだろうが」

 周りを取り囲んだワレキューレが、飛び掛かかろうと膝を曲げた一瞬の死に体の瞬間を狙って、ワレキューレの間にある僅かな隙間をすり抜ける。
 ワレキューレの間をすり抜けた士郎は、勢いをそのままにギーシュの前へと進み。

「なっ、ちょっ!」
「一つ」

 目の前に現れた士郎の姿に驚き慌てるギーシュの頭へ、途中で拾った木の枝を降り下ろす。

「ッ痛!」  

 パシンという快音と共に頭を叩かれたギーシュは、反射的に頭を抑えながらうずくまる。

「さてと、まだやるか?」
「なっ、ナメるな~!」

 手に持った木の枝で肩を叩きながら、士郎が蹲るギーシュを見下ろしながら続けるかと問う。それに対し、激高し勢いよく立ち上がったギーシュは、再度ワレキューレに命じて士郎に攻撃を仕掛けた。





 所変わってここは、決闘が始まる少し前の学院長室。
 そこでは、オスマン氏とコルベールが向かい合って話しをしていた。

「しかしの~、“虚無”については、以前さんざん調べたしの~。今さらもう一度調べてみるのもの~」
「オールド・オスマン、そう言われても、もう一度調べて見たら何かあるかも知れませんし」

 コルベールは、立派な机の上に乗り掛かりながら文句を言っているオスマン氏を何とか説得しようと試みているが、オスマン氏のやる気を出させることが出来ないでいた。

「はぁ~。そう言われてもの~。な~んかあの男に言い様に扱われてる気がするしの~」
「オールド・オスマン、それは考え過ぎですよ。それに、言い様に扱われても生徒のためになるのですから」
「まあ、それはそうじゃが」

 コルベールの説得が効果を表して来た所に、ドアをノックする音が鳴った。

「誰じゃ?」

 ドアの向こうから、ロングビルの声が聞こえてきた。

「私です。オールド・オスマン」
「なんじゃ?」
「ヴェストリの広場で決闘が行われており大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒たちに邪魔をされ、止められないようです」
「全く、暇を持て余した貴族ほど性質の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんじゃ?」
「一人は、ギーシュ・ド・グラモンです」
「あの、女好きのグラモンとこのバカ息子か。親父は色の道では豪の者じゃったが、息子はそれに輪をかけて女好きじゃ。ま、おおかた女の子の取り合いじゃろう。そんで、相手は誰じゃ」

 そう言ってオスマン氏は、ずいぶん前に入れた温くなったお茶を不味そうに口を含み。

「それがあの……実は相手はメイジではありません。その、ミス・ヴァリエールの使い魔の―――ミスタ・シロウのようです」

 ―――ブバフッ!―――

「なっ、なんじゃとっ!」
「それは本当ですかミス・ロングビルっ!」

 オスマン氏は飲んでいたお茶を勢いよく吹き出すと、同様に驚いたコルベールと一緒にロングビルに詰め寄る。

「は、はい。そ、それで教師たちは、決闘を止めるため“眠りの鐘”使用を求めているのですが」

 ロングビルの言葉にオスマン氏の顔が苦渋に歪む。

「ふむ。しかし決闘騒ぎを止めるのに秘宝を使うのものぅ。使う使わないはともかく、一応広場の周りに教師を集めておきなさい」
「分かりました」

 ロングビルの遠ざかる足音を確認した後、コルベールは恐る恐るオスマン氏に向かって口を開いた。

「それで、その、オールド・オスマン……大丈夫だと思われますか?」 
「分からん。じゃが、あの男は無闇に人を傷付けるとは思えんしの。あの男の力を見る、いい機会かもしれん」

 オスマン氏はそう言って杖を振るう。すると、壁にかかった大きな鏡にヴェストリ広場の様子が映し出された。





 ―――そっ、そんな馬鹿な。当たるどころか、かすりもしないだって!?

 何時もは閑散としたヴェストリ広場は、奇妙な熱気と共に騒然とした空気が満ちていた。
 広場にいる者の殆んどが、憐れな平民がギーシュにぼろぼろにされるものと予想していたが、いざ蓋を開けてみると、ぼろぼろにされているのは貴族のギーシュの方であった。
 もちろん、貴族とて完璧ではない、特にギーシュはメイジの中では一番下の“ドット”のメイジである。隙をつかれて反撃を受ける可能性は高く、見物に来た者の多くは、反撃を受けたギーシュを笑ってやろうと思っていたのだが、今、目の前で起きていることはそんなものでは決してなかった。
 圧倒的強者であるはずのメイジが、ただの木の枝を持った平民に言い様にあしらわれているのだ。

「これで四十九」

 ヴェストリ広場に本日四十九回目のパンッ、という快音がギーシュの頭から響くと、とうとうギーシュは地面に崩れ落ち座り込んでしまった。それを見て笑う者は誰もいない。
 それも無理はないだろう、ただの木の枝とは言え、音が広場に響く程の勢いで、何度も同じ箇所を寸分たがわず叩かれているのだ。大の大人でも耐えきれないだろう。むしろ、ギーシュはよく頑張った方である。その証拠に周りの誰もがギーシュを笑っていない。

「ハアッハアッ……」

 地面に両手と膝を着いているギーシュの頭上から士郎は声を掛けた。 

「どうする? まだ、続けるか?」

 最初と同じように木の枝で肩を叩きながら問うてくる士郎に向かって、ギーシュはゆっくりと顔を上げる。

 な、何となく只者じゃないな~と思っていたけど……これ想像以上だ。ふっふふ、もう魔力はすっからかんだ……けど。

「ま、まだまだ。……せ、せめてか、かすらせて見せる」

 痛みや疲れ、悔しさなどいろいろな感情が混ざった涙目に、どこか懐かしいものを見るような目でギーシュを見た士郎は、口の端を微かに曲げギーシュの頭をガシガシと乱暴に撫でた。

「わっ、なっ、何をするっ」
「いや、見くびっていたと思ってな」

 そう言うと士郎は、ギーシュと決闘を開始した地点に戻る。右手に持った木の枝を体の正面に持っていき、士郎はギーシュに向かって騎士の礼を示す。纏う雰囲気は、素人目でも明らかなほどに歴戦の騎士の気配を漂わせていた。
 周囲で観戦していた生徒達が見惚れる程に綺麗な礼の姿を見せながら、士郎がギーシュの名を呼ぶ。

「さあ来いギーシュっ! せめて一撃、この身に当てて見せてみろっ!」
「うっ、う・お・オ・ッオオオ」

 エミヤシロウ……ははっ、なんて、なんて凄い男なんだ! この男は一体どのくらい強いんだ……僕も、こんな……。

 疲労で震える体を必死に動かし、ただ真っ直ぐ士郎に向かってギーシュは駆け出す。精神力を限界まで使ったギーシュには、魔法を使う余裕が無く。ならば震える足を必死に動かし、せめて士郎に体当たりでもと最後の一歩を強く踏み出し。

「ダアァーッ!」

 せめて、一撃……っ!

「―――良い気迫だ。お前はきっと強くなる」

 必死の形相で向かって来るギーシュの額に、士郎は右手に持った木の枝をタイミング完璧に降り下ろし―――ヴェストリの広場に本日五十回目の快音が鳴り響いた。





 士郎の一撃を受け、奮闘虚しく倒れようとするギーシュは、無意識に覚悟していた地面とは違う硬くも暖かい感触に戸惑っていると。

「鍛え直して、また挑戦してみろ」

 頭を叩く軽い感触と共に、力強い声が聞こえ。

 そんなの……。

「もち、ろんだ」

 結局指先すら届かなかった男からの言葉に対し、ギーシュは微かに笑いながら答えた。





「ギーシュっ!」

 周りの観客の中から、食堂でギーシュにワインをぶっかけた豪奢な髪型の少女が、士郎に寄りかかったまま動かないギーシュに駆け寄っていく。

「心配するな。ただ疲れて気絶しただけだ。寝ればすぐに回復する」

 豪奢な髪型の少女。モンモランシーに、士郎は気絶したギーシュを渡す。

「……あ」

 ギーシュを受け取ったモンモランシーの口から、小さく驚きの声が溢れた。
 気絶したギーシュは、まるで精一杯遊んで寝てしまった子供のような、満足した顔で気絶していたからだ。

 もうっ、こんな顔して……そんなに楽しかったの?

 食堂で見せた怒りは何処へ行ったのやら、ギーシュの顔を見ながら幸せそうに顔を綻ばせているモンモランシーに士郎は顔を寄せると、茶目っ気たっぷりに囁いた。

「いくらギーシュが大好きだからとは言え。ワインをぶっかけるのはやりすぎだぞ」
「―――なっ! ちっ違う、好きなんじゃないっ!」

 モンモランシーが、ギーシュに聞かせまいと頭を両腕で抱えこみ、体ごと左右に振って否定するのを見て士郎は笑いを噛み殺す。

「あれは確かにギーシュが悪いが、馬鹿な男を許してやるのも、いい女の条件だぞ」
「だっ、だから好きなんじゃないって」

 必死に否定するモンモランシーに背中を向けた士郎は、笑い声を上げながら観戦していた生徒たちに向かって歩き出す。近づくと一斉に道を開けた生徒たちの閒を通り、士郎は悠々とウェストリの広場を去っていった。





「……余裕で勝ちましたね」
「ふむ、そうじゃの。それも、全く実力を見せずに……の」

 士郎とギーシュの決闘の様子を学院長室の鏡で確認したオスマン氏とコルベールは呆然とした顔で呟いた。
 士郎が強いということは、その身に漂わせている雰囲気で何となく分かっていたオスマン氏たちでさえ、まさか、メイジの中では一番下の『ドット』とはいえメイジを唯の木の枝1本で倒してしまうとは、さすがに想像の埒外であった。
 オスマン氏は腕を組み顔に刻まれた皺を更に深くしながらコルベールに尋ねる。

「そう言えば、ミスタ・コルベール。最初に君がミスタ・シロウを保健室に連れて行った時、ミスタ・シロウに“ディテクトマジック”をかけてみたかね?」
「えっ、ええ。保健室で寝ているシロウくんに“ディテクトマジック”をかけたことがありますが。それがどうしましたか?」

 コルベールの言葉にオスマン氏は目を光らせる。

「それで反応はあったかね?」
「え? ま、まあ、有りましたが。とは言っても調べてみると、シロウくんが着ていた外套から反応があっただけで、シロウくん本人からは反応は有りませんでした」
「ふむ……彼自身からは魔力の反応は無かったと。それで、彼はその外套のことは何と?」
「確か……知り合いから貰ったとかなんとか」
「誰とは言わぬか。まあ良い……ふむ、しかし本人から魔力の反応は無かったか。……ウムムム、ムゥ〜」

 コルベールの話を聞いたオスマン氏は、ますます難しい顔をして唸った。

「あの、オールド・オスマン。どうかしましたか?」
「ふむ、ミスタ・コルベール。先ほどの決闘でミスタ・シロウが持っていた木の枝、何か変だと思わなかったかね」
「変……ですか?」

 オスマン氏のいきなりの問いかけにコルベールは戸惑う。

「い、いや……特に変とは思いませんでしたが。いたって何処にでも落ちているような普通の木の枝に見えましたが」
「確かに普通の木の枝じゃろうの。たがのぅ。考えても見てみよ。あれだけポンポンと人の頭を叩けば、普通の木の枝ならば直ぐに折れてしまう筈じゃろ?」

 机の上にある筆を上下に振るう仕草をオスマン氏がすると、コルベールは手を叩き納得の声を上げた。

「ああっ、言われてみると。確かに普通は折れてしまうと思いますが……ならば何故、シロウくんが持っていた木の枝は折れなかったのでしょうか?」

 コルベールの疑問にオスマン氏が不敵に笑う。

「あるじゃろう、ただの木の枝をそう簡単に折らずにおける方法がの」
「え? あっ、ああっ! “固定化”だっ!」

 コルベールの理解の声に、オスマン氏も頷いて同意する。

「その通りじゃ。ものの状態を固定する『固定化』ならば、唯の木の枝であろうと、そうそう折れはせん」

 その言葉を聞きコルベールがハッとした顔をして、オスマン氏に詰め寄ってきた。

「そっ、それではオールド・オスマン。まさかシロウくんは……」
「うむ……メイジではないかと疑ったのじゃが。“ディテクトマジック”に反応が無いとしたら違うんじゃろうな」

 詰め寄ってきたコルベールに、予想が外れたことに気を落とした様子のオスマン氏が手に持った筆を左右に振って答える。

「そう……ですね」

 オスマン氏の言葉に頷いたコルベールに、オスマン氏は窓から太陽の位置を確認する。

「ミスタ・コルベール。もうすぐ君の授業の時間だろう、そろそろ教室に行きなさい」
「あっ、はい。そうですね。それでは私はこれで失礼します」
「うむ」

 オスマン氏に言われて、授業がまもなく始まることに気付いたコルベールは、オスマン氏に挨拶をして学院長室を慌ただしく出て行った。
 コルベールが学院長室を出て行き、一人椅子に深く座り直したオスマン氏は、天井を見上げながらポツリと呟く。

「エミヤシロウ……彼は一体何者なんじゃろうな?」

 今分かっているのは、せいぜい“ドット”メイジでは軽くあしらわれるほどの実力者であるということぐらいかの……。

 士郎の正体を考えながら、オスマン氏は士郎と話しをした昨日の夜を思い出していた。

 あの胆力、眼光、冷静さ……歴戦の戦士どころじゃないの……。

 そこまで考えたオスマン氏は、机から水キセルを取り出してプカリと煙を吐き出すと、開いた窓から吐き出した煙が空に溶けていく様子を眺めながらポツリと呟いた。

「ま、何はともあれ、今はまだまだ様子見かの……」

  

 
 

 
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