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フィデリオ

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第一幕その三


第一幕その三

「御前さんは勇気もあるようだな。さらに気に入った」
「目的を達成する為なら」
 彼は言った。
「勇気は欠かせないものですから」
「うむ」
「フィデリオさん」
 マルツェリーナが声をかけてきた。
「頑張って下さいね」
「はい」
「そしてその囚人の方にも神の御手を」
「わかっています」
「それだけの思いやりの心があれば大丈夫だな」
 ロッコはそこまで聞いて決心した。
「では総督様にそれもお願いするとするか。御前さんをわしの補佐役にすることもな」
「ええ、お願いします」
「お父さん、絶対よ」
「わかっておる」
 娘に対してまた答えた。
「ではな」
「はい」
 ロッコは部屋を後にした。フィデリオがそれに続く。ヤキーノはここにいても今は無駄だと悟ったのか仕事に戻った。マルツェリーナはそれを見届けた後でアイロンがけに戻った。彼等はそれぞれの仕事に戻ったのであった。
 この刑務所の門は壁のそれと同じく高く、そして厚い。しかも鋼でできていた。悪魔の装飾が施された漆黒の門であり、それが開かれることはないようにすら思われた。まるで地獄の門であった。
 しかし今その地獄の門が開かれた。入口から一人の男が取り巻き達を引き連れ中に入って来た。
 黒い服とマントを身に着けている。厳しい顔をした大きな身体の男でありその目の光は黒く鋭い。まるで魔物のようであった。髪は黒く後ろに撫で付けられている。黒々と不気味に光っている。
 その周りにいる男達もまた不気味な者達であった。彼と同じく不気味な黒い服を着ていた。だがマントは羽織ってはいない。また黒い服といっても彼等のそれは軍服の様な制服であった。男の豪奢な貴族のそれと比べると明らかに差があった。まるで魔王とその従者達のようであった。
 男の名はドン=ピツァロという。この刑務所の所長である。かってはスペイン警察の重役であった。そこで酷吏として知られていた。罪なき者達を陥れ、苛烈な拷問により無理矢理自供させ、その財を巻き上げるのを得意としていた。だがそれをとある貴族に追求され、刑務所の所長に左遷されていたのである。狡猾にして残忍、貪欲な男として知られている。
「少ないな」
 彼は壁を見上げてそう言った。
「歩哨の数はもっと多くしろ」
「ハッ」
 その声に後ろにいる黒服の男達は頷いた。
「橋にもだ。この程度では警護とは言わぬぞ」
「わかりました」 
 彼等はそれに頷いた。そして左右に散り周りの者にピツァロの言葉を伝えたのであった。ピツァロはそれを不機嫌そうな顔で眺めていた。
「この程度のこともわからぬとはな。無能共が」
 そう言いながら橋を渡り刑務所の中に入った。取り巻き達も入ると門が閉じられた。その時重い音が刑務所の中に鳴り響いた。
「お帰りなさいませ」
 ロッコが彼を出迎えた。後ろにはフィデリオもいる。
「うむ」
 ピツァロはそれに対し傲慢に返した。
「御苦労であった。ところで手紙か何かは届いているか」
「はい」
 ロッコはそれに頷いた。そして手に持っているものを差し出した。
「こちらに」
「ふむ」
 ピツァロはそれを受け取った。そしてそれの表をまず見た。
「まずは紹介状か。そして詰問状」
「はい」
「見たことのある筆跡だな」
 そう言いながら封を切る。そしてその中身を見た。
「これは大臣のものか」
「大臣の!?」
 フィデリオはそれを聞いて呟いた。
「!?ロッコよ、そちらにいる者は」
 ピツァロも彼に気付いたそしてロッコに尋ねてきた。
「最近新しく入った看守の一人ですが」
「そうか」
「フィデリオと申します。お見知りおきを」
「うむ」
 鷹揚に答え手紙に戻った。見ればこの刑務所の囚人の扱いについての詰問状であった。囚人の虐待の噂を聞き、大臣自ら視察に来るというものであった。
「まずいな」
 彼はそれを見て呟いた。そして心の中で思った。
(大臣は今までフロレスタンが死んだものと思っていた。しかしこの刑務所に彼がいると知れば。厄介なことになるな)
 彼はこの時自分の首が寒くなったのを感じていた。大臣とフロレスタンという男の関係について知っているうえでそう思ったのであった。
(ここは一思いに)
 そしてこう思った。
(やってしまうか。思い立ったが吉日だ)
 急に決意を固めた。
(戸惑っていては駄目だな、毒を食らわば皿までだ。よく考えてみると今まで生かしておくこともなかった)
 誰かを殺そうと決意したらしい。
(誰かに任せては駄目だな。私でやろう。私自身で方をつける)
「所長」
 黒服の部下達が彼に声をかけてきた。
「どうした?」
「そろそろ中に入られませんか」
「中に?」
「はい。ここでいても仕方がないでしょうし」
「そうだな」
 ここでようやく我に返った。そして辺りを見回した。
 
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