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とあるβテスター、奮闘する

作者:らん
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投刃と少女
  とあるβテスター、幽閉される

―――2022年11月6日 第一層『はじまりの街』周辺フィールド―――



「ユノくん、たのむよー」

「はいはい―――っと!」

気の抜けるような間延びした声を聞きながら、手にした投擲用のナイフを敵に目掛けて投げつける。
同時に、声の主である女性は横へと飛び退いた。敵へと向かうナイフの軌道を妨げないためだ。
女性の持つレイピアによって牽制されていたイノシシ型のモンスター『フレンジーボア』は、自分を牽制していた相手が突然飛び退いたため、攻撃対象を見失う形となる。
それによって生まれた一瞬の隙を突いて、直線軌道を描くナイフがモンスターの急所へと迫った。

投剣スキル基本技、シングルシュート。

鮮やかなライトエフェクトに包まれたナイフは狙い違わずに敵モンスターの脳天へと吸い込まれ、ブヒィ!という苦しげな断末魔と共に、青いイノシシがガラスのような破片となって砕け散った。
「やったー!大勝利!」
いい歳して(外見はアバターであるため実年齢は不明だけど、アバターの見た目だけでいうなら20代前半のお姉さんに見える)ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを表現する女性に苦笑しながら、今の戦闘で消費した分のナイフを補充する。

―――これで何匹目だっけ?

ゲーム開始直後に目一杯買い込んでおいた投擲用ナイフは、随分とその数を減らしていた。
目の前の女性と自分。お互いの動きがかなりスムーズになってきたところをみると、既に両手の指では足りない数を倒したことになるかもしれない。


「ユノくんすごいねー。わたしじゃそんなに上手に投げられないなぁ」
「慣れてるからね。練習すればこれくらい、すぐにできるようになるよ」
「おお、余裕の発現。憎らしいですなぁ」
草原に腰を下ろし、他愛もない会話をしながら身体を休める。
『休める』といっても実際に肉体的疲労が溜まっているわけではなく、戦闘によって減ったHPが回復するのを待っているだけなのだけれど。

「でも、ほんとすごいなー。ここがゲームの世界だなんて信じられないよ」
目の前の風景を眺めながら、隣に座る女性が感嘆の呟きを漏らす。
ちなみに『ユノくん』というのは“この世界での”僕の名前だ。

そう。
ここは現実の世界じゃない。

『ソードアート・オンライン』―――通称SAO。
ナーヴギアと呼ばれるヘッドギア型の接続機器を用いることにより、自身の五感……すなわち視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の全てを仮想世界とリンクさせることにより、ゲーム世界へのフルダイブを可能とした前代未聞の大規模MMORPG。
『ゲームの世界に行ってみたい』というゲーマー達の願望を形にした、まさに夢のようなゲームだ。

今日、11月6日はSAOの正式サービス開始日だ。
世界初のVRMMORPGだということもあり、その様子は世界中のメディアが注目していた。
当然ながら、初回ロットの一万本はあっという間に完売。
日本中の各地でゲーマー達がSAO購入のために三日前からゲームショップの店頭に並ぶという、傍から見れば異様な光景まで作り上げていたそうだ。

「でもよかった。ユノくんがいなかったらいつまでも『はじまりの街』にいるところだったよ」
「ん……、シェイリはMMO経験者じゃなかったっけ?」
「そうだけどさ~」
隣に座る女性―――シェイリとは、正式サービスが開始されてから一番最初に知り合った間柄だ。
ゲーム開始直後のログイン地点である『はじまりの街』において、投擲用のナイフを買いに向かう途中の路地で声をかけられた。

以前にもMMORPGを嗜んでいたようだけど、フルダイブは初めての体験だったらしく、どこに向かえばいいのわからず途方に暮れていたのだそうだ。
初心者はちょうど武器選びから始める必要があるため、僕が向かっていた武器屋まで案内することにした。

ついでに基本的な戦闘のレクチャーも頼まれ、僕は自身のレベル上げも兼ねて、この女性とPTを組むことになった。
そうして暫くの間二人でモンスターを狩り続け、今に至るというわけだ。

「そうなんだけど、このゲームは今までのとは違うっていうか、なんかこう……」
「……ああ、なるほど」
今までのMMORPGは、パソコン画面の向こう側で繰り広げられるゲームだ。
年々進化する映像技術によって昔よりは迫力があるものが多くなったものの、所詮は『画面の中の出来事』に過ぎない。

例えば。
右も左もわからない状態でフィールドへ出たとして、成す術もなくモンスターにやられたとしよう。
従来のMMORPGでは『モニターの向こう側』のアバターがやられたところで、それはやはりどこか他人事のように思えてしまう。
デスペナルティという形でいくらかの経験値、場合によっては所持金を失ったところで、よほどの高レベルでもない限りは大した損害にはならないだろう。
MMOに限らず、RPGは『死んで覚える』というのが基本であり、初心者の間は自力で試行錯誤することも結構重要だったりする。

でも、それはあくまで“従来の”MMORPGでの話だ。
SAO《フルダイブ》の世界では話は変わってくる。

なにせ、五感全てが仮想世界とリンクしているのだ。
もちろん攻撃されても痛みは感じないようになっているけれど、モニター越しのゲームとは違い、フルダイブの世界で敵にやられるのは“自分自身”だ。
いくら仮想世界とはいえ、自分が怪物に噛まれたり剣で斬られたりする瞬間なんてものは誰だって怖いと感じるだろう。
そのため、初心者の中でも慎重な人や気の弱いプレイヤーは、なかなか一人でフィールドに出る踏ん切りがつかないというわけだ。
シェイリもそのうちの一人だったらしく、フィールドに出て最初の戦闘では終始腰が引けていた。

「ほんと、ユノくんが教えてくれて助かったよ。ありがとね!」
「ん、どういたしまして」
最初はソードスキルのひとつも発動できない有様だったシェイリ。
でも、彼女もSAO購入者の例に漏れずゲーマーなだけあって、戦闘のコツを掴むのは思いの他早かった。
今では戦闘中に声を交わし、簡単な連携くらいならできるようになったほどだ。

ちなみに。
そこに至るまでに既に数時間かかっているのだけれど、その程度はMMORPGでは割と珍しくなかったりする。
ハイレベルのプレイヤーなんて一日中プレイしてる人もいるくらいだ。
僕もSAOにはだいぶはまっているけれど、流石に重度のMMO中毒にはなってない───はず。多分。うん。きっと。


────────────


「さて。そろそろ再開しようか?」
「は~い」
それから二十分ほど経って。
ついつい会話に夢中になってしまい、ふと見ればお互いのHPはとっくに全回復していた。
気付けば辺りも暗くなり始めている。SAOの世界の時間は現実の時間とリンクしているため、今頃現実世界の空はここと同じように夕日に染まっているのだろう。

念のため右手の人差し指と中指を揃えて縦に振り、メニュー画面を開いて時間を確認する。
現在時刻、午後5時26分。
夕食までにはまだ時間があるし、今のうちにいくつかレベルを上げてしまいたいところだ。
シェイリもだいぶ慣れてきたことだし、そろそろ狩りのペースを早めてもいいかもしれない。

そんなことを考えながら。
敵モンスターのいる方向に向かって駆け出したシェイリを援護すべく、腰のホルスターからナイフを引き抜───こうとした、瞬間。

突如として鳴り響いた鐘の音に、思考を遮られた。


草原を吹き抜ける風の音すら掻き消すように、鐘の音が響き渡る。
今まさにモンスターに向かって細剣を突き出そうとしていたシェイリは、攻撃を中断すると不思議そうな顔でこちらに振り向いた。

「ねぇねぇユノくん。これって何の音?」
「………」
シェイリの質問に、僕は答えることができなかった。
これは恐らく、『はじまりの街』にある鐘の音だ。
だけど。あの鐘が鳴っているところなんて、今までに見たことも聞いたこともない。

―――正式サービス開始の記念イベント?それにしては……

「嫌な感じだね……」
「ユノくん?」
夕日で赤く染まった空に、鳴り続ける鐘の音。記念イベントというにはあまりにも不気味な演出だ。
何か、不吉なものを感じずにはいられない。

―――まさか、戻ったら街中ゾンビだらけだったりなんてこと、ないよね……。

少し前にテレビで放送されていたホラー映画の内容を思い出し、軽く身震いしてしまう。
いやいや、何考えてるんだ僕。VRMMOでそんなことあるわけないじゃないか。
それに何かのイベントだとしても、プレイヤー全員が強制参加させられるわけじゃないだろうし。何ならスルーすればいいだけのことじゃないか。
そう結論付け、余計な思考を頭から振り払う。

「ユノく~ん?どうしたの?」
「……ん、何でもない。まあ特に気にしなくても―――」
「ひゃっ、何これ?」
いいかな、と続けようとした僕の言葉は、シェイリの呆けたような声によって遮られた。

「――っ!?」
僕とシェイリの身体が、青白いエフェクトに包まれる。
これは『転移結晶』と呼ばれるアイテムを使うことによって起こる、プレイヤーがテレポートする時のエフェクトと同じだ。
だけど。僕もシェイリも、結晶アイテムなんて使っていない。
つまり、これは……

―――強制転移……?

一体何が?と頭で考えているうちに、視界が暗転した。
続いて転移した瞬間特有の、ふわりとした浮遊感が僕の身体を包み込む。
SAOをやっていると嫌でも経験することになる感覚。だけど、僕は未だにこの感覚が苦手だった。
上昇していたエレベーターが停止する寸前の、あの感覚に近いものがあるからだ。
昔から乗り物全般が苦手な僕にとって、この瞬間は何ともいえない不快感を伴う。

「ユノくん、大丈夫?」
「な、何とか……」
一緒に転移させられたシェイリは特に問題ないらしく、心配そうな表情で僕の顔を覗き込んできた。
心の準備ができないうちに強制転移とか、ほんと勘弁してください……。
人の気も知らずに強引な手段を取った運営に心の中で恨み言を呟いていた僕は、改めて転送先の風景を見回した。

―――あれ?ここは……

SAOに初めてログインした時、最初に見た風景。それから今に至るまで、何度も見た風景。
ゲーム開始直後のスタート地点、『はじまりの街』。ここはその中央広場だったはずだ。

「おい、何なんだよこれは!」
「イベントか何かかー?」
「そんなことよりログアウトできねぇよ!」
「何だ何だ?何が起こってるんだ?」
「バグ直すのにいつまでかかってんだよー?」
「運営仕事しろ!」

ざわざわ、がやがや。

僕たち以外にも強制転移させられたプレイヤーが大勢いるらしく、広場は人気バンドのライブ会場もかくやといった喧騒に包まれていた。
改めて見ると、これだけの人数がSAOにログインしてたんだなぁと感慨深い気分になってくる。

―――って、あれ?何か今、聞き捨てならないことを聞いてしまったような……?

「あ、ほんとだ。ログアウトボタンが見つからないや」
「!?」

―――何ですとぉ!?

呑気に言ってのけたシェイリに、危うく大声で突っ込んでしまうところだったのを何とか抑え込む。
関心したようにメニューウィンドウを覗き込むシェイリを余所目に、慌てて自分のメニュー画面を開いて確認する。

―――ない。本当にログアウトボタンがない……。

フルダイブ形式のゲームでログアウトボタンがないということは、つまり現実世界に戻ることができないということだ。
ナーヴギアは脳から出力される信号を一定の箇所で遮断し、それら全てを自身のアバターへとリンクさせることによって、仮想世界へのフルダイブを可能としている。
当然ながら、フルダイブ中は現実世界の身体を動かすことは一切できない。脳からの信号が遮断されているのだから当たり前だ。
要するに、ゲーム中の僕たちは意識だけをこちらの世界に置き、現実の身体は抜け殻―――悪く言えば、植物状態だ。
もちろん現実世界で食事や排泄を行わないわけにもいかないため、SAOプレイヤーは定期的にログアウトして休憩を取る必要がある。

―――だけど、これじゃあ。

ログアウトボタンがない以上、それも不可能だ。
マニュアルにはログアウト以外に自力であちら側へ戻る方法は記載されていないし、ナーヴギアには内臓バッテリーがあるため、電力切れによって現実世界に戻されるということもない。
家族や同居人がいれば、誰かがナーヴギアを外してくれれば強制的にログアウトすることはできる。
だけど。SAOプレイヤーの中には、一人暮らしの人だって大勢いるはずだ。そういった人達は、誰かにナーヴギアを外してもらうこともできない。
つまり、ログアウトボタンが復旧するまでこのゲームから出ることができない。

―――バグ……?それにしては、対応が遅すぎる……。

SAOも人間が開発したゲームである以上、多少のバグは付き物だ。
でも、これは度を超している。
ログアウトできないなんて前代未聞のバグ、普通ならサーバーを強制停止してでも修正を急ぐべきなのに……。

「………」
さっき感じた、不吉なもの。
赤く染まった世界に、不気味に鳴り響く鐘の音。
そして、消えたログアウトボタン。
それら全てが、僕の“嫌な予感”を増長させる。

考えれば考えるほど、不安だけがどんどん大きくなっていく。
周りの喧騒も耳に入らなくなり、知らず知らずのうちに拳を握り締め―――

「ま、いっか~。続きやろうよ、続き」
「え、ちょっと待―――」
ようとした瞬間、シェイリが僕の腕を掴んで出口へと引っ張っていった。
結構な力で腕を引っ張られ、半ば引き摺られるようにして出口へと向かっていく。

「ほらほら、れっつごー!」
「ちょ、ちょっと、強い強い!自分で歩けるから!」
「えー?」
僕が必死に解放を求めると、シェイリは渋々といった様子で手を放した。
そりゃあさっきまでは狩りの途中だったけど。でも何だってこんな時に、しかもこんなに強引に……

「だってユノくん、さっきからずっと難しそうな顔してるんだもん」
「……あ」
そう言われて。
僕は自分がここに転移させられてから、ほとんど言葉を発していなかったことに気付いた。

“嫌な予感”について考えているうちに、一人で思考の深みに嵌まりかけていたらしい。
これは僕の悪い癖だ。一度ネガティブなことを考えると、どんどん思考がマイナス方向に向かってしまう。

「バグならそのうち直してくれるよ。だから、ね?続きいこ?」
「……そ、だね。どうせ待ってるくらいなら、レベル、上げちゃおうか」
「うん!」
僕の煮え切らない態度にも気にした様子を見せず、満面の笑みを浮かべるシェイリ。
今度はやんわりと僕の手を握り、再度、出口へ向かって歩き出す。

―――ひょっとして、気を遣ってくれてるのかな……。

つい数時間前に出会ったばかりの相手に気を遣わせてしまったことに内心で謝りつつ、一方で感謝する。
心の中が不安で一杯になってしまった時、こうやって明るく接してくれる相手がいるだけで気が楽になるものだ。

「……ありがとね」
「何が~?」
「ん、なんでもない」
「えー?変なユノくん」
にへらと笑うシェイリに、僕も笑顔を返すことができた。

今日、SAOにログインして。最初に出会ったのがこの人でよかった。
そんなことを思いながら、出口の門をくぐろうとして―――

「ぶっ!?」
「ユノくん!?」
ばしん!という音を立てて、“見えない壁”に激突した。
SAOに痛みという概念はないけれど、何かに衝突した時の衝撃はしっかりと再現されている。
不用意に門をくぐろうとした僕は、“見えない壁”にぶつかった衝撃で尻餅をついてしまった。

「大丈夫?」
「うん、痛くはないけど……。もしかして、出られない?」
答えつつ立ち上がり、“見えない壁”にぶつかったあたりを手で叩いてみる。

「ねぇユノくん、これって?」
「侵入不可オブジェクト……?」
よくよく目を凝らして見れば、出口を覆うようにして薄い膜が張られていた。
確かこれは、イベントに使うスペースなどを区切るのに使用されていたオブジェクトだったはず。
つまり、この出口封鎖はさっきの強制転移と同じく、ゲーム運営者の手によるものだということだ。

ということは、運営側はこの広場の様子をどこかで見ているということになる。
だとすれば。これだけの騒ぎになっても尚、何の告知もないというのはおかしい……。

「な、なんだよあれ!?おい、上を見ろ!」

と。
シェイリ共々目の前のおかしな現象に戸惑っているうちに、誰かが叫び声を上げた。
咄嗟に声がした方向に振り返ると、プレイヤーの一人が驚愕に彩られた表情で上空を指差していた。

【Warning】【System Announcement】

その男性プレイヤーの指が指し示している方向に自然と目を向ければ、僕たちの頭上には真っ赤な文字がびっしりと浮かび上がっていた。

システムアナウンス。
他のMMOでは『天の声』とか『神のお告げ』なんて呼ばれているそれは、SAOを管理する運営側からの告知が始まることを意味している。
この状況からして、案件は十中八九ログアウトボタン消失バグについてだろう。
運営側に動きがあったということは、ようやく復旧の目処が立ったのだろうか。

―――よかった。何とかなりそうなのかな?

色々と不安になったけれど、運営が本格的に動いてくれたのなら問題ないはずだ。
このバグさえ解消されてくれれば、あとは予定通りシェイリと二人でレベル上げを―――



と、思ったのも束の間に、


《プレイヤーの諸君》


僕が抱いた、ほんの小さな安堵感は、


《私の世界へようこそ》


本来であれば、僕たちの助けとなるはずの“運営者”の言葉によって、


《私の名前は茅場晶彦》


徹底的に、決定的に、


《今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ》


覆されることとなる。






2022年、11月6日。

後にSAO事件と呼ばれる大事件の、幕が上がった――― 
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