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蒼き夢の果てに

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第5章 契約
  第58話 水の契約者

 
前書き
 第58話を更新します。

 次の更新は、四月十四日。かねてからお伝えしていた、『問題児たちが』の三次小説と成ります。
 尚、三次小説の示す通り、次に上げる文章は、この暁に公開されている、スラッシュさんの『転生者達が異世界でギフトゲームをするそうですよ?』の世界の片隅で起きる話なので、『問題児たちが』の原作に登場するキャラクターたちが登場する予定は御座いません。
 ただ、元々のスラッシュさんの物語が『読者参加』の形を取って居ますから、私が描く文章も、その形を取る事と成って居ります。
 

 
 七月(アンスールの月)  、第四週(ティワズの週)、ユルの曜日。

 南中高度に達した真夏の太陽が、熱死者すら出しかねない勢いで照りつける中、コルベール先生の研究室の入り口から中を窺うかのような雰囲気で立つ大小ふたつの影。

 最早、習慣に成りつつ有った七回目を数える魃姫(ばっき)への食事を運ぶ作業も終了し、コルベール先生が魃姫と思われる少女に食事をさせて居る様子を、見つめるとは無しに見つめる俺。
 そんな俺の右隣には普段通り、俺の主人の蒼き吸血姫が肩を並べる。

 もっとも、あの太歳星君との戦いの後、彼女は俺と擬似的な式神契約を交わした為に、このハルケギニア世界の使い魔契約上では、俺はタバサの使い魔と言う立ち位置と成っています。しかし、俺の式神契約上では、俺から霊力の補給を受けて居る以上、彼女は俺の式神扱いと成っていると言う、何とも表現の難しい相手と成っているのですが。

 愛はお互いを見つめ合う事ではなく、共に同じ方向を見つめる事である。……と言う関係。
 いや、俺と彼女の間に、王子と薔薇が過ごした程の時間が確実に過ごせたとは言えませんか。

 尚、褐色の肌に見事な肢体を持った、真夏の太陽に愛されまくっているはずのキュルケは、容赦のない日差しの下を出歩く事を嫌がって、本日はタバサの部屋でエアコンの番人と化して居ます。もっとも俺からしてみると、暑いのと、熱い、の体感的な違いなど判らないのですが。
 おそらくは、単にコルベール先生の研究室に踏み込むのが嫌なだけだとは思いますけどね。

 そして、我が主タバサに関しては……。

「流石に、昼日中から俺に付き合う必要なんてなかったんやで」

 視線は食事中のコルベール先生と魃姫を見つめ、タバサに関しては言葉のみにて、そう問い掛ける俺。それに、本来なら彼女の方こそ、陽光あふれる世界での行動は控えた方が良い体質を持っていますから。

 しかし、

「問題ない」

 タバサにしては、珍しく実際の言葉にして答えを返してくれる。それでも、彼女が大丈夫だと言うのなら大丈夫なのでしょう。
 それに、当然のように紫外線を遮断するクリームは使用していますし、肌は極力露出させないようにしています。更に、彼女にも精霊の護りが有りますから、タバサの体調さえ万全ならば問題ないのは事実ですから。
 まして最近では、俺と共に厨房に入り込み、調理の手伝いなどを行うようになったので。

 益々、彼女は俺の主人……契約者と言う立場ではなく、家族。同棲相手。などと表現すべき相手と成って来たのは確実ですか。もっとも、食事の準備とは、つまり、仙丹。魔法薬を作製出来るように成る為の修業ですから、何時かは開始しなければならないのですが。

 そんな、少し甘酸っぱいような、かなり照れ臭いような事を考えていたその刹那。

 食事が終了した少女から巨大な気が発生する。但し、大きな気であるのは事実ですが、悪しき気では有りません。
 そもそも、彼女は天帝の妹と伝えられる存在。悪しき気に凝り固まった陰に属する存在では有りませんから。

 それは乾いた風。中国の伝承に語り継がれる、彼女……魃姫が暮らす事を許された地から吹き付ける乾いた西風。

 そして、その一陣の風が吹き止んだ後、その場に存在していたのは……。

 妙にゆったりとした青や緑を主とした衣装に身を包んだスレンダーな美女。いや、()(おや)()と表現すべき優美で、繊細な雰囲気の東洋風の美女がコルベール先生の目の前に存在していた。
 そう。西洋風剣と魔法の世界のハルケギニアでは見た事のない形で、長き髪の毛を見事に結い上げ、金の釵子で纏める女性。尚、釵子と言うのはおひな様の髪の毛を飾るかんざしの事です。
 更に身に纏うそれは天女の印。薄い向こう側が透けて見える天女の羽衣。つまり、()()は、それ自体が引力の定めから解き放たれたが如くひらひらと宙を舞い、開け放したままと成っている研究室の扉からそよぎ来る風になびく。

「魃姫とは、伝承上に語られる天界に帰る事の出来なく成った不幸な天女の事。おそらく彼女は、異世界から何らかの理由で訪れた来訪者で、私と同じように元々住んで居た世界に帰る事の出来なく成った存在」

 俺は、扉から一歩踏み出しながら、大きな驚きに彩られた顔でその東洋的な美女を見上げるコルベール先生に説明を行う。
 尚、タバサに関しては……。普段通り、夜の属性に相応しい雰囲気を纏い、冬の属性の視線で、女童から天女へと変じた魃姫を見つめるのみ。

 もっとも、タバサには魃姫の正体を教えて有りましたし、コルベール先生には教えては居なかったのですから、二人の対照的な反応は、当然と言えば、当然の反応なのですが。

 そして、

「さぁ、天女さま。貴女の帰る道は判りますか?」

 普段の少しいい加減な雰囲気とは違う、真面目な顔、及び雰囲気を纏った俺が、天帝の妹とされる神格を持つ女性に対してそう問い掛けた。

 俺の日本語に因る問い掛けに、少し弱々しい雰囲気ながらも魃姫が小さく首肯く。
 彼女の出自は大陸ですが、日本にも流れて来ている神様ですので日本語が理解出来る事は間違いでは有りません。まして、俺の言葉はハルケギニアのガリア公用語に同時通訳されているはずですから、ハルケギニアの魃姫に当たる存在だったとしても通じているはずです。

 刹那、後方より風が吹き込んで来る。これは西からの風。
 但し、この世界的に言うなら、海から吹き込んで来る風は湿り気を帯びた風のはずなのですが、その風は何故か非常に乾いた風で有った。

 魃姫の領巾が風にたなびき、天女はしなやかな雰囲気で宙に浮かび上がる。
 そう。まるで、重さを持たない存在の如く……。

 次の瞬間、天女がコルベール先生の頬に両手を当て、その美しくも、やけに儚げな雰囲気を漂わせる容貌を近付けて行き……。

 女神の祝福が為された。

 不意を突かれたコルベール先生が呆然として居る内に、そのまま少し浮き上がり、俺に視線を向けた後、
 ……ゆっくりと天女が首肯いた。これは、彼女の帰る準備は整ったと言う合図。

 その合図を最後まで確認した後、愛用の笛を取り出し、送還の曲と同時に、魃姫の魂を慰める鎮魂(たましずめ)の笛を吹き始める俺。

 ゆっくりとした、心に染み入る穏やかな曲調から始まる鎮魂の笛の音。
 そして、その低い曲調から始まる鎮魂の曲に、タバサの落ち着いた歌声……鎮魂の歌が重なる。
 そう。タバサの澄んだ歌声に、俺の魂を乗せた笛の音のなめらかで、独特の哀調と言うべきメロディが重なり……。

 音程ひとつ。いや、テンポが半瞬ずれるだけで、魔法を行使すると言う行為は破綻し、すべての行為は水泡へと帰す。
 真夏の容赦ない日差しが照りつける中、ゆっくりと広がって行く旋律と、其処に重ねられる蒼き吸血姫の呪文詠唱()が、空間に満ちる精気を束ね、無秩序だった雑多な気が二人分の霊力に因ってひとつの方向性を得て……。

 俺とタバサの歌声(霊気)が、苛にして烈なる真夏に支配された世界を塗り替えた刹那、魃姫から色濃く、熱く立ち昇り始める神気。
 それは、彼女の属性に相応しい白い光輝を放ちながら、遙か天に向かって伸びる柱を形作る。もしも、その柱を神の視点から見下ろせば、この国には有り得ない文字と、奇妙な文様を含む送還用の魔法陣を見つける事が出来たで有ろう。

 魃姫から立ち昇る気に向かって吹き込む風が、俺の頬を弄り、タバサの前髪を揺らす。
 その立ち昇る気に従ってゆっくりと上昇して行く魃姫。その姿は、羽衣を取り返した天女だろうか。それとも、地に遣わされた天の御使いの帰還で有っただろうか。

 そして、その姿はみるみる内に小さくなって行き……。

「彼女は、還って行ったと言う事なのですか、シノブくん」

 自らの研究室から、ギラギラとした真夏の太陽光の支配する場所に歩み出て来たコルベール先生が、遙かな上空に消えた女性の姿を目で探すようにしながら、そう尋ねて来る。

「彼女は、一時的に舞い降りて来た天女。時が来れば……。自らの霊力(ちから)を取り戻せば、自らの国に還る定めを持つのは必定です」

 コルベール先生の問いに対しては、そう答えて置く俺。異世界からの侵食の強いこの事態に、これ以上、先生を巻き込む必要は感じませんから。まして、彼には先ほどまでここに居た少女の正体が、旱魃を起こす祟り神で有る事を報せていませんので。
 何故ならば、彼が拾って来た少女のその正体が、人に害を与える可能性も有る存在だと報せると、コルベール先生自身が傷付く可能性も有ると思いましたから。

 もっとも、魃姫がこの地上に降りて来たのは偶然などでは無く、運命(天命)だと思いますから、コルベール先生に一切の罪は有りません。まして、先ほどまでここに居た少女の方にも罪は有りませんから。

【後に起きる事態に備えるのは、俺とタバサの役割やな】

 コルベール先生に取ってはこれで終わった話ですが、水の邪神共工との戦いを行った俺とタバサに取っては、未だ始まったばかりの話。
 まして、共工、魃姫と続けば、次にやって来るのは、

 そして、この俺の【念話】に対して、タバサは強く首肯いて答えてくれたのでした。


☆★☆★☆


 盛夏の夜を支配する二人の女神()が、彼女らに相応しい、澄んだ光輝(ひかり)を地上に届け、
 湖を渡る風が周囲の草をざわざわと揺らし、少し伸びかけて来た俺のやや収まりの悪い前髪を弄った。

 魃姫が去った次の夜。七月最後の週のエオーの曜日の夜。

 澄んだ湖の表面に、(さざなみ)が立った。俺が訪れた事に気付いた彼女が顕われる前兆。
 その漣が立つかのようで有った湖面が淡い光輝を発し、その光りの形作る輪が、徐々に俺の方へと近付いて来る。
 そして活性化し、光りの輪の周囲を舞う小さき精霊たち。そう、その妖精たちの舞った足跡が、すなわち妖精の環。フェアリー・サークルと言う現象を引き起こす。

 ゆっくりと、しかし、確実に俺の前に姿を顕わした湖の乙女。いや、これは、彼女の自称で有り、本当の名前で有る保障は何処にも有りませんでしたか。

 少女はその冷たいと表現すべき眸に俺を映し、ただ、ふたつの月明かりの下にそっと佇むだけであった。
 真夏の夜に取っては心地良い、熱せられた大地と心を癒す湖面を渡り来る風が、俺と彼女の間をすり抜け……。

 そして俺は、その風に秘かにため息を乗せた。彼女に気付かれないようにそっと……。

「俺がここに一人で来た理由は判っているかな」

 俺の問い掛けに対して、小さく首肯く湖の乙女。これは、肯定。
 そして、ここまでは想定内。但し、ここから先の俺の話を聞いた後の、彼女の答えは想像が付かない。

「水の邪神共工が顕われ、それを俺達が倒した事により、この世の理に不都合が生じた可能性が有る」

 俺は、彼女がそうするように、湖の乙女を真っ直ぐにその紅と黒の瞳に映しながら、そう話し始める。
 名工の手に因って生み出されたと思しきその精緻な容貌を俺に魅せ、ただ、黙々と俺の声を聴く湖の乙女。その姿に、少し気圧され、そして、人間の勝手な思惑に彼女を巻き込んで良いのかと言う疑問が、再び脳裏に浮かんだ。

 しかし、

「そして、魃姫が顕われた事により、今年の凶作は、ほぼ確定したと考えても良いと思う」

 しかし、ここで、気圧されて引く訳には行かない。そう考えて、言葉を続ける俺。

 確かに、このハルケギニア世界は魔法が支配する世界。故に、地球世界の中世と同じ程度の治水・利水のレベルではないとは思いますが、二十日以上、一滴も雨が降らない状況で、農作物に影響が出ない状態に有るとは思えません。
 魔法の恩恵を得られる貴族には今のトコロ問題はないのでしょうが、既に庶民の暮らしには影響が出て来ているはずですから。

「それで、出来る事ならば、水不足のような事態を防ぎたいと思っている」

 彼女の視線に気圧されながら、ようやく、そこまで言葉を続けて来た俺。
 そう。彼女が水を支配する存在ならば、旱魃を完全に防ぐ事は出来なくても、ある程度の被害に止める事が可能ではないかと思って、ここにやって来たのですが……。

 しかし、この依頼には大きな問題も存在している。それは……。

「確かに、この世界の状況。人はブリミルを信仰するが、精霊は無視。
 そして、本来、精霊の友で有るべき魔法使いは、精霊の生命を消費して魔法を発動しながら、精霊と言う存在に関しては無関心どころか、敵意さえ示す」

 まして、聞くトコロに因ると、この世界の医療や水の系統魔法の行使に際して非常に重要な位置を占める魔法のアイテム、水の精霊の涙と言うのは、彼女たちを構成する物質。つまり、身体の一部、と言う事。
 そして、当然そんな物が簡単に手に入るはずもなく、ラグドリアン湖の精霊は、つまり、一部の連中からは密猟の対象とさえされているらしい存在なのです。

 この状況から考えるのならば、湖の乙女たちは人間を恨みこそすれ、積極的に助けてくれる存在だとは思えないのですが。

 正直に言うと、彼女らに取って人間が滅びたとしても、現状ではまったく問題有りませんから。むしろ、居なくなってくれた方が、自分たちの生活が脅かされる事が無く成るはずだと思います。

 尚、トリステイン王国とラグドリアン湖の精霊との間には、湖の精霊を護る代わりに、水の秘薬を一定量、毎年、トリステイン王国に納めると言う取り決めが有るらしいのですが……。ただ、現在のトリステイン王国は、水の秘薬を要求するのですが、残念ながら、密猟者から彼女たちを護るような処置は取っていない、と言う事です。

 メガネ越しの、冬の属性を持つ視線で真っ直ぐに俺を見つめていた紫の髪の毛を持つ少女が、ゆっくりと首を二度横に振った。
 これは否定。

 そして、彼女ら水の精霊たち。いや、この世界の精霊が人間に抱いている感情が大体、想像が付く答えでも有りました。

 かなりむしの良い申し出だっただけに、断られても仕方がない、と諦めつつ有った俺に対して、湖の乙女と名乗った少女が次の台詞を口にする。

「わたしだけでは、進み続ける事態を止める力はない」

 今宵、この場に顕われてから彼女が初めて口にする言葉は、俺に取って、多少の希望を持っても良い内容のように感じられる言葉では有りました。
 但し、更に続けて、

「天命の尽きた王家が国を支配する以上、世が乱れ、天変地異が起きるのは天の理」

 ……と、俺に対して、湖の乙女はそう告げて来た。今までと同じ、彼女独特の抑揚に欠ける口調で。

 天命が尽きる……。これは西洋の考え方ではない。これは、おそらくは易姓革命(えきせいかくめい)の事。

 東洋での王朝と言うのは、天帝()が王を自らの長子として認め、その王に天命を下して地上世界の統治を委ねる。大体がこの程度の理屈で王や帝と成ってその国を統治するのですが、その内に、その天命を受けた者の家系の者で有ったとしても、徳を失う時がやって来ます。
 その際に天帝は、その家系の者……つまり王家の末裔を長子として認めなくなり、代わりの徳を持つ者を探し出して来て、その人物に新しく天命を下すのです。
 そう、命が革まる。これが、革命と言う言葉の元。

 有名な言葉で表現すると、『蒼天既に死す。黄天まさに立つべし』と言う言葉ですか。

 もっとも、この言葉自体は、五行の思想からは少し遠い言葉なのですが。
 蒼天=木行。黄天=土行。木行から土行への移行は有りません。土を生むのなら、天は朱天、つまり、火行の王朝でなければならないのですから。

 そして、現在のハルケギニア世界の状況は、太歳星君の封じられた地をガリア王家が荒らしたり、水の邪神共工がすべての土地を水で覆うとしたり、逆に天帝の妹の魃姫が顕われて日照りが続いたり。
 確かに、ひとつの王朝が滅びて、新しい王家が興る前兆の可能性は有ります。

 まして、新たな王家を興す資格を持つタバサは、東の瑞獣にして鱗を持つモノ達の王を召喚して見せましたから。

 しかし……。

「天帝だろうが、大いなる意志だろうが、そんな訳の判らない連中が何を考えているかなんて俺には関係ない。問題は、このままでは凶作から飢饉が発生する可能性が有る事だけ」

 言葉の内容ほど、厳しい、糾弾するかのような口調ではなく、かなり穏やかな口調で、紫の少女に対して俺の答えを告げる。
 まして、現在の日照りが続いている状況が何らかの天命ならば、ここで湖の乙女に助力を求めたとしても、彼女の言うように、凶作から飢饉へと続く流れをせき止める事はかなり難しい事となります。

 つまり、ない知恵を絞り、必死になって凶作や飢饉へと続く流れをへし折ろうとしても、最終的には切歯扼腕(せっしやくわん)。護れなかった者たちの無念の思いを受けて、歯ぎしりをする結果と成る確率が高いと言う事です。

 しかし……。

「但し、例えそれが天命で有ったとしても、それをあっさり受け入れなければならない謂れは俺にはない。神のやり方が気に入らなければ、否と唱え続ける事。それが基本」

 神はサイコロを振るのか。良く有る問いに対する俺の答えがこれ。
 神はサイコロを振り、その結果を簡単に人間に押し付けて来る。俺はそう思って居ますから。

 しかし、そうならば、人はその暴君どもの前にひれ伏して、奴らの好き勝手な行いを受け入れ続けるしかないのか。

 否。断じて違う。
 人は、神の行いが間違っていると思えば、その間違いを訴え続ける、と言う方法で神の押し付けて来たサイコロの出目をひっくり返す事が可能。
 歴史上、有名な英雄と呼ばれる連中の内の多くは、その諦めが非常に悪かった連中の事ですから。

 英雄と呼ばれる連中は総じて諦めが悪く、そして、神や、それに類する連中より押し付けられる結果や経過に我慢が出来ずに、生涯を通して否と唱え続けた人間たちが為した結果を指して、後世の俺達は英雄と呼んでいるのですから。

「そうすれば……。人が、断じてそのサイコロの結果を受け入れなければ、神は自ら押し付けたサイコロの結果を自らがひっくり返す。自らが選んだ救世主がすべての人々の原罪を背負い十字架に掲げられると言う結果を受けて、熱情の神で有り、嫉妬の神でも有った御方が、愛の神へと生まれ変わったようにな」

 俺は、真っ直ぐに、珍しく視線を逸らす事もなく、湖の乙女をその視界の中心に置いたままの状態で、そう告げた。

 その言葉を聞いた湖の乙女の反応は……表情は変わらず。普段通り、感情を表す事のない透明な表情を俺に向けたまま。しかし、内面(こころ)は違った。その俺の言葉を聞いた瞬間、何とも微妙な雰囲気を発生させたのだ。

 何と表現すべきか……。妙に甘酸っぱいような、遠い昔の事を思い出したかのような。……そう、遙か昔に失って仕舞った懐かしき何かを思い出した時のような感覚。

 彼女の心の琴線に響く部分が、先ほどの俺の言葉の中に有ったのでしょう。

 そして更に、彼女の言葉が事実で有ったのならば、彼女と俺は某かの縁が有ったらしいので、もしかすると、前世の俺が語った言葉を、ここで再び口にした可能性は有りますか。
 但し、俺の方には一切の記憶を有してはいない話なのですが……。

「俺は英雄などと呼ばれる連中とはかなり違う、ごく普通の一般的な思考の元に行動する人間。但し、今回は流石に問題が有る」

 まして、今回の旱魃は俺やタバサが関わった結果に起きた出来事の可能性も存在します。
 確かに、起きつつ有る事件に気付いて居なかったのなら、見過ごしたとしても仕方がないとは思います。しかし、最初から事件に関わり、更に、事件が起きつつ有る事を知って仕舞った以上、流石に、多少の対処法を考えて置く必要も有るでしょう。

 湖の乙女が、俺を真っ直ぐに見つめた。これは……。

「わたしは、現在、この世界のすべての水を支配している訳ではない」

 湖の乙女が、彼女に相応しい声で、そう話し掛けて来る。そして現在、彼女の発して居る雰囲気は否定的な物ではない。……と言う事は、

「俺を手伝ってくれると言うのか?」

 自らの仲間に対して人が与えた仕打ちを許したと言う事か、それとも、別の理由からなのか。
 その辺りについては未だ良く判らないけど……。

 彼女は少し間を置いた後、小さく首肯く。そして、

「わたしと契約を交わしてくれるのならば」

 ……と、想定内の言葉を続けた。

 この世界の魔法使いたちは精霊と契約を結ぶ事は有りません。
 そして、精霊と言う存在も一種の神霊で有る以上、信仰を集める必要が有り、元々は強力な能力を持って居た神霊で有ったとしても、自らと契約を結ぶ者から信仰心(霊力)を集められなければ、零落して本来の能力を発揮する事が出来なく成ります。

 故に、ブリギッドも俺と契約を交わそうとしたのでしょうから。
 まして、湖の精霊と古の契約を交わしたはずのトリステインの王家が、その契約の義務を履行する事がないのですから、彼女らが人間から得られる霊力は存在しないのでしょう。

 それにしても……。

 俺は、月の明かりに照らし出された儚い少女を瞳の中心に置きながら、

 この世界の精霊と、それに、それぞれの精霊と契約を結んだはずの王家との破たんした関係に思いを馳せていた。
 もっとも、これは単に現実逃避。

 メガネ越しの冬の属性を持つ瞳の中心に俺を映し、凛然とした気品と、彼女の取っている年齢に相応しい、彼女独特のペシミズムとも言うべき雰囲気を纏った少女の姿を模した神霊。

 彼女……湖の乙女が、次の行動に移らない俺を、彼女に相応しい硬質な雰囲気を纏い見つめるだけで有った。

「俺の、受肉した存在との契約方法は知って居るな?」

 覚悟を決めた俺が、湖の乙女に対してそう問い掛ける。元々、この展開を予想していたが故に、タバサをこの場に連れて来なかったのです。いや、彼女の方が着いて来なかったと言うべきですか。
 ……ならば、ここで逃げても意味はない。

 俺の問いに微かに首肯く湖の乙女。やや上目使いに俺を見上げる彼女の顔を構成する重要なパーツの銀と硝子を、そっと外してやる。
 まるで造られた存在で有るかのような精緻な容貌。確かに、この両手を回せば、簡単に抱きしめられる距離から、俺を上目使いに見上げる少女には、タバサにも似た雰囲気は感じて居ます。しかし、彼女(タバサ)には、未だ成長の余地を残す曖昧な部分が有るのに対して、湖の乙女には、完成された……まるで、何者かに造られた存在で有るかのような完成されたイメージが存在する。

 タバサが未だ咲き切らない花ならば、彼女は、うかつに触れると砕け散りそうなガラス細工。いや、時とともに儚く消えて仕舞う氷の芸術と言うトコロですか。

 素早く左手の指を斬り裂き、そこから滴り落ちる生命を司る紅き液体にて、自らのくちびると、彼女の薄いくちびるを淡く彩る。
 その俺の行いの一部始終を見つめていた湖の乙女が、そっと瞳を閉じる。

 そして……。
 そして、俺は彼女と、五度目の契約を交わしたのでした。


☆★☆★☆


 最早、顔見知りと成ったイザベラ付きのメイドに軽く目礼だけを行ってから、通い慣れた廊下を奥に向かって進む俺達。
 尚、そんな俺とタバサに関しては、メイドたちも案内を行う事もなく、既にフリーパス状態。
 間違いなく、俺達に関しては信用されていると言う事なのでしょう。

 八月(ニイドの月)第一週(フレイアの週)、虚無の曜日。
 敬虔なブリミル教の信者ならば、今日は完全に休養日と成るはずなのですが、ガリア北花壇騎士団の御仕事は年中無休と言う事なのでしょうね。

 刹那、微かな違和感と共に、今、境界線を越えた。
 この微かに漂う異界の雰囲気は、異界からの侵食を阻む聖域の証。このプチ・トロワは、何らかの霊的防御により保護されているのは間違いない。

 普段通りの廊下を辿り、イザベラの執務室の前に辿り着く俺達三人。

 振り返って自らの相棒を見つめる俺。彼女も、何時もと同じ透明な表情を浮かべ、紅いフレームのメガネ越しの視線で俺を見つめ返す。
 言葉に因る答えなど必要とはしていない。これは肯定。ならば、
 彼女の答えを確認した後、そのまま、反対側に立つもう一人の同行者に瞳を向ける俺。

 その視線の先。具体的には、俺の左側に位置するその場所には、あの七月最後のエオーの夜に俺と契約を交わした湖の乙女の麗姿が存在して居た。

 尚、本日のタバサの出で立ちはと言うと……。
 白い長袖のブラウス、黒のミニスカート、それに白のタイツ。トリステイン魔法学院の女子学生に相応しい服装に身を包み、闇色のマントを、五芒星を象ったタイピンで止める。
 その右手に携えているのは、彼女のトレード・マークとも言うべき、自らの身長よりも大きな魔法使いの杖。そして、彼女に良く似合う紅のフレームの伊達メガネを装備。

 真夏の陽光の下を歩むには、その長袖や、白いタイツなどが少し異質な雰囲気も醸し出していますが、彼女の体質から、流石に肌の露出部分は出来るだけ少なくしなければならない為に、これは仕方が有りません。
 今日のトコロは、普段通りの蒼き吸血姫タバサの様相と言って間違いないでしょう。

 片や。
 淡い青色の広い襟を持つ半袖のセーラー服と、同じ色の短いスカート。銀のフレームのメガネが、彼女の印象をよりシャープな物にしているのは間違いない。
 但し、魔法使いの証で有る魔法使いの杖や、貴族の証で有るマントは着用せず。

 そして、何故か左手の甲に、それまでの彼女には存在しなかったナイフで刻んだかのような直線で表現される文字が浮かび上がっていた。
 そう。それは俺と交わした式神契約により刻まれた印。ルーン文字により刻まれた内容は、湖の乙女。彼女自身を指し示す名称がそこには刻まれて居ました。

 このルーンが刻まれた理由はよく判りませんが、契約を交わすと同時に俺の左目から再び血涙が溢れだした以上、俺に刻まれた生贄の印と同じような理由により、彼女にルーンが刻まれた可能性が高いと言う事なのかも知れません。

 湖の乙女も、俺の問い掛けに対して、黙って微かに首肯いて答えてくれる。

 二人の少女の答えを受けおもむろに、重厚な、と表現される扉を二度ノックする俺。

「開いているよ、入りな」

 そのノックが終わった瞬間に、室内より掛けられる言葉。かなり、ぞんざいな、市井の町娘に等しい言葉使いながらも、この大国ガリアの姫にして、北花壇騎士団の長たる存在。イザベラ姫の声により、一同に入室が許可される。

 ゆっくりと、重厚にして堅固な、と表現される実用性を重視した扉を開く俺。

 その重い扉を開いた瞬間、湖の乙女より、微妙な雰囲気が発生した。これは、少し酩酊……。いや、陶然としたと表現すべき雰囲気。そして、少し視線を彷徨わせた後に、まるで夢遊病者の如き覚束ない足取りで、一面の壁を完全に塞いで仕舞っていた本棚の前へと進んで行き、そして、その中から一冊の分厚い革製の表紙を備えた古書を手に取った。

 もっとも、この反応は、タバサの部屋に連れて帰った時にも彼女は同じような反応をしたので、あの部屋よりも更に古書の類の多いイザベラの執務室ならば、こう言う反応を示す事は想像に難くなかったのですが。
 それにしても……。

 湖の乙女に倣う訳では有りませんが、これから侵入する室内をゆっくりと見回して見る俺。
 そして、相変わらずのイザベラの執務室内の状況に、少し呆れてため息に等しい吐息をひとつ洩らした。

 そう。壁一面を埋める本は、相変わらず雑然とした印象で整理されている雰囲気はなく、更に床や来客用のテーブルの上にも平積みされた貴重な古書たち。
 そして、イザベラの執務机の上には現在、目を通している書類やサインや花押を記す際に必要な筆記用具が雑然と並べられ、その両サイドには、決済前の整然と積み上げられた書類の山と、決済後と思われる、既に崩れて仕舞った書類の山が存在する。

 今この場で地震が起きたら、崩れて来た本や書類により圧死間違いなしと言う雰囲気の紙に支配された部屋。

 この姫さんは頭の出来は良いのでしょうが、日常生活を営むには非常に問題の有る人間だと言う部分は、一度、邪神召喚の贄にされかかったぐらいでは変わらなかったと言う事でしょうか。

 俺とタバサを無視……と言うか、この部屋の主の事さえ頓着せずに、勝手に室内に侵入し、自らの望みの本を手に取って読書を開始した紫の髪の毛を持つセーラー服姿の少女を、少し呆れたように見つめていたイザベラでしたが、直ぐに失調状態から回復。そして、

「悪かったね、急に呼び出したりして」

 ……と、自らの執務机の前に並ぶ、俺とタバサ。そして、本棚の前に座り込んで仕舞った少女に対して、そう告げて来るガリアの姫。
 もっとも、最初に部屋に侵入した少女の方は、そんな彼女の言葉を聞いては居なかったのですが。

 そして……。

 
 

 
後書き
 今回の内容は、オリジナル設定がアチコチに見受けられますが。
 先ず、トリステインとラグドリアン湖の精霊との盟約については、原作小説内では、詳しい内容に付いては描かれる事は有りませんから。
 次に、湖の乙女を、この世界の住人。例え、スクウェアクラスの系統魔法使いが束に成って掛かって来ても、現在の彼女を拉致する事は出来ないでしょう。

 尚、この部分に関する答えは、既に描いていますよ。
 彼女、自ら語って居たでしょう。あの懐かしい思い出と共に眠り続けて居たいと。

 つまり、この世界に主人公が顕われたから、待機モードだった彼女が起動したと言う事です。
 まぁ、この部分の改変は、エルフの精霊魔法にあっさり倒されるはずの系統魔法使いが、何故、水の精霊魔法を行使するはずのラグドリアン湖の精霊を捕獲出来るのか、……と言う疑問を解消するための独自設定です。

 原作タバサでも精霊と契約したビターシャルにあっさり捕まって居ます。更に、ラグドリアン湖で戦う限り、地の利はラグドリアン湖の精霊の方に有るはずなので、系統魔法使いは十人、二十人単位で一体のラグドリアン湖の精霊を相手にしなければならないはずだと思いましたから。
 まして、彼らは個にして全の存在。仲間が襲われていたら、全員で助けに来るはずなのですけどねぇ。

 おっと、イカン。またもや、毒を吐くトコロだった。

 それでは、次回タイトルは『実験農場にて』です。
 
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