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SAO--鼠と鴉と撫子と

作者:紅茶派
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28,月夜の下で

キリトがギルドに入って、全てが変わった。

ケイタはレベルアップを繰り返して、攻略組と変わらない強さにまで成長した。
夢として語っていた攻略組への参加は現実味を帯びてきて、「血盟騎士団の次は俺達だ」が口癖のようになっていた。

ダッカーは一段と明るく、私からすれば無茶と思える行動が増えた。
狩場の敵は曲芸のようなスピードで敵を翻弄できるようになって、自分の強さを攻略組レベルと自負するようになった。

テツオは前衛が少ないこともあって、格段にレベルが上った。
ケイタと共に中級プレイヤーの中で名前が通るようになって、他のプレイヤーからアドバイスを求められるようになった。

ササマルはそんな三人が攻略組加入へと暴走することを諌めていた。
だけど、止めはするけど自分たちが強くなったことを否定することはなくなった。

キリトはそんな皆と上手く溶けこんでいった。
前衛として献身的に戦い、私達にたくさんの勝利をもたらしてくれた。
時々、悲しそうな目をしていたけど、私にはそれがなぜかはわからなかった。

みんなが熱に浮かされたように上の層へと駆け上がっていった。
今まででは考えられないくらい、一層毎の滞在時間は短くなった。

攻略組がドラゴンナイツの内部崩壊とアインクラッド解放隊の脱退で攻略ペースが落ちていたから、最前線まであと三層というところまで迫ってしまった。

変われないのは……私とクロウの二人だけ。
私は盾を持っていても怖くて上手く動けずにいた。
クロウは武器こそ握れるようになったものの、敵を前にすると体が震えだして、戦闘どころではなかった。

強くなったことでの軋みはゆっくりと音を立てて――とある夜に爆発した。



その日、私自身がたぶん疲れていたのだと思う。
「サチ、もうちょいだ。頑張れよ」
昼に片手剣装備の新調を提案されてた時にみんなはこうやって私を励ましてくれた。
皆にとっては何気ない一言でも、私にとっては重すぎてどうにも頑張れなくなる一言だ。

恐くて眠れない夜が続いているのに、更に怖い前衛なんて出来ないよ。
攻略なしの日なのに浮かない気分で五層にまで買い物へと逃げて、その帰り道だった。

大好きなシュークリーム風の何かを食べながら宿の前に差し掛かった時、二人の姿が見えた。

キリトが緊張した足取りで路地裏へと消え、その後ろからクロウがついて行く。
どうしたのだろう?思わず、私はその背中を追いかけて路地裏へと入っていった。

道は想像以上にクネクネと入り組んでいて、私はすぐに二人を見失ってしまった。
適当に路地を歩き続け、もう諦めて帰ろうと思った所でその声は聞こえてきた。

「クロウ、攻略組だってギリギリだ。本当にもう戦えないのか?」
「今までずっと見てただろ。俺はもう無理だ」

攻略組、その言葉に私の体は反射的に凍りついた。
だけど、攻略組ってどういうことなんだろう?

「25層の誤解ならもう大丈夫だ。《旋風》のクロウの前線復帰を皆が望んでる」
「その2つ名は捨てた。悪いなキリト。迎えに来てくれたのはありがたいけど、お前だけでも前線に戻れ」

そう言ったクロウの声はあっけらかんとしているけど、私はもうそれどころではなかった。

《旋風》――かつて攻略組にいたトッププレイヤーの名前は私みたいな中級者プレイヤーでも知っていた。
《旋風》の名前が聞かなくなったのは、もっとも多くの死人を出した25層の攻略戦。
解放隊やドラゴンナイツの幹部数名が死んだの一緒に死んだのかとダッカー達が話していたのを覚えている。

クロウはこのゲームの頂点にいた人――本当は強い人。
じゃあ、私は?
私はこのギルドの中でどうなるの。
クロウがいたから、一人ぼっちじゃなかったのに。

「月夜の黒猫団は強くなる。いつか攻略組にも追いつける。その時に――」
「キリト。俺は攻略組から逃げたんだ。もう戻れない」

平和ぼけしたようなBGMのシンフォニーが妙にうるさかった。
キリトたちの声が聞こえるけど、もう何を言っているのかわからない。

私は、気がついたらその場から走り出していた。






どれだけ時間が経ったのか、わからない。
街の外に逃げるのは怖くて、だけど誰とも会いたくなくて、私は誰も来そうにない橋の下へと逃げ込んでいた。

目の前を本物じゃない川が流れている。
サラサラとした水のようではなくて、どちらかと言えば心太とか寒天のよう。
もしも、この中に入って流されたらこんな川でも自殺できるのかな。
無意識に伸ばした手が水に触れた瞬間、その冷たさにびっくりし手を引っ込めた。
「出来るわけないよね」
分かっていたけど、呟いて何も返事がないのは寂しい。そのまま、私は再び膝を抱え込んだ。

この世界で、私は初めて一人になった。
デスゲームが始まってからは皆がいた。
ずっとずっと一緒だった。一緒だと思っていた。
なのに、何で私は一人で膝を抱えて座り込んでいるのだろう?
どうして、私はこんなにも一人なんだろう?

「――サチ?」

声が聞こえた。
激しい息遣いの中、優しさのこもった声。
びっくりして顔をあげると、クロウが肩で息をしながら立っていた。

「クロウ。……どうして、ここがわかったの?」
「街中を……ぜんっぶ、走り……まわった」

乱れた息で、フラフラと私の横に座り込む。
街中を全部なんて出来るのは無理じゃないの……喉の先まで出かかった言葉を何とか飲み込んだ。
出来るのかもしれない。私の知っているクロウではなくて、攻略組で活躍した《旋風》のクロウなら。
私とはもともと違う世界にいたクロウなら。

「ねぇ、クロウ。何処かへ逃げよ」
「逃げるって、何から?」
「攻略から、月夜の黒猫団から……SAOから」

クロウの目が一瞬だけ開く。瞳孔から幾つもの光が宿り、ゆっくりと収束していった。

「――ああ。そりゃ、無理だ。逃げられなんてしねぇよ」
自嘲気味にそう、呟いた。

「でも、このままじゃ死んじゃうよ。わたし、死ぬの怖いよ。クロウだって、怖いから攻略組から逃げたんじゃないの?」
私の叫びは暗闇の中に溶けていく。
今度こそ、目の前の目は大きく剥かれた。ギュッと結ばれていた口がユックリと開かれる。

「――どうして、それを?」
「たまたま聞こえちゃったの。キリトとクロウが話すとこ」

そうか。そう言ったきり、クロウは頭を垂れて動かなくなった。
私はもう止まらなかった。
怖い、その一言を口に出した瞬間、私の中の何かが音を立てて崩れ落ちただと思う。

――ねぇ、どうしてこうなったの?
――なんでゲームから出られないの?
――どうしてゲームなのに本当に死んじゃうの?
――茅場って人は、こんなことをして何の得があるの?

震える声は抑えられないし、嗚咽で上手く喋れない。
それでもひたすらに私は世界を呪い続けた。

ずっと溜まっていた言葉を吐き出している間、クロウは一言も喋らなかった。
私の嗚咽が収まるまで、隣でじっと待ってくれた。

「――俺は「頑張れ」とか「逃げるな」なんて無責任な言葉はかけられない。頑張ってどうにもならないことも、逃げていい場面もあると思う」

定型文化された2つの言葉が目の前で無くなって、私の涙は一瞬だけ止まった。
クロウの顔はいつに無く真剣で、それ以上の表情は微妙な表現の出来ないこの世界では読み取れない。

「だけどな、ただ生きるだけで何もしなきゃ、そりゃ死んだも一緒だ。サチは死にたくないのか生きたいのか、どっちだ?」
「私は――」

答えるまでもないよ。

出会えた奇跡が絶望に変わる世界。
現実では知らない人と友達になって、そして死んじゃったこの世界。
死にたくないと願い続けた一年。
恐い思いだけして、死なないことだけ考えてきた。

私の答えを待つことはなく、クロウはゆっくりと立ち上がった。
薄暗い橋の下で、その表情は霞んでいく。

「俺はさ、死んでもいいと思ってたから何も恐くなかった」
「ぇ?」
それは、まるで理解できぬ言葉。
乾いた笑い声が頭の上から降ってくる。

「けど、いざ死ぬときになったら俺のために死のうとするバカがいたんだ。しかも、アイツが死にかけたってのに、口から出てくるのは「俺が無事で良かった」だ。フザケてるにも程がある」
「――その人って、大事な人?」

恋人、とはなんとなく聞かなかった。
クロウの顎がユックリと深く引かれる。

「俺は、その馬鹿のために死んでも生きなきゃいけない。そう思ったら戦うのが恐くなった。俺は死に寄りかかって立ってるフリをしてた大馬鹿野郎だ」

背を向けたクロウは今もきっとあの壊れた笑顔を浮かべているんだろう。
強がろうとして失敗して、本当はきっと寂しくて恐がっている。

攻略組は住む世界が違うと思ってたけど、きっとなんにも変わらない。
みんな恐くて不安で、それでも生きようと必死なのが攻略組なんだ。

ケイタは意志力なんていってたけど、本当にそのとおりなのかも知れないな。

「じゃ、俺は行くわ。タッチ交代の時間だ」

そう言ってクロウが歩き始める。同時にやってきたのは、黒くて幼いシルエット。
手が冷たい人は心が温かいように。全身黒一色のこの子は、もしかしたら心の芯まで優しいんじゃないかな。

話してみよう、そう思った。
弱虫なことも、生きたいことも、全部全部。

両頬に残っている涙の跡を拭い、私はゆっくりと息を吸い込んだ。
 
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