| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

呉志英雄伝

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第一話~幼き日々の英雄2人~

江が朱家に引き取られてから3年の月日が流れた。
最初のうちは義母である焔にしか心を開いていなかったが、3年という時間がその問題を解決してくれた。
この3年間、江は主に内政・軍略を学んでいた。それは江の武の実力が既に桃蓮に迫るものがあったこともあるが、第一の目的は江を戦場から遠ざけることであった。




江は育ちの環境のせいもあって、幼いころから人を殺め続けてきた。
当時は感情を押し殺すことで何とか心の均衡を保っていたが、ようやく感情が表に出始めた今になって再び戦場に身を投じさせてしまうと、今度こそ心が壊れてしまうかもしれない。
この乱世、いずれは再び戦場に赴くとしても、今は知識に磨きをかけ、そして心を鍛えるのが上策と判断されたのだ。

結果としてこの教育方針は良い方向へと転んだ。
賊という縛られない環境で育ったが故か、江は内政においても軍略においても他にはない柔軟な発想を持っていた。
無論、まだ経験がないので理想に偏ったところもあったが、それを現実的な方策に改善することも十分可能なものだった。
保護されてから2年経った12歳の時に仕事に就き、瞬く間に自らの才を開花させ、また江の武術の才を知っている者は桃蓮、祭、焔の3人だけということもあり、周りからはいつしか江は文官として知られるようになっていた。


そんなある日江は桃蓮の呼び出しを受け、宮城へと出向いていた。
そこには2人の少女を連れた桃蓮が立っていた。桃蓮は江の姿を確認すると口を開く。


「よく来たな。今日はお前に引き合わせたい奴がいる」


そういって2人の少女を前に押し出す。
一方は紫がかった桃色の髪をした桃蓮の面影を持つ少女、そしてもう一方は艶のある真っ黒で長い髪を腰の辺りまで伸ばした少女。


「ほら、二人とも自己紹介しな」


桃蓮が2人に促すと、まずは桃蓮似の少女が声を上げた。


「孫策、字は伯符よ。朱才、あなたのことは母様から聞いてるわ。よろしく」


屈託のない年相応の笑顔を向けて、江に向かって手を差し出す。
江はその手を握り握手を交わす。


「姓は周、名は瑜、字は公瑾だ。よろしく頼む」


それに呼応して横にいた黒髪の少女も自己紹介を済ませる。
しかしこちらの少女は孫策とは対照的で、見定めるかのようにじっと江の眼を見つめている。そこから感じ取れるのは警戒心というよりも好奇心が主だった。


「よろしくお願いしますね。周瑜殿」


そんな周瑜に江は柔らかな笑顔で手を差し出す。
その行為に周瑜ははっとすると顔を真っ赤にして俯きながら、江の手を取る。


「…すまない。つい興味が湧いてしまって」

「お気になさらないでください。好奇の視線を向けられるのは慣れていますので」


クスクスと笑い声を漏らし、表情を崩すことなく若干意気消沈気味の周瑜に応対する江。
桃蓮は一連の出来事を見てしみじみと感慨にふけっていた。


(あの作られた笑顔とは全く違う、本当の笑顔…。コイツもこんな表情をするようになったのか………)


賊からは人形と呼ばれ、桃蓮たちに保護された後もしばらくは作り笑顔に終始していた江が、その後の人付き合いによって感情を取り戻したことに心から安堵していた。


(…しかしコイツの笑顔は本当に『アイツ』に似ているな…)


脳裏に浮かぶのは友の姿。
しかし彼の者はすでにこの世にはいない。



「母様!」

「ん?」


不意に大きな声が響き、桃蓮の思考を中断させる。
声のした方向に目をやるとそこには頬を膨らませた自身の娘が立っていた。



「どうした、雪蓮」

「江と城を回りたいって言ったのに、母様ったら何も言ってくれないんだもの」

「ああ、それはすまない。別に城を回るくらいなら構わないぞ。…それより、もう真名を交換したのか」


雪蓮が江のことを真名で呼んでいたことに気づく桃蓮。


「だって母様が紹介したほどの人物だし、それに実際に会ってみても信頼できると思ったから。冥琳だって真名を許したわよ?」

「…つまりは勘か?」

「ええ」

「お前はつくづく私の娘だよ」


桃蓮はやれやれと首を横に振る。
自身の勘が娘に脈々と受け継がれていることに少しばかり複雑な感情を抱く。桃蓮にとって勘は信用できるが、信用し過ぎてもいけないもの。
以前にそれで命の危機に直面したのだ。娘には二の轍を踏んでもらいたくはない。


「母様の了解も得たし、行くわよ。江」


母の心配をよそに雪蓮は嬉々として江の手を引っ張り、部屋の外へと駆けだす。
冥琳は完全にその流れに乗り遅れて、しばらくして大声で雪蓮の名を呼びながら追いかけていった。


「…それにしてもうちの娘はともかく、冥琳までもがこうも早く真名を許すとはな」


江には人を引き付ける何かが備わっている。
それに加えて知謀の才を有し、武に至っては自分と同等。


「馬鹿娘と同い年だっていうのに…きっと天に愛されてるのだろうな」


いや


「今までの不幸を乗り越えるために与えたのかも知れない」


桃蓮にしては、らしくない天命という考え。
しかしそれほどまでに江の存在は異常だった。


「いずれにせよ、江は必ず呉の大黒柱となるだろう。しっかり育ててやらねばな」


そして視線を、中庭をかけていく3人に移す。
そこにいる江は先ほどと同様に屈託のない笑顔をしていた。










――――――――――――――――――――――――――――





宮城内を回っていた江たち一行。
江にとって、毎日というわけではないにしても仕事でよく来る宮城だ。熟知とはいかないまでも、簡単な構造はすでに頭の中に書き込まれている。

しかしそこはやはり13歳の子供。
同い年の娘と回れば、それだけで見慣れた廊下もいつもとは違った風に見えてしまう。雪蓮は終始騒ぎ、冥琳はそれをたしなめ、そして江はその光景を傍から笑って見ていた。

そして一通り回りきった江たちは最後に訓練場に来ていた。



「ここでいつも兵の調練、そして武将自身の鍛錬をやっている」


冥琳は簡潔に、しかし要点をきちんと詰め込んだ説明を江にする。
軍務から遠ざけられていた江は初めて見る訓練場に興味津々のようだ。














「さてと…。江」





















それはそれは死神と形容するにはやや幼い、しかし込められた殺気はとんでもなく物騒な声が聞こえ、そちらのほうを振りむこうとする。
そして既に手遅れだという空気を感じ取った江はピタッと止まる。


「…そんな殺気を撒き散らしてどうしたのですか?雪蓮」

「母様から聞いたのよ。『お前と同じ年で自分と同等の強さを持つ者がいる』ってね」

「…それは興味深いですね」


江はしれっと受け流す。


「とぼけないで。気になって母様にお酒を飲ませ続けたら、あっさり言ってくれたわ。『3年前に朱家の養子になった』。それってあなたよね?江」








(…桃蓮様、お恨み申し上げます…)


どうやら全て知られているようだ。
江は深い溜息をつく。



「それで、手合わせをしろと?」

「ええ♪」


手合わせという言葉に雪蓮は満面の笑みでこたえる。
しかし殺気が抑えられずに漏れ出しているので、その笑みも大層不気味なものへと変貌している。
江は冥琳の方に目をやるが、冥琳は冥琳で、江と雪蓮の手合わせに関心を抱いている様子で止めてくれる気配は全くない。


「…いいでしょう」

「やった♪はい、得物はこれでいいわよね?」

「準備がよろしいことで…」


江の承諾を得るや否や、雪蓮はいつの間にか持っていた剣を江に手渡す。
そして訓練場の真ん中へと歩を進める。


「冥琳、開始を合図をよろしくね」

「いいだろう」


訓練場の真ん中で雪蓮と江が対峙する。
冥琳は手をかざすと、大きく息を吸い込みその手を振り下ろした。


「始め!」


開始の合図と共に攻撃を仕掛けたのは雪蓮。
大きく振りかぶった剣を江目がけて全力で振り下ろす。
江がまるで動きを見せないが、雪蓮は構うことなく動作を続ける



「はあああぁぁぁ!!!」



ガキンッ




振り下ろされた剣が江の身に届かずに停止する。
江は雪蓮の全力の攻撃を右手に持った剣一本で受け止めたのだ。
そのことに少なからず動揺する雪蓮。







「戦いの最中に心の隙を見せてはいけませんよ」


いつの間にか雪蓮の背後に回り込んでいた江はそう言うと雪蓮の後頭部を軽く小突く。


「っ!バカにしないで!」


この行為は雪蓮の武に対する誇りを傷つける。
その眼に怒りの感情を湛えて、後ろに立つ江に横薙ぎの斬撃を放つ。しかし…


「消えた!?」


その攻撃はむなしく空を切ることとなる。


「安い挑発に乗るのもよくないですね」


誰もいないのに江の声が聞こえる。
その声が足元から聞こえることに雪蓮が気づくには時間が足りなかった。
声が聞こえた次の瞬間、雪蓮の視線は空に向いていた。


ドサッ


音を立てて、地面に仰向きに倒れこむ雪蓮。
そこでようやく自分がきれいに足払いを受けて、地に倒れこんでいることに気づいた。




ザク




そしてまたその次の瞬間、自分の頬のすぐ横には剣が突き立てられていた。
刃が当たったのか、雪蓮の頬には一筋の傷が出来、そこから血がにじむ。










「これで満足していただけましたか?」


見上げれば、そこには優しい表情を浮かべる江の姿。
陽の光に照らされたその笑顔に雪蓮は少しの間見惚れていた。


「…雪蓮?」

「…あ~あ、私の負けよ。完敗」


何故か負けたというのに、雪蓮は妙にすがすがしい気分だった。








―――――――――――――――――――――――






「それでは今日はこれにて失礼いたします」


陽の光が傾き、西の空を茜色に染め上げている時分、江は孫家の親子と冥琳に別れを告げて、帰途についた。
江が帰った後の宮城で…


「むぅ~泊まっていったっていいじゃない」


と駄々を捏ねているのは雪蓮。
そんな愛娘の様子に思わず笑みをこぼすのは桃蓮。


「江には朱家という帰るべき家があるのだ。………それとも何か?アイツに惚れでもしたのか?」


ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、そんなことを言う。


「なっ、別にそう言う意味じゃないわよ!」

「ほぉ…手合わせの後、あんなにべったりしてたのに私たちが気付かないとでも思ったのか?」


雪蓮の否定の言葉に、すぐ冥琳が追撃をかける。
雪蓮の顔は徐々に真っ赤に染め上がっていく。そして遂には…


「あぁ、惚れましたとも!どう、これで満足!?」


開き直りである。
その様子に桃蓮の笑みは苦笑に変わる。


「焔はいつも江にべったりで、祭は弓術の鍛錬にかこつけて朱家にいりびたり、そして挙句の果てにはうちのバカ娘もか…江の奴は天然の女誑しになりそうだな」


だが桃蓮にそれを否定する気はない。
それも人に好かれるということなのだから。
向こうでは雪蓮が冥琳にからかわれ、涙目になって抵抗を続けている。


「案外雪蓮と結びつけるのも悪くはないかもしれないな」


虎は獰猛な笑みを浮かべながらそう宣った。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧