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星河の覇皇

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第三部第三章 獅子身中の虫その三


 しかし皇室を持つ国があるのだ。話というか見方が複雑になる。
『連合大統領と日本の天皇はどちらが上位にあるか』
 そうした議論が長きに渡って繰り返された。
 天皇は日本の国家元首であり連合政府とは関係がない。だが皇帝という位置にある。大統領より皇帝は上位という位置付けが二十世紀より為されてきた。アメリカ大統領もローマ法皇や天皇に対しては特別な対応をしてきた。中国もアメリカ大統領を皇帝としてもてなしたことがあったが日本の天皇は明確に皇帝だと認識し常に対応してきた。それは他の国々も同じであった。王と呼び失笑を買った国まであった。
 だがいつもこう言われた。天皇は日本の国家元首であるが連合政府の大統領ではない。連合政府は連合を取り纏める中央政府であり全ての国家の上位にある。だが人として大統領と皇帝は対等にある、と。
 これがおおむねの意見であった。だが諸国家の国家元首では天皇は第一の位置に置かれた。あとエチオピア皇帝がそれに同列となっていた。タイ、ブルネイ、マレーシアといった君主達が続く。それから大統領だ。つまり連合の中の国家の元首の一人という位置付けが為されていたのである。序列は第一であるが。
 連合は確かに全ての構成国の地位も発言力も平等であると定められている。だがやはりそうした序列はある。これは国連の頃から一千年連合でもエウロパでも変わらない。幾度政権が変わってもだ。ちなみにエウロパでの序列はまずハプスブルク家ことオーストリア王家が筆頭である。その次にイギリス王家である。
「そうよ、君に是非お渡ししたいものがあるとか」
「陛下が私に。一体何だろう」
 彼はふと考えた。この時代女帝は復活している。日本は元々その神話の主神が太陽神であるアマテラスオオミノカミであったことからもわかるとおり女帝に対して抵抗のない国であった。エウロパの主要国の一つであるイギリスのジンクスとして『イギリスは女王の時に栄える』というものがある。これはエリザベス一世の頃から言われているのであるがどうも実際はそうではないようだ。エリザベス一世の頃は確かに彼女の卓越した政治手腕はあったがあまりにも内憂外患に悩まされ続けしかも財政は慢性的な危機にあった。シェークスピアという偉大な作家だけで語れるものでもない。アン女王の時は先にジェームス一世というスコットランド王兼イングランド王がいたのでその統一は既にあった。ビクトリア女王の時もその晩年には翳りがあった。エリザベス二世の頃はさらに精彩がなかった。これはマスメディアが面白おかしく書きたてたせいでもあるが元々悪人とは到底言えない人物ばかりの当時の王室ファミリーを変に思い過ぎた。元皇太子妃の謎の死もあったがこれは既に真相がわかっているということになっている。あれは事故だったということに。ただし信じている者は少ない。
 その後もイギリスには女王が出てきた。十人程だろうか。しかしかっての勢いは戻らなかった。エウロパの一国として存在するだけである。それでもエウロパでの地位はかなり高いのであるが。
 さて日本の女帝であるが十九世紀後半から二十一世紀前半にかけて皇室典範で皇位継承は男子のみに限るとあった。だがそれは時代の流れと共に変わった。というよりは元に戻っただけであったが。
 世論は女帝を容認した。そして国会の決議もあっさりと通った。反対派は不思議な程少なかった。前例が既に十代八人もおられまた男女同権の意見にもあっていたからである。
 それから女帝が何人も誕生された。宮内庁、後に宮内省となったこの頭の硬い役所もそれまでの騒ぎは何処へ行ったのやらこれまで通り儀礼を行なった。
「それは行ってみたらわかることよ」
 伊藤は微笑んで彼に言った。
「何かご存知ですね」
 彼は伊藤のその微笑を見て本能的に悟った。
「ええ。ただしそれは行ってからのお楽しみよ」
「そうですか」
 どうやら大統領の方には話が既についていたらしい。彼はすぐに地球を発ち日本へ向かった。いや、この場合は戻ったといった方がよいのかも知れない。
 日本の首都は京と名付けられていた。天皇の座す都として存在している。政治の中心は議会のある八幡、経済の中心は美原星系にある。この京は国家元首の鎮座する、そういった意味での首都であった。いや帝都と言うべきか。
 不思議な風景であった。近代的なビルが立ち並ぶがそれと共に古風な、日本の平安時代や江戸時代を思わせる建物も並んでいる。これは主に儀式の際に用いられる建物だ。
「何かここへ来ると懐かしい気持ちになるな」
 八条は空港を降り立って車に向かいながら思った。そして車の中からその古風な建物を見ていた。
「いつも思うけれどこうした建物を見ると心が和むね」
 彼は運転手に対して言った。
「はい、何といっても我々の古来の建築様式ですから」
 彼は運転しながら答えた。彼の肌はやや黒い。アフリカ系の血が入っているのだろう。だがその心は日本にあるようだ。
 やがて皇居に着いた。所謂宮殿であるが他の国々の君主達の宮殿とは違う。それ程大きくはなく木造である。木は檜を使用しているようだ。そしてその装飾も極めて質素である。
「これが世界のエンペラーの家だとはな」
 八条は皇居を見て心の中で呟いた。皇帝の宮殿と言うにはあまりにも小さい。別荘といってもまだ足りない程だ。装飾もなく中にいる侍従達の服装もかっての平安期の服を復活させており極めて慎ましやかである。これがこの皇室の伝統であった。
 本当に歴史と伝統があるならば無闇に飾る必要はない、代々の天皇はその生活をもって無言でその意思表示をしてきた。かって明治という日本の危急存亡の時に若くして即位しその象徴であり続けた明治天皇は粗食で知られ軍服の裏が破れていても替えることなく縫ってまた着た。
 その後日本の皇室の在り方を今尚指し示す天皇が即位した。
 昭和天皇。明治天皇が『大帝』と称されるのに対してこの帝は『賢帝』と称されている。
 若くして当時世界の政治、経済、そして文化の中心であった欧州を訪問した。そこで彼は立憲君主制に触れ生涯その立場を守り続けた。君主はどうあるべきか、それを最もよくわかっておられた方であった。
 常に国民(陛下は最後まで臣民だと考えていたが)のことを案じ続けておられた。そして日本は世界においてどのようにあるべきか、そして皇室とはどうあるべきか。それを常に考えそれを行動により示し続けてこられた。その思慮深く慎重な性格と誠実な人となりが国民に愛され世界の尊敬を集めた。その彼が皇室の在り方を定めたのである。
 帝の生活は質素であった。崩御の際その寝室をはじめて見た時の首相が大いに驚いたという。
 帝の示された皇室の在り方はそれから皇室の範となった。そして今も残っているのだ。
「流石というか何というか。それ程偉大な方だったのだな」
 彼はその昭和天皇について考えていた。前には案内役を務める侍従が歩いている。
 廊下も檜である。一見火の回りが速そうであるがどうやらコーティングは為されているようだ。
 
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