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仮面舞踏会

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第五幕その三


第五幕その三

「もしや」
「すぐにお逃げ下さい」 
 その声は夫人のものだった。彼女は慌てて彼に声をかけたのだ。
「御命が」
「まさか貴女は」
「御聞きにならないで下さい」
 夫人はその声の主、王に対して言った。今は名乗るわけにはいかなかったのだ。
「けれど・・・・・・ここからすぐに」
「それは貴女の方が」
「私が!?」
「そうだ、貴女が誰かは今はいい。ただ、私は貴女に一言申し上げたい」
「それは」
「さようなら」
 彼は言った。
「永遠に。貴女は明日この国を発たれる」
「それはどういうことですか?」
「すぐにわかることだ、それは」
 王はそれ以上は語ろうとはしなかった。語ることはあまりにも辛かったからだ。
「だから。許して欲しい」
「けれどそれでは」
「私から申し上げることはそれだけだ。それじゃあ」
 別れようとする。想いを断ち切る為にも。だがそれは適うことがなかった。
「お待ち下さい」
 夫人が呼び止めたのだ。
「しかし」
「しかしもどうしたもありません。貴方に危機が迫っているのですから」
「既に私の運命は決まっている」
 王は諦めたように言葉を返した。
「愛を捨てた私は。もう望むものがないのだから」
 死んでも構わないというのだ。諦念がそうさせていた。
「だから。放っておいて欲しい」
「そういうわけにはいきません」
 しかし彼女は尚も食い下がる。
「さもなければ貴方が」
「私のことは忘れてくれ」
 王は苦しい声で言った。
「もう。何もかも終わったのだから」
「そんな」
「明日貴女は二人で旅立たれる」
 王は言う。
「遠い国へ。そして全ては終わるのだ」
「陛下」
「私は陛下ではない」
 だが王はそれを否定した。
「自らを抑えられなかった卑しい男だ。この仮面の下にあるのは」
「だからといって御命を粗末にされるのは」
「言った筈だ。もう命なぞ惜しくはないと」
「見ろ」
 ここでアンカーストレーム伯爵達が彼に気付いた。
「あれだ。間違いない」
「その話、間違いはないのだな」
 二人の伯爵はアンカーストレーム伯爵に問うた。
「オスカルは嘘はつかない」
 それが答えであった。
「決してな。それでわかるな」
「うむ」
「見れば雰囲気も体形もそのままだ。間違いはないな」
「ではやるか」
 アンカーストレーム伯爵は前に出ようとする。その彼に二人が声をかけた。
「待て」
「どうした?」
 伯爵はそれを受けて仲間達の方を振り向いた。
「どうして始末するつもりなのだ」
「自慢の剣でか?」
「いや、それだとこちらには持って来れない」
 伯爵は首を横に振ってそれに答えた。
「残念だがな」
「では一体」
「短剣か?」
「いや、違う」
 彼はそれに言葉を返した。
「私が持って来たのは」
「うむ」
 二人は固唾を飲んで彼の次の言葉を待った。それは。
「ピストルだ」
 彼は剣呑な声で言った。
「ピストルか」
「そうだ。これならば間違いなくあの男を殺せる」
「うむ」
「確実にな。では任せてくれ」
「うむ、頼むぞ」
「成功を祈る」
「私が大事を間違えたことはない」
 彼は仮面の奥に暗い決意を隠して応えた。
「だから。安心してくれ」
「わかった」
「それではな」
 伯爵は一旦人の中に消えた。そして王を目指してその中を泳いでいく。まるで獲物を狙う黒い鮫の様であった。静かで、それでいて酷薄な。王の命は今将に死の牙の前にあった。
 王はその間も夫人と話していた。夫人は必死に懇願していた。
「ここはお逃げ下さい」
「私は臆病者と言われたくはない」
「ですが」
「刃なら避けてみせる」
 彼は言った。
「凶刃に倒れたならばそれも運命だ」
「そんな・・・・・・」
「あの占い師が言ったように」
 ここでふとアンカーストレーム伯爵のことが頭に浮かんだ。彼女の夫でもあるあの者の顔が。
 
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