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蒼き夢の果てに

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第4章 聖痕
  第33話 赤い風車

 
前書き
 第33話を更新します。
 

 
 ……ゆっくりと意識が覚醒して行く。
 ……確か、モンモランシー作製の劇薬を口にした瞬間に意識が遠のいて行って……。倒れてからどれぐらいの時間が経ったのでしょうか。

 目覚めてから最初に思ったのは、その事についてでした。

 未だ、まどろんで居たがっている瞳を無理に開いた先に映る見慣れた天井。そして、最近、良く寝かされるベッドの感触。
 但し、眠りに就く時は、床に倒れ込むばかりなのですが。

 それでも、ここ。つまり、タバサのベッドの上に寝かされていると言う事は、彼女が運んでくれたのでしょう。
 そう思い、少し上半身を起こす俺。室内に差し込んで来ている陽光から察すると現在の時刻は午前中。確か、倒れたのが午後……。学院の授業が終わった後ですから、最低でも半日は眠っていた事に成りますか。
 そうしたら、彼女の現在の居場所は……。

 ……って、直ぐ隣。ベッドの脇に椅子を用意して、そこに座って本を読むタバサの姿が有りました。
 横で眠る俺を気にする訳でも無く、ただ、和漢に因って綴られた文章をその蒼い瞳のみで追う少女。

 いや、そう装っているだけですか。少なくとも、彼女の発して居る雰囲気がそれを物語っていますから。
 俺が目を覚ました事に気が付いたタバサが、俺をその瞳の中心に映す。何時もと変わらないメガネ越しの、温かいとは表現し辛い視線に別の感情を乗せて……。

 そうして、

「おはよう」

 ……と、普段通りの雰囲気で告げて来た。
 まるで何事も無かったかのような何時も通りの朝の挨拶。一カ月半ほど続けられて来た日常の一コマ。

「おはようさん」

 俺の方もそう普段通りの朝の挨拶を返す。それに、あの妙な液体でひっくり返った割には、気分は悪くないみたいですから。
 但し、何故かあの液体の見た目や臭い。それに、味に関しても曖昧な記憶しか残っていないのですが。

 倒れたショックに因る一時的な記憶の混乱……などではなく、おそらくこれはトラウマ。心的外傷性の物と推測出来る記憶障害だと思いますね、これは。
 ……って、何を冷静に考察しているのでしょうかね、俺は。

 それに、今はそんな事よりも、もっと知りたい事が有りますから。
 おっと、その前に。

「わざわざ、運んでくれて、その上、ベッドに寝かせてくれたんやな。ありがとうな」

 質問の前に、御礼が先ですか。そう思い、先ずは和漢に因って綴られた書物から、俺の方に視線を移した蒼き姫にそう感謝の言葉を伝えて置く。
 俺の言葉に、無言で首肯くタバサ。メガネ越しの視線も。そして、仕草や雰囲気も何時も通り。

 但し、ほんの少しの安堵のような物を発して居るような気がします。
 それに、少しの違和感が有るのも事実ですね。

「そうしたら……。あのモンモランシー作製の液体は、俺以外は誰も口を付けた人間は居ないな。記憶の一部を吹き飛ばすほどの破壊力は並みやないで」

 普段通りの彼女の対応に安心しつつ、次に気になっている質問の方に移る俺。色気も何もない質問なのですが、それでも、これが気になっていたのは事実ですから。

 そう。確かに、あの時のモンモランシーは、頭がすっきりすると言いました。そして、現在の俺の状態から考えると、それは間違いでは有りませんでした。更に薬の作用かどうかは定かでは有りませんが、良く寝た御蔭で身体の方もついでにリフレッシュも出来たみたいです。
 しかし、それでも尚、記憶の一部が吹き飛ばされるような副作用をもたらせる劇薬は、流石に問題が有り過ぎます。

 せめて、人体実験は自分か、俺達以外の人間でやって下さい。

 俺の問いにコクリとひとつ、強く首肯くタバサ。
 そうして、

「心配はない」

 ……と普段通りの短く、要点のみの答えを返して来た。
 成るほど。取り敢えず、俺と言う犠牲は無駄では無かったと言う事ですか。

「それは良かった」

 一応、そう口に出して言って置きますか。それに、少なくとも、タバサが妙な液体を呑む事によって倒れるよりは百万倍マシな結末でしょう。

 それに、本当に危険……飲むと体調が不調に移行する液体だと判断していた訳では有りませんでしたからね。
 あの時のモンモランシーが発している雰囲気は陽の気で有り、あの場に居た全員を酷い目に合わしてやろうと言う企みを持った雰囲気では有りませんでした。
 その状態から判断して、少なくとも、モンモランシーの言葉に嘘はない、と判断した結果の挑戦だった訳ですから。

 何故ならば、彼女は水の系統魔法の使い手。彼女の善意によって作られた薬ならば、見た目やその他がどうで有ろうとも、彼女の言うような効果は有ると思いましたから。
 もっとも、想定以上の破壊力が有った為に、半日ほど眠りに就く結果と成って仕舞いましたが。

「なぁ、タバサ。俺の看病の為に授業を休ませて仕舞って、すまなんだな」

 さて。状況確認が終わったのなら、次はこの部分について、ですか。
 それに、これは当然の台詞です。感謝の言葉や謝罪の言葉は、どんなに近い相手にでも。いや、近い相手だからこそ、確実に言葉にして伝えて置くべきだと俺は考えて居ます。

 それに、かなり嬉しかったですしね。目覚めた時に、独りぼっちで目覚めたのではなく、傍に誰かが居てくれただけで。
 まして、今日は平日。それに今は午前中。つまり、時間的に言うと、間違いなく現在は学院の授業中のはずです。
 おそらくは、俺が目を覚ますまで傍に居てくれたと言う事なのでしょう。

 俺の言葉に首を横に振って答えてくれるタバサ。
 そうして、

「貴方が倒れたのは、わたしの分までモンモランシーの用意した飲み物を飲んだ性。
 それに……」

 ゆっくりと、普段通りの抑揚の少ない話し方でそう続けるタバサ。
 但し、この台詞の後、彼女から発せられる雰囲気が少し変わる。

 そう。それまでは、普段通りの安定した感覚の中に、多少の安堵の色と言う雰囲気が含まれていたのですが、ここから、少しの緊張を感じさせる雰囲気へと変わった。
 そして、

「昨夜、リュティスから次の命令が届いた」

 ……と続けたのでした。


☆★☆★☆


 そして現在。
 何故か、少し不機嫌に成って仕舞ったような気もしますが、細かい事を気にしても始まりませんか。

 リュティス郊外の小高い丘に存在する中世ゴシック建築の教会……なんでも女子修道院らしいのですが、その建物を見上げながら、ブドウ畑と、そして割と新しい飲み屋が立ち並ぶ、御世辞にも綺麗なとか、安全なとか言う風に表現出来るような雰囲気ではない通りを、俺とタバサは馬車に乗って今回の任務の地点に向かう途中です。
 確か、この丘の向こう側にはシテ河が流れているのじゃ無かったかな。

 ……修道院が有るのに、何故に危険な場所になるのかって?
 この時代。中世の女子修道院が、清らかな尼僧の暮らす信仰に溢れた場所と思ったら大間違いですよ。

 この時代の女子修道院とは、……人類最古の職業と呼ばれる女性たちが居たトコロですから。もっとも、基本的には働けなくなった女性たちが最後に身を寄せる場所、と言う意味合いが濃かったとは思うのですが。
 まして、この付近の飲み屋にワインを売りつけているのは、他ならぬ、その女子修道院なのですからね。

 もっとも、この国で一番信仰されている宗教組織とは言っても、先立つモノが無ければ食って行けないと言う、世の無常を感じさせる事実では有るのですけどね。
 更に、このガリアは宗教組織で有ろうとも、税が掛けられるらしいです。

 確かに、十分の一税に相当する教会の取り分はここガリアにも存在するらしく、教会にはガリア王国から毎年一定額の資金が支給されるようなのですが、それだけでやって行ける訳はなく、教会独自の荘園の開発などは行われているようなのですが、その部分には、ガリアは税を掛けているようです。
 これは、多分、ガリカニスムから発した物だとは思いますが……。

 流石にこの世界で最大の王国は、唯一絶対神のブリミル教のトップに因る介入を排除出来るだけの権力を行使出来ると言う事なのかも知れません。

【それで、今回はカジノ潰しの任務と言う訳ですか】

 馬車の窓から、未だ宵の内だと言うのに飲み屋で既に出来上がっている雰囲気の親父たちを眺めながら、そう【念話】で問い掛ける俺。
 普段通り、ただ、首肯くのみで答えるタバサ。

 それで、あの目覚めた後に、遅い朝食をタバサとふたりで取り、そのままガリアの王都リュティスに転移。その後、普段通りにタバサが単独で受けた指令が、先ほど俺が口にしたカジノ潰しなのですが……。
 ガリアの騎士の御仕事って、カジノを潰すような御仕事も存在するのですか。あまりにも仕事が多岐に渡っていて、必要とされる能力が魔法を含む戦闘能力だけとは言いかねると思うのですが。

 例えば、前回のフェニックスの再生の儀式に関わる御仕事は、どう考えても、物資調達の技能と祭壇を組み上げる技術。それに、地点防衛能力が要求されましたし、今回のカジノ潰しは情報収集能力などが重要となると思うのですが。

【それで、そのカジノを(ちから)……。つまり、出来るだけ公的権力を使用せずに潰して、その後に半公営のカジノを作ると言う事ですか】

 俺の引き続きの【質問】に、再び首肯く事によって答えるタバサ。

 おっと、これでは少し判り辛いので説明します。
 先ず、このガリアと言う国では、基本的にカジノは合法です。但し、あまりにも高いレートで行うカジノは論外ですが。
 そして、表向きは、民営のカジノも存在している事に成ってはいます。

 但し、裏では、大部分の民営カジノはガリアの諜報組織の出先機関として統一されて居り、ガリアのカジノなどを統括する暗黒街のフィクサーは、ガリアの諜報組織のトップと言う事に成っているようです。
 尚、娼館や妓館なども、裏側ではかなりの部分がガリアの諜報組織の出先機関として統一されているそうです。

 ……って言うか、中世ヨーロッパの国にしては、このガリアの諜報組織はかなりヤバい雰囲気ですよ。これは、ガリアの王弟絡みのクーデター計画が簡単に漏洩したのも首肯けます。
 この状態だと外では迂闊な相談は出来ませんし、かといって、不平貴族同士が集まって、誰かの屋敷で密談などを行ったら、返って目立つ事になって仕舞いますから。

 ネズミなどの使い魔を使用した諜報は、この世界ならば簡単に行えますからね。

 表の顔、昼の顔……貴族などを支配するのが国王で、夜の顔……暗黒街を支配するのが諜報組織のトップ。そして、それを支配するのもガリア王だとすると、この国の支配は盤石と言う他ないでしょう。

 まして、フェニックス再生の儀式の例から考えると、祭祀も王家が支配していますから。

 それで、カジノが合法なのは、おそらく娯楽の少ない国民に対しての数少ない娯楽を取り上げる訳には行かなかったのと、カジノや娼館、妓館などはいくら公的に取り締まったとしても闇に潜って営業を続ける為に、取り締まるよりは、自分達の目の届く範囲内で活動させようとしたのと、ふたつの理由からでしょう。

 これは、国民に与えるパン(食糧)サーカス(娯楽)の、サーカスの部分です。
 確かに、カジノと言うのは、ギャンブル依存症などを引き起こす危険性も有りますが、元々娯楽の少ないこのハルケギニア世界で、公的権力でその少ない娯楽の内のひとつを強く取り締まると、流石に国民の内に不満が溜まって行く可能性も有ります。
 更に、日本の例で言うなら、古代でも何度も双六禁止令などの法令が施行されましたが、まったく効果を示す事はなく、中には、天皇自らが双六に熱中するあまり、皇后に窘められたと言う記録さえ残っている始末ですから。


 しかし……。俺が聞いた範囲から想像すると、ほぼ野放し状態に近かったトリステインと比べると、世紀単位で、その支配に対する思想が違うような気がしますね。

 まして、諜報組織のトップが暗黒街のフィクサーを兼ねると言うのがミソです。
 何故ならば、これでは、他国の諜報組織が食い込んでくる余地がかなり狭められる可能性が高いですからね。
 いや、ヘタをすると、逆に他国の暗黒街と、ガリアの暗黒街のフィクサーが繋がっている可能性さえ存在しますから、他国の内部にガリアの諜報組織が食い込んでいる可能性の方が大きいように思います。

 何故ならば、このハルケギニア世界は、地球世界の中世ヨーロッパに比べると、貨幣経済が発展している雰囲気が有りますから。

 もっとも、ガリアの統治や、支配体制がどうだろうと俺には関係ないですか。まして、タバサは貴族としての生活を望んでいる訳ではないはずです……。
 いや。そう言えば……。

【なぁ、タバサ】

 そう言えば、将来についての明確なビジョンを、タバサに聞いた事は未だ無かったですか。確かに、彼女の望みは母親の回復で有って、父親の仇討ちでは無い、と言う事までは聞いていたのですが、このガリアの諜報網から逃れての隠遁生活は、はっきり言うと、かなり難しいですよ。

 俺が居なければ。

 俺の【問い】に、声に出しても、そして【念話】に因っても返事を行う事は有りませんでしたが、タバサは、俺の方を真っ直ぐに見つめる事により返事と為した。
 これは、沈黙は肯定と取っても良いと思いますね。それならば……。

【タバサは、ガリアで貴族や、騎士として生活して行く未来を求めている訳では無い。そう考えて良いんやな?】

 俺の直球の質問に、タバサは何の躊躇いもなくひとつ首肯いて答える。
 これは間違いなく肯定。そして、

【わたしの夢は……】

 そこまで【念話】で告げて来てから、しかし、何故か言い淀むタバサ。
 いや、雰囲気から察すると、何かを思い出している雰囲気のように感じます。但し、何を思い出しているのかは判らないのですが。まして、自らの夢を思い出す必要が有る状況と言うのは……。

 そして、

【誰にも邪魔されずに、晴れた日は畑を耕し、雨の日には飽きるまで本を読んで暮らす事。世事に邪魔されず、貴族とも、王家とも関係ない形で静かに暮らして行く事】

 真っ直ぐに俺をその晴れ渡った冬の氷空に等しい瞳に映し、言い淀む事なく、そう【告げて来る】タバサ。
 其処からは、憧れと、そして、少し昔を懐かしく思う雰囲気が感じられた。
 そして、何故か、その【言葉】を聞いただけで、ほんの少し、涙がにじんで来るような奇妙な感覚に包まれる。

 おそらく、家族が平穏に暮らしていた当時の事を彼女は……。
 そして、彼女と霊的に繋がっている俺が、彼女の強く感じている想いを受け取ったと言う事なのでしょう。

 それに……。成るほど。父親を暗殺され、自身も命を狙われ、母親も毒を盛られるような目に有った少女が貴族としての生活に戻る事を望む訳はないと思っていたけど、これは深山幽谷に暮らす仙人のような生活を望んでいる訳ですか。

 更に、もしも、その生活を望んで俺を召喚したのなら、それは正解。

 彼女の望む、晴耕雨読のような生活は、俺ならば間違いなく作る事が出来ます。
 五遁木行に属する俺の能力は、非常に農耕向きの能力ですから。

 ならば、彼女の望みを果たすべく尽力しましょうか。それに、彼女が能力を付けるまでは動く心算もないと言っていましたし、少なくとも、魔法学院の卒業までは後二年は有ります。
 まして、彼女の母親の治療が出来なければ、彼女の使い魔としての仕事を完遂する事は出来ないのですから、その部分を俺は最初に解決しなければならない、と言う事です。

 問題は、ルイズや才人が巻き込まれている気配が有る厄介事と、俺に刻まれつつある生贄の印……『聖痕』について直接関係が有った場合、そんなのんびりとした未来を作る事を許してくれる可能性が低くなる、と言う事だけなのですが。

 但し、タバサと彼女の母親を安全圏に追いやって、自らだけで聖痕について解決する事は、おそらく彼女が許してくれませんし、彼女との約束に反する事ともなりますから……。

 そうしたら、取り敢えずは、聖痕が刻まれているのか、それとも、この両手首の傷は関係なく、俺に刻まれたルーンの意味から類推出来る、オーディン関係の神話を辿らされているのかを確認出来るまで、この件については保留ですか。

 俺は、一際目立つ赤いレンガで作られた粉ひき用の風車を見つめながら【念話】を打ち切った。
 何故かと言うと……。

 その赤い風車の地下に有るカジノが、今回の目的の違法カジノですからね。


☆★☆★☆


 では、ここで本日のタバサの出で立ちの説明を少し。

 先ず、今回の基本は白です。……と言っても、ほんの少し淡いピンクの掛かった上質の絹を使用した、腕や肩、そして胸元を大きく露出したキャミソールドレスに、肩に巻くストールも白鳥の綿毛を使用した白。ついでに、パーティ用の肘まで隠れる長い手袋も白。更に夜会靴もドレスに合わせた白と言う、徹底的に白に拘り抜いた衣装と成って居ります。

 もっとも、彼女の場合、少し胸にヴォリュームが足りない為に、露出の多いドレスでは少し寂しいような気がしないのでもないのですが。
 まぁ、それでも、ドレスのそこかしこに、ふんだんに真珠を使用した白のイブニング・ドレスは彼女の神秘的な雰囲気を高め、更に、今回の任務用に纏った黄金の豊かな(ウイッグ)の色と相まって、かなりの美少女ぶりを発揮して居ります。

 但し、俺の好みとしては、秋の豊穣を意味する現在の彼女よりも、深い氷空(そら)の色を意味する普段の彼女のほうが、より彼女に相応しいとは思うのですが……。
 ただ、そうかと言って、あの目立つ髪の毛の色を隠さなければ、潜入捜査には成りませんから仕方がないのですが。

 そして、片や俺の方は……一応、この中世と思われる時代及びこのハルケギニア世界の違法カジノなので、流石にドレスコードはないみたいなのですが、それでもそれなりの服装をしていなければ入れてくれないみたいですので、黒のタキシードに黒のタイ。ポケットチーフは当然、白い麻製。更に黒の革靴を履いているのですが……相変わらず、お仕着せの衣装に身を包んだ、ヤケにひねた七五三状態です。

 せめて、四年早い成人式ぐらいには見られたいとは思うのですが……。

 それに、少し猫背気味に歩く俺と、ちゃんと背筋を伸ばして凛とした様子のタバサとでは、周りに発して居る雰囲気が違うで、受け取る印象も違うのだとは思うのですが……。
 しかし、これは仕方がないですか。地球世界の日本のごく平均的な庶民の家に生まれた俺と、銀の匙をくわえて生まれて来たタバサとでは今まで暮らして来た環境が違い過ぎて、正装に当たる服装を着慣れて居るタバサと、まったく縁が無かった俺とでは、着こなしの上で差が出たとしても不思議では有りませんから。

 それで、カモフラージュされた店の入り口で何やら暗号めいたやり取りの後、タバサが持っていた符丁を示して見事入店の運びとなったのですが……。

 もっとも、いくらこんな方法で客を選ぼうとしても、其処は蛇の道は蛇。アンテナを高く上げて置けば、集められない情報はないと言う事ですか。
 まして、店側も常に上客を求めているはずです。

 そんな場合、情報の流れて行く先は、大通りや日の有る内の井戸端。庶民の集う店先や家族団欒の夕食などの場所を流すよりも、王宮の柱の影からバルコニーの先。カーテンの後ろから、寝室の寝具の上を流した方が効率良く上客を集める事が可能でしょう。

 但し。カジノを開く側も、ガリアの諜報組織の暗躍に関して、薄々は気付いている可能性も有ります。……ですので大規模な民営カジノの場合、早々に目を付けられて潰され、乗っ取られる可能性を考慮しているはずなのですが。
 まして今夜、俺とタバサが赴くカジノについては、青天井……つまり、異常に高いレートをうたい文句にした違法カジノですから、ガリア諜報部の動向や、それに、同業者の動きにはある程度の警戒を行っていると思います。

 果てさて。今回のタバサの任務に関しても、一筋縄では行きそうもない雰囲気なのですが……。

 そうして。カモフラージュされた入り口の内側に居た黒服に、流石に丁寧な……と言うか慇懃無礼な態度で手にしていた見せかけの杖を取り上げられたのですが、姑息な俺の考えからすると、この制度に関しても少し疑問が残りますね。
 そんな事を行って、本当に効果が有るのか、と言う事についてが。

 少し長い目の折れ曲がった地下に向かう階段を下りた後、今度は水平になった通路を進む事しばし。まるで、何者かの体内……もしくは黄泉の国への通路(みち)を辿るかのような昏い通路を案内もなく進むタバサと俺。

【なぁ、タバサ】

 妙に通路内に響く自らと、そしてタバサの足音。

 その単調な。そして、陰鬱とさせる雰囲気に少し耐え切れなくなった訳では有りません。しかし、差し当たって、大して難しい疑問でもないですから即座に返事が得られるだろうと思い、タバサに【念話】の回線を開く俺。
 タバサからは、流石に言葉での返事は返されなかったけど、言葉になってはいない気のような物が返される。これは、了承したと言う事なのでしょう。

 そう。其処は、廊下のあちこちに灯と成っている魔法のランプが灯されているのですが、その明かり自体が必要最小限の光しか提供している事がなく、何故か焦燥と不安感を煽るような造りの、嫌な雰囲気の通路で有る事は間違い有りませんでした。

【この世界の魔法は杖がない状態で発動しないのは知っている。せやけど、予備の杖のようなモンを用意している人間はいないのか?】

 普段通り、タバサの一歩前を進みながら、彼女にそう【念話】で質問する俺。
 いや。別にどうしても今、聞かなければならない質問では有りません。しかし、何か言葉にしていなければ、不安と焦燥で走り出して仕舞いそうになる、そんな雰囲気の通路だったと言う事なのです。

 おっと、イカン。気分転換の心算の質問だったのに、思考が陰の方向に進み過ぎている。
 陰気は更に陰気を呼ぶ。ここは気分を転換するべきですか。

 それで、そもそも杖以外でも、指輪や首飾りなどの宝石や、魔導書などが触媒を為す可能性は有りますし、俺の知識の中ではそう言うタイプの魔法使いも居ました。但し、ハルケギニア世界の魔法使い(メイジ)で、そんな変り種の魔法使いに出会った事は、今までは有りませんでしたが。

 ただ、現状の俺やタバサは、契約している式神達を宝石の中に封じて持ち歩いている以上、宝石を魔法の杖として契約している魔法使い(メイジ)として認識されても不思議ではないと思うのですが……。

【普通は、予備の杖と契約を行う事はない】

 タバサがあっさりと俺の【質問】に答える。

 成るほど。わざわざ複数の杖と契約を行うような人間は滅多にいないと言う事ですか。故に、見せ掛けに持ち歩いていた杖を奪う事により、カジノ側は俺やタバサの魔法を封じた心算に成っていると。

 まして、宝石や貴金属の類を身に付けているのなら、それを予備の杖だと疑って店側に預けさせるよりも、むしろ負けた場合の賭け金代わりに取り上げた方が、カジノ側としても利益が上がると判断した為に素通りだったと言う可能性も有りますしね。

 しかし、更にタバサが【念話】で続けて来る。

【但し、この店は店側が魔法を使ってイカサマを行っていない証明と、客に魔法によるイカサマを行わせない為に、一定の間隔で店中にディテクトマジックに因る魔法探知を行っている】

 成るほど。確かに、系統魔法しか使用出来ない相手になら、この世界のディテクトマジックを使用した魔力探知は絶対のイカサマ防止と成ります。
 但し、ディテクトマジックで探知出来るのはこの世界の系統魔法のみ。精霊の能力を借りた魔法に関しては理解の外に位置するのか、反応する事は有りません。

 そして、俺とタバサの魔法は精霊魔法に分類される、精霊と契約を交わして魔法を発動させるタイプの魔法。それで、タバサとの仙術の練習中にディテクトマジックに仙術が反応するかは何度も試してみましたけど、今まで一度もディテクトマジックの魔力探知に引っ掛かった事は有りませんでした。

 逆に、こちらの魔力探知は全ての魔力、霊力に反応する仕組みの仙術なので、相手がもし精霊魔法を行使可能でも、イカサマを行ったら一発で判る仕組みと成って居ます。

 この段階では、俺とタバサの方が圧倒的に有利なはずなのですが……。
 しかし、相手も違法カジノ。どう考えても、イカサマを使わずに真面に勝負しているとも思えませんし……。
 一体、どんなカラクリで儲けているのでしょうか。


 一度右に折れてから少し。大体、30メートルほど進むと、今度は上に向かう階段に出くわす。
 ……これは、地下をかなり移動させられたと思いますね。どう考えてもここは、あの赤い風車のすぐ下の地下とは思えません。

 もっとも、どの建物の地下だろうと、相手はガリアの国法を犯している違法カジノなので、結局のトコロ潰すしか方法がないと思いますが。まして、タバサの騎士としての仕事で無かったとしても、俺と言う存在に取っては、一日に一人の億万長者と、十人以上の自殺者を作り出す類の陰の気を撒き散らすカジノを放って置く事は出来ません。

 知らないのなら未だしも、知って仕舞ったからには。

 自殺者の霊は、仲間を欲するタイプの性質の悪い霊が少なく有りませんから。
 それで無くてもこの世界の一般的な魔法は、陰の気が強い魔法。そこに自殺者の霊まで増えて行かれると、益々、世界に悪い流れをもたらせるように成りますから。

 自殺者の霊が仲間を増やす為に、陰の気に囚われた人間を仲間に引き込む。つまり、更に、自殺者を増やして行き、その増えた自殺者の霊が更に、陰気を発生させ、気の循環が滞り、世界自体に歪みが発生する。
 その歪みを辿って、異界より、更に大きな災厄が顕われる。

 流石に、こんな状況を作り出させる訳には行かないでしょう。少なくとも、俺の知っている範囲内では。

 そんな事を考えながらゆっくりと前進して行き、上に向かう階段の前で少し立ち止まる俺。
 ……そして、俺の右隣に立ち、少し訝しげに俺の方を見つめるタバサ。

 同じように、少しタバサを見つめてから、その視線を在らぬ方向に向け、思考の海に沈み込む俺。

 そう。普段通りのエスコートを行うべきか、それとも、異質な場所の対応用のエスコートを行うべきなのか。

 普段通りならば、昇りの階段の場合はタバサに一段か二段先に進んで貰って、不意にバランスを崩した場合に備えるのが当たり前。まして、今日の彼女は履き慣れていないヒールの高い夜会靴を履いています。
 しかし、今回は未知の、それも違法カジノへの潜入任務と成りますから、むしろ俺が先に立って進むべきですか。その方が、咄嗟の際にも、最初に被害を受けるのは俺の方と成る可能性が高く成ります。

 そう思い、普段とは違い一歩先に歩み出した俺の左手を取り、普段とは逆の位置、即ち俺の左側にタバサが居ると言う立ち位置に変えられて仕舞う。
 そして、俺の左側から少し上目使いに俺を見上げた後、何も言わずに階段の先を見つめた。

 ……やれやれ。
 俺は、軽く左手でタバサの背中……と言っても、腰の辺りを軽くフォールドするような形を取った後、タバサの方が一瞬早く足を出すような形で階段を昇り始める。
 ……って言うか、正面から見られた時は、この形が一番綺麗に見えるはずです。

 普段は、見栄えよりも実用本位。俺は矯正された右利きですが、それでも矢張り右手の方が器用ですし、即座に対応出来るのも右手の方です。まして、日本で生活して居ましたから、車は左側を走っています。つまり、右側……歩道側に護るべき存在を置くのが基本だったのですが。

 ゆっくりと一段ずつ昇って行く俺とタバサ。地下から地上に辿り着くが如き昇りの階段だからなのか、それとも、少し触れ合っている彼女から感じる雰囲気が、冥府への道を思わせる階段の不気味さを消しているのかは判りませんが、確かに先ほどまでは感じていた不安感などは既に消えていました。

 そして、一瞬先に最上段に辿り着き、閉まったままに成っている扉の前に立ち止まるタバサ。
 その一瞬後に最上段に辿り着き、タバサの横顔を少し見つめる。
 僅かに首肯く蒼き姫。そう、この扉の向こう側は戦場。

 ふたりの呼吸を合わせ、そして、扉に手を掛け……。
                                              
 
 

 
後書き
 タイトルに関しては気にしないで下さい。判る人は判ると思いますが。

 それでは少しのネタバレを。

 主人公が、常にタバサを右側に置いているのは、第33話内で記述した以外にも理由が有ります。
 そもそも、中世ヨーロッパで、女性と道を歩く場合は、女性が車道側。男性が歩道側を歩くのが基本だったはずです。
 理由は、上空から何が降って来るか判らなかったから。

 そして、その程度の事については、主人公も知って居ます。

 主人公が、タバサを常に自分の右側に置いているのは、彼女を意識し過ぎない為。
 自らの左側には心臓が有る為に、左側に立たれると意識し過ぎるのです。……って、これだけでも、十分意識し過ぎているような気もしますが。

 あまり、直接的な表現はしていませんが、こう言う細かな表現は行っています。
 双方が、相手をどう思っているかについては。
 まして、今回は、タバサ自ら、左側に立つようなマネをさせましたし。

 ……それに、デレデレした表現は苦手ですし、この物語内の彼女には似合わないとも思いますから。

 次。双六禁止令について。
 天皇が皇后に窘められた、と言う明確な記述は残って居なかったと思います。

 但し、この双六禁止令を出した最初の天皇が誰かを調べたら、この第33話で、何故、私がこの内容を記載したのか、裏の意味が判ると思います。
 まして、かなり深い歴史の知識がないと判らない内容ですから……。
 更に、主流となっている説でも有りませんし。

 それでは、次回タイトルは、『山の老人伝説』です。

 ……これは、かなり危険なタイトルですね。色々な意味でね。
 
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