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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第99話 格の違い

 
前書き
お世話になっております。

難聴は治ってません。というかちゃんと聞こえてはいますし、日常生活に問題はないのですが、
今度は低音域に異常があるそうです。まだ薬は飲んでます。

少しくどい文章になってしまいました。こういう暗喩の話とかはあんまり得意じゃないんで。
速く実戦部隊に戻りたいですね。

オルクセン王国史、超お勧めです。 

 
 
 宇宙暦七九〇年 八月末 バーラト星系 惑星ハイネセン

 結局レンタル衣装を返却しに行ったアントニナに、同期宛のお土産を散々買わされ、老後の貯えとか考えたくないレベルにまで預金高が減りつつあるが、そんなことを考える余裕もないほどまでに俺は仕事に追われていた。

 予算審議は最終段階を迎え、与野党の各派閥領袖で国防予算に関わらない評議会議員へのレクも始まり、首都在住の軍人でありながらほとんど議員会館に詰めているような日が続く。チェン補佐官のスケジュールであれば本来八時出勤一九時退勤になるはずなのだが、ドタキャンに即アポにとだいたいは議員側の都合で狂わされ、日付を跨ぐ前に官舎に帰ることはない。
一度、宿舎の前に止まったままの無人タクシーで前後不覚で寝てしまい、故障を疑った公共交通システム公社のメンテナンス要員と事件の可能性を考えた交通警察によって夜明け前に叩き起こされるという醜態も晒してしまった。

「君には色々と慣れない仕事で苦労をかけて、済まないと思っているんだ」

 明後日開かれるの評議会議員総会での予算承認にどうにか目途が立ち、あとは政治家達がちゃんと賛成票のボタンを押してくれればいいところまで来た日の深夜。無人タクシーの呼び出しをかける寸前に、俺がレイバーン議員会館五四〇九号室に呼び出され、我が世の春のようなキラキラした笑顔をした怪物に迎えられた。

「国防予算は、大きな波乱に見舞われることがなく議会を通過する見通しがたった。勿論全ての要求が通ったわけではないが、軍令・実働部隊も満足してくれる額で落ち着いた。ここ数年来では一番スムーズな決着だった。君のお陰だ。本当に感謝しているよ」

 国旗と、選挙区のコミュニティ旗と、軍旗が並ぶさほど大きくもない評議会議員オフィスの中の応接室。染みも皺もないピッとしたテーブルクロスの上に並べられた、チキンフライと鶏チャーシューと、リンゴとショウガのホットスムージー。それぞれ二人前の、合わせて四人前。いずれの容器にも議員食堂のマークが入っている。

「先生には余計なお気を使わせてしまったようで、どうにも申し訳ございません」

 俺はとっとと帰って寝たいんだよ、と言ったつもりだが恐らく通じていない。通じていてもこの怪物は表情筋一つ動かすことなくスルーするだろうとは思うが、出されている料理からトリューニヒトが、俺にいくらかは配慮していることが伺える。

「なに。このくらいのこと、気にすることはないよ。君の労に比べれば、ささやかなものさ」

 せっかく用意したんだから食べて(ついでに話もして)くれるよね、ということか。元から会食を断れるような相手ではないし、直上ではないが一応補佐すべき相手(国防委員会参事)であることは間違いない。座りたまえと言わんばかりに差し出された手に従い、俺は怪物の前の席を引く。

 もし、もし、ここでこの怪物を討伐すればどうなるだろうか。視界の片隅に入った樹脂製のナイフが、俺の頭の中に向けて、ドミニクばりの魅惑の声色で甘く囁いてくる。『今なら邪魔するSPもいない。国家を枯死させる寄生木をここで伐採し、腐敗と汚職に塗れた国家体制をあなたの力で立て直して』と。

 品の良いスーツに包まれた身体つきを見る限り恐らく……トリューニヒト自身が持つ戦闘能力はさほどでもない。元警察として最低限の訓練は受けているだろうが、現場を長く離れていてこちらは現役の軍人。第四四高速機動集団に配属されてからは、戦闘時や外せない用事がある時以外の早朝、自室での陸戦戦闘術訓練を欠かしていない。ジャワフ中佐やブライトウェル嬢との、訓練というにはちょっと『ハード』なものもあった。『適度な長さと刃と強度のある棒』があれば、戦場に出たことのない口笛の下手なマスクマンなら一個分隊は潰せる。確かにこれは絶好の機会だが……

 怪物が前にいるにもかかわらず、思わず俺は頭を垂れて含み笑いを漏らしてしまう。何のことはない。民主主義の譲れない信念とか普段から偉ぶっておきながら、これでは救国軍事会議の奴らとまるで大差がない。しかもブライトウェル嬢の一件に限らず、一方的な妄想による私刑など俺が一番嫌いなものではないか。それでもそんな想像をしてしまうのは、原作を通じての怪物に対する嫌悪に引き摺られているのか。ケリムの頃からまったく成長していない自分に対して皮肉な笑いしか出てこない。
 
 だいたいここでトリューニヒトを殺したところで、『ルドルフにできたことが俺にできないと思うか』とか赤毛のノッポに零す金髪の孺子が来寇しないわけがないし、俺はただの評議会議員暗殺犯として世間を追われるだけ。国内における軍との威信は失墜し、軍人に対する信頼は低下するだろうし、粛軍に合わせてだいぶ小粒になった第二のトリューニヒトが現れるだけのことだ。つまりは害悪だけで何の意味もないし、トリューニヒトと心中なんてそこまで前世で悪いことをした覚えはない。

「大丈夫かね? 中佐」
「はい、大丈夫です……」
 俺は笑いを喉の奥に押し込むように咳き込みつつ、右手を小さく上げてトリューニヒトに応え椅子に腰を下ろすと、三度ばかり深呼吸をしてから、怪訝な表情を見せる怪物に相対した。
「先生。すみません。ご心配をおかけしました」
「もしかしてなにかアレルギーがあるのかね? そうだとしたら申し訳ない。こちらの落ち度だ。直ぐに別のものを用意させるよ?」
「いえ、そうではなく。ここにある夜食が全部自分の好きな食べ物ばかりでして、どうして先生がご存じなのかと、驚いた次第でして……」
「予算の忙しいこの時期。夜食となるといつもこれを選ぶんだよ。全くの偶然なんだが、中佐の好みであったのは良かった」

 俺がチキンフライ好きであることを事前に調べていておきながら、さも偶然であると言う。堅苦しい思想信条や学歴などではなく、もっと身近なところで相手との共通項を持とうとする仕草。
穿った見方と言えばそれまで。だが同じチキンフライであっても、フェザーンに赴任した時のけばけばしい接待とは一線を画す遣り口。バックである教団と長老会議での争いを実力で勝ち上がったルビンスキーと、常に選挙という大衆の支持を必要とするトリューニヒトの、これが違いだろう。

「インスタントヌードルの風味や塩分も、私は悪くないとは思うんだが、やはりそればっかりと言うの体には悪いしね」
「もしかしてトリューニヒト先生は豚骨ヌードルがお嫌いなのですか?」
「勿論、嫌いではないよ。味は濃厚で疲労回復と胃の満足感の両方を満たせる。だけど正直、毎日食べたいとは思わないね。動脈硬化や高血圧になるリスクが高い」
 フフフッと含み笑いをしつつ、人好きする笑顔を浮かべたトリューニヒトは、鶏チャーシューにフォークを突き刺して俺を見ながら笑みを浮かべる。
「その点、鶏肉料理は低カロリーで高たんぱく。また素材としてもどのような料理にも合わせることができる」
「なにしろ屋根の上にもいますから」
「何事においても頂上にいるというのは悪いことではないと思うよ。自然と視野は広くなるからね。うん。しっかり味付けされているのにさっぱりしているこのチャーシューは、いつ食べてもいいね」
「同感です」

 自分に向けられた皮肉と受け取ったか、それとも俺の自虐と受け取ったか。食事中の暗喩に詰まったり、感情を波立たせることなく、さらりとかわせるところは只者ではない。俺も何事もなかったようにチキンフライに手を伸ばして口に運ぶ。胡椒の絡みと生姜の辛味、しっとりとした衣と変わらぬ味は心を落ち着かせる。

「ボロディン君。あぁ、食べながらでいいよ。ちょっと聞きたいんだがね」

 二個目のチキンフライに手を伸ばそうとした時、スムージーを傾けていたトリューニヒトが問いかけてくる。

「アイランズ君から聞いたんだが、軍人が国家戦略目標を自律的に立てて行動しようとすれば、政治家の首に荒縄のネックレスがかかるだろうという事なんだが、本当にそう思うかね?」

 アイランズから聞いたというより、袖口に付けられたボタンを通じて、実際に聞いたのだろう。否定しても良かったが意味もないし事実であるので、俺は失礼を承知でそのままチキンフライを口に運びながら首だけで頷く。俺の様子にトリューニヒトはおどけた表情で肩を竦めた。

「言ってることは結構物騒な話だと思うけど、君は随分と落ち着いているね」
「軍事独裁政権という代物は長い歴史の中で幾つもありました。まだ政治家と軍人という区分がはっきりと定義されていない時代は別として、幾つかの奇跡のような例外を除けば現実が証明しています」

 チキンフライでベタベタになった手を布巾で拭い、ついでに紙ナプキンで口を拭う。誰かが『脂で口が滑らかになったと見える』なんて言ってたような気がするが、おそらくトリューニヒトも俺を見てそう思っているだろう。

「軍は命令と服従で成り立つ組織です。それは行政府も変わりません。ですが官僚はペンで戦いますが、軍人は暴力で戦います。特にこのような戦時下にある場合、国防を理由として市民の私権制限を行うことに対する心の敷居はかなり低くなりがちです」

 実際のところ軍事独裁政権でないにも関わらず、口笛の下手なマスクマンを使って、平然と対立組織に対して私刑を行っていたのは目の前の男だ。ああいう私兵組織を抱えていた基本的な理由は、実力組織である軍の自分に対する暴力に対応する為だろう。

「本来民主主義国家において勝利条件を設定するのは、選挙によって市民から負託を受けた政治家の仕事です。軍人はその勝利条件を達成する上で助言を行い、軍事上とるべき必要な戦略を構築し、戦術を持って目標を達成するのが仕事です。政治家の仕事まで軍人がやらねばならないとしたら、政治家は無為徒食の輩として扱われます」

 軍事独裁政権下で民主政治家が生き延びるには、市民からの負託を政権が預かったと正当化するお札としての役割ぐらいだ。

「そして余裕のない人間は、特に必要のない不自由な『物資』にかける金があるなら、別の物に金を使います」

 言い終えた俺が飲むスムージーの喉を通る音すら聞こえるほどに静まり返るトリューニヒトの応接室。いつの間にかトリューニヒトの顔には余裕はなくなり、口以上に物を言う魅了の魔力を持つ目は薄い瞼で閉じられている。テーブルの上で組まれた両手は小さく前後に揺れていて、その振動が彼のスムージーの水面を規則正しく揺らしている。
 危険な発言を繰り返す目の前の士官をどう処分しようか、そう考えているのか。だが次にトリューニヒトの目が見開いた時に口から出た言葉は意外なものだった。

「イゼルローン要塞を攻略できれば、銀河帝国との講和は可能と、君は考えるかね?」

 現時点でも主戦派の領袖と言われる男から出る言葉ではない。だが現時点でトリューニヒトが帝国との講和を考えていたかどうかまでは原作には記されていない。もちろん、単に俺がアイランズに話した講和条件を思い出して、質問してきているだけに過ぎないかもしれない。

ただこういう話ができるという『状況証拠らしきもの』はある。

 獅子帝が死の淵にある際、ユリアンが自身と同様の銀河帝国に立憲体制を構築するという構想を、トリューニヒトが描いていたというドミニクの証言。また同盟降伏後、わが身可愛さから帝国の臣下になることを申し出ている。自らを忌み嫌う敵対者であっても、また自分が不利な状況であっても、交渉することを躊躇わない。節操なしと言われれば実際その通りだが、少なくともウィンザー夫人のような『政治の理論を知らない政治家』ではない。

 一番の問題はフェザーンだ。原作通り事態が進むとは限らないにしても、地理的な条件とルビンスキーの存在は変わらない。彼らの生存理念は敵対する二勢力の中間にあってこそであって、二勢力が『講和』して直接交易を始めてしまえば、フェザーン回廊の存在価値は著しく低下する。

 フェザーンの歴代指導部はその政治的地位と回廊の存在価値を安定させるため、帝国・同盟双方への政治工作を行ってきた。原作がこの世界での現実になるかは分からないが、少なくとも地元の女に手を出した駐在武官を辺境星区に島流しにかけることができる相手だ。既に選挙民としての地球教を利用してフェザーンがトリューニヒトを操っている、と考えてもおかしくはない。

 故にフェザーンとトリューニヒトが現時点で命令型の主従関係なのか、それとも対等な協力関係なのか。それでこの質問に対する危険度は大きく変わる。

トリューニヒトがどのような野心を持とうと主従関係であるのであれば、俺の考えはフェザーンにとって存在を揺るがしかねないと判断されるだろう。直接の暗殺は流石にないだろうが、また人事に干渉して年平均戦死率二〇パーセントの前線哨戒隊に飛ばされるくらいのことはありうる。
 一方で対等な協力関係というのであれば、イゼルローン回廊の出口においては緊張を維持しつつも直接大規模戦闘を起こさないような『冷戦状態』を成立させることで、フェザーンの存在価値を棄損することなくほどほどの平和を実現できる。

 冷戦を成立させる為には、敢えてイゼルローン要塞を攻略する必要はない。両勢力がフェザーンの調整するバランスを保って併存するには、イゼルローン要塞と言う錘はやや大きい。持ち主が変わるだけで大きく天秤は振られる。今は帝国の皿の上に乗っているが、『双方の』皿の上に載っていた方が安定はむしろ取りやすい。

 戦争による両国の疲弊の上に、人類生存域の宗教的な統治を目論む地球教の思惑について、トリューニヒトもルビンスキーも利用するだけ利用してやろうというスタンスだった。トリューニヒトはキュンメル事件の情報を憲兵隊にリークしたし、ルビンスキーは自分の上に支配者がいること自体を嫌う。

 大規模会戦が減少し、帝国・同盟双方の政情が安定すれば人口が増大へと傾き、経済規模自体が拡大する。そうなればフェザーンは商売のパイを増やすことができる。一極支配にあって独占的な権益を確保するほうが得と考えるかもしれないが、政治的・軍事的覇権を持つ者の心持一つで吹っ飛ぶような代物だ。だいたい覇権の持ち主が他者に独占的な権益を与えるわけがない。分割し統治せよ、は世の真理だ。

 で、あればこれはチャンスと捉えるべきだ。

「可能ですが、なにもイゼルローン要塞を攻略せずとも回廊出口を軍事的に封鎖すれば、銀河帝国との『緊張感ある共存』は可能です」

 俺は一介の中佐に過ぎないし、同盟生存の為にはどうしたって厄災である金髪の孺子と赤毛のノッポをぶっ殺さないといけないとは思うが、奴らが軍事上層部に現れる前に『ゴールデンバウム王朝』銀河帝国と共存ができるのであれば、二人が生きていても問題はないかもしれない。

 そして権力亡者であり利己主義の塊でもあるトリューニヒトが、建国の父アーレ=ハイネセンに次ぐ政治的英雄になろうとも、一五〇年にわたる戦争を引き分け状態で比較的長期間維持できるのであれば構わないだろう。

「必要なのは、イゼルローン回廊入口の制宙権の確保、膨大な軍事建築資材と予算、そして同盟国内・帝国・フェザーンの三者と冷静にかつタフに交渉する覚悟です」

 ゴールデンバウム王朝銀河帝国に対して手を差し伸べる必要などない。彼らの国是上、叛徒共の存在を公式に国家として認めることなど許されない。それはそれでいい。政治的には同盟と対立していた方が、フェザーン回廊の存在価値を維持できるし、フェザーンとしても帝国と同盟の平和的な講和に怯える必要がなくなる。軍事的にはイゼルローン回廊同盟側出口付近に、首飾りのビーズをぎっちり詰め込んで、数的優位をある程度制約できる殺戮システムを構築することで、同盟の純軍事的な損害を効率的に低減できる。

 自由惑星同盟国内に向けて、あえて帝国との共存をぶち上げる必要はない。虚空の美女に性懲りもなく会いに行って、手酷いローキックを貰ってスゴスゴと帰ってくることを繰り返すのを止めるだけでいい。イゼルローン回廊出口の制宙権を確保する為には機動戦力は当分の間は必要だし、膨大な数のビーズを作るのにも予算はいるから、トリューニヒトは別に主戦派としての主張を翻す必要もない。ネズミが入ってくる穴を塞いでやれば、米櫃のコメを増やす力はまだ同盟にはある。人口比で不利な同盟は国家生存の為に産業効率を可能な限り高めてきた。ビーズ購入ローンの返済には時間はかかるだろうが、出来ないわけではない。『今ならば』

 フェザーンに対しては、政治的には現状維持を、経済的には大規模支出をプランとして提示すればいい。まずビーズ購入ローンという大きな商機は純経済的に見逃せない。フェザーンにとって帝国と同盟の『講和』は断じて防がなければならないが、『緊張感ある共存』については認めるだろう。国家間戦争が一時停止することによる国家経済力の拡大は、フェザーン商人にとってはいいことずくめだ。建国のいきさつから地球教と手を切ることはそう簡単ではないだろうが、戦争の一時停止による人心と物資供給の安定は、サイオキシン麻薬に裏打ちされた狂信的な宗教に付け入るスキを与えない。

 もちろん自動攻撃衛星の消耗戦なんて面倒なことをせず、まともにイゼルローン要塞を陥落させてから同じように帝国側と緊張感ある共存を作り上げることは、出来ないわけではないだろう。だが今度は、同盟国内に帝国領侵攻のストップをかける労力がとてつもなく大きくなってしまう。

 帝国大侵攻を招いたのは原作時における政治状況によるものだけではない。あまりにも華麗なイゼルローン奪取の興奮によって、それまでに積み重ねられた損害に対する回顧より、純粋に帝国を軍事的にも政治的にも侮る楽観が上回ってしまった。逆に積み重ねられた恨み辛みをこの機会に晴らしてやろうという復讐心に対するハードルが大幅に低下した。

 それが第五次・第六次イゼルローン攻略戦とアスターテ星域会戦によって、大幅な軍事的かつ国家経済的なリソースの低下が発生した後で起こったものだから、もう目も当てられない。イゼルローン要塞陥落のタイミングは、同盟にとって最悪であった。

 無人タクシーの中で「私も甘かったよ」なんてシトレが寝ぼけたことを言っているのは、正直可笑しい話だ。統合作戦本部がイゼルローン攻略後のことを全く考えていないとは思えない。個人的な好き嫌いで政権中枢対するレクチャーを怠っていたとは、今のシトレの辣腕ぶりを見ている限り考えづらい。
 仮にシトレが大々的に攻守転換ドクトリンなりを、職を賭して世間に発表したとしても帝国領侵攻は恐らくは止まらなかった。シトレとロボスの出世レースの最後の攻防もあったし、トリューニヒト自身が失敗の先の自己権力の拡大を目論んでシトレと手を握ることはないだろう。

 未来はどうなるか分からない。だが何もしなければシトレによる第五次、ロボスによる第六次のイゼルローン攻略が行われる。怪物の威を借りれば金は猛烈に失うが、人的損害を減らすことは可能なはずだ。ならばフォークと同じようなことをする行動に対する生理的嫌悪感に蓋をするくらいなんとでもない。怪物が悪魔になって手が付けられなくなる可能性はあるが……その時は俺自身が、奴が人間であると証明するしかない。

 目の前のトリューニヒトは俺の答え以降一切口を開くことなく、あの蛙のような目で俺を見ている。年齢は三五歳か三六歳のはずなのに、まるで人生に諦観したような老人のような瞳の暗さだ。ただ左手の人差し指だけが規則正しくテーブルを音もたてずに叩いている。

 恐らく頭の中で計算しているのだろう。俺の提案についてと俺自身の処遇についてと、自身にとって有害か無害かについて。今の自分の立場と、諸方面との関係を含めて見極めようというところか。

 たっぷり五分。人差し指の音なきノックが唐突に終わると、トリューニヒトの瞳には極彩色の輝きが戻っていた。

「……来期予算が議会を通過してからも、詳しく話を聞かせてくれるね? ボロディン中佐」

 残っていた最後のチキンフライを手に取ったトリューニヒトの笑顔は、実に毒々しくて到底お近づきにはなりたくないものだった。





 自分の仕事のお陰と言われると、気恥ずかしさ以上に言葉の裏を勘繰りたくなるが、予定通りに来期予算は議会を通過して成立した。国防委員会ビルの内部各所もホッと一息といった雰囲気に包まれており、それはやはり国防委員会の一部署である国防政策局戦略企画部参事補佐官室も同じであるはずなのだが……

「ボロディン中佐への面会希望者が後を絶たなくて大変ですわ」

 チェン秘書官はそう笑みを浮かべながら、先程まで来客が飲んでいたコーヒーカップを片しに給湯室へと消えていく。あまりにも多い来客に俺はコーヒーだと間違いなくカフェイン中毒になると思って、チェン秘書官に全部カモミールティーそれも少量で出すように指示をしたのだが、二日後にはアルーシャ産の一級ティーバック二〇袋入りが五〇パック、しかもご丁寧にジャーマン種とローマン種が差出人不明で別々に届けられた。勿論、真新しい来客用ティーカップ一揃えも一緒に送られてきている。

 これは賄賂になるのだろうか。俺は軍民外部の、特に軍需関連企業からの来客には最初に口利きは一切しないし、こちらはお願いするばかりで優先的な便宜は図れませんよ、と言っている。大抵の人達はポカンとし、またそのうちの半分以上の人が困惑したまま帰っていくのだが、残りの半分は『ええ、ええ、心得ておりますよ』といったしたり顔で帰っていくのだ。

 そして一方的に送られてくる品物については、テンプレの礼とお断りのポストにサインを書いて付けて差出人にそのまま送り返しているのだが、今度は差出人なしで送られてくるようになってしまった。

 こういった場合、どう対処すべきなのか。マトモに同期の現役法務士官に聞けば重箱の隅をつつかれて、俺の手首に手錠がかけられるのは分かっているので、ご機嫌伺いに実家に戻った時レーナ叔母さんに聞くと、

「本来は商品全部破棄すべきだけど、拾得物扱いというのが慣例ね。事情を話して建物の管理監に預けた方がいいわ。誰が何を持ってきたかが分からない上に、ヴィクが誰にも便宜を図らなければ、今の同盟の刑法では贈賄が成立しないし。面会者から受け取るとしてもお茶菓子とかその程度ね。高級品や現金はダメよ。その場で拒否ね」

 誰にも便宜を図るどころか、こちらはバリバリ官製談合の繋ぎ役をやっているご身分だ。確かにやっているのは受注調整であって、特定の誰かに便宜を図っているわけじゃない……と主張するのは流石に無理がある。収賄よりも先に、官製談合防止法や公契約関係競売等妨害罪に問われるのは間違いない。

「それでボロディン中佐。もしお時間がよろしければ、エベンス少佐が中佐にお目通りを願っているのですが」

 新しいカモミールティーの匂いを纏わせながら、サイドの黒髪が俺の頬に掛かりそうなくらい顔を近づけて、チェン秘書官は囁く。その態度や話し方以上に、言っている内容も異常だ。直下の部下がわざわざ秘書官を通じて面会を求めてくるとは。

「ピラート中佐は、在勤中部下との面会はわざわざ秘書官を通じて行え、と命じていたのですか?」

 普通なら隣接する補佐官補のオフィスから直接補佐官にヴィジホンをかけてアポ確認するだけだし、特に忙しくないと言われるこの時期で来客なしの在室確認できるのであればノック三回で済む話のはずだ。
 だが俺の不審な視線を浴びたはずのチェン秘書官は、妖艶な笑みだけを浮かべるだけで何も言わず、肯定も否定もしない。前任者の不利になるようなことは言わないということなのか。それとも『別の意味』か。

「……他に本日の面会者はいないのであればお通ししてください」
「かしこまりました」

 軍人ではなく軍属民間人なので、敬礼ではなくお辞儀で。履歴書では三二歳の、深い谷間の闇が『答え』でないことを祈りたい。その彼女が秘書席のヴィジホンで呼び出して正確に六〇秒後。皺ひとつない制服に身を包んだダドリー=エベンス少佐が、渋い顔を浮かべつつもピシッとした直立不動の姿勢で、俺の前に立っていた。

「お時間いただきありがとうございます。ボロディン中佐。ダドリー=エベンス。参上いたしました」

 一応職務・階級で立場が上の俺は、自分の執務席(ピラート中佐の使っていたの物とは別の、軍汎用品)から立ち上がることなくエベンスに敬礼したのだが、それが気に食わなかったのか敬礼前と後で眉間の皺の数が違っている。年下の上司はそんなに嫌かと、上官反抗罪を振りかざしてやっても良かったが、そんなことで目くじらを立てるようではナメられる以前に上司としての器量が疑われる。

「お話があると秘書官から聞きました。ですがまずその前に、これからは直接アポイントを私に取ってくれて構いません。私は本部長でも長官でもないのに、少佐もいちいち面倒でしょう?」

 話の分かる上司風に応えたつもりだが、エベンスの表情に軟化する様子は全くない。一度だけエベンスの瞳がチェン秘書官に向けて動いたが、顔はこちらを向いたままだ。そんな見え透いた懐柔など不要だとでも言いたいのか。承知しました、と小さく頭を下げるだけ留めている。

「それでお話とは?」
「はっ。ピラート中佐についてであります」
「ピラート中佐の?」
 エベンスの口から出た意外な人物の名前に、俺は首を傾げざるを得ない。確かにエベンスにとって前の上官であっただろうが、今は俺が上官だ。もし前任者をなんらかしらの罪で告発するとしても、それは俺ではなく憲兵隊に直接すべきだろう。
「中佐がなにか?」
「前任の上官ではありますが、どうやら引継ぎにつきまして誤解があるように思えましたので、お伺いに上がりました」
「はぁ?」

 思わず俺の口があんぐりと開く。確かにピラート中佐の引継ぎはとうてい引継ぎとは言えない代物だった。だがそれは文章として残すにはあまりにも危険な代物であり、補佐官の臨機応変で柔軟な対応が必要な職務であるからだ。単語として羅列すれば僅かなものだが、その内容はあまりに深く複雑で、現時点の俺だって全てを把握しきれてはいない。

 そして補佐官補であるエベンスが、ピラート中佐の仕事ぶりに不満があったのは、あからさまな軽蔑の態度でよくわかる。中佐は一見すればゴルフに接待にと腐敗した軍士官のテンプレのような人物だが、実際は後方支援の現状からの戦略的な視野と深い知識を持つエキスパートだ。中佐自身のひねくれた性格もあるだろうが、自身の常識に捕らわれて相手を一方的に理解しようとしなかったのは、エベンス達も同じではないのか。もちろん俺を含めての話ではあるのだが……

「……誤解と言うのは聞き捨てならない」

 腹の底で時がたつごとに沸々と湧き上がってくる怒りに蓋をして、俺は両肘を机上に置き、両手を組み、その手で口元を隠しながらエベンスを上目遣いで努めて冷静に、感情を込めず睨みつける。

「確かに私はまだこの職について日も浅く、ピラート中佐のように手際よく振舞うことは出来ない。だが私なりに職務に精励し、貴官らの補助もあって少なくとも業務に支障をきたした覚えはない」
「……」
「貴官が引継ぎに誤解があるというのであればどういう点か。明確に、かつ簡潔に、説明してもらいたい」

 聞く耳は持つから上官の行動に不満があるのならば、いちいち前任者の名前を上げることなく言ってみろ、俺がそう言ったのが分かっただろうか。右も左も分からぬ年下の上官に、正義の説教をブチかまそうと思っていたのかもしれないが、一応俺の仕事ぶりはホワン=ルイからトリューニヒトまでそれなりに評価してくれている。

「……軍人は政治家といたずらに接触すべきではありません。彼らの、権力を私物化するような政治家の代弁者となるような真似は慎むべきです」
「私の任務は政治家の代弁者ではない。行政活動において軍事的知識を必要とする政治家のフォローを行っているに過ぎない」
「ゴルフや会食に行かれることも、行政活動におけるフォロー活動と仰るのか」
「当然だ。性格も分からない見ず知らずの相手と、いきなりチームを組んでいい仕事ができるわけがない」
「我々軍人はそれが可能ですぞ」
「厳格な行動規範があって命令と服従によって成立する軍務と、対等な相手と交渉し物事を一から作り上げていく政治とを同一に考えるべきではない」

 そんなことも分からないのか、とまでは言うつもりはない。エベンスのこれまでのキャリアを否定するつもりはないし、腐敗した政治家に対する純粋な憤りも分かる。正義漢なのだろうが、あまりに視野が狭い。

「我が国は市民に選ばれた政治家と、優秀な官僚によって政府が作られ、国家として運営されている。手続きは煩雑だし非効率かもしれないが、それは民主主義国家として支払うべきコストだ」
「そんなことではいつまで経っても、帝国を打倒することにはかないませんぞ」
「帝国が我々を自主独立した民主主義国家として、存在を承認し存続を認めるなら、別に倒す必要はない」
 俺の返事にエベンスの瞳が一度大きく開き、次いで明らかに上官反逆罪に問われてもおかしくないような嘲笑面で俺を見下ろしてくる。
「どうやらボロディン中佐は平和主義者のようですな」
 腰抜けめ、とほとんど言っているような舌鋒。挑発のつもりにしては度が過ぎているし、怒ってぶん殴ってもいいが拳が痛くなるだけで何の意味もない。確かにこれが救国軍事会議の主参謀であるなら、トリューニヒトは怖くもなんともなかっただろう。まるで役者が違う。
 だからこそ、あまりやりたくはなかったが、コイツにはやるしかないと思った。俺はエベンスの履歴書を頭の中で見直すと、その嘲笑を鼻で笑ってやった。

「平和主義者の何がおかしいのか、私にはさっぱりわからないね。やはり戦場を遠く長く離れると、血の匂いも命の価値も建国の理念も、みんな忘れてしまうものなのかな」

 前線から帰ってきたばかりの俺にその手の挑発は悪手だったなと、無言で執務室を出て行くエベンスを視線だけで見送りながら思うのだった。
 
 

 
後書き
2024.03.31 更新

次の100話の後に、閑話で特別編を何か書きます。 
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