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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第97話 見えて見えないもの

 
前書き
いつもより遅くなりました。すみません。

呟きに書いた通り、著者まさかの突発性難聴です。耳鳴りとめまいとで耳鼻科に駆け込んで、
検査後あっさりと診察されました。思わず笑いそうになりました。言霊(フラグ)は怖いですね。

で、でもこの話はフラグになって欲しくはありません。冗談じゃ済みそうにないんで。 

 
 宇宙暦七九〇年 六月 バーラト星系 惑星ハイネセン

 澄み渡る青空。南風二メートル。

 青々と茂った芝生は心地よい初夏の風に揺られ、大地の息吹を思わせる。左右に並ぶ木々には小鳥が集い、濁りのない池では、魚がのんびりと泳いでいる。

 そんなゆったりハイキングに出かけたくなるような丘陵地。だが今、俺の肩に掛かっているのは、チョコレートやドリンクの入ったリュックなどではなく、番号とアルファベットが刻まれた、金属ヘッドが付いた棒一一本。

「君は初心者だからね。このセットはまぁまぁ良い選択だと思う」
 
 着任して五日。早速アイランズ氏から、氏の同僚である評議会議員や氏の実家である金属鉱業系の企業の方々と一緒に『歓迎ゴルフ大会』を開くから是非とも来るようにとのお誘い(命令)があった。ちなみにコースの費用は戦略企画室の研修予算から出ている。

 一応エベンスとベイの二人もこの『研修』に誘ったが、二人とも仕事を理由に断った。特にエベンスは礼儀正しくゴミを見るような目であったので、ピラート中佐の言う通りなのは間違いない。軍の良識派というくくりの中でも、より清教徒的なところがあるのだろう。もしかしたらそのあたりが捕虜虐殺の容疑のあるアラルコンとの不仲であった理由なのかもしれない。

 そしてチェン秘書官はというと、普通に朝五時には俺の官舎(と言っても引っ越したばかりの独身士官用二LDKマンション)に迎えに来て、車内で出席者の説明をしてくれている。襟と袖に赤のラインが入った白の上、で黒の革ベルト、ラインの色と同じスポーツスカートの姿は、童顔の女子プロかとばかりに堂に入った姿だが、今日はプレーしない。

 プレーするのは評議会議員のウォルター=アイランズと、ジャスティン=ネグロポンティ、あとは大手企業の上級幹部の皆様も合わせた八人。いずれも俺より前から顔なじみの面々らしく、お互いのハンデもある程度分かっているといった風情。

「きみ↑が↓ボロディン中佐か。国防委員会参事のネグロ↑ポンティだ」

 査問会の時と同じような口調で上から目線のネグロポンティ氏は、真っ赤な半袖ポロシャツとネイビーのパンツ姿。黒い髪と暑苦しい顔つきはムカつくほどに原作通りだが、口元に特徴的な髭はないので、実際に若いのだが少しばかり精悍に見える。

「アイランズ君が高く評価しているというから、どんな人物かと思ったらとんだ若造じゃないかね。君、どうやって中佐にまで昇進したのかね」

 どんなに嫌な奴とでもまずは笑顔で握手できることが、対等な議論の上に成り立つ民主主義国家における政治家の器の大きさと、前世の誰かが言っていたような気がする。取りあえずこの程度の厭味にいちいち反応していたら、今後胃袋がいくつあっても足りない。鉄壁の笑顔で小さく会釈をしたあと、わざとらしく思い出すように俺は応える。

「ケリムとマーロヴィアとエル=ファシルとアスターテとドーリアで少々。司令部付でしたので、上官と運に恵まれたおかげです」

 たいした軍歴ではないですがそれなりに実戦は重ねておりますよ、をオブラート三重重ねで言ったつもりだったが、どうにもネグロポンティ氏には通じていないようで、その視線には侮蔑が隠しきれていない。アイランズから話を聞いているということは、少なくともトリューニヒトの意を酌んで俺がここにいることは分かっているはず。

 つまりは嫉妬。士官学校以来ずっと親の七光りだの校長の贔屓だの、散々浴びせられてきたからこの程度のことは気にはしていないが、今回スルーするとしても相手がなかなか問題だ。
 現時点でネグロポンティはトリューニヒト派の評議会議員の一人に過ぎないが、原作ではトリューニヒトの次に国防委員長になる男。操り人形ではあるにせよ、着実に国政内で勢力を伸ばしつつあるトリューニヒト派の中ではそれなりの立場にある。スピーカーであるとしても、雑音しか出せないような男ではない。それがこの程度の器量とは、アイランズと比較しても考えづらいのだが。

「しょ、紹介しよう、ボロディン中佐」

 微妙な空気を察したアイランズが、俺とネグロポンティの間に割って入り肩に手を廻しながらさりげなくネグロポンティと距離を取らせつつ、参加者に俺を紹介していく。ネグロポンティから喧嘩を売ってきたとはいえ、本来ならそういう気遣いをしなければならないのは俺の方だし、アイランズに配慮させたのでは仕事をしていないようなものだ。心の中で自虐しつつ、口には出さずアイランズに目配せすると、アイランズも何も言わず軽く二度俺の肩を叩く。

「私の兄のハワードだ。ビリーズ&アイランズ・マテリアルの専務をしている」
「よろしく、中佐」
「よろしく、アイランズ専務」
「はははっ。ハワードでいいですぞ。ウォルターと区別できんでしょう。私もそちらの方がやりやすい」

にっこりと笑いながら手を差し出すハワード氏は、目元に若干の皺があるのと髪の色が少し薄いだけでアイランズと瓜二つだが、実業家だけあって目が鋭い。明らかに商売人の目だ。
「ウチの弟が君に迷惑をかけてないかね。特に口にできないようなこととかで」
「兄さん、勘弁してくれよ」
 サームローイヨートの一件だけでなく、他にも恐らく色々とあるんだろうなと、ハワード氏の『困った奴め』と言った表情が物語っている。
「いえいえ。アイランズ先生には良くお引き立ていただいております」
 俺が握手をしながらそう応えると、ちょっと驚いた眼で俺を見て、次いでアイランズに心底意外だといわんばかりに
「随分と偉くなったもんだな、ウォルター。まるで本当に仕事しているみたいじゃないか」
「仕事しているんだよ、兄さん」

 これ『も』一応仕事なんだよな、と苦笑しつつ俺はハワード氏の隣にいる人物を見る。たしか原作には登場していない。髪はグレー。六〇代……いやもしかしたら七〇代かもしれない、肌は僅かに赤みがあるアフリカ系。目尻や額に深い皺が寄りながらも、背筋は真っすぐだし目には活力がある男性。

「こちらはサンタクルス・ライン社のジョズエ=ラジョエリナ顧問だ。以前は同社の統括安全運航本部長をなさっていた」

 アイランズ(ウォルターの方)が得意満面で紹介する。そりゃそうだろう。同盟最大級の恒星間輸送企業、その統括安全運航本部長となればただダイヤグラムを組むだけじゃない。船舶の手配・運航宙域のリスク管理・系列関連企業経営・競合他社との船腹量の割り振りなどなど、恒星間輸送本業の一切を統括指揮する人間だ。まさに同盟の恒星間物流の心臓そのもの。
 軍で言えば宇宙艦隊総参謀長に戦略輸送艦隊司令官と統合作戦本部戦略部部長と査閲部の一部の権限を加えたようなもの。そんな権力を持つ地位など存在しないが、最低でも大将は固い。一応評議会議員で国防委員会の戦略参事であるアイランズなら、格は相当落ちるが話はさせてもらえるかもしれないが、二六歳のペーペー中佐がゴルフクラブ片手に簡単に口をきいていい相手ではない。

 チェン秘書官から事前に聞いた時、こんなコンペになんて人間連れてくんだよ、と喉まで出かかった。相対し思わず額に伸びそうになった右手を下ろすが、ラジョエリナ氏は手を伸ばし片手でガッチリと握りしめてくる。一瞬爺様を思い浮かべたが、握力は爺様のランクより上。ディディエ中将クラスだ。

「ラジョエリナだ。今は捨扶持を貰ってるだけの口うるさい隠居老人だよ。君の名前はサンタクルス・ラインに限らず、多くの船乗りから耳にしておる」
「それは、お耳汚しでした」
「『ブラックバート』をとっ捕まえただけでも、君はあらゆる恒星間輸送企業から企業年金を受け取る権利がある。軍の仕事が嫌になったら、いつでも私に声をかけてくれ。私に図れる便宜なら何でも聞こう」

 それは過大評価というべきだし、公式にはブラックバートを捕まえたのは検察庁とマーロヴィア軍管区だ。彼らをやや過激な方法で誘い込んだとはいえ、実戦指揮はカールセン中佐が、工作はバグダッシュが執っていた。俺はいわゆる口舌の徒に過ぎない。なのに白紙の小切手を手渡すようなことを言う。
 
「あれはアレクサンドル=ビュコック中将閣下の功績です。私はその指揮下にいただけに過ぎません」

 そこまで手厚くしてもらう権利は俺にはない……そう言ったつもりだったが、ラジョエリナ氏は苦笑しながらも両手を肩の上に広げて首を振る。

「今やただデカいだけになったサンタクルス・ラインとはいえ、一応それなりに情報収集ぐらいはできるのだよ。勿論、ビュコック中将の功績は大きいが、作戦指揮を執ったのは君と情報参謀のバグダッシュ君だったと聞いておる」
 情報将校の名前が世間に轟くのはあまりいいことではない。バグダッシュには悪いことをしたかもしれない。
「正直言えば、私はそれほどゴルフの腕は良い方ではない。まぁ老い先短いが、これから少しはトレーニングしてもいいかもしれないな」

 これからも『よろしく』という挨拶か。周辺視野に入っているアイランズの顔には満面の笑みが浮かんでいる。
 つまりアイランズが国防委員会で俺が補佐官職にある限り、ラジョエリナ氏を通じてサンタクルス・ライン社が関与してくれる。キャゼルヌからトリューニヒトの後援企業として恒星間輸送企業が付いていることは聞いていたが、そのラインが俺とラジョエリナ氏によってさらに強化される。つまりは出汁にされたわけだが、これも『仕事』なのだろう。

 その上でラジョエリナ氏は実際に作戦指揮を執ったのが検察庁ではなく軍部であることを、自分達は知っていると伝えてきた。アイランズはあえてスルーしているが、対外的には検察庁が音頭を取りトリューニヒトがコーディネートしたというふうに取られている以上、卑下はしててもサンタクルス・ライン社の情報収集能力は通り一遍ではなく、トリューニヒトの口車にただ乗せられているわけではないぞ、といいたいのか。

 他にもアイランズは俺に食料品大手、電気機器製造業、医薬品工業の重役を紹介していくが、ネグロポンティも含めてラジョエリナ氏の存在感は別格。誰も彼も俺に対して会話はしても、氏の方に注意が向いているのが丸わかりだ。

 ハイネセンは一〇億人の人口を抱える一大消費地であり、潜在的な生産能力はあっても現時点では消費物資を、恒星間輸送に頼っているところが多い。一惑星が七〇億人を抱えていた時代を知る俺としては畸形にもほどが過ぎると思ったが、地球と全く同一条件の天然惑星は存在しないという自然的な制約と、過剰生産による値崩れと言った経済的な制約、そして星間国家というあまりにも巨大な版図を維持する為の繋がりの条件としての政治的な制約が、そうさせているのだろう。

 そしてその血流を担っているのが恒星間輸送企業であり、その中で最大級のサンタクルス・ライン社を軽視することなど到底できない。以前から政界とは十分に癒着して来たであろうけど、彼らが支持するというだけでトリューニヒト派が増勢するというのは無理からぬことかもしれない。
 
「ボロディン中佐は全くの初心者だろうから六〇でいいだろう。それでチーム分けだが……」
「私は中佐と回らせてもらいたいが、いいかな?」

 ネグロポンティの仕切りに、ラジョエリナ氏が小さく手を上げて口を挟んでくる。ネグロポンティとしては氏と『いろいろ』お話ししたいと思っていただろうが、今後のことを考えてアイランズが(俺をダシにして)連れてきた氏の機嫌を損ねるような真似もしたくない。グヌヌヌという声が聞こえてきそうな感じだが、表情筋が微妙に震えるだけで、結構ですと了解した。

「よろしいのですか?」
 アイランズチームとなった俺は、一番ホールでティショットを打とうとするアイランズに顔を向けながら、横に立つラジョエリナ氏に問いかけると、果たして氏は軽く鼻で笑った。
「私はただネグロポンティ氏の作業時間効率を考えてあげただけだよ」

 『開かない財布に時間を費やすのはもったいないだろう』を、皮肉たっぷりに運送屋が言うとこうなるのかと、俺は妙に感心した。背格好はまるで違うが、雰囲気はシトレの腹黒親父によく似ている。シャカーンといういい響きに合わせて拍手をすると、氏は苦笑する。

「伸びた背筋がなければ君を軍人と見るには難があるな。以前は大企業のサラリーマンだった、中小企業の跡継ぎ若専務にしか見えん」
「思い上がりの身の程知らずに見えます?」
「いきなり上司が消えて異業種に放り込まれ、はてさてどうしたものかと戸惑っているように見える」
「まったくその通りですからね」

 君の番だぞ!というアイランズの声に、俺は笑いに背を震わせながらチェン秘書官からドライバーとボールを受け取りティーグラウンドに向かう。
 第一ホール、四一九ヤード、パー四。幅広でほぼ一直線のフェアウェイだが、ティーグラウンドより一五〇ヤードと二五〇ヤード、それにグリーン手前五〇ヤードにそれぞれ小さいバンカー。普通にドライバーで第一・第二バンカーの間まで運べればいいが、グリーン手前が少し狭くなって二打目に苦労する可能性がある。

 二日前の一〇時間打ちっ放しを思い出せ。取りあえず真っすぐは飛ぶようになったんだ。ティーグランドで小さく舞っている木っ端など気にする必要はない。イエス、アイアム・モンキー……

 カシューンンンンン、と音を立ててボールは一直線に、打ちっ放しでも出せなかった最高の弾道を描きながら……砂の中へと消えていった。





 わざとやったわけでもないのに、バンカー、池ポチャ、数多のOB……積み上げられたオーバーの数は参加者ダントツトップ七二に、俺の心はズタズタ。

 特に一四番ショートホール、一六九ヤード、パー三で七番ウッドを選んだチェン秘書官は間違ってはいないが、間違っていた俺は勢いよくボールを旗の真横にぶち当てた。当然、物理法則に則りボールは林の中へと消えていく。スピンなんか知ったことないとばかりの中弾道で……

「ゴルフってカップにボールを入れるスポーツだったと思うんですが」

 『肉と魚』という、身も蓋もない店名のトルコ風料理店。いわゆる大衆食堂であるが、味は水準を越え、何にも増して量が尋常でない。気位や時間よりも、食欲と味覚を満足させたい人向けで知られた店で、ハイネセンだけで五店舗が展開している。ちょっとチップを払えば特定の席の予約も、特別料理も出してくれる……そんな店のやや奥のボックス席で、ハイネセンに帰還してようやく後始末が終わった第八艦隊作戦参謀の一人が、ボサボサ髪の上下ジャージ姿の呆れ顔でチャイを傾けながら呟いた。

「先輩の名前が発表された艦隊幕僚リストになかったものですから、先輩・同期の間ではちょっとした騒ぎになってますよ。またなんか上層部に嫌われそうな余計なことしたんじゃないかって。ですが心配無用でしたね」

 士官学校の時に比べて少しだけ苦労が顔に出始めた第九艦隊第二分艦隊参謀のアメリカン優等生が、ちょっと名の知れたブランドものの長袖ポロシャツ姿で、ビールとシシ・ケバブを両手に持ち笑い声を上げる。

「しかしボロディン先輩を当局内勤とは。こう言っては何ですが、上層部の連中は一体何を考えているのか……」

 明らかに眉間に皺が寄っている統合作戦本部戦略一課の金髪がビシッと決まったエリートが、入店早々ネクタイと第一ボタンを外し、ブランド物の真っ白なYシャツ姿でイラつきの雰囲気を隠すことなく、ミディエ・ドルマを口にほうばりながら呟く。

「でもご出世されたことに変わりはないんでしょう? おめでとうございます『悪魔王子』殿下」

 紅一点。クラシカルなブラウスとデニムという、なんか凝ったようでシンプルなコーデ姿の音楽学生は、ほっそりとした手を合わせて、俺に微笑みかける。だがどう見てもその顔は、歳上の知人に対するというより同級生へのそれに近い。

 店が店だけに、周囲には軍服を着た明らかな軍人がいるにもかかわらず、このテーブルだけは講師のクチでまだ大学残っている一人を加えた研究室のOB会のような、どこか社会離れしたような雰囲気に、俺はラクを片手に今更ながら弛緩していた。

 六人掛けのテーブルで、俺が奥真ん中、左にワイドボーン、手前中央にジェシカ、ジェシカの右・通路側にラップ、左・壁側にヤン。俺の右にはアッテンボローが来る予定だったらしいが、今日は都合が合わず荷物置きになっている。それでも銀英伝の同盟ファンなら、こういう席で気兼ねなく彼らと話せるというのは幸せというほかない。

 原作通りなら四年半後、第六次イゼルローン要塞攻略戦でワイドボーンが、六年後にアスターテ星域会戦でラップが、七年後にスタジアムの虐殺でジェシカが亡くなってしまうかもしれない。比較的安全な現代日本に暮らしていた俺としては、それはなんとしても阻止したいという気持ちが自然に腹の内から湧き上がってくる。

「このまま明日にでも戦争が終わるって言うなら大歓迎なんだがなぁ……」
 胃に流れ落ちるラクの刺激に思わず零すと、
「それは心の底から賛成ですねぇ……」
 溜息交じりにピデを手に取り齧りつくヤンが応えるが、
「そんなことあり得るわけないだろう。帝国の連中は、何時でも我々を滅ぼそうとしている。戦争が終わるのは奴らが滅びるか、我々が滅びているか、そのどちらかだ」
 もう遠慮はいらないとばかりに、一人で勝手に注文したキョフテにフォークを刺しつつ、舌鋒鋭くワイドボーンが応える。その姿にラップは肩を竦めて視線を逸らしているし、(現時点で)政治も軍事も専門外なジェシカも苦笑いを浮かべている。

「じゃあ、ワイドボーン。どうやったらこの戦争は終わらせることができると思う?」

 コイツの真っ白なYシャツに撥ねたトマトソースが付いたのを確認した俺が挑発気味に話を振ると、ワイドボーンは口先まで届いていたキョフテを皿に戻してから応えてくる。

「イゼルローンです。イゼルローンを陥落させることで、帝国軍は回廊より同盟側の領域における軍事作戦を展開することは出来なくなります」
「イゼルローン要塞は難攻不落だ。これまでに挑戦四回、いずれも失敗している。ついこの前も七〇万人もの犠牲者を出した。動員する戦力がどれだけ大きかろうと、あの要塞は陥落させることは出来ない」
「しかしボロディン先輩。策源地を叩かない限り、戦争は終わりませんが?」
「ではこのままダラダラと三年に一回程度のペースで、一〇〇万人近い犠牲を出すイベントを続けるのかい? もちろんイゼルローンに正面展開ができるよう周辺星域を無力化する軍事行動を含めてだ」
「……そこまでおっしゃるなら先輩のお考えを聞きたいですね」

 ここまでヤンに向かっていたワイドボーンの鋭気が俺に進路変更される。コイツの挑発的な視線を浴びるのは久しぶりだが、職場で向けられるエベンスのシラケたモノや、チェン秘書官の妖しげなモノに比べれば、嫌味であってもハッキリすっきりしてはるかに心地がいい。別にマゾというわけではないが。

「あまりにもイゼルローン要塞が難攻不落ゆえに、我々同盟軍はその戦略的意義を軍事要塞としての価値にのみ注視しすぎている。同盟帝国両領域のチョークポイントという絶妙の位置にあるという点も含めてだ」
「そうです。ですから、我々は要塞を陥落させる必要が……」
「なぜイゼルローン要塞を『陥落』させる必要があるんだ?」
「え? ですが……」
「策源地を無力化するのは、何も策源地『本体』を無力化するのとは同値ではない。その戦略的価値を失わせることでも達成できる。我々は帝国軍と戦っているのであって何もイゼルローンと戦争をしているんじゃない」

 イゼルローン要塞自身はほぼ永久要塞。普通の地上軍の基地とは違い、補給線を断ったところで無力化は出来ない。だが、基本的に要塞自体の持っている戦闘能力は、あくまでもアルテナ星系の一部領域だけに過ぎない。駐留艦隊と要塞守備隊、機動戦力と根拠火力のコンビネーションが回廊の制宙権を構築し、戦争の一つの形態として、同盟に対する軍事投射能力を作り上げているに過ぎない。

「イゼルローン回廊出口の制宙権を長期間安定的に確保すること。これが『戦争を終わらせる』という問いに対する、俺の回答だ」

 制宙権を安定的に確保できる状況下であれば、穴から出てくる帝国艦隊(モグラ)を叩き続けるだけでいい。軍事生産基地能力のあるイゼルローンがある以上、帝国軍の補給線は短いが、回廊の出口は扇状地のような空間であるから、出てくる帝国軍側としては自在な兵力展開を行うことは難しい。
 シトレに話したこととほぼ同じだが、長期間安定的に確保している間に、イゼルローンとほぼ同値か、それ以上の要塞を回廊開口中央部に設置出来れば、あとは定期的な機雷敷設と航行妨害設備の配置で回廊を封鎖することができる。

「しかしどうやって、長期間制宙権を安定的に確保するんです? それこそイゼルローンから駐留機動艦隊が毎日妨害に来ませんか?」
 俺の回答に考え込み始めたワイドボーンを他所に、興味深そうな表情でラップが聞いてくる。
「妨害を撃退するだけの大兵力を前面展開するには、交代を含めても中央の制式艦隊の数では足りません。戦線維持の為には巨大な補給線も必要です。現在ある戦略輸送艦隊をフル動員したって無理ですよ」
「同盟軍基本法に制宙権を確保する為には、艦隊を使わなければならないなんて条文があるわけじゃないさ」

 俺がラクのグラスを掲げると、ラップは首を傾げるが、ヤンは「あ」と思いついたように声を上げる。恐らくヤンの頭の中で惑星ハイネセンの軌道上を巡る半永久的に動く全自動軍事衛星の姿が浮かんでいることだろう。
 まぁ今ある一二個だけ持っていくなんてケチな事は言わず、要塞規模の戦略拠点を構築するまでは首飾りを二〇〇個でも三〇〇個でも量産して、回廊出口に敷設する。岩や氷にぶちのめされるようなことがあっては面倒なので、若干の機動性の向上を付与する。漏れ出てきそうな帝国艦隊だけは、艦隊で削り取っていかねばならないだろうが、展開する戦力はずっと少なくて済む。

 移動要塞があるのならばもっと話は早いが、機動防衛ドクトリンに縛られている今の同盟の技術力ではおそらくそれが限界。原作のヤン艦隊の連中は危険視しつつも、戦略的には評価していなかったが、俺は可能ならシャフトを事前に誘拐するか買収するかして、同盟に亡命させられないかと思うくらい評価している。
 要塞に要塞をぶつけてぶっ壊し、新しい要塞を持ってくるなんてコストがぶっ飛んだ発想を生み出すまでもなく、恒星間航行能力を持つ永久要塞の価値は、設営箇所での建造時間という要塞最大の欠点を見事に帳消しにし、一瞬で星系規模の空間を制圧することができる。

「……先輩の方法論はあまりに突飛で実現性に疑問がありますが、仰ることは理解できます。しかしそれだけのハードウェアに対する投資について、軍首脳部も同盟政府も了承するとは思えませんが」

 何しろアルテミスの首飾りには首都防衛という名目で、軍事予算とは別の分野からも予算が投じられている。一個艦隊は優に揃えられる額で、開発費もさることながらそのメンテナンス費も大きい。どうやって帝国の大貴族がフェザーンの利益を乗せた分の代金を用意できたのか、聞いてみたい気もするくらいに膨大だ。

「ワイドボーン。このまま毎年三〇万人以上の軍人と一万隻近い艦艇を損失し続けるのと、無人の軍事衛星を破産覚悟で投げ続けるのと、どちらが『経済的に』まともだ?」
「金額的には艦艇を損失し続けている方が安いとは思いますが……いえ、違います、先輩が仰りたいのはそういう事ではない……」
「技術的に出来ないことではなければ、幾らでも考える余地はある。ひたすら考えるのは我々参謀将校としての使命だろう。その上で、我々軍人は戦争の勝ち負け以上に、この国家が生き残ることを考えなければならないんじゃないか?」

 それを考えるのは政治家の仕事だ。そう言ってしまえば簡単だが、政治家は政治のプロであって軍事戦略のプロではない。その上で軍事は国家の存続の為に存在し、国家経済に従属することを政治家だけでなく軍人も理解するようになること。この点において、俺は間違いなくジョアン=レベロやホワン=ルイと同じ立場だ。

 ワイドボーンが恐らく俺の言いたいことをたぶん理解してくれた、と思うのは早計かもしれない。彼がどういうキャリアでワーツ分艦隊の参謀長になったかは分からないが、何もなさず前線で金髪の孺子の餌食にする必要はない……もう内勤になった俺が、ワイドボーンを部下にできるとも思えないし、もしかしたら上官になるかもしれないが、何とかフォローできるようにありたい。

「ここにいる人達、みんな軍人なのに軍人らしく見えないですけど……」
 ワイドボーンもラップも、それにヤンですら俺に対して鋭い視線を向ける微妙な雰囲気の中で、ジェシカがトルコワインを手に取りながら俺に向かって首を傾げて言った。
「素人の私でもボロディンさんがまるで政治家のように見えるのは、どうしてなんでしょうね?」

『あぁ~そりゃなぁ~』といった緊張感からの開放が、溜息と共に目の前の同期三人の間に流れたのは、誰がどう見ても間違いなかった。だが言われた側の俺としては逆に胃が重くなる。

 つまるところ、俺の究極の目的は俺がこの世界にあるうちに、自由惑星同盟が滅ぼされないこと。その為には何としても金髪の孺子の銀河統一という野心を踏みつぶさなければならない。しかも限られた期間の内で達成するには軍事力でしかそれは解決できない。だが……そうでなくとも今の地位と権限の許す範囲を超えて、より政治に干渉するような行動することができれば、もしかしたら可能なのだろうか。

「ボロディン先輩、酔ってるんですか?」

 トントンと、隣に座るワイドボーンが肘鉄で俺の左脇を突く。俺が酔ってないと口には出さず首を小さく振って応えると、でしょうね、と小さく溜息をついて言った。

「ウィッティ先輩もヤンも言ってますが、突然前触れもなくぼんやりするのは軍人としては良くない癖ですね」
「……やっぱ、そう思うか?」
「まるで動力源が止まった人形のように見えるのが不気味です。突発性難聴の検査はされたんですか?」
「別の人からも勧められたんでね。異常はなかったよ」

 耳に機械を当て、さらには血液検査も含めて散々調べたが、お酒の飲み過ぎには注意してくださいという余計な診断がついた以外は、特に問題はなかった。自分でも悪癖だとは思うが、薬や習慣で治るようなものでもないので俺はもう諦めた。

「まぁ、戦場にあってもこれまで特に不自由なく仕事で来てたからな。死ぬまでこの癖とは付き合うよ。それより、お前達の方がどうなんだ? ちゃんと健康診断は受けているのか?」
「一応は。ヤン達は知りませんが」

 ワイドボーンの冷たい視線がラップとヤンに向かうと、二人とも肩を竦めるように視線を逸らす。軍規としての健康診断は軍務に圧迫されて正直おざなりだし、地球時代よりも (生体移植技術などの)外科的な治療技術は格段に進歩しているので、戦地における戦傷治療に比べ平時は規則正しい生活に従っていることから、日常健康に対する軍人の関心はかなり低下している。

「ヤン、それにラップ。悪いことは言わない。ハイネセンにいるうちに健康診断とは別に精密検査受けとけよ。活力に溢れて無敵のような若い奴でも、変異性劇症膠原病なんてわけわからない病気に罹って、高熱と発汗でマトモな治療もできず体が内側からボロボロになってあっさり燃え尽きて死んじまうなんて話もあるらしいんだ」
「は、はぁ……」
「戦闘で死ぬのは、軍人としてはまぁ職業病のようなものだから半ば仕方ないとしても、その前に直せる病気で死んじまうのは流石に勿体ないだろ。一つしか命はないんだから、大事にしてくれ」

 お互いに顔を見合わせるヤンとラップを他所に、俺は真正面に座るジェシカに向かって言った。

「民間人の貴女に頼むのは本当に申し訳ないのだが、このクソガキ二人の尻を叩いてやってくれないか。先輩のいうことに従わないし、小賢しくて生意気なんだが、どうでもいいことで失くすにはあまりに惜しい奴らなんだ」

 俺がそう言って小さく頭を下げると、この中では一番の年下であるはずのジェシカの顔に、母親のような慈しみが込められた笑みが浮かぶ。

「まぁ……そのあたりはお任せください。ちゃんと早々に『躾けて』おきますわ」

 その答えに情けない顔でヤンとラップは肩を落として黙り込み、ワイドボーンは何故か得意げな視線を二人に浴びせる。別に偉いわけでもないのに、なんでお前はそんなに偉そうなんだと、俺は隣にいて思わずにはいられなかったが。




 それから数日後。今まで見たこともない真っ青な表情をしたヤンと、今にも倒れて崩れおちそうなジェシカの双方からお礼のヴィジホンを受けて、ようやく原作を思い出して自己嫌悪に陥ったのは、余談である。
 
 

 
後書き
2024.02.13 更新 
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