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冥王来訪

作者:雄渾
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第三部 1979年
曙計画の結末
  部隊配属 その3

 
前書き
 アイリスディーナの軍隊生活編は一旦終わりにします。
次回から主人公のマサキの視点に戻ります。
 

 
 ここで眼を転じて、東欧諸国とソ連の動きを追ってみよう。
ゼオライマーの獅子奮迅の活躍によって、平穏の訪れた東欧諸国。
 彼等にとっての最大の関心は、BETAではなく、ソ連の動きだった。
すでにBETAの支配域は地球上になく、月面まで後退した。
 BETA戦争は次の段階に移り始めている。
だが、赤色帝国・ソ連の版図は一向に変化していない。

 たしかに、ソ連は5年の戦争で疲弊はしていた。
人口の30パーセント以上が失われ、回復は容易ではなかった。
 最も被害を被ったのは、中央アジア諸国である。
 BETA戦争開戦前、ソ連の人口増加を支えたこの地域。
ロシア人の平均出生率1人に対して、4人を誇っていたほどである。
だが、今は見る影もないほどに衰退していた。
 独ソ戦で移転した軍事工場も、地下資源もBETAによって貪られてしまう。
バイコヌール宇宙基地も、セミパラチンスク実験場もBETAの怒涛に消えていった。
 ソ連の隣国・アフガンも、同様であった。
アフガンは1919年の対英戦争の結果、ソ連の友邦となった。
 1973年に同国は、王政打倒のクーデターにより、親ソ衛星国となる。
ドゥッラーニー朝によって、10以上の部族が、かろうじて国家としてのまとまりをもっていた。
しかし、王制廃止により、同国は混乱の極みに陥った。
 急速なソ連式社会主義と古代から続く部族社会のあつれきはあまりに大きかった。
その混乱に付け込み、米国CIAや英国MI6の支援を受けた部族が各地で反乱を起こす。
アフガン全土は、共産化して間もなく、戦国の世という修羅の時代になってしまった。
 だが、宇宙怪獣BETAには、人間の事情はどうでもよかった。
彼らの目的は、アフガンにある未発掘の膨大な地下資源。
BETAの大群が押し寄せ、たちまちにアフガン全土を制圧した。
 このために、アフガンに存在した部族や言語、歴史。
これらの物は、人間同士の争いがBETAを呼び込む遠因となり、永遠に失われてしまった。
 その国土も、また被害から免れなかった。 
イラン国境沿いにあった、ヒンズークシ山脈。
7000メートルの名峰は、怪獣によって平坦に均され、無残な瓦礫になり果てた。

 疲弊した状態でも、なお軍事最優先の独裁体制を取る北方の豺狼。
東欧諸国の恐れ方が尋常でなかったのは、無理からぬ話である。
 ソ連は、領土こそ維持したものの、日々衰えを見せているとも考えている人々もいた。
だが、未だに国際金融資本は、ソ連への膨大な援助を続けていた。
 バルト三国での反ソデモに関して、経済界の対応は冷淡だった。
体制崩壊を恐れ、大戦車部隊が蹂躙するのを黙認すらしたのだ。
 その上、ワルシャワ条約機構や、領土の維持すらも追認した。
いや、それどころか、かつての領土であるアラスカを取り戻すかもしれない。
米国経済界の対応次第によっては、ソ連指導部は生きながらえるであろう。
 
 そんな経緯から、東欧諸国はBETA戦争前の軍事ドクトリンに戻り始めていた。
防空レーダーや地対空ミサイル(SAM)を中心とする防空システムの再建である。
 指令システムが高度に発達した今日の近代戦において、対空砲火は脅威であった。
 ソ連防空軍が開発した対弾道弾防空システムС(エス)-300。
この装置は、米軍のパーシングミサイル迎撃用に、1975年に開発が完了した。
 最大射撃高度40キロメートル。
低空からの攻撃を防ぐために、ЗСУ-23-4や9К33 Оса(オーサ)などの近距離防空システムも併用した。
BETAの光線級の脅威がなくなっても、戦場では自由に飛行機は飛べなかったのだ。

 戦闘機開発が遅れたこの世界にあって、地対空ミサイルの脅威は我々の世界以上だった。
特に航空機産業が失われて久しい東ドイツにおいて、その問題は喫緊の課題だった。
 東独空軍は、本心から言えば、戦術機の否定論者であった。
莫大な研究開発費を掛けながら、数年で陳腐化する技術。
 航空戦力は近代戦には必須だが、戦車や艦艇に比して継戦能力はおとる。
その上、衛士の教育は航空要員の育成より難しく、補充もきかない。
衛士たちが粗野な振る舞いをしても大目に見られたのは、そう言った理由からであった。



 さて、東独首脳部の反応を見てみよう。
1月下旬、社会主義統一党(SED)と国家の重要政策を決める党中央委員会が招集された。
議長の司会で、BETA戦争後の国防安全保障、外交政策に関する議題討議を始めた。
 そのことは、今後の軍事政策を決める国防評議会にも影響した。
国防評議会では、早速、BETA戦争に関する反省会が行われていた。
 会議の冒頭、空軍参謀が、持論を述べた。 
「一般論を申し上げます。
航空戦力、とりわけ戦闘機の近代化は、必要でしょう。
近代戦において、空間や地形の制約を受けない航空戦力なしに成り立つ軍事作戦はありません。
戦車や戦艦の比ではない、速度と行動範囲、そして特質すべき機動性と突破力。
その点を鑑みても、早急な近代空軍の再建は無難と思います」
 地対空ミサイルや対空砲を看過する防空軍司令も、似たような意見であった。
「他方、同志議長が懸念されておる通り、予算面に関して言えば。
戦術機は、恐ろしいほどの金食い虫です。
戦術機の特性上、地上基地の補佐がなければ成り立ちません。
ですから、基地建設とレーダーサイトの配備は急務でしょう。
また、高射砲やミサイル防空システムも同様に設置せねばなりますまい」

 防空軍と議長の戦術機に関する考えは、全く違った。
防空軍司令は、BETA戦争前から軍にいた経験上、新型兵器というものを認めてはいたものの、過信はしていなかった。
いずれ、航空機が発展すれば、巡航ミサイルに積む半導体が改善されれば、戦術機は無用の長物になると考える人物だった。
 他方、議長は、通産官僚アーベル・ブレーメからの意見に関心を寄せていた。
アーベルとして、戦術機という最新技術の塊に傾倒しており、これが東ドイツ復興のカギになると信じてやまない面があった。
これは、女婿ユルゲン・ベルンハルトが熱心に口説き落としたことも大きい。 
 ユルゲンは、BETA戦争初期でのソ連の敗走を目の当たりにして、戦術機生産のほとんどを東ドイツに移転しようと計画するほどであった。
 現実として、ソ連の戦術機開発は一時混乱したが、停滞していなかった。
BETAの欧露への進撃を受け、工場のほとんどは、極東ロシアに移転していた。
 チタ、コムソモリスク・ナ・アムーレ、ハバロフスク。
シベリア各地にある軍用工場では、MIGやスフォーニの機種は生産され始めていた。

 ユルゲンの想定した通り、シベリアはソ連の中で取り残された地域だった。
17世紀以降、ロシアに編入されたシベリアは、人口も少なく産業も立ち遅れた地域だった。
 帝政時代を通じて、シベリアは巨大な監獄だった。
流民や政府に都合の悪い人物、重犯罪者などが追いやられ、厳しい環境に置かれた。
 確かに天然資源の宝庫で、未開の原野が広がっていた。
だが、蒙古や支那に近く、度々彼らはロシアと干戈(かんか)を交えた。
また、交通網も未発達で、採掘した資源を輸送し、採算をとるころも厳しかった。
 ソ連政権は、革命初期のシベリア出兵の恐怖を忘れていなかった。
精強で勇猛果敢な帝国陸軍を非常に恐れた。
 日露戦争の恐怖を忘れぬスターリンは、シベリアを一大軍事拠点に改造した。
秘密警察は、革命によって生じた囚人を使う大規模な開発計画を立てる。
 その際、シベリア鉄道の各駅沿いに、収容所を作った。

 ペレストロイカが始まる1980年代後半以前、極東ロシアの産業が軍事最優先だった。
極東および沿海州では、軍需生産は機械工業製品の生産高の約3分の2を占めていた。
 ユルゲンは空軍将校としては優れていたが、ソ連の政治や社会構造には疎かった。
それは父・ヨーゼフが政治的失脚をして以降、政界や官界から隠れる生活をしてきたせいでもある。
 ベルンハルト兄妹を養育したボルツ老人もまた、政治の荒波から彼らを守るべく、政治から遠ざけた。
ソ連や東欧諸国の情勢は、一般常識のみにしてしまった。
保護したつもりであるが、それがかえってあだとなってしまったのだ。


 一応、意見として、聞いている顔はしていたが、議長は、防空軍司令などのいう理論に、決して肯定したのではない。
むしろ不満であった。
近代戦の常識論など聞く耳は持たぬ、といったような風さえ、うかがえる。
 しかし、議長には、信念はあっても、彼らの常識論を言い破るだけの論拠が見つからないらしかった。
単に不満なる意思を(おもて)にみなぎらせるしかない沈黙であった。
「…………」
 当然、評議の席は、沼のように声をひそめてしまう。
防空軍司令や参謀らの主張と、それに飽き足らない議長の顔つき。
一同の口を封じてしまった如く、しばらく、しんとしていた。
「お。――シュトラハヴィッツ君」
 突然、議長が、名をさした。
遥か、末席のほうにいた彼の顔を、議長の眼は、見つけたように呼びかけた。
「シュトラハヴィッツ君。
君の意見はどうなのか。遠慮なく、そこにて発言したまえ」
「はいッ……」
 返辞が聞えた。
しかし、上座の重臣たちには、それを振り向いても、姿が見えないほど、遠い末席であった。
「どうなのだ」
 重ねて議長がいう。
自分の意思を、自分に代って述べそうな者は、議長の眼で、この大勢の中にも、彼しかなかったのであった。
「防空軍司令、参謀、その他、重臣方の御意見は、さすがに簡単明瞭。
ごもっともな御意見と拝聴いたしました」
 シュトラハヴィッツは、そう言いながら、席から立ち上がって、議長のほうへ体を向けていた。
衆目が、一斉に、壮年の中将に注がれる。
 唐突だった。
何を思い出したか、防空軍司令から急に訊たずねだしたのである。
「航空戦力2万機を誇るソ連赤軍が、BETAに惨敗した。
同志シュトラハヴィッツ中将、君の意見はどうだね」 
シュトラハヴィッツは、防空軍司令の真剣な(おもて)を、微笑みで見上げ、
「同志大将。
制空権の確保は、戦争を優位に進めることにはなります。
ですが、戦争全般の勝利にはつながりません。
1950年の朝鮮動乱、1960年代のベトナム戦争。
いずれに際しても、米空軍の圧倒的な制空権の下で大量の爆弾の雨を降らしました。
ですが、それでも陸上戦力の壊滅には至りませんでした。
朝鮮の山がちな地形や、ベトナムの濃密な森林。
それらによって、高射砲や戦車などを隠すことができ、米軍側を困らせることに成功しました。
制空権があっても、先の大戦のように地上部隊を送り込まねば、勝利はおぼつかなかった……
小官は、そう愚考しております」
 シュトラハヴィッツのことばに、防空軍司令は軽くうなずいた。
「そうか。そうであったか」
 その間に、シュトラハヴィッツの人物を観ているふうであった。
シュトラハヴィッツは、敢えて、へつらわなかった。
また、いやしく()びもせず、対等の人とはなすような態度であった。
 嫌味がない。
虚心坦懐(きょしんたんかい)である。
 猛勇一方のみでなく、人がらもなかなかいい。
議長は、そう思って、シュトラハヴィッツをながめていた
「ソ連が苦戦したのは、敵の防空網を十分に制圧せずに巡航ミサイルでの殲滅を行おうとしたからです。
事前偵察が不十分で、攻撃後の戦果判定も不足しておりました。
防空網を一時的にも制圧せずに、殲滅攻撃に移った。
ですから、光線級の補足にも失敗したうえ、攻撃しても破壊したかどうか、判定できなかったためです。
その為、潰したと思った光線級が実は生きており、ソ連赤軍の地上戦力を支援しようとして、作戦空域に入ってきた攻撃機や爆撃機がレーザーで撃墜されてしまったのです」
 議長は、何度もうなずいた。
そしてなお、黙り返っている一同の上を見わたして、今度は、意見を問うのではなく、厳命するようにいった。
「すると、光線級吶喊(レーザーヤークト)はまんざら無駄ではなかったと」
「おっしゃる通りです」
「では、つづけたまえ」
「航空機は高く飛べば、レーダーに捕捉されやすくなり、地対空ミサイルに捕捉されやすくなります。
この点は、BETAの光線級も全く同じです。
攻撃を避けるためには、低空を飛ばざるを得ません。
BETAなら小型の光線級が厄介ですが、対人戦の場合は携帯式の地対空ミサイルが脅威になります。
……それに」
 彼が、ことばの息をついだ機に、議長はやや斜めに胸をそらし、何か感じ入った態をした。
それは、自分を偉く見せようとか、得意気に調子づくとかいう、誰にもあり勝ちな飾り気の全く見えない。
 余りにも正直すぎるくらいなシュトラハヴィッツの淡々たる舌の音に、妙味というか、呆れたというか。
とにかく、議長の心でもちょっと()(はか)り切れないものが、その顔を包んでしまったように見えた。
『この男、油断ができない』
と、議長がひそかに胸でつぶやいている間に、シュトラハヴィッツは虚飾のない言葉で、
「あと考えられるのが、ソ連赤軍の情報が事前に漏れていたという可能性です」
というシュトラハヴィッツのことばに、驚愕の色を示す。
「それはいったいどういう事だね」
 たいがいなことは呑み込む議長も、正気かと、疑うような顔をした。
シュトラハヴィッツは、その顔色を敏察(びんさつ)して、 
「ソ連には人工ESP発現体という人造人間がいることは、すでに周知の事実と思います。
私の情報網によれば、ソ連は中央アジアでの戦闘に際して、ESP兵士を戦術機に同乗させ、直接思考探査なる行動をとっていたと聞いております」
 人工ESP発現体と聞くと、みなピンと心臓が引き締まるようだった。
握りしめる手に力が入って、脂汗が滲んで来る。
「失敗した兵士がBETAにつかまって情報を抜き出されたと……」
「可能性は無きにしも非ずです。
ソ連の攻撃部隊の規模、時間、兵力などがBETAに漏れてしまったために、BETA側は8割以上……
いや、9割近い部隊を後ろに下げて、勢力を温存したという可能性も十分考えられます」
 眼を閉じて聞いていると、議長は、自分のために世事軍政にも長じている大学教授が、講義でも聴かせているようにすら思われた。
「確かに、近代戦の権威らしい鋭敏で明快な発想だ。
ソ連砲兵の大火力から、突撃するしか能のないBETAは避けるすべを持たないであろう。
シュトラハヴィッツ君、君の言う意見が正しいかもしれん」
 議長は、シュトラハヴィッツの意見を聞いて満足した風だった。
「よろしい、では議事録は、後日製作するものとて……。
本日は、散会とする」


 政治局員と閣僚たちは、それぞれの部署に戻るべく、会議室を出ていった。
後に残ったのは、議長とアーベル・ブレーメだけだった。
「アーベル、ゼネラルダイノミクスに、連絡を入れてくれ。
サンダーボルトA-10を10機、試験購入したいと……。
開発中の第二世代の試験機に、我が国もかませてくれるようにな」
 だがアーベルは、その一策を聞くと、それこそ不安なのだといわぬばかり眉をひそめ、
「ちょっと待ってくれ」
と、アーベルは突っ込むように言い出した。
「第一、最新機ならば、米国議会の輸出承認がなければ、手に入れられないぞ。
むずかしい……、それはむずかしい望みだ!」
そして、議長の考えを、(いさ)めたいような顔をした。
「他言は(はばか)る」
 すると、議長は言葉を切り、シガレットケースを懐中から取り出す。
ケースから抜き出した手巻きタバコに、火をつける。
 銘柄は、ダン・タバコのブルー・ノートであった。
熟成されたバージニアとキャヴェンディッシュの深い香りが、部屋中に立ち込める。
「何、機密か」
「これを見てくれ」
 背広の中から一札(いっさつ)の手紙を取り出して、議長は黙ってアーベルの手に渡した。
先日(せんじつ)、米国の使節団が(もたら)した議長への親書なのである。
 内容は、ゼネラルダイノミクスの働きかけにより、サンダーボルトA10の対外輸出が許可された話であった。
まず20機ほどがエジプト向けに、その他15機が西ドイツと日本に輸出されるという内容である。
 アーベルは、親書を返しながら、驚きの眼を相手の顔にすえる。
彼は、しばらくいう言葉を知らなかった。

「アメリカから直接我が国(東ドイツ)には支援できないから、エジプトに輸出するんだよ」
 この時代のエジプトは、英米との関係改善を進めていた。
容共一辺倒であったナセルと違い、現在(1979年)のサダト大統領は現実主義者であった。
 アラビア海に勢力を伸ばすソ連を怖れ、米国やイスラエル、帝政イランに期する方針を取った。
具体的に彼は1976年3月、ソ埃友好協力条約を破棄した。
 そればかりか彼は、親米・反ソをさらに推し進め、イスラエルと平和条約締結の合意に調印した。
そして、平和条約への道筋を進むこととなる。
これに関しては、別な機会を設けて話をしたい。
 さて、話を東独に戻そう。
議長は、ふいに頭を下げて、今回の話を詳しく説いた。
「そうすれば、サンダーボルトは輸入したエジプトの物。
だから、どう使おうとアメリカは関知しない」
「なるほど、アメリカは建前を作ってやったって事だな」
「ああ」
アーベルの眼は、茫然(ぼうぜん)と、そういう議長の姿を、見ているばかりだった。
「アーベル!お前は俺の歳を知っているか」
「60歳だったな……」
「そうだ。急がねばならぬ
もはや、俺に残された時間はわずかだ」
 アーベルは、男が今この国に何を求めていることを知った。
そして今までに覚えたことのない不安と焦燥感から、ぎゅっと身を固めるように腕を組む。
「ブラッセルへの道は遠い」
 男の最終方針は、ソ連からの完全独立であった。
では、どうやれば、このソ連による東欧支配構造を反転的に転覆できるか。
 方法は現状で言えば唯一つ。
東ドイツがEUに加盟し、親西欧の体制にいったん戻すこと。
 つまり、東ドイツを反ソ国家にするための特効薬たるNATO加盟が、唯一の第一歩となる。
ベルギーの首都、ブラッセルには、EUとNATO本部がある場所である。
こう考えた末の、ブラッセルへの道だった。
「しかし、まず一歩を踏み出さねばならない。
その為には、党を、社会主義を捨てねばならない」
そして、この男の告白こそが、新しい東ドイツの外交方針の基軸であった。 
 

 
後書き
 読者リクエストであったアイリスディーナをサンダーボルトに乗せるための道筋です。

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