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星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~

作者:椎根津彦
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第六十二話 混乱の始まり

帝国暦484年5月23日16:40
ヴァルハラ星系、オーディン、銀河帝国、ブラウンシュヴァイク公爵邸
ラインハルト・フォン・ミューゼル

 今日は此処ブラウンシュヴァイク公爵邸にて皇帝臨席のもと、イゼルローン遠征軍の勝利祈願と称した園遊会が行われる。園遊会など真っ平ごめんだが、ブラウンシュヴァイク一門たるヒルデスハイム伯の為にわざわざ開かれるとあっては、彼の幕下にいる俺達が出ない訳にはいかない。だが…。
「慣れない場というのは、息が詰まる物ですね」
キルヒアイスの言う通りだ。
「そうだな…だが、せっかく姉上と会える機会が出来たのだ、文句ばかりも言ってられない。伯には後でもう一度お礼を言わねばな」
「そうですね」
そう、皇帝…奴が臨席するこの園遊会には姉上も奴と一緒に来るのだ。一通りの挨拶を済ませた後は、姉上と面会出来る手筈になっていた。
ヒルデスハイム伯の手回しによるものだった…皇帝陛下の寵姫とは云え、同じ園遊会に参加するのに自由に話す事も出来ぬでは卿も寂しかろう…そう言って伯がブラウンシュヴァイク公に掛け合うと、侍従長が面会が許可された事を伝えて来た。何が皇帝陛下の御厚情を忘れぬ様に、だ…。

 伯爵の部下になって、良かったと思う事がいくつかある。姉上との面会許可が以前より簡単に下りる様になった事だ。以前なら軍務省を通じて宮内省に面会申請書を提出して、それから数週間、ひどい時は二ヶ月ほど待たされる事もあったのが今は提出後数日で許可が下りる様になったのだ。大貴族、しかも皇帝の女婿の権門の力を今更ながら思い知らされた。そしてもう一つ、艦隊への補給、艦船の補充と要員の配置転属が優先的に行われる事だ。以前の遊撃艦隊、任務艦隊から正規艦隊へ扱いが変化したせいもあるだろうが、それでもスムーズに、しかも迅速に行われている…。
 
 「手持ちぶさたな様だな、二人共」
声をかけて来たのはノルトハイム兄弟の兄、オットーだった。ナッサウ少将、ゾンダーブルグ少将も一緒だった。
「はあ、やはり出自が出自ですので、一向に慣れません」
「俺達も一緒さ、伯父貴はともかく、俺達もこういう場には慣れなくてね」
肩をすくめて自嘲気味にシャンパンをあおるのは弟のハインリヒだ。オットーとハインリヒの二人は双子で、出生順にオットーが兄、ハインリヒが弟となっている。ノルトハイム家は爵位は持たないがヒルデスハイム家の分家で、代々軍人の家系という事だった。この艦隊に配属された当初はあまりいい印象ではなかった。どうせ縁故配置だろう…そう思っていたのだが、予想に反して二人は優秀だった。二人とも戦線維持の能力に長けていて、長期間の戦闘に耐えられる指揮官だった。イゼルローンでの戦いもノルトハイム・グルッペとして敵の足を引っ張り続けた。身を粉にして戦える、あまり前線に出る事のない貴族階級の指揮官としては稀有な存在だ。彼等に言わせると暇潰しなのだという。

“まさか前線に出る事になるとはな。伯父貴の気紛れにも困ったもんだ”
“そうだね、まあ普段から世話になりっぱなしだからこういう事でもないと恩は返せないし、いい機会だよ”

 大貴族の艦隊に配属されてみて、分かった事が一つあった。指揮を執る貴族本人はともかく、そこに配属されている者達は決して能力が低い訳ではない。確かに能力が低い者も一定数は存在する。だが戦う機会がそもそもないのだ、そんな中自らの能力を鍛練したり艦隊の練度や士気をあげる事に意味を見出だす者が果たしてどれだけいるだろうか。しかも貴族の艦隊に配属されてしまうと、転属の機会も余程の事がないとほぼ無いに等しい。俺はまだ幸運だったのだ、戦う機会を与えられているのだから…。
「そうだ、卿に礼を言わねばならん。推薦して貰った新しい参謀や指揮官、優秀な者達ばかりだ。まことにありがたい」
弟のハインリヒが頭を下げた…。双子で軍人、しかも同じ艦隊、という配置は正規軍、貴族艦隊共に珍しい。特に貴族の場合はそうだ。ノルトハイム家の場合、二人とも戦死してしまうと跡取りがいなくなるのだ。子が複数人いる場合、家長は自分の息子達を一人は軍人にしても残りは手元に置くか、他の官庁に出仕させる。貴族にとって、家を継ぐ者がいなくなるのは絶望しか残されないからだ。皆軍人だったとしても最低一人はオーディンに残される。だがノルトハイム家はそうではないらしい。配属先が戦死の心配のないヒルデスハイム伯の艦隊、という事もあったのだろう。そのおかげ、あるいはそのせいというべきか、この艦隊では少々困った問題が生じていた。ヒルデスハイム伯の艦隊は本隊を伯爵が、二つの大きな分艦隊をノルトハイム兄弟がそれぞれ率いている。となるとどちら共にノルトハイム分艦隊、という事になるのだが、呼称に困っていたのだ。オットー分艦隊、ハインリヒ分艦隊、とでもすればいいと俺などは思うのだが、礼を失するに余りある、という事で、便宜上兄のオットーの方をアントン()分艦隊、弟のハインリヒの方をベルタ()分艦隊と呼称していた。伯は彼等をそれぞれファーストネームで呼ぶから、本人達は自分達がアントン、ベルタと呼ばれている事を最初は知らなかった様だった。だが前線で戦う様になってこれが本人達にも伝わる事になった。伯はともかく、周りの者は兄弟に強く叱責されるのではないか、と恐れおののいていたらしい。平民や下位の者が貴族指揮官に便宜的にとはいえ通称をつけるなど有り得ない事だからだ。だが二人はこの事を知ると面白がった。

“そんなに困っていたのか?実際的でいいではないか”
“そうだ。いかにも二つ名のある歴戦の艦隊の様で響きがいいよ”

と、普段からアントン、ベルタでいい、と周りにも告げ、今ではそれぞれ、

オットー・アントン・フォン・ノルトハイム
ハインリヒ・ベルタ・フォン・ノルトハイム

と名乗りまで変えてしまった。

 「いえ、彼等の様な人材が眠ったままでは勿体ないですから、アントン閣下」
「そうだな。彼等を使えば俺達は楽が出来るというものだ。そうではないか、ベルタよ」
「…兄さんは楽する事ばかり考え過ぎなんだよ」
ベルタ…ハインリヒの反論にナッサウ少将とゾンダーブルグ少将が苦笑していた。この二人はノルトハイム兄弟の幼なじみでもあり士官学校時代の同期生だという。
「昔からお二人は変わりませんな、そうは思わんか」
「ゾンダーブルグの言う通りですよ。まあ、だからこそうちの艦隊は上手くいっているのでしょうが」
この二人も今回推薦した者達には一歩及ばないとしても優秀な二人だった。艦隊司令官としては未知数だが、分艦隊司令としては非凡な物を持っている。そしてうちの艦隊は上手くいっている、という言葉も決して嘘や世辞ではなかった。他の貴族の艦隊は言葉に尽くせない程ひどい状況らしい。上級指揮官、まあ貴族の事だが、口出しが酷い上に軍事常識がないものだから、下級指揮官達は腐る一方だという。上申や助言もままならない、などいう日常が繰り返されている、との事だった。
「こう言ってはなんだが、伯父貴が間違った方にやる気を出してくれなくてよかったよ。もしそうだったら卿やシューマッハがどれ程補佐しても今頃はヴァルハラでワルキューレに顎でこき使われている頃だろうさ」
「全くだよ。ところでミューゼル大佐、卿の推薦した者達は、卿の知り合いなのかい?」
「いえ、若年の小官が言うのも何ですが、能力に比して場所を得られていない…と感じた者達です。皆知らぬ者ばかりです」
「そうか。となると掛け値無しの一級品ばかりが揃っている訳だね、縁故人事じゃない訳だし。兄さん、こりゃうちの艦隊が帝国最強の艦隊になる日も近いよ」
「となると、益々楽が出来るな。座っているだけでいい」
アントンとベルタの掛け合いに皆が笑う。俺とキルヒアイスも釣られて吹き出してしまった。
ウォルフガング・ミッターマイヤー、オスカー・フォン・ロイエンタール、ウルリッヒ・ケスラー、エルンスト・メックリンガー、コルネリアス・ルッツ、アウグスト・ザムエル・ワーレン、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト、カール・グスタフ・ケンプ…。皆優秀な者達だ。能力に比して場所を得ていない…コネも無く、平民であったり下級貴族であったり、と多分それが理由だろう。何故何の縁故もないヒルデスハイム艦隊に、と今は思うだろうが、彼等はそのうち俺に感謝するだろう。そしていずれは…。

 一瞬の夢想から俺を現実に引き戻したのはシューマッハ参謀長の俺とキルヒアイスを呼ぶ声だった。
「二人とも来てくれ。伯とブラウンシュヴァイク公がお呼びだ」
参謀長の真剣な声色に、その場に居た者達の動きが止まる。
「何かあったのか、参謀長」
「いえ、少官はまだ何も知らされておりませんが、伯はいつでも退席出来るようにしておけ、と仰っておいででした」
参謀長とアントン中将の会話はそれだけで何かあったと思わせるに充分な物だった。
「了解した。何かあったらすぐ知らせてくれ…となるとタダ食いタダ酒も今のうち、という訳か」
「どこぞの貴族令嬢と仲良くなるいい機会だったのに」
「…全く昔と変わりませんな」
「本当に。困ったものです」
…彼等なら、何があっても大丈夫だろう…。


5月23日17:30
ブラウンシュヴァイク公爵邸、来賓客間、
ラインハルト・フォン・ミューゼル

 参謀長の後に着いて入った来賓客間にはブラウンシュヴァイク公とヒルデスハイム伯が座って我々を待っていた。彼等の背後には三人の軍人が控えている。伯に促され俺とキルヒアイスが着席すると、ブラウンシュヴァイク公の目配せで一人の軍人が動き出した。あわてて敬礼した。
「お初にお目にかかる、小官はアンスバッハ准将と申します。あちらはシュトライト大佐、フェルナー大尉…自己紹介はさておき、こちらを見て頂きたい」
ブラウンシュヴァイク公の腹臣達なのだろう、アンスバッハと名乗った男は懐から宛名のない一通の封書を取り出した。会釈をして封書を貰い、中の書簡を拡げる……これは…。
「宮中のG夫人に対しB夫人が害意を抱くなり。心せられよ。これは…」
俺が声に出して読み上げた内容にキルヒアイスも身を硬くしている。
「今朝確認したものだ。貴官の邸宅にも同じ物が届いていると思うが…確認していないか?」
「いえ、艦隊の出撃準備でここ数日帰宅しておりませんので確認は…キルヒアイス、頼めるか?」
立ち上がろうとするキルヒアイスをアンスバッハ准将が制止した。
「それには及ばない、こちらの手の者を行かせよう…大佐、この書簡の意味は分かるかな?」
意味は分かる。分かるがこれは…事実なら許せん、許されてなるものか!
「…グリューネワルト伯爵夫人…小官の姉上にB夫人…ベーネミュンデ侯爵夫人が何事か企んでいる…という事でしょうか」
「で、ありましょうか、公爵閣下」
アンスバッハ准将の言葉に、瞑目していたブラウンシュヴァイク公が口を開いた。
「だな。ミューゼル大佐、卿はどうすべきだと思うかな」
公爵と話すのはこれが初めてだが、どうすべきかだと?決まっている、姉上を守らねばならん!
「はっ、姉…ではない、グリューネワルト伯爵夫人を守護し奉りベーネミュンデ侯爵夫人を弾劾し…」
「何を言っている。侯爵夫人とて仮にも皇帝陛下の寵姫、その方を弾劾などと…確たる証拠も無く出来る訳が無かろう」
「ではどうせよと仰いますか」
「我が家にこの手紙が来た意味を考えねばならん。そして誰が送って来たか、だ」
この家に手紙が来た意味、だと?
「…まあよい。シュトライト、宮内省、侍従長に連絡して陛下の行幸は取り止めにした方が良いと伝えろ。理由を聞かれたらこの手紙を見せても構わん。まだ間に合う筈だ、急げ」
そうだった…もうすぐ姉上と皇帝がここに来るのだ。何かを企むとしたら園遊会は格好の舞台だ…だが待て、侯爵夫人が何かを企むとして皇帝に類の及ぶ様な場所を選ぶだろうか?侯爵夫人の目的は、皇帝の寵を取り戻す事にある筈だ…そしてそれを取り戻すには姉上の存在が邪魔だと考えている…そう考えねば侯爵夫人の害意は成り立たない。となるとその害意は皇帝本人には向けられないだろう。であれば侯爵夫人が何か企むとしても決行は今日ではない筈だ。だが万が一という事もある、ブラウンシュヴァイク公の行動は褒められるべきだろう…そこまで考えた時、公の使用人が来客を伝えて来た。
「…クロプシュトック侯だと?招待などしていないのだがな」
そう呟いた公の顔は疑念と不審に溢れていた。俺やキルヒアイスの顔も同様だったのだろう、ヒルデスハイム伯が疑問に答えてくれた。
「宮中に疎い卿等の事だ、名前も知らんのだろう」
「恥ずかしながら…侯爵閣下という事は著名な方なのでしょうが…」
「まあ知らんのも無理はない。クロプシュトック侯はここ三十年程宮中から遠ざかっていたからな」
「三十年、ですか」
「うむ。侯は当時の皇太子フリードリヒ四世殿下の政敵、といっても過言ではない存在だった。私も父や公から聞いただけであまり詳しくは知らないが。殿下を貶める事甚だしい動きをしていたらしい」
「…なるほど。フリードリヒ四世殿下が即位された結果、遠ざけられた…干されたという訳ですか」
「そういう事だ」
「ですが、三十年も宮中を遠ざけられた方が何故今になって出てこられたのでしょう?」
「先日のイゼルローンの戦いで次男を失ったそうだ。長男も既に戦死しているから、侯としては後継者問題やら色々と問題が山積みだろう。侯自身もかなりの高齢だしブラウンシュヴァイク公にとりなしを頼みに来た…そんな所ではないかな。皇帝陛下も臨席予定であらせられたのだからな…それより卿ももう少し宮中の事を勉強した方がいいな」
「…申し訳ありません」
とりあえず申し訳無いとは答えたものの、何かひっかかる。キルヒアイスも同様なのだろう、眉間に皺を寄せたままだ。
「ラインハルト様、お手洗いを借りませんか」
「…ああ。申し訳ありません、お手洗いをお借りしても宜しいでしょうか」
構わんぞ、との公の許可を得てトイレに向かう。屋敷が広すぎる、急な便意が起きたらどうするつもりだろう…。
「クロプシュトック侯は何故今になって公爵閣下にとりなしを頼むのでしょう?三十年も遠ざけられたとはいえ、その機会はもっと早くてもよかった筈です」
「確かにそうだ。宮中の事はよく分からないが、干されるという事は貴族としては死んだに等しい。侯爵という爵位なら尚更だろう。たとえ皇太子時代に敵対していたとしても、前非を悔いて恭順の姿勢を見せれば宮中への出入りを止められるという事はあるまい。それをしなかったという事は恭順する気は全くなかった、という事だ」
「はい。そしてクロプシュトック侯は後継者を戦死という形で全て失っています。高齢…老いた方が息子を全て失う。老いた方の心中は分かりませんが、生きる希望を見いだせなくなる事は容易に推察出来ます。そしてそれはその事態を招いた現体制への憎悪に繋がりかねない」
「…全てを呪い、事態を招いた者への復讐へと走る…」
俺達の考えは間違っているだろうか…俺とて姉上を害されたら復讐に走るだろう。ましてやクロプシュトック侯は既に愛すべき息子達を失っているのだ。侯の半生を考えてみれば、皇帝本人がその事態を引き起こした、と思考を直結させてもおかしくはない…急がねば!

 来賓客間に戻ると、残っていたのはブラウンシュヴァイク公とヒルデスハイム伯の二人だけだった。家臣の方々は、と訪ねると伯が笑って答えた。
「献上品の受け入れ準備に向かったよ。クロプシュトック侯はやはり再出仕のとりなしを求めておいでらしい。陛下への献上品があるとかで、結構な量がある様だった。陛下への献上品ともなれば御披露目せねばならんからな、その支度という訳だ」
「侯ご本人はどちらへ?」
「やはり陛下へ直々にお目にかかるのは気後れする様でな、陛下と遠征軍の勝利を願う挨拶をされた後は早々に退散なされたそうだ。十五分程前だろうか…それにしても長いトイレだったな」
トイレとはかけ離れた俺達の真剣な表情に不審を感じたのだろう、伯の顔から笑いが消える。俺は自分の考えを伯に説明した。
「それは…あり得ない事ではないな。そうか、となると献上品とは…閣下」
ブラウンシュヴァイク公が立ち上がる。腹臣達に説明する為だろう、急いで来賓客間を出て行った。
「献上品とやらが搬入されるのはまもなくですか?」
「だろうとは思うが」
「我々も急ぎましょう。公に協力して来客を避難させねばなりません」



 
 

 
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