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紀文蜜柑

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第一章

                紀文蜜柑
 この時彼はまだ若かった。
 紀伊国屋文左衛門は江戸のふいご祭り、鍛冶屋の神を祝うその祭りを前に若々しさに満ちた顔で店の者達に言っていた。
「最近蜜柑の値段が高いな」
「海が荒れてますからね」
「西の方で」
「だからですよ」
「蜜柑が届かないんですよ」
「しかし紀伊では豊作なんてものじゃない」
 文左衛門は店の者達に返した。
「これがな」
「そうなんですよね」
「ですがもう海が大時化で」
「紀伊から船が来ないです」
「それでこっちじゃ蜜柑の値段が高くなってます」
「それも驚く位に」
「そろそろふいご祭りだがな」  
 この祭りのことも話した。
「正月でな」
「その時は鍛冶屋さんの屋根から蜜柑蒔きますけどね」
「下に来る人達に」
「折角その時だってのに」
「こうまで蜜柑が高いとです」
「それも出来ない、しかしな」
 それでもというのだ。
「その紀伊の蜜柑を江戸に持って来たらどうだ」
「そりゃ売れますよ」
「もうかなり」
「ふいご祭りに使いますし」
「冬は蜜柑ですよ」
「あれ食いますからね」
「そうだな、じゃあ金持って紀伊に行って蜜柑を思いきり買ってだ」
 そうしてというのだ。
「江戸で売るぞ」
「というと東海道ですか」
「それで急いで運びますか」
「そうしますか」
「馬鹿言え、それだと長くかかるし高くつく」
 陸から行けばというのだ。
「だから行きは急いで紀伊まで行ってもな」
「帰りは船ですか」
「船に蜜柑をありったけ積んでですか」
「そうしてですか」
「そうだ、江戸に運ぶぞ」
 そうするというのだ。
「船なら沢山のものを一度に詰めて陸を進むより速く行けるだろ」
「その分安くつきます」
「そうなります」
「それもかなり」
「だから帰りは船だ」 
 それで江戸まで運ぶというのだ。
「それで運ぶぞ」
「船ですか」
「今あっちの海は荒れてますが」
「沈むかも知れないですよ」
「それでもですか」
「しかし江戸にまで運ぶことが出来ればたんまり売れるぞ」
 文左衛門は利のことを話した。
「大儲けだぞ、わしだけでなくおめえ等にもな」
「儲けがきますか」
「そうなるんですね」
「そうだ、儲けるには時にはな」
 文左衛門はさらに言った。
「商売人は命を懸けるものだろ」
「ああ、そうした時もあります」
「確かにそうです」
「それが今だってことですね」
「そうだ、嫌な奴は江戸に残れ」
 店の者達に強い声で言った。
「儲けたい奴だけ来い、いいな」
「わかりました」
「旦那がそこまで言うならです」
「わし等も腹を括ります」
 店の者達は文左衛門の覚悟と度胸を聞いてだった。 
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