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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
ソ連の長い手
  雷鳴止まず その3

 ハンブルグの基地に久しぶりに戻ったマサキは、一人寛いでいた。
休憩所のベンチの上で野戦服を着崩して、大の字になって横たわっていると、美久がグラスに入ったコーラを持ってきた。
テーブルに置くなり、マサキの具合を訊ねる。
「どうですか、久しぶりに戻った気分は」
ふと不敵の笑みを湛える。
「悪かろうはずが有るまい……」

 遠くより漆黒に見える濃紺のダブルブレストの背広を着た人物と茶色い三つ揃えの背広を着た人物が歩いて来る。
茶色い背広の男は、黒いリボンの巻かれた白地のパナマ帽を被り、黄緑色のネクタイの下にカラーバーを付けたワイシャツを着て、両手をズボンのマフポケットに突っ込んで歩いて来ていた。
男達は珠瀬と鎧衣で、彼等の後ろから勤務服に軍刀を()いた綾峰がゆっくり近づいてきた。

 珠瀬は絵柄の掛かれた缶を差し出す。
「差し入れだ。君の口に合うかどうかは分からないが……」
渡したものはハーシーズ(米国の製菓メーカー)の缶入り『キスチョコ』で、長らくBETA戦争での物流停滞により甘味料の手に入りにくい東欧では喜ばれた品物であった。

 マサキは身を起こすと、彼等に問いかけた。
「こんな所に、油を売りに来ても良いのか……」
「特別機を駆る斯衛軍将校の動向を探るのも、立派な任務なのだよ」
鎧衣は、顔を太陽の方に向けながら、そう嘯いた。

「ソ連に何をしたのだね」
珠瀬の問いに、薄ら笑いを浮かべるマサキ。
「別に……」
「そんなはずは、無かろう……」
珠瀬は怪訝な表情をすると、次のように告げた。
「ソ連赤軍参謀総長が、東欧からの完全撤退の意向を、内々に表明したのだよ」

 彼の一言で、その場に衝撃が走った。
「8月31日までに完全撤退が予定されてる。近々、ソ連国民向けの放送で正式に公表される運びだ」
マサキは、あまりの衝撃に瞠目して立ち尽くした綾峰たちを余所に机の上に有る『ホープ』
を取る。
『ホープ』の箱を開けると、右の親指と食指でタバコを摘まみ、口に咥えると、一言漏らした。
「ソ連が……」





 ソ連極東にあるウラジオストック要塞では、臨時の政治局会議が開かれていた。
ハバロフスクより落ち延びてきた政治局員や高級将校が、その場に集められる。
すると、参謀総長の口から衝撃的な言葉が発せられた。

「さ、参謀総長……、本気ですか」
動揺の声が一斉に、奥の方にあるビロード張りの為された肘掛椅子の方に掛けられる。
椅子の脇に立つ赤軍参謀総長は、部屋の正面を向く形で掲げられたレーニンの肖像画の前で置物の様に固まっていた。

「木原マサキと言う、一人の人間の書いた策に乗せられる……、あってはならぬソ連の恥辱だ」
男は振り返ると、立ち竦む政治局員やソ連最高会議幹部会委員の方に振り返る。
「すべては参謀総長である、この俺の慢心と時勢の読み違えが原因よ……」


「東欧から引けば、ミンスクハイヴ攻略を手伝った米国への筋も通る。これ以上の折り合いはあるまい」
「ま、真ですか……」

参謀総長は天を仰ぎながら、告げた。
「正直に言えば、未練はある。
だが、BETA戦争で混乱の最中にあるソ連の現状……それを許すまい!」

 ソ連は5年に及ぶBETA戦争で、恐ろしいほど疲弊した。
戦火に(たお)れた9000万人近い人口は、1970年の国勢調査で2億人を数えた人口の3割以上……
4年に及ぶ大祖国戦争で失われた2700万人以上の悲劇で、成年労働人口の大部分を喪った。
 成人男性ばかりでなく、共産党青年団(コムソモール)や婦人志願兵、果ては囚人懲罰大隊(シュトラフバト)まで動員した。
彼等は、BETAの前に肉弾突撃し、『大砲(プシェチノ)(ミヤサ)』へ、なり果てた。
その結果、僻地に残る人口の殆どは老人と未就学児ばかりという惨憺たる状況に陥った。

 シベリアでは首都機能移転をしたとは言え、ハバロフスクやウラジオストックの人口は、嘗ての欧露の地にあったペテルブルグやモスクワより少なかった。
 ドイツ人捕虜やポーランド人捕虜を酷使してシベリアの天然資源を開発した30年前のような事は望めない。
 NKVD(KGBの前身組織)長官のラヴァレンツィ・ベリヤがソ連経済に強制収容所のシステムを組み込んで実現するかに見えた第二のシベリヤ鉄道横断計画、バム鉄道(バイカル湖・アムール川の区間の鉄道)の建設も終ぞ叶わなかった。

 参謀総長は一頻り思案に耽りながら、荒れる日本海を臨む。
右の食指と中指にハバナ製の葉巻を持ち、冷たい雨が吹き込むベランダに立ち尽くしていた。
「10年、いや20年国力を蓄えた後、忌々しい東の小島に巣食う黄色猿(マカーキ)共を、我が手で支配してくれようぞ……」
共産国・キューバより貢納された高級葉巻「パルタガス」を、7月の()せ返る様な湿度の中でゆっくりと吹かす。
「木原マサキよ……、ソビエトを、この私を踏み台にして世界に飛び出したツケは、何れキッチリと払ってもらう」
マサキへの怨嗟の念を吐いた男は、深い怒りに身を震わせた。






 マサキは、自室に帰って来て一風呂を浴びた後、寝台の上で横になる。
(うつぶ)せになりながら、脇に立つ美久からマッサージを受けていた。
左肩の傷は、次元連結システムの応用で常人の数倍の速さで回復するも、些か全身の倦怠感が残ったためであった。
上下黒色のポリプロピレン製の下着姿になり、全身の筋肉を揉み解されながら、声を上げた。
「美久、俺は欧州旅行が終わったら、CIAの誘いに乗って、米国に乗り込むぞ」
驚いた美久は、手を止める。
「何ゆえにですか」
寝台の上で身体を反転させると、上半身を起こす。
「何、ニューヨークの街中で、其処にある国連本部で、少しばかり暴れたくなったのさ」

脇に寄せてあった、薄いアクリル製で黒無地のスウェット上下を着る。
「国連と言う米ソ冷戦の構造物が……、いやソ連や、国際金融資本の世界調略の一機関がこの世にある限り、この世界は俺の遊び場にはならない。
国連は、ソ連が戦後世界を左右する為に国際金融資本家に資金を出させ、共産主義者たちが作り上げた工作機関。
故にロシア国家に何らかの利益を求める国際金融資本家がある限り、国連を通じて有害工作をし続けよう」

タバコとガラス製の灰皿を、ベットの脇にあるテーブルの端まで引き寄せる。
「BETAという宇宙怪獣の発見や発表も、この機関が関与した故に遅れ、混乱した。
だから歴史の中から綺麗さっぱり消したくなったのよ」

困惑する美久を余所に、タバコの箱から、紙巻きたばこを取り出すと、火を点ける。
「でも世界平和は……」
美久の質問を聞きながら、マサキは紫煙を燻らせた。
「外交は所詮国家間の暴力のバランスでしか解決できない。軍事同盟程度で十分であろう」
タバコをフィルターの間際まで吸うと、灰皿に押し付ける。
「まあミンスクハイヴも片付いた事だし、後は帰る準備をするだけさ」
その時、マサキの目が妖しく光る。
「但し約束した通り、俺の意思を尊重する様、武家の奴等に仕向けてからな」
そう告げると、一頻り哄笑した。

  
 

 
後書き
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