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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第69話 足踏みの原因 

 
前書き
ちょっと長くなり過ぎましたが、こうしないと次に進めません。

もう一人の不遇な後輩君が登場します。前線? ここが前線です。 

 
 宇宙歴七八九年 六月 三日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系 戦艦エル・トレメンド

 司令官、参謀長、補給参謀、司令官付き副官、旗艦副長・警備主任・軍医長・同看護班長・司令部付通信オペレーター・その他戦艦エル・トレメンド乗艦の女性軍人の皆さまからの、叱責の集中砲火を受けた作戦参謀は、辛うじて期限内にアスターテ星域に対する戦闘哨戒作戦の素案を、爺様に提出することができた。

「嬢ちゃんはもう少し体を鍛えた方がいいの」

 提出翌日、改めて作戦素案の説明に上がった俺を直立不動で立たせたまま、司令官公室で爺様は今まで聞いたことのないような優しい好々爺の声で、恐縮してトレーを持つブライトウェル嬢に諭した。

「勉強も必要じゃが、まずは体力じゃ。そこに突っ立ってる作戦参謀には体力オバケの友人が大勢いるらしいから、紹介してもらうといい。どうせ地上で暇しているじゃろうからな」

 確かに地上軍は暇だろうが、それこそ『軟弱な宇宙軍の従卒少女を鍛えるなんてばかばかしい』と思ってるだろうから、頼めるのはジャワフ少佐ぐらいだろう。たしかに地上戦が終わった後の連絡士官なんて相当暇だろうから、戦艦エル=トレメンドに来てもらってもいいかもしれない。頭の中でぼんやりとディディエ少将にどう説明しようかと考えていると、トントンと爺様が机を指で叩いて俺を呼んだ。

「ジュニア。貴官が提出した素案を読むには読んだ」

 今度は打って変わって、いつものおっかないオッサンの声だ。怒っているという感じではない。むしろ理解はできるが、どう質問したらいいか分からないといった感じだ。まぁ、それはそうだろう。

「実施の可否はともかく、アスターテ星域への戦闘哨戒はエル=ファシル星域の宇宙戦力を、ほとんどカラにしてまで行なわなければならない作戦とは思えんが」
「お答えいたします。アスターテ星域へ出た偵察哨戒の結果が出揃っていませんので、敵勢力の規模も配置も現時点では不明でありますが、ダゴン星域への補給線破壊活動の頻度及び投入戦力から考えて、どれほど大きくても五〇〇〇隻を超える戦力が配置されているとは考えにくいと思われます」

 アスターテ星域には二〇余の星系があるが、以前から行われているドーリア星域防衛艦隊からの偵察から、一個艦隊規模の補給や修繕を行えるような可住星系も補給基地も確認されていない。

 イゼルローン攻略作戦に対する補給線への妨害活動は、二〇〇隻ないし三〇〇隻程度の巡航戦隊が三日から五日おきに場所を変えて襲撃してくる。ダゴン星域からアスターテ星域まではおよそ三日の行程で、それぞれの星系間移動に三日、襲撃タイムラグに三日かかると考えれば、およそ一五日(半月)を一行程とした襲撃スケジュールを組んでいる。隊毎に補給と休養を考えるとその四倍の一二〇〇隻程度の戦力を、襲撃に割り当てていると推測される。

 これはエル=ファシル星系を攻撃した一〇ケ月前のアスターテ星域帝国軍前進部隊の数とほぼ一致する。つまりこれだけの戦力を遊撃に出せるだけの戦力が、アスターテ星域にあると考える。ならば、まずその三倍。三六〇〇隻程度が星域に駐留していると考えるのが常識だ。

 そしてアスターテ星域の後背にはアルレスハイム星域があり、そこには帝国側の有人可住星系が存在する。民間人がいるかまでは不明だが、可住惑星の無いアスターテ星域の駐留部隊は、そこを補給・休養基地とする推測に不自然さはない。

 人間の肉体と精神の構造上、どんなに厳しく鍛えた軍人であっても半年以上宇宙空間に拘束されるというのは厳しい。マーロヴィア星域で海賊狩りしていた時は、勝利の興奮がかろうじて疲労を覆い隠していた。プライベート空間の狭い軍艦で、代わり映えのしない乗員と暮らすストレスは半端ない。ジムやミニシアターのような設備が艦内にあったとしても、蓄積された精神の疲労は集中力の低下を招く。

 そしてエル=ファシル星系に同盟の大戦力がいると勘違いして、アスターテ星域の帝国軍が基本を守勢とし、ダゴン星系への嫌がらせに勤しんでいるのは、ウチの司令部の共通認識だ。

 故に『敵戦力が不明な以上、持てる最大戦力を投入する』と『エル=ファシル星系をカラにする』は両立できる。まず当初第四四高速機動集団と二個独立部隊、あわせて三六〇〇隻をひとつの星系に集中投入する。エル=ファシル星系の防衛は後方補給線の維持も併せて、一個独立部隊に任せる。補給と後退を兼ね、一〇日おきに一個独立戦隊分の戦力を、エル=ファシルとアスターテ間で動かす。

 忙しい話になるだろうが、アスターテ星域の帝国軍はこの三六〇〇隻の同盟軍前進部隊を一気に覆滅するだけの戦力がない限り、ダゴン星域への妨害行動は停止せざるを得なくなる。仮にアルレスハイム星域にそれだけの戦力があったとしても、現在一隻でも機動戦力が必要なのは後方のアルテナ星域(イゼルローン)なので、アスターテ星域への追加投入は不可能。藪蛇となってエル=ファシル星系から『同盟の援軍』が出てきては、『アスターテ星域が同盟の手に落ちる』危惧すらある。

 期間はイゼルローン攻略部隊が再編成して要塞前面にたどり着くまでの一ケ月。第四四高速機動集団も三個分艦隊に分かれて運用する。ただし司令部のある戦艦エル・トレメンドと直衛艦分隊だけはその一ヶ月間前線に留まることになる。

「すでに五〇の偵察哨戒部隊をアスターテ星域に送り込んでいるとモンティージャ中佐から伺っております。敵の耳目は充分にこちらに向きつつあると考えてよいかと」
「理には適っているが、損得を無視してアスターテ星域の前進部隊が逆にエル=ファシル星域に進攻してくるリスクはどうかね」

 爺様の右前に立つモンシャルマン参謀長が、俺に問う。穴を見つけて攻めるというより、リスクに対する相互認識に齟齬がないかの確認だろう。

「当初一週間を除き、エル=ファシル星系には独立部隊一個の戦力が常駐します。二〇〇隻程度の嫌がらせは一蹴です。一〇〇〇隻規模の戦力を投入したとしても、第八七〇九哨戒隊が各跳躍宙域に網を広げていますので即時確認・撤退は可能です。またそれだけの規模の戦力を迂回進撃させるならば、ドーリア星域防衛艦隊の哨戒艦も気が付きます」
「では貴官が実施に際して考慮すべき問題点は?」
「作戦開始前に敵戦力の正確な把握が必要です。補給体制が整ってあれば空間自体は広いので、ゆうに二万隻以上を展開することができます。それだけの戦力を前線配置するほど今の帝国軍に余裕はないはずですし、情報部も見逃すはずはないと思いますが、現実が空想を超えることはよくあります」
「貴官の意見に同意する。ビュコック司令官、いかがでしょうか?」

 モンシャルマン参謀長が爺様を振り向くと、爺様も『まぁ、よかろう』と言った雰囲気で頷いた。

「まだ正式に命令は下っていないが、いつでも動けるように各独立部隊や分艦隊の参謀と検討を進めておくように。儂の名前を使って構わん」
「承知しました。ありがとうございます」
「特にイゼルローン方面が敗北した時の、撤収方法については重点を置いて検討せよ。我々は戦術目標を既に完遂している。おまけのような戦で、将兵を無駄死にさせるな」
「はっ」

 そう言って作戦素案に爺様がサインをすると、俺に手振りをして近づくよう仕草する。前にこの仕草をした時には、爺様の鉄拳が俺の頭頂部に飛来したので、俺は僅かに体を後退させたが、爺様は見逃すことなくもう一度力強く手振りする。

 仕方なく爺様の拳の有効射程範囲にまで体を寄せると、爺様の力強い右手がガッチリと俺の左肩を掴んだ。

「ジュニア。儂は嬢ちゃんにジュニアの手伝いをするように言っただけであって、超過勤務をさせるつもりはなかったんじゃが?」
「……は、はい」
「嬢ちゃんは有能な士官ではなく、年端もいかない軍属であるのはジュニアも分かっておるんじゃろうな?」
「それは勿論」
「軍教育を殆ど受けとらん一六歳の少女に、二〇代の参謀士官並の仕事をさせるのは、上位者としての労務管理がなってないということじゃぞ?」
「えっ?」

 いつも俺に無茶振りな課題を出す爺様がそれを言う? とか思った瞬間、爺様の鉄拳が天頂部に飛来した。今回は左拳なのでマーロヴィアの時よりは威力は小さかったが、俺の片膝を床につけさせるには十分な威力だった。右目を閉じで歯を食いしばりながら顔を上げると、厳しい表情の爺様、感情をあえて消してますと主張している参謀長、そして微妙に笑みが浮かんでいるようにも見えるファイフェル……

「嬢ちゃんは士官学校の受験を希望しているそうじゃな。まぁ今日は六月三日なんじゃが」
「はい、司令官閣下」
 右手を頭に当てながら立ち上がると、爺様は頷いて言った。
「合否に問題はなかろう。何しろ優秀な『家庭教師』が付くんじゃからな」
「は?」
「ジュニア。ハイネセンに戻るまででいい、余裕のある時に嬢ちゃんの勉強を手伝ってやれ。これは命令ではないが、そのくらいしても罰は当たらんぞ?」
「……承知いたしました」

 他の受験生と比べての贔屓とか不平等とかそう言うのはどうなんだろうとか思ったが、亜麻色の髪を持つ少年がイゼルローンの不良分子(最高の教師陣)によって鍛えられていたことを思い出して諦めた。まぁあの教師陣に比べれば、格が数段落ちるのは受け入れてもらうしかないが。

 直立不動で爺様に敬礼すると、爺様もそれに応える。だが俺の周辺視野にファイフェルが含み笑いを浮かべているのが入った。眼球だけ動かして俺がファイフェルを睨みつけると、得たりと言った表情でモンシャルマン参謀長が口を開いた。

「たしか当司令部に有能な若手士官は一人だけではないと思いましたが、司令官閣下」
「そうじゃな。ファイフェル。お前は週二で面倒を見ろ。どうやらジュニアは艦内で危険人物とみられているようじゃから、フォローするのは頼りになる年下の役目じゃろうて」

 あ、ということは司令部通信オペレーターさんが爺様に直訴でもしたんだなと、口がぱっくりと開いたファイフェルを見て、俺は溜息をつくのだった。





 翌日、移動中の独立部隊には通信で、残りの二つと第四四高速機動集団の二つの分艦隊の参謀達に、補給状況とアスターテへの戦闘哨戒の可能性を作戦素案に添え、二日後までに総評してくれるよう打診した。どの部隊の幕僚部も暇していたのか、あくまでも素案だと前置きしているのに散々赤ペンで採点した返信を寄越してきた。相手は参謀経歴のある人達だし、こちらは素人に毛が生えたくらいの参謀だから仕方ないなと思っていたが、総じて作戦根幹である『総入り』に関して明確に反対している人はいなかった。

「それは作戦の道理がボロディン少佐の言う通りだからだ。些か言動が過激で、粘着質なきらいはあるが」

 一番反対するであろうと考えていた第三四九独立機動部隊のフルマー中佐に、司令部間超光速通信で理由を聞くと、中佐は肩を竦めながらそう答えた。

「貴官は歳の割に慎重に過ぎるところがあるが、言っていることが一々尤もなので、言われる側としてはピリピリ来るんだよ。司令部にいるからわからんかもしれないが、特に年配の、それも退役に近い中級指揮官達の不満は大きいぞ。貴官はもう少し人の扱い方を覚えた方がいい」

 確かにフルマー中佐の言う通りだろうとは思う。中級指揮官からすればポッと出の若い士官などに作戦・演習指導されるのは、自分のキャリアを否定されているようなものだ。キャリアとノンキャリアの理不尽な壁についてはいつの時代も変わらない。ヤンのように不敗と奇跡の伝説を作り出せる才能があればそれも克服できるだろうが、今生の俺は少しばかり『未来らしきものを知っている』だけの凡人にすぎない。

 フルマー中佐は確か三〇代半ば。出世のスピードとしては遅くはない。俺はたまたまの敵運の良さと縁故・引き合いのおかげで二五歳の少佐。このままいけばアップルトン提督の参謀長として、アムリッツアで戦うことになる彼にとって、俺はまだまだ爺様の陰に隠れている生意気な孺子に過ぎない。

「ご指導ありがとうございます、中佐。今後も精進いたします」
「まぁあれだけ華麗な包囲殲滅戦と、詐術のような地上攻略戦を見せられてはね。つくづく机上の理論では士官学校の首席に勝てるわけがないと思ったよ」
「はぁ……」
「今回は敵の弱さと脆さに運があったかもしれないが、そういう運を掴むのも才能の一つだ。偉そうなことを言わせてもらえれば、貴官はそういうものを大事にするんだな」

 そういうとフルマー中佐側から超光速通信は切られた。俺は灰色になった画面に映る、今世の自分の顔を改めて見つめる。前世の東アジア人丸出しののっぺりした顔とは全く違う。だが中身は死んだ時から大して進歩していない。

「一所懸命、か」

 俺は一つ溜息をつくと、超光速通信室の扉を閉じ、ファイフェル先生の居る司令部会議室へと戻るのだった。





 六月七日。

 第八七〇九哨戒隊がエル=ファシル星域内の帝国側支配領域各星系に潜伏しつつ収集した、残存帝国艦隊の情報がほぼ纏まった。当初の予想通り、星域内に残っている戦闘艦艇は一〇〇隻に満たず、各個哨戒隊以下の規模で構成されていることを確認したため、爺様とモンシャルマン参謀長は各星系掃討作戦の実施を独立部隊に指示した。第四四高速機動集団も次席指揮官であるジョン=プロウライト准将と、機動集団第三部隊指揮官となったネリオ=バンフィ代将が、それぞれ部隊を率いて、星系制圧へと向かうことになる。

 同日、第一一戦略輸送艦隊臨時A四二〇八輸送隊が、護衛を兼ねた第五四四独立機動部隊とともに、惑星エル=ファシル軌道上に到着。巨大輸送艦三二隻に満載された物資は、これから捕虜と共に後退する第三五一独立機動部隊や地上戦部隊も含めたエル=ファシル星系攻略部隊の活動力を回復するのに十分すぎるほどの量がある。物資整理によって空になる巨大輸送艦は九隻で、この九隻は捕虜と警備兵役となる第三二装甲機動歩兵師団隷下の二個歩兵連隊を積んでエルゴン星系に後退することになる。

 そして臨時の分艦隊には封印指令書を有した士官が同乗していた。

「宇宙艦隊司令部イゼルローン攻略部隊幕僚部のテッド=ニコルスキー中尉であります。宇宙艦隊司令長官よりビュコック司令官宛に書面を預かっております」

 俺と同じ西スラブ系の中肉中背で参謀の赤と白斜めのバッジを付けた青年士官が、第四四高速機動集団司令部全員の面前で、直接爺様に書簡を渡した。爺様は指紋認証で封を切ると、たっぷり時間を掛けて一読後、まるでスーパーのレシートのようにモンシャルマン参謀長に手渡した。

 その何気ない動作にニコルスキーの瞳孔は一瞬ひらいた。モンシャルマン参謀長からモンティージャ中佐、モンティージャ中佐からカステル中佐、カステル中佐から俺、そして俺からファイフェルと、自分が命懸けで持ってきた『軍事機密』が手軽に順繰りと廻されたのを見て、口を閉じたままどうしたものかといった感じで視線を彷徨わせている。

「確かに確認した。あ~、ニコルスキー中尉。長官は何か貴官に言付を頼んではおらんかったかね?」

 そんな青年士官の複雑なプライドと困惑を見透かしたように、ファイフェルから戻ってきた封印指令書をこともなげに未決の箱に放り込んだ爺様の問いに、ニコルスキー中尉は改めて背筋を伸ばして応えた。

「ハッ。『物資補給が済み次第、可能な限り速やかに実行されたし』とのことであります」
「まぁ、そんなところじゃろうな」
「え?」
「中尉。貴官はこれからどうする。捕虜と一緒にエルゴン周りで帰るのか?」
「いえ、『第四四高速機動集団と行動を共にし、作戦遂行について尽力せよ』と指示を受けております」
「それはそれはご苦労なことじゃな」

 爺様の強烈な皮肉を全身に浴びたニコルスキー中尉の顔は、完全に引き攣っていた。爺様が気難しい年配将校であることは事前にイゼルローン攻略部隊司令部から聞かされているだろうし、同司令部はエル=ファシル攻略部隊が『ずるをしている』と評価しているだろうから、中尉としては敵地のような場所に残ってイゼルローン攻略部隊の助力になるよう尽くさなければならない。確かに爺様の言う通り『ご苦労なこと』だ。

 俺の記憶が確かならばニコルスキー中尉は戦略研究科で二つ年下、ファイフェルの一つ上のはずだ。ファイフェルに視線を送ると、瞼で『何とか助けてやってくれませんか』と言っている。モンティージャ中佐は口をへの字にして肩を竦めているし、カステル中佐は完璧に無表情。参謀長の額には僅かな怒りが浮かんでいる。ここはもう俺の出番と言うことか。

「ビュコック司令官閣下」
「おぉ、ジュニア。頼まれてくれるか?」
「いろいろ小官もかの司令部には言いたいこともありますが」
「よかろう。貴官に任せる。儂らはまず足元を固めなくてはならんからな」

 既にアスターテへの戦闘哨戒作戦を立案しているにもかかわらず、『長官の言うことなど聞いてられるか』と言わんばかりの爺様の言葉に、ニコルスキーは目に見えて気力を失っている。爺様が手振りで一同の解散を指示すると、俺は彼の肩を二度叩くと司令官公室から会議室に連れて行った。

「まぁ、かけたまえ。中尉」

 ブライトウェル嬢が持ってきたピカピカに磨かれた珈琲カップと紙コップの対比を前に、ニコルスキーを会議室の席の一つに座らせた。勿論ニコルスキーの前にあるのは紙コップだ。従卒ですらこの塩対応をすることに、もうニコルスキーの心はズタズタだろう。グラスポットで珈琲を入れたブライトウェル嬢がそのまま俺の後ろに立っていることすら不審に思っていない。

「ニコルスキー中尉はファイフェルの一つ上だったと思うが、俺の記憶違いだったかな?」
「えぇそうです。彼とは面識があります。あ、勿論、小官はボロディン少佐のことを存じ上げております。第七八〇期生の卒業式の胴上げは記憶に残るものでした」
「じゃあヤンやラップ、ワイドボーンとも顔見知りだな?」
「彼らは強烈過ぎて……いえ、すみません」
「わかるさ。アイツら先輩を先輩と思っていないところがあるからな」

 そういうと幾らかニコルスキーにも顔色が戻ってくる。だいたい爺様達も人が悪い。端から俺に押し付けるつもりなのだから、あんまり虐めてやるなとも思うのは歳が近い方への親近感からだろう。

「ニコルスキー中尉。貴官の任務について、当司令部がどう思っているかは、貴官が経験した通りだ」
「……はい」
「それを認識してもらった上で聞きたいんだが、イゼルローン攻略部隊の状況はいったいどうなっているんだ? 少佐として出過ぎたこととわかっているが、司令部はまともにイゼルローンを攻略しようと考えているのか?」
「それは! 流石に言い過ぎではないですか?」
「遅々として進まない日程、訓練宙域の変更、物資の過剰な差し押さえ、挙句の果てに追加で『進撃命令』。そちらが主攻方面だからといって泥縄に物事を進めるのはどうなんだ?」

 帰ってきたのは沈黙だ。こちらにある程度の正論があり、自分達が無茶をしているというのも分かっているのだろう。彼もまた攻略部隊の幕僚ではあるが、まだ二三歳の中尉にできることなどほとんどない。問われるべきは司令官であるリーブロンド元帥の器量と幕僚上層部の作戦指導力だろう。助攻方面の参謀にすらまともに反論できないくらい悲惨な状況とみていい。

 ただエル=ファシル攻略部隊の力を借りるために送り込んできたのが二三歳の中尉と言うのは、攻略部隊司令部がこちらをどれだけ軽く見ているかということの証左だ。本来であれば副参謀長クラスが来て、爺様に頭を下げるくらいしなければならない。寄せ集めの集団であることは間違いないが、モンシャルマン参謀長が静かにキレているのも当然のことだ。

「ここで聞いたことは誰にも話さない。彼女にも緘口させる」
 俺がそう言うと、ようやくニコルスキーは俺の後ろに、出会った頃と同じツンドラなブライトウェル嬢が立っていることに気が付いたようだった。
「教えてくれ。ニコルスキー。イゼルローン攻略部隊の司令部はどんな状況だ?」
「……悲惨です。特に攻略作戦指導部と地上軍司令部は、もはや敵同士に近いです」

 ニコルスキーの話はだいたい司令部の推測をなぞるようなものだった。スケジュールの遅れから帝国軍は防御態勢をがっちり固め、イゼルローン前面に艦隊を展開する為に必要な前線基地を作る為、地上軍は帝国軍の防備の固いカプチェランカやラーム、アンシャルといった星系の惑星に送り込まれている。

しかしアスターテからの補給線圧迫により巨大輸送艦の展開ができず、中型輸送艦による細い輸送線によって戦線が支えられている。物資も、数だけはいっぱいいる艦隊の方に吸い取られ、地上軍に渡るものも少なく将兵の血を惑星表面にひたすら染み込ませる作業ばかりしている。

 攻略部隊に付属している地上軍司令は、イゼルローン要塞攻略の為の兵力がこのままでは失われると判断し事態の早急な改善を求めた。しかしイゼルローン要塞攻略の為にはやはり大規模な艦隊戦力が必要なことから、攻略司令部はその要請にお茶を濁すような戦力での増援を行い、挙句の果てにはアスターテからの妨害部隊によってその増援すら破壊される事態に至った。

「長官はもはや前進基地造設を止め、一気にイゼルローン要塞前面へ艦隊を展開しようとなされておいでです。艦隊決戦によってイゼルローン駐留艦隊を撃破する。その事を地上軍司令に伝えてしまったのがとどめになったみたいです」

 善意で考えるならば長官は地上で血を流した将兵達の命を軽んじる意図ではなく、艦隊決戦に全てを賭け策源地を踏みつぶして地上軍のこれまでの労苦に報いたいと思っていたのだろう。が、実際に血を流している側からしたら、いまさら何を言うんだということだ。

そういうギクシャクを解消するのが総参謀長や副参謀長といった幕僚上層部だろうが、カステル中佐が散々コケにするように、個々の調整能力が低いということかもしれない。それだけシトレ・ロボスと言った中堅層に優秀な面子が吸い取られているというところだろう。彼らからしたら叩き上げであるビュコック爺さんは、むしろ都合のいい予備兵力に見えたのかもしれない。

「アスターテ星域には約三〇〇〇隻が展開していると、当司令部では考えております。エル=ファシル攻略部隊とドーリア星域防衛艦隊が合わさって前線展開できる戦力はほぼ同数。とにかくダゴン星域に妨害部隊が出てこないようにしてほしいというお考えです」
「エル=ファシル攻略の戦況報告はイゼルローン攻略司令部にはちゃんと伝わっているのか?」
「おりますが……あまりお信じにはなっていらっしゃらないようです。特に総参謀長は」
「貴官の目で見てはどうだ? ウチがウソ言っているように見えるか?」
「士気旺盛の四〇〇〇隻、まったく損害の無い二個師団。羨ましすぎて涙が出そうです」
「そういうわけで、こういうモノを作る時間もあるわけだ」

 そう言って俺はブライトウェル嬢に指で指示して三次元投影機を起動させると、俺とブライトウェル嬢作、独立部隊参謀集団編曲の戦闘哨戒作戦案をニコルスキーに見せつけた。突然起動した投影機にニコルスキーは驚いたが、内容を読み進めていくうちに、その度合いはさらに大きくなる。そして最後まで見終わると、大きく溜息をついてから俺に力の抜けた乾いた顔を向けて言った。

「時間でも物資でも知性でもなんでも、余裕って大事ですね」
「黙ってて悪かったな」
「いや、当司令部にエル=ファシル攻略部隊司令部の皆様が怒っているのは当然です。こちらこそご迷惑をおかけします」
「直ぐに動けないということはわかってくれるな?」
「理解しました。ですが、ここまで作戦案が独立部隊間で共有されているのであれば、掃討作戦からアスターテ星域へは分進進撃も可能なのではないでしょうか?」

 それは俺も考えなかったわけでもない。時間の節約にもなるし、節約できれば死ぬ兵士も減る。だが分進進撃とアスターテという二つの言葉はどうしても相性がいいとは思えなかったのだ。

「それを決めるのは現在実施中の偵察哨戒の結果だろうが、いずれにしてもエル=ファシル星域内で全体最終補給を行うべきだと考える。そこのところを詰める作業を、貴官にも手伝ってもらいたい」
「喜んでやらせていただきます。それこそ小官の任務であり、戦略研究科出身者の本懐であります」

 そういうとニコルスキーは立ち上がって俺に敬礼する。俺もそれに合わせて答礼するが、手を下ろした時、ニコルスキーが小さく首を傾げてから聞いてきた。

「ところでこの作戦立案に寄与したというジェイニー=ブライトウェルという方はいったいどういう人物です? 階級がないようですから軍属の方だと思うのですが……」

 言い終わる前に俺は振り向くことなく、左親指を立てて後ろに立つブライトウェル嬢を指差すと、今度こそニコルスキーの顎が外れたようにも見えるのだった。
 
 

 
後書き
2022.06.25 更新
2022.07.03 ニコルスキーの階級の訂正(大尉→中尉統一) 
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