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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
ミンスクへ
  褐色の野獣

 
前書き
深夜、東西ドイツ国境の森で密談をする男達、その狙いとは何か……
百姓姿の男が、眼光鋭く見つめる先に有るものとは 

 
 深夜二時 東西ドイツ国境
背広姿の男達が、しきりに腕時計を気にしながら待っていた
「なあ、こんな所で《飛び込みの営業》とは、君も仕事熱心だね。
《エコノミック・アニマル》という前評判も嘘ではないらしいな」
中折帽(フェドラ)にトレンチコート姿の男が、頭を下げる
「お褒めに預かり、光栄の極みです」
男は、山高帽に厚いウールコートを着た栗色の髪の紳士に、紙袋から物を取り出す
「お近づきの印とは言ってはなんですが、これを」
化粧箱に入った何かを差し出す
封を開けるなり、驚く
「こんな高価なものを……」
男は、冷笑する
(あきな)いの都合上、様々なお客様の所に出入りするので、つまらぬものでは御座いますが」
見た所、日本製の時計であり、彼の記憶が間違いなければ『クオーツ・アストロン35SQ』という商品である事に違いはなかった
「そちらの方も、同じものが御座いますので、どうぞお納めください」
シルクハットに、脹脛を覆い隠す長さのマントという支度(したく)の黒髪の紳士にも進める
その姿格好は、片眼鏡(モノクル)を掛けさせ、(ステッキ)を手に持たせれば、まるで英国紳士(ゼントルマン)という格好であった
「些か、成金趣味で(いや)らしい作りではあるが、秒針と機械は正確ですな。
絡繰(からく)り細工の得意な日本ならではの、品物とお見受けいたす。
小倅(こせがれ)めにでも、授けましょうぞ」
そう言うと、懐に収めた

 深い森の中を一台のトラックが抜けて来る
青い煤を吐き出しながら走る車は、前照灯に人影を認めると止まる
エンジンを掛けた儘、二人の男が降りてきた
灰色のキャスケット帽を被り、黒色のモールスキンの上着に、薄汚れた茶色のコール天のズボン
何処にでもいる百姓姿で、両手には不似合いな皮手袋。
後ろには同様の支度をした金髪の小柄な男が、アタッシェケース二つを下げて立ちすくんでいる
 帽子を持ち上げて、眼前に立つ紳士達に挨拶(あいさつ)をする
「いや、お久しぶりですな。
見慣れぬ顔が二人ほどいますが、説明して頂いてもよろしいでしょうか。
《紳士》殿」
彼は、シルクハット姿の男に声を掛ける
件の紳士は、シルクハットのつばを持ち上げ、返礼の挨拶をすると話し始めた
「今回、同席頂いたのは、日本と米国から来た《ビジネスマン》です」
トレンチコート姿の男は、マフポケットから両手を出すと、こう付け加えた
「私は、ビジネスマン等と大層な事は申しません。ただの営業員(セールスマン)ですよ」
百姓は、右手を(あご)に添える
「まあ、良い。
して、目的の物は用意してきた」
左掌を後方に立つ小男に向ける
彼の指図に従って、手提げかばんをゆっくりと紳士に渡す

 紳士は、中を(あらた)めると黙ってカバンを持って下がった
山高帽の男が、ジュラルミン製の大型カバンを両手で抱えて、小姓(こしょう)と思しき男に渡す
一連の作業を黙って見ていたトレンチコート姿の男は、動き出す
車の前に立つ百姓に、一礼をした後、懐中に手を入れ、名刺を差し出す
百姓は、名刺を見ると、こう応じた
「ほう、大空寺物産とは。
それなりの企業ではありませんか」
男は、中折帽のクラウンを持ち上げ、挨拶する
「申し遅れましたが、私は、そこの西ドイツ支社にこの度転勤して参りました。
《鎌田》というものです」
懐中より、化粧箱を取り出す
「どうか、お近づきの印として、お納めください」
百姓は、受け取るなり、中を改める
そして時計のバンドを持ち、裏に書かれた銘鈑を確かめる
「初めて会う方から、斯様(かよう)な高価なものを頂いては……」
百姓は、彼からの贈答品を後ろに立つ小男に渡すと、代わりにファイルを受け取った

「代わりになるか、解りませぬが、貴方方が欲しがった《目録》で御座います」

トレンチコート姿の男は、ファイルを受け取った後、一瞬顔色が変わった
男は思った
これが、悪名高い保安省の《個人情報》ファイル
聞き及んではいたが、政府に不都合な人間や移住希望者、危険思想に感化された人物、等の《監視》を通じ、情報を収集しているとの噂は真実であった事に、今更ながら驚いていた

男が出した資料を、改めて見る
付箋(ふせん)が付いているページに載る人物は、年の頃は、18歳から20歳の間と言ったところであった……

「まあ、私なりの誠意に御座います。
どうか、良れば、受け取って頂ければ幸いです」

シルクハットの紳士が告げる
「君なりの、恭順(きょうじゅん)の意かね……」
百姓は不敵の笑みを浮かべる
「端的に申し上げましょう。
万が一の際、西に下る保険に御座います。
もし宜しければ……」
婉曲(えんきょく)な表現で、告げる
彼は暗に、貢物として差し出す様な事を示した

紳士は、マントを押し上げ、腕を組む
「何ゆえに」
百姓は、皮手袋越しに、右手で顎を撫でる
「《我が同志》の……」
薄ら笑いを浮かべながら、続ける
「いや、知人の妹なのです。
彼女の兄の頼みもあって、せめて彼女だけ西に逃してほしい、との考えて居ります」
紳士は、トレンチコート姿の男からファイルを取り上げると、付箋があるページまで(まく)
暫し凝視した後、答える
田舎(いなか)百姓(びゃくしょう)とは言え、慣れぬ《頼み事》などすべきではない」
冷笑が響き渡る
「田舎者故に、西の事情を知りませぬ無作法(ぶさほう)、お許しください」
男に向かって百姓は頭を下げる
その際、彼に気付かれぬよう、舌を出す
 紳士は、百姓の姿を見て、こう応じた
(あい)分かった。ではこちらで《相応の話》を用意しようではないか。
それでどうだね、諸君!」
脇に居る《ビジネスマン》二人は頷いて応じた

「では、明日の仕込みもありますので、この辺でお暇させて頂きます。
《旦那》」
キャスケットの(つば)を持ち上げて、挨拶をすると、車に乗り込む
深緑色のトラックは、元来た道を駆け抜けていった

 紳士は、トラックが立ち去るのを見届けると、周囲を(うかが)
山高帽の男は、持ってきた革張りのアタッシェケースから電動工具のような外観をした物を取り出す
ベトナム戦争で使われた『M10』と呼ばれる小型機関銃(マシンピストル)で、銃把の下から弾倉を差し込む
コッキングレバーを引き、何時でも射撃可能なように、つり革を左手で掴む
《安全》が確認された後、懐中電灯を取り出し、ファイルを再び見た
「これは、東ドイツの戦術機部隊長の妹ではないのか……」
紳士は、思わず独り言を漏らした
脇から、トレンチコート姿の男が、改めて覗き込む
 見目麗しい、金髪碧眼の美女の写真
Irisdina Bernhard.
1959年9月8日生まれ
その他、家族構成や子細な情報が独語の原文と、別刷りの紙に英字のタイプで書き込んである

「アイリスダイナ・バーナードと読むのでしょうか」
日本人の男は、考え込むような素振りをする
「中々の麗人(れいじん)で御座いますな」
 
英国紳士は、表情を厳しくして言う 
「諸君!これは大事になったぞ。今しがた入れた東ドイツ財政の機密資料の比ではない。
本物の《閻魔帳》だ。
しかも、戦術機部隊メンバーに関する物であることは間違いない」
彼は、帽子の鍔を握る
「我々も、奴等の政治的策謀に載せられていると言う事だよ」

山高帽の米国人《取次人(エージェント)》が、問う
「《旦那》、どうしますか。()せぬ話ですが」
紳士は、米人に返答する
「君も、《会社(カンパニー)》に持ち帰って話し合い給え。
こればかりは、我等で判断できるレベルではない……」
紳士は、トレンチコート姿の男を振り向く
「《鎌田》君、一旦日本に持ち帰り給え。これは大事だよ。
下手すれば、西ドイツの宰相の首が再び飛びかねん」
男は、中折帽のクラウンに手を置く
「いやはや、今年はとんでもない年になりそうですな」
米人が同調する
「ああ、全くだ。お月さんに化け物が巣食ったときよりも(ひで)え年になりそうだ」
男達の談笑の声が、深夜の森に響いた


 
「この話は本当なのか、同志シュミット将軍」

「議長、小職は、そう伺っております。
アスクマン少佐が、直々に《仕入れた》情報を精査した結果、その様な結論が出ました」

 濃紺の背広を着た男が、椅子に深く腰掛ける
この男は、ドイツ民主共和国の国家指導者である国家評議会議長であり、社会主義統一党書記長を兼務している人物でもある

「つまり我々は、既に、その男と接触していたと言う事かね」

「小職も、KGB(国家保安委員会)に問い合わせた所、同様の見解を得ました」
『KGB』との言葉を聞いて、男の目が鋭くなる

「では、私が直々に、同志ベルンハルト中尉を宮殿に呼ぼう。
君達は、引き続き、その大型戦術機の衛士の内偵を続けよ……」
机の上に有る、《casino》と書かれたタバコの箱を引き寄せて、掴む
中から、一本取りだして、火を点ける
深く吸うと、溜息を吐き出すような勢いで紫煙を(くゆ)らせる
「これは、とんでもないことになったぞ……。
ご苦労であった、同志シュミット将軍。
君は、下がり給え。
後は、評議会で、どうにかすべき話だ……」

 議長は、立ち上がると深夜の執務室の窓を開ける
遠くから、車両の行きかう音が微かに聞こえる
(よい)の街に響く音は、軍関係であろうか
昼夜問わずパレオロゴス作戦の準備をしていると、聞く
シュミットは、内心馬鹿々々しく思ったが、その場では顔には出さなかった
部屋を後にすると、静かに苦笑した


 アスクマン少佐は、西側から大型戦術機の情報、つまりゼオライマーの秘密の一部を手に入れた
憎きユルゲン・ベルンハルト空軍中尉の妹、アイリスディーナ・ベルンハルト
彼女を、文字通り西側に《売り飛ばす》事によって、その秘密を我が物としたのだ
彼は、ほくそ笑んだ
女一人を、西の社会に貢物と出す確約をする代わりに、ソ連KGBやGRU(赤軍総参謀本部)が最も欲した秘密情報を得る
敵対する《モスクワ》一派を出し抜き、優位に立つ
無論、表立って敵対者を作るのを避けるために、上司のシュミットには一応、明かした
其れより先に、議長と大臣には私信を送る形で報告済み
今頃、それを知らぬ間抜けな上司が、《献言(けんげん)》しに行っているのであろう

 その様な事を思いながら、味わう嘉醸(かじょう)の格別さは表現できない
薬湯に浸りながら、ガラス細工の施された杯を持ち上げる
自然と笑みが浮かぶ
奴等に先んじて、その《ゼオライマー》パイロットと接触してみるのも一策であろう
 杯を置き、湯舟より立ち上がる
姿見鏡(すがたみ)の前に立ち、自らの裸体をまじまじと眺める
細く痩せてはいるが、筋肉はまだ残っている
若かりし頃よりは衰えたとはいえ、小娘などを簡単に捻って屈せるであろう
かのベルンハルトの妹、アイリスディーナや、その恋人、ベアトリクスを辱める様を思い浮かべる

「実に愉快」

ふと、独り言を言う
寝台の上では、バスローブ姿で横になっている愛人が待っているであろう事を思い起こす
ハンガーにかけてある、バスローブを着こむと、浴室から出て寝所に向かう

この興奮冷めやらぬうちに、愉しませて貰うとするかと考え、戸を閉めた 
 

 
後書き
アイリスディーナ・ベルンハルトの誕生年は、1983年に24歳と言う事から逆算して1959年にしました
(本編の設定では、年齢と誕生日のみです)

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