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真・恋姫†無双~現代若人の歩み、佇み~

作者:Duegion
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幕間:詩花、図らずの初陣に臨む事

 
前書き
 時折、合間合間を見計らってはこのように幕間を挟む事と決めました。執筆ペースがまた落ちそうな予感...予めご了承下さいませ。 

 
 狼の鬣のように、濃淡相混じった青空が空を占めている。空気は乾き、風はやや強め。飛蝗に荒されたまま放置されていたのか、元々枯れていた麦が更に粗末な外観となり、風にゆらゆらと揺れている。強風が吹けば一気になぎ倒されてしまうのでは、と思うほど。飢餓に苦しみに悶える大地。それが所々が凸凹としている平原、全域に広がっていた。
 雄大に聳える山腹においてはその気移りの激しさに翻弄されたか、遠目から見ても緑一つ無い、枯れ木だらけの禿山となっているのが見受けられる。その方向へ向かって、二人の男女が馬に乗っててくてくと歩いていた。

「...こっちで、合っているんだよね?」
「あぁ。あの山を目指してるんだからな」
「正確には、あの山の方向にある村、でしょ?」
「そうそう、そう言いたかった」
「...此処ら辺って本当になんも無いわねー」
「無いなー」

 黒髪、青い外套の男、仁ノ助。そしてそれに連れ添うは赤髪、花模様の服の女性、詩花。両名は空腹を覚えた腹を無視しながら、鞍に得物を吊るし、最寄の村がある方向へと馬脚を進めている。

「昨日食べた野鳥、やっぱり肥えてない奴だったのよ。ちょっとお腹が減って来たわ」
「じゃぁあそこで飛んでるリスを食えばいいんじゃないか?」
「えー?あんな可愛らしい小動物を?」
「贅沢言うなよ。お前は今、自分が置かれている状況を理解しているのか?」

 仁ノ助がそういって、己の馬の鞍に括られた袋に軽く蹴りを入れる。重みの無い音を響く。町を出る前に買っておいた食糧がどんどんと減っているのだ。大飯喰らいの詩花は気まずそうに目を逸らす。誰のおかげでこんな状況となったか、自覚はあるらしい。

「水は少ない、食糧も少ない。おまけに唯一金を稼げそうな武の腕を発揮する機会もない。商人にも出遭えない。ならリスを殺すしかないじゃないか!」
「ならないわよ。なんでリスを殺す流れになるのよ?」
「おい詩花、調子に乗るなよ?お前は今、使えない・お漏らしする・野菜を削るしか能が無い状態なんだ。後は全自動リス殺害機にでもなって生計を立てるしかーーー」
「あんたこそ調子に乗らないでよ?誰がお漏らしなんかするか!そんな記憶なんてこの五年やった事無いわ!!」
(少なくとも五年前にはやった事あると...良いネタげっとぉ)

 おふざけ冗句を口々に叩き合う。旅を始めて以来自然と生まれてきた習慣だ。日によっては誰とも遭遇する事無く、一日平原を歩いて終わる時も有る。そんな時にずっと口を閉ざしたままでは、沈黙で口から歯が抜け落ちそうになるのだ。 
 詩花が実に退屈そうに話す。 

「しっかし此処まで本当に何もなかったわね。てっきり、賊の一人や二人、出るかと思ったんだけど」
「実際は不安なくせに良く言うよ。殺し殺されの無情の空間で、自分がまともでいられるか、ビクビクしてんだろ?」
「...まぁ、其の通りだけど」

 鞍に吊るされた両名の得物は、未だ人一人の生き血を啜っておらず、偶に野生の獣を捌くだけの野良包丁と化している。てっきり旅すがら殺陣の一つや二つに参じると思っていた詩花にとっては若干拍子抜けの事態ともいえたが、其処へ参じる決意もまだついていないのも事実。
 仁ノ助は彼女の不安を解すように軽く言う。

「俺との鍛錬で見る限り、賊相手に遅れを取るような光景なんて想像し難いぜ。心配しなくても良いんじゃないか?」
「そうなんだけどっ...やっぱり、武器を持つからには何れそういう状況が来ると思うからさ...せめて足手まといに成らないように、ね」
「...今は気持ちだけでいいさ。厄災が何時来るかなんて、天でも早々分かるもんじゃないって」

 飄々と言いのける仁ノ助。それでもまだ信じられぬように疑わしげな瞳をする詩花に向かって、彼は前方へ指差す。

「ほらっ、そろそろ村だ。気持ちを切り替えていこうぜ」
「...そうね。難しい事を考えるのは、御飯を食べた後にしましょ「悪い、詩花」...なに?」
「上手い飯は、もっと後になりそうだ」
「...っ!賊なの!?」

 険しい顔付きになる彼を見て、詩花は焦燥を顕して戟を掴んで右肩に担ぎ上げた。彼の視線の先を辿るも何も現れない。もしや殺気を感じたのかと周囲を窺っている最中、仁ノ助が頸を横に振る。

「違うよ。村だ」
「は?む、向かってるのが村なのは当たり前でしょ?何が悪い事だっていうのよ?」
「...近付けば、分かるよ」

 訳が分からぬといわんばかりに彼女は目を開く。何も言わぬ仁ノ助は馬脚を早ませる事無く、その先に見えてきた村へと進んでいく。訝しげなままでいた詩花は、やがて外観を明瞭にさせてきた村を見て納得を覚え、同時にその惨状に閉口する。 

「......嗚呼、そういう事なのね」
「そういう事だ」

 火打ちを受けたか、黒焦げとなった骨組みのみが残った家屋。崩落した幾多もの木材に圧し掛かられた大地。その陰に横たわるのは、人の形をかろうじて保った焼死体。肉肌焦がした今では老若男女の違いなど微々たる物。強烈な炭の臭いの中に、有機物がまとめて焦げたような生臭さが残る。これこそ焼死体の臭いだ。その例に漏れずとも、木の枝よりも痩せ衰えた死骸がころころと障害物のように転がっている。飢餓に苦しんでいたところを賊徒に襲われたのか。
 村の中に馬脚を踏み入れた二人はちらほらと視線を巡らし、その惨禍に居た堪れない思いを抱く。明らかに大人の大きさをしていない黒炭を見た時は、胸がきつく締め付けられた。

「生きてる人、一人くらいは居るよね...?」
「居ても碌な目には遭ってないな、此の様子では。詩花、何時でも武器を振るえるようにしておけ」
「なんでよ?村人を助けないといけないんじゃーーー」
「生きてる者が善人だけだと、誰が決めた?」

 冷えた鉄のように鋭い視線に詩花は押し黙る。言われてみればその通りだ。燃え滓の中に残った金目の物を探しに賊徒が入り込んでいるのかもしれない。

(...卑しい)

 詩花は歯を噛み締め、賊徒の卑しさに怒りを抱く。
 仁ノ助は一方で死骸を慣れた様子で観察する。  

「...腐敗が余り進んでいない...死んでから、あまり日にちが経っていないな」
「...っ...なんか臭わない?なんというか、鉄臭いというか、生臭いというか」
「...言われてみればそうだな。何処からだ?...あの小屋か」

 町の外れ、黒い残滓となった家屋とは対照的に、炙りを受けて壁が焦げているが、未だ外観らしい外観を保った家屋に目をつける。
 崩落した家屋の近くに馬を留めて、両者は得物を携えて其処へ近付く。呉鉤を抜いて仁ノ助は壁に寄り掛かり、一息吐いた後、身を翻して思いっきり戸を蹴破る。倒れた戸により埃が巻き上がり、日光を浴びてそれが宙を漂うのが見える。仁ノ助は素早く中へ身を滑らせ、『ねちゃっ』と、足元に響いた水音に固まった。否、正確には屋内に広がる惨状を見て、固まったのだ。

「...っ...嘘だろ?」
「ど、如何したのよ?」
「詩花、お前は見るんじゃない。刺激が強過ぎる」

 何時になく緊迫感に満ちた声。だが詩花は己の武才が下に見られていると思い、怒声を吐く。

「...馬鹿にしないでよっ!幾ら私が足手まといだからって、死体一つでビリビリするような柔な女じゃないわよ!」
「だがそれでもあれは余りに酷い。見ない方がいいぞ」
「どきなさいっ!肝が据わって、立派に戦場に出れる女だって証明してやるわ!」

 詩花は仁ノ助を押しやるように家屋の中へと入り込み、そして、其処で目の当たりにした光景に言葉を失う。

「......ぁ...ぁぁ...っぃ...」

 群れた蛆だ。一匹や十匹やそんな柔な数ではない。凡そ、目視では試算する事も適わぬほどの大量の蛆が座敷の上に沸いている。まるで麦に集る飛蝗のよう。幾万匹のそれが集まるのは、幾多も折り重なって山を気付いている死骸だ。黒い波の内より腐敗した肌を見せているそれは、男のものではない細さを辛うじて保っている。蛆の群集に阻まれながらも、微かに女性の双丘らしきものが見えた。仁ノ助は引き攣った顔で察する。飢餓に苦しんでいた所を賊徒に襲われて、男子供は虐殺され、欲情を誘う女は家屋に監禁、只管に賊徒の暴虐を受けていたのであろう。
 惨禍の極みを達する情景を彩るように、臭覚を腐らせるような生々しい異臭が立ち込め、かちかちと歯を合わせて肉を千切る蛆の演奏が響き渡る。耐え切れずに詩花は入り口の方へ顔を向け、戟を落して嘔吐を始めた。

「うえっ...お\\'お\\'お\\'\\'お\\'\\'...げぼぉぉっ...」
(はぁ...言わんこっちゃないな)

 仁ノ助は彼女の背を擦り、不快感の嘔吐を手助けする。べちゃべちゃと、吐瀉物が地に落ちる音が響く。

「さぁ、外に出よう。此処の空気は腐り切ってる」
「げほっ...かはっ...」

 嘔吐を終えた彼女はまるで白骨のような青褪めた表情をしている。詩花は振り返って仁ノ助を見ようとし、視界の端でむっくりと起き上がった人影に目を見開いた。  

「...っ!!仁ノ助、てきい\'\'ぃ\'\'!!」
「っ!?」

 仁ノ助は咄嗟に剣を胸の前に翳す。瞬間、袈裟懸けに入ってきた一刀が剣に防がれて、耳鳴りがするような高調子が響く。その凶刀を振るったのは、全身が穢れに穢れて痩せている、一人の賊徒であった。

「このっ...外道ぉぉっ!!!」

 自らが殺した死骸の群れに隠れるという卑怯を働く男に仁ノ助は怒り、男の体を剣ごしに押しやって壁をどんと打ち破った。転倒する両者に土煙が被さる。仁ノ助が立ち上がる頃には男は距離を取り、よれよれと舌を出して喘いでいた。

「肉...肉っ...げほっげほぉ...新鮮っ...」

 その手に握られたのは、刃毀れ血塗れの惨状を見せている一振りの刀。その方の餌食となった者達は今も尚、蛆に貪られている。

「賊。貴様の首領は何処だ?」
「てめぇのぉ、てめぉの肉を分けろ!そしたら教えてやるっ!!」

 理性の無い光が目に現れている。まともな会話は期待できそうに無い。仁ノ助は柄を握る力を更に込めて返事をする。

「ちっ。あぁ、渡してやるとも。だからさっさと教えろ」
「はっ!!俺達だよっ!!!!」

 律儀に言うや否や賊は斬りかかって来る。初動が諸見えの下段からの一刀であるが、思い出したように途中から速度を増して迫り来る。だが軌道自体は変わらない。仁ノ助は刃の届かぬ距離で待ち、過ぎた瞬間、その軌道をなぞるように男の胸部目掛け横薙ぎに斬りかかる。

(殺った!)
 
 確信の下に振るわれた一刀は、素早くとって返された男の一刀に防がれる。先の動きに相反する機敏な返しに仁ノ助が僅かに驚く。そして男は続けざま、血肉に飢えるように猛然と迫りかかった。
 闇雲に仁ノ助へと振られる刃。男の体力が飢餓で衰えているのか、尻切れ蜻蛉となって隙を晒すが、一方でが突拍子も無く妙にキレのある振りである。無軌道の刃はそれゆえに読みにくく、仁ノ助は警戒心から攻撃の手を僅かに躊躇していた。
 其の時、家屋からよれよれと詩花が出てくる。未だに青褪めた表情をしているそれを盗み見て賊は笑みを零し、仁ノ助と鍔迫り合いをしながら叫ぶ。

「李兄ぃ、今だぁぁっ!!!」
(!一人じゃない!?)
「詩花!!もう一人居るぞ!!」

 声を掛けられた詩花は一瞬呆気にとられる。其の隙を突くように、別の家屋の中、崩落した黒焦げの木材の中から長身の男が飛び出してきた。擦り切った刃を掲げて、憔悴と狂気に歪んだ咆哮を漏らして猛進する。 

「ああ\'\'あああ\'\'あああ\'\'」
「ひっっ!!」

 竦みながら構えた戟に凶刃が打ち当たる。男が勢いの余り壁に身を打った。詩花は急ぎ立ち上がり、戟を握り締めて後ずさる。男は咥内の出血を気にせず、我武者羅に詩花に斬りかかる。リーチの差を生かせば如何とも出来る筈なのだが、始めの一声と男の尋常ならざる雰囲気に圧され、詩花は恐慌に近き状態で戟を柄半ばに持ち、それを振るって攻撃を防いでいた。
 対して仁ノ助。眼前に迫る敵の攻勢を次第に上手く捌けるようになってきており、今この瞬間にも取って返した刃で相手の肩先を傷つけた。男が尻餅をつき、一瞬の余裕が生まれる。その折、視界の端で詩花が賊の攻撃に曝されて苦戦しているのが見えた。

「詩花っ!」
「こっち見ろよぉ、肉野朗ぉ!」

 素早く視線を戻した瞬間、彼の視界が砂に覆われ、瞳に痛みを覚えながら視界が奪われる。砂を投げつけられたのだ。 

(っっっっ、糞っ、目が!!)

 両目を押さえて苦悶していると酷く聞き慣れた風切り音が耳に入ってくる。直感のままに剣を振るえば、ガキンと、鉄が打ち合う音が響き合った。一転して不利な情勢に陥った仁ノ助は、視力の早期回復を祈りつつ、耳と勘に全てを任せて剣戟を交えていく。
 一方で詩花。恐慌に近き状態で攻撃を防いでいるが、次第に一歩一歩と、家の残骸に押し込まれている。後僅かに歩を後退させれば逃げ場を失う情勢であった。男の乱暴な上段斬りを戟の刃で防ぐと、がら空きとなった腹を全力で蹴り抜かれる。詩花は呻き声と共に押し倒され、その背を木柱に押しやられる。男はそれに迫り、まるで丸太を割るかのような勢いで刃を振り下ろす。構えられた戟の柄に当たって阻まれるも、男は気にせず二撃、三撃と刃を下ろす。詩花の手に痛烈な衝撃が幾度も響いていった。   

「っはぁっ、っはぁっ、じね\\\'\\\'っ、じねぇ\\\'\\\'!!」
「くっ、来るなぁぁっ!!」

 咄嗟に返された戟の切っ先が、再び迫りかからんとしていた男の頚部に真っ直ぐと突き刺さる。   

「っぉぉっ...」
「...は?」

 男は剣を落として、両手で戟の切っ先の近くを掴み、頚部から血を流水のように零しながら膝を突いた。仁ノ助と交戦していた男がそれを見て叫ぶ。 

「っっっ、李兄ぃ!!」

 威勢が損なわれた悲痛な叫び。仁ノ助はその叫びを頼りに、吶喊して剣を振るった。曇ったままの視界の片隅で、赤い何かが弾けるのを見据え、同時に確かな手応えを感じた。

(...はっ。意外と、風が切れる音でなんとかなるなっ!)
「あああああああっ!!!」
「喧しいんだよっ!」

 目の前で蹲った物体目掛け仁ノ助は剣を突き刺す。どすっと、肉を貫く重い音が響き、鼻を突く生臭い鉄の香りが香って来た。 

「...に、肉...」

 弱弱しく、哀れみを誘うかのような声。段々と開けてくる仁ノ助の視界に、右肩から先をばっさりと切落されて、呉鉤を左の鎖骨辺りから真っ直ぐに背中へと貫かれている男の姿が映る。大量の鮮血を流す男目掛け、仁ノ助は止めとばかりに、剣を更に深く突き入れる。

「餓鬼道に堕ちた屑との約束なんて守るかよ。とっとと死んで、腐肉の海で泳いでいろ」

 男の体躯に足を置き、男を蹴り倒しながら剣を引き抜く。血肉を引き摺りながら剣先が現れ、鮮血が夥しく毀れていく。それを機に、男が地面に倒れこんで動きを止めた。
 末期を見送る事無く仁ノ助は詩花の下へと駆け寄り、戟と掴んだままの男へ声を掛けた。

「おい」
「ぁっ」

 男が振り向いた瞬間、仁ノ助は剣を横薙ぎに振るって男の頸を切落す。僅かな血飛沫と共にころりと男の頸が地に落ちて、戟がからからと揺れた。色を失った瞳が憎憎しげに天を睨んでいる。
 仁ノ助は詩花に駆け寄り、両肩を掴んで揺する。

「詩花っ、詩花!」
「......は、はは...殺しちゃったよ」

 力の抜けた声で呟く。目の前で始めてみる凄惨な死体、賊徒の奇襲、そして図らずも手に掛けた男の末期。立続けに起きた事態に脳の回転が追いつかず、呆然となるより他ならぬ彼女の顔は、まるで煤けたように色を失っている。 

「もう、訳分からない...なんでこんな事...」

 仁ノ助は詩花の肩を優しく叩くと、男の手より戟を外しに掛かる。その折、頭部と物別れになった男の服装から、一つの木片が見えているのを捉える。それを掴んで裏返すと、血濡れの文字が刻まれてあった。

「『妹 林、贄、辱』...か。本当に全滅したようだな...」
 
 仁ノ助はそういって街を見渡す。今斬り殺した男らの正体に大体の見当がついてきた。はぐれ賊徒か、壊滅した山賊団の元首領、といったろころであろう。物言わぬ躯となった今ではそれを確認する術は無いが、仁ノ助の興味に値する問題ではなかった。
 彼は詩花に近寄り、腰を下ろして声を掛けた。 

「詩花」
「......なに」

 優しげに仁ノ助は詩花の頭に手を置き、あやすように撫でていく。  

「初陣を乗り越えたぞ。これでお前は、もう一人前に戦場へ出れる、立派な女になったんだ。...よく生き残った」

 その言葉に反応して、詩花が憔悴した瞳を彼に向ける。何度か瞬きした後に目を閉ざし、疲労困憊といった様子の声で、謝辞を紡いだ。

「...ありがと」
「うん」
「...ちょっと休むわ。胸貸して」
「うん」

 仁ノ助の胸にしな垂れる詩花。仁ノ助は彼女の心を安らげるようにその背中へと手を回し、穏やかな抱擁を以って彼女を受け入れた。仁ノ助の服を掴んで瞳を閉じている詩花は、心中に蔓延する驚愕と恐怖を癒そうと、安眠の海に意識を漂わせていった。
 濃淡混じる青空を天に、生き血が大地を流れて乾いていった。 



 

「...良い天気だな」

 馬に乗って闊歩している女性が一人、空を見てごちる。綿雲がそよそよと漂す様はまるで天の川を泳ぐ小魚のよう。快晴と言うに及ばぬが、晴天に相応しき爽やかさを抱く空模様である。
 その隣にて同じく馬を合わせていた男性がいる。黒の鉢巻を頭に巻き、其の先から鉢巻の紐がゆらゆらと揺れている。雲のような白い外套の背には、大きな蛮刀が担がれている。
 その男性の視線の先には、天の広大さとはかけ離れた、しかし雄大なる威勢を持つ一つの山が聳えている。高さは無く、寧ろなだらかといった表現が適したそれが横合いに大きく広がる様に、男は中原における美の一つの形を捉えた。

「...見事な山ですな。華美に現を抜かさず、それでいて壮麗さを纏っている。中原の雄大さを、そのまま象徴しているかのようです」
「ん?あぁ、確かに見事だ。私の詩才があれば此処で一句読んでみせるのだがな」
「それもそれで気になる所ですが、願わくばそれは、我等が主にお任せ致しましょう、夏候惇将軍」

 言葉を掛けられた女性、夏候惇は淡く笑みを浮かべ、自慢の黒い長髪をさらりと靡かせた。肩口に髑髏を飾り、紅と蒼が混じり、金色の縁取りを描いたチャイナドレスを身に纏っている。背には長身の自分自身と同じほどの刀身を誇る大剣、七星餓狼が担がれている。
 彼女は両方の眼を閉じて、一つの言葉を諳んじた。

「『将とは、唯武を振るう者に非ず。諸人の深に迫り、その心を抱く者也。故に武のみに精通する事を良しとせず、学もまた精通するべし』」
「それは...何方の御言葉でしょうか?」
「小さき頃、私と秋蘭に覇者という存在を教えて下さった、華琳様の御言葉だ。今でも心に残っているぞ...初々しき愛眼の中に煌く、覇者の光を」

 矜持を抱いた瞳がきらきらと光る。其の眼の中に、矮躯であるもその身に留まらぬ大いなる覇道を掲げた少女の姿を幻想する。

「華琳様の天に覇を敷かんがため我等は決起した。其の為ならば...」
「夏候惇将軍っ!!」

 前方より、一人の兵士が疾走してくる。足を止めた夏候惇らの前に膝を突き、左手の中に右手の拳を包み込んで顔の前に掲げる。その状態で兵士は言う。

「前方にて、賊徒の集団を発見致しました。旅人数名と交戦している模様です!!」
「相分かった!下がれ!!」

 素早く夏候惇らの横を過ぎて駆け抜ける兵士。夏候惇はにやりと口を歪め、大剣を担ぎ上げる。
 将軍の隣に馬を並べる男、詰まりは将軍の副官であるその男はちらりと夏候惇を見遣って言う。

「其の為ならば、如何なるのです?」
「決まっているわ!!賊徒一つ蹴散らすのも容易い事よっ!!!曹洪、ちゃんとついて来いよ!?」
「言われなくとも!!」

 それを聞くや否や夏候惇は勢い良く後方を振り返る。彼女らの後ろには、勇壮として立ち並ぶ幾十もの騎兵、そして幾百もの歩兵の姿が連なり、その合間合間より蒼き牙門旗、『曹』の一字が颯爽と靡いていた。それに向かって夏候惇は声を張り上げて命を下す。
「全軍駆け足!!天に仇為す匪賊の輩を、覇王の威光の前に平伏させるのだ!!!」
『おおおおおおおおおおっ!!!!!!』

 咆哮が地を駆ける。それを機に大地が震動を覚えてぐらぐらと揺さぶられ、騎馬の群れが先行して走駆していく。風に煽らればたばたと揺れる牙門旗の向かう先にて、二つの人影が野蛮な風体をした賊徒の集団に包囲されていた。人影の名を辰野仁ノ助、もう一つを錘琳と云った。



 
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