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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第五章 トリスタニアの休日
  幕間 待つ女、待たない女

 
前書き
ジェシカ 「本当にあたし……パニエだけなの」
ルイズ  「だって下がいいって言ったわよね」
ジェシカ 「パニエだけって思わないわよ普通ッ!!」
ルイズ  「もう決まったことだし、しょうがないわよ」
ジェシカ 「下着もなく、上に何も着ないなんて……」
ルイズ  「……涼しそうね」
ジェシカ 「ただの変態じゃないそれ!! 冗談じゃないわよ!!」
ルイズ  「なら、一人でここに居ることね、わたしはもう行くわ」
ジェシカ 「ちょっ……あ~もうッ!! 女は度胸っ! 行くわよもうっ!!」

 パニエのみで突き進むジェシカ。
 
 彼女は、己に降りかかる脅威を知らず、歩き始める。

 そして……彼女は……。

 

 
 は、話しが違うじゃない……。
 お、男って、一回したら時間を置かないと出来ないんじゃなかったの?
 連続で出来るなんて聞いてないわよ……!
 ……もしかして、あたし騙された? 
 それともシロウが特別?
 ……後者ね。
 …………絶ッ対ッ後者。
 他の男もシロウと同じだったら、結婚した相手が死んでないとおかしいし……!
 は、初めてって言ったのに……! 
 初めてって言ったのに!!
 何が大丈夫よ!
 何が安心しろよ!!
 何が俺に任せろよ!!!
 あ、あたしが知らないことをいいことに、あ、あんなことや……こんなこと……そ、そんなこ、とまで……あ、あたしって、な、何てことしたのよ……。
 そ、そりゃまあ。き、気持ちよかったわよ。言われたとおり、そんなに痛くもなかったし。
 でも、こんなあたしでも初体験に夢を持っていたのよ……。
 二人っきりで話していた時に、不意に真剣な顔をしてあたしの手を掴んで……そして、ゆっくりベッドに押し倒して……って。
 そんな風に考えてたのに……!
 そりゃ現実は理想通りにいかないことぐらい、わかってたけど……!
 でも初体験が三人ってないでしょ!!
 『魅惑』の魔法が掛かったビスチェを着ていたからって、普通二人まとめて押し倒す?!
 ……まあ、一人であのシロウの相手をしたら壊れちゃってたかもしれないけど……でも、やっぱりあたしは…………。
 って言うか、シロウこいうこと絶対初めてじゃないって!
 完全に慣れた手つきだったし! 
 完璧に制御下に置かれてたしあたしたち?!
 それにあれ、まだまだ余裕があったわね……あと二、三人増えても余裕ねあれは。
 はぁ……とんでもない相手に惚れてしまったみたいね、あたしは……。
 ……って言うかあたし……


「何でこんなところにいるの?」


 満開の星空の下、記憶に新しい初体験のことを思い出しては、顔を赤くしては転げ回り、青くしては頭を抱えていたジェシカだが、不意に自分のいる場所に疑問を持ち声を上げた。
 
「あたし、さっきまでシロウたちと一緒に寝てたのに」

 首を動かし辺りを見回す。
 空には満天の星空が広がり、地上を照らし出していることから、時間帯は夜だと思う。星明かりで見える範囲では、どうやら自分が今いる場所は、草原の中だと思うけど……。

「……夢ね」

 空を仰ぎ見ながらポツリと呟く。
 肌に触れる風。
 夜霧で濡れた草を踏む感触。
 冷えた空気に鳥肌が立ち、吐く息が白い。
 身体が伝える感覚は、これを現実だと訴えているが、ジェシカは夢だと断言する。
 理由はある。
 これ以上ない理由が。
 それは空。
 自分を照らす大元。
 それは……。

「月が一つなんて……ありえないわよ……月は二つでしょ?」

 空には満天の星空。数え切れないほどの星と……月が一つ。
 ジェシカが知る限り、空に浮かぶ月が一つであったことはない。ということは、これは夢だ。そう考えると辻褄が合う気がする。屋根裏部屋で寝ていた筈の自分が、いつの間にこんな見知らぬ草原にいることや、月が一つしかないことについて。
 
「夢……か。夢に見えないけど夢なのよね……月が一つしかないし」

 夢とわかれば、胸の奥にあった恐怖もいつの間にか消え去り、強い好奇心が表に出てくる。好奇心旺盛の猫のように、辺りを見渡しながら歩き始めた。空から降り注ぐ光は十分に強く、足元も覚束ないということはない。それをいいことに、ジェシカは夢の世界を楽しみ始めた。草原に咲く、見たことも無い花を見たり嗅いだり。誰もいない草原を駆け回ったり、ごろごろと転がり始めたり楽しんでいると、星明りが届かない奥から、何かが壊れる音が聞こえた。
 咄嗟に身を屈め、音が聞こえる方向に顔を向けたジェシカの前に、黒い塊が二つ闇の中から飛び出してきた。

「……ッッ!! な、にあれ?」

 ジェシカの前で、星明りの下に現れた黒い塊は二つ。

 一つは化物。
 形は人間に似ていた。
 手足の長さは常人の倍はある。指先からは、ナイフというよりも剣のようなものが伸びている。
 口は耳元まで裂け、ポッカリと開いた口から鈍く輝く鋭い牙が覗く。
 吸血鬼? 噂で聞いたことのある怪物の名前が浮かんだが、確信は出来ない。

 一つは騎士。
 一つしかない月の下、黒と白の剣を両手に持った騎士。
 赤い外套を翻し、黒い甲冑を月光で煌めかせ、化物の腕や足、爪を躱している。
 淀みなく流れるよな動きで化物の攻撃を避ける姿は、まるで化物と踊っているかのようだ。


 
 夢だと考えていた。
 どんなに現実味を帯びていたとしても、こんなところで寝ていた記憶はないし、空には月が一つしかない。
 だから夢だと思っていた。
 だけど……。 
 


「オオオオオオオオォォォッッ!!」

 騎士が両手に持つ剣を、同時に斜めに振り抜く。

 ――グオオオッ!!!――

 化物は片手を犠牲にし、剣の下から逃れると、騎士から距離を取るため右に飛ぶ。
 騎士は振り下ろした剣を手放すと、逃げる化物を追って地面を蹴る。
 向かってくる騎士の手に剣がないことに気付いた化物は、草を地面ごと巻き上げながら着地すると、向かってくる騎士に向け自分から飛びかかった。

「ハアッ!!」

 ――ッ?! ゴオオアッ!!――

 やり投げの選手のように大きく振りかぶり、自らの腕を槍と化して突き出して来る化物の攻撃を、騎士は何時の間にか取り出した黒と白の双剣の内、黒の剣で逸らすと、白の剣で掬い上げるように、化物の身体を切り上げた。
 大量の水が入った水袋を、勢い良く切り裂いたような音が辺りに響き、黒い雨が草原に降り注いだ。

 ――ッギャアアアア!!!――

 脇腹から肩に向かって大きく切り上げられた化物は、大量の血と臓物を振りまきながら、宙を舞い、騎士の後方に向かって落ちていく。
 湿った音と鈍い音が周囲に轟き、

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 爆発が起った。





 むせ返るような血の匂い。    
 鼓膜を破かんとする轟音。
 身体を叩く爆発の衝撃。
 
 夢だと思う……けど……本当に……夢なの?

 呆然と騎士と化物の戦いを見ていたジェシカだが、知らず、化物の血に濡れた騎士に向かって歩き出す自分がいることに気付いた。騎士と化物の戦いは、遠目で見ていたため、騎士の姿形は何となく見えていたが、どんな顔をしているのかは、わからなかった。けれど、ある予感はあった。
 近付いてくる騎士に危機感は何故か湧かない。騎士のような格好をしているとはいえ、あんな化物と戦い勝ってしまったほどの相手だ。そんな相手に近づいていっているというのに、何故か怖くはない。
 理由は何となく予感はある。 
 多分……。

「……やっぱり」

 化物の血で染まった顔を、剣を持った手の甲で拭くと、騎士は空を見上げ小さく息を吐いた。

「……ふう」

 空を仰ぐことで騎士の顔が、月の光に照らし出される。

「……シロウ」

 月光により浮かび上がった騎士。
 それは、白い髪と鷹の様な鋭い鋼色の瞳を持ち。
 黒い肌を黒い甲冑と赤い外套に身を包んだ……。

 衛宮士郎がそこにいた。






「シロウ……さっきのは……」

 ジェシカが恐る恐ると声を掛けながら手を差し伸ばすが、

「えっ!? え? ちょ、どういう、こと?」

 手は士郎の身体を突き抜けてしまい、驚いて反射的に手を引くと、足を滑らせ濡れた草の上に転げてしまう。何が起こっているのか分からず、ジェシカが戸惑いの声を上げていると、自分ではない女の声が上がった。

「あ、あの! だ、大丈夫ですか!」

 唐突に聞こえた女の声に驚き、ジェシカが声が聞こえてきた方向に顔を向けると、息を切らしながら走ってくる人影が微かに見えた。時折声を上げながら士郎に向かって走ってくるその影が視界に入ると、ジェシカは思わず

「シエ、スタ?」

 愕然とした声を漏らした。

 こちらに向かって近付いてくる女性は、故郷で見たことがある曽祖父が作ったという、上下に分かれていない、奇妙な服を着ている。その容貌は、自分の知る従姉妹によく似ており、ジェシカは思わず驚愕の声を上げてしまった。

「だ、大丈夫で、すか」

 息を切らしながら近付いてくる女性に、士郎が振り向くと、何か言おうと口を開き、

「シロウッ!」
「あっ」

 何も言わず倒れた。
 うつ伏せに倒れた士郎に、ジェシカとシエスタ似の女性が駆け寄る。ジェシカの手は、やはり触れることは出来なかったが、シエスタ似の女性の手は触れられるようだ。シエスタ似の女性が、士郎の甲冑や服を脱がせていくと、化物の血で紛れてわからなかった、士郎の傷が見えた。
 あの化物の剣のような爪でやられたのだろう。五つの深い傷跡から、血が止めどなく溢れ出している。
 シエスタ似の女性は、自分の服を破ると、士郎の傷の応急手当を始めた。

「し、しっかり、して、くださいっ!」

 止血をあらかた済ませたシエスタ似の女性は、士郎の肩を持つと、士郎を引きずるようにして歩き始めた。

「あ! ちょっと」

 置いていかれたらと思い、時折士郎を励ますように、声をかけながら歩くシエスタ似の女性に向かって伸ばしたジェシカの手が、シエスタ似の女性に触れ、

「あ……れ?」

 られず、たたらを踏み、
 
「ちょっ、え?」

 戸惑いの声を上げた。
 自分がいたのは草原だった。なのに、今、自分がいるのは……目に映るのは。

「は? ……朝?」

 寒々と感じる程葉が落ちた木々が、空から降り注ぐ陽光に照らされている森の中に、ジェシカは何時の間にか立っていた。青々と茂る草から、幾重にも積み重なった落ち葉の上に。闇の中から日の光の下へいきなり移動したジェシカは、視界の急な変化にしきりに瞬きしている。
 未だ理解していない頭で、ジェシカは歩き始めた。周りを確かめるように、しきりに首を回しながら森の中を歩いていくうちに、空気を切り裂く様な鋭い音が聞こえ始めた。目的のないまま歩き始めたジェシカは、誘われるように音に誘わるように歩いていく。
 そしてポッカリと木々が生えていない、開けた場所に辿り着き。
 
「……シロウ」

 そこで一心不乱に剣を振るう士郎を見付けた。



 上から下、右から左。
 両手に持つ白と黒の剣を同時に振るい、時にバラバラに振るう。
 まさに目にも止まらない速さで剣を振るう士郎を、木に寄り添うように立つジェシカが見つめていた。
 剣を振るう士郎とは、かなりの距離があるにもかかわらず、士郎が剣を振るう度に、巻き起こった風が髪をよそぐ。乱れる髪を押さえ、剣を持って舞う士郎に、ジェシカは見とれていた。
 どれぐらい時間が経ったのだろうか、士郎の体から白い湯気が出てきた頃、突然剣を下ろした士郎が、ジェシカに顔を向けた。いきなり士郎から顔を向けられたジェシカは驚き、後ずさるように数歩後ろに下がると、

「士郎さん」

 長い黒髪を揺らし、士郎に駆け寄る女性が現れた。

「まだ怪我が治っていないんですよ。無茶をして、傷が開いたらどうするんですか」
「あ、ああ。すまない……ちょっと身体を動かそうと思ったんだが、どうにも止まらず……」

 背伸びをしながら士郎の顔を流れる汗を拭きながら、女性が士郎を嗜めている。女性に手ずから汗を拭かれる士郎は、赤くなった顔を背けながら何やら言い訳をしている。
 ちょっとムカつくわね……でも、本当に似ているわね。
 そんな二人のやり取りを見ていたジェシカは、日の光で現れた女性の顔を改めて確認し、首を傾けた。
 顔は怒っているが、目は優しく士郎を見つめる女性は、ジェシカの従姉妹であるシエスタによく似ていた。自分と同じ黒い瞳と黒い髪や素朴で愛嬌のある顔立ち、日の光を反射させるほどにきめ細かい肌も、シエスタによく似ている。
 違うところといえば、精々シエスタにあるそばかすがない所ぐらいだろうか。後は、こちらの方が一、二歳年上に見えるとこや、身長がこちらの方が高いといったところだろう。
 
「昨日も夜、どこかに出かけていたでしょう。一体どこに行ってたんですか?」
「いや、その、それはな。い、色々あるんだ」
「何が色々ですか、一緒の布団で寝てたのに、起きたら居なくなってるなんて……本当に怖かったんですよ……」
「……すまない」

 一緒の布団? 
 ……あんにゃろう、このシエスタ似の人にも手を出していたんだ……どうしてくれようか……。
 顔を伏せ、悲しげに呟く女性に、士郎は髪を優しい手つきで撫でながら謝罪している。
 女性は頭を撫でる士郎の手を掴み、おずおずと顔を上げると、士郎の手を胸に抱きながら士郎に寄りかかった。

「……許しません」
「そ、そうか」

 肩を落として落ち込む士郎の頬に手を伸ばすと、女性は真っ赤な顔で優しく笑いかけ。

「だから……今日の夜は、しっかり愛してください」

 そう囁き、士郎の唇に軽くキスした女性は、真っ赤に染まった顔を両手で隠しながら駆け出していった。
 呆けたように立ち尽くす士郎の下から、ジェシカに向かって駆け寄っていく女性。士郎と同じように呆けたように立ち尽くすジェシカの横を、女性が駆け抜けると、我に返った女性を追うように振り向き、

「……また?」

 視界が切り替わった。

 今度は最初と同じように、空に一つしかない月が輝く夜だ。
 
「やっぱり一つしかない……あれ? 形が変わってる」

 月は初めて見た時のような満月ではなく、半分が切り取られたように欠けた月が浮かんでいる。
 足元で騒ぐ草の感触に、最初と同じ場所に立っていることに気付いたジェシカが、もしやと思い辺りを見渡すと、

「あれ? シロウじゃない?」

 期待した士郎ではなく、シエスタ似の女性を見付けた。
 女性は、一人で草原の中に立っている。
 一人草原に佇む女性は、悲しげな顔で半分になった月を見上げている。
 女性の頬に月光があたり、きらきらと輝いている。
 泣いてる?
 ジェシカは見とれていた。
 音もなく、声もなく涙を流しながら月を見上げる女性の姿が、あまりにも絵になっていたから。
 どれだけ見ていたのだろうか、空高く流れるいくつもの雲が、すっかりと流され消え去るほどの時間がたった時、不意に草を踏む音が聞こえた。
 シロウ?

「士郎さん?」 

 背後に聞こえた足音に、ジェシカと女性は、同じ男の姿を思い起こしながら振り向いた。

 ――グロロォォォオオ――

 しかし、そこには思い起こした男の姿はなく。

「ヒッ」
「え?」

 手足が異常に長い、異形の化物が立っていた。
 目の前に立つ異形の化物の姿に、後ずさる女性だったが、何かに足を取られ尻もちをついてしまう。

「あ、い、いや」

 尻もちをつき、後ろ手に這うように下がる女性に、化物が身体を屈めながら近付いていく。

「あ、ああ」

 ぱくぱくと女性は口を閉じては開けているが、口からは意味を成した言葉が出ない。
 化物はゆっくりと口を開き始めた。口から覗く鋭い牙に、泡立つ涎がねっとりと糸を引いている。
 絶望に顔を青くした女性の口が、小さく動く。
 恐怖に歪む女性の顔が一瞬笑った気がした直後、口を大きく開けた化物が女性に襲いかかり。

「ハアアッ!」

 上下に身体を分かたれた。

「え?」

 化物の腸や血を浴びながら呆然とした声を漏らし、ゆっくりと顔を上げた女性の前に、

「無事か?」

 両手に白と黒の剣を持った士郎がいた。

「あ……は、はい。だ、大、丈夫です」

 怒涛の如く流れる状況の変化を持て余し、士郎を見上げた形で女性は頷く。軽く目で女性に怪我がないことを確認した士郎は、女性に背を向けた。

「し、士郎さ……え?」

 背を向けた士郎に、気を取り直した女性が声をかけようとしたところで、星明りが届かない奥から、先程の化物と同様の化物が現れる。
 目を大きく開き、身体を抱きしめ震えだす女性。先程の恐怖を思い出し、見開かれた目の端から涙が溢れ出す。ガチガチと鳴る歯の隙間から、声にならない悲鳴が漏れ出している。

「ひっ……ぃ……ぁ……」

 化物たちの数は多い。
 二、三体程度ではない。
 十体以上はいる。 
 こちらに向かって近付いてくる化物に耐え切れず、恐怖の悲鳴を上げようと口を開いた女性に、士郎が背を向けながら声をかけた。

「大丈夫だ」
「え?」

 いつもと変わらない、落ち着いた様子で、優しく語りかけてくる士郎に、悲鳴を上げようとする口を閉じ、女性は士郎の大きな背中を見上げた。

「絶対に守ってみせる」
「し、士郎さん」
「だから、安心してそこにいてくれ」

 そう言って首を傾け、後ろにいる女性を見ると、士郎は目を細め笑い掛けた。

「……あ」

 士郎の浮かべる笑顔に導かれるように、女性の顔にふっと、小さな笑みが浮かぶ。それを確認した士郎は、ゆっくりと向かってくる化物に顔を向け、

「……やるか」

 士郎から化物に向かって斬りかかった。

 

 士郎と化物の戦いは一進一退の戦いを繰り返していた。
 化物一体一体の戦いは、士郎よりも弱いが、数が余りにも多すぎた。
 しかも、士郎の背には戦う術のない女性がいる。士郎は常に後ろの女性を気にかけながら戦っているため、動きに精彩を欠いているようだ。
 だが、やはり士郎は強かった。
 月が傾くほどの時間が過ぎる頃には、士郎の前に立つ化物の姿は、三体までに減っていた。
 しかし、士郎も無事ではなく、全身から自らの血を流している。致命傷になるような傷はないが、それでも全身から血を流していた。肩で息をしながらも、士郎は残り三体の化物を注視している。

 ……シロウ……何で……?
 草原に膝と手を着き、ジェシカは、士郎と化物たちの戦いを見ていた。
 士郎と化物たちの戦いは、決して余裕があるようなものではない。何度も士郎は死にかけるような攻撃を受けている。幸い、まともに喰らうことはなかったが、それでも、士郎の命に危険がおちいる度、ジェシカは悲鳴を上げた。
 
「何で……逃げないの……! シロウ一人なら逃げれるでしょ! なのに……何で……!」

 ジェシカだけではない。
 士郎に守られている女性も、同じように悲鳴を上げている。

「士郎さん! 逃げてください! あなたが……あなたが死んでしまう!! お願いだから……もうっ……逃げてくださいッ!!」

 士郎は強い。
 ジェシカが思っていたよりもずっと。
 同時に貴族を複数倒すほどの実力を持つ士郎が何者かはわからないが、とてつもなく強いことは知っていた。
 だけど……士郎の実力は、それ以上だった。
 両手に持つ剣を、まるで自分の手足のように扱う士郎は、戦いについて素人であるジェシカでも、常人とは隔絶したものだとわかるほどのものだった。
 十体以上の化物の攻撃を、士郎は余裕はないが、それでも、互角以上に戦況を進めていた。
 しかし、士郎の身体には、大小様々な傷がある。
 それは、士郎が何かをミスしたわけでなく、化物強さが想像以上のものであることでもなく、

「わた、私なんか守らないで、早く逃げてッ!!」

 後ろにいる女性のせいであった。
 化物達は士郎だけでなく、時折後ろにいる女性に向かって襲いかかり。その度、士郎は、自分の身体が傷つくことをかえりみることなく、女性を守った。
 女性に向かって化物が襲いかかる度、士郎の身体が傷ついていき。三体を残す頃には、士郎の全身は血で濡れていた。
 士郎に守られる女性は、士郎に守られ、そして、その度に士郎が傷つくのを見ると、悲痛な悲鳴を上げていた。
 しかし……それでも、士郎は逃げることなく化物の前に立ちふさがった。

 そして今、残った三体は、士郎に向かって同時に飛びかかった。
 士郎は両手に持つ剣を、連続して向かってくる化物に投げつける。士郎が一瞬で投げつけた剣の数は六。化物の前後に襲いかかるように投げられた剣は、二体の化物の首と胴を切り飛ばしたが、一体は腕を落すのみにとどまった。
 
「――しまっ」
「ぁ」

 剣のような爪が迫るのを、女性は息を呑むような悲鳴を上げた。
 眼前に迫る驚異は、女性が驚異を理解する前に、女性の身体を引き裂く、

「え?」
「あ?」

 筈だった。

 顔面に降りかかった熱いものを、震える手で触れると、それを月光で照らし出す。
 それが何か理解した瞬間。
 女性とジェシカの口から、絶望の悲鳴が上がった。

「「イヤアアアアアアアアアッッ!!」」
 
 女性の前には、士郎の背中があった。
 そして、その背中から、鋭い爪が生えていた。

「あ、ああ、ああああ……いや、いやあ」
「うそ、うそよこんなの……お願い……こんなの……いや……」

 目の前の光景を否定するように、女性は震える顔をゆっくりと振っている。

「っオオオッ!!」

 血を吐き出しながら士郎が雄叫びを上げると、剣を振るい化物の首を切り飛ばした。
 化物の身体が後ろに倒れると同時に、ズルリと士郎の身体から爪が抜け落ち、士郎の身体が女性に向かって倒れだす。
 
「士郎さんっ!!」

 士郎の身体を抱きとめた女性は、士郎のちで濡れるのを構うことなく抱きしめた。士郎の身体から流れ出る血を、自分の身体で押しとどめるように、女性はきつく士郎を抱きしめる。

「士郎さん!!」

 女性の必死の呼び声に、士郎はうっすらと瞼を開いた。士郎の目が開くのを見た女性は、ボロボロと大粒の涙を流しながら、士郎を必死に引きずり始めた。

「い、今すぐち、治療を」
「……安心しろ」

 漏れ出る嗚咽を堪えるように歯を食いしばる女性の頬に手を伸ばした士郎は、頬を濡らす手を自らの手で拭いながら笑いかけた。

「あ、安心出来るわけないでしょ! こ、こんな血が出て!」
「急所は外している……それに俺は特別でな……暫らくすれば傷はふさがる……だから」
「……だからって……だからって安心できるわけない!!」
「……ああ、すまない……な」

 仰向けに草原の上に寝ころがる士郎の外套の端を掴みながら、女性は士郎を叱りつける。
 顔をグシャグシャにしながら叱りつける女性に、士郎は一瞬呆然とした顔をすると、ふっと小さな笑みを浮かべた。
 口の端が微かに曲がる程度の小さな笑みであるが、笑う士郎に、緊張の糸が切れたのか、女性が士郎の胸に顔を押し付け声を上げて泣き始めた。



「し、シロウ……」
 
 戦いを終えた夜の草原に、女性の泣き声が響く。
 同じように涙を流しながらその様子を見ていたジェシカが、身体に力が戻ってきたことに気付くと、震える膝を抑えながら立ち上がり、士郎達の下に歩きだそうとし、視界が切り替わった。



「……また」 

 見たことも無い部屋だった。
 不思議な感触の板? が敷き詰められ部屋の中心には、士郎を膝枕しているシエスタ似の女性がいた。シエスタ似の女性は、士郎を膝枕しながら鍋をかき混ぜている。片手で天井から吊るされた鍋? のようなものをかき混ぜながら、もう一つの手で士郎の白い髪を優しく撫で、シエスタ似の女性が、小さく囁くように歌っている。
 頬を濡らす涙の跡を拭いながら、ジェシカは士郎たちに向かって歩き始めた。 
 そんなジェシカの耳に、女性の歌が入り込んでくる。

 ――ねんねんころりよ おころりよ――
 ――ぼうやはよい子だ ねんねしな――

 ……これ。

 ――ぼうやのお守りは どこへ行った――
 ――あの山こえて 里へ行った―― 

 ……聞いたことある。

 ――里のみやげに 何もろうた――
 ――でんでん太鼓に 笙の笛――

 ……お母さんが……歌ってくれてた……。 





「……どうして、この歌を」

 ようやく収まり始めた涙だったが、女性の歌を聴いているうちに、突き刺すような痛みが胸に広がり、目頭に抑え難い熱が溜まり……溢れだした。
 頬に流れる熱い感触に手を伸ばすと、また、涙が溢れ出していた。
 それは、先程のような悲しみの涙ではなく……。
 流れる涙を手のひらでこすりながら、ジェシカはシエスタ似の女性に向かって近付いていく。女性の隣に座ると、下から覗き込むように女性を見上げる。

「あなたは……一体誰なの?」

 赤くなった目を細め、首を捻る。

「あたしと同じ黒い瞳と黒い髪を持つ……シエスタによく似てるあなたは……?」

 眉根に皺を寄せた顔をしながら、視線を下に向けると、気持ちよさそうに眠る士郎がいた。
 あ、あれ? 怪我がない? どういうこと?
 視線の先の士郎には、見た限り怪我があるようには見えない。服に隠れていないところ以外にも、士郎は全身に怪我を負っていた。それがない……と言うことは。
 時間が立っている? それもそれなりの時間が……っていうことは……あれから、どれくらいたったの?
 ……っあ~っ! もう! わかんない! なんなのよここ! なんでこんな訳のわからない夢でこんなに悲しくならなきゃ! 苦しくならなきゃなんないのよ! もう! なんなのよ!!
 
「……士郎さん」

 頭を抱え、奇妙に心地いい床をごろごろと転がっていると、歌を止めた女性が膝の上で眠る士郎に優しく撫でるように声をかけた。口元を緩め、小さく笑いながら、女性は声をかけ続ける。

「あなたの夢は、これからもあなたを傷つけ続けるでしょう」
 
 シロウの夢? 傷つける? どういうこと? 
 身体を起こし、士郎たちを見つめるジェシカ。
 女性の声が、次第に涙声になっていく。

「あなたのこ、とです……きっと支えて、くれる人や、抱きしめ、てくる人が、きっと、これ、から、多く現れる、でしょう」

 ……まあ、確かにそうね。現にあたしがここにいるし、ルイズの話しだと、他にもいろいろいるようだし。
 笑いながら泣いているのか、泣きながら笑っているのか……女性は、ただただ、士郎のことを案じていた。
 
「それでも……例え、あな、たが、私のことを、忘れてしまっても……」

 忘れる……か、それは……悲しいし……苦しいし……それは、嫌だな。あの二人は、きっともうすぐ出て行く……。
 ……そして、さっきみたいに……あの子を守って死にかけるんじゃ……。

 目を閉じ、ゆっくりと士郎に顔を近づける女性。

「私は……いつまでも、ここに……います……ここで……あなたを……」

 シロウがいなくなったらあたしはどうする? シロウのことを忘れて他の男を探す?
 自分のことをかえりみることなく人を守ろうとする……あんな馬鹿な男を忘れて?
 ……ははっ……無理ね。
 そんな簡単に忘れられる人じゃないわよ……幸か不幸か……。
 なら……しょうがない……。

 願うように、祈るように頭を下げた女性は、額が士郎の髪に触れると、小さく、本当に小さく

「……待っています」

 追っかけるか!

 囁いた。



 
 

 
後書き
ルイズ  「……だ、大丈夫?」
ジェシカ 「だ、大丈夫じゃないわよ……し、死ぬかと思った」
ルイズ  「ふ、ふふ……わたしも、か、身体の感覚がまだ、戻らないわ」
ジェシカ 「あ、あたしは……まだ、か、身体が痛い……」
ルイズ  「……わ、わかるわ……わたしも経験あるし……撫でてたら少しはましになるわよ」
ジェシカ 「ほ、本当? っぅう……もう、さっきまでは大丈夫だったのに」
ルイズ  「ま、まあ、シロウに抱かれてるうちは、それどころじゃないから……ね」
ジェシカ 「……凄かったわね……死ぬかと思った……」
ルイズ 「もう……おかげで身体中どろどろよ」
ジェシカ 「……これが一人の人間から出たなんて、目の前で見たのに信じられないわね」
ルイズ  「……でも、これでもマシな方よ……」
ジェシカ 「……っ?! こ、これでも? 嘘でしょ」
ルイズ  「ちょっと前に事情があってね……あ、あれは……溺れるかと思った……」
ジェシカ 「……お、溺れる? っは、はは……想像もつかないわね」



 自身が味わったのは、まだ序の口であったことを教えられたジェシカは、驚愕と共に、身体の奥の芯に火がつくのを感じた。
 自身が味わった、想像以上の快楽を超えるものがあると教えられ、期待に身体が燃え上がる。

 ああ、ジェシカよ。
 
 君が望むのは、愛か快楽か……。
 
 ここに今、快楽の煉獄に身を焼かれることになる女性が一人……。



 
  
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