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fate/vacant zero

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たからさがし





 ――加護エオローの月、保護の週ソーン、大樹イングの日。


 その日、結婚を間近に控えたトリステイン第一王女アンリエッタは何をするでもなく、己の居室にて椅子に腰掛けていた。

 部屋の片隅には二週間後の式典・・で己がまとう純白のドレスが掛けられており。

 されど衣装を眺めやるその表情は、まるで氷のように冷たく硬い。


 その心の内には、過日に母に窘たしなめられた時の声が、未だぐるぐると巡っていた。





 『未来のためですよ』

 『あなたの未来のためでもあるのです』

 『アルビオンを支配する、聖邦復興同盟レコン・キスタのクロムウェル』

 『かのものは『虚無』を操るとか』

 『過ぎたる力は人を狂わせます』

 『軍事強国のゲルマニアに居る方が、あなたのためなのです』





 ――なるほど、少なくとも母は、自分の無事を祈ってこの婚姻を承諾したのだろう。


 枢機卿は……考えるまでもない。

 民と国の未来のために。

 あの方は、そういう人だ。


 宮廷貴族たちはどうか?

 これも考える必要はないだろう。


 己の保身のため。

 あの連中が考えることなど、それ以外には有り得まい。



 それでも、それぞれの形は違えど、願う姿はみな一様に同じだった。

 そう。この結婚は、皆の望んだ結婚なのだ。


 ならば私は王女として、皆の望みに、応えなければならない。



 ……それは、解っているのに。

 なぜ私の心は、行きたくないと。


 嫁いでしまいたくないと……、奥底で叫んでいるのか。


 もう……、私の愛したウェールズ様は、この世に亡いというのに。

 この身を縛る制約など、もう何も残ってはいないというのに。


 なぜ私の体は、胸に抱いたこの羽帽子を、手放そうとはしないのだろうか。



 私はいま、いったい何を願っているのだろうか。

 私は、本当に。このままで、いいのだろうか。


 ウェールズ様がいまここに居たなら、この問いにも、優しく答えてくれたのだろうか。

 私の親友が、ルイズが私の立場であったなら、その問いにも答えを出すことができるのだろうか。

 ウェールズ様に風のルビーを授けられたあの少年ならば、その答えを知ることができたのだろうか。



『ならば、わたくしは……、勇敢に、生きてみようと思います』


 それは自分の出した答えだったはずなのに。

 気付けばその答えに辿り着くための道が、いつの間にか霧がかったように隠されてしまっていた。



 私は、いったい。どう生きたいのだろうかと。


 そんな自問の、霧の中へ。







Fate/vacant Zero

第二十五章 たからさがし







 十数年前のことである。

 そこには、一つの村があった。


 それはハルキゲニアならどこにでもあるような、平和で、平凡で、文化的な村だった。

 ただ、運が無かっただけの。普通の村だった。



 打ち捨てられたこの名も無き廃村に今なお残る、多くの建造物。

 そこに生活の痕は既になく。

 壁や屋根が崩れていたり、窓が外れていたり、蔦つたや草に覆われていたり。


 どこに出しても恥ずかしくない廃墟っぷりを、無惨に風雨へと晒さらしていた。



 さて、そんな廃墟の一つに、それなりに大きな寺院があった。


 かつて壮麗を誇っていた門柱は崩れ去り。

 寺院を守るべく張り巡らされた鉄柵は、明るい陽光の反射する余地など欠片も残さず赤錆に塗まみれ朽ちている。

 天窓のステンドグラスは砕けて直下へ散らばり、その両脇の庭や煉瓦の隙間にはびこる雑草に覆い隠されてしまっていた。


 そんなボロボロの寺院であったが、今日は少しだけ様子が違っていた。

 久方ぶりの、来客である。





「――始まるぞ」


 と、頭上から才人の声がして。

 その言葉尻にのしかかるようにして、爆発音が辺りを駆け抜けた。


 大きな木を背にしてそれを聞いたタバサは、愛用の杖を握り締めた。

 肩越しの視界には、一気に燃え上がる門柱傍の木が引っかかっている。


 それはキュルケによる、作戦開始の合図。

 同時に、この寺院に巣食う、村を廃村に変えた元凶をおびき寄せる為の狼煙でもあった。



 ほどなくして。

 思惑通りにその元凶たちは、寺院の中から次々と飛び出してきた。


 その外見は、1メイル足らずの比較的大柄な鳥類。

 全身を覆う羽毛は白く。

 平底のナベをひっくり返したような草色の兜は、黄色い嘴から上の頭をすっぽりと包んでいた。


 さらに、各々の首には小さな銀色のプレートが掛けられており。

 物騒なことに、その広げられた羽には『人の頭ほどもある鉄球を柄に鎖で繋いだ武器』が握られていた。

 それが、その鳥類が人類にとって無害にあらざるものであることを、明確に示している。


 その数は、およそ二十……いや、三十……それ以上。

 タバサが想定したよりも、かなり数が多い。


 燃えている木を目撃してぎゃあぎゃあとけたたましく騒ぎ立てる群れの後方には、二回りほど身が大きく、ナベ兜の色が蒼い、細くて長い何かの茎のようなものを手にしている者が見えた。


 アレが、おそらくはこの群れのボスなのだろうが……。

 当初の作戦を続行するか、強攻策に切り替えるか。

 戦力の差と敵の種族を考慮しつつ、タバサは考えを纏めていく。





 彼らは、鴨鬼ダック。鴨鬼の戦士たちダック・ソルジャー。

 骨格や見た目は殆ど鳥そのものだが、れっきとした亜人の一種だ。

 金属類ヒカリモノを好み、好戦的で、組織的集団生活を営める程度の知能を持つという厄介な生態をもつ。

 この村はそんな鴨鬼ダックの群れに、運悪く目をつけられてしまったのだ。


 その結果、当時の住民たちは着の身着のまま、村の放棄を余儀なくされた。

 住処すみかを追い出された住民たちは、その足で領主に訴えでたのだが、当時の領主は相手に有利な森の中へ兵を出すことを良しとせず、その要請を放置した。

 一向に動かない領主に業を煮やした元住民は、なんとかして故郷へ帰ろうと、町に伝わる秘宝や鴨鬼ダックの隠し持つ貴金属類の噂を、尾ひれ背びれに胸びれやエラまでくっつけて近隣の町で流した。


 腕に覚えのある冒険者に、鴨鬼ダックの集団を追い払ってもらおうとしたわけだ。

 いまタバサらがこの村にいるのも、キュルケたちが手に入れてきた地図の中に、そのヒレの一部が紛れ込んでいたためなのだが――





<静まれぇッ!>


 突然、住処に上がった火の手に慌て取り乱した同輩ともがら全てに聞こえるよう、大きく声を張り上げる。

 火の手は気になるが、まずは気を落ち着かせることが重要だ。

 気を昂ぶらせていては、成功する任務も成功しなくなってしまう。


 なに、慌てることはない。

 幸い、本拠ホームからはまだ距離があるのだから。



<『整列』!>


 落ち着かせるためには、『いつものことだ』と認識を上塗りするのが手っ取り早い。

 よって、同輩ともがらがこれまでに何度も繰り返した普段の命令を与える。

 挙動不審だった同輩ともがらたちも、手馴れた素早さで普段の班と群れ、普段の様に隊列を組み、普段通りに私の前に居並んだ。


 所要時間、3秒半強。自分を含み、2小隊40名全員の整列完了。

 同輩ともがらたちの顔に焦りを伴った緊迫感は薄れ、今は落ち着いた適度な緊張感を湛えている。


 効果覿面こうかてきめんだったことを確認したうえで、目の前でいま起こっていることを整理する。


 火の気の類などどこにも見当たらないというのに、目と鼻の先では一本だけ木が燃え上がっている。

 あやしい。

 性懲りも無く、人間どもが攻め込んできたのだろうか。


 では、あれは罠か?



 ……否、例え罠であろうとも、このまま放置すれば下草に飛び火し、火災は必至。

 ならば。



<第2小隊は速やかに消火開始! 第1小隊は私と共に哨戒に当たれ! 小癪こしゃくな人間どもを燻あぶり出すぞ!>







 ――かかった。



 その場に集まった鴨鬼ダックの半数が燃え盛る木に向かうのを横目に認めて、キュルケはそう確信した。

 予定通りに、隠れ潜んだ木の上で呪文を詠となえ、タイミングを計る。

 そして半分の鴨鬼ダックが燃える木を囲み、その手の武器――フレイルを振り上げた時……その一瞬は訪れた。


 ぼごり、と大きく音を響かせ、木を囲んでいた鴨鬼ダックたちの足元が、突如として陥没したのだ。

 これもまた、予定通りに。


 そしてキュルケはその一瞬を逃すことなく、現れた穴に向かって呪文を解き放った。


 『火』、『火』。

 『火』の二乗、すなわち『炎』。

 常用している『火球ファイヤーボール』より一回りは大きく、より激しく燃え盛る炎の球。

 上位呪文ラインスペル『炎弾フレイムボール』は、寸分違わず鴨鬼ダックどもが落ちた大穴に侵入し。


 事前に穴に溜め込まれた油に引火し、ド派手な燃焼音とともに弾け、燃え上がった。


 それに巻き込まれなかったもう半分が、烈火の勢いで隠れている木こちらに迫ってきているが……まあ、恐れる必要は無いだろう。



 頼もしい味方が、こちらにはついているのだから。





 おのれ、と。

 部下の半数を一瞬にして失った隊長格ジェネラルは、一瞬にして逆上のぼせあがっていた。

 哨戒に当たっていたがために生き残った部下たちも、みな怒り心頭の面持ちを見せていた。


 だから彼らは、まだあるかもしれない罠の存在など忘れ去った。

 だから彼らは、“炎を放った一人”以外の敵の存在を見失った。

 だから彼らは武器を振り上げ、“炎”の出所に向かって、一丸となって疾走をはじめた。



 ゆえに彼らは、進行方向に立ち塞がった“敵”を、“ただの障害物”と見誤った。


 ゆえに彼らの命運は、この瞬間に決定付けられた。



 詰まる所。

 知能が高いとはいえど、彼らはやはり、“人”ではなかったのだ。

 怒りという名の本能に敗北した彼らは、もはや“亜ことなる人”などではない。



 其処に居るのは、群がるだけの“獰猛どうもうなる獣けもの”、そのものであった。







「討ち損ね。作戦、Бべーに変更」

「ああ、作戦通り俺は右を。フレイムはギーシュと協力して、左の敵を食い止めろ。
 ……それじゃタバサ、毎度ながら〆は頼むな?」


 タバサが物陰から飛び出しながら、大きな杖と短剣シェルを構えて提案し。

 才人が彼女に追随しながら、剣デルフを構えてそれを了解し。

 火蜥蜴フレイムはきゅるきゅる口から炎を溢こぼしながら頷き。

 離れたところから繰くられるギーシュの三体の青銅人形ワルキューレが、陽炎かげろうの中から忽然こつぜんと現れる。



 この一週間程度の宝探し生活コミュニケーションは、知らずの内に滑らかな連携コンビネーションを可能にしていた。





 “障害物”を砕くべく振り下ろされた3つのフレイルは、“障害物”に当たることなく、虚しく大地を削った。

 そして瞬まばたきするほどのわずかな時間が経ったとき、フレイルを振り下ろしていた最前線の三羽は事切れた。


 左の仲間は“剣士”の振るった片刃の長剣に、一太刀で首を刎はねられた。

 右の仲間は“人形”が投げ放った二本の槍によって地に羽を縫い付けられ、“火蜥蜴”の吐息ブレスにこんがりと焼かれた。

 中央の仲間は敵後陣の“魔法使いメイジ”――が振るった短剣より放たれた魔法攻撃かぜのやいばに翼うでを裂かれ、頭蓋ずがいを三体目の“人形”の突き出した槍にぶち抜かれ、脳漿のうしょうを散らした。



 仲間たちはその光景にさらに血を上げたようだったが、私の頭はそれで冷え、冷静に状況を分析する。


 確かに敵の攻撃力は凄まじいが、何も怖れることは無いのだと。

 度重なる人間どもとの戦いの中で、我々は学習した。


 “魔法使いメイジ”の魔法は、連射されることはありえない。

 “剣士”の動きで、俊敏しゅんびんなる我ら鴨鬼ダックの攻撃を止とどめることは出来ない。

 あの“人形”は青銅製だが、我らの“武器”は鋼をも打ち破りうる。

 “火蜥蜴”は厄介だが、一斉に襲い掛かればどうということはあるまい。


 ならば、今この場で最も優先して倒すべきは誰か?

 それは無論、最も高い攻撃力を秘める者。


 そして、最もこの瞬間に、無防備である者。



<魔法使いを集中して狙え! 奴はいま、何も出来ん!>



 そう、本来ならばその思考は正確であり、さしたる苦もなく彼らは勝利を収めえただろう。

 しかしこと今回の敵に限っては、その選択は浅はかだった。







 鴨鬼の隊長格ダック・ジェネラルが何事かを叫んだとき、タバサは唱えた魔法を放つべきタイミングを計っていた。

 先ほどの風刃エアカッターはタバサではなく、シェルンノスが単独で放ったものだ。

 今もまた打ちかかってきた鴨鬼ダックのフレイルを、才人がデルフリンガーを片手で振るって絡め捕り、粉塵ふんじん爆発じみた『精製レフィネン』を唱えて煙けむに巻く。


 ……敵は残り17羽。

 いま唱えている魔法ならこの敵全てを呑みこめるのだが、サイトと火蜥蜴サラマンダーまで効果範囲に入ってしまっている(『戦乙女ワルキューレ』は巻き込んでも問題ないので数に加えない)。


 チャンスは、一瞬。

 サイトたちふたりを後ろに下げた、その一瞬だけが攻撃の好機となる。



 その“一瞬”を越えてしまえば、鴨鬼ダックの猛攻を身体このみで受けることになる。

 その上、敵後列が攻撃範囲から外れてしまうかもしれないのだ。


 逃すことは、できなかった。



 そうして隙を窺う間にも、双方の攻撃は止むことを知らない。


 才人は剣を振りぬいて距離を取り、『風刃エアカッター』を放って的確に首を削そぎ落とし。

 槍を手放した『戦乙女ワルキューレ』はフレイルによって砕かれるも、その破片の全てを即席の槍と化して、その身を砕いた愚か者を返り討ちにし。

 手放された『戦乙女ワルキューレ』の槍は、ハリネズミの様にその身を変えてさらに二体の鴨鬼ダックを屠ほふり。

 火蜥蜴フレイムは先ほど武器を才人に剥ぎ取られた一体に跳びかかり、その頭を顎あぎとで砕き。

 キュルケが隠れた木の上から放った炎の弾は、俊敏にかわそうとした鴨鬼を意思を持ったかの様に追い、骨まで尽ことごとく焦がしつくウェルダンした。



 これで、残りは11羽。


 時ここに至って、未だ生き残っていた鴨鬼ダックたちも、次々と為すすべなく屠られていく仲間を目の当たりにして、頭を冷やしたらしい。

 体勢を立て直すべく、大きく才人たちから距離を取った。



 されど、その選択は浅はかだった。


 ――もとい。

 その選択も・浅はかだった。





(今)


 そうタバサは確信し、手の中の短剣シェルを強く握り込んだ。



「坊主! 蜥蜴! デカいのが逝いくぞ!」


 それに応えたシェルンノスが鍔つばを震わせ警告し。



「よっしゃ! 決めてやれ、娘っこ!」


 才人が、フレイムが、それぞれタバサの視界から逃れ出て。


 周囲の水蒸気を白く纏わりつかせながら、タバサの杖は振るわれた。



 今回タバサが選択した呪文スペルは、今は仲間である短剣相手に不完全なまま試し、手酷く返り討ちに遭った四乗呪文スクウェアスペル。

 そう、『氷嵐アイスストーム』である。


 ただし、今回は以前のように不完全な魔力を不完全な詠唱で繋いだ、不完全な出来ではない。

 万全の精神力にシェルンノスのサポートを加えて放たれた、いわば現在における完全版だ。


 その威力と精度は、既に熟練の者と並べてもまったく遜色はない。

 眼前12メイルほど遠くの中空、きっかり敵のど真ん中を起点として発動したソレは、辺りの水蒸気を吸い込み、氷結しながら見る間にどんどん巨大化していく。

 やがて半径10メイルほどの球状になった氷柱つららの嵐は、中に残存した全ての鴨鬼ダックどもを閉じ込めたまま、30秒ほど吹き荒れ続け……。



 そうして吹雪が治まった時。

 先ほどまで激しく嵐の吹き荒れていた場所には、もはや動くものなど何一つとして残されてはいなかった。





 もし、中隊員40名全員が参戦できていたならば。

 あるいはその数が半減した時点で退却を決め込んでいれば。

 鴨鬼ダックたちの勝利もありえたのかもしれなかった。


 だが彼らは、血に上った頭のまま、怒りに駆られてその場で復讐を敢行しようとしてしまった。

 奇しくも隊長ジェネラルが考えたとおり、落ち着きを失ったことこそが彼らの命取りとなったのだ。







 ばっさばっさと風を巻き上げながら、空からシルフィードが降りてきた。

 シルフィードが戦闘に参加して怪我でもしたら、歩いて帰る羽目になる。

 よって、戦闘には参加させない……というのが、俺たち四人で事前に取り決めた内容だったわけだが。


 まあ、実際の事情は少し違う。

 理由はよく知らないが、タバサはシルフィの正体を隠しておきたいらしいのだ。

 口の軽そうなギーシュは勿論、友人のキュルケにさえ。


 ……俺にシルフィが自暴じばくして喋った時、見ている方が痛くなってくるくらいにタバサのお仕置きは過酷だったから、タバサがそうしたいんなら俺も吝やぶさかではないわけで。


 でもって。

 普通の風竜は喋れもしなけりゃ息吹ブレス攻撃もできないし、魔法も唱えられないらしい。


 結果として、正体を隠したままだとシルフィは肉弾戦ぐらいしか出来ることがないわけで。

 その状態でどのくらい戦えるのかが、俺は勿論、タバサにも予想がつかなかった。


 加えて、シルフィが闘ってる最中にうっかり詠唱や息吹ブレス攻撃を使ったりしない、という断言が出来なかったのが決め手となって。

 こうしてシルフィの不参加は、こっそりと内定されていたのだった。


 ――ちなみに。



「今回もどうにか勝てたね。サイト、タバサ、ご苦労さま」


「……(じー)」

「言ってろ。一人だけ高見の見物決め込みやがって」


 その背中には先ほどまで『戦乙女ワルキューレ』を操っていたギーシュが乗っていた。



「いいじゃないかね。
 彫像ゴーレム遣いの魔法使いメイジが敵の手の届くところに居たって、いいことなんか何もないんだから。

 大体、それを言うならキュルケだってそうだろう?」

「あたしは一応、敵のすぐ傍に潜んでたわよ?
 誰かさんみたいに遠ざかってちゃ、点火が遅れちゃうもの」


 と、木から降りてきたキュルケが言った。

 ちなみにその油のプールおとしあなは、ヴェルダンデとギーシュによる合作である。



「……ぼくが気を失ったりしたら、その場で『戦乙女ワルキューレ』は動かなくなってしまうんだが」

「空にいたんじゃそもそも狙いもタイミングも計れないじゃないの。
 サイトやタバサが『針』の射程範囲に入っちゃったらどうするのよ?」


 やいのやいのと、戦闘前に言い争ったこととまったく同じことを繰り返し始めたギーシュとキュルケ。



「おーい、相棒。
 とりあえず、血ぃ拭いてくんないかな。錆びちまうよ」

「ん、ああ」


 その言い争いをぼぅっと眺めていた才人は、その辺りに生えている木から葉を一枚むしりとると二つに折り、デルフの刀身を挟んで根本から刃先へと滑らせる。

 そうして血と脂を拭い棄てながら、先ほどの戦闘の中身に思いを馳せる。



 結局、今日の戦闘でもデルフを使えたのは最初の一閃だけだった。

 鴨鬼ダックの細い頸くびに刃を食い込ませて刎ね飛ばした瞬間、またあの時の、ワルド(の偽者)を頭から股まで両断した時の、肉を、骨を刃に喰わせる気色の悪い感触が手に戻ってきた。


 それを認識した途端、背筋に怖気おぞけが走り、手が大きく震えだして。

 しかもそれは、未だに治まる気配がなくて。

 最初の一羽以降、デルフを守りばかりに使い、攻撃が魔法頼りになってしまっていた。


 この七日間、行く先々で先ほどまでと同じように亜人や幻獣の類と戦ってきたが、そのいずれにおいてもこう・・だった。

 肉を斬る度、骨を断つ度に、あの時の『人を斬った』感覚が、どうしてもよみがえってしまうのだ。


 拭い終えたデルフを背負いなおして一つ溜息をついていると、横合いから伸びてきた手が、震え続ける腕をそっと撫でた。



「まだ、生物せいぶつ相手は苦手?」


 それは戦闘終了以降、何をするでもなく才人の手を見ていたタバサだった。

 ちなみに、この質問もこの七日間、戦闘が終了するたびに繰り返されている。



「そう、だな。でも、直に治るから大丈夫だって。心配してくれてありがとな」


 こくんと頷くタバサだったが、腕をなでるその手は、震えが治まるまで休められることはなかった。





 そうして一方。

 ギーシュをおちょくるのもそこそこに、キュルケは地図を開いて裏面に記載された情報を眺めていた。



「ここのお宝は村の秘宝と、鴨鬼ダックの集めた貴金属だったわね……。
 それじゃ、先に場所が分かってる方から片しちゃいましょっか」


「それで、その秘宝とやらはどこにあるのかね?」


 ギーシュもまた、先ほどまでの口論を気にした様子もなく先を急かす。

 一週間同じ内容を繰り返してきたのか、もはや口論も定型文となりつつあるようだ。



「慌てないの。
 えっとね……、この寺院の中には祭壇があって、その裏側に仕掛け扉があるらしいの。
 そして、その中に……」

「その中に……?」


 ごくりと、ギーシュが唾を飲む。



「ここの司祭が寺院を逃げ出すまでの間に溜め込んだ金銀財宝、そして伝説の秘宝『青い瞳』が眠ってる……。


 と、この地図には書かれているわ」

「『青い瞳』?
 そりゃ、いったい何なんだね?」


 ギーシュは、思わせぶりに髪をかきあげたキュルケに尋ねた。



「巨大な青玉サファイアの使われたペンダント……というより、この秘宝を秘宝たらしめているのは青玉サファイアそのものみたいね。
 それを覗き込んだ者の瞳に、海で起きた全ての出来事を映し出すとか――」











 その夜。


 寺院の中庭、藪やぶを切り払われて拓かれた一角に、焚たき火を囲んで座る一行の姿があった。

 その誰もが、疲労の色を隠せていない。


 ギーシュとキュルケの間には、真鍮しんちゅうでつくられた装飾品類が平積みにされていた。



 元住人たちのとった作戦、『噂釣り』には大きな穴があったのだ。


 確かに、鴨鬼ダックには貴金属類を集める習性がある。

 だが腕利きの冒険者たちは、鴨鬼ダックの群れと正面きってぶつかりあうことが危険だということも知っていた。


 そこで冒険者たちは鴨鬼ダックどもを村の郊外へと誘き出し、その隙に中に隠された財宝の類をこっそりと持ち出していった。



 つまるところ。

 村の秘宝や鴨鬼ダックたちが集めた値打ちのある・・・・・・貴金属の装飾品類は、腕利き冒険者たちプロのハイエナの手によって当の昔にまんまと掠め取られ。


 そうして後には、値打ちのない卑金属類――主に真鍮や軽銀アルミ――や傷物になっていて値打ちの激減した物のみが残された……というわけだ。



「――で、だ。このペンダントだが……」


 ギーシュは焚き火の灯りと目の間に収穫物の一つである『青い瞳』……らしきペンダントをかざし、誰にともなく残念そうに呟いた。



「……やはりこれは緑玉エメラルドだよ。
 青玉サファイアじゃない。
 粒もそれほど大きくないし、おまけに細かな傷だらけだ。

 ――これが本当に『秘宝』なのかい?」


「まあ、そうやって普通に覗き込めてるんだから絶対違うわね。
 それ、モンモランシーへの贈り物にしちゃいなさいな」


 キュルケは爪の手入れをしながら、つまらなそうにそうのたまった。


 ちなみに才人は血塗れの青銅包丁を片手に、焚き火の傍でぐるぐると空いてる手を動かしている。

 タバサはそんな才人に対して今夜の“授業”を敢行中だ。



「なあキュルケ、これでもう七件目だ!
 地図を頼りにお宝が眠るという場所に出向いてみても、見つかるのは銅貨や安物の装飾品まがいものばかりだ!
 完膚なきまでにインチキ地図ハズレばかりじゃないか!」

「うるさいわね。
 最初に言ったじゃない、殆どはクズだって」


 敷いた毛布に背中から倒れ込んだギーシュは、力尽きたような声を捻ひねり出した。



「いくらなんでも酷すぎる……!
 廃墟や洞窟は猛獣や亜人どもライカンスロープの住処になってるし。
 苦労してそいつらをやっつけた報酬も、このボロボロの首飾りが一番まともだぞ?
 割に合わんこと甚だしいよ」


「そりゃそうよ。
 ちょっとやそっとの化け物を退治したぐらいで大金持ちになれたら、苦労しないわよ。
 だいたいギーシュ、その七つの地図の内、四つはあなたが集めてきたものじゃない」


 ぐぅ、と完全にギーシュは毛布に沈んでしまった。

 なんとも重い沈黙が二人に降りた。





「――え?
 もう二乗呪文ラインスペルに挑戦できるのか?」


 焚き火の間近に座ってきこきこと原始的に肉を焼いている才人が、目を丸くして鸚鵡オウム返しに尋ねた。

 タバサはそれに頷き答える。



「今日の戦闘で唱えた呪文」

「今日の? ってと、『風刃エアカッター』か?」


「そう。
 あれを見た限り、もう充分に二乗呪文ラインスペルを唱える素地はある」


 ただし『風』属性限定、とタバサは締め括った。



「二乗呪文ラインスペルって、そんなに簡単に使えるもんなのか?」

「普通に生活しているなら、ドットからラインになるまでに最低一年は掛かる。
 と、言われてる」


 タバサによると、二乗ラインレベルの魔法を唱えるための最低限の条件は二つ。

 一つは、単系統呪文ドットスペルを最低で四回は唱えられる程度の精神力の残量。

 もう一つは、単系統呪文ドットスペルを確実に成功させられる程度の想像力イメージを非意識的に繰くれることである。

 才人の場合、精神力の方は“授業”を始めた時点で、既に二乗呪文ラインスペルを一回唱えられるぐらいの量があったらしい。



 精神力は、過負荷がかかりダメージを受けると、その過負荷に耐えられるくらいにまで回復するという、魂の筋肉とでも言うべき性質を持っている。

 過負荷をかけて休息すれば、過負荷を受ける前よりもさらに精神力の器が拡がるわけだ。

 満タンの状態で興奮したり、眠りにつくことでも増えてはいくが、過負荷を掛けてやる方がより効率的に増大していく。


 必要な回復量もそれに応じて増えていき、回復効率は段々とあがっていくのだ。

 これらがある程度上がってくると、伸びなやみという現象も発生するのだが……、当面は関係ないので置いておく。



 ここで、才人の召喚されてからの行動を振り返ってみよう。


 まずアルビオンでデルフも言っていたが、左手のルーンガンダールヴを使用している間、才人は常時精神力を消費している。

 しかもル-ンの力に気付いてからは、連日“実験”と称して精神力を目一杯浪費していた。


 それはフーケやワルドなどの強敵と戦った翌日であろうと変わることはなく。


 回復しても回復しても満タンが長続きしない才人の精神は、意地を張るように回復量を伸ばしてゆき。

 タバサの“授業”を受け始める頃には、半日あれば起きていても精神力が全快するという、人外レベルの回復力を得ていた。


 そこへ来て、この一週間はトラウマ・・・・の影響で魔法頼みの戦闘を一日一回、夜寝る前には普段どおりの“授業”をこなしている。


 まともな駆け出しドットメイジなら考えも実行もしないような――むしろ実行したら初日で昏倒するような――荒い精神力の行使をしている才人は、そろそろ二乗呪文ラインスペルを二回唱えてもおつりが来そうな程度にまで精神力の器は育っていた。



 長々と論じたが、まとめれば要するに量は問題ないということだ。


 才人に足りなかったのは、明確な想像力イメージである。

 主な原因は、実践不足。つまりは経験不足。

 場数が足りなかったわけだ。





 『さて、次のステップに進む前に少しおさらいをしてみよう。

  単系統呪文ドットスペルを成功させるために必要だった三つの要点。



  一ひとつ、魔法を使うことで起こす"結果"を明確に思い描くイメージすること。


  二ふたつ、使用する精神力を着色し、的確な属性を持つ"魔法力"へと変換すること。


  三みっつ、呪文を正確に唱え、自分の"結果イメージ"がそこにあることを認めること。



  以上の三つだ。

  では、これが二乗呪文ラインスペルになるとどうなるのか?


  まず、当然ながら着色すべき精神力は“二つ”に増える。

  これらを最初から混ぜてしまってはいけない。

  最初から混ぜてしまっては、それぞれの魔法力に"結果"を付加することが出来なくなってしまうからだ。


  そう、"結果"だ。

  "結果"とは、すなわち魔法の"過程"の終端だ。


  二乗呪文ラインスペルの場合、想像イメージすべきは最終的に導かれる"結果"そのものではない。

  それぞれの魔法力が生み出す、"過程"をこそ想像イメージしなければならないのだ。


  そうして色漬けたそれぞれの魔法力を、呪文という溶接材をもって的確に接合しなければならない。



  二乗呪文ラインスペルは“単系統呪文ドットスペル四回分の精神力”を魔法力に変換するのではない。

  “単系統呪文ドットスペル四回分の精神力”の内、一回分はこの制御のためだけに費やされるのである……』


(Houard Chifille De Le Froglie, "魔法の変遷-系統ドットより秘奥へ至るまで-" Anno.Vartoli.1952, 第二部第一章より)







「なるほど……。なんか、唱えてる間に頭の中でこんがらがりそうだな、これ読んだ限りだと」


 タバサが示した本の一節を読み終えた才人は、手を休めることなくそう溢こぼした。



「大丈夫」

「そうか?」


「三乗呪文トライアングルスペルの場合を考えて」


 才人はその突飛な提案に従い、もう一つ系統を足す場合を考えてみた。



「……まさか、さっきの着色と過程の部分がさらに一つ増えるのか?」

「加えて、それらを正しい順番で接合することが必要」


 うへぇ、と才人は舌を出す。



「想像できたら、また二乗呪文ラインスペルの場合を考えて」


「またか?」

「また」


 素直に従った才人は、相変わらず手を休めないまま二乗呪文ラインスペルの工程を想像してみた。



「……あれ?」



 するとどうしたことか、先ほどよりもすんなりとソレを想像イメージすることが出来、才人は首を傾げた。


「あなたは次に、"なんだ簡単じゃないか"と口にする」

「なんだ簡単じゃないか……、へ?
 今、なんか言ったか、タバサ?」


「……なにも」


 そうかね、と才人が手元の肉に視線を戻すと、その骨付きのモモ肉はじゅーしーな脂あぶらを滴らせながら、こんがりと焼きあがっているように見えた。



「ぉ、もういいか。
 そんじゃタバサ、キュルケ、ついでにギーシュ。飯にしようぜ?」


 才人はクランク状の青銅串から骨付き肉を外すと、対岸の二人の醸していた空気を読まずに、名々めいめいに手渡した。

 ちなみにその他使い魔の面々は、既に食事は終えていたりする。


 そのまま「いっただっきまーす」と才人が自分の分に齧かぶりつき、タバサがはもはもと先端から口に運ぶのを見て、ギーシュとキュルケは先ほどまでの空気を忘れる事にした。





「あら、美味しい」

「ふむ。よく身が締まっていてサッパリしているわりには肉汁が濃いね。
 しつこくもないし、いくらでも入りそうだが……、こりゃいったい何の肉だい?」


 キュルケとギーシュがそれぞれ肉を食しての感想を溢した。

 才人は、それに応えて曰く。



「鳥肉だよ、鳥肉。……こっちの鳥も、結構いけるもんだな」


 サラダもあるぞ? と、少し青くなった二人に才人が青銅の大皿を差し出して。

 それからしばらくは、はもはもはもはもと咀嚼そしゃく音だけが辺りを支配していた。


 ちなみにサラダは、タバサが中庭の一角で調達した食べられる野草やハーブに、キュルケが出掛けの食堂からこっそりボトルごとくすねてきた青いソースを掛けただけのものだ。

 野草は苦い味のものが多かったが、それでも肉には合った。


 ギーシュが捏こねた青銅製の調理具を才人が"使"い、キュルケの火で調理をし、タバサが付けあわせを採集してくる。

 ここ一週間はそんな食事がずっと続いていたわけだ。



 勿論、食材は現地調達。

 鳥肉の出処など、言うまでもあるまい。







 和んだような胃が痛いような食事の後、キュルケは再び地図を広げだした。


「お、おい。まだ諦めないのかい?」

「流石にそろそろ、学院に戻らないとマズイんじゃ――」


 それをたしなめようとしたギーシュと才人に、キュルケは若干血走った目をギロリと向けた。



「こんな何の収穫もないままで、引き下がれるハズないじゃない」

「しかしだな……」


「あと一件だけ。一件だけよ」


 昨夜もそう言ってここの地図を抜き出したのだが、そんなことは最早キュルケには関係ないことだった。

 拡ひろげた多くの地図の中から、勘と直感フィーリングのみで一番それらしいものが存在しそうな財宝を探り出し。


 ――そしてその地図は選び抜かれ、乱暴に手を叩きつけられた。



「これ! これよ!
 これでダメなら、学院に帰ろうじゃないの!」


「今度は、なんというお宝だね?」


 キュルケは腕を組み、眼前に掲げたその地図を鋭く見据えながら、呟いた。



「『竜の羽衣』。地図によると……、タルブ領の村近くにあるらしいわね。
 タルブってどの辺りなの、ギーシュ?」

「タルブ領かね。
 確か、ラ・ロシェールの山を越えた辺りだったように思う」


 ギーシュがそう応えると、キュルケは軽く頷いて、地図を丸めた。



「ラ・ロシェールなら、ここから近いわね。
 それじゃあ明朝、日の出を待って出発しましょ」









 さて。


 場面は移って、こちらは魔法学院。


 ルイズは相変わらず授業を休み、ベッドの中に閉じこもっていた。

 それでも食事を摂るようになったのと、入浴をしに一階へ降りるようにはなっただけ、一時いっときに比べれば随分とマシにはなったようだ。



 それは、キュルケが部屋を訪れた日の夜のこと。

 夕食を運んできたメイドが第一声で謝ってきたせいか、意地を張るのがバカらしくなったためだったりするが……、その周辺イベントに関してはまた別の話で。



 その翌朝には、才人のことも許してあげようかと思った。

 才人が授業に変わらず出ていることは聞いていたので、その日は午前中から授業に出た。


 『風』の授業だった。

 才人はいなかった。


 いや、才人どころか、キュルケも、タバサもいなかった。



 昼食の後、たまたま出くわした不機嫌そうなモンモランシーに、才人がどこへ行ったかを尋ねてみると。

 なんでも、ギーシュとキュルケ、それにタバサと才人が今朝から姿を消しているらしい。

 各々の使い魔たちも同様であり、タバサの部屋には老オスマン宛ての書状が一通残されていた。


 曰く、『一攫千金に行ってきます』だとか。

 それを読んだ老オスマンは莫迦笑いし、カンカンになった先生たちを宥なだめながら『2F大ホールの大掃除』を罰として提案したそうだ。



 なんだ、楽しそうじゃないの、と。


 ソレを聞いて、取り残されたような気分になったルイズは、午後の授業をフけ再びベッドに引き篭もった。

 以来一週間、入浴以外はベッドにうつぶせて泣き明かす日々である。



 そうして今日も夜になり、入れ替わり立ち代りメイドが定期的に部屋を訪れる、いつもと変わらない一日が終わる。



 かに見えた時。

 いつもとは違う、今宵二度目のノックが部屋にこだました。

 何かあったのかと思い、ドアが開いていることを告げると、はたして扉は開かれた。



「失礼するよ、ミス・ヴァリエール」


 あわせて聞こえた、聞き覚えのあるその声に、ルイズは驚いた。

 続けて、寝巻きのままであったことを思い出し、慌ててガウンを羽織るとベッドから下りる。



「体の具合はどうじゃね?」


 心配そうな声色で訊ねられたルイズは、気まずそうに声の主――老オスマンに正対した。



「……ご心配おかけして申し訳ありません、老オールドオスマン。

 別段、たいしたことはありません。
 ちょっと、気分が優れないだけです……」


 老オスマンはそれに安心したように顎鬚をひとなですると、椅子を引き出して腰掛けた。



「きみが随分と長く休んでいると、耳にしたものでな。
 ちと心配になったが……、うむ、顔色は悪くないようで何よりじゃな」


 ええ、と相槌を入れたルイズも、対面の椅子を引き出し腰掛けた。



「詔みことのりはできたかの?」


 何気なく放たれたその質問に、ルイズははっとさせられた。

 今の今、老オスマンがそれを口にするまで、詔みことのりのことなど宙に消えていたのだ。



「その顔を見ると、まだのようじゃな」


 叱られているかのように、ルイズは面おもてをしゅんと伏せた。



「申し訳、ありません……」

「なに、式はまだ二週間も先の話じゃ。
 ゆっくり考えるがよかろ。
 何分、そなたの大事な、ともだちの式なのじゃから。
 念入りに言葉を選び、祝福してさしあげなさい」


 ルイズは頷き、そして自分が自分のことばかりを考えていたことを恥じた。

 姫様が自分との友情を大切に思って、巫女の大役を与えてくださったのに、それを忘れてしまうとは何事か……、と。



 ルイズの表情が引き締まったのを見てとった老オスマンは、一頷きすると椅子から立ち上がった。

 そうしてドアまで歩いていき、ノブに手を掛けたところで、思い出したように声をかけてきた。



「のう、ミス・ヴァリエール」

「はい?」


「使い魔の少年とは、何かあったのかね?」


 ルイズは長い睫毛を伏せると、そのまま黙り込んでしまった。

 ふふぉ、と老オスマンは微笑みを浮かべ、顎鬚を撫でる。



「のう、ミス。若い時分は、ほんの些細なことでもケンカになるものじゃ。
 若者が妥協することは、星空を足元に見るくらいに困難なことじゃからのぅ。
 そうしてケンカを繰り返しながら、自ずと他人との距離を学んでいくものじゃが……。

 時としてその皹ヒビは、修復がなされないままに亀裂と化すこともある。
 そうならぬよう、充分じゅうにぶんに気を使うことじゃな」


 ふぉっふぉっふぉ、と一笑いして部屋を立ち去る老オスマン。



「……些細なことなんかじゃ、ないもん」


 その指に嵌った水のルビーを所在なさげに撫でていたルイズは、そう負け惜しみの様にポツリと呟いた。




 そう、些細なことなんかじゃなかったはずだ。

 そのはずなのだ、と自分に言い聞かせながら、随分と久しぶりに自分の勉強机へと向かった。


 その机の上には、最後にこの机を使った時と変わらず、『始祖の祈祷書』がある。

 何の役にも立たない白紙のソレを儀礼的に開き、目を閉じた。


 よりよい詔みことのりが浮かぶよう五感を無視し、精神を己の内へと収束する。



 だが、その行動には一つの問題があった。


 漠然と『よりよい詔みことのり』などという定義の仕方で、本当にそれを己の内から引っ張り出せるであろうか?


 その答は、詩うたの女神によほど愛されていない限り、否であろう。

 凡人が韻文を生み出そうとする際には、もっと明確な心の骨組みが必要なのである。


 だがルイズは、『姫様アンリエッタのために、精一杯素敵な詔みことのりを考えなければならない・・・・・・・・・・』と、極めて漠然とし、かつ義務的なイメージを持ってこれに挑んでいた。


 これでは韻文的な文章など思い浮かぶはずもない。

 詞ことば造りには余裕も必要なのだ。


 ゆえにルイズは当然の帰結として、15分ほどして目を開き集中を解いた。

 無論、よりよい詔みことのりなど望むべくもない。

 ルイズは溜め息を一つ吐くと、何気なく『祈祷書』に目を落とした。




 そこにはなんらかの文章が、古代魔法語ルーンらしき文字で綴られていた。




「……えっ?」


 長く瞑つむっていたことで若干ぼやけていた目を力強く擦り、もう一度『祈祷書』をまじまじと見つめた。


 そこにはそれまで・・・・となんら変わること無く、ただ色褪せた羊皮紙があるだけだった。



「……疲れてるのかしらね。まさか、幻覚なんか見ることになるなんて」


 それもこれも、みぃんなサイトのせいよね、と。

 疲れたような呆れたようなよくわからない溜め息をこぼすルイズの姿だけが、そこにはあった。





 
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