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魔法使い×あさき☆彡

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第五章 仲間


     1
 魔道着を肌に馴染ませるため、くいくいと小さく腰を捻り、そして右、左と拳を突き出した。
 腰の剣を取り、両手に持って振りかぶると、

魔法使い(マギマイスター)アサキ!」

 振り下ろしたその姿勢で、名乗りを上げた。

「おーー、様になってきたじゃんかよ」

 先に変身を済ませている、青い魔道着姿のカズミが、ちょっとからかうような口調でばちばち手を叩いた。

「ん?」

 笑み浮かべ、首を傾げているアサキ。

「なんだよ、気持ち悪い顔して。なにが『ん?』だよ?」
「王様に、なってきた?」

 笑顔が変化して、眉を寄せて真剣に考え込んでいる表情になった……ところへバシーーッとモンゴリアンチョップが炸裂した。

「あいたーーーっ!」

 モンゴリアンチョップ、いわゆるプロレス技である。
 両手で、斜めから挟み込むように、手刀を叩き下ろす技だ。
 技の発明者はキラー・カーン、本名は小沢正志、もちろん日本人、新潟出身のプロレスラーである。

 キラー・カズミは、うおおおおと吠えると、さらに殴り掛かる。

「そういう、今どき誰も笑わないような、古いボケはいらねえんだよ! お腹がスイカ的なギャグは! 昭和三十年代の小学生かあああああああ!」

 べひべひべひべひ、魔道着によりパワーアップした燃える炎の輝くビンタで、アサキの右の頬、左の頬、右、左、べひべひべひべひ。
 情けもなければ容赦もない。
 カズミの手のひらが残像を描きながら、唸る唸る、炎に燃える。

「痛い痛い痛い痛い! なんで殴られてるのか意味が分からないよおおおお!」
「うるせえ、まだまだ殴り足りねーーーーっ! だけど戦いの前だから、これくらいで許してやる」

 無益な争いの後に残るは、すっかり赤く腫れ上がったアサキのみっともない顔。

「うええええん。こんな殴られて、これくらいもなにもないよおお」
「よおし、それじゃあこれで全員変身完了だな」

 カズミは幼児のように泣き喚くアサキを完全無視で、リストフォンに表示されているヴァイスタの位置を改めてチェックした。
 チェックしていくうち、段々と目が点に……

「九、十……十二匹かよ! はあああああ? 多過ぎだろ! やっぱりヴァイスタが魔法使いの成れの果てなんて嘘だよ、足りねえもん。……さて、こんな量が相手じゃあ……どうする? また分散させて戦うか?」

 ちらり、と(はる)()の顔を見る。

「いや、ここはむしろ、まとめてしまうのが得策じゃろ。あの辺り狭いところがあるけえね、上手く生かして戦えば、各個撃破といわんまでも、取り囲まれんで済むからの」
「了解だ! そうと決まったら、いくぜえええっ!」

 カズミは、大声を張り上げると、走り出した。
 昼の異空、青の反転した、くすんだオレンジ色の空の下を。

「とっととぶっ倒しちゃって、柏に遊びに行くぞーーーーっ!」

 と、(なる)()も甲高い声を張り上げながら、カズミの背中を追う。

 その後を、残る三人も。

 色調の反転し、見えるもの全てがねじれ歪んだ、瘴気に満ちた異空の中を。

 ヴァイスタを倒すために。
 世界を守るために。

     2
 ごすり

 ごすり

 聞き覚えのある、不快な音。
 湿って腐り掛けた巨木を、吊るしてすり合わせるかのような。

 アサキの脳内に、しっかりこびりついている、忘れたくとも忘れられない、誰もが生理的嫌悪感を催すであろうおぞましい音。

 角を曲がったところで、その記憶に間違いのないことを確信した。

「やっぱり……」

 住宅街の狭い道路を塞ぐように、一体の、全身ぬめぬめとした真っ白な巨人が立っている。

 ヴァイスタである。

 外見特徴の一つである、にょろにょろとした長い腕を、ムチのように振るって、空間を、異空と現界の境を、殴りつけている。

 脳に直接響く不快な音は、それによるものだ。

 ということは、現在その向こうにいるのは……
 アサキは目をしっかりと凝らした。

 ヴァイスタが執拗に殴っているのは、空間である。
 魔力の目を凝らすことで、アサキたちにもはっきり見ることが出来るが、透明ビニールを何枚も何枚も重ねたような感じである。
 透明だけども、重なり合いのために濁っていて、その向こう側にあるものが、見えそうで見えない。

 だけど、さらに目を凝らすと、なんとなく分かる、ぼんやりと見える。
 小学高学年くらいであろう、水色のランドセルを背負った女の子の姿が。

 ヴァイスタの姿など見えていないはずだが、なにかしらの気配、不安を感じているのだろう。
 女の子は足を止めては、しきりに、きょろきょろと見回している。

 このビニールのような膜の、単なる反対側ということではなく、同じ座標だけれども違う空間、つまり現界(異空にとっての異空)に、その女の子はいるのだ。

 このヴァイスタは、異相空間の境層を何度も殴り付けることで、脆い箇所を探り、破ろうとしているのだ。

 アサキの脳裏に、数ヶ月前に経験した嫌な記憶が蘇る。
 なんの力もない、ただの少女として、この異空に連れ込まれた時のことを。

 (あきら)()(はる)()が助けてくれなかったら、自分は現在ここにいない。

 この女の子を、あんな怖い目に遭わせるわけにはいかない。

 ぎゅっ、とアサキは力強く、両方の拳を握った。
 その隣で、

「群れからはぐれた一匹っぽいな。んじゃ、あいつから倒すかあ」

 場慣れしているためか、少しのんびりムードのカズミ。
 先ほどあんなに、数が多過ぎるだろうと文句をいっていたのに。
 だが……

 ごば

 音。
 硬く巨大なゼリーの中へと手を突っ込ませた、といえば近いだろうか。

 それは、破られた音であった。
 異空と現界の境が。

 薄いところが破られて、穴が空き、その中にヴァイスタの太く長い腕が吸い込まれていた。

「やべ!」

 舌打ちしながら、両手のナイフを素早く構え、走り出そうとするカズミ、

 の、脇をアサキが駆け抜けていた。
 おおおお、と雄叫びを上げながら。
 ヴァイスタへと向かい、走りながら剣を抜いた。

 にちにちと粘液質な音を立てながら、ヴァイスタが現界との境へと突っ込んでいた腕を引き抜くと、

 どさり、

 ランドセルを背負った女の子が、色調の反転した白いアスファルトへと落ちて、くっと呻いた。

 顔を上げ、目の前にいる真っ白な巨人の姿を認識した女の子は、張り裂けんばかりに口を開き、街中に届かんばかりの凄まじい悲鳴を上げた。
 だが、悲鳴半分で、女の子は喉が詰まったかのように苦しみ悶え始めた。

 首に、ヴァイスタの腕が巻きついていたのである。

 ぬるぬるしているとはいえ、触手のような長い腕をくるり一周させて、がっちり固定させた状態で締め上げているのだ。
 ただの人間、しかも小さな女の子が、どうしてたまろうか。

 このまま一瞬にして首の骨を砕くことも可能なのであろうが、しかしヴァイスタは、少しずつ力を込めて行く。
 完全に絶望させてから食らうために、ということなのだろう。
 それがヴァイスタなのである。
 だが、

 そうはさせない!

 と、アサキは、ヴァイスタの背中へと自らを突っ込ませた。

「その手を離せええええええ!」

 雄叫び張り上げながら、体当たり。
 突っ込む勢いをまったく殺すことなく、自分の肩をヴァイスタの背というか腰の辺りへとぶつけた。

 だが、ヴァイスタの巨大な身体は、ぴくりとも揺らぐことなく、ぼよん、とした弾力に、アサキの勢いは、ただはね返されただけだった。

 踏ん張り、右手の剣を背中へと叩き付ける。
 焦るあまり、魔力を込めるのがおろそかになってしまい、これもまた弾かれるだけだった。

 振り向くこともせずにただ女の子の首を締め続けるヴァイスタであるが、しかし、認識はしているのだろう。
 アサキのことを。
 鬱陶しい存在であると。
 直後、ヴァイスタの空いている方の腕が、音もなくアサキを襲ったのである。

「ぐ」

 アサキの呻き声。
 顔を、苦痛に歪めた。

 左の二の腕、ちょうど防具のない部分の皮膚が、ざっくりえぐられており、どろりと血が垂れた。

 ヴァイスタの、腕の先端にある無数の牙に、腕の肉を食いちぎられたのである。

 腕を一本、持っていかれてもおかしくなかった。
 無意識に避けはしたものの、完全にはかわし切れなかったのだ。

 また、二本の触手が、大蛇となりアサキを襲う。

 剣を両手に持ったアサキは、下から跳ね上げた。
 そのままヴァイスタの脇を駆け抜けて、女の子の首を締めている太く真っ白な腕に、

「やあああ!」

 大きな声で叫びながら、剣を振り下ろした。
 早く助けないと、という焦りのため、またも魔力を込め切ることが出来ず、両断することは出来なかった。
 だが、締めつける力が緩んで、その隙に女の子の腕を掴んで引っ張り出すことが出来た。

 女の子は、青ざめた顔のまま、げほごほとむせている。

「もう、大丈夫だからね」

 アサキは女の子に、柔らかな笑顔を見せた。
 本当は怖いけど、ちょっと無理をして。
 腕の怪我、泣きたいほど痛いけど、ちょっと無理をして。

「アサキチ、やるじゃねえか!」

 狭い道路、ヴァイスタを挟んだ反対側で、カズミがガッツポーズを取った。
 弟子の成長が嬉しい、とそんな顔である。
 本人に聞いても、そうとは認めないだろうが。

「アサキちゃん! そいつとはうちらが戦うけえ、女の子を現界へ戻してあげてくれる? 記憶の消し方は、分かる?」

 治奈の叫び声に、アサキは頷いた。

「前に、教えて貰ったから!」
「怪我、治してからきてな」
「分かった! ……それじゃ、行くよ」

 アサキは右手で、女の子の左手をしっかり握りながら、左腕を立ててカーテンを開くように横へ動かした。

 一歩前へと足を出すと、そこにはよく知った住宅街があった。

 歪んでおらず、色も普段通り。
 青い空に、
 輝く太陽、
 爽やかな風。

 現界である。

 アサキは、太陽の眩しさに目を細めた。

「あれ?」

 女の子が怯えと疑念の混じった表情で、きょろきょろ周囲を見回している。

 そうもなるだろう。
 ほんの数十秒前には、万物おぞましく歪んだ瘴気漂う世界で、顔のない巨人に首を潰されかけていたのだから。

 アサキも、素早く首を動かして周囲を確認した。
 魔道着姿のままなので、誰かに見られることのないように。

 誰もいないことを確認すると、アサキは女の子に微笑み掛けながら頭の上に軽く手を乗せた。

 その笑みは、少し寂しげだった。

「ごめんね」

 アサキは謝った。
 これから、この女の子の記憶を消すことに対して。

 ヴァイスタに引き込まれ襲われた、この数分間の記憶を消すだけ。
 でも、ほんの僅かのこととはいえ、記憶を消すことに変わりはない。

 記憶というのは、本当は誰かにどうこうすることなど出来やしない、してはいけない、その人間を作り上げる大切なものだと思っている。
 だからアサキは、この子を救うためとはいえ、ちょっと寂しい複雑な気持ちになっていたのだ。
 必要悪と割り切るしかないのだろうが。

 あれ……
 わたしも小さな頃にヴァイスタに襲われて、魔法使いのお姉さんに助けられたことがあるけど、どうして記憶を消されなかったんだろう。

 それだけじゃない、
 わたしは、どうして記憶を消すことに対して、ここまでの嫌悪感があるんだろうな。

 こんな恐怖なら、忘れた方がいいに決まっているのに。
 どうして……
 まあ、いいか、そんな話は。
 いまは戦いの最中なんだ。
 ヴァイスタを倒さなくちゃあ、この子の記憶どころか世界そのものが消えてしまうのだから。

「ごめん」

 もう一度、囁くようにいうと、

「フェアギス」

 呪文を唱えた。
 その効果で、女の子が、とろーんとした表情になった。

「怖い思いさせちゃってごめんね。もう誰もあんな目に遭わないで済む世界、いつか絶対に作るから」

 そういうと、リストフォンをはめた左腕を立てて、瘴気溢れる異空へと再び入り込んだ。
 青い空から、一瞬にしてくすんだオレンジ色の空へ。

 真っ白い色をしたアスファルトの上に、アサキは立った。

 歪んだ住宅街には、誰の姿もない。
 治奈たちがいたはずであるが、きっとヴァイスタを倒して昇天させ、先へと進んだのだろう。

 リストフォンを見て、みんなの位置を確認すると、予想通り、みな先に進んでいる。
 浅野谷九号公園の付近で、ヴァイスタと交戦中のようだ。

「急がなくちゃ」

 ぼそり口を開くと、誰もいない捻じれ歪んだ住宅街の中を走り出した。
 肉を噛みちぎられた左腕の、ずきずきとする痛みを堪えながら。

     3
 裏をかかれた。
 ということだろうか。
 それとも偶然、不運。

 間違いなくいえるのは、彼女ら、カズミたちが明らかに不利な状況に追い込まれているということ。

 敵を一箇所に集め、狭い地形の箇所を上手く利用することで囲まれないようにして、一点集中で少しずつ減らしていこう、そのような作戦だったのに。
 反対に、ヴァイスタの方こそが、巧みに地形を利用している感じだ。

 アサキは現在、戦場になっている公園の少し手前にある、小高い丘状の地形に、一人、立っている。

 女の子を現界に送り届けた後、戦場へ向かう途中、戦っているカズミたちの姿が眼下に見えたので、ここで少しだけ足を止めて、負傷した左腕を治療しつつ様子を見ているところだ。

 十体ほどのヴァイスタと、
 分散させられ、地の利も占められ、なんとか頑張っている(はる)()、カズミ、(せい)()(なる)()の四人。

 ヴァイスタへの攻撃は致命傷でなければなんの意味もないというのに、相手の方こそが地形を生かし、なおかつ連係で庇い合っており、治奈たちはまともな攻撃をさせて貰えない状況だ。

 地形云々というだけではなく、この連係に見られるようにヴァイスタ自身もまた強くなっている気がする。
 アサキは焦れた表情で、拳をぎゅっと握った。

「みんなのフォローをしないと」

 自分ごときに大局を左右する力はないし、それどころか足手まといになることも多いけど……
 でも、そんなことはいっていられない。
 やれること、出来ることを、やらないと。

 ある程度、左腕も治癒したし。

 とん、と飛び降り平地に降り立ったアサキは、ぐにゃぐにゃねじくれている、色調が反転して真っ白なアスファルト道路を走り出した。

 角を折れると、先ほど高いところから場所を確認した通り、真っ直ぐ伸びている通りの向こうに、ヴァイスタと戦っているカズミの姿が見えた。

「カズミちゃん!」

 速度落とすことなく腕を振り走り続けながら、大きな声で名を叫んだ。

「おう、アサキか!」

 激しい戦いの最中、余裕の笑みを浮かべようとするカズミであったが、次の瞬間、彼女の顔から笑みは失われ、次にその口から出たのは、

「あぶねえ、よけろっ!」

 絶叫にも似た大きな声。

 その声と、ほとんど同時であった。
 アサキの横から、ぶうんと唸る音がしてなにかが振り下ろされたのは。

 ヴァイスタの、長い触手状の腕であった。

「うわ!」

 間一髪、アサキは飛び退いてかわしていた。
 とん、と着地すると、身構えヴァイスタを睨み付ける。
 睨みながらも、胸の中ではほっと安堵のため息を吐いていた。

 危なかった。
 油断をしていたわけではないのだけど。
 カズミちゃんが教えてくれなかったら、どうなっていたか。

 しっかり礼をいいたいところだが、そういう状況ではなくなっていた。ではないどころか、かなり深刻な状況へと追い込まれていた。
 狭い道を、二体のヴァイスタに前後から挟まれていたのである。

 一体の腕が、再びムチのごとくしなって、アサキを襲った。

 アサキは咄嗟に、腰から抜いた剣のひらで受けていた。
 がつっ、と重たい衝撃が剣を通して腕を、全身を走る。

 その凄まじい衝撃に、アサキの足元の地面に亀裂が走っていた。

 彼女らがよく「にょろにょろ」と呼んでいる、触手に似たヴァイスタの長い腕。あまりに長いため目立たないが、実は丸太のように太くもある。それをしならせ振り下ろすのだから、破壊力如何ほどか想像出来るというものであろう。

 びりびりと、足に痺れを感じながらもアサキは、本能的に飛び退いていた。
 コンマ何秒かの差で、そこへ二体から突き出される触手が突き刺さっていた。

 息つく暇もなく、さらに次の攻撃がアサキを襲う。

「アサキチ! こいつら倒してすぐそっち行くから、持ちこたえろ! 死ぬんじゃねえぞ!」

 声を張り上げるカズミであるが、しかし彼女も、より強力になったヴァイスタに相当な苦戦をしているようで、言葉通りの余裕などはないこと明白だった。

 アサキは、脳内の意識と無意識を総動員して、気力感覚を研ぎ澄ませて両手の剣を振り、なんとか二体の攻撃を避け弾きながら、考えていた。
 やっぱり、この場は一人で打開してみせるしかないか、と。
 そうだ。
 なにも倒す必要はない。
 ここを切り抜けて、みんなと合流さえ出来ればいいんだから。
 難しいことじゃないはずだ。

「いくぞおお!」

 粘液に全身を被われた白い巨人へと、叫びながら剣を振り上げ、挑み掛かる。

 ヴァイスタの胴を狙ったものであるが、だが、その攻撃は最後までやり切ることは出来なかった。
 生じた僅かな隙を突いて、待ち構えていたかのようにもう一体のヴァイスタが触手を突き出して来たためである。

 突進に待ったを掛けたアサキの目の前を、ヴァイスタの腕が槍のように伸びて、胸をかすめる。

 ガカッ、
 と砕ける音がして、胸の防具の一部が欠けてしまっていた。

 もし無理に突破しようとしていたら、身体の脇を貫かれて生命がなかったかも知れない。

 きっと、こっちが突破したい気持ちを逆手にとって、わざと狙いどころ、隙を作って、そこへ追い込もうとしているんだ。
 強行突破を図ろうものなら、このようにこちらこそが致命的な怪我を受けることになりかねないし、だからといって、こちらが手をこまねいてなにもせずとも、それこそ二体のヴァイスタは容赦なく攻撃を仕掛けて来る。

 もう、自分に当面のところの選択肢はなかった。
 仕掛けることも逃げることも出来ず、ただ防戦一方で耐え続ける。
 それ以外に、出来ることはなかった。
 カズミたちがなんとか活路を切り開いて、ヴァイスタを倒して駆けつけてくれるのを信じて、待つしかなかった。

 丸太のように太く、だというのにムチのようにしなやかにしなる、長い触手のような腕。
 剣で受け、押し返すたびに、身体が削られるかのような衝撃を受ける。
 でも、じっと耐えるしかない。

 頑張れアサキ!

 と、弱気になる自分の心を励ますアサキであったが、気持ちだけでどうにか出来るものではなかった。

「うああっ!」

 苦痛に顔を歪めた。
 ぎ、と歯を食いしばり、ヴァイスタを睨みつけた。

 避け損ない、触手の先端にある無数の牙に左腕を噛み付かれたのである。
 先ほど応急処置をした左腕を、再び。

 噛みつかれたまま、ぐん、とそのまま身体を引っ張られるが、なんとか剣を右手だけ振るって、触手へと叩き付けた。

 先ほどは焦るあまり魔力を込め切ることが出来ず、全力で剣を振るおうとも弾かれるだけだったが、今度は僅かながらの覚悟が生じたこともあり痛みの中でも魔力をそこそこ込めることが出来て、見事ヴァイスタの触手がスパッと切断されていた。

 ぼとりと落ちた触手の先端は、すぐにひからびて砂になって消えてしまったが、ヴァイスタ本体の腕からは、じくじくと白い粘液が垂れて、もう再生し掛かっている。

 そう、ヴァイスタは致命傷を与えない限りまるで意味がない。
 少しずつダメージを与えていく、という戦い方が通用しないのだ。

 時間を掛けるほど、反対にこちらばかりが奪われていく。
 体力、魔力、気力、すべての力が。

「やっぱり……」

 強引に、突破するしかないのか。
 一か八かだけど。
 でも、このままじゃあ……

 決心したアサキは剣を構え、たん、と一歩踏み込んだ。

 ぶん、と伸びるヴァイスタの攻撃を、剣のひらで受け止めつつ、返す剣先を胴へと叩き付けた。

 いまだ!

 剣先を叩き付けたその瞬間には、斜め前方へ飛ぶように、ヴァイスタの脇を抜けていた。

 いや、
 その瞬間を待ち構えていたかのように、もう一体が二本の触手を同時に振るった。
 まともに受けて、アサキの身体は横殴りに吹っ飛ばされていた。

 紙くずのように実に軽々と飛んだアサキであるが、もちろん実際には何十キロという体重があるわけで、その勢いで、壁に頭と身体を打ち付けたならば、これがどうしてたまろうか。
 意識を失いかけたアサキは、崩れ、ずるずると、地へと落ちた。

 魔道着の効果か、アサキの精神力か、かろうじて意識を保ち、地を蹴り横へ飛び、ごろんと転がった。
 次の瞬間、アサキがもといたところに、ヴァイスタの真っ直ぐ伸びた槍状の腕が、壁を穿ち、突き刺さっていた。

 もしもアサキがあっさり意識を失っていたならば、既に生命はなかっただろう。

 助かった。
 と、いえるのかどうか。
 だって……

 はあはあ息を切らせながら立ち上がるアサキであるが、立ち上がり切る前にがくりと膝が崩れていた。
 ダメージの蓄積に、もう身体がボロボロなのだ。

 なにもせずとも勝手に治癒して行くヴァイスタと違い、魔法が使えるとはいえ人間の身、休まないことにはいつまでも戦い続けることは出来ない。

 これ以上は、もたない。
 分かっているけど、なら、どうすればいいのか。

 打つ手がない。

 でも、
 でも……

「こんなところで、やられてたまるかああああ!」

 自暴自棄になるつもりはない。
 だけど、まず自分の気持ちに勝たなければ始まらない。

 そう思い、雄叫びを張り上げ、剣を振り上げた。

 と、その時である。

 カッ、

 と、どこから生じたのか眩い閃光に、周囲が真っ白になった。

「なっ、なに?」

 アサキが眩しさに目を細め、手を額にかざした瞬間、その眩いモノの正体であろうか、なにかが目の前を横切っていた。

 眩しくてなにも見えないが、まるで天馬が空を疾走しているかのような感覚を、アサキは抱いていた。

 二体のヴァイスタの間を、その光が、天馬が、通り過ぎる。
 光の密度に胸を強く弾いたか、二体とも、後ろに倒れそうになり、身体をよろけさせている。

 なんだったんだ、と思うよりも早く、アサキはその隙を突いて、ヴァイスタによる包囲網を突破していた。

 といっても、きた方へ戻る道しか空いておらず、カズミたちへ合流するには反対方向。
 だが、このまま殺されるよりはマシだ。

 疲労の中を、走り出す。
 謎の光が通り過ぎて消えた方へと、迷わず。

 別にその光を追おうとしているわけでない。
 こちらしか逃げる方向がないだけだ。

 少し道を進んだところで、なにか拳大の小さな物が、道路の真ん中に落ちているのに気が付いた。
 銀色のプラスチックで覆われた、機械のようだ。

「なんだろう?」

 ひょっとして、さっきの光の主が落とした?
 拾い上げてみると、テプラーが貼ってあり、なんだか小学生女子が書いたかのような丸い字で「ファームアッパー」と書いてある。

 ファーム、アップ?
 え、これっ、もしかしたら……
 リストフォン大好きな現代の女子中高生なら誰でも知っている、あのファームアッパーのことか?

 通信回線を使わず、接触させるだけでバージョンアップが出来る機械らしいが、そもそも通信をするのがリストフォンなので必要性をまったく感じず、一度も使ったことがない。

 それが何故、こんなところに落ちているのだろうか。

 と考え込んでいるところ、背後に重たい足音を聞いて、びくりと肩をすくませ、振り返るともういちど肩をすくませた。
 二体のヴァイスタが、こちらへと追ってきているのだ。

 逃げ出すアサキであったが、立ち止まり、振り向いた。

「一か八かだあ!」

 叫ぶと、右手に握られているファームアッパーと思われる機器の、側面にあるスイッチを押した。

 ピー、と電子音。
 左腕のリストフォンと接触させた。

 真っ白な閃光が生じたかと思うと、魔道着がさらさら金色の粉のようになって空気へと溶け流れ、

 アサキは、一瞬にして、全裸になっていた。

「えっ、えーーーーっ!」

 叫びながら、手をわちゃわちゃ動かして、身体のあれやこれやを隠そうとする。
 顔を真っ赤にしながら、また叫んだ。

「余計なことするんじゃなかったああああああ!」

 クラフトはただのリストフォンじゃないのに……だからきっとクラフトが混乱しちゃったんだ。
 それで変身が解除されちゃったんだ。
 考えなしに、馬鹿なことをしてしまった。

 素っ裸のまま、身体を縮こませるようにしながら、走ってその場を逃げ出した。

 こ、こんな姿でっ、ヴァイスタと戦えるはずがないっ。
 仮に戦えようともっ、は、は、恥ずかしすぎて、戦えるはずがないっ。

 そんなアサキの思いなど関係無しに、ヴァイスタがずんずんとこちらへ迫って来る。

 真っ赤な顔でアサキは振り向き、余計に真っ赤になって前を向き直り、そして叫んだ。

「追ってこないでーーーっ!」

 恥ずかしいから!
 追ってもいいけど、せめて、見ないでええ!

 胸の内と外とに叫ぼうとも、聞き入れてくれるはずもないわけだが。
 ヴァイスタにとっては、秘める魔力さえ高ければ獲物は弱いほどよいのだから。これほど食らうに適した獲物はそうそうないというものだ。

 走るためにはもう隠してなどいられないが、でも、あまりの恥ずかしさに、やはり身体を縮こませながらでとても全力では走れず。
 そのためか、ヴァイスタが歩く速度の方が、僅かに速く、既にすぐ後ろ、もう追いつかれてしまいそうだ。

「も、もう……」

 もうダメだ。
 わたし、
 異空で、しかもこんな恥ずかしい格好で死ぬんだあ。
 なんだったの、この人生。

 と、諦め掛け、ちょっと、いやかなり情けない気持ちになっていた時である。

「え?」

 自分の身体が、金色に輝いていた。
 突然のことに、うわっ、と心の中で悲鳴を上げて、目を閉じていた。

 薄っすらとまぶたを開いたアサキは、驚きにそのまぶたを、かっと見開いていた。

 溶けて消えたはずの、白銀色の服や、黒いスパッツが、復活していたのである。

 それだけではない。
 いつの間にやら頭上に浮遊していた巨大な塊が、ぱあっとばらけて、胸、腕、足、次々に防具として装着されていく。

 先ほど、ヴァイスタに潰されヒビが入っていたすね当てであるが、直っているどころか磨き上げられたかのように綺麗になっていた。

 わたし……
 また、変身している?
 ファームアップが完了した、ということ?

 アサキはゆっくりと後ろを振り向いて、追ってくるヴァイスタと向かい合った。

 気が付けば、右手には剣が握られている。
 先ほど、服と一緒に消えてしまった剣が。

「な、なんかっよく分からないけどおおお!」

 アサキは地を蹴り走り出し、自らヴァイスタとの距離を詰めた。
 両手に振りかぶった剣を、斜めに振り下ろした瞬間、ヴァイスタの腕が切断され宙に舞い上がっていた。

 ガツンと引っ掛かるような重たい感触もなく、見るも簡単に切り落とすことが出来た。

 これが、ファームアップの効果?

 ヴァイスタの、残ったもう一本の腕が、槍のように突き出される。

 アサキは、剣のひらで受けつつ払い上げると、後ろへ少し跳んで距離を取った。
 ひらで受けた時に、これまでのようにガリガリ削られるような重たさをまったく感じなかった。
 やっぱり魔道着がパワーアップしている?

「もしかしたら……」

 わたし一人で、この二体を倒せるかも知れない。
 かも知れないけど、でも、そんなバクチをするよりも、カズミちゃんたちのところへ駆け付けたい。
 苦戦していたし、わたしを助けに行こうと無茶をしているかも知れないから。
 このファームアッパーで、みんなもパワーアップ出来るかも知れないし。
 それに、なにがどうであれ一人は怖い。早くみんなと合流したいから。

 剣を腰に戻したアサキは、ヴァイスタ二体の間を通り抜けようとする。
 攻撃のくること承知で、ファームアップした魔道着の力を信じて強引に。

 二体のヴァイスタから、ぬめる触手状の腕が、それぞれ突き出される。

 紙一重でその攻撃を見切ったアサキは、さっと両手を上げて、それぞれの甲でそれぞれの触手を弾いた。

 お互いの長い腕が絡み合っているその下を、身を低く飛び込んで、ごろり転がって抜けた。

 転がる勢いで立ち上がって、走る。
 走る。

 前へ。
 希望へ。

「アサキ!」

 青魔道着の魔法使い、カズミが両手にナイフを構えたまま、こちらへ走ってきた。
 アサキがピンピンしていることに対してか、びっくりした表情だ。

「カズミちゃん。助けにきてくれたんだ」

 アサキは笑顔を見せた。
 異空に入ってからそれほどの時は経過していないというのに、なんだか久しぶりに笑った気がする。

 カズミはちょっと演技めいた感じに、面倒くそうな表情で頭を掻きながら、

「しょうがねえだろ。……時間が掛かっちまってごめんな。しかしよく生きてやがったな」
「うん。わたしもよく分からないんたけどね、もう駄目だって時に、誰かに助けられたような気がして。……それだけでなく、こんな物が落ちていてね」

 右手に握り締めている物を見せた。

「クラフト専用のファームアッパーじゃねえか。なんでお前がそんなもん持ってんだよ?」
「だから、落ちてたんだってば! 一か八かってこれを使ったら、魔道着が直っちゃって、身体も軽くなって。それで、逃げることが出来たんだ」
「一か八かすぎだろ。……最新ファームは一斉リリースされるから、ベータ版か個別対策パッチかな。誰が落としたんだろうな。第二中かな。(よろず)(のぶ)()のバカとか」
「わたしが知るはずないよお」
「実は治奈が隠し持ってた物だったり。……ま、そんな話は後だ。みんな、お前を助けに行かせるために、あたしをなんとか送り出して、相当に苦戦しているはずだから、早く戻ってやらねえとな。……すげえ数だけど、このファームアッパーがあれば、打開出来るかも知れねえ」

 そういうとカズミは、アサキの手からぱっと奪い取った。

「あっ、そ、それっ、魔道着がっ……」

 溶けてしばらく素っ裸になることを説明しようと思ったのだが、もう遅かった。

 もう遅かったが、しかしカズミは、呪文を唱えて金色に輝く光のカーテン状の幕を作ると、小学生が水着に着替える時みたいにすっぽりと、かぶっていた。

「え?」
「よおし、ファームアップだ!」

 カチリ、という音。
 ふわふわなびく光の中で見えないが、カズミがファームアッパーを作動させたのだろう。

「えーーーっ! なっ、なっ、なあに、そうやって身体を隠すのおおお?」

 びっくり大口、間抜けな表情になっているアサキ。

「どう隠すかは勝手だけど。……お前、もしかして、路上で全裸になってたの?」

 ふわふわ揺れる光に包まれながらカズミが問う。
 アサキは無言のまま、身体をぶるぶる震わせながら、真っ赤な顔で頷いた。

「ここ、外なのに?」

 その言葉に、また、拳ぎゅっと握って恥ずかしそうにこくり。

 だって、あんな風になるなんて、知らなかったし。
 魔法使いの道具にあんなのがあるなんて、誰も教えてくれなかったじゃないかあ。

「現界だったら公然猥褻で逮捕されてたな。さすがのあたしも、外で素っ裸は無理だよ。凄えなお前、度胸あるというか羞恥心がないというか。そもそも、よくそんな小学生みたいな貧弱な身体で、平気でフルヌードになれるな」

 はははははっと冷たい笑い声のカズミ。
 単純に、からかっているのだろう。

「へ、平気じゃないよっ! 知らなかったんだからしょうがないでしょお! ひ、貧弱とか、関係ないでしょお!」

 蘇った恥ずかしさと、からかわれた悔しさで、ぎゅうっと両方の拳を握りながら詰め寄った。

「よおしっ、たぶんパワーアップしたっ!」

 ぱあーっ、とカズミを包む光が弾けて、中から先ほどと変わらずの青い魔道着が現れた。
 見た目は特に変わっていない。
 いや、すすけていた部分が漂白したように綺麗になっている。

「なんか軽くなったような気がするな」
「でしょ?」
「魔道着の見た目は変わってねえけど、身体から力が溢れるような感じで」

 自分の両手のひらを見ながら、ちょっとわくわくしたような表情のカズミ。
 追ってきている二体のヴァイスタに気が付くと、やはりというべきか吐く言葉は、

「よし、まずこいつら倒すぞ!」

 力試しをしたいのだろう。

「えーっ! 早く治奈ちゃんたちのとこへ行かないとお!」
「大丈夫。……あっという間に片付けられる気がする」
「でも……」
「大勢のヴァイスタのところでいきなり戦って、ファームに欠陥あったらどうすんだよ」

 単に戦ってみたい気持ちをはぐらかしているだけだろうが、とにかくそういいながら、両手のナイフを構え身を低くしながらヴァイスタへと飛び込んでいた。

「もう!」

 不満の声を上げながらも、アサキも飛び込み、もう一体のヴァイスタからぐんと突き出される触手を剣で跳ね上げカズミを守った。

 一人で二体を相手にしていた時に、散々この連係に苦しめられていたからこそ、しっかりタイミングを読むことが出来たのである。

「サンキュウ!」

 懐に入ったカズミは、

「でやああああああ!」

 低い位置で両手を交差させ、ヴァイスタの腹をエックス字に切り裂いていた。

「まだまだあ!」

 二本のナイフを突き立てながら、真上へと跳び上がり、宙でくるんと回転、今度は背中を切り裂きながら着地した。

 ズタボロにされたヴァイスタは、そのまま動かなくなった。

「昇天は後だ。二人で残り一匹をやるぞ!」
「挟み撃ち?」
「いや、ジェットハリケーンアタックだ! 先にいけアサキ!」
「よく分かんないけど分かったっ!」

 たた、っと地を蹴りヴァイスタへと飛び込むアサキ。

 背後にぴったりカズミがくっつく。
 と、突然、目の前のアサキが転んで、その背中を踏み付けてしまう。

「むぎゃ」
「うおっ!」

 引っ掛けられて、カズミも一緒に転んでしまった。

 好機到来、二人まとめて串刺しにしようと、ヴァイスタの右腕がぐんと、アサキに乗っているカズミの背中へと突き出された。

「あぶねっ!」

 ごろん、カズミは素早く、アサキの背中から転がり逃げた。

「ぎゃーーーーーー!」

 突然、視界が開けたアサキは、自分へと突き出されてくるヴァイスタの腕に悲鳴を上げながら、咄嗟に手でぱしりと払い、払ったその勢いで転がり逃れた。
 立ち上がりながら、

「カズミちゃん、急に避けないでよーーーーーーっ!」
「お前が転ぶのが悪いんだろおおおお! いい加減にそのドジ直せよ! よく一人で死なずに生き残れたなあ!」
「ひ、ひ、一人の時はあ、ちゃんと出来てたんだからあ」
「じゃあ一人じゃない時もちゃんとしろよ! つうかちょっといわれたくらいで、いちいち涙目になってんじゃねえよバーカ!」
「なってない!」

 と、そんな喧嘩をしているアサキたちに、ぶんぶんとヴァイスタから二本の腕が突き出された。

 完全に油断をしている二人の身体へ、触手腕の先端が貫いて……いや、その触手の先端は、二本ともが、くるくると宙を舞っていた。

 アサキの剣と、カズミのナイフが、それぞれ切断していたのだ。
 
「油断のふり作戦、あたしの考えてること分かるようになってきたじゃんか」

 にやり笑うカズミ。

「不本意だけどね」
「なんだとこのお! こっちがお前の脳味噌レベルに合わせてんだよお! アホ毛のくせに!」
「ちょ、ちょっとナイフ持ってる手で首を締めないでええええ! 危ないいいっ!」
「分かってるよ。早くこいつらにとどめ刺すぞ」

 どろどろと白い粘液が垂れ固まり、ヴァイスタの両腕が再生していく。

 アサキは、きっと睨むような真顔になり、頷くと、剣を両手に構えてヴァイスタの胴体へと横一閃。

 ぶじゅり、とゼリーを潰すような音。

 アサキの頭上越しに跳んだカズミが、落下しながら両手のナイフを白い巨人の頭部へと突き刺した。
 そのまま、ずちゅずちゅ、と気色の悪い音を立てながら、足の付け根あたりまで切り裂いていった。

 ヴァイスタは動かなくなった。

 ふう、とカズミは小さなため息を吐くと額の汗を腕で拭った。

「よし、昇天だ」

 カズミの言葉に頷いたアサキは、先に倒した方のヴァイスタのぐずぐずになっている胴体へと、手のひらを当てた。

 いま倒したばかりのもう一体には、カズミが手のひらを当てる。

「間違って復活の呪文とか唱えるなよ。お前、バカだから」
「そそっそーやって小馬鹿にすることに、なんか意味があるんですかあ?」
「ねえよ。やりかねねえから、いってんだよ」
「いつまでも新米じゃないんだから。……あれ、そもそも昇天の呪文ってなんだっけ? イッヒリーベ、じゃなくて」
「お前なあ!」
「あ、あ、思い出した。素で忘れてたけど、思い出したっ!」
「ったく。じゃあ、やるぞ」

 こくり、アサキは頷いた。

 二人の口が、ゆっくり、小さく開いた。

「イヒベルデベシュテレン、ゲーナックヘッレ」

 発せられる、呪文の言葉。

 変化はすぐに起きた。
 二体のヴァイスタの、ずたずたに切り裂かれた身体が、まるでビデオのコマ送り逆再生でも見るかのように、元の状態へと戻っていく。

 あっという間に、完全に元の状態へと……いや、ヴァイスタは顔のパーツがなにもないはずなのに、いつの間にか、口が出来ている。魚に似た、小さな口が。

 その口が、にいいいいっ、と嫌らしい笑みを作ると、
 頭頂が、きらり金色に光り、さらさらと金色の粉になり、風に溶けた。

 頭頂だけでなく、頭、首、胸、腹、もも、膝、見る見るうちに輝く粉と化して、跡形もなく消えた。
 
「勝ったか。……アサキのバカに足を引っ張られつつも。さすがあたし」

 カズミは腰に手を当て、小さく鼻で息を吐いた。

「わたしがファームアッパー拾ったからでしょおお!」
「まあその効果もあるな。……たぶん微妙に強くなったというだけなんだろうけど、その微妙が感覚として大きいよな」
「そうだね」
「このファームは本物だ。早く治奈たちにも届けよう」
「そうだね」
「よし、行くぞ!」

 カズミは胸の前でぐっと力強く拳を握った。

「うん」

 アサキも真似をして、拳を握った。

「うっしゃああ、天王台第三中魔法使い、反撃開始だーーーーーっ!」
「反撃開始だーっ!」

 二人は、腹の底からの叫び声を上げながら、異空の瘴気に溢れた歪んだ町並みの中を走り出した。

     4
 現界とは色調が完全に反転した、青いはずの空はオレンジ色で、アスファルトの道路は真っ白で、さらには、ぐにゃりぐにゃりと歪んで見える、奇妙な町並みの中。
 漂う瘴気と狂気の中。

 カズミたちは、ヴァイスタの群れと戦っていた。

 ヴァイスタ、ぬめぬめ粘液質で白い身体の、のっぺら坊みたいに顔のパーツのない、不気味な巨人である。

 ぬめぬめ真っ白な身体から、なんの予備動作もなく突然、長い腕が槍状に硬く鋭く突き出された。

「と、あぶねっ!」

 驚きの声を発しながらも、カズミは身を捻り、紙一重でかわしていた。

「カズミちゃん! 大丈夫じゃった?」

 心配の声を掛ける(あきら)()(はる)()

「ったりめえだろ。こんくらい」

 カズミは、余裕の笑みを見せた。

「確かに、この謎ファーム、身が軽くなった気がするけえ、じゃけえまだ相手の方が遥かに多い。油断しちゃいけん」
「だから油断しちゃいねえよ。あたしの方が新ファームの先輩だぞ」

 それをいったら、一番の大先輩はアサキということになるわけだが。

「うわ!」

 その大先輩の悲鳴である。
 ヴァイスタからぶんと突き出される触手状の腕を、驚きの声を出しつつ、なんとかぎりぎりでかわしていた。

 ヴァイスタの、伸びた腕の先端部、人間でいう拳にあたる部分には、すっと亀裂が入っており、無数に生えている小さな歯が、ガチガチガチガチと、凶暴に打ち鳴らされている。
 アサキの避けるタイミングが、一瞬でも遅れていたならば、身体の一部を噛みちぎられてもおかしくはなかっただろう。

「このお!」

 アサキの反撃だ。
 両手に持っている剣を、斜め下からすくい上げ、力一杯に振るうと、ぶちゅりとゼリーを潰すに似た不気味な音がして、見事、白い怪物の首が跳ね飛んでいた。

 いや、まだぎりぎり皮一枚で繋がっている状態だ。
 首から上の部分が、ぬるりと背中側に垂れ下がって、そのままぴくりとも動きがない。

「いまです、アサキさん!」

 緑の魔道着、(おお)(とり)(せい)()が叫んだ。

「分かった正香ちゃん。……っとなんだっけ、また忘れちゃった。そうだ……イヒベルデベシュテレン、ゲーナックヘッレ!」

 アサキが呪文を唱えると、ぼおっと自身の右手が薄青く光り輝いた。

「生まれてきた世界へ、帰れえ!」

 自分が致命傷を与えたヴァイスタへ近寄ると、薄青く輝いている手のひらを、ゆっくりと腹部へ軽く押し当てた。

 ちっ、ち、ちっ

 一体どこから発声しているのか、ヴァイスタからそんな音が漏れる。舌打ちのような、皮膚が急激に乾燥して縮んでいるような。

 と、突然、ヴァイスタの身体が動き出した。
 といっても、四肢を動かしたわけではない。
 ビデオのコマ送り逆再生を見ているかのように、刎ねられもげそうになっている首が、戻っていくのだ。
 ほんの僅かの間に、剣による一撃を受ける前の、無傷な状態へと、完全に戻っていた。

 だけど完全に同じではない。
 顔に当たる部分は、先ほどまでは完全なのっぺらぼうだったのが、いつの間にか魚みたいな小さな口が生じていた。

 その口が、ニイーッと微笑んだかと思うと、ゼリー状のぬるぬるぷるぷるしていた全身は、いつしか干からびてシワシワになっており、頭頂から順に、さらさらと光る粉になって、風に溶けて消えた。

 アサキは、剣を地に突き立てて、はあはあと息を切らせ、肩を上下させている。
 ふう。と、小さくため息を吐いた。

「この、おちょぼ口でニヤリ笑うの、いつまでも慣れんなあ」

 紫の魔道着、治奈がしかめっ面をしている。

「治奈はビビリだからな。……しかしアサキ、お前よく一人で、ヴァイスタを仕留めたじゃねえか。合宿でかなり実力をつけやがったな。ファームアップのおかげもあるにせよ」

 カズミに、乱暴な言葉使いながらも褒められたアサキは、

「えー、そうかなあ?」

 後ろ頭を掻きながら、顔の筋肉をすっかり緩めて、ちょっと照れたふうに、えへへえと笑った。

 だが次の瞬間、
 その笑みが凍りついていた。
 まぶたが、驚きに見開かれていた。

 眼前ほんの数センチのところで、また別のヴァイスタから伸びる腕、その先端に生えている無数の鋭い歯が、ガチガチと獰猛に打ち鳴らされていたのである。

 カズミが、両手のナイフをクロスさせて、
 治奈が、槍で、
 さらに、正香が、鎖鎌の鎌で、

 それぞれに、アサキの顔の前で、ヴァイスタの触手を受け止めていた。

 ヴァイスタのもう一方の肩からも腕が打ち出されて、先端の裂け目が開いて、邪魔したカズミの頭へと、食らい付こうとする。

 カズミは軽くしゃがみながら、右腕を払って攻撃を跳ね上げた。

「このカズミ様を、なめんじゃねええええっ!」

 叫ぶと、両手に構えたナイフを構えたまま、膝を曲げて地を蹴った。
 足先から頭までを軸に、くるくる回転しながら、ヴァイスタの懐へと自らを突っ込ませる。
 ぶちゅぶちゅぶちゅと、ゼリーを手で握り潰すような音がしたかと思うと、カズミの身体はヴァイスタの背中側へと抜けていた。
 着地したカズミは、

「さっすが対ヴァイスタ用にバージョンアップされただけあんな、これ。楽々じゃん」

 両手のナイフを見つめながら笑みを浮かべたが、それも一瞬、腰の両側にナイフを収めると前を向いて、

「さあて、昇天だ。……イヒベルデベシュテレンッ、ゲーナックヘッレ!」

 二本のナイフに、千切りのようにズタズタに切り裂かれ動きを止めているヴァイスタの背中に、カズミの薄青く輝く右手が、そっと触れる。

「くたばりやがれえ!」

 ちち、ち、

 魚の焼けるような音を立てながら、無数に切り刻まれたヴァイスタの肉体が、元に戻っていく。
 映像をコマ飛ばしで逆再生しているかのように。

 先ほどのアサキの時と同様に、顔にあたる部分に小さな口が出来ていた。
 その口の両端が釣り上がって、笑みと思われる形状を作ると、続いて頭頂からキラキラ光る砂になって、一瞬にして全身が消滅、空気に溶けて消えた。

「守ってくれてありがとう、みんな、カズミちゃん。助かった」

 アサキが胸に手を当てて、安堵のため息を吐いた。

「おう。全員にハナキヤのケーキ一個ずつな」

 カズミが、にひひと悪戯っぽく笑った。

「ええーーっ! ……ハナキヤかあ。残り少ないお小遣いがあ」

 アサキは、脳内でパタパタ飛んでいく財布を追うように、天へと手を差し出した。

「よし、それは後だ。アサキ奢りの祝勝会の話は。残りを、ぱぱっと片付けちまおうぜ。あたしと治奈はあっち、正香と成葉はそっち任せた!」

 カズミと治奈、
 正香と成葉、
 みな頷き合うと、素早く二手に散開し、ヴァイスタの群れへと飛び込んでいった。

「あ、あの、カズミちゃん、わたしは?」

 一人残ったアサキが、きまり悪そうな笑みを浮かべて、自分の顔を指さしている。

「お前はやっぱりまだ未熟だから、そこで応援しつつ先輩たちの戦いを勉強してろ!」

「はい……」

 はあ、とアサキはまたため息を吐くと、がっくり項垂れた。

「まあ確かに、油断をしていたわたしが悪いか。……よおし、落ち込んじゃいられない。世界を守るためえ、しっかり治奈ちゃんたちの戦いを勉強するぞお! みんなあ、頑張れえ! カズミちゃん、治奈ちゃん、成葉ちゃん、正香ちゃあん、気合いだああ! 気合いだああ! 気合いだあああ!」
「うっせえなあ、あいつはもう」

 カズミは苦笑しながらも、ヴァイスタの集団の中へ単身を踊らせて、ぶんぶんと伸び襲ってくる無数の凶悪な腕を、見切り、かいくぐりながら、まるで舞いを踊っているかのように全身を使いつつ、両手のナイフを疾らせた。

「ほうじゃけど、そがいなとこがアサキちゃんのええとこじゃからなあ。……イヒベルデベシュテレン!」

 治奈は、カズミのナイフに切り刻まれて動きの止まっているヴァイスタの、間を抜けていく。
 薄青く輝く自らの右手を、一体、また一体へと触れながら。
 右手を高く上げ、指をパチンと鳴らすと、またもやコマ送り逆再生的に、ヴァイスタたちの切り刻まれた肉体が元に戻り、それぞれの顔に現れた魚のような小さい口がそれぞれニーッと笑うと、次々と頭から溶けて消滅していった。

 カズミと治奈は、微笑み向き合うと、ハイタッチをかわした。

「ナルハにお任せえ!」

 もう一方の側から、なんとも甲高い叫び声が聞こえてくる。

 黄色い魔道着、平家成葉が小柄な身体に似合わない巨大な刀をぶうんぶうんと振り回している。
 ただ刀の重みに振り回されているだけにも見えるが、意外にも攻撃は的確で、ヴァイスタの胴体が次々と切り裂かれていく。

 しかし……

「はにゃあ。もうフラフラだあ……」

 五体のヴァイスタに、一通りのダメージを与えたところで、目をぐるぐる回して、酔っぱらいのようによろよろ、よろけ出してしまう。

「では、わたくしが昇天させましょう」

 大鳥正香は、手にしている鎖鎌を腰にひっかけ吊るすと、

「イヒベルデベシュテレン ゲーナックヘッレ」

 呪文を唱え、薄青く光る右手で次々とヴァイスタの胴体に触れていった。

 ちち、ちち、

 ちち、

 成葉の大刀でズタボロにされたヴァイスタたちの胴体が、すーっと元に戻っていく。
 そして、ヴァイスタたちそれぞれの顔に小さな口が出現し、両端を釣り上げて不気味な笑みを浮かべると、頭から、光る粒になって、空気に溶け消えた。

 静寂。

 この歪んだ、瘴気に満ちた空間にいるのは、少女たち五人だけになった。

「任務完了っと」

 成葉は、自分の胸の高さほどもある大刀を振り回し、背中に引っ掛けると、満足げな笑みを浮かべた。

「やっぱり凄いなあ、みんな……」

 アサキは、先輩たちの戦闘力の高さに、口を半開きの間抜けな表情になってしまっていたが、すぐに首を横に振って、

「ででっ、でもっ、わたしだって一体倒したんだからあ!」

 と強がってみた。

 初めて一人で、ヴァイスタを倒して昇天までさせたのだ。
 少しくらい威張ってもいいだろう。
 というか、みんなはもともと強いんだ。わたしの倒したこの一体をこそ、褒めてくれてもいいじゃないかあ。

「うん、お前も偉い偉い。よくやったよ」アサキの胸の声が聞こえたのか、カズミがぽんぽんと頭を優しく叩いた、「でもハナキヤのケーキは忘れるなよ」

 アサキが、がくーっと大げさに項垂れると、周りから笑いが漏れた。

 五人は集まり、輪になると、お互いの顔を確認し合った。

「みなさん、お怪我はないですか?」

 正香の問いに、全員こくりと頷いた。

「わたしは少しも戦ってないようなもんですからあ」

 自虐に走るアサキ。

「まあまあ。アサキちゃんかなりよくなった。自信持ってええよ」

 治奈が、背中を軽く叩いた。

「ファームアップしても、あんなもんでしたけどお」

 ぶすーっとした顔のアサキ、の背中を、また治奈が慰めるように叩いた。

「……ほじゃけど、そのファームアッパーの件とか、アサキちゃんが誰に助けられたのか、気になるのう」
()(ぐろ)先生たちに調べて頂いて、すぐ分かればいいですけど」
「そんな出回っているモノじゃないけえね、すぐ分かるじゃろ」
「うおっし。そんじゃあ、こんな気持ち悪いところ、とっとと出ちまおうぜっ!」

 カズミが、ぶんと右腕を突き上げた。

 五人は、輪を解いて横並びで歩き出した。
 青い空の下。
 人々の、ざわめきの中を。
 五人は、歩いていた。
 学校の制服姿で。

 異空から出たのである。

 色調、喧騒の戻った、自動車行き交う大きな道路を、五人は歩く。

「たくさん動いたから腹減ったなあ。それじゃみなの衆、さっそく柏に食いに行くかあ!」

 カズミが、車の騒音に負けないような声で叫んだ。

「柏に行くんなら、まず先に駅前に出来た雑貨店がいいなあ。決定っ!」

 成葉が、飛び跳ねながら右腕を振り上げた。

「キミたち切り替え早あっ!」

 治奈が、いまにも戻しそうな血色の悪い顔で、正反対になんだか元気満々なカズミと成葉を見ている。

 アサキが笑いながら、治奈の背中をさすってやる。気持ち分かるよお、などといいながら。

 気持ち悪くなって当然だよ。
 アサキは思う。

 だって、あんな腐ったようなにおいの中で、あんな怪物と戦っていたのだから。

 その腐臭瘴気とは打って変わって綺麗な空気を吸いながら、アサキは思わず両腕を上げて、ううーんと大きく伸びをした。

「同じ空間の裏と表だというのに、こちらはこーんなにも爽やかだとはあ」
「うん。もうすぐ財布の中身も爽やかになるねえ」

 間髪入れず、カズミの意地悪そうな一言。

「そ、そうだったあ」

 がくーっ、とよろける滑稽な仕草に、四人は笑った。

 ま、いいか。ケーキくらい。

 と胸に呟きながら、アサキも頭を掻いて笑った。

 なんだか、とっても楽しい気持ちだ。
 ようやく戦い終わって異空から出られたという開放感、生きているという安堵、この世界を守ったのだという充足感、それに加えて今日はついに一人でヴァイスタを倒したということもあって、普段以上に楽しい気持ちになっていたのである。

「雑貨屋なんかよりさあ、カラオケでいいんじゃねえの? ジーザックスのデカギガ唐揚げ美味いぜ。エリリンの新曲入ってるかも知れねーし」
「あ、カラオケ、いいねえ」

 アサキが、楽しげな笑みを浮かべて、食い付いた。

「おおおおお、アサキがいたんだったあああああ! じゃ、カラオケは無しで」
「えー、それどういう意味い?」
「どうもこうもねえよ。じゃあ食いもんはノリで決めるとして、とりあえず新しい雑貨屋かドンキか決めようぜ」
「ヤンキーならドンキ一択じゃろ」

 治奈がからかう。

「ハルハルちゃん、ヤンキーって誰のことかなあ?」

 顔を引きつらせながら、ぐいーっと治奈へと顔を寄せた。

 ははっ、とごまかし笑いをする治奈。

「まあいいや。……アサキは、どっちがいい? 駅前の雑貨屋とドンキ」

 カズミが、ヤンキーいわれて怒りにバリバリ引きつった顔を指で直しながら、尋ねる。

「わたしは別に、どこでもいいよ」

 振られたアサキは、にこり微笑んだ。

 別に適当に答えたわけじゃない。

 みんながいるのならば、どこだっていいんだ。

 そんな、仲間がいることの心地よさに、アサキは微笑んでいたのである。
 こうして並んで歩きながら、他愛のない話をするような友達のいることに。

 ほんの少し前までは、この四人の誰とも知り合いじゃなかった。
 でもいまは知り合いどころか友達。
 いや、違う。
 かけがえのない、親友なんだ。 
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