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八条学園騒動記

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第五百十三話 素晴らしきかな文学その二

「あるにはあっても」
「夫婦のな」
「何ていうかね」
 マクベスに見られる恋愛はというのだ。
「マクベス夫人がね」
「夫のマクベスを唆していってな」
「どんどん悪の道に走らせてるからね」
「夫婦の恋愛というかな」
「また違うわね」
「マクベス夫人は悪魔だな」
「悪魔というか」
 それはというのだ。
「マクベスの中にある悪の心?」
「それを出させようとしていっているな」
「そんな感じよね」
「元々マクベスに権力欲はあった」
 王族とはいえ将軍である立場から王になろうというそれがだ。
「それをマクベス夫人は見抜いてな」
「唆していってるわね」
「権力の為に多くの人を殺してもな」
「そうしていってるわね」
「夫婦の恋愛の要素か」
「そう言うには」
 マクベスという作品にあるものはというのだ。
「ちょっと以上にね」
「何かが違うな」
「そうね、考えてみたら」
「オセローは愛し合っていてもな」
「それがね」
 オセローは確かに妻であるデズデモナを愛していた、しかし人とは弱いものではりどの様な深い愛も永遠かつ絶対のものではないのだ。
「旗手のヤーゴに唆されて」
「そうなっていってな」
「奥さんを疑う様になって」
「憎んでいってな」
「殺してしまうから」
「恋愛がな」 
 この要素がというのだ。
「かえってな」
「悲惨な結末になったわね」
「そうした作品だからな」
「渋いのよね」
「大人向けの作品と言われるな」
 マクベスもオセローもというのだ。
「本当にな」
「そうよね」
「ああ、しかしな」
「それでもよね」
「そうした作品だからこそな」
 地味な作品だが、というのだ。
「いい作品だ」
「読みごたえあるのよね」
「短いがな」
 実はシェークスピアの作品は短い、舞台の作品だからそれでどうしても程々の長さになってしまうのだ。
「読みごたえがあるな」
「そうよね」
「赤毛のアンとはまた違ったな」
「ああ、トムの国のね」
 つまりカナダである。
「代表作よね」
「シリーズになっていてな」
 赤毛のアン自体も結構な長さだが実はこれはアンの少女自体の物語でギルバートと結ばれてからも続くのだ。
「娘さんの話もな」
「あるのね」
「かなりの長編でだ」
 それでというのだ。
「そうした読みごたえだ」
「そうよね」
「しかしだ」
 それでもと言うのだった。 
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