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fate/vacant zero

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些細ささいな昼下り

「――重てぇ」


 このぼやきも、これでいったい何回目になるんだろう。いい加減疲れてきた。


 疲れてきた、けど、なんかしら愚痴ぐちってないとさらに気が滅入りそうだ。

 なんで俺は、こんなところで、こんなやたらでかい机を延々と運ばされてるんだろうか。

 もう八往復はした気がする。


 それもこれも、元はといえばルイズの奴が……、はぁ。

 もうたいがいに不毛なんだ。

 原因なんて忘れて、さっさと運んじまおう……。





 本当に、この世はどうしようもなく理不尽だ。

 主に、俺に対して。













Fate/vacant Zero

第三章 前編 些細ささいな昼下り











 俺が大蛇からどうにかこうにか逃げ切ることに成功したのが、だいたい三十分くらい前のこと。

 いや、実際は逃げ切ったというより、逃げてる途中で昨夜ゆうべの子に助けてもらったんだが。

 つむじ風で大蛇を外へ放り出して――、あとでなんかしらお礼でも考えとこう。

 で、それはおいといてだ。


 青息吐息でしばらくへばっていると、なぜかルイズに拉致られた。

 どうやらルイズが、目を覚ましたおばさん……もといシュヴルーズ先生から、ボロボロになった教室を掃除しておくよう言われたらしい。

 なお、シュヴルーズ先生はこの日一日は『錬金アルケミー』について触れることは無かったという。トラウマになったそうな。

 首根っこを引っつかまれて、予備の机の置いてある倉庫に連れて行かれて、『それじゃあ、あんたこれをさっきの教室まで運んで』と言われました。

 反論しようとしたけど、なんでも魔法を使うなとのお達しが出されているらしくて。

 いや、お前にはそれ関係ないだろ? と突っ込みたくなった。


 とはいえ、確かにルイズの細腕ではどの道無理そうな大きさと重さだったわけで。









 結論として、俺に仕事が回ってくるわけだ。

 うん、それはいいんだよ。それはいいんだけどさ。


「ルイズ。いつまでその机やってんだよ?」


 ぶすっとした顔で、煤けた机を満遍なく拭いていたルイズに話しかける。

 こいつ、なんでこう仕事が遅いんだろうな。

 もう俺、担当させられてた分終わっちまうぞ?

 っていうか、机運びはとっくに終わってるぞ?

 お前、俺が一つ目の机運びしてたころからほとんど動いてない自覚はあるのか?


 なお、ルイズが実際にぶすっとしているかどうかは定かでない。

 なぜって今、俺は巨大ガラスを窓枠にはめこんでいる真っ最中だから。

 流石にコレやりながら振り向いたら危ねえだろ。二次災害が出ちまう。


「はぁ……、なんでわたしがこんなことやらされなくちゃいけないのよ。こんなの貴族のすることじゃないわよ」


 ルイズはブツブツグチグチネチネチと口ばかりよく動いて、肝心の掃除の方がまったく進んでない。

 そりゃ、あんだけ腕から力抜いて拭いてたんじゃ汚れも落ちんわな。

 拭くってか撫でるだけで汚れが落ちたらそれこそ魔法だろうよ。


「いいから、さっさと手ぇ動かせ。やらなきゃいつまで経っても終わんねえぞ」

「むぅー」


 そんな可愛らしくむくれてもダメ。

 だいたい、愚痴りたいのは俺のほうだっつうに。

 なんで俺がお前の尻拭いやらされなきゃなんねえんだ、って使い魔だからか。


 蓄瘴ちくしょう。


 はぁあ、と重苦しくため息をつき──この二日でやたらと頻度が増えた気がする──机と同じく煤すす汚れてしまっている床を拭うべく、雑巾を取りに行った。













 その頃。

 トリステイン魔法学院に奉職して二十年の教師、ミスタ・コルベール……、否いや。

 魔法使いメイジ"炎蛇"のコルベールは、過日の『春の使い魔召喚』においてルイズ・ド・ラ・ヴァリエールが喚び出した、平民の少年のことが気にかかっていた。

 正確にいうと、その少年の左手に現れたルーンのことが気になって仕方ないのであった。



 それは、あまりに珍しいルーンであった。

 だが、かつて居た職場で、一度だけ見たことがあったような憶えがあった。

 その時は実物ではなく文献の内であったが、それでも確かに見覚えはあったのである。

 それ故にこうして、先日の夜から図書館に引き篭もって、それらしい書物を片っ端から洗いざらい調べているのであった。

 当然ながら徹夜である。





 トリステイン魔法学院の図書館は、食堂と同じく本塔の中にある。

 その蔵書量は人生を捨てる呆れと諦めをもって挑んでもなお余りあるほど多く、おおよそ30メイル約30メートルほどの高さの本棚が通路すら惜しんで並んでいる様は、壮観を通り越して失調感すら覚えるほどだ。

 まあ、それもそのはずである。

 この図書館には、始祖ブリミルの時代の書物すらも詰め込まれているのだから。

 “2000年に及ぶハルケギニアの全容がそこに在る”と噂されるほどに、歴史ある図書館なのだ。


 彼が居るのは、図書館の中でも奥まった一区画。

 教師のみが閲覧を許される、『干草フェニアの図書群』の中である。


 生徒たちも自由に閲覧できる一般の本棚には、彼の探している書物は見つからなかった。

 だが、この『干草フェニアの図書群』に探索の範囲を移して既に三時間。

 普通に手の届く範囲の本は尽く探しつくしたが、未だに彼の探す本は見つかっていない。

 『浮遊レビテーション』の呪文を使い、高い書架の書物を探り始めてからも、そろそろ一時間が経つ。

 この長時間の『浮遊レビテーション』は、壮年になってなお衰えぬ知的好奇心のみによって制御を維持されているようだ。



 彼は元来、才人と同じ人種であった。退く事を嫌い、恩義を忘れることはなく、なによりも"興味"にひたすら弱かった。

 二十年前のとある事件により、退く事を無用に厭わぬ程度には丸くなったものの、彼の"興味"だけはなんら変わることなく在り続けた。



 そんな彼のあくなき好奇心は、どうやら労働に見合った報酬を探り当てたようだ。

 彼の眼は今、一冊の本に向けられている。それは、ハルケギニア原初の時代の古書。

 始祖ブリミルの従えし使い魔たち、及びかの時代の主立った英雄たちについて記された、貴重な文献である。

 その内に記されたとあるわずか一節のルーンに、彼は目を奪われた。


 これだ。


 間違いない。あの日、機関部隊を任せられた日に自分が見せられたものだ。

 そう、そのルーンには紛れも無い憶えがあった。

 あの日の記憶も然り。そして――



「――やはり!」

 一節のルーンと、昨日ミス・ヴァリエールが召喚した少年の、左手に現れたルーンのスケッチを見比べた"炎蛇"は快哉を叫んだ。


 うっかり『中浮遊レビテーション』の制御を忘れるほどに、興奮しつつ。

 慌てて本を抱え、制御を取り戻してギリギリ軟着陸した彼は、落下の勢いのままに図書館の出口へと走り出した。


 途中、怒りを顕あらわにした司書の女性に呼び止められたが、そのままの速さで軽く謝りその場を後にする。

 後ろから更なる怒声が飛んできたが、今はそれどころではない。

 図書室を飛び出し、勢いをそのままに本塔を駆け上がりだす。


 この学院最高の賢者の、意見を仰ぐために。











 学院長室は、学院本塔の最上階に構えられている。

 その主。このトリステイン魔法学院の長おさを務めるオスマン老は、白い口ひげと髪を揺らし、重厚なつくりのセコイアのテーブルに肘をつき……、わりと必死に、退屈を噛み殺していた。


 ぼんやりと鼻毛を抜いたり、宙空を眺めたりしてみたものの、時間は相変わらず怠惰に流れている。

 余りにも暇すぎて、一分を五分くらいに感じているようだ。


 だんだんと暇つぶしの引き出しがなくなってきた彼は、おもむろに「うむ」と頷いて机の引き出しを開ける。



 中には、彼愛用の水煙管キセルが鎮座していた。

 これは煙草を燃やす本来の煙管キセルとは違い、微量の香魔法薬フェロモンを使う。

 香魔法薬フェロモンとは、空気に触れるだけで緩く沸騰する、薫り高い液体である。


 水キセルの吸い口とは逆側、大きく丸く膨らんだ所にその水薬を入れ、尖とがった薬口から出てくる蒸発した魔法薬に火を灯し、吸い口に口付ける。

 香りは格段のものであり、ヤニなどが出ることもないのだが、吸った時の感覚や中毒性はタバコのソレよりも強かったりする。

 タバコ的用法の酒といえば近いかもしれない。




 そんなわけで、部屋の端に置かれた机に向かい書類仕事をしていた彼の秘書が、こんな時間からの道楽を許すはずも無く。

 無常にも水キセルはオスマンの手をすり抜け、羽ペンを一振りした秘書、ミス・ロングビルの手元へと飛んでいった。


 つまらなそうかつ寂しそうに、オスマン老が呟く。



「年寄りの楽しみを取り上げるのは、そんなに楽しいかね? ミス……」

「オールド・オスマン。主あるじの健康を管理するのも、秘書わたくしの仕事なのですわ」


 オスマン老は椅子から立ち上がると、理知的な顔立ちが凛々しい、ミス・ロングビルに近づいた。

 椅子に座ったロングビルの後ろに立つと、仰々しく目を瞑つむる。


「こう平和な日常が続くとな、時間の過ごし方というものが、思ったよりも難題になってくるのじゃよ」


 そう呟くオスマン老の顔に刻まれた皺しわは、彼の過ごしてきた歴史を物語るかのように深く、濃い。


 彼の齢は300を越えている。そう証した男がいた。

 彼と話したオスマン老の言葉には、それだけの重みがあったのだ。


 いやいや彼は精々で100歳程度だろう、と嘯うそぶく女がいた。

 常識的に物事を捉える者にとって、ヒトの身で300を数えるなど、どのような絵空事に映ったことだろう?


 そうかと思えば、彼はハルケギニアの創世より生を受けています、とのたまった老人もいた。

 これは、『この老人が子供の頃にはオスマン老がすでに今の風貌であった』、そういう証言と取れなくもない。

 ないが……、人間である彼が千年を超えて生きることは流石にないハズだ。

 いや、筈だ、というのが既に常識の鎖の成し事なのかもしれないが。


 ともあれ。彼の年齢については以上のように様々な憶測が交錯しながら流れている。

 つまるところ、誰も本当の年齢は知らないのである。

 ひょっとしたら、本人も含めて。



「オールド・オスマン」


 ミス・ロングビルは、羊皮紙を滑るように駆け抜ける羽ペンから目を逸らさずに言った。


「なんじゃ? ミス……」



「暇だからといって、私のお尻を撫でるのはやめてください」


 オスマン老は口を半開きにして、宙を眺めながら声を吐きだす。



「わし、朝ごはんはもう食べたかのう」

「都合が悪くなるとボケたふりをするのもやめてください」


 どこまでも冷静な声で、ミス・ロングビルが演技を両断する。

 オスマン老は深く、苦悩を刻んだため息をついた。


 口元が舌打ちしそうに歪んでいる辺りを見る限りでは、単なるおちゃめのようだが。


 この老獪としより、あなどれねぇ。



「真実はどこにあるんじゃろうか? 考えたことはあるかね? ミス……」

「少なくともわたくしのスカートの中にはありませんので、机の下にネズミを忍ばせるのはやめてください」


 オスマン老は、悲しそうに顔を伏せて呟いた。



「モートソグニル」


 ミス・ロングビルの机の下から、小さなハツカネズミが現れた。

 オスマン老の足をのぼり、肩にちょこんと乗っかって首を傾げる。


 …………この老獪としより、あなどれねぇー(棒読み)。



「気を許せる友達はお前だけじゃな、モートソグニル」


 そう言ってポケットからナッツを取り出し、鼻先で振ってやるオスマン老。

 ふんふん、くんくん、ぽりぽりぽり。

 とナッツを齧り終えたネズミは、催促するように一声鳴いた。


「そうかそうか、もっと欲しいか。よろしい、くれてやろう。
 ただし、その前に報告じゃよ。モートソグニル」


 ちゅう、ちゅうちゅ。ちゅ? ちゅう~。



 時たま身振り手振りを交えながら、なにやらオスマン老に囁ささやくというか鳴き掛けるネズミ。

 ちょっとかわいい。



「そうか、白か。純白か。うむ、褒めてつかわす。
 しかし、ミス・ロングビルは黒に限る。そうは思わんかね、可愛いモートソグニルや」


 ちゅッ、と片手を挙げて応えるハツカネズミ(♀)。

 何をやらせてるんだろう、この爺さまは。


 なお、純白と声に出した辺りでミス・ロングビルの眉はとっくに臨界まで跳ね上がっている。



「オールド・オスマン」


 冷静を通り越して鋭利に至った声が放たれた。

 まったくオスマン老は動じていないが。豪胆なことである。


「なんじゃね?」

「今度やったら、王室に報告します」


「カーーッ! 王室が怖くて魔法学院長が務まるかーッ!」


 オスマン老は目を剥いて怒鳴った。


 よぼよぼの年寄りとは思えないほどの迫力ではあるが、要件が要件すぎて威圧感が欠片も無い。

 こういうのも盗人猛々しいというんだろうか?



「下着を覗かれたぐらいでカッカしなさんな! そんな風だから、婚期を逃すのじゃ。
 はぁ~~~、若返るのぅ~~~、ミス……」


 オスマン老は堂々とミス・ロングビルのお尻を撫で回し始めた。


 とりあえず、そんなことをしている暇があるのならその場が泥舟であるかの様に駆けていった使い魔に倣って、急いで逃亡したほうがいい。


 婚期と言った辺りで、ミス・ロングビルの顔が一瞬般若になったのに、気づいていないのだろうかこの色ボケジジイは。







 気づいてなかったらしい。


「ごめん。やめて。痛い。もうしない。ほんとに」


 頭を抱えて縮こまっているオスマン老を、立ち上がったミス・ロングビルが無言で蹴りまわしだした。

 聞く耳もたねえ。いつものことだが。


 オスマン老は、女性に年齢の話をしてはいけないという暗黙の了解を早急に学んだ方がよいと思われる。


 ……特に三十路みそじ前後の女性相手には。


「あだっ! 年寄りを。きみ。そんな風に。こら! あいだっ!」


 ……あまり微笑ましいとは言えないし言いたくもないが、まあ平和っちゃあ平和な時間であった。



 して。

 そんな暇つぶしの空間は、一人の闖入者によってぶち破られた。


 ミス・ロングビルにとってはやや残念なことに。

 オスマン老にとってもちと残念なことに。



 ばたん! と勢いよくドアが開き、コルベールが部屋へと飛び込んできた。


「オールド・オスマン!」

「なんじゃね」


 オスマン老は何事もなかったかのように腕を後ろに組んで、重々しく闖入者を迎え入れた。

 ミス・ロングビルは、やっぱり何事もなかったかのように机に座っていた。

 おそるべき早業であった。


 あったものの、ここは褒めるべきか驚くべきか、はたまた呆れるべきか。


 微妙なところであるが、とりあえず話を進めよう。


「たた、大変ですぞ!」

「大変なことなど、あるものか。全ては小事じゃ。
 まずは落ち着きたまえ」


 悠々とした貫禄を見せるオスマン老であったが、好奇心全開状態のコルベールにはあまり効果が無かったようである。

「ま、まずはこれを見てください!」


 そう言うとコルベールは、先ほど発見……、いやむしろ発掘した古書を手渡した。



「うん? ……なんじゃ、『始祖の盟友たち』ではないか。
 まったく、またこのような古臭い文献を漁りおってからに。
 そんな暇があるのなら、たるんだ貴族から学費を徴収するもっとうまい手を考えたらどうじゃね、ミスタ……、えーと。


 なんだっけ?」



 オスマン老は首を傾げた。

 ……教員の名前を忘れちゃダメだろう、さすがに。


「コルベールです! お忘れですか!」

「そうそう、そんな名前だったな。君はどうも早口でいかん。
 で、だ。コルベールくん。この書物が、いったい何だというのかね?」


「こちらと合わせて見てください!」


 コルベールは、才人の手に現れたルーンのスケッチを手渡した。

 それを見た瞬間、オスマン老の気配が変わる。

 好々爺エロじじいな雰囲気は霧散し、変わりにある種の魔法使いメイジ特有の厳格な気配を纏まとう。

 目つきは鋭く、ともすれば射抜かれそうな眼光だ。



「ミス・ロングビル。席を外しなさい」


 ミス・ロングビルは人の変わったようなオスマン老に驚くこともなく立ち上がり、足早に部屋を出て行く。

 一連の流れは、時たまあることだったようだ。


 彼女の退室を見届け、オスマン老はコルベールに視線のレーザーをぶつけた。



「詳しく説明せよ、ミスタ・コルベール」











「ふぅ……う」


 才人は廊下を歩きながら、大きく伸びをした。

 ついさっき、一向に力の入らないルイズを催促さいそくしながら、ようやく教室の後始末を終えたところである。


 結局、朝一の授業から始まった掃除は、昼休みの直前まで掛かってしまった。

 まあ、殆ど全部才人一人でやったようなもんであるからして、これだけの時間でおわったのは僥倖ぎょうこうとすら言えるかもしれない。

 今は、昼食を摂るべく二人して食堂へ向かっているところである……んだが。


「ゼロのルイズ。なるほど、言い得て妙でございますねぇ。
 魔法の成功の可能性ゼロ。それでいて貴族。
 それでもなお魔法使いメイジ。素晴らしい!」


 才人は先ほどから、延々とルイズを囃はやしていた。

 どうも、さっきの掃除をロクに手伝おうとしなかったのが──と二人ともが認識している時点で何か間違っているが──よほど癪しゃくに障ったらしい。



 まず、前の方にあった机は全滅であったため、クソ重たい机を抱えて倉庫と教室の間を十二往復。

 次に、これまたほぼ全滅していた窓ガラスを倉庫から運び出し三往復。

 ちょっと手のひらを切ってしまったが、まあかすり傷程度で済んだ。


 それから窓枠に運んだガラスをはめ、床を磨き、壁を磨き、最後に結局机も磨いた。


 ルイズは机をほんの3つほど磨いただけだった。

 愚痴ってばかりで、殆ど手が動いてなかったせいである。


 ……思い返せば、昨夜は床に眠らされ、朝の食事は精進料理並の侘わびしさ。

 そこに先の掃除に加え、下着の洗濯までが待ち受けているのである。

 こんな仕打ちの数々を受け、それでも女の子相手に拳てを上げるわけにもいかず、堪忍袋の口をどこ向けようかと悩んでいた才人である。


 魚に打ち水とばかりに弱みを見せたルイズを、言葉でつんつく突っつきにかかっても仕方ないのかもしれなかった。

 しれなかったが。ただ、ルイズの様子には気をつけたほうがいい。



 眉がひくひく動いている。

 口の端に引き吊った微笑みが浮かんでいる。

 声も肩も震えていたりするのだが、ついに堪え切れず爆笑しだした甦る干し魚:平賀才人は、その兆候のいずれも見抜くことは出来なかった。











 結果。



「やるんじゃなかった……腹へったなぁ、ちくしょう」



 食堂で、もののみごとに大爆発したルイズに食事を取り上げられた才人は、空きっ腹を抱えながらとぼとぼと食堂前の廊下を歩いていた。


 分かりきっていた事だったが、ルイズの堪忍袋の緒はかなり脆いようだった。いやそんなもの無いかも知れないが。

 後悔先に立たず。

 壁にもたれかかりながら、ずりずりと歩いているさまはかなり哀れである。

 半分は自分のせいでもあるとしても。


 そして偶然にその廊下を通りがかった少女にとっても、それは同様であったらしい。


「どうなさいました?」


 才人が振り向くと、大きい銀のトレイを持ちフリル付エプロンを垂らした裾広のワンピースを着こなした、分かりやすい表現をすれば給仕メイド姿で心配そうにこちらを見つめる、素朴な感じの少女が一人佇んでいた。

 カチューシャに纏められた黒髪とそばかすが可愛らしく、どこか懐かしい。



「いや、なんでもないよ……」


 左手を振り、表情を軽く笑顔にしながら言う才人だが、あまりにも声に張りがない。

 朝メシのほとんどが水分と野菜だったのだ。胃も腸も、綺麗にぽっかり空っぽなのである。

 が。そこで左手を振ったのが幸いだった。

 その手の字痣をはっきりと見た彼女が、自然と正体に行き当たってくれたのだ。


「あなた、もしかしてミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう……?」


「知ってるの?」

「ええ。なんでも、召喚の魔法で平民を召んでしまったって、噂になってますわ」


 女の子がにっこりと笑う。

 これほど屈託のない笑顔を見たのは、この世界に来てからはこれが初めてだった。



「君も、魔法使い?」


 女の子は、緩く首をふってそれを否定した。



「いえ、私はあなたと同じ、平民です。
 貴族の方々をお世話するために、ここでご奉公させていただいてるんです。
 あ、わたしはシエスタっていいます」



 平民じゃなくて、異世界人なんだけどなぁ、と才人は思ったが、いい加減説明するのも面倒である。

 ルイズに話したときは、夕方から夜半までかけてもなお理解されなかったのだから。


 この純朴そうな少女ならすんなり信じてくれそうな気もしたが、可哀想な人イタいひとを見る目でこの空腹に追い打ちでもかけられては、耐え切る自信がなかった。

 そんなわけで、同じ黒髪だし怪しまれることもないだろう、と自分をこの世界のどこか遠い国の平民ということにして、大人しく挨拶した。



「そっか……。俺は、平賀才人。よろしく」

「変わったお名前ですね……」


 よく言われるよ、と口にするより早く、腹の虫が返事をしてしまった。

 それに呼応したのか、段々、空腹すきっぱらが痛くなってきた。物理的に。


 ……あぁ。ほんっとに腹減ったなぁ……。



「お腹空いてるんですか?」

「うん……」


 シエスタと名乗った少女は、しばらく頬に手を当てて何やら目を閉じているかと思うと、不意にきびすを返した。



「こちらにいらしてください」


 なんだろうと思ったが、どうせここでじっとしていたって食堂には入れないのだ。

 段々体を支えるのも面倒になってきたので、ずるずると壁に体を押し擦りながら、のっそりとついていくことにした。













 てこてこずるずると歩うごくことしばし。

 才人が連れてこられたのは、食堂の裏戦場。厨房だった。


 大きな鍋、釜、蒸し器に包丁、おたまに石造りのオーブン、その他もろもろの調理器具が所狭しと並べられ、それらの台間を縫ったコックやメイドたちが、祭りのように調理をしているおどっていた。


「ちょっと待っててくださいね」


 才人を厨房の片隅、空いた椅子に座らせると、シエスタは小走りで厨房の奥へ消えた。


 それから忙しく動き回る厨房を眺め、窓の外に集って飯食ってる使い魔の群れを見て和み、才人の体感で五分ぐらい経ったころ、一枚の深皿を抱えて戻ってきた。

 皿の中には、湯気を立てる柔らかなクリーム色のどろっとした液体が入っている。


 ……嗅覚に呼応した胃がぎしりと軋んだ、唾液の染み出る善い匂いだ。



「貴族の方々にお出しする料理の材料の余りモノで作ったシチューです。
 よかったら、食べてください」


 余りモノとはいえ、今朝食べたっていうか飲んだスープとはえらい差だったりするが、まあそこはどうでもいい。



 そもそも、腹がそれどころではない。

 今にも齧かじりつきそうな逸る意識をおさえて、短く訊ねた。



「……いいの?」

「ええ。賄い食ですけど……」


 それもこの際問題でない。また水物だが腹にたまる水物なら大歓迎だ。

 今朝の食事より遥かに豪勢なのだから当然である。


 二日ぶりぐらいの優しさに思わずホロリときた。目周りだけ。


 塩気を供給する目を無視した手は既にスプーンで一浚ひとさらい、口元へと運んでいた。

 お味のほうは。


 ……柔らかな甘い塩気が舌にじわりと染み渡る。

 胃袋にやわらかく滑り落ちてゆく感触がくすぐったくて心地よい。


 いかん、泣けてきそうなほど美味い。



「おいしいよ、これ」

「よかった。お代わりもありますから、ごゆっくりどうぞ」


 ごゆっくり、と言われはしたものの、才人はものすごい速さでシチューをがっついていく。

 半日強の絶食に加え、胃腸の働きを最高に良くしそうな水分と食物繊維に富んだ朝飯のコンボは、成長期のまだ終わっていない身にはかなりキビシイものがあったようだ。


 瞬く間に食べ終え、おかわりを要求する。

 シエスタは、ニコニコしながらそんな才人の様子を眺めていた。



「ご飯、貰えなかったんですか?」


 おかわりを持ってきた後、そんな風なことを聞いてきた。


「ああ、ちょっと"ゼロ"のルイズってからかってやったら、怒られたんだ。
 トラウマでもあんのかな」

「まあ! 貴族にそんなこと言ったら大変ですわよ?」


 何やら目を白黒させたシエスタは、どこか咎めるようにそう言うが。



「『貴族』ねぇ。まだ実感ねえんだけど、そんな偉いもんなのか?」

「勇気がありますわね……」


 不思議なものを見る目をされてしまった。あと、唖然としているのが表情からよくわかる。

 いや、そんな顔するけどさ。仕方がないじゃないか?


「貴族なんてこっち来るまで聞いたこと……くらいはあったけど、見たことなかったからな」

「こっち、ですか?」


 シエスタの表情が、きょとん、と変わった。

 ぱちくりしている辺りがなかなか可愛らしい。


 が。

 さっきも思ったが、説明するのは半ば諦めているし、面白い話でもないし、何よりも面倒くさい。

 ちょうど二皿目も空になったことだ。誤魔化すことにしよう。


「なんでもないよ。シチューおいしかった。ありがとう」


 シエスタに空っぽの皿を返す。


「よかった。お腹が空いたら、またいつでも来てくださいな。
 私たちが食べているものでよければ、お出ししますから」


 ──少しマジ泣きしそうになったが、ぐっと堪こらえる。

 主人の態度がやたらと刺々しいからか、どうしても優しさに耐性がなくなってしまうようだ。


「ありがと……、俺になんかできることないかな? 手伝いたいんだけど」



 何度も言うが、才人は義理堅い。

 受けた恩には、礼を返したくてたまらないのだった。



「なら、デザートを運ぶのを手伝ってくださいな」


 シエスタは少し黙考した後、微笑んでそう言った。

 才人は、大きく頷いて返事とした。





「ところで、どうして泣いてるんですか?」

「気にしないで」


 堪え損なった。













 さっきはシエスタが持っていたトレイを抱え、机と机の間を行く。

 デザートのケーキがずらりと並ぶ、シエスタが持っていた大きな銀のトレイを抱えて、食堂の中を移動する。


 で、それにぎっしりと乗っかっているのは──なんか見覚えのある気がするこの丸っこいケーキ。

 名前なんだったかな。

 モン……、モン……、モンテネグロ?

 ……は違うか。まあ、名前はいいや。


 とにかくあれだ、スポンジの上に生クリームが乗っかって、それにかぶせる感じで栗のクリームが細くぐるぐる巻きつけられて、その上に飴煮あめにの栗が一つだけぽつねんと乗っかったヤツ。

 ソレらが乗っかってるトレイを俺が持ち運び、シエスタがちっちゃい火箸みたいなはさみでソレをつまんで、一つずつ貴族たちに配っている。


 シエスタの担当は二年生の一年側の筋らしく、俺たちの他にも6人ほど、メイドさんがこの食堂に入っているようだ。


 途中で昨夜と今朝の女の子もいたので、詫びと例がてら一回り大きいヤツを渡すように頼んだりしながら、テーブルをゆっくりと進む。


 途中対岸から怪訝けげんなルイズの視線の直撃を食らったりもしたが、キニシナーイ。

 人様の食事を抜くようなヤツの視線など無視するに限るのだ。


 後のこと? そんなものは知らない。

 今が楽しいなら、それでいいじゃないか。そういうことにしとこう。



 さて、そんなルイズのレーザーみたいな視線を華麗にスルーしきった頃、フリルのついたシャツを着ている、気障きざったらしい金巻き毛の生徒メイジがいた。

 周りの友人と思しき生徒らが、騒々しく巻き毛を囃はやし立てている。


 ……キザったらしいと判断した理由?

 生憎俺は、薔薇ばらを胸ポケットに挿すヤツを普通と思えるほど奇抜な常識は持ち合わせていない。


「なあ、ギーシュ! お前、今は誰とつきあっているんだよ!」

「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」


 キザったらしい生徒メイジは、どうやらギーシュというようだ。

 彼は、すっと唇の前に指を立てる。


 ……本物だ。本物がいる。



「つきあう?
 ぼくにそのような特定の女性はいないよ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」


 自分を薔薇に例えやがった。


 間違いない、こいつはキザだ。

 救いようのない真性ほんものだ。


 見てるこっちが恥ずかしいくらいの自己愛主義ナルシストっぷりである。


 才人は頼むから死んでくれと言いたくなったが、根性で耐えた。

 とそのとき、ギーシュのポケットから何かがこぼれたのに気付いた。


 この距離だとよくは見えないが、硝子の小瓶みたいだ。

 キラキラと中の液体が複雑な紫色に揺らめいている。

 コイツは気に入らないが、落とし物は落とし物だ。

 通路に落ちっぱなしでは足を滑らしそうな大きさだし、教えてやるべきだろうか。



 ……教えなくちゃダメか?



 …………しょうがないか。シエスタが踏んづけて転んだりしても難だ。


 渋々ながら、ギーシュバカに声を掛けることにする。



「おい、ポケットから小瓶が落ちたぞ」


 しかし、ギーシュは反応を返さない。

 聞こえなかったかと、もう一度声をかけてみる。


「おーい。落し物だぞ」


 が、やはり反応しないギーシュ。

 それどころかさらに声を張り上げ、周りの友人を沸かしている。



 ……コノヤロウ。



 再三再四言おう。才人は義理堅い。


 だがつまりそれは、逆のことも言えるわけで。

 好意に無頓着な者は、心底嫌いだったりするのだ。



 才人はシエスタにトレイを預けると、しゃがみこんで小瓶を拾う。

 ソレをテーブルの上、ギーシュの目の前に置きながら、やや演技っぽくにっこりとした口調で話しかけた。


「落とし物だよ、色男」


 "よ"の辺りで?マークが付くか付かないかぐらいに声を上ずらせるのが重要なところアクセントである。


 そうしてようやく振り向いたギーシュの顔は、苦々しげに歪んでいた。

 才人を見やると、置かれた小瓶を持ち上げ、才人に押し付けようとする。



「これは、僕のものではない。君は、いったい、何を言っているんだね?」


 才人はもちろん受け取らない。一歩を下がって、手の届かない辺りへ動く。

 そうして、学友たちの目線の高さに掲げた香水は、とても注目しやすいものとなった。



「おや? それは……、もしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」


 誰かの一声で、油に火がついたように友人たちが一斉に騒ぎ出した。


 どうやら彼らは、それの出所に気付いたらしい。

 ギーシュの顔が、見る見るうちに苦渋に歪んでいく。

 若干、青ざめてもいるように見えた



「ああ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分専用に調合している香水だぞ!」

「そいつがギーシュ、お前のポケットから出てきたってことは……、つまりお前は今、モンモランシーと付き合っている! そうだな?」


「違う。いいかね? 彼女の名誉のために言っておくが……」


 ギーシュが反論をしようとした時、背後のテーブルで茶色のマントの少女ががたりと立ち上がり、こっちに向かってコツコツと歩いてきた。

 栗色の髪をした、可愛い少女だった。


 あのテーブルは……、一年生のだったよな?



「ギーシュさま……やはり、ミス・モンモランシと……」


 ギーシュの前で立ちどまった彼女は、ぽろぽろと泣き始めた。

 一気に青みが増したギーシュは、かなり慌てた様子で言い訳を始めた。



「彼らは誤解しているんだ、ケティ。
 いいかい、ぼくの心の中に住んでいるのは、きみだけ……」


 そこまで言ったところで、ケティと呼ばれた少女の大きく振りぬかれた右手に頬を張り飛ばされるギーシュ。

 ふらりと、軽くよろめいた。


「その香水があなたのポケットから出てきたのが何よりの証拠ですわ! さようなら!」


 そのまま食堂から駆け出していくケティを眺めながらギーシュが頬をさすっていると、遠くの方で再びがたりと音がした。

 音のした方、っていうか後ろを振り返ると、一人の見事な巻き毛の女の子がかつかつとこちらへ向かって歩いてくる。


 ……あれ?

 どっかで見たことがあったような気がする……、いつだっけ?



 彼女が目の前にまで近寄って来たとき、ようやく思い出した。

 確か、こっちに呼び出された時にルイズと口喧嘩してた子か。

 このいかめしく釣り上がった顔には確かに覚えがあった。



「モンモランシー、誤解だ。
 彼女とはただ、一緒にラ・ロシェールの森まで遠乗りをしただけで……」


 最早青を通り越して白くなりながらも首を振り、努めて冷静げに言うギーシュ。

 が、努めても冷静に思えるのは雰囲気だけで、額からは冷や汗がだらだらと伝いだしている。

 さらに追い討ちを掛けるように、モンモランシーというらしい少女が口を開いた。



「やっぱり、あの一年生に、手を出していたのね?」


 やっぱりて。そんな分かりやすかったのか、コイツは。



「お願いだよ、モンモランシー。
 咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りで歪ませないでくれ。僕まで悲しくなるじゃないか!」


 相変わらずキザったらしい言い方で言い訳をするギーシュ。

 お前ほんとに謝る気あんのかととてもツッコみたい。


 モンモランシーはというと、テーブルの上に手を伸ばしていた。

 その細っこい手がつかんだ物は……、ん?



 ワインボトル(栓つき)?







 コルクが宙に弾け飛んだ。

 綺麗な放物線を描いて。


 そのコルクが、遠く食堂入り口に落ちた頃。


 ギーシュは、頭からつま先まで、ワインにぐっしょりと侵されていた。

 アルコールのきつい匂いをばらまくギーシュを尻目に、モンモランシーは「うそつき!」と怒鳴り、渾身の平手を打ちつけて立ち去っていった。



 出際、飛ばしたコルクを踏み砕きながら。









 沈黙が痛いぞ。


 食堂中の視線を一身に浴びているギーシュは、ハンカチを取り出すと、ゆっくり顔をぬぐう。

 そして、髪を振りながら、ワインのしずくを飛ばしつつ、芝居がかった仕草で一言。



「あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」


 一生やってろ、バカ。

 なんだか固まってカタカタと震えているシエスタから、銀のトレイを受け取る。



「待ちたまえ」


 そのまま歩き出そうとしたら、バカに呼び止められた。



「なんだよ?」


 そのバカ=ギーシュは、椅子の上で体を回すと、すさっ! と足を組んだ。


 ……頭痛がしてきたんだけど、帰っていいか? 俺。

 や、帰れねえけど。部屋にな、部屋に。



「君が軽率に香水の小瓶を拾い上げたおかげで、二人のレディの名誉が傷ついた。

 どうしてくれるんだね?」


 なんぞとのたまってくるギーシュ。

 まあ、二股掛けられてた方には確かに悪いことしちまったかもしれんけどな。



「知るか。お前が二股掛けてたんだから、お前がなんとかしろよ」

 さっきギーシュを囃し立てていた友人たちが、どっと沸いた。


「その通りだ、ギーシュ! お前が悪い!」


 ギーシュの顔に、さっと赤みが奔った。



「いいかい、給仕くん。
 ぼくはきみが香水の小瓶をテーブルに置いたとき、知らないフリをしたじゃないか。
 話を合わせるぐらいの機転があってもよいだろう?」


 堂々と、そう責めてくるギーシュだが。

 そう言われてもな。



「あのな。二股かけてたことが問題だろうが。俺に責任押し付けるなよ。
 あと、俺は給仕じゃねえ」


「ふん……、ああ、きみは……」

 ギーシュは、なにやらバカにしたように鼻を鳴らした。


「確か、あのゼロのルイズが呼び出した、平民だったな。
 平民に貴族の機転を期待したぼくが間違っていたよ。もう行きたまえ」



 ……ぴきり、と来た。なんだ、こいつは。

 見栄えだけはいいがキザでバカなナルシスト野郎に、んなこと言われる筋合いはねえ。



「うるせえよキザ野郎。
 貴族の機転とやらは言い訳もロクにおもいつかねえことを言うのか?


 それとも、そんな言い訳もロクに出来ねえてめえは貴族じゃねえとでも?」



 反発した勢いで、一気に口走った言葉。その一言が、ギーシュにも火をつけた。



「どうやら君は、貴族に対する礼を知らないようだな?」

「あいにく、貴族なんぞ一人もいない土地から来たんでね?」


 少しでも野郎に通じるよう物腰を模まね、右手を天井に向け掲げ、ちょっと無理のあるキザったらしい仕草と声色で言葉を買ってのけた。

 ギーシュが、ゆらりと立ち上がる。



「よかろう、君に礼儀を教えてやろう。ちょうどいい腹ごなしだ」

「おもしれえ」


 歯を剥き、間近でがっちりと睨みあう。

 だいたい、こいつは第一印象からして気にいらねえ。

 責任は俺に丸投げしようとしくさった。


 そもそも、二股なんぞかけていやがった。

 俺は彼女の一人も居なかった上にこんな世界に拉致られたっつうのに、だ。


 ……さすがに、もう、色々ガマンの打ち止めだ。

 憂うさ晴らしにはちょうどいい。

 徹底的にぶん殴ってやる。



「ここでやんのか?」


 ギーシュの背はどうも俺より少し高いらしい。

 間近で睨みあうのは首がちと疲れるんだが、体はひょろひょろしてて、力はなさそうだ。


 色男、金と力はなかりけり。


 よく言ったもんだな。俺もそんなに喧嘩は強くないが、こいつ相手ぐらいなら勝てそうだ。

 が、ギーシュはくるりと体を翻した。



「逃げんのかよ」


「逃げる? ふざけないでもらおう。貴族の食卓を平民の血で汚せるものか。

 ヴェストリの広場で待つ。モンブランを配りおえたら、来たまえ」

 ああ、モンブランだったか。

 こんなヤツに教えられるなんぞ、実に腹が立つ。

 これの名前はケーキで充分だ。


 ギーシュの友人たちが次々に席を立ち、ワクワクした顔でギーシュの後を追いかけていく。

 一人だけテーブルに残ったのは、俺の見張りか? 逃げやしねえよ。

 さて、そんじゃあさっさと配っちまうか。

 どうせあと15人ぐらいだ。



「さ、早く配っちまおうぜ、シエ……、ん?」


 なんか、シエスタがぶるぶるがくがくと震えてる。


「大丈夫だって。あんなひょろっちいヤツ相手に負けるかよ」

「あ、あなた、殺されちゃう……」



「は?」


なんでさ?


「貴族を本気で怒らせたら……」



 それだけ言い残して、シエスタは食堂から逃げるように出て行ってしまった。


 ……はさみ持ったまんまで。

 どうすりゃいいんだ、このケーキ。


「……なんなんだよ?」


 あいつ、そんなに強いってのか?

 そんなことを考えてたら、後ろからルイズに小突かれた。


「なにすんだよ!」

「あんた! 何してんのよ! 見てたわよ!」


「なにが?」

「なにがじゃないわよ! なんで勝手に決闘なんか決めちゃってんのよアンタは!」


 なんでって。



「いや、あいつが、なんかこう。やたらとムカついたんだよ」


 はぁ、とルイズがため息をついて、やれやれと肩をすくめた。



「謝っちゃいなさいよ」

「なんで?」

「怪我したくないんなら、謝ってきなさい。
 忠告よ。今なら許してくれるかもしれないしね」


「謝る? なにをだよ。元はと言えばあいつの浮気が原因なんだぞ? 大体だな……」

「いいから」


 ルイズは強い調子で言ってきたが……、全然、さっぱり、まったくもって何もよかねえ。



「いやだ」


「わからずやね……。
 あのね? 絶対に勝てないし、あんたは怪我するわ。いえ、怪我で済んだら運がいい方よ!」

「あのな? そんなの、やってみなくちゃわかんねえだろ」

「ちゃんと聞きなさい! いい? メイジに平民は絶対に勝てないの!」


 知ったことかよ。


「ヴェストリの広場ってどこだ?」


 ルイズを無視して、居残ったギーシュの友人の一人に尋ねる。



「こっちだ、平民。

 ……ってこら。そのトレイどうする気だ」


 ん?

 あ、そうか。ケーキか。


 えーと……、あ、ちょうどいい所に居た。


「悪いけど、これ頼めるかな」


 進行方向上で立ち止まって固まってたメイドの女の子にお願いする。



「え? あ、あの……」

「よろしく」


「ちょ、ちょっと! わたし、こんなに持てませんよ!」


 二つのトレイを手の上であたふたさせてたけど、まあ、二年の机から朝のカラスの主人が慌てて近づいてったから大丈夫だろ。

 多分。










「ああもう! ほんとに! 使い魔のくせに勝手なことばっかりするんだから!」


 後ろからルイズの愚痴が聞こえてきたが、気にすることなく案内についていく。


 ──覚悟? いいに決まってんじゃねえかそんなもん。









 
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