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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 後編
  All for one, one for――

 ――これは後の記録である。
 SAOに囚われた人物に「印象に残っている出来事は?」と尋ねたところ、多くの人物が二つの事柄を挙げた。すなわち、このゲームにおける“最初”と“最後”。しかしこのゲームの攻略の最前線に立ち続けてきた者たちの中には、それらとは違う、第三の事件を挙げるものも多かった。
 彼らは言う。《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》討伐戦こそ、この世の地獄だった――と。



「ラフィン・コフィンのアジトが発見された」――突然告げられた重大情報に、その場に集められた攻略組プレイヤーたちは大きく波打った。
「次のフィールドボス攻略に関する会議」だと聞かされ召集された、寝耳に熱湯を撒かれた状態の群衆に向けてアスナが告げた要項は大きく五つだ。
 アジトの発見。
 今から六時間後の午前二時、ここにいるメンバーで討伐戦を行う。
 メンバーを本隊と偵察部隊に分け、少数の偵察部隊で目的地までのモンスターを討伐しつつ本隊を誘導、本隊がアジトを襲撃し、電撃戦で勝負をつける。
 参加拒否は可能だが、その場合情報秘匿のため作戦終了まで攻略組の監視下に置かれる。

「――以上。各員の積極的参加と奮戦に期待します」

 事務的な口調で一方的に言い切ると、議場は混沌の渦に飲み込まれた。絶対に嫌だと喚く者、友人と顔を見合わせる者、一人俯き思考に耽る者。十人十色の反応をする彼らの頭上を、同じく判別できない幾十の声が重なって飛び交う。どれもみな、正常な反応だとわたしは思った。

「……エミ、ちょっといい?」
「あ……アスナ」

 力が抜けて椅子から動くことのできないわたしに声を掛けてきたのは、つい先ほどまで壇上にいたアスナだった。その表情は血盟騎士団副団長としての凛としたものではなく、アスナという一人の女の子の柔らかい微笑だった。しかしその頬が僅かに引きつっているのは、決してついさっきまで壇上にいたからという理由だけではないだろう。

「ごめんね、今日は、突然こんなこと言って」
「ううん。仕方ないよ、こんなこと事前に教えられないもんね」
「……分かってくれて嬉しいわ」

 ほっとしたように胸を押さえるアスナ。きっと彼女にも、彼女なりの苦労が絶えないのだろう。

「……エミは、どうする?」

 その質問の目的語が「今回の作戦」であることは、聞き返さずとも明らかだった。ただし回答も同じかと言われればそれは全く別の話で、わたしはどう答えるべきか、数度瞬き、膝下に落とした視線を右往、左往、もう一度右往させ、

「アスナは、参加するの?」

 と、回答を保留した。頭を引いて右へやった視線をそのまま上に持ち上げると、前をじっと見つめるアスナの横顔が映った。その唇が、ゆっくりと上下する。

「ええ。……わたしには、指揮官として皆を集め、前に立った義務があります。相手が人だからと言って、背を向けるわけにはいかない」

 自分に言い聞かせているようにも聞こえるアスナの言葉を耳にしながら、わたしは彼女の視線が一人の少年に向けられているのを察した。黒いコートを着、黒の鞘に収まった片手剣を背負った、少し線の細い、見かけは少し頼りなさそうな剣士。しかし彼女は、彼が誰よりも頼りになる人だということを知っている。知った上で、頼っているのだ。今この瞬間、折れそうになっている気持ちを、キリトという存在で補強して、あるいは、彼を自分が守るのだという決意で奮い立たせて、必死に前を向こうとしている。その姿を見て、わたしは少し安心した。
 アスナは強い。孤独と不安に押し潰されたわたしとは違い、第一層の頃からその鋭い剣技で攻略の最前線に立ち続けてきた。そんな人でも、わたしと同じように不安になり、好きな男の子に助けを求めたがっている。わたしと同じように。

「……うん。わたしも、参加、しようと思う」

 わたしは小刻みに何度も頷きながら参加の意を示した。ここには今、わたしが助けを求めたい人はいない。恐らく今回の案件を鑑みれば召集命令くらいは出しているのかもしれないけれど、本人が例外なく連絡を絶っていて居場所も分からないのだから、出したところで届くはずもない。実際に、あの日以来、マサキ君はわたしたちの前どころか攻略にも全く顔を出していないのだ。
 ただ……今回は、それでもいいとわたしは思った。マサキ君は、ラフィン・コフィンとの戦いで親友を喪い心に深い傷を負っている。そんな彼に、再び同じ相手と殺し合いをさせたくはないというのが正直な気持ちだった。

「本当?」
「うん。……わたし、偵察部隊だし、ね」

 そしてこれがもう一つの大きな理由だった。アジトに乗り込み、直接ラフィン・コフィンのメンバーと戦う本隊とは違い、本隊到着までに敵に動きがないかの偵察を担当する偵察部隊は対プレイヤー戦闘を行う必要がない。もちろん圏外である以上気は抜けないし、アジトの近くである以上、彼らとうっかり鉢合わせしてしまう可能性もある。それでも、“確実に”プレイヤー相手に剣を振るうわけではないという一文は、決して無視できない要素としてわたしの胸中に溶け込んでいた。
 不安そうな顔で見つめてくるアスナに笑顔を返す。割合で見れば圧倒的に少数派になる偵察部隊の一員にわたしが選ばれた理由に、恐らくメンバーの選定に関与しているであろうアスナの友人というわたしの立場が影響しているのかは分からないけれど、それを尋ねるつもりはない。……だって、もし肯定されてしまったら、今後アスナと笑顔で会えなくなりそうだから。

「ありがとう。……絶対に、誰も死なせないわ。それがとても難しいってことは分かってる。でも、わたしはそういい続けなきゃいけない。例え無理なことだとしても、実現させられる可能性を一パーセントでも上げ続ける。それが、一瞬でも皆の前に立ったわたしの義務だもの」

 そう語ったアスナの目には、燃え上がるような強い使命感と決意が宿っていた。



 偵察部隊に配属されたプレイヤーは一パーティー、六人。そしてその中で一人を除いた五名が、最前線でも指折りの実力を持つソロプレイヤーであった。もちろんソロばかりが集められたのには理由がある。ソロプレイヤーは戦闘中、予想外の敵襲などのハプニングに対して非常に脆弱となる。そのため敵モンスターを事前に察知する《索敵》、余計なモンスターを引っ掛けないようにするための《隠蔽》スキルが重要となり、その二つのスキルレベルがギルドに所属するプレイヤーよりも高い傾向にあるためだ。今回の作戦ではアジトのある層が低層フロアであることから、対モンスター戦闘における危険性は低いと判断されたため、アジト周辺の偵察より重きを置くこととなった。そのため敵の動きを察知するための《索敵》、逆に敵から身を隠す《隠蔽》スキルの熟練度が優先的に考慮されたのだ。
 メンバー確定後の会議により、わたしたちはパーティーを更に三つに分けたツーマンセルで行動することになった。三組でそれぞれアジトである洞窟の出入り口を監視しつつ、何らかの異常が発生した場合は一人が伝令役として本隊へ情報を届けることで、フィールドでは使えないメッセージ機能の代替とする。二人パーティー三つとしないのは、離れた位置からお互いのHPバーを監視しあうことにより、万が一一つのコンビが急襲を受けた場合、それを残り二チームが察知できるようにするためだ。
 そして、少しでも身に危険を感じた場合、すぐに撤退するべし――最後の一文が認められたとき、パーティー全員がそっと息を吐いたのは決してわたしの気のせいではないだろう。わたしも同じ行動をしたけれど、これから死地へ向かうという状況で、「生きたい」という欲求を認めてもらえるということがこんなにも安心するとは思っていなかった。生きるか死ぬかの場面になれば大多数の人間が生き残る望みの高い方へ流れるだろうが、この言葉があるのとないのとでは、撤退の判断を下すポイントが異なる。使命感に衝き動かされ、視野が狭くなった結果、撤退もできなくなっていたということになれば目も当てられない。実際に殺人鬼と剣を交える本隊からすれば何を甘っちょろいことを、と罵られるかもしれないけれど、こっちにだって生死がかかっているのだから、譲れるものではない。

「じゃ、行こうカ」

 最終確認を終えて真っ先に口を開いたのは、今回唯一攻略組以外から選出されたアルゴさんだ。彼女はこれから向かう洞窟がラフィン・コフィンのアジトであることの裏を取った情報屋の一人であり、わたしたちをそこまで導くガイド役と、裏取りのため張り込みをしていた時の経験を生かし周辺の地形、注意すべきモンスター等の情報を教示してくれるアドバイザーの役目を兼ねている。彼女はわたしのツーマンセルの相手でもあり、異常発生時はより敏捷値に優れる彼女が伝令役を務める予定だ。わたしとパーティーのメンバーは、彼女の言葉に無言で頷いた。



 行程は順調に進んだ。
 アジトの場所は低層フロアの僻地、近郊に大きな街区が存在するわけでもなければ、特に効率のいいファーミングスポットや利のいいクエストの指定エリアがあるわけでもない。当然湧出するエネミーもわたしたちからすれば弱った昆虫みたいに貧弱で、ソードスキルを使うまでもなく、文字通り剣の一振りで霧散していった。
 しかし、わたしたちパーティーに弛緩した雰囲気は無く、むしろ歩を進めるごとに緊迫感が膨れ上がっていた。当然だ、今回の相手はすぐに蹴散らせるような雑魚モンスターではなく、その奥に潜む凶悪な殺人鬼たちなのだから。

「よし、ここで団体行動は終わりダ。ここから三手に分かれてハイディング・ポイントで待機、何かあれば伝令役が本隊へ走ル。撤退の判断だけは間違うなヨ」

 聞く人間の調子を狂わせる猫騙しみたいなアルゴさんの口調も、今回に限っては真剣そのもの。わたしたちは無言で深く頷くと、いっそう周囲警戒を念入りにそれぞれの持ち場へ進んだ。
 わたしたちの持ち場はアジトとして使用されている洞窟の、南側の出入り口。洞窟の南東に広がる森の外縁に接していて、木が多く隠れ場所には困らないが、敵の見張りがいる可能性も高い場所だ。わたしとアルゴさんは姿勢を低く保ち、《索敵》、《隠蔽》スキルをフル活用して洞窟入り口が見渡せる位置に陣取った。そこでもう一度《索敵》スキルで周囲を走査し、反応が無いのを確かめてようやく一度胸を撫で下ろす。しかし気は緩めない。これから本隊が到着するまで約三十分、この場所で監視を続行しなければならないのだから。
 肩に手を当てられ振り向くと、アルゴさんが親指で東の方角を指した。事前に取り決めたハンドサインの一種で、本隊への一度目の定期連絡という意味だ。まず待機ポイントについた時点で異常、見張りの有無を報告し、それを材料に作戦の最終決断を下す手はずになっている。わたしが頷くと、アルゴさんは音も無く走り去っていく。この単独行動を余儀なくされる時間が最も危険なのだ――わたしは自分にそう言い聞かせ、緊張の糸のテンションを一層強めた。
 視界にパーティーメンバーを示すアイコンが映ったとき、わたしはこの場所で二度目の安堵の息を漏らした。アルゴさんは行きと同じように無音でわたしの隣まで駆け寄り、木の幹に隠れ洞窟を一瞥、

「動きハ?」
「何にも。本当にいるのか、不安なくらいです」

 短いやりとりを交わす。アルゴさんはもう一度自らの目とスキルで周囲を索敵し、わたしたちと同じく本隊へ報告に向かっていた他のメンバーからの情報を教えてくれた。
 曰く、どの出入り口にも見張りの存在は確認できない。人の出入りも皆無で、気配すら感じられない、とのことだった、

「寝てる……んでしょうか……?」
「そうだったらいいんだけどナ……」

 わたしは微かな希望を抱いた。もし彼らが床についているのなら、当然外に出てくることはないだろう。それに加え、眠っている相手を急襲できるというのは非常に大きなアドバンテージになる。そうなればおのずと討伐部隊の被害は減るだろうし、場合によっては無血投降も可能になるかもしれない――
 わたしはこの時、この思考の孕む危うさに気付かなかった。自分が死と隣り合わせの状況に瀕しているにも関わらず、根拠の無い憶測で赤の他人を心配する。根拠無き憶測は楽観を呼び、楽観は注意力を著しく低下させる。その負の歯車が運ぶ結果を、わたしは予想だにしていなかったのである。

「それじゃ、もう一頑張り、頼んだヨ」

 わたしの肩をポンと叩き、アルゴさんが駆けていった。都合二度目の定期連絡。本隊の移動が予定通りなら、今頃ここから程近い地点まで進んできているはず。そこで各地からの情報を受け取り、作戦の最終判断を下す予定になっているが、現在敵に動きはない。この分なら予定通り決行されるだろうとわたしは読んでいた。そして、わたしの仕事は本隊の到着を見届けて終了となり、予め決められた場所へ転移する手筈になっている。
 もう少し、もう少し――逸る心を抑えつける。すると洞窟の入り口に向けられていたわたしの視界が、暗闇か僅かにゆらりとゆれるのをキャッチした。それは水面に発生した蜃気楼のように揺らめきながら姿を現す。
 洞窟の黒とフード付きポンチョの艶消しの黒との境界線が徐々に浮かび上がり、膝上辺りで裾が足の動きに同調して不気味に揺れる。目深に伏せられたフードのせいで人相は判別し難いが、この人物が《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》の一員であるという仮定の下においては人相の確認など必要ない。何故なら、この服装は彼らの首魁たるPohのトレードマークなのだから。

「……ッ!」

 咄嗟に木陰に伏せたわたしは、心臓が破裂しそうなほどに大きく飛び跳ね、冷や汗が全身から吹き出すのを感じていた。恐る恐る、草の合間からPohの姿がギリギリ視認できる高さまで目線を上げる。Pohは洞窟を出たところで回転し、本隊の移動ルートとは逆方向に歩いていく。
 その瞬間、わたしの思考は大きく揺れた。今わたしにできる選択肢は三つ。この場に残り偵察を続けるか、Pohの移動を本隊へ伝えに向かうか――あるいは、Pohを追跡するか。
 出てきたのがPohでさえなければ、わたしは考えるまでもなく本隊への報告を選択しただろう。元々、この段階で敵方に何か動きがあった場合にはそのようにする手はずとなっている。二手に分かれた本隊のもう片方には情報が伝わらないが、全体が知らないよりはマシだからだ。
 しかし、Pohであるというただ一点が、わたしの思考をぐらぐらと根底から揺るがした。嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)はPoh一人の圧倒的なカリスマと力で成り立っているギルドだ。故に彼の拘束もしくは殺害、というのが主目標の一つであり、討伐部隊としては一番逃したくない目標でもある。それに、もしここで彼を逃がしてしまえば、またラフコフと同じようなレッドギルドを作らない保証も無い。しかし。しかし、せめて移動先だけでも突き止められれば――。
 逃がすわけにいかないという使命感に、本隊が来るまでもう時間が無いという焦り、更にはここまでの偵察が順調だったことによる慢心と油断。それら全てはわたしを衝き動かす衝動へと変貌し、遂にわたしは屈みながら移動を開始した。
 Pohは洞窟を出ると、ゆったりとした歩調で森に入った。見通しが悪くなったため、わたしは聴覚と《索敵》スキルに全神経を集中させて後を追う。そして、木陰から木陰へ、足音に注意しつつ移動しようとした、その時だ――。
 ガサ、と、丁度茂みになっていた部分を踏み抜いたわたしの右足に、何か異物に触った感触があった。あれ? と疑問に思う間すらなくわたしの視界はぐるんと上下に反転し、右足を空から引っ張られる。

「な……!」

 罠に掛けられた――そう気が付いたのは、自分が逆さ吊りになったことに気が付いたのと同時だった。
 脱出しなければ。わたしは腰から剣を引き抜き、高い枝から足首を吊るしているテグスのような糸の切断を試みる。
 しかし、それは叶わなかった。罠に嵌った時点で、勝負は付いていたのだ。
 腹筋に力を込め、上体を持ち上げて糸を切ろうとしたわたしの腿に、一本のナイフが突き刺さった。持ち手の先端部分に髑髏の装飾が施された、武器としての性能は殆どないであろう銀色のナイフ。実際にわたしのHPバーの減少は、一目では減ったと分からない程度のもので、罠から抜け出す上で大した障害ではない。――そのナイフに、毒が塗られていなければの話だが。

「…………っ!!」

 わたしが声を出せなかったのは、半分が驚きによるもの。そしてもう半分が、瞬時に効果を現した麻痺毒により声を出すことすらままならなかったからだ。腹筋の要領で持ち上げかけられていたわたしの上体はだらりと下がり、木の根元へ向いたわたしの視界の中で、感覚の消えた右手から剣が滑り落ちて地面に突き刺さる。

「ま……き、くん……っ……」

 身体中を這いずり回る恐怖と痺れの中、わたしは数十センチ先の剣に――正確には、剣を通して見たワイシャツとスラックス姿の刀使いに向かって必死に手を伸ばす。ゆっくりと近づく足音を頭の隅に捉えながら。



 暗闇の中を、アルゴは駆けていた。空気抵抗を受ける外套の裾がばさばさと波を打ち、肺が仮想の酸素を欲して息を荒げる。街灯も無い道は僅かばかりの明かりもなく、少しでも気を抜けば整備が行き届いているとは言いがたい道の起伏に足を取られ転倒してしまうだろう。しかし、アルゴは走り続ける。
 エミのHPバーが緑色に点滅を始めたのは、アルゴたちが最終のゴーサインを出した本隊を見送って少し経った時だった。この近辺に麻痺毒を使うMobは存在しない。それが意味することは、エミがプレイヤーに――嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)に襲われたということ。
 最早本隊への伝達は間に合わない。それどころか、そろそろ作戦は開始されているであろう頃合だ。にも関わらず、本隊の到着と入れ替わりで離脱する手はずのエミが、何故。疑問は尽きなかったが、それを確認する手段は現場へ向かうしかない。そして即応が可能なのはその場に居たアルゴと、同じく偵察部隊のプレイヤー二人だけだったが、その二人は現場へ向かうことに対して明らかに後ろ向きの態度であった。しかし、それはせっかく死地から生きて帰った者にもう一度命を投げ出せと言うことだ、彼らの気持ちは至極全うと言うべきものだろう。故にアルゴは一人でエミのいた偵察地点まで戻り――そして、発見したのだ。抜き身で地面に置かれたエミの片手剣と、それを重石にしていた、「マサキを連れて来い」と書かれた一枚のメモ書きを。アルゴはすぐに転移結晶で街へ飛ぶと、連絡のつく知り合いにマサキの目撃情報を募集し、唯一の心当たりに走ったのだった。
 まばらにしか存在しない民家を幾つも通り過ぎ、街区を抜け、隣接する針葉樹林に入る。それでもなお走り続けて少しすると、並んでいた針葉樹が視界から消え、短い草に覆われた小さな草原に出た。その中央部分は僅かに隆起して丘のようになっており、その頂上に天から吊るされた糸のような背の高いカラマツが立っている。そして、そのカラマツの根元に、アルゴは膝立ちになった人――マサキのシルエットを見た。
 アルゴは最後の力を振り絞りその人影に駆け寄る。マサキはそれを察知したのか、音もなく立ち上がるが、振り返る気配はない。アルゴはマサキがどこかへ転移するのだと直感し、咄嗟に声を張り上げた。

「待ってくレ! 違うんだ、エーちゃん、エーちゃ、んがっ!?」

 エーちゃん、にマサキがピクリと反応したのと、アルゴがバランスを崩し転倒したのはほぼ同時だった。猛スピードで転んだアルゴは地面をバウンドしながら一回転、二回転してようやく止まり、すぐ傍にあったマサキの足首を両手で掴んで強く咳き込む。

「……よく居場所が分かったな、アルゴ」
「何があっても、此処には来ると思っていタ……ここは、トー坊の墓だかラ……」

 アルゴがカラマツの根元に目をやると、一輪の白い花が生えていた。この花は何ヶ月も前からあるが、何度も耐久値の消耗により消滅している。そしてその度にマサキが植えているのだ。今は亡きトウマへの供え物として。
 この場所こそ、トウマが嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)の襲撃を受け死亡した場所。だからこそ、マサキはどれだけ行方を眩ましたとしてもこの場所には戻ると確信していたのだ。尤も、それがいつであるかはアルゴも把握しておらず、今いるかどうかは賭けでしかなかったのだが。

「エミに伝えろ。何があっても会う気はない」

 冷たい声で通告し、その場を後にしようとするマサキ。その足に縋りつき、アルゴは必死に呼び止める。

「待って、待っテ! 話を――」
「いい加減鬱陶しい! これ以上話などない!」
「エーちゃんが、ラフコフに捕まったんダ!」
「…………っ!?」

 マサキの顔が一瞬のうちにアルゴへと向けられ、その表情と共に硬直した。アルゴには暗闇ながら、マサキの顔がみるみるうちに青くなり、更に土気色に変わるのがしっかりと確認できた。マサキの切れ長の目は大きく見開かれ、中の瞳は動揺によって見定めるべき焦点を見失い落ち着きなく動き回る。

「……んな……馬鹿な……」

 ぽつりと、紫色になって震える唇から零れる。

「今、ラフコフの討伐作戦が遂行中ダ。エーちゃんは、その偵察中にやられタ」

 エミを捜しに行って見つけたメモをマサキに手渡す。マサキはそれを、焦点の合わない目で通常の五倍以上の時間をかけて読み、

「……ッ、クソッ!!」

 背後のカラマツを震える拳で殴りつけた。マサキの筋力値では十メートル以上ある巨木はビクともしないが、鋭い怒気を孕んだ声は静まり返った平原を容易につんざき、木の枝で眠っていた鳥がバサバサと音を立てて飛び立った。

「……すまなイ……オイラには、こうすることしか出来なかった……だかラ……!」

 力なく座ったアルゴが声を張り上げる。それを受けたマサキは震える下唇をギュッと噛み締め、首を回して背後の白い花を見、隙間風みたいに擦れた低い声で途切れ途切れに言った。

「……場所を、教えろ」
「ああ、場所は――」
「待てよ」

 アルゴがマップを呼び出して場所を指示しようとした時、よく響く低い男の声と一緒に二人組が木陰から現れた。逆立った髪にバンダナを巻き、全身を武士系統の装備で固めた男と、巨躯に金属製のプレート装備を纏い両手斧を背負ったスキンヘッドの男。二人はどちらもこれから戦闘に赴くと言わんばかりのフル装備で、こちらに歩み寄りながらマサキとアルゴに向ける真剣な眼差しは、言葉を吸い込むような冷たい緊張感を放出している。

「エギル……クライン……どうして、ここニ……?」
「お前ェからのメールで叩き起こされたんだよ。マサキの居場所に心当たりが合ったら教えろとか、急に言われたって分かるわけねェだろうが。仕方ねェから知り合いにメール回して、マサキん家に様子見に来たらエギルがいたんだ」
「んで、何が起こってるのかアルゴに聞こうとしたら、すぐ近くにいるってことが分かったんでな。二人で来て見たら、この通りだったってワケさ。……本当に、エミが捕まったのか?」

 クラインと共にアルゴたちの傍まで歩いてきたエギルが努めて落ち着いた声で問う。

「……ああ、確実ダ」
「……黒鉄宮は?」

 エギルが言外にエミの生死を問い、アルゴはそれにはっきりと答える。

「オイラはまだエーちゃんとパーティーを組んでる状態ダ。エーちゃんのHPは麻痺状態になっているけど、減ってはいなイ」
「そういうことなら、行くっきゃねぇな。マサキ、俺たちも助太刀するぜ」
「……断る。足手まといだ」

 マサキが三人から目線を外して呟いた瞬間、クラインの腕がマサキの胸倉に伸び、薄い胸板をカラマツの幹に張り付けた。ぐっ、とマサキの肺から空気が漏れる。

「マサキ……手前ェ……!」

 クラインの顔がぐいっと近づき、胸倉を掴んだ右腕が震えた。

「俺たちだってな、お前とタイマンして勝てねぇことなんて百も承知だ! でもな、この期に及んでんなこと言ってられねぇだろうが!」
「誰も頼んでないだろうが……!」
「お前が頼むんだよ! 囮と肉の盾になってくださいってな! ……この前、お前が冤罪着せ掛けられた時、お前があんなに恩知らずな態度した後も、エミちゃんはお前のために頭下げてたよ。お前のために何ができるかって、涙を零しながら考えてたんだよ! それを、お前は……!」

 身体の側面にあったクラインの左腕が一瞬のうちに振りかぶられ――それをエギルの太い手が掴んだ。

「止せクライン。ここは圏外だぞ」

 ラジエーターの代わりには丁度いい落ち着いた声で宥められ、クラインは殴ろうとしていた左手をだらりと垂らした。「クソッ」と毒づき目を逸らしたクラインの代わりにエギルがマサキを正面から見据える。

「マサキ。今はお前のガキみたいな我侭に付き合ってられん。だがな、俺もクラインも、エミを助けに行く。これはもう決めたことだ」

 エギルはそう言うと、マサキから視線を外す。マサキは暫し目尻と口元を震わせ大きな口呼吸を繰り返していたが、やがて小さく

「……勝手にしろ」

 と吐き捨てた。

「ああ、そうするぜ。アルゴ、マップをくれ」

 エギルはにべもなく答え、アルゴからマップの情報を受け取る。それが終わると、エギルとクラインの二人がまず転移し、続いて思いつめたような表情のマサキがシステムに感知されるギリギリの声量で呟き姿を消した。

「ああ……頼むよ、頼むかラ――」

 最後に残されたアルゴが声を震わせると、その双眸から透明な雫が零れた。への字に歪めた口の横を伝い、顎の先端から地面に滴る。彼女の声は、彼女自身が作り上げた《鼠》のイメージから遠くかけ離れた、脆い温度を持っていた。

「もう誰も――」

 アルゴが自分の声を制御できたのはそこまでだった。アルゴから漏れた嗚咽と涙は共に足元の短い草の面を撫で、淡い水色に輝いて宵闇を仄かに照らし空に消えた。
 
 

 
後書き
 裏設定……と言う名目で補足説明を一つ。
 クラインとエギルが討伐隊に参加していなかった理由ですが、エギルは戦闘専門職ではないということで選考から除外、クラインは小規模ギルドということで、情報の機密性を鑑みた大手ギルド幹部がメンバーを最低限のソロ以外大手ギルドからの選出に絞ったため除外、という設定です。本当はこの辺も本文中に上手いこと絡ませたかったのですが、やはり実力不足でしょうね。 
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