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フルメタル・アクションヒーローズ

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第48話 物語の終わりと、始まり【挿絵あり】

 松霧高校の一学期の終わりは、至って平和なものだった。

 教室に入った途端、龍太がクラスメートの男子達に、ロメロスペシャルをお見舞いされる事態があったりはした……ものの、それ以外は何事もなく、終業式自体は滞りなく行われた。あるとすれば、その男子達が式直前に賀織に制裁されたことくらいであろう。

 だが、恒例の校長先生による長話に疲れた生徒達が、次々と意識を睡魔に奪われていく。特にこの一学期の終業式においては、校長の夏休みの長い思い出話が加味されるため、その精神的攻撃力はさらに上昇するのだ。

 ゆえに「真夏の催眠術師」の異名を取る、その校長のスピーチに耐えられるのは、よほどの集中力や忍耐力を持った、一握りの者に限られてしまう。賀織もその一人であり、それが彼女がこの高校でも高い人気を得ている理由の一部でもある。

 そんな中、龍太は数ある脱落者の中でも、断トツの最下位を常にキープしていた。兄の会社から仕入れたエロゲーで、夜更かししているせいでもあるのだが。
 賀織はそんな彼を一度は厳しく叱るのだが、結局は恋心から甘やかしてしまう。それもいつもの光景であった。

 そして、一学期最大の関門である催眠術師の猛襲をかい潜れば、後はホームルームが終わる時を待つだけ。松霧高校の夏休みは、まさに間近に迫っていたのだ。
 そのホームルームまでには一定の休み時間がある。その間、教室の隅で机に突っ伏していた龍太に、聞き慣れた声が響いて来た。

「ほ〜ら龍太、しゃんしゃんせんと、出る元気も出んなるで?」
「……たくもー、俺しか話し相手がいないわけじゃねーんだし。他の友達にも構ってやんないと、かわいそうだぞ?」

 かいがいしく話し掛けて来る賀織に対し、龍太はバツが悪そうに顔を逸らした。彼がこうして、友人に恵まれずに隅に追いやられているのは、紛れも無く賀織の露骨な言動が原因なのだが、それを正直に口にして彼女を傷つけるということだけは、避けねばならないと本人は感じていた。

 そこで遠回しに自分から離れてもらおうと、他の友人達のことを引き合いに出したのだ。
 賀織は龍太とは違い、この学校でも多くの友人がいる。もっとも、(男女関係に)厳しい家庭のことや、周りの男子に因縁を付けられている龍太のことがあるため、そのほとんどは女子なのだが。

「ええけん、気にせんといてや! アタシんとこの友達もみんな、応援してくれとるしっ!」
「はい?」
「あ……ええと、そんなんより、昨日のニュース見た!? 『救芽井エレクトロニクス』の話題!」

 そんな友人達に背中を押されても、ここぞというところで尻込みしてしまうのは、彼女の難点と言わざるを得まい。彼女はあわてふためきながら、他のクラスメートが開いている雑誌に載っていた、二つの白いカラーリングの着鎧甲冑を指差す。

 その両方は「救済の先駆者」と全く同じフォルムであったが、ボディの基調が白という相違点があった。
 また、雑誌にある写真からは、片方は腰に「救済の先駆者」と同じ救護用バックルを装備し、もう片方にはそれがない代わりにメカニカルな警棒を腰に提げている、という差異が見受けられる。

 彼女は自分の恋心を悟られる展開を恥じらう余り、そんな別の話題を持ち出してしまった。

「ああ、見た見た。えーと、もうじき日本にも着鎧甲冑のシェアを広げるってヤツか?」

 しかし幸か不幸か、それは龍太にとっても関心のある話題であり、結果として賀織の話はうやむやになってしまう。
 彼は窓の外に広がる景色を眺め、遠い場所を見るような目になる。救芽井の名を聞くと、あの少女を思い出さずにはいられないからだ。

 ――あれからアメリカに帰還した救芽井家は、次世代レスキュースーツ「着鎧甲冑」を正式に発表し、それを取り扱う企業「救芽井エレクトロニクス」を創設した。
 それもはじめは小さな会社であり、世間的にはそれほど注目はされていなかった。しかし、救芽井樋稟が着鎧する「救済の先駆者」がマフィア退治や人命救助に奔走するうちに、徐々に知名度が上がり、今やアメリカ本社を中心に世界的な活躍を見せる、一大企業へと成長したのだ。
 その商品である、初の量産型着鎧甲冑「救済の龍勇者(ドラッヘマン)」の存在は、世界中に衝撃を与えた。一瞬で装着され、どんな危険も乗り越えて人命を救いに行く、ヒーロースーツの誕生。それは、テレビの中にしかいなかったヒーローの実現、とも言えただろう。
 しかし、着鎧甲冑を一台生産するのには莫大なコストを消費してしまうため、大企業となった今でも、救芽井エレクトロニクスの所有する「救済の龍勇者」は、二十五台しか存在していない。

 それは、救芽井家が持つ特許権により、着鎧甲冑の軍用禁止令が出されていることも起因していた。
 製品版である「救済の龍勇者」の発表当初から、軍需企業からの誘いは数多くあった。しかし、救芽井家は「強行手段で兵器転用を目論む者が出ていた」という背景を元手に、それらを全面的にシャットダウンしていた。
 誘拐の罪に問われ、アメリカの刑務所に拘置された古我知剣一の例を出されては、表立って軍用を主張することは難しい。軍需企業の面々は、身を引く決断を強いられていた。
 これにより、着鎧甲冑が発展していくための足掛かりを失うのではないか。古我知剣一が感じていた懸念が、まさにその事態なのだ。

 それでも軍事が発達しているアメリカ国内では、着鎧甲冑の兵器化を求める声は少なからず存在していた。社会契約論を基に、「アメリカの企業なのだからアメリカの国益に協力すべき」という意見が数多く出回り、レスキュー用以外への進出が求められていたのだ。
 そんな人々への回答として、救芽井家が提示したもの。それは、「救済の龍勇者」の「二分化」であった。

 「救済の先駆者」を開発していた当初から視野に入れられていた、「機動隊への適用」。それを「兵器」にならない程度に行うことで、可能な限りの譲歩をする、というものだったのだ。
 本分であるレスキュー用に特化した「R型(アールがた)」。警察用の特殊防護服として改修された「G型(ジーがた)」。「救済の龍勇者」のバリエーションは、その二種類の型式に分割されたのだ。爆発反応装甲により、着鎧する人間に与えるダメージを最小限に抑え込む、という新機能つきで。

 特許権を後ろ盾に、兵器化の声を強引に封殺してしまうのは容易である。しかし、そんなやり方は、武力にかまけて着鎧甲冑の兵器化を強行しようとした「技術の解放を望む者達」と何ら変わらない、無情な独裁に過ぎない。
 だからこそ、あくまで「兵器にはしない」スタンスを維持しつつ、最低限の自衛機能を備える「G型」を敢えて生み出すことで、「戦うこと」も「守ること」もできる着鎧甲冑を作り出したのだ。
 それが、「技術の解放を望む者達」を率いる古我知剣一をはじめとした、兵器化を望む人間達へ、救芽井甲侍郎が出した答えであった。

 大声を上げてモノを要求する人間に対して、ある程度それを譲歩すると、毒気を抜かれて「大声」を上げられなくなるもの。それ以降も喚いていれば、それが滑稽に映るからだ。
 「押して駄目なら引いてみる」という言葉があるように、「呪詛の伝導者」を参考に設計された「G型」の誕生は、多くの軍用派を萎縮させる結果を生んだ。非殺傷の電磁警棒を除いた装備や、改造・分解を禁じた「G型」は、FBIやインターポールによって積極的に運用されている。

 もしこの措置がなければ、今頃は第二の「技術の解放を望む者達」が現れ、救芽井家が再び窮地に陥っていたかも知れない。その可能性に気づき、対策を講じることが出来たのは、一煉寺龍太の活躍が大きい。少なくとも彼を知る救芽井家の面々は、そう感じていた。
 「救済の龍勇者」という名も、あのイブの夜に樋稟が見た、彼の勇気にあやかったものである。外国語を苦手とする本人は、それを理解してはいなかったが。

 こうして、救芽井エレクトロニクスは「救済の龍勇者」を代名詞的商品とし、数は少ないながらも、平和と人命を守る日々を送るようになっていた。レスキュー隊では「R型」が、警察組織では「G型」が。それぞれアメリカ国内で活躍を始めている。
 そして剣一が胸中で案じていた問題は、「兵器化に頼らず、人々を救い続ける」と決意した樋稟が紛する「救済の先駆者」の活躍により、少しずつ解消されようとしていたのだ。その姿は、甲侍郎が着鎧甲冑のモデルとしていた、古きよき昭和の特撮ヒーローを再現していたのかも知れない。
 最初は恥を忍んで変身ポーズを練習していた樋稟が、徐々にそのノリに馴染んでいったのと同じように、彼女達の活躍を目の当たりにしたアメリカの人々は、少しずつ「救芽井エレクトロニクス」を認めていくようになったのだ。
 一人でも多くの人命を救うためならば、火の中でも水の中でも、強盗現場にでも駆け付ける。そんな彼女の姿勢は自然と人々を惹き付け、着鎧甲冑のあるべき姿を知らしめていった。

 そんな折、「救済の龍勇者」を生み出した救芽井家の祖国である日本にも、着鎧甲冑のシェアを広げようという話が持ち上がっているのだ。甲侍郎も、この件のインタビューには好意的なコメントを残しており、既にアメリカ国内のニュースでは、決定事項であるかのように報道されている。
 日本でもこのことは大きく取り上げられ、「アメリカで話題の『ヒーロー製造会社』、日本上陸か!?」という見出しが、全国新聞の一面を独占する事態に発展していた。

 それに伴って世間の話題をさらっていたのが、「救芽井樋稟には婚約者がいる」というニュースだった。
 日本への「着鎧甲冑」の進出、ということもあってか、多くの日本人ジャーナリストがアメリカ本社へ詰め掛ける中、突然発覚した大事件である。
 実は日本進出の際、資金援助の話を持ち掛けていた資産家が、提携を断られる一幕があったのだ。資金援助の条件として、「その資産家の当主と、樋稟との結婚」が挙げられていたことが、その理由である。
 樋稟はその類い稀なる美貌とプロポーションから、救芽井エレクトロニクスのコマーシャルを務めており、アメリカ国内でもアイドル的に扱われている。そのためファンも数多く存在していた。その彼女が資金援助を理由に結婚を迫られた、というだけでも十分に大事件と言えよう。
 しかし、それだけでは終わらなかった。資産家側が断られた理由が、「樋稟には既に婚約者がいる」というものだったからだ。
 余りの美しさと気高さから、絶対不可侵の美少女と謳われていた彼女に、婚約者がいる。そのニュースにファン一同は困惑を隠せずにいるという。

 以上のようなニュースの数々が、今現在、世間を賑わせているのだ。
 そんな中で、賀織は一抹の不安を感じずにはいられなかった。救芽井エレクトロニクスの日本進出。そして、樋稟の婚約者。
 彼女が龍亮から聞き出した、龍太の事情を鑑みれば、これは本人への求婚のサインとも取れる。より早くシェアを広げるより、樋稟の幸せを優先する救芽井家の対応を見れば、彼らが本気で龍太を婿に取ろうとしている事実は明白であるからだ。

 だが問題なのは、それだけではなかった。

「……いかんいかんいか〜んっ! 龍太が、龍太が取られてまう〜っ!」
「あのなぁ、まだそのネタ引きずんの?」

 ――肝心の本人が、それを事実として認識していないことである。

「もー、またそんなこと言いよる! 甲侍郎さんが言いよったことなんやろ!?」
「だから、それは向こうが勝手に言ってるだけだってば。それに、大事なのは本人の意志だろ。アイツが俺なんて好きになるわけないし」
「いーや! 救芽井は絶対あんたのこと狙っとる! 女の六感が騒いどるんや!」
「いや、ねーって。だって、俺だぞ?」

 龍太自身にとって、救芽井家が持ち出していた樋稟との結婚という話は、余りに突飛だったのだ。初対面であるはずの大人から、いきなり「婿に来い」と言われて納得するのも難しくはあるのだが。
 一年半以上が過ぎた今、すっかりその話を信じることが出来なくなっていた龍太は、自分の性的魅力に自信が持てないこともあって、彼らの言動は「モテない自分を励ますためのドッキリ」だったと思い込むようにしていたのだ。

 ――救芽井エレクトロニクスが世界的に有名な企業になった今、自分なんかが婿に行ってどうなる? そもそも、住む世界が違いすぎる。あれは、都合のいい夢であり、ドッキリだったんだ。
 ……それが龍太の胸中そのものであり、今こうしてテンションが低くなっている要因でもある。

 だが、その一方で本人にも意識せざるを得ない点がある。
 樋稟との、最後のやり取りだ。

「あいつ、婚約者がいるくせに……あんなことして、よかったのかよ」

 彼の脳裏に蘇る、口づけの瞬間。そして、目に映る幸せな微笑み。それは到底、「ドッキリだった、演技だった」と割り切るには、苦しすぎる程にリアルな体験だったのだ。
 ――彼女ほどの人間が自分を好きになるはずはない。しかしそうでなくては、あの行動に説明がつかない。
 着鎧甲冑の兵器化を推し進めようとする一方で、救芽井家にも気を遣っていた剣一とは比べものにならないほど、目的や言動が矛盾してしまう。(龍太から見て)考えの読めない樋稟の振る舞いに、彼は頭を抱えるしかなかった。

 そんな彼の姿を見た賀織は、龍太が樋稟との結婚を決意しようとしている……そう勘違いして、ますます(勝手に)窮地に陥ろうとしていた。

「……こ、こうしちゃおれん! りゅ、龍太!」
「あん? どうしたよ、急に改まって」

 やつれた表情で、机に顎をついて見上げる龍太。告白されようとしている男子高校生とは思えない顔である。

「え、えと、その……こ、こんな場所でこんな時に、言うようなことやないかも知れんけど……ア、アタシ、ずっとあんたが――!」
「お〜いモブ生徒共、席に付けい。一学期最後のホームルーム始めっぞ」

 そして、今まさに想いを告げようとしていた少女もまた、運と土壇場の度胸が欠けていたようだった。乱暴にドアを開け、ずかずかと教壇に立つ担任。その適当な言葉遣いを耳にして、談笑していたクラスメート達は渋々と自分の席へと引き返していく。

「よ〜し、んじゃ早速始めっぞ。テメーら美人の女教師とかじゃなくて残念だったなオラァ」

 無精髭が似合い、今の龍太に匹敵する負のオーラを噴出している担任教師。四十代前後のその教師は、細く萎びた目線を龍太と賀織に向ける。

「オメーもさっさと席につけ、矢村ぁ。ヤるのは勝手だが、そん時はせめて屋上に行けよ。ここでは盛んな」
「だだ、誰がそんな破廉恥なことするんや!? 先生は関係ないけんッ!」

 スカートの裾を抑え、頬を赤らめた賀織が絶叫する。その仕草に、男子一同は興奮の余り、彼女に負けじと顔を紅潮させた。中には鼻血を噴き出し、椅子から転落する者もいる。

「矢村の赤面キター! たまんねぇよオイ!」
「一煉寺死ね〜! 今すぐ死ね、今死ね!」
「そんな奴に賀織ちゃんの純潔を渡してなるものか! 一煉寺に奪われるくらいなら、いっそのこと僕が――」
「テメーらの赤面なんて誰が得すんだよキメェな。いいから座れ、転校生が教室に入れねーだろーが」

 今がホームルームであることを完全に度外視して、各々で騒ぎ出すクラスメートの男子一同。そんな男性陣を冷ややかに見ている女性陣を代弁するかのように、担任がバッサリと言い斬った。

 痛い点を突かれ、それに耐えうるバイタリティも持たない彼らは、敢なくその言葉の前に沈没していく。「キメェ」と両断されてしまった男子達は、萎む風船のように各々の席に縮こまって行った。

 その過程で、クラスメートの一人が眉を吊り上げる。

「……転校生……だと……!?」
「ん? あぁ、まぁそうだ。一緒に勉強するのは二学期からになるが、その前に挨拶くらいは済ました方が、本人の為になるって思ってな。聞かれる前に答えとくが、一応女だぜ」

 刹那、呟いたその生徒が、何かに覚醒したかのような眼光を放つ。奇跡の存在を、今、確かめたかのように。

「――うおぉぉおおッ!」

 そして天さえ突き破りそうな程の、歓喜の叫び。彼をその筆頭として、数多の男子生徒達が狂喜のオーケストラを巻き起こした。

 転校生の女の子。ボーイ・ミーツ・ガールを信じる男子なら、一度は憧れるシチュエーションだろう。クラスメートの男性陣は今、自分達の楽園をこの教室に見出だそうとしていた。

「じゃーまー、取りあえず入れるぜ。テメーら仲良くしてやんねーと、社会的にヤバイぞ」

 忠告するような担任の口調に、龍太は眉をひそめる。

「社会的に……? 仲良しを求めるだけにしちゃあ、妙な脅し文句だな」

 そんな彼の疑念をよそに、男性陣は腕や腰を振って転校生の到来に喜び、テンションを限界まで高めようとしていた。
 担任はかなり「社会的に」という部分を強調して言っていたのだ、彼らはそんなことは気にならないらしい。「転校生の女の子」が来た……というその一点にしか、注目していないようだった。

「まぁ、もうどーでもいいか……んじゃ、入れ。救芽井」

 ――そして、担任が放った一言により、教室全体が静まり返る。

「え? 救芽井……?」
「なんかどっかで聞いたことあるような……」
「アレじゃね? 『着払いなんとか』ってヤツ作ってた会社」
「『着鎧甲冑』でしょ、常識的に考えて。ていうか、あんな珍しい名字が他にいたのね……」

 今度は男子だけではなく、女子も一緒に騒ぎはじめた。担任の口から出て来た「救芽井」という姓を聞けば、世界的な知名度を持っている、あの美少女を連想せずにはいられないからだ。

 そしてそれは、龍太と賀織も同じであった。二人は顔を見合わせ、同時に目を見開く。

「救芽井……そんな、うそやろ!?」
「日本に来るとは聞いてたけど、まさかそんな……!?」

 そうして彼らが狼狽している間に、ついにドアが開かれる。担任とは違い、なるべく音を立てないように、ゆっくりと。

 誰もが固唾を飲んで凝視する中、その転校生は川を流れるような静かな歩みで、教壇の傍まで足を運ぶ。次の瞬間、クラス全体が驚愕の余り固まってしまったのは言うまでもない。

 茶色のショートヘア、汚れのない湖のような碧眼。美の神の産物と呼ばれる目鼻立ち。そしてスレンダーな体型に反して、豊満に飛び出した胸。
 紛れも無い、今世間の話題をさらっている、あの美少女だったのだから。

 そんな彼らを前にして、その転校生――否、麗しく成長した救芽井樋稟は、担任と頷き合うと共に、チョークを取って黒板に自分の名を書き上げる。

「この度、アメリカよりこちらの学校に編入させて頂きました、救芽井樋稟といいます。皆様、まだここではわからないことばかりですが、私にできることは何でも尽くしていくつもりですので、何卒よろしくお願いいたしますね」

 続けて、自分の姿に固まっているクラスメート達に対し、悠然とした態度で自己紹介をした。その冥界から舞い降りる天使のような笑みは、男子生徒達の心を根こそぎ奪い去っていく。

 ――ある一人の男子を除いては。

「あー……知ってるヤツがほとんどだと思うが、彼女はアメリカからの帰国子女ってとこだ。何でも親御さんの意向で、こんなド田舎の町までやって来たらしい。つーわけだからテメーら、ちゃんと仲良くしてやんねぇと、この嬢ちゃんのバックにブッ潰されんぞ」

 そこで出て来た担任の言葉で、ようやく龍太は「社会的に」が強く言われていた理由を悟る。

 こんなド田舎の名もない町に、世界中にファンがいるスターが飛び込んできたのだ。そんな中で、彼女の身によからぬことでも起これば、責められるのは間違いなく松霧町全域。下手をすれば、住民全員が世間から白い目で見られることになる。

 仲良くしろ、というのはそういった事態を可能な限り避けていくためのものなのだ。他の男子達の心境としては、到底それどころではなかったのだが。

「おいおいウソだろ……なんで、なんであの世界的なスーパーアイドルが……!?」
「やべ、本物だよ……間違いねぇよ! 俺、もう死んでもいい……!」
「ああ、俺が生きてる意味が、今やっと見えてきた。母さん、産んでくれてありがとう……!」

 対面してものの数秒で、既に彼女の虜にされる男子達。そんな彼らを傍目に見て、龍太は思わず顔を伏せる。

「ちょっとちょっと待て待て待て……! なんでアイツがここに来るんだよ!? アメリカでの仕事はどーしたんだよ……!」

 ブツブツと眼前の状況に文句を垂れている彼の隣で、賀織は悔しげに口を結んでいた。

「く〜ッ……もう来よるなんて! いかん、どうしよ……このまんまやったら龍太が、龍太が……!」

 ライバルの思わぬタイミングでの台頭。そのショックは大きく、彼女の胸中にある警報機は、必死に今の状況が危険であると警告していた。

「それじゃー救芽井、どっか空いてるとこ座れ」
「はい」

 短い言葉を交わした後、彫像のように動かないままだった樋稟は、ようやくその華奢な脚を動かし始めた。夏服ということもあり、そのプロポーションが成せる色気たっぷりの歩みが、見事に現れていた。

 その姿に男子達はもちろん、女子達までもが魅了されていく。

「すごーい……なんだかモデルみたい」
「モデルよりもっと凄いわよ! どうしよう……話し掛けられたりしたら卒倒しちゃうかも」

 ――ある一人の女子を除いては。

「ぐぬぬ……!」
「ふふっ、お久しぶりね。矢村さん」

 樋稟が目指したのは、窓際にいる龍太の前にある席だった。その龍太の隣にいる賀織と目が合った途端、彼女は突然、勝ち誇るような笑みを浮かべる。
 一方、賀織はそんな彼女を睨み上げ、艶やかな唇を噛み締めた。さながら、得点のチャンスを土壇場で逃してしまったスポーツ選手のように。

「その様子だと、一年以上もチャンスを上げたのに、まるで進展がなかったみたいね。残念だけど、私の勝ちよ」
「だ、誰が負けたりするんや! フン、アタシは長いこと龍太と一緒におるんやで。あんたとは経験の差があるんやけんなっ!」
「ふふ、お好きなだけどうぞ。でも確かに、キャリアでは私の方が劣るのは事実よね。結局はあなたのその貧相なボディで、彼が喜べばの話ですけど?」
「うう、うるさーい! この乳牛っ! 龍太は、龍太は、小さい方が好きなんやからなっ!」

 今や人々を魅了するアイドルとなっている救芽井に対し、賀織は恐れることなく反発する。例え相手がどんな強敵でも、龍太だけは渡さない。その想いが、彼女を必死に奮い立たせていた。
 そんな二人のやり取りを聞いた他のクラスメート達は、揃ってどよめきの声を上げる。彼ら三人の三角関係を知らないのであれば、当然の反応だろう。

「え、なに? なんで救芽井さんと矢村さん、いきなりケンカしてるの!?」
「もしかして知り合い……!?」
「マジで!? 世界的アイドルと!?」
「しかも一煉寺の話が出て来たぞ! なんなの!? アイツってマジでなんなの!?」

 動揺を隠せないクラスメート達をよそに、樋稟は勝者の余裕を見せ付けながら、今度は龍太の方に向き直る。

「……どう?」
「どうって……なにがだよ」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべる彼女の顔を見ると、どうしてもキスのことを思い出してしまう。それを悟られまいと、龍太は顔を左に逸らしてしまった。
 しかし、彼の意図など樋稟にはお見通しである。彼女の恋心に全く気付く気配のない、龍太の方とは対照的なくらいに。

「お婿さんの話よ。鈍いあなたのことだから、質の悪い冗談だとでも誤解してそうだと思ってね。ちょっと一人でここまで来ちゃったの。シェア進出に先駆けてって意味合いもあるけど」
「……おい、それ以上からかうなよ。俺が変に勘違いしちまうぞ」

 赤面した顔を見られまいと、龍太はさらに首を捻る。そんな彼の姿や気持ちが嬉しくて、樋稟は彼の机に身を寄せた。

「どうしても、納得できない?」
「できるわけ、ねーだろ。だって……俺だぞ」

 高鳴る心拍に気付かれたくない一心で、龍太はそっぽを向き続ける。そんな彼の姿に、樋稟は小さくため息をつく。まるで、手の掛かる弟の面倒を見ている姉のような、困った笑顔を見せながら。

「じゃあ、もう一度……ううん、何度でも。夢でも悪戯でもないってこと、教えてあげちゃおうかな」
「は……?」

 その発言に首を傾げ、龍太が樋稟の方に向き直ろうとした瞬間。

「んっ……」

 少女の方へと向いていた彼の右頬に、薄い桃色の肌が押し当てられた。

「んなあぁあぁあぁああッ!?」

 刹那、賀織を筆頭にしたクラス一同が、阿鼻叫喚のコーラスを奏でる。その声量は教室一帯に響き渡り、余波を受けた担任は耳を塞いで状況を静観していた。事なかれ主義を貫き、深くは関わらないつもりでいるらしい。

 そして声には出さないまでも、龍太自身も驚きを隠せずにいた。
 そっぽを向いていれば、いずれは愛想を尽かすだろう。そう思っていたのに、まさか相手に向けていた頬にキスされるとは、思ってもみなかったのだ。
 あの日の口づけとは反対の頬に、愛情を注ぐ樋稟の顔は恍惚に染まっており、当時を上回る色香を放っていた。彼女自身、龍太へ捧げた唇の感触が忘れられず、この時を待ち望んでいたのだ。

 赤くなった顔を隠すことも忘れ、龍太は鼻先まで赤くして樋稟の方へと首を向ける。互いに頬を染め合った二人は、しばし沈黙に包まれ――

「……絶対、逃がさないんだから。私の、ヒーローは」



 幸せな微笑みを間近で見せ付ける、彼女の一声が――それを打ち破るのだった。 
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