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ドリトル先生と春の花達

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第七幕その七

「日本人の死への考えが桜みたいだから」
「だから日本人は桜が散ると悲しく思う」 
 最後に老馬が言いました。
「そういうことなんだね」
「そうだね、皆が言うことも正しいね」
 先生は皆に応えて言いました。
「とはいっても何が間違いとかじゃないけれどね」
「正しいことのうちの一つだね」
「和歌についての」
「そういうことね」
「そうだよ、正しいことは一つか」
 それはといいますと。
「そうとは限らない場合も多いんだ」
「和歌もだね」
「そういうことなんだね」
「何か正解はいつも一つだって言う人もいるけれど」
「そうとは限らない」
「そういうものなのね」
「学問によっては違うよ、同じ和歌を詠んでも人によって受け取り方も違うしね」
 そうしたこともあるというのです。
「だからね」
「僕達が言ったことも間違いじゃない」
「正しいことのうちの一つ」
「そういうことね」
「そうだよ、正解は一つの場合も複数の場合もある」 
 先生はまた言いました。
「皆もこのことはわかっておいてね」
「うん、わかったよ」
「時と場合によって正解は幾つもだったりする」
「そのことを覚えるのも大事」
「いや、哲学だね」
「うん、哲学になるね」
 この正しいことが幾つもある場合もあることはというのです。
「確かにね」
「先生哲学も詳しいし」
「哲学の博士号も持ってるしね」
「この前も論文書いていたし」
「キルケゴールとかいう人についての論文だったかしら」
「そうだよ、デンマークの哲学者で」
 そのキルケゴールという人はです。
「凄く悩んで苦しんでね」
「そして哲学を進めていった」
「そうした人だったんだ」
「そしてその人についての論文を書いたんだ」
「そうだったの」
「キルケゴールの本は読んできたよ」
 先生もです、見れば書斎にあれかこれかという本がありますが日本語で書かれているものです。
「英語でもね」
「ああ、英語だね」
「デンマークの人だったけれど」
「英語の本を読んだの」
「デンマークの原語のも読んだよ」
 先生はデンマーク語も読み書きが出来るからです。
「そちらもね」
「それで論文も書いたの」
「先生いつも何かしらの論文書いてるけれどね」
「今回も書いて」
「それで発表したのね」
「うん、キルケゴールについて書けたことはね」
 先生はにこりとして言いました。
「僕も嬉しかったよ、実は僕は哲学もまた神と共にあると思っているんだ」
「あれっ、神は死んだんじゃないの?」
「哲学においては」
「そう言ってるんじゃ」
「違うの?それは」
「そうしたことを言う哲学者もいるけれどね」
 それでもというのです。
「僕はそう考えているんだ、何しろね」
「何しろっていうと」
「どうなの?」
「神は死んだっていう人がいても」
「先生は哲学もまた神と共にあるって考えてるのは」
「それはどうしなのかしら」
「何故なら哲学もまた神学、日本でも仏教の考えから派生しているからね」
 神仏についての学問からだというのです。
「そこから考えてそしてね」
「生まれた学問だからなんだ」
「じゃあ神様が人を哲学を生み出す様に導いたんだね」
「神学から」
「そうなんだね」
「うん、中国の思想もね」
 そちらの哲学もというのです。 
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