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ソードアート・オンライン 〜槍剣使いの能力共有〜《修正版》

作者:カエサル
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ALO編ーフェアリィ・ダンスー
  22.世界の中心・アルン



「…………世界樹…………」

階段を駆け上がった先、濃紺の夜空にくっきりと映る巨大な影に視線を奪われた。

「…………間違いない。ここが《アルン》だよ。アルヴヘイムの中心。世界最大の都市」

「……道中色々あったけど、ようやく着いたな」

「ああ。……ようやくだな」

大きく伸びをするシュウと頷くキリト。そのポケットからユイが顔を出し、輝くような笑みを浮かべた。

「わあ……! わたし、こんなにたくさんの人がいる場所、初めてです!」

それはリーファも同じだった。種族の領地を出て、自由に楽しんでいるプレイヤーがこれほどいるとは思わなかった。
パイプオルガンのような重厚なサウンドが大音量で響き渡る。機械的な女性の声が空から降り注ぐ。午前四時から週に一度の定期メンテナンスが行われるため、サーバーがクローズされるという運営アナウンスだ。

「今日はここまで、だね。一応宿屋でログアウトしよ」

スプリガンとインプは、目の前に聳え立つ巨大な幹を睨みつけている。いや、もっと上の遥か高みの世界樹の枝。
細められた二人の瞳。そこでリーファはこの少年たちがアルヴヘイムにやってきた理由を思い出した。
世界樹の上にいる《誰か》を探していると言っていた。
するとこちらの視線に気づいたキリトがいつもの表情に戻って言った。

「メンテってのは、何時まで?」

「今日の午後三時までだよ」

「そうか……」

軽く眼を伏せるキリトの背中をシュウは強めに叩く。パァン、という快音が辺りに鳴り響いた。

「なんて顔してんだよ。ほら、早く宿屋に行ってログアウトすんぞ」

シュウはまるでキリトに心配するなと言っているようにわずかに笑みを浮かべる。するとキリトは笑みを浮かべ返すと素早い動きでシュウの背後に回り込み、先ほどよりも快音が響くほどの強さでシュウの背中を叩いた。
シュウはそのまま悶えながら地面に倒れこんだ。痛覚など働いていないはずなのにかなりオーバーなリアクションをとっている。

「お返しだ……」

いつもの悪戯をするような笑みを浮かべるキリトにリーファも安心して自然と笑みがこぼれた。
この二人は、言葉を交わさずしてもどこかで通じ合っているように見えた。互いにメチャクチャで、どちらも人に合わせるようなタイプでもない。それなのにいざという時には、わずかな言葉だけでも相手を理解して行動する。噛み合わないようで、噛み合っている。そんな関係がリーファにとってはとても羨ましく見えた。仮想世界(こっち)をもう一つの現実だと感じているキリトとシュウだからこその関係なのかもしれない。
いつかリーファもそんな風にこちらでも心を許せる人ができるのだろうか。
不意に向かいの家に住む少年の顔が浮かんだ。しかし、浮かんだが表情はあの絶望を瞳に宿した少年だった。
あれを思い出すと心が締め付けられるように痛い。俯きかけたリーファは、視界の端でいまも地面の上でうずくまる少年を捉えた。
すると締め付けられるような痛みがスッとなくなっていく。

「さ、こいつはほっといて宿屋探そうぜ。俺もう素寒貧だから、あんま豪華じゃないところがいいな」

キリトが軽くリーファの背中を叩いて言った。

「……いいカッコして、サクヤたちに全財産渡したりするからよ。宿代くらいとっときなさいよね!」

リーファはキリトの胸ポケットにいる妖精に訪ねた。

「パパはああ言ってるけど、近くに安い宿屋ってある?」

ユイも眉を寄せて世界樹を凝視していたようだが、すぐに笑顔を浮かべて答えた。

「ええ、あっちの降りたところに激安のがあるみたいです!」

「げ、激安かぁ……」

ひきつるリーファをおかまいなしに、キリトがすたすたと歩いていく。

「ほら、シュウ君も行くよ」

ようやく立ち上がりかけていたシュウの手を掴み強引に立ち上がらせるとキリトの後を追って行く。
夜更かしのし過ぎで強烈な眠気に襲われているはずなのに、小さな胸騒ぎを感じてリーファは世界樹をもう一度見上げたのだった。


────────────────────


朝の霜がまだわずかに残っているアスファルトの上をロードバイクを走らせる。朝方に比べれば寒さはそれほどでもないがやはり寒いということには変わりはなかった。
それに加えて強烈なまでの眠気が集也を襲いロードバイクの走行中であってもあくびは止まらず何度かスピードを落として眠気眼を擦る。
そもそも昨日、正確に言えば今日の午前四時までゲームをやっていたにも関わらず、現在は九時を少し回ったところだった。
ALOをログアウトしてすぐに疲労で眠りには着いたが、八時半頃にスマートフォンがけたたましい音を立てて鳴り響き、強制的に叩き起こされた。
───電話だった。
朝早くから誰だよ、と不機嫌になりながらも出て早口で言われた内容を寝ぼけた頭で精一杯処理した結果が、「十時過ぎにいつもの場所に来てくれないか」ということだった。もっと何か色々と言っていた気がしたが、ほとんどを聞き流していたか、電話中に寝ていたためあまり覚えていない。
めんどくさいと思いながらも電話の相手が相手だったため、集也は嫌々ではあったがすぐに準備してロードバイクを走らせたというのが現状況に至るまでの流れであった。
必死こいてペダルを回し続けてようやく目的地に到達した。所沢市の体育館。メインアリーナとサブアリーナの二つに別れており、さらにはトレーニング施設や会議室まである体育館という規模にしてはかなりの大きさだ。
駐輪場にロードバイクを止めると一度、スマートフォンを確認する。集也を呼び出した張本人からメッセージが入っていた。
『サブアリーナのA面にいるから着いたら入って来てもらっていいよ』
了解しました、と短い文章を打ち込んでから正面玄関の方へと足を運ぶ。
中へと入り、受付の中年の女性にAコートに知り合いがいることを伝えるとなんの確認も取らずに、どうぞ、とすぐに入れてくれた。
靴を履き替えたのちに通路を抜けてサブアリーナの扉を開けた。

「こんちわー」

時間帯が微妙なのであってるかどうかもわからない挨拶をしながら集也は中に入る。サブアリーナといっても、バスケットコート一面分以上はあるので結構広い。その半面を使っていた数人の男女が集也の声に振り返る。

「やあ、朝早くから呼び出してしまってすまないね」

その中の男性が一人がこちらに歩み寄って来る。わずかに天パがかった黒髪に優しい目元に整った顔立ち。少しヨレヨレの上下に黒のジャージ姿。雰囲気から飄々とした感じを醸し出す青年。この人物こそ、集也を朝っぱらから呼び出した張本人だった。

「悪いと思ってるなら出迎えくらいしてくれてもいいんじゃないですか、シンさん」

「そこまでは思いつかなかったな。すまないね、シュウ君」

ははは、と悪びれる様子もなく笑う青年。彼は《シンさん》───親しみを込めて皆がそう呼んでいる。そしてなぜ彼が集也のことを本名ではなくプレイヤーネームで呼ぶかというと初対面の時に間違って本名ではなく、プレイヤーネームを名乗ってしまい一度本名じゃないと訂正したのだったが、「呼びやすいからそのままでいいんじゃないか」と言われて彼はそのまま《シュウ》と呼び続けている。
SAOの帰還者だとバレると集也があのシュウだとたどり着く者もいるかもしれないが、《シュウ》という名前は現実でもありがちな名前なのでわからないはずだ。
シンさんに出会ったのは、大体一ヶ月くらい前に病院でリハビリをしている時だった。あまり人と話すのが得意ではない集也にもフレンドリーに接してくれて、その時にポロっと自分がSAO生還者(サバイバー)だということを言ってしまった。そこからシンさんは目の色を変えたように今まで以上に接してきた。
その理由が今日、集也がこの場所に呼ばれたことにも関係していた。
バスケットコートの半面、それをさらに半分に縦横約九メートル四方のラインが引かれており、その中で二人の男が向き合っており、数人がそれを取り囲むように見ている。顔面を覆うような透明なプラスチックの面と手には黒い棒状のものが握られている。
互いに足踏みをしながら軽く上下に跳ねて間合いを図っている。すると片方の男が素早い動きで半歩間合いを詰めたのちに持っていた黒い棒を横に振り抜いた。もう一方の男がそれを軽く躱すと逆にカウンターを決め込み、黒い棒が相手の右脇腹に直撃し快音を立てて体育館内に鳴り響いた。

「……お、完全に入ったな」

隣でシンさんが少し嬉しそうな笑みを浮かべている。
周りを取り囲んでいた三名の男女が一斉に赤色の旗をあげる。
これが集也がここに呼ばれた理由だった。
《スポーツチャンバラ》という競技。日本の遊戯として昔からあったチャンバラをスポーツとしてルールと安全性を確定したスポーツ。剣道にルールとしては似てはいるスポーツではあるが明確な違いが二つほどある。まず、剣道のように有効打突と呼ばれるものは存在せず、基本的に体のどこかに十分な威力で当てれば有効打となる。もう一つは使える得物(武器)の種類だ。剣道ではもちろん竹刀だが、スポーツチャンバラにおいては、槍・棒・杖・長剣・小太刀・短刀・盾などまるでRPGの武器のように豊富にある。その刀身は空気で膨らませたゴムチューブが使用されているため、当たってもそれほど痛くはない。
獲物の種類によって競技が分かれており、戦い方も獲物ごとに様々なので意外と奥が深く面白い。

「折角、遠くから来てもらったのにぼっとしてるというのも暇だろう。早速、僕と手合わせしてもらえないかな」

「もちろんそのつもりで来たんですから」

体育館の壁際にジャンバーを脱ぎ、持ってきたジャージに着替え、先ほどまで試合をやっていた男性から長剣を受け取るとコートの外で軽く準備運動をする。大体二十キロ近くの距離を走っていたので体自体はすでに温まっているため、すぐに準備に着く。
向かいに黒のジャージに身を包んだ青年が笑顔をこちらに向けている。その手には集也同様に長剣が握られている。
互いに礼をしてからコート内へと入り、中央に引かれた開始線の位置で止まる。

「一本勝負を始めます。構え!」

審判の一人の声に互いの武器を中段で構えて静止し、視線を交わす。今から戦おうとしているとは思えないほどに飄々とした雰囲気が抜けないシンさん。だが、それがこの人の怖いところだ。
一瞬の静寂ののちに審判の威勢のいい「始め!」という声と同時に集也は飛び退くように後退。すると凄まじい勢いで目の前を黒い塊が横切った。シンさんが薙いだ長剣だ。
それを寸前のところで避ける。

「おっ……今日はちゃんと避けたね」

満足げな顔を浮かべるジャージの剣士。

「そう何回も受けないっすよ」

これがこの人の怖いところ。全くこちらに攻撃してくるような姿勢を見せることなく、予備動作もなく一瞬で剣を振ることができる。初見では回避はほぼ不可能。わかっていたとしても避けきれるかどうかわからない。他の人に聞いてみてもほとんどが同じ感想を持っていた。
あれは見えない、動きが読めない、いつの間に近づいてきた、などといったまるでさながら忍者のような動き。

「やっぱりシュウ君は呑み込みが早いね」

すると今度は、先ほどまでとは違い敵意むき出しというようなオーラをこちらに向けてくる。それに合わせてこちらもわずかに右足を下げ、左手を前へと突き出し軽く握り、右手をわずかに後ろに引いて長剣を強く握りしめる。
シンさんが動くよりも早く床を蹴り上げて一気に間合いを詰めに行く。シューズと床が摩擦するキュ!、という音が響く。
後ろに引いていた長剣を一気に前に突き出してから突進。しかし、単純な動きなゆえに読まれ、ジャージの剣士は一歩動き体を横にズラすと突進する集也に合わせて長剣を振り上げた。
このままいけば、止まれずに振り下ろされて直撃で試合終了だ。
集也は口の端に笑みを浮かべてから右足を床に杭のように打ち込むイメージで急ブレーキをかける。当然、突進の勢いを残しているため体は前へと投げ出されそうになるのを宙に浮いていた左足を後ろに打ち込んで抑え込む。そしてその状態から膝を曲げて体勢を屈めこんだ。
予想外の行動にジャージの剣士の表情が驚愕の色を浮かべた。
いや、違う。次に何をしてくるのだろうという興味津々の表情だった。
ジャージの剣士は、戦術を変えることなく長剣を集也めがけて振り下ろす。
その瞬間、左足で床を思いっきり蹴り上げ、右足を軸にして体に捻りを加える。突進の勢いを残したままの長剣の軌道を無理矢理ジャージ剣士の頭へと修正する。
───片手剣重単発技《アクセル・スラント》
回転によって威力を増した斜めからの斬撃。
さすがにここまでやれば避けられない。完全に決まった。
集也も周りの皆もそう思った。しかし、キュッ!、という乾いた音とともに集也の体が投げ出される。

「……あ」

軸としていた右足が滑った。完全にバランスを崩した集也の体は何も抵抗できずに転倒する。

「痛っ!」

背中に猛烈な痛みが襲う。そして続けて腹部めがけて衝撃が加わった。

「んがぁ───!」

情けないよくわからない声が口から漏れた。背中の痛みに悶えているとシンさんが笑いを堪えたような顔で手を差し伸べている。

「惜しかったね。さすがに今のが決まってれば、避けれなかったよ」

差し出された手を握り立ち上がる。

「……嘘ですね」

「いやいや、本当だよ」

両手を体の前で大げさに振っているのが余計に嘘っぽい。それにシンさんが避けれたという確信があった。
集也が倒れる寸前に見えた彼の位置が変わっていた。こちらの突進前は開始線の付近にいたはずなのに倒れる寸前には、二歩ほど下がっていた。あの距離からなら体を大きく反らせれば回避は容易だ。
それに本来ならばシステムアシストが働き、攻撃終了後に重心の修正によって倒れるなどということはない。しかし、現実でそんなものもあるわけがないため、避けられたとしたら集也はそのまま転倒していたという事実に変わりはない。
互いに開始線の位置で一礼をして集也の敗北で試合は終わった。

「やっぱりシュウ君は強いね。あれがソードスキルなんだろ」

水分補給をしていた集也の横に立ち、シンさんはまるで新しいものを見て目を輝かせている子供のような視線を向けてくる。

「そうですけど……やっぱりSAO(あっち)でやるようには行かないですね」

立てかけられていたゴムチューブの長剣をちらりと見る。仮想世界で持っていたシュウの愛用の剣に比べればリーチも短く重さも軽い。しかし多少の違いはあろうともソードスキルの発動するのには関係ない。二年もの間使っていたソードスキルの動きは体に染み付いており、システムアシストによる動きや剣の速度などを抜けば、九十九パーセントの再現はできる。
だが、現実と仮想で体を動かすのでは多少のズレがあるように感じる。それはALOに再びダイブした時に改めて実感した。やはり仮想(あっち)の方が動きがスムーズに行える。
それにALOにはソードスキルなどという概念は存在しないため、現実よりは動きやすいだけで完全再現とまではいけない。───はずだった。

集也は昨日のことを思い出す。アルヴヘイムの地下深くに存在する高難易度ダンジョン《ヨツンヘイム》───昨日のシュウたちはそこへ立ち入り、巨人や超ベテランプレイヤーたちと戦闘した。普通ならば何も抵抗できずに負けているはずだった。だが、あの時、無我夢中で剣を振るったシュウの体にわずかに違和感があった。初めの違和感は、空中で槍投撃技《レイヴァテイン》を放った時だった。いつものようにモーションに入り、タイミングを合わせて投げる。その瞬間、体を不可視の力が押した感覚があった。放たれた槍は、まるでレールでも引かれているように一直線に三面巨人の眉間に吸い込まれるように直撃した。
そしてバカでかい鉄剣を握った時もだった。一か八かで突進したその瞬間だった。まるで武器の重さが不意に無くなったような感覚をシュウは感じた。突進からの斬り下ろし、あの技は間違いなく両手剣重突進技《アバラッシュ》だ。
他にもウンディーネたちとの戦いでも、なんども体が軽くなる感覚を覚えた。
その感覚をシュウは知っていた。モーションに入ったと同時にシステムが体を押すように軽くなる。
───《ソードスキル》

もちろん、ALOにそんな概念が存在するわけもない。だが、あのシュウが感覚を間違えるわけがない。
そしてもう一つの違和感。ソードスキルと思わしく力を発動する瞬間に聞こえたノイズ。一瞬の出来事だったので、もしかしたら勘違いなのかもしれない。だが、シュウにはわずかなノイズの中に誰かの声が混じっていた気がした。
───あれは一体なんだったんだろう。

「ん? ボーッとしてどうしたんだい?」

「いえ、なんでもないですよ」

立てかけられていた長剣を手に持って軽く振る。

「また試合してもらってもいいですか、シンさん」

すると子供が浮かべるような無邪気は笑みを浮かべ、

「もちろんだとも。僕も君の成長が見たいからね」

「……成長って」

スポチャンをやり始めてそこまで立っていないが成長と言われてもな、と思いながらも集也はコートへと向かった。


そこからシンさんと何試合か行ったが結果は全敗。様々なソードスキルを試して見たものも動きが再現できるものなどは、ほとんど見切られ、全く当たらなかった。他の人などにも試してはみたがそれほど成功確率が高いわけでもなく勝ち越した人の方が少なかった。
やはり現実と仮想での違いを改めて思い知らせれる。
昼過ぎに集也は、用事があるということで体育館を後にした。シンさんは「いつでも来るといい」といつものような無邪気な笑みを浮かべて手を大きく振っていたのが印象的だった。
そこから一時間ちょっとかけて帰路につく。自宅に着いたのは、二時近くになってしまった。

「ただいまー」

誰もいない家に声をかけてジャンバーを脱ぎながら家に入ると、

「おかえり」

いつもなら返ってこない声に少し驚きながらも集也は顔を上げる。

「なんだ、帰ってきてたのかよ、母さん」

リビングから廊下に顔だけ出すようにしている髪の長い女性、集也の母親の如月 皐月だった。

「着替え取りに戻っただけよ。またすぐに戻るわ」

「……仕事熱心なことで」

皐月は横浜の総合病院に勤務しており、普段は家から一時間半くらいかけて通勤しているが最近は忙しく帰ってきている方が珍しかった。父親も単身赴任で海外に行ってしまっているため、実質家にいるのは集也だけということの方が最近は多い。

「違うわよ。あの優眼鏡が急に私にもなんたらってのを覚えろって言って仕事を増やすんだから」

小声で呟いたつもりが聞こえていたらしい。
そんな同僚の文句を集也に言われても対処に困るだけだ。慰めて欲しいというのなら心にもない言葉をいくらでも並べてあげられるが、そこは親子だ。すぐに気づかれて逆に逆鱗に触れても困るのでここはそっとしておこう。

「じゃあ、仕事頑張ってよ」

「……集也」

自室へと向かおうと一段階段に足をかけたところだった。呼び止められて顔だけをそちらへと向けた。
皐月は先ほどの愚痴っていた時の顔とは違う真剣な表情でこちらを見たのちに優しく笑いかけてきた。

「……あまり無理したらダメだからね」

その言葉にドッキとした。まさか、集也がまた仮想世界に行っていることを皐月は知っているのか。そんな考えを口にするよりも前に皐月が言葉にした。

「昨日の夜にね……集也の部屋覗いたのよ。それを見たときは、叩き起こしてやろうと思ったんだけどあんたのことだから何かあるんでしょ?」

全てを見透かされているようだ。

「だからさ……全部終わったら色々追求することにしたの。まぁ、もしかしたらあんたのことだからあんな思いをしたのにただやってるだけかもしれないけどね」

───ああ、この人には勝てないな
集也は軽く笑みを浮かべた。
そして小さな声で呟いた。

「……ありがとう、母さん」

「それじゃあ、私はもう戻りから戸締りとかよろしくね」

玄関で靴へと履き替え、こちらに軽く手を手を振ってから扉を開ける。

「わかってるよ。そっちも気をつけてな」

集也も軽く手を振って、皐月が玄関から出て行くのを見届けた。
多分、こうして集也が再び仮想世界へと、シュウと向き合えているのは、色々な人が支えてくれているからだと改めて実感する。
リビングへと入り、棚の中からカップ麺を引きづり出した。昼食を済ませてから運動でかいた汗を軽くシャワーを浴びて流し、自室へと向かった。
そのまま一直線にベットへと倒れこむ。そして頭の上のあたりにあったヘルメット状の機械を持ち上げる。
ヘッドボードの上に置かれている時計は、二時半近くを指し示す。午後三時になれば、メンテナンスは終了し、あちらの世界へと繋ぐ道が開かれる。
そうすれば再び、アスナを救うために集也はシュウへと変わる。今だ全ての恐怖が消えたというわけではない。時より思い出して心が握りつぶされそうになる。
現に昨日もウンディーネたちとの戦いの時、シュウはほとんど我を忘れかけていた。普通ならあんな行為マナー違反だし、逆の立場なら呆れているところだ。トンキーが仲間だとしてもいつものシュウなら悔しい気持ちはあっても引き下がっていたに違いない。だが、あの時は違った。隣で同じように悔しがっていた少女の目には、微かに涙が見えた。
その瞬間、シュウの中の何かが動き出していた。リーファを泣かせたやつを許すわけにはいかないと、そいつは囁きかけた。
そこから先のことは、はっきりと覚えているわけではない。気づけばシュウの剣は青い妖精を切り裂いていた。そこから意識がしっかりしたのは、トンキーの上だった。
かつて《死神》とまで呼ばれたあの頃の記憶が蘇ってきた。そんな壊れそうなシュウを救ったのはリーファだった。彼女に抱きしめられた途端、体の力がスッと抜けていった。
とても心地よく、安心できた。
思い出すと顔が熱くなってくる。
彼女もまた、集也を支えてくれている人の一人なのかもしれない。

「……お、時間だな」

時計は三時ちょうどを指したところだった。
集也は一度息を整えてからナーヴギアを被り、現実世界から離れるための言葉を呟いた。

「リンクスタート」


────────────────────


シルフの少女が目を覚ましたのは、アルヴヘイム央都《アルン》の宿屋の一室だった。
昨夜──正確には今日の早朝に眠い目を擦りながら最寄りの宿屋にチェックインし、ベッドに転がり込んだ。
リーファは体を起こすとベッドの端に腰をかけて心の奥に突き刺さる切ない痛みと目尻に溜まる涙を堪えていた。
直葉はログアウトしてすぐに眠りについた。次に起きた時には、八時を回っていた。今朝は和人の方が早く起きており、一緒に朝食を済ませた。
そして和人がアスナのお見舞いに行くということで直葉も同行した。
自分でもどうしてそんな事を言い出したのかは分からなかった。しかし、一度会って見たいという気持ちもあったの確かだった。
二人でアスナが眠る病院へと向かってそこで対面した。
結城明日奈───眠っている姿はまるで妖精のようだった。
濃紺のヘッドギアが頭を拘束している姿に直葉は、あのゲームに囚われていた和人や集也を思い出した。
そしてそれと同時にあの絶望を浮かべ、今にも壊れてしまいそうな状態で道場に現れた少年の言葉が思い出された。

───……あいつも、アスナも助けられない……

あいつとは一体誰のことなのだろうか?
向こうで和人とアスナが一緒にいたということは聞いた。集也がアスナのことを知っているということはもしかすれば和人に聞けばわかるかもしれない。
しかし、それを直葉はしてはいけない気がしていた。
それを知ってしまえば、多分集也は今まで以上に直葉との距離を置いてしまうだろう。それだけはなんとなくわかった。
しかし、アスナの姿を優しくも愛おしくも悔しそうにも様々な感情が入り混じった瞳で見つめる和人を見ていると直葉の胸の奥を、鋭い痛みが貫いた。
アスナが目覚めても集也の思いは届くことはない。そうわかってしまったからだ。
そして───直葉の思いも決して届くことはないということも。

涙を堪えていると傍に人影が出現した。リーファはゆっくりと顔を上げた。
シュウは、大きく伸びをしたのちにこちらに気づき、柔らかい声で言った。

「どうしたんだ……リーファ?」

「あのね、シュウ君……。あたし……あたし、失恋しちゃった」

シュウの瞳はまっすぐにリーファを見つめていた。彼を見ていると全てを話してしまいたい───という衝動に一瞬駆られたが、ぐっと堪える。

「ご……ごめんね、会ったばかりの人に変なこと言っちゃって。ルール違反だよね、リアルの問題をこっちに持ち込むのは……」

無理やり笑みを作ってリーファは早口で言った。しかし頬を伝う涙は一向に止まらない。
シュウの右腕がこちらへと伸び、そして頭に乗せようとして止まる。

「……別にいいよ。俺でよければどれだけでも聞くよ。それにゲームでも辛い時は泣いたっていいんだよ」

いつものシュウとは違う優しい言葉がリーファの心に染み込んで行く。

「シュウ君…………」

呟くと、リーファは隣に座る少年の胸にそっと頭を預けていた。密やかに溢れる粒が落ちるたびに、淡い光を放って消えていく。
シュウの体は一瞬ビッく、としたがすぐに優しくリーファの体を抱きしめてくれた。
するとリーファの隣に新たに人影が現れた。
それにドッキとして慌てて、リーファはシュウを突き飛ばすようにして離れる。

「こんにちわ……リーファ……とシュウはなんで倒れてるんだ?」

「い、いや……なんでもないよね、シュウ君!」

「なんでもないことはねぇだろ、リーファ」

シュウは頭に手をあてながらこちらを睨みつけている。

「ご、ごめんね」

倒れるシュウの手を掴んで立ち上がらせる。
不思議と先ほどまでの感情は消えていた。
キリトは疑問符を浮かべるてるような表情をしている。

「───さ、行こ!」

リーファはシュウの手を握ったまま宿屋を出る。キリトも追ってくる。
昨日は寝ぼけ眼だったが改めてみると凄まじいスケールだった。様々な種族が街を歩いており、店屋などもリーファが見たことのないくらいの多さだった。
アルヴヘイムの央都アルンは、円錐型に盛り上がった超巨大積層構造をなしている。今リーファが立っているのは、中心からはまだ相当離れている。
アルン中央市街を包み込むように這い回るそれらは全てを木の根。
さらにその視界を上に向ければそれらを束ねる巨大な幹がまっすぐ上空へと伸び上がっていた。上に行けば行くほど幹の周囲には白いもやが取り囲む。あれは雲だ。飛行制限エリアを示す雲を遥か上空まで突き抜けている。

「あれが……世界樹……」

キリトが囁いた。

「うん……。すごいね……」

大通りを三人は世界樹の根元まで歩き始める。
行き交う混成パーティーの間を縫うように進むこと数分。前方に大きな石段とその上に口を開けるゲート。あれをくぐれば、世界の中心、アルン中央市街地だ。まじかにまで迫りつつある世界樹はもはや壁だ。
階段を登り、門を潜ろうとした───その時だった。
突然、キリトの胸ポケットからユイが顔を突き出した。いつになく真剣な顔で、食ういるように嬢空を見上げている。

「お、おい……どうしたんだ?」

ユイは無言のまま見開いた瞳を世界樹の上へと向け続けた。数秒間の沈黙の後に小さな唇からかすれた声が漏れた。

「ママ……ママがいます」

「な…………」

キリトが顔を強張らせた。

「本当か!?」

「間違いありません! このプレイヤーIDは、ママのものです…。座標はまっすぐこの上空です!」

それを聞いたキリトは、いきなり背の翅を大きく広げた。クリアグレーの翅が、バン!!、という破裂音とともに空気を叩く。次の瞬間には、彼の姿は地上にはなかった。

「ちょ……ちょっと、キリト君!!」

「……あのバカ」

黒衣の少年は凄まじい急上昇していく。シュウもそれを追って凄まじい加速で上昇していく。わけがわからなかったリーファも翅を広げ地を蹴った。 
 

 
後書き
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