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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第六十話 ニーズホッグ、又の名を嘲笑する虐殺者

帝国暦 486年 5月25日    イゼルローン回廊    ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  アルベルト・クレメンツ



旗艦タンホイザーの会議室にオフレッサー元帥府の将官達が集められた。先程ミューゼル中将にオフレッサー元帥より連絡が有ったから多分それに絡んでの事だろう。おそらくは新皇帝が決まったという連絡のはずだ。

会議室の空気は酷く暗い。ケスラー、メックリンガー、アイゼナッハ、ロイエンタール、ワーレン、ビッテンフェルト、ミッターマイヤー……、皆押し黙り視線を交わすだけだ。かつての闊達さは何処にもない、五月十四日からそれは失われた。

「おそらく皇帝陛下になられる方が決まったのだと思うが、どちらかな」
「多分、ブラウンシュバイク公爵家の令嬢だと思うが」
「リッテンハイム侯が納得するかな」
「さあ、どうかな」

ミッターマイヤーとロイエンタールが話している。しかし互いに何処か上の空のような口調だ。本心から心配しているわけではないだろう。我々が此処で気を揉んでもどうにもならない。何となく間が持たずに会話をしている、そんな感じだ。そして周囲の者も会話に加わることは無い。

皆、今の状況に不安を感じているのだ。ヴァレンシュタインの毒により艦隊の士気は著しく下がった。訓練を行ってはいるが時折とんでもないミスが発生する事が有る。兵達の間に自分が戦う事について疑問を感じている人間が出始めている。

我々に対する視線も厳しい。イゼルローンで七百万人が死んだのは俺達が原因だと考えている兵が多いのだ。例のヴァレンシュタインの言葉が影響している。あれが本心なのかそれとも我々に対する謀略なのかは分からない。おそらくは謀略だろう、だが真に受けている人間が少なくない。その毒は確実に艦隊を蝕んでいる。

今なら何故我々が、イゼルローン要塞が無事だったのか分かる。ミューゼル中将への昇進祝いなどではない、我々に毒を植え付けるためだ。殲滅するより生かして利用しようとした。そして毒は恐ろしいほどに強力で確実に帝国を蝕み始めている。

単なる軍人ではないと思っていた。だが此処まで凄まじいとは……。おそらくヴァレンシュタインは当代きっての戦略家、そして謀略家だろう。よりによって我々は一番敵にしてはいけない人間を敵にしてしまった。我々は日に日にその凄みを実感しつつある。

会議室のドアが開いてミューゼル中将が入ってきた。起立して迎え敬礼をする、ミューゼル中将は答礼すると席に座った。そして俺達も席に座る。中将は多少躊躇った後、話を始めた。

「先程オフレッサー元帥から連絡が有った。次の皇帝はエルウィン・ヨーゼフ殿下と決まった」
会議室に驚きが走った。皆顔を見合わせている。そんな我々を見てミューゼル中将が言葉を続けた。

「誤解のないように言っておく。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も火中の栗を拾う気は無いという事だ」
その言葉にまた視線が会議室を交差する。

「つまり娘を皇帝にするのは危険だと見ている、そういう事ですか」
「そういう事だ、クレメンツ副参謀長」
会議室の中に緊張が走った。皇帝にするのは危険、両家とも反政府活動が酷くなり革命が起きるのではないかと恐れている。オーディンの政治状況は我々の想像もつかないほど厳しいものなのかもしれない。

「では例のカストロプの件は真実なのですな」
「……」
「閣下はカストロプの反乱について事前に御存じだった。この秘密も御存じだったのでは有りませんか」

ロイエンタール少将の言葉にミューゼル中将の、そしてケスラー少将の表情が歪んだ。俺があの時問いかけ答えて貰えなかった質問だ。カストロプの件はあくまでヴァレンシュタインの邪推であって真実ではない、それが帝国の公式見解だ。だがその見解には誰もが疑問を抱いている。

ミューゼル中将とケスラー少将が視線を合わせた。溜息を吐いてミューゼル中将が話し始めた。
「詳しい事は言えないが真実だ、全てを知るのは帝国でもほんの一握りの人間だけのはずだ。私も全てを知っているとは言い難い」

「不思議なのはヴァレンシュタインです、彼はどうやってそれを知ったのでしょう」
メックリンガーが訝しげに問いかけてきた。俺も同感だ、亡命者の彼が何故それを知っていたのか……。

「彼はカストロプ公が自分の両親を殺したことを知っていた。多分そこから辿ったのだろうが……」
「しかし、それだけではいささか……」
ミューゼル中将とメックリンガーの言葉は歯切れが悪い。

「知らないはずの事を知っている人間がいる、ですか」
ワーレンが両腕を組んで呟くように吐いた。その言葉に皆が考え込む表情になった。そして時折ケスラー参謀長に視線を向ける。

「参謀長、訊き辛いのだが……」
「フィーアの事かな、ビッテンフェルト少将」
ケスラー少将の言葉にビッテンフェルトが済まなさそうに頷いた。それを見てケスラー少将が大きく息を吐く。あまり楽しい話ではないのだろう。

「彼女は私の幼馴染でお互いに好意を持っていた間柄だった。だが彼女は貴族だった、平民の私とでは身分の壁が有った。士官学校を卒業と同時に私は彼女から離れた。そして疎遠になった……」

「ヴァレンシュタインの言ったクラインゲルト子爵家を調べた。確かに辺境に存在した。フィーアもそこにいたよ。当主の息子と結婚している、男の子が生まれたそうだ」

皆複雑な表情をしている。ヴァレンシュタインの言葉が事実であったこと、そしてケスラーの気持ちを忖度したのだろう。ケスラーも複雑な表情をしている。
「夫である男性は軍人だった。今回の遠征軍に参加していたそうだ」
会議室が凍りついた。皆息を凝らしてケスラー少将を見ている。

「で、では」
「おそらく、戦死しただろう」
喘ぐように問い掛けたビッテンフェルトにケスラー少将は感情のこもらない声で答えた。それきりしばらくの間沈黙が会議室を支配した。

「……どうもおかしい、ヴァレンシュタインは何故フィーアの事を知っていたのか……。彼女とのことは十年以上前、ヴァレンシュタインが士官学校に入る前の事のはずだ、それを何故知っている……」
誰も答えられない、おそらく、皆の脳裏に有るのは“知らないはずの事を知っている人間がいる”、その言葉だろう……。

重苦しい空気を払拭するかのようにミューゼル中将が咳払いをした。
「オフレッサー元帥からは他にも話が有った。新宇宙艦隊司令長官にはオフレッサー元帥が就任する事になった」

皆がそれぞれの表情で頷いた。単純な喜びの色は無い。おそらくヴァレンシュタインの予測通りになったことに対して怖れを感じているのだろう。
「要塞駐留艦隊の司令官もグライフス大将に決まった。艦隊がイゼルローン要塞に着くのは大体二ヶ月後になるだろう」

「では我々がオーディンに戻るのはその後ですか」
ミッターマイヤー少将の言葉にミューゼル中将は首を横に振った。
「いや、それは分からない。帝国は早期出兵を考えている、我々はオーディンに戻ることなく反乱軍と戦うという事も有り得る」
皆が信じられないと言った表情で中将を見た。

「まさか……、本気ですか」
俺の質問はかなり失礼なものだったろう、だが誰もそれを咎めなかった。ミューゼル中将もだ。幾分表情に苦みを湛えて言葉を続けた。
「帝国は早期に勝利を収める事が国内安定に、軍の統制を保つために必要だと考えている。出撃にはオフレッサー元帥も同行するだろう。元帥は本気だ、艦隊の練度を上げておいてくれ。次の戦いは負けられん……」

会議を終えミューゼル中将が居なくなった。会議室には未だ皆が残っている。
「この状況で戦うのか、厳しいな」
「無茶だ、到底勝てるとは思えん」
ロイエンタール、ミッターマイヤーの言葉に会議室の中で同意する声が上がった。俺も同感だ、あまりにも危険すぎる。

「出兵よりも国内を変える事は出来んのか、平民達の権利を拡大し、二度とカストロプの一件のような事を起こらないようにする。その方が国内も安定するし兵の士気も上がるだろう。変革の宣言をするだけでも違うはずだ、戦争はその後で良い」

「ワーレン少将の言う通りだろうが難しいな。貴族達は革命は恐ろしいが特権も放棄したくない、そんなところだろう。勝てば状況は好転する、そう思っているに違いない」
ケスラー参謀長の言葉に彼方此方で不満そうなつぶやきが漏れた。

「自分では犠牲を払わず、我々に押し付けようという事ですか、いい気なものだ」
「自分の手を汚さないのは連中の得意技だろう、ロイエンタール」
ミッターマイヤー少将が珍しく嘲笑を込めて言い放つ。同意するかのように会議室に嘲笑が起きた。無口なアイゼナッハも顔を歪めている。

「ミューゼル中将はどうお考えなのかな」
ビッテンフェルト少将の問いかけに会議室に沈黙が落ちた。皆が窺うように顔を見合わせている。中将自身、帝国を変える事を望んでいるとヴァレンシュタインが指摘した。あれは真実なのか……。

「分からんな、だが変えたいと思っているにしろ現状では無理だ。地位も権限も低すぎる。そういう意味でも次の戦い、勝つ必要が有るだろう」
ケスラー少将の言葉に皆が溜息を吐いた。

「ヴァレンシュタインが出てくるな、ニーズホッグが出てくる。奴、間違いなく俺達を殺しに来るぞ」
苦虫を潰したようなワーレンの声だった。

ニーズホッグ、いつの間にか兵達がヴァレンシュタインに付けた異称だ。ニーズホッグは黒い飛龍であり北欧神話においては最も邪悪な存在だとされている。古代ノルド語で“怒りに燃えてうずくまる存在”という意味を持ち、“嘲笑する虐殺者”、”恐るべき咬む者“という異名も持っている。

ニーズホッグは世界樹ユグドラシルの根から世界の滋養を奪い世界に暗い影を及ぼしているがその滋養だけでは飽き足らず、死者を喰らい、その血を啜るとされている。そして世界の終末ラグナロクの日には、世界樹ユグドラシル全体を倒してしまう……。

世界樹ユグドラシルを帝国に替えればそのままヴァレンシュタインに当てはまるだろう。“怒りに燃えてうずくまる存在”、“嘲笑する虐殺者”、”恐るべき咬む者“ まさにヴァレンシュタインだ。ヴァレンシュタインこそがニーズホッグだろう。

世界の終末ラグナロクを生き延びた邪悪なる魔龍ニーズホッグ。我々はこれからその邪悪なる魔龍を相手に戦わなくてはならない……。



帝国暦 486年 5月25日    イゼルローン回廊    ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  ラインハルト・フォン・ミューゼル



皆、納得していなかった。私室に向かいながら会議室での会話を思い出し溜息が出た。無理もない、俺自身納得しているとは言い難いのだ。他者に納得しろと言う方が無理だろう。

軍事的勝利、一体どの程度の勝利を求めているのか……。大艦隊による艦隊決戦か、それとも単なる局地戦での勝利で良いのか……。オフレッサーがどの程度の艦隊を率いてくるかにもよるだろうが、今の帝国に大規模な出兵が可能なのか。宇宙艦隊は司令部が全滅、そして精鋭部隊も全滅しているのだ。

不安要素しかない、また溜息が出た。部屋に戻るとTV電話の受信ランプが点滅していた。誰かが連絡してきたらしい。オフレッサーかと思ったがリューネブルクだった。連絡をくれと伝言が入っている。通信を入れると直ぐにスクリーンにリューネブルクが映った。

「リューネブルク少将、ミューゼルだ」
『ああ、忙しい所を済まんな。訓練は順調か?』
「順調とは言い難い、何より兵の士気が下がっている。それが問題だ」
俺の言葉にリューネブルクが渋い表情で頷いた。おそらく彼の率いる装甲擲弾兵第二十一師団でも同じ悩みが発生しているのかもしれない。

『グリューネワルト伯爵夫人だが、先程宮中から退出した』
「色々と御手数をかけた。感謝する」
ようやく長年の願いが叶った。これからは姉上には苦労はさせない。オーディンに戻ったら姉上と色々話さなければ……。キルヒアイスの事、フリードリヒ四世の事……。鼻の奥に痛みが走った。

『気にするな、俺は大した事はしていない。ヴェストパーレ男爵夫人が随分と骨を折ってくれた。後で夫人に礼を言うのだな』
「そうしよう、それで姉上は何処に」
『とりあえず男爵夫人の屋敷にいる。卿の姉上は静かな所で暮らしたいと言っているが今は時期が良くない、危険だ。しばらくは男爵夫人の所に居るのが良いだろう。夫人もその方が良いと言っている』
「分かった。宜しくお願いする」

スクリーンのリューネブルクが笑いかけてきた。
『運が良かったな、ミューゼル中将』
「ああ、陛下が姉上の所で倒れたらどうなっていたか……」
『それだけではないさ』
「?」

リューネブルクはもう笑っていない。妙に深刻な表情をしている。
『卿が中将で良かったと言っているのだ。これが大将や上級大将であってみろ、間違いなく卿は粛清されていただろう』
「……どういう事だ、それは」

『貴族どもはかなり神経質になっている。元々卿に対して良い感情は持っていなかったがヴァレンシュタインの所為でそれに拍車がかかった』
「と言うと」
リューネブルクは渋い表情をしている。貴族達は何に反応した? ヴァレンシュタインの所為とは一体……。

『“卿が帝国を変えたがっている”、その言葉に反応した。国を変えるとは何か? 謀反を起こすのではないか、とな』
「……」
言葉が出なかった。危険だ、これまで俺の思いはキルヒアイスしか知る者は居なかった。だがそれをヴァレンシュタインが白日の下にさらした。そしてオーディンでは貴族達が反応している……。

『オフレッサー元帥がそれを抑えた、これはヴァレンシュタインの謀略だと言ってな。奴はミューゼル中将を天才だと評している。自らの手ではなく、帝国の手でミューゼル中将を斃そうとしている。その手に乗ってはならない……』
リューネブルクを見た、それに応えてリューネブルクが頷く。

『今回の出兵も貴族達が絡んでいる』
「どういう事だ、それは」
リューネブルクが溜息を一つ吐いた。

『当初軍は十分な準備をしてから遠征軍を出す予定だった。出征は少なくとも半年は先と見ていたんだ。その間に政府に国内の情勢を安定させる、そういう心づもりだった』
「それが何故?」

リューネブルクの表情が歪んだ。どうやら予想以上に酷い事らしい。
『……貴族達が自分達が軍を出すと騒ぎだした』
「馬鹿な……」
『事実だ、平民達を黙らせるために反乱軍を叩く。軍が出征に時間がかかるのなら自分達がそれを行うと……』

「……怯えているのか、貴族達は」
気が付けば声が掠れていた。
『そうだ、怯えている。カストロプの一件が原因で一千万人が死んだのだ。どんな豪胆な貴族でも震え上がるだろう。しかも一千万で終わると言う保証は無い、これからも殺し続けるとヴァレンシュタインは言っているんだ』

『連中の出征など到底認められない。実戦経験など皆無の連中だ。そんな連中が同盟に勝てると思うか』
嘲笑交じりの声だった。リューネブルクは顔を歪めて笑っている。

「無理だ、到底勝てない」
『その通りだ、間違いなく殲滅される。だがそうなれば国内情勢はどうなる。より一層不安定なものになるだろう』
「だから早急に軍を出すと……」
『そういう事だ』

貴族を宥めるために否応なく早急に軍を出さなければならない、そういう事か……。となれば大軍を率いてという訳にはいかない、主力は俺の艦隊か……。今度こそあの男と戦う事になる。

『負けられんぞ、ミューゼル中将。負ければ全てが終わる、帝国も卿もだ』
その通りだ、負けることは出来ない。だがこの状況で勝てるのだろうか? 負けられないという思いと勝てるのかという疑問が何度も胸に湧きあがった。

ヴァレンシュタインと対峙するときはいつも同じ思いをする。これから先もそうなのだろうか、いやこれから先が有るのだろうか……。馬鹿な、何を考えている。必ず勝つのだ。勝たなければならない……。


 
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