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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第三十話 救出作戦

宇宙暦 794年 10月20日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース ミハマ・サアヤ



「味方の収容を行う艦隊を至急用意してください。小官が作戦の指揮を執ります……」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉に艦橋に居る全員が大佐を見ました。皆驚いています。

「何を言っている。貴官は艦隊の指揮などした事はないだろう」
ワイドボーン大佐がヴァレンシュタイン大佐を咎めました。小規模の艦隊を率いてイゼルローン要塞に接岸するのです。艦隊運用の未経験者に任せられる事ではありません。ワイドボーン大佐が怒るのは当たり前です。

それに場合によっては敵の攻撃を受ける事もあります。そうなったら僅か百隻程度の艦隊では全滅する可能性が高いのです。ワイドボーン大佐はヴァレンシュタイン大佐を失いたくないと思ったのでしょう。他にも頷いている人が何人か居ます、同じ気持ちなのだと思います。

「艦隊の指揮を執るとは言っていません。救出作戦の指揮を執らせてくれと言っています」
「しかし」
ワイドボーン大佐がグリーンヒル参謀長に視線を向けました。止めて欲しいという視線です、ですがヴァレンシュタイン大佐は自分が指揮を執ると言い募りました。

「救出作戦は一度では終わりません。二度、三度と行うことになる。小官はイゼルローンに残り彼らの撤収を最後まで見届けます」
「!」
その言葉にまた艦橋の皆が驚きました。

「馬鹿な、自分の言っている事が分かっているのか? 最後尾を務めると言っているのと同じだぞ!」
「ワイドボーンの言うとおりだ、危険すぎる」
ヤン大佐がワイドボーン大佐に同調しました。私も同感です、危険すぎます。

最後尾を務める、場合によっては救出が間に合わず敵に捕捉、殲滅される恐れもあります。ヴァレンシュタイン大佐は亡命者です。亡命者は捕虜になる事は出来ない、そう言ったのはヴァンフリートで戦った大佐自身です。それなのに何故そんな危険な事をするのか……。

「救出活動は一度では終わりません。当然ですが最後尾には苦しい戦いを強いる事になるでしょう。位置から言ってローゼンリッターが務める事になります」
「……」
ローゼンリッター、その名前に皆の表情が曇りました。

帝国軍も最後尾を務めるのがローゼンリッターと知れば激しく攻めてくるでしょう。帝国軍にとってローゼンリッターは敵ではありません、忌むべき裏切り者の集団なのです。連隊長を失い多大な被害を受けたであろう彼らにとっては酷過ぎる戦場になるのは間違いありません。

「彼らに事情を話し必ず救出するから時間を稼いでくれと説明しなければなりません。小規模艦隊での救出を提案したのは小官です。小官には彼らに説明する義務が有ります」
「しかし……」

ワイドボーン大佐が反論しようとしましたが口籠ってしまいました。ヤン大佐がワイドボーン大佐の肩に手をかけます。大佐がヤン大佐を見ました。ヤン大佐は黙って首を横に振ります。ワイドボーン大佐が悔しげに唇をかむ姿が見えました。

「総司令部は今回の攻略戦で将兵の信頼を失いました。その信頼を取り戻すには総司令部の人間が犠牲になる覚悟を示す必要が有ります。小官は亡命者でもあります。小官が残れば彼らも信じてくれると思います」

道理だと思います、しかし何故大佐がとも思います。皆同じ思いなのでしょう、遣る瀬無い表情をしています。ワイドボーン大佐は顔を顰めヤン大佐は何度も首を振りました。

「閣下、小官はフォーク中佐のようにはなりたくありません。救出作戦の指揮を執らせてください」
ヴァレンシュタイン大佐がグリーンヒル参謀長に訴えました。参謀長は目を閉じて考えています。そして目を開いた時、参謀長の目は真っ赤でした。

「救出作戦の指揮はヴァレンシュタイン大佐が執る」
「閣下!」
掠れた声でした、そしてその掠れたような声にワイドボーン大佐の悲鳴が重なります。ですがグリーンヒル参謀長が命令を覆すことは有りませんでした。

「救出用の艦隊を選抜してくれ……。ヴァレンシュタイン大佐、貴官には苦労をかける……」
「……小官は準備が有りますのでこれで失礼します」

ヴァレンシュタイン大佐が敬礼するとグリーンヒル参謀長が答礼を返しました。参謀長の答礼は心なしか長かったような気がします。踵を返して艦橋を出ようとする大佐の行く手をワイドボーン大佐が塞ぎました。

「ヴァレンシュタイン、答えてくれ。昨日、俺達と話をしなかったのは第二百十四条の所為か……。俺達を巻き込むまいと考えたのか……」
「……」
呻くような声でした。周りも皆俯いています。ヴァレンシュタイン大佐は無表情にワイドボーン大佐を見ていました。

「何故だ、何故俺達に相談しない……」
何かを堪えるような、絞り出すような声です。
「……急ぐんです、そこを退いてください」
ヴァレンシュタイン大佐の声は何の感情も見えない機械的な声でした。

「……お前は何時もそうだ。何故だ、ヴァレンシュタイン……」
ワイドボーン大佐は退こうとしません。そしてヴァレンシュタイン大佐は微かに苛立ちを見せると低く、凄みさえ感じさせる声を出しました。
「そこを退きなさい……。 私は急ぐんです!」

そう言うとヴァレンシュタイン大佐はワイドボーン大佐を押し退け、足早に艦橋を出て行きました。押し退けられた大佐は切なそうにヴァレンシュタイン大佐の出て行った方を見ています。そしてヤン大佐の方を見ました。

「ヤン、お前は気付いていたのか?」
「……ああ、もしかしたらとは思っていた」
「何故言わなかった!」
ワイドボーン大佐が激昂しました。

「言えばどうした? 彼と共に第二百十四条を進言したのかい? そんな事を彼が望んだと思うのか」
「……」
ワイドボーン大佐が唇を悔しげに噛みました。そしてヤン大佐はワイドボーン大佐から視線を逸らしました。

「彼が我々に話さない以上、我々に出来る事は無いんだ」
「……お前はいつもそうだ、気付いているのに何も言わない……」
「……」
ワイドボーン大佐は振り返るとグリーンヒル参謀長に話しかけました。

「閣下、閣下はヴァレンシュタインから相談を受けていたのですか?」
「昨日の事だ、少し無茶をするかもしれないと言っていた。それだけだ……」
「……少し無茶……」

ワイドボーン大佐が首を振っています。私も同じ思いです、第二百十四条の行使の進言が少し無茶……。一体大佐は何を考えているのか……。
「その後どういうわけか娘の話になった。大事にして下さいと言われたよ」
「……」
微かに参謀長が苦笑を洩らしました。

「今日、彼が第二百十四条を持ち出した時正直迷った。軍法会議で有罪になればどうなる、全てを失うだけじゃない、フレデリカも反逆者の娘と蔑視される、そう思うと正直迷った……」
「……」

艦橋ではグリーンヒル参謀長を責めるようなそぶりをする人間はいません。ただ黙って参謀長の話を聞いています。私はあの時参謀長を憎みました。でも今の参謀長の想いをあの時知っていたらどうだったでしょう。参謀長を憎む事が出来たでしょうか……。憎むより恨んだかもしれません。何故こんな事になったのかと……。

「正直彼を恨んだよ、何故そんなものを持ち出すのだとね。彼を見た時、全くの無表情だった。縋るような色も怒りの色も無かった。ただ無表情に私を見ていた。その時彼が何故娘の話を持ち出したのか分かった。例え私が二百十四条を受け入れなくても恨みはしない、そういうことだったのだと思う……」
「……」

「そう思った時、私は無性に自分が恥ずかしくなった。出世や保身のために将兵を見殺しにする人間と家族可愛さにそれを許してしまう人間との間にどれだけの違いが有るのだろうと……。そんな父親を娘は誇りに思えるのかとね……」
「……」

「ヴァレンシュタイン大佐には済まない事をしたと思っている。本当なら彼の進言が有る前に私が自分で決断すべきだった。だが私には第二百十四条の行使を考えることができなかった。その所為で彼を巻き込んでしまった……」

静まり返った艦橋に参謀長の声だけが流れます。静かな落ち着いた声ですが悲しそうに聞こえました。でもその思いに達するまでの葛藤がどんなものだったのか……。私にはとても想像できません。

「ハイネセンに戻れば軍法会議が待っている。娘には正直に全てを話すつもりだ。どんな結果になるかは分からないがきっと理解してくれると思っている……」
「……」

「ワイドボーン大佐」
「はい」
「彼を水臭いとは思うな。いざとなれば全てを自分が被る。彼はそう考えてしまう人間なのだ」

労わる様な声です。参謀長は優しそうな笑みを浮かべていました。
「だから悔しいんです。自分はまだ彼から信頼されていないのかと思うと……、情けないんです……。あいつが心配です、また無理をするんじゃないかと……」

切なさが溢れてくるような声でした。ワイドボーン大佐が以前言った言葉を思い出しました。
“信頼というのはどちらか一方が寄せるものじゃない、相互に寄せ合って初めて成立するものだ”

ワイドボーン大佐はヴァレンシュタイン大佐との間に信頼を結びたがっています。でもその信頼を結ぶことが出来ずに苦しんでいる……。今更ながら信頼を結ぶという事の難しさを思い知らされました。

「私も行きましょう」
「バグダッシュ中佐……」
陽気な声でした。中佐の顔には笑みが有ります。参謀長と同じ笑みでした。

「彼とは長い付き合いです、嫌がるかもしれませんが私も行きますよ。大丈夫、必ず彼を連れ帰ってきます。それに此処にいるより彼の傍にいる方が安全かもしれない。彼は無敵ですからね」
おどけたようなその言葉にようやく艦橋に笑い声が上がりました。

「すまん、バグダッシュ中佐」
ワイドボーン大佐が頭を下げました。笑わなかったのは大佐だけだと思います。小さな声でした。

「私も、私も行きます」
「ミハマ大尉……」
「お願いです、私も行かせてください」

気がつくと私はバグダッシュ中佐に、ワイドボーン大佐に頼んでいました。私に何が出来るか分かりません。でも行きたい、行かなければならないと思いました。大佐の前で俯くようなことはしたくない、正面から大佐を見る事が出来る人間になりたいと思ったんです。

嫌われてもかまいません、憎まれてもいい。でも信頼はされたい……。いざという時、逃げるような人間じゃない、そう思われたかったんです。大佐が二百十四条を出した時、私は何もできなかった。あんな思いはもうしたくありません。

「此処にいる方が安全だ」
「ヴァレンシュタイン大佐の傍の方が安全です」
私の言葉にバグダッシュ中佐が苦笑しました。

「少しは出来るようになったか……。良いだろう、付いてこい。但し自分の面倒は自分で見ろよ。それが良い女の条件だ。閣下、お許しを頂けますか? もっとも駄目と言われても行きますが……」

グリーンヒル参謀長が苦笑しました。
「否も応も無いな。二人とも気を付けて行け」
そう言うと参謀長はまた苦笑しました。

バグダッシュ中佐が歩き出しました。私もその後に続きます。危険極まりない所へ行くのに私の歩みは可笑しなくらい弾んでいました。ようやく私は最初の一歩を踏み出すことが出来たのです。そして歩き続ければ、ヴァレンシュタイン大佐がそれを認めてくれれば何時か信頼を得られるはずです……。


 
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